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002: 出会い《アリス》①
しおりを挟む「随分遅くなっちゃったわ」
アリスは馬車の中で忌々しげに窓の外を見やる。外は陽が落ちてすっかり闇夜と化していた。挙句に雨も降ってきた。
「もう!雨嫌い!」
雨が降ると猫がどこかに行ってしまうから。嫌いな理由はただそれだけだ。
「あーあ、猫ちゃんに晩御飯をあげたかったのに!」
今頃コック長が代わりに野良猫に餌をやっているだろう。ささやかな楽しみがとられたとアリスは悔しがる表情も隠さない。
十六歳になった男爵令嬢に社交界のイロハを仕込もうと叔母がアリスを茶会に招いたのだが、その後も話の聞き役にされて解放されたのは随分夜も更けてからだった。アリスにとっては社交界など全く興味がない。気遣ってくれる叔母の善意には感謝するが、これは心底ありがた迷惑である。
「お茶会なら猫ちゃん参加のお茶会がよかったわ」
「そんなもの聞いたことがありません」
「あら?じゃあ私が企画しようかしら?飼い猫同伴オッケーなお茶会。ステキ!すごく楽しそうじゃない?」
向いに腰掛ける侍女ケイトがげっそりとため息をついた。
「もう猫がらみはダメです。また旦那様に叱られますよ?」
「いいじゃない猫ぐらい。パパにはバレないようにやってるわよ」
「バレバレです。先日も隠れて部屋で猫を飼って旦那様から猫禁止令が出たばかりですよ」
「そうだったかしら?」
とぼけるアリスにケイトは呆れたようなため息を吐いた。アリスは全く堪えてない。けろりとしている。
ケイトはアリスの子供の頃から身の回りの世話をしている侍女だ。歳の離れた姉のように仲がいい。男爵家という爵位も上流貴族に比べたら使用人との距離も近いのだ。それゆえに家族のように遠慮もない。
「なんで猫飼っちゃいけないの?可愛いじゃない。パパだって動物好きなのに」
「お嬢様の猫愛が強すぎるからです。少しはほどほどを覚えてください」
アリスは猫好きだ。猫好きの令嬢はまあまあいる。それ自体も悪いことではない。だがアリスの場合はその愛の度が過ぎるのだ。
アリスは子供の頃から猫に異常に執着した。最初は父も動物好きの優しい娘だと猫を飼うことを許したが、どこからか拾ってくるのか猫の数がわんさか増える。猫ハーレムである。
世話もタダというわけではない。商業で成功した男爵家、猫の一匹や二匹ならなんともないが、猫の数が50を越えればさすがに世話をしきれない。挙句猫の世話に嬉々として参加するアリスは学校にも行かない。キレた父が猫ハーレム解体を宣言した。
猫を飼えばアリスの生活が乱れる。そのため猫を飼うことは禁止となったが、猫に飢えたアリスは隙を見ては猫を拾ってきてはこっそり部屋で飼っている。
最近は執事のパトロールが厳しくそれも難しい。先日もそれで見つかった。さらに外犬も飼われてしまい庭にやってくる野良猫に餌をやるのも難しくなってしまった。アリスが通う学園の校内はガードがキツく猫がいない。厨房の裏にやってくる野良猫が唯一のアリスの癒しだ。
「猫ちゃんの何がいけないのよ?あんなにもふもふで愛らしいのに。生き物を大事にすることはいいことでしょ」
「でしたら他の生き物にも目を向けてください。犬を飼っているでしょう?猫に執着しすぎです」
犬とは庭に放し飼いになっている黒い大きなドーベルマンのことだ。名をキング。名の通り王者のように貫禄があり勇ましい。父がどこからか連れてきた犬でアリスにも懐いていたが、猫を追い回してしまうのがアリス的にはいただけなかった。
「キングもお利口でカッコいいけど!他の子も自力で何とかなるわ。でも猫ちゃんは可愛がってあげなくちゃ」
「お嬢様が家を継いだら猫御殿を建ててしまいそうですね」
末恐ろしい。猫愛だけ突き抜けている。アリスの父の代はいいが一人娘のアリスが家を継いだら男爵家はあっという間に傾くだろう。こんな異常に猫愛が強いアリスでも好いてくれる良き男性が婿に来てこの奇行を止めてくれれば良いのだが。いっそこの猫愛が誰か男性に向かえばそれは熱愛じゃないだろうか。
ふぅとケイトがため息を落としたところで急にアリスが声を上げた。
「やだ!あんなところに猫ちゃんがぐったりしてる!大変!何があったのかしら?!止まって!すぐに馬車止めてぇ!!」
アリスが天井を狂ったように殴って外の御者に合図を送る。正直男爵令嬢の振る舞いではない。猫が絡むとアリスは人が変わるのだ。
「え?どこですか?」
ケイトがアリスと共に必死に外に目を凝らすが真っ暗な闇に落ちた街道は人一人いない。
「行きで見かけたんだけど、ものすッごくカッコいいハンサム黒猫ちゃんがあそこにいたのよ。まだいるかもってチェックしてよかったわ!」
「は?行きで?」
「今もあそこにいるじゃない!元気がないわ。怪我でもしてるのかしら。お腹空いてる?可哀想!もう!早く止まってったら!聞こえないの?!」
アリスが馬車の天井をガンガン殴る。その音に何事かと怯える御者は可哀想ではないのか。
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