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第25話★魔獣ケラリトプス

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ダスマクト廃坑はかつて、良質なパクの原産地として名高く、マトラコフ領内でも中心の町だった。鉱山の廃坑と共に収入源は他へ移動し、人々も大概が移り住んだ。おかげで、今は縦横無尽、悠々自適な森や林がうっそうと茂り、手入れの行き届かない自然の山に廃坑は隠されている。
山の内部は入りくんだ迷路になっていて、案内人と呼ばれる特別な先導が必要だった。けれど、それも昔のはなし。
濃霧を吐き出す廃坑内は、ディーノを先頭に目当ての場所へと向かっている。


「転移魔法って不便ですわね。なぜ、私がこんな不気味な場所に長く滞在しなくてはならないのかしら」

「お前、シシ爺の魔法で楽させてもらっておいて、本当に性格最悪だな」


数時間前。シシジの転移魔法でパク鉱山の入り口に降り立った面々は、洞窟の前で「汚いですわ、歩けませんわ、入りたくありませんわ。気持ち悪い」と、案の定、駄々をこね始めたエリーにため息をついた。


「シシ爺。転移するならキルのところにしてほしかったですわ」

「だから、無理だっつってんだろ。このワガママ女」

「ロタリオには言っておりませんわ。私、ここで待っていますから、いってらっしゃいまし」

「ふざけんな。お前のワガママでここに」

「申し訳ありません、エリー様。うちのロタリオには後で言い聞かせておきますゆえ、しばしご勘弁を。転移魔法は、一度訪れた場所にしか行けません。洞窟内部では、お嬢様が汚れぬようお運びしますので、どうかここは穏便に」

「さすが、シシ爺は話が早いわね」


ここで本当に嬉しそうに笑うエリーはずるい。魔法を直接人間にかけることが禁止された世の中で、「早く魔法をかけて」とせがむ小さな手を見ることは、相当新鮮な光景だろう。かくいうエリーも、数日前まで、ロストシストという存在すら嫌っていた。
こうして手を伸ばしておねだりすることを一週間前のエリーは信じないだろう。
魔法はパクを介して日常に溶け込みすぎた。だからこそ、本来の姿を忘れている。


「お嬢様、ご気分はいかがです?」

「ロタリオよりも安定していて、なんだかとても安心しますわ」

「それはようございました」


風船のように浮かせたエリーを連れて歩くシシジに、最初は当惑した面々もすぐに慣れた顔で後に続いていた。魔法とは、本来パクを介さず、一部の限られた人々だけが使役することを許された栄誉ある恩恵。
そして、数時間。
エリーは大胆にも昼寝をし、お茶を飲み、一番元気で綺麗な姿のまま、負傷したディーノの友人、魔獣ケラリトプスの前に足を下ろした。


「巨大な肉団子みたいですわね」

「ちょちょちょ、ちょっと、エリーたん。いきなり近付いたら危ない。ど、ドラゴンだよ、これ、どうみたって最強最悪のドラゴンだよ」

「お父さま、どらごん、ではありませんわ。キルですわよ?」

「ケラリトプスっつってんだろ。父娘そろって馬鹿なのかよ」

「こら、ロタリオ。思っていても口に出してはならん」


仮にも、山以外では到底身の隠しようがない巨大な生き物の前で、和やかな空気はいかがなものか。
全員、最高品質の防壁パクを身に付け、空気清浄や攻撃防御などで覆われているが、目が確かであれば、周囲が霞むほどの魔素が漂い、時折、もろくなった廃坑の天井からよくわからない石が落ちてきている。


「………キル」


ディーノはひとり、キルの肌に触れて、額を擦り合わせていた。分厚く硬い鱗は湿り、苔むしたような感触を伝えてくる。まるで巨大な岩のようで、それがたった一枚の鱗だといえば、ケラリトプスが恐れられる獰猛な獣だとわかるだろう。
実際、世界でも稀少価値の高い魔獣として、ケラリトプスは君臨している。神話の時代から生きているといわれ、伝承も多い、女神による魔法授与の歴史が始まるまでは、彼ら巨大魔獣が覇王だったといわれるほど。


「ロタリオ、早く魔力を与えるのです」

「はいはい、わかりましたよ」


ここまでくれば言い負かすことにも疲れたのか、ロタリオは存外素直にエリーの命令を聞いた。ディーノに触れられて、キルが少しだけ安堵したような雰囲気を出したせいかもしれない。


「セバス、死骸だと報告したやつを処分しておけ」

「はい、旦那様」

「それにしても、ディーノと愛魔獣キル。まさかこんなタイミングで知り合うとは、人生何があるかわからんな」

「お父さま、何かおっしゃりまして?」

「エリーたん。何もないよ。危ないから近付きすぎちゃダメだって。ディーノルートの断罪後の事故に、このドラゴンが関与してるのは確実なんだ。ああ、そうか。そう思えば、このまま抹殺しておくべきだったか」

「それはダメですわ。お父さま。キルはディーノのお友だちですのよ。助けなければなりませんわ」


表情から温度が抜け落ちた父親の変化に気付いたのか、珍しくエリーが父親の前に立ちはだかる。いや、立ちはだかることは珍しくない。珍しいのは、エリーが他人のために身を盾にすること。
もちろん、その言動に驚いたのはヒューゴだけではなかった。セバスとレリア、それと、シシジと共に魔力を注ぐロタリオも驚いてエリーを見ている。中でも、ディーノの瞳は感動のあまり涙が溢れ出そうだった。


「助けなければ証明できませんわ。魔獣がなつくかどうか。ディーノには、証明していただかなくてはなりませんの。そうでなければ、ディーノを専属奴隷に出来ませんもの」


エリーの言い分に、ディーノを除く全員が深い息を吐いて、少しばかり安堵する。性悪女の片鱗を無くしてはいなかったことに対しての納得と同時に、やはり馬鹿なのだとうなずく他ない。
結果として、人助けになっているところが、まだエリーにはわかっていないのだろう。


「まったく、エリーたんは可愛いが天元突破していて、本当にリアルで接することが出来るのを嬉しく思うよ…ぅぅ…泣きそうだ」

「お父さま、すでに泣いていますわ」

「これは感激の涙だよ。エリスクローズに転生できて本当によかった。結果がどうであれ、もういっそのこと、ディーノはエリーたんの専属奴隷というか、専属騎士にすればいいよ。その方が安心だし」


魔獣に魔力を注ぐという一代事業を横目に、感動の父娘劇を繰り広げるヒューゴとエリーの周囲だけが煌めいている。


「ありがとう、お父さま。私、ずっと専属の奴隷が欲しかったんですの」

「ううぅ、エリーたんがぎゅっ、生きてる」


抱きつかれた喜びに涙を流す父親と、不穏なものを欲しがる娘。ここが廃坑で、かつ、獰猛な巨大魔獣がいる場所でなければ、もう少し心穏やかに観賞出来たかもしれない。それでも、シシジとロタリオの双方によって、十分な魔力を与えられたケラリトプスは魔素を一掃するほどの鼻息を吹いて、周囲を威嚇の瞳で睨み付けた。
安心は出来ない。
元気一杯の魔獣と非力な人間。弱肉強食の掟が働くなら、次の瞬間、誰かの命が失われるだろう。


「キル!!」

「ぷひゅぷひゅ」


巨漢には似つかわしくない変な鳴き声を出すケラリトプスに、片目負傷の白髪奴隷は駆け寄っていく。鳴き声だけ聞けば、小さな草食動物のようだが、目の前に広がる光景は、まさにいま、ドラゴンに喰われようとしている小さな人間の構図。一歩間違えれば、紙よりも薄く押し潰されるだろう距離で、ディーノとキルは額を合わせるようにして止まった。


「そうだよ。キル、みんなが助けてくれたんだ」


ディーノは瞳を閉じて意志疎通でもはかっているのか。愛しそうにキルの頬を撫でて、ぶつぶつと一人呟いている。


「うん、うん。わかってる。恩は忠義で返すしか、ボクには出来ないから」

「ん、今のセリフ、どこかで聞いたような」

「ディーノ」


ディーノの呟きに、ヒューゴが首をひねると同時に、エリーの声が廃坑内に響く。どこまでも続くトンネル内を鈴に似た声が反響して、こだまがディーノとキルの意識をエリーの方へ向けた。


「さあ、証明しなさい」


腰に手を当て、仁王立ちで両者に命令する姿が、小さいながら様になっている。ディーノとキルは視線を一度交わしてから、そして、同時にエリーへと頭を下げた。
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