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3章・明日への一歩
笑顔
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サニヤの日々は幸福だった。
農作業をして、風呂に入ってサッパリすると、稽古をする。
稽古が終われば、また風呂に入って、食事をして、夜はグッスリ寝る。
時々、ザインとラジートに意地悪を言っていじめたりもした。
平穏な日々である。
変わり映えのしない生活であるが、少なくともサニヤは幸せに感じていた。
いやいや、少しだけ変わり映えはあったもので、例えばサニヤは髪を伸ばし始めている。
今までは、角や肌ほどでは無いにせよ、やはり両親と違う髪の色を嫌って少年かと見まごうばかりに短くしていたのであるが、今となっては肩に届くくらいには、その黒玉の髪を伸ばしていた。
また、他の変化として、リーリルとラーツェから料理を学んでいる。
二人とも料理の達人だ。
教えるのも上手い。
……のであるが、どうやらサニヤは料理の才能がないのか、あまり美味しい料理は作れなかった。
と、言うのも、サニヤは年齢の割に力が強くて、あまりコントロール出来なかったのである。
ゆえに、卵を割れば粉々。
料理ナイフで野菜を斬れば、斬ったというより潰したというような表現が似合う。
また、測り等の気の利いた小物はあまり流通してないので、この家に無かったし、リーリルもラーツェも目分量で味付けが出来てしまうものであるからして、サニヤは味付けをことごとく失敗したのだ。
ハーブや塩の量を間違えて味が濃すぎたり、逆に薄味すぎたり。
焼きすぎて硬くなったり、生焼けだったり。
これにサニヤは久方ぶりのショックを受けた。
とは言え、実のところ、世間一般の家庭料理というものもサニヤと同程度だったりする。
そもそも、この村はラムラッドを経由して王都の調味料が買えるのでまだマシだ。
もしも近くに町の無い辺境の村ならば、調味料すら無いので、ハーブで生臭い臭いを消した程度の味気ない料理ばかりなのである。
しかし、サニヤはなまじっかリーリルやラーツェの料理の腕前を知っているだけに、自分のド下手さに嫌気がさすのだ。
私には料理は無理!
でもいいや、私には剣があるもん!
そんなある日、農作業を終わらせて風呂からザインとラジートと共にサニヤが出ると、ラーツェが廊下でサニヤを待っていた。
「どしたの?」
サニヤが聞くと「私もそろそろ体を動かしたく思いまして」と、木剣を差し出す。
最近、ラーツェの赤ちゃんは落ち着いてきた。
少し前まではラーツェにしがみついてないと泣き叫んでしまったのであるが、ここ最近はラーツェでなくても、リーリルやデズモグなんかに抱かれていれば泣かなくて済むようになったのである。
ついに来たかと言う気分で、サニヤはニヤリと笑って木剣を手に取った。
「お姉様、ラーツェさんと戦うの?」
「お姉様、がんばってねー」
おっとりとした二人がいそいそと通り過ぎようとすると「待った」とサニヤは二人の服の襟を掴んで引っ張る。
「何するのさぁ」と二人は咳き込みながら言う。
「あんたら、見てなさい」
そう言って双子と共に外へ出た。
ザインとラジートは戦いなんて興味の無い子供で、時間が余ってるなら本の一つでも読みたいと思っている。
しかし、サニヤはそんな二人を連れだした。
弟に格好いい所を見せたいと思っていたのである。
全くもって年頃の姉というものはお姉さん顔をしたがるものだ。
裏を返せば、サニヤも年相応の態度が取れるということで、かつてのサニヤにはあり得なかった態度だと言えた。
「一年くらい剣を握ってないでしょ? 手加減はいる?」
家の前でラーツェと対峙すると、サニヤは意地の悪い笑顔で言う。
一方ラーツェは「姉弟子ですのでね。手加減はいりません」と答えた。
そう。二人ともルーガに稽古を付けて貰った姉妹弟子の関係なのである。
そして、今まではなんやかんやと手合わせしたことが無かったので、これが初の手合わせとなるのだ。
サニヤにとってラーツェは尊敬する人の一人である。
無駄口を叩かず、黙々と自分の仕事に従事し、生意気で反抗的だった小さなサニヤの世話をしてくれた。
だからラーツェの事を尊敬しているのだ。
尊敬しているからこそ、越えたい目標の一つなのである。
ふっと息を吐き、「いくよ」とサニヤは言った。
刹那、サニヤは一挙に踏み込んだ。
対してラーツェは木剣を大上段に構えて迎え撃つ。
サニヤが閃光の一撃をラーツェの顔面へ放てば、ラーツェは瞬雷の一撃を脳天へ振り下ろす。
互いの木剣がぶつかり、ガァンと木とは思えぬ恐ろしい音が木霊してザインとラジートは身を竦ませて悲鳴を挙げた。
その次の瞬間には、サニヤが身を翻して剣を振り、ラーツェがそれを迎え撃つ。
両者共にあの猛将ルーガに師事したのであるから、互いに超攻撃型なのだ。
その打ち合いは凄まじく、直撃すれぱ骨折どころの騒ぎでは無い。
しかし、サニヤは笑っていた。
サニヤはラーツェ尊敬するからこそ越えたいと思う目標の一つだったので、ラーツェと戦えて本当に嬉しいのだ。
しかし、打ち所が悪ければ即死とて有り得る程の戦いで、ザインとラジートはその迫力に正直もう帰りたかった。
ガッガッと激しい打ち合い。
隙あらば急所を狙う本気の攻撃。
そして、何とも言えない鈍い音が響いた瞬間、二人の木剣が粉々に砕け散った。
へし折れたのでは無い。
粉々に砕け散ったのである。
あまりにも激しい打ち合いに木剣の方が耐えられなかったか。
二人とも柄のみを手にして、睨み合っていた。
沈黙。
あるいは、戦いがまだ終わってないと言うかのような緊張が漂う。
その緊張はラーツェがハァッと息を吐いて融けた。
「強くなりました」
額の汗を拭ってサニヤを褒めるが、サニヤはあまり喜んでない。
「ラーツェは全然訓練してなかったんだから当然じゃん」と肩で息をしながら言う。
サニヤとしては、ラーツェは倒せて当然でなければならなかった。
なにせ一年のブランクがあるラーツェと戦ったのだ。
引き分けでは、実質的に自分の負けだと思う。
しかし、十一歳の娘が騎士と相打ちなのだから、立つ瀬がないのはラーツェの方だろう。
現にラーツェは、本当に危ない所であった。
すんでの所で命を拾っていたのである。
確かに結果は相打ちであったが、内容は敗北だ。
もしも頑丈な剣同士の戦いであったなら、武器が砕ける事もなく、ラーツェはやられていただろう。
「私の負けです。サニヤ様」
ラーツェはそう言うが、サニヤはムスッとした顔で「ラーツェは負けてない。でも、次は勝つから」と言ったのである。
相打ちは相打ち。
それがサニヤの考えなのである。
そして、サニヤはザインとラジートの前へ立つと「どうだった?」と聞く。
ザインとラジートはその質問に困った。
怖いとしか言い様のない戦いである。
そもそもザインとラジートは暴力的な行為が苦手だ。
それを見させられてどう言えというのか。
しかし、ザインもラジートも聡明である。
「お姉様、かっこよかった」
五歳の彼らはすでにおべっかと言う技術を身に付けていたのだ。
そのおべっかにサニヤはにんまりと笑みを浮かべると、「でしょ?」と言った。
サニヤはある意味純真だから、弟のおべっかに気付きもしないだろう。
もっとも、そのサニヤの純真さが弟への意地悪に繋がってるので、ザインとラジートにとって良いことなのかは分からなかったが。
なんにせよ、憧れのラーツェに手合わせ出来たし、弟達はかっこよかったと言うのだから、サニヤは満足であった。
さて、普段なら稽古を夕方までずっとするのだが、今回は本気の打ち合いをして精神的に疲れてしまったので「ラーツェ、ありがとう。戻ろっか」と切り上げる事にする。
実は、今日のこの戦いはサニヤが初めて本気で戦った戦いである。
持てる力と技術を駆使し、精神を限界まで研ぎ澄ませて戦ったので、平然とした態度でありながら、実際には精も根も尽き果てかけていたのであった。
なので、家へ帰ると、ソファーにボフッと倒れ込み、深呼吸をする。
疲れた……。
しかし充足感もある。
時間にしてほんの少しの手合わせだったが、サニヤにとっては何時間の訓練にも匹敵する戦いであった。
ようやく緊張感が解けてきて、手足の筋肉の疲労感がジワジワと広がってくる。
「ねえお姉様ぁ。僕たちソファーで本を読みたいんだけど」
いつもザインとラジートはソファーに座って、その前にある茶机に紅茶を置き、本を読むのが日課なのである。
「うるさい。床で読みなさい」
「行儀悪いもん」
「女々しいこと言わないでよ。男の子」
サニヤはよくザインとラジートの事を男らしくないと茶々入れたのであるが、今回も例に漏れず、行儀ばかり気にする二人を『男の子』などとからかいを入れたのである。
そのからかいに「むぅ」と二人は頬を膨らませると、不意にサニヤの上へ座った。
「ちょっと! 何すんの! どけよ!」
「お姉様もがさつな事を言わないでよ。『女の子』でしょ?」
「言ったなあんたら! もう怒った!」
サニヤは身をよじると、ザインの脇の下へ手を入れてコチョコチョとくすぐるのである。
これにザインは大笑い。
しかし、くすぐられるというものは結構ストレスというもので、大笑いしながら「ラジート助けて!」と言う。
よしきたとラジートはソファーに寝転がったままのサニヤへ覆い被さり、脇やら背やらをくすぐるのでサニヤも笑ってしまった。
「やめなさい!」と息も絶え絶えに言い、ラジートを掴んで仕返しとくすぐる。
今度は自由になったザインがサニヤをくすぐった。
ザインをくすぐればラジートが。ラジートをくすぐればザインがくすぐってくるのである。
これではあちらを立てればこちらが立たぬので、サニヤはついに大笑いのまま「分かった! 負け! 私の負け!」と観念し、ゴロンと転がってソファーから降りた。
ザインとラジートは勝利し、悪辣な侵略者サニヤから自分達の手で領土を取り返したのだ。
その勝利に嬉しそうな笑みを浮かべ、二人でハイタッチした。
サニヤは床の上に寝転がったまま「あんたら覚えてなさいよ」と恨み言を吐き、ソファー戦争の幕が降りたのだ。
すると、台所からリーリルがやって来きて「ずいぶんと楽しそうね」とクスクス笑いながら紅茶をソファーの前の茶机に置く。
「ほら、サニヤ。行儀が悪いわよ、立ちなさい」
「うー」と呻くサニヤを掴んで立たせると、ザインとラジートの間に座らせた。
「疲れたぁ。横になりたい」
「ベッドでね」
「部屋に行くの面倒くさい……」
サニヤはそう言いながら、隣で本を読んでいるザインとラジートの頭を抱き寄せるとその頭をガシガシと撫でだすので、二人は「やめてよぉ」と言うのである。
そんな子供たちを見て、リーリルは「あまり喧嘩はしないようにね」とクスクス笑った。
「だってさ。二人とも」
「いつもいじめてくるのはお姉様じゃないかぁ」
ザインとラジートが眉を八の字に口を揃えて言うので、サニヤとリーリルはクスクス笑う。
可愛い弟達だ。
それにサニヤが弟達を愛している事をリーリルも分かった。
その時、ラーツェが部屋へ入ってきて「そうして皆さんが仲良くしているのを見ると、この子にも兄弟が必要なのかと思います」と言う。
先ほどまで別の部屋にて赤ん坊に乳をあげていたのだ。
「聞こえてたの?」とサニヤが聞けば「はい。楽しそうな声でした」とラーツェは答える。
微笑むラーツェに対してザインとラジートは「何も楽しくないもん」と言うので、サニヤは「生意気」と意地悪な笑みで力強くガシガシ頭を撫でる、二人は「うわあ」と驚いていた。
「サニヤ。二人をいじめちゃダメよ」
リーリルは微笑みながら、サニヤが小脇に抱えてるザインとラジートの髪の毛を手櫛で直して上げる。
サニヤが幸せなように、リーリルもまた幸せだ。
あんなに反抗的で自己否定していたサニヤが、こんなに明るくなって、弟達とじゃれ合うのだ。
いつかそんな日が来ると思っていたが、その日が本当に来て、心底嬉しいのである。
一方のサニヤはクスクス笑いながら、読書中の弟二人の肩に腕を回してソファーにもたれたのであるが、その眼がラーツェの抱く赤子を見ている事にリーリルは気付いた。
その眼をリーリルは知っている。
もう十年以上前のあの日、開拓村のカイエンの眼だ。
リーリルがあやすサニヤを見ていたカイエンの眼である。
「ラーツェ。パミルちゃんをちょっと良い?」
「はい。どうぞ奥様」
ラーツェの抱く赤子はパミルと言う女の子だ。
ラーツェと違い、デズモグに似た丸顔とパッチリした眼の愛嬌がある子である。
これは将来美人になるぞとラーツェは、自分に似なくてホッとするほどに愛らしい子だ。
そのパミルをリーリルは抱くと、ラーツェに一言ボソボソと言い、ラーツェもうなずく。
すると、リーリルはおもむろにサニヤの前へ歩いてくるのだ。
「なに?」
「サニヤ。抱いてみる?」
リーリルの言葉にサニヤは「え?」と動揺した顔をした。
そんなサニヤを無視して、リーリルは「はい」と差し出すのだ。
サニヤは「ちょ、ちょっと待って! 心の準備が……」と言うが、目の前に赤子が出され、ついつい抱きしめる。
どうすれば良いのか分からないながら、普段のラーツェの見よう見まねで抱えた。
しかし、座りが悪いのか、パミルはぐずりだすのである。
「ちょ、ちょちょ! どうしよう!? お母様! どうしよう!?」
「こう……二の腕で首を座らせて、優しく抱き込むのよ」
「こ、こう? こう!?」
「うんうん。そうそう」
両腕で抱きこみ、二の腕でパミルの首を支える。
いまにもずり落ちそうだ。
それに、うっかり力を込めてどこか怪我させてしまわないか不安なる。
ザインとラジートが生まれた時、メイド達が彼らの世話をしていたし、サニヤはリーリルとどこかギクシャクとした関係が解けていなかったから、赤ん坊を抱くというのはこれが初めての事だ。
なので、果たしてこれで良いのかまったく不安である。
しかし、そんなサニヤをそよに、パミルは段々落ち着き出して、サニヤの顔をじっと見た。
「あ、あは。見て、お母様。ちゃんと抱けてるよ」
そう喜ぶ姿がカイエンにそっくりでそっくりで、リーリルはクスクスと笑う。
そう。良かったわね、サニヤ。
「お姉様ぁ。僕も抱きたい」
「あんたらはダメ。パミルを怪我させたら大変だもん」
サニヤとザインとラジートはパミルの顔を覗いて、笑うのであった。
農作業をして、風呂に入ってサッパリすると、稽古をする。
稽古が終われば、また風呂に入って、食事をして、夜はグッスリ寝る。
時々、ザインとラジートに意地悪を言っていじめたりもした。
平穏な日々である。
変わり映えのしない生活であるが、少なくともサニヤは幸せに感じていた。
いやいや、少しだけ変わり映えはあったもので、例えばサニヤは髪を伸ばし始めている。
今までは、角や肌ほどでは無いにせよ、やはり両親と違う髪の色を嫌って少年かと見まごうばかりに短くしていたのであるが、今となっては肩に届くくらいには、その黒玉の髪を伸ばしていた。
また、他の変化として、リーリルとラーツェから料理を学んでいる。
二人とも料理の達人だ。
教えるのも上手い。
……のであるが、どうやらサニヤは料理の才能がないのか、あまり美味しい料理は作れなかった。
と、言うのも、サニヤは年齢の割に力が強くて、あまりコントロール出来なかったのである。
ゆえに、卵を割れば粉々。
料理ナイフで野菜を斬れば、斬ったというより潰したというような表現が似合う。
また、測り等の気の利いた小物はあまり流通してないので、この家に無かったし、リーリルもラーツェも目分量で味付けが出来てしまうものであるからして、サニヤは味付けをことごとく失敗したのだ。
ハーブや塩の量を間違えて味が濃すぎたり、逆に薄味すぎたり。
焼きすぎて硬くなったり、生焼けだったり。
これにサニヤは久方ぶりのショックを受けた。
とは言え、実のところ、世間一般の家庭料理というものもサニヤと同程度だったりする。
そもそも、この村はラムラッドを経由して王都の調味料が買えるのでまだマシだ。
もしも近くに町の無い辺境の村ならば、調味料すら無いので、ハーブで生臭い臭いを消した程度の味気ない料理ばかりなのである。
しかし、サニヤはなまじっかリーリルやラーツェの料理の腕前を知っているだけに、自分のド下手さに嫌気がさすのだ。
私には料理は無理!
でもいいや、私には剣があるもん!
そんなある日、農作業を終わらせて風呂からザインとラジートと共にサニヤが出ると、ラーツェが廊下でサニヤを待っていた。
「どしたの?」
サニヤが聞くと「私もそろそろ体を動かしたく思いまして」と、木剣を差し出す。
最近、ラーツェの赤ちゃんは落ち着いてきた。
少し前まではラーツェにしがみついてないと泣き叫んでしまったのであるが、ここ最近はラーツェでなくても、リーリルやデズモグなんかに抱かれていれば泣かなくて済むようになったのである。
ついに来たかと言う気分で、サニヤはニヤリと笑って木剣を手に取った。
「お姉様、ラーツェさんと戦うの?」
「お姉様、がんばってねー」
おっとりとした二人がいそいそと通り過ぎようとすると「待った」とサニヤは二人の服の襟を掴んで引っ張る。
「何するのさぁ」と二人は咳き込みながら言う。
「あんたら、見てなさい」
そう言って双子と共に外へ出た。
ザインとラジートは戦いなんて興味の無い子供で、時間が余ってるなら本の一つでも読みたいと思っている。
しかし、サニヤはそんな二人を連れだした。
弟に格好いい所を見せたいと思っていたのである。
全くもって年頃の姉というものはお姉さん顔をしたがるものだ。
裏を返せば、サニヤも年相応の態度が取れるということで、かつてのサニヤにはあり得なかった態度だと言えた。
「一年くらい剣を握ってないでしょ? 手加減はいる?」
家の前でラーツェと対峙すると、サニヤは意地の悪い笑顔で言う。
一方ラーツェは「姉弟子ですのでね。手加減はいりません」と答えた。
そう。二人ともルーガに稽古を付けて貰った姉妹弟子の関係なのである。
そして、今まではなんやかんやと手合わせしたことが無かったので、これが初の手合わせとなるのだ。
サニヤにとってラーツェは尊敬する人の一人である。
無駄口を叩かず、黙々と自分の仕事に従事し、生意気で反抗的だった小さなサニヤの世話をしてくれた。
だからラーツェの事を尊敬しているのだ。
尊敬しているからこそ、越えたい目標の一つなのである。
ふっと息を吐き、「いくよ」とサニヤは言った。
刹那、サニヤは一挙に踏み込んだ。
対してラーツェは木剣を大上段に構えて迎え撃つ。
サニヤが閃光の一撃をラーツェの顔面へ放てば、ラーツェは瞬雷の一撃を脳天へ振り下ろす。
互いの木剣がぶつかり、ガァンと木とは思えぬ恐ろしい音が木霊してザインとラジートは身を竦ませて悲鳴を挙げた。
その次の瞬間には、サニヤが身を翻して剣を振り、ラーツェがそれを迎え撃つ。
両者共にあの猛将ルーガに師事したのであるから、互いに超攻撃型なのだ。
その打ち合いは凄まじく、直撃すれぱ骨折どころの騒ぎでは無い。
しかし、サニヤは笑っていた。
サニヤはラーツェ尊敬するからこそ越えたいと思う目標の一つだったので、ラーツェと戦えて本当に嬉しいのだ。
しかし、打ち所が悪ければ即死とて有り得る程の戦いで、ザインとラジートはその迫力に正直もう帰りたかった。
ガッガッと激しい打ち合い。
隙あらば急所を狙う本気の攻撃。
そして、何とも言えない鈍い音が響いた瞬間、二人の木剣が粉々に砕け散った。
へし折れたのでは無い。
粉々に砕け散ったのである。
あまりにも激しい打ち合いに木剣の方が耐えられなかったか。
二人とも柄のみを手にして、睨み合っていた。
沈黙。
あるいは、戦いがまだ終わってないと言うかのような緊張が漂う。
その緊張はラーツェがハァッと息を吐いて融けた。
「強くなりました」
額の汗を拭ってサニヤを褒めるが、サニヤはあまり喜んでない。
「ラーツェは全然訓練してなかったんだから当然じゃん」と肩で息をしながら言う。
サニヤとしては、ラーツェは倒せて当然でなければならなかった。
なにせ一年のブランクがあるラーツェと戦ったのだ。
引き分けでは、実質的に自分の負けだと思う。
しかし、十一歳の娘が騎士と相打ちなのだから、立つ瀬がないのはラーツェの方だろう。
現にラーツェは、本当に危ない所であった。
すんでの所で命を拾っていたのである。
確かに結果は相打ちであったが、内容は敗北だ。
もしも頑丈な剣同士の戦いであったなら、武器が砕ける事もなく、ラーツェはやられていただろう。
「私の負けです。サニヤ様」
ラーツェはそう言うが、サニヤはムスッとした顔で「ラーツェは負けてない。でも、次は勝つから」と言ったのである。
相打ちは相打ち。
それがサニヤの考えなのである。
そして、サニヤはザインとラジートの前へ立つと「どうだった?」と聞く。
ザインとラジートはその質問に困った。
怖いとしか言い様のない戦いである。
そもそもザインとラジートは暴力的な行為が苦手だ。
それを見させられてどう言えというのか。
しかし、ザインもラジートも聡明である。
「お姉様、かっこよかった」
五歳の彼らはすでにおべっかと言う技術を身に付けていたのだ。
そのおべっかにサニヤはにんまりと笑みを浮かべると、「でしょ?」と言った。
サニヤはある意味純真だから、弟のおべっかに気付きもしないだろう。
もっとも、そのサニヤの純真さが弟への意地悪に繋がってるので、ザインとラジートにとって良いことなのかは分からなかったが。
なんにせよ、憧れのラーツェに手合わせ出来たし、弟達はかっこよかったと言うのだから、サニヤは満足であった。
さて、普段なら稽古を夕方までずっとするのだが、今回は本気の打ち合いをして精神的に疲れてしまったので「ラーツェ、ありがとう。戻ろっか」と切り上げる事にする。
実は、今日のこの戦いはサニヤが初めて本気で戦った戦いである。
持てる力と技術を駆使し、精神を限界まで研ぎ澄ませて戦ったので、平然とした態度でありながら、実際には精も根も尽き果てかけていたのであった。
なので、家へ帰ると、ソファーにボフッと倒れ込み、深呼吸をする。
疲れた……。
しかし充足感もある。
時間にしてほんの少しの手合わせだったが、サニヤにとっては何時間の訓練にも匹敵する戦いであった。
ようやく緊張感が解けてきて、手足の筋肉の疲労感がジワジワと広がってくる。
「ねえお姉様ぁ。僕たちソファーで本を読みたいんだけど」
いつもザインとラジートはソファーに座って、その前にある茶机に紅茶を置き、本を読むのが日課なのである。
「うるさい。床で読みなさい」
「行儀悪いもん」
「女々しいこと言わないでよ。男の子」
サニヤはよくザインとラジートの事を男らしくないと茶々入れたのであるが、今回も例に漏れず、行儀ばかり気にする二人を『男の子』などとからかいを入れたのである。
そのからかいに「むぅ」と二人は頬を膨らませると、不意にサニヤの上へ座った。
「ちょっと! 何すんの! どけよ!」
「お姉様もがさつな事を言わないでよ。『女の子』でしょ?」
「言ったなあんたら! もう怒った!」
サニヤは身をよじると、ザインの脇の下へ手を入れてコチョコチョとくすぐるのである。
これにザインは大笑い。
しかし、くすぐられるというものは結構ストレスというもので、大笑いしながら「ラジート助けて!」と言う。
よしきたとラジートはソファーに寝転がったままのサニヤへ覆い被さり、脇やら背やらをくすぐるのでサニヤも笑ってしまった。
「やめなさい!」と息も絶え絶えに言い、ラジートを掴んで仕返しとくすぐる。
今度は自由になったザインがサニヤをくすぐった。
ザインをくすぐればラジートが。ラジートをくすぐればザインがくすぐってくるのである。
これではあちらを立てればこちらが立たぬので、サニヤはついに大笑いのまま「分かった! 負け! 私の負け!」と観念し、ゴロンと転がってソファーから降りた。
ザインとラジートは勝利し、悪辣な侵略者サニヤから自分達の手で領土を取り返したのだ。
その勝利に嬉しそうな笑みを浮かべ、二人でハイタッチした。
サニヤは床の上に寝転がったまま「あんたら覚えてなさいよ」と恨み言を吐き、ソファー戦争の幕が降りたのだ。
すると、台所からリーリルがやって来きて「ずいぶんと楽しそうね」とクスクス笑いながら紅茶をソファーの前の茶机に置く。
「ほら、サニヤ。行儀が悪いわよ、立ちなさい」
「うー」と呻くサニヤを掴んで立たせると、ザインとラジートの間に座らせた。
「疲れたぁ。横になりたい」
「ベッドでね」
「部屋に行くの面倒くさい……」
サニヤはそう言いながら、隣で本を読んでいるザインとラジートの頭を抱き寄せるとその頭をガシガシと撫でだすので、二人は「やめてよぉ」と言うのである。
そんな子供たちを見て、リーリルは「あまり喧嘩はしないようにね」とクスクス笑った。
「だってさ。二人とも」
「いつもいじめてくるのはお姉様じゃないかぁ」
ザインとラジートが眉を八の字に口を揃えて言うので、サニヤとリーリルはクスクス笑う。
可愛い弟達だ。
それにサニヤが弟達を愛している事をリーリルも分かった。
その時、ラーツェが部屋へ入ってきて「そうして皆さんが仲良くしているのを見ると、この子にも兄弟が必要なのかと思います」と言う。
先ほどまで別の部屋にて赤ん坊に乳をあげていたのだ。
「聞こえてたの?」とサニヤが聞けば「はい。楽しそうな声でした」とラーツェは答える。
微笑むラーツェに対してザインとラジートは「何も楽しくないもん」と言うので、サニヤは「生意気」と意地悪な笑みで力強くガシガシ頭を撫でる、二人は「うわあ」と驚いていた。
「サニヤ。二人をいじめちゃダメよ」
リーリルは微笑みながら、サニヤが小脇に抱えてるザインとラジートの髪の毛を手櫛で直して上げる。
サニヤが幸せなように、リーリルもまた幸せだ。
あんなに反抗的で自己否定していたサニヤが、こんなに明るくなって、弟達とじゃれ合うのだ。
いつかそんな日が来ると思っていたが、その日が本当に来て、心底嬉しいのである。
一方のサニヤはクスクス笑いながら、読書中の弟二人の肩に腕を回してソファーにもたれたのであるが、その眼がラーツェの抱く赤子を見ている事にリーリルは気付いた。
その眼をリーリルは知っている。
もう十年以上前のあの日、開拓村のカイエンの眼だ。
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「ラーツェ。パミルちゃんをちょっと良い?」
「はい。どうぞ奥様」
ラーツェの抱く赤子はパミルと言う女の子だ。
ラーツェと違い、デズモグに似た丸顔とパッチリした眼の愛嬌がある子である。
これは将来美人になるぞとラーツェは、自分に似なくてホッとするほどに愛らしい子だ。
そのパミルをリーリルは抱くと、ラーツェに一言ボソボソと言い、ラーツェもうなずく。
すると、リーリルはおもむろにサニヤの前へ歩いてくるのだ。
「なに?」
「サニヤ。抱いてみる?」
リーリルの言葉にサニヤは「え?」と動揺した顔をした。
そんなサニヤを無視して、リーリルは「はい」と差し出すのだ。
サニヤは「ちょ、ちょっと待って! 心の準備が……」と言うが、目の前に赤子が出され、ついつい抱きしめる。
どうすれば良いのか分からないながら、普段のラーツェの見よう見まねで抱えた。
しかし、座りが悪いのか、パミルはぐずりだすのである。
「ちょ、ちょちょ! どうしよう!? お母様! どうしよう!?」
「こう……二の腕で首を座らせて、優しく抱き込むのよ」
「こ、こう? こう!?」
「うんうん。そうそう」
両腕で抱きこみ、二の腕でパミルの首を支える。
いまにもずり落ちそうだ。
それに、うっかり力を込めてどこか怪我させてしまわないか不安なる。
ザインとラジートが生まれた時、メイド達が彼らの世話をしていたし、サニヤはリーリルとどこかギクシャクとした関係が解けていなかったから、赤ん坊を抱くというのはこれが初めての事だ。
なので、果たしてこれで良いのかまったく不安である。
しかし、そんなサニヤをそよに、パミルは段々落ち着き出して、サニヤの顔をじっと見た。
「あ、あは。見て、お母様。ちゃんと抱けてるよ」
そう喜ぶ姿がカイエンにそっくりでそっくりで、リーリルはクスクスと笑う。
そう。良かったわね、サニヤ。
「お姉様ぁ。僕も抱きたい」
「あんたらはダメ。パミルを怪我させたら大変だもん」
サニヤとザインとラジートはパミルの顔を覗いて、笑うのであった。
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