没落貴族と拾われ娘の成り上がり生活

アイアイ式パイルドライバー

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序章・彼の幸せ

再建

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 あの大河の氾濫から三年経った。

 河に流された村は、以前と変わりなく家々が建っている。

 いや、人々の活気や畑に実る作物、そして村の広さは三年前と比較出来ない程に成長していた。

 あの大河の氾濫の後、すぐにカイエンを中心に村の復興は行われたのである。
 元々団結力の強かった村人達は、あの大河の氾濫によってより強い団結を見せ、誰一人手を抜く者を出すこと無く、森林を切り、家々を建て直したのだ。

 そして、リーリルを死ぬ気で助けたカイエンの事を村の人々はより一層の尊敬と信頼をもって、誰しもがカイエンの指示に協力した。

 雨降って地固まる。
 あの災害があればこそ、この村はより大きな発展を遂げられたのだ。

 それに、あの災害は絆の他にも恵みを与えてくれた。
 まず、復興のために木を切り倒したため、結果的に開拓が進んだ。
 もう一つは、栄養豊かな土が氾濫によって大地へ流れ込んだため、作物が良く育ったのである。

 カイエン二十六歳。
 彼は今が最も幸せな時だと思っていた。

 カイエンの屋敷も建て直された。
 レンガ造りの家は前よりも二回り小さくなったが、使用人が居るわけでもないので不自由しない。
 むしろ、移動が楽になったと思っていた程だ。

 カイエンはその屋敷の執務室で報告書を書く。

 今年の人口増減。
 作物の収穫量。
 土地の拡大状況。
 伐採した木の量。

 土地の拡大状況と伐採した木の量は殆ど無い。
 なぜならば、王都より示された開拓が殆ど終わったからだ。

 代わりに、作物の収穫量と人口の門戸が大幅に増えた。
 この三年間で復興どころか発展までしたのだから当然と言えば当然か。

「よし……と」

 報告書を書き終わり、羽ペンをペン立てに刺す。

 その時、執務室の扉がバンと開いた。

 黒い影が疾風の如く部屋へ入ってくると、執務机の前で跳躍する。

 カイエンは素早く、机上の報告書を手に持ってどかした。
 直後、黒い影が机の上に着地し、その勢いのままカイエンへ飛びつく。

「お父様!」

 カイエンの首に腕を回し、思いっきり抱きつく少女。
 浅黒い肌とぬばたまの黒髪をした女の子。
 彼女はサニヤだ。

 元気いっぱいの三歳である。

「サニヤ。人に飛びついちゃいけないと言ってるだろう?」

 喉に思いっきり体当たりを喰らってしまったカイエンは咳き込みながら注意する。

「はーい!」

 返事だけは元気が良い。
 しかし、聞き分けてくれたことは一度も無いが。

 今ではもう慣れたもので、サニヤが部屋に入ってくると報告書を素早くどける技術を身につけてしまった。
 以前は報告書をサニヤに踏まれて書き直しになっていたものである。

「すいません! カイエン様!」

 執務室へ長い髪を揺らしながら、若い女の子が入ってきた。

 彼女はリーリルだ。
 三年前に比べて身長は伸び、胸も大きくなり始めて、かなり大人びた印象を与える。

 また、リーリルは膝ほどの高さの白い毛の犬を連れていた。
 かつて、リーリルが濁流で抱えていた犬だ。

 元々、とある納屋の床下に住んでいた犬で、子供たちは大人に内緒でこの犬を育てていたのだ。
 河の氾濫の中、リーリルはこの犬を助けに行っていたのである。

 そして、この犬もまた息を吹き返し、今ではライと名付けられてリーリルの家で飼われていた。

「サニヤ様。カイエン様はお仕事中です。邪魔をしてはなりません」

 かつては元気が良かった子供のリーリルであるが、今では礼儀を正しくしてカイエンとサニヤに接するほど精神的にも成長した。

「やだー。お父様と遊ぶー」

 サニヤはカイエンの首にしっかりと抱きついて離れようとしない。

 リーリルはカイエンが仕事をしている間、サニヤの相手をする役目である。
 それなのにサニヤがカイエンの仕事の邪魔をしてはリーリルの責任であろう。
 なので、あたふたとしながらサニヤをカイエンから離そうとした。

「大丈夫です。リーリル。報告書はもう書き終わってますから」

 手に持っている紙をピラピラと振る。

 すると、サニヤが仕事を終えたならば遊べるのかと笑顔でカイエンを見た。

「ただ、色々としまいたいから降りてくれ」

 用事が終われば片付ける。
 サニヤにいつも言っている事だ。

 サニヤに言っているのに、自分が守らない訳にはいかない。

 そんなカイエンに対して、サニヤはつまらなそうに頬を膨らませてリーリルに抱きついた。

 今すぐにでもカイエンと遊びたいのだ。
 しかし、ふて腐れたようにしながらもしっかりと待つサニヤを、カイエンとリーリルは微笑ましく思っていた。

 片付け終わったら、三人と一匹は屋敷を出る。

 サニヤは庭に生える一本の木に登ったり、ヒラヒラと舞う蝶々を追ったりしながら、村の方へトテトテと走って行き、ニコニコとした笑顔で時折、カイエンとリーリルを見る。
 カイエンとリーリル、それとライはそんなサニヤの後ろをついて歩いていった。

 リーリルは白いハンカチの掛かったバスケットを手に提げ、カイエント談笑したり、サニヤと一緒に花や虫を見たりする。

「あら! カイエン様じゃないですか」

 村の方からマーサが歩いてくる。
 手には鍋が持たれていた。

 マーサは乳が出なくなったために、もう住み込みで働いていない。
 それに、サニヤももう赤子ではないから、住み込みで面倒を見る必要も無くなったのだ。

 今では以前のように、村の奥さん方が交代で食事を作って屋敷へ持ってきてくれていたのである。

「お昼を屋敷に置いておきますよ」
「はい。ありがとうございます」
「リーリルも、カイエン様のお役に立つようにね」
「分かってるよ。お母さん」

 なんて話しているマーサの足に、サニヤが抱きついて笑った。

「あらあら。サニヤ様」

 マーサが、足にしがみついて体を左右に揺らすサニヤの頭を撫でると、サニヤはえへへと笑う。

 サニヤは人見知りしない子であるが、村人の中ではマーサとリーリルへ特に懐いていた。

 やはり子育てしてくれた人だから、警戒心が無いのだろう。

 実際、彼女たちが居なかったら、サニヤがここまで健やかに育つことなど無かった。
 もちろん、カイエンは村人一人一人に感謝しているが、特にこの二人には感謝の念が湧いて止まない。

「それでは、お気を付けていってらっしゃませ」

 マーサは口に手を当ててホホホと笑うと屋敷へ歩いていき、カイエン達も村の方へ真っ直ぐ歩いていった。

 するとライがマーサについていこうとしたが、サニヤはそれに気付くとライの体に抱きついて「ライはこっち!」と引っ張る。
 カイエンとリーリルはそんな様子を見て「ライでさえサニヤには頭が上がらない」なんて話して笑った。

 屋敷からやや歩き、村の中へ。
 村は畑を挟んで家が建っているので家と家の間が広い。
 そんな道を村人達は歩いていて、カイエンとサニヤに気付くと笑顔で挨拶を交えた。

 村の密度の割に道行く人の数は多い。

 道行く人の数が多いのは、村の規模の割に人口が多いからだ。
 豊かな暮らしを望んで引っ越して来た人々が増えたのである。
 また、辺境の地なので、戦争から逃げてきた人々も多かった。
 そして、村は彼らを受け入れるのに十分な収穫があったのだ。

 今では家の数が足りない程なので、開拓地に急いで家を建てている状態である。

 行き交う子供は多く、サニヤは彼らを見ると元気よく手を振ったり、挨拶をしたりしていた。
 子供たちは気軽にサニヤを呼び捨てにしながら気軽に手を振り返して、親にこぉらなんて注意を受ける。
 だけど、カイエンがそんな事で腹を立てるような狭量な人で無いことを知っているので、笑顔で「本当にうちのバカ息子がすいませんねぇ」と平謝りするくらいで、子供の無礼に悲壮感を見せるような事は無かった。

 それに、カイエンは子供同士の、権力が無い自然な仲をとても快く思っていた。
 カイエンは自分を、畏れられて敬われるような人では無いと思っている。
 いつだって、この村の人たちに支えられ、励まされて生きてきたと思う。
 村の人達が居ないと、ここまで復興は出来なかったし、それどころかサニヤだって満足に育てられなかったのだと思う。
 だが、カイエンが幾らそう主張したところで、どうしたって村人は彼を統治者として尊敬した。
 だから、子供同士の素直な関係は、今しか出来ない貴重な体験で、サニヤの宝になるだろうと思うのである。

 こうして子供が楽しく遊んでいるのはまったく領主として嬉しい話だ。
 この子供が大人になった時のため、家々を作ることはやはり急務であろう。
 なんて、子供を見て村の事を考えてしまうのは領主としての職業病なのかも知れない。

 また、カイエン達が村を歩いていると、中には馬車を牽く行商人なんかも見受けられた。

 人口が増えれば物が売れる。
 自明の理だ。
 なので、行商人も村へ来訪しだしたのである。
 都会の珍しい物や、カイエンも知らぬ都会の農耕具等がやって来た。
 農業は効率的になるし、娘っ子にはおしゃれをしだす人も居て、村にますますの活気を与えてくれた。

 村へ来る行商人と言えば、ただの行商人ではなく、武器商人も来ることがしばしばある。
 人口が増えればいざこざが増えるのだから当然だ。
 カイエンは氾濫によって流された武器を新調したし、村人の中には武器を買って魔物が現れた時に対抗する自警団を形成する者達もいた。
 村の規模が大きくなったため、カイエン一人で魔物や猛獣から守る事が難しかったため、非常にありがたい話しである。
 ちなみにその自警団の中にはリーリルの兄の姿もあった。
 リーリルの家族には本当に頭が上がらない気持ちだ。

 などと思っていると、大河を泳ぐ自警団の姿が見える。

 三年前の洪水は今も人々の記憶に新しく、自警団は来たる大河の氾濫に役立てるよう、水練に励んでいたのだ。

 リーリルの二番目の兄、サマルダはカイエンに気付くと軽く頭を下げ、大河へ飛び込んだ。

 サマルダを始め、彼ら兄弟が居なければ、カイエンは河の藻屑になっていた。
 
「サマルダ兄さんったら、畑仕事も手伝わないでこんな所に居たら、お父さんにまた怒られるわ」

 リーリルはクスクスと笑うのだった。

 カイエンにとってはありがたい事だが、リーリルの家ではそうでもないようである。

 家庭の事情は様々。
 いずれ、カイエンとサニヤの間でも、そのような行き違いが起こるのだろう。

 カイエンがそんな事を思う一方、サニヤは河辺の草原で遊ぶ他の子供たちの所へライと共に無邪気に駆けていくのだった。

 親の心子知らずと言うべきか。
 しかし、子供は何も思い悩まず、伸び伸びと成長ししてくれれば良いかとカイエンは思うのであった。

 そんなカイエンの横で、リーリルは草の上に腰を下ろし、バスケットの上のハンカチを取る。

 そこには黒パンで卵やベーコンを挟んだ食べ物があった。

 いわゆるサンドウィッチである。

 屋敷を出た時から提げていたバスケットは、河辺の草原で食べるためのお八つだったのだ。

「カイエン様。如何でしょう?」
「ありがとうございます。いただきます」

 カイエンはリーリルの隣に座ってサンドウィッチを手に取る。

 さあっと揺れる草原。
 草原を駆ける子供たち。
 太陽を反射して煌めく大河。
 大河を泳ぐ人々や魚を捕る幾つかの小舟。

 そんな景色を見ながらサンドウィッチを頬張ると、何とも言えず幸せだ。

 カイエンが守り、皆と共に育てた村だ。
 この平和な光景こそ、領主冥利に尽きるというものである。

「ん? おいしい」

 おまけにサンドウィッチもおいしい。
 
 中身は茹でた卵をすり潰したものであるが、何とも締まった味がする。

「レドベリーを砕いて混ぜてみたのです。良い味になってるでしょう?」

 レドベリーは森にある硬くて小さな赤い実だ。
 たまに鹿が食べているのを見るが、硬いし苦いし、辛味があるので人間は誰も食べようとしない。
 しかし、粒状に砕いたレドベリーは辛味と苦味が良い具合にマッチし、ゆで卵の味を引き締めていた。

「こちらは焼いたベーコンですが、ラダムベリーを掛けてみました。お口に合うと良いのですが……」

 ラダムベリーは茶色くて硬い被子に覆われた実で、中身は細かい黒い粒となっている。
 その中身をすり潰し、ベーコンにかけたようだ。

 こちらは辛味の中に甘味があり、ベーコンに良い味付けを施していた。

「お母さんと研究したんです。中々おいしいでしょう?」
「ええ。あの実にこんな使い方があるとは思いませんでした」

 カイエンがサンドウィッチを食べていると、サニヤが勢い良く駆けてきて、「何食べてるの!」とカイエンの肩に抱きつく。

「サニヤ様の分もありますよ」

 リーリルはクスクスと笑いながらサンドウィッチをサニヤの前へ出すと、サニヤは自分の手でとること無くパクリと一口食べる。

「サニヤ。行儀が悪いぞ。自分の手で持ちなさい」
「おいしい!」

 カイエンの言葉など無視してサニヤはサンドウィッチの味に喜んだ。
 カイエンは苦笑し、リーリルはそんなカイエンとサニヤを見てクスクスと笑うのであった。

「そうだ。リーリルも食べて下さい」
「あ。私はそんな、カイエン様とサニヤ様の分ですから」
「リーリルも食べよ! 皆で食べた方がおいしいってマーサ言ってたもん!」

 一度は断るリーリルであるが、カイエンとサニヤにそう言われ、サンドウィッチを食べる。

「ありがとうございます。まるで家族みたいでとても嬉しいです。いえ、私なんかがカイエン様の伴侶といったら失礼ですね」
「とんでもない。むしろ、私は二十五歳、もういい歳だ。それに対してリーリルは十三歳。再来年には成人するでしょう? 私よりもずっと良い相手がいるでしょう?」

 十歳で大人になるための経験を積み、十五歳で結婚。
 三十歳で人としてより成熟するというのが常識である。
 リーリルが十五歳で成人としての節目を迎える頃には、カイエンは二十七歳で三十歳の節目を間近にするのだ。
 冗談でも夫婦なんていえたものではない程、二人は歳が離れていると言えた。

 サニヤが「何の話ー?」と無邪気に笑いながらサンドウィッチを食べる。

 リーリルは笑顔でカイエンへ頭を下げ、サニヤの頭を撫でた。

 その時、手に妙な感触を受け、リーリルははっとする。

「リーリル? どうした?」
「……いえ。サニヤ様。頭をどこかにぶつけましたか?」
「んーん。なんで?」

 不思議そうに顔を左右に振るサニヤ。
 本当に何も知らないようだ。

「サニヤ様の額、何だかこぶみたいになってませんか?」

 リーリルに言われ、カイエンはサニヤの額を撫でた。
 くすぐったそうにキャッキャと笑うサニヤの額には、確かに二つのこぶがある。

 ……まるで魔物の角のように。

 カイエンはサッと顔から血の気が引いたような気がした。

「どーしたの? お父様?」
「い、いや。なんでもない」

 カイエンはそう言いながら、自分の服に付いているマントを破り、サニヤの頭に巻いた。

 人に角と言えば魔物の特徴。
 そして、カイエンはすっかり忘れていたサニヤを拾ったときの事を思い出した。
 
 あの、朧な影の魔物。
 いや、実際に魔物かは分からない。
 しかし、動物とは思えぬあの魔物によってサニヤと出会った。
 
 カイエンはサニヤの額のこぶが、何かとても不吉な事を暗示している気がして仕方がなかった。
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