日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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序章

第二話『閑話の談笑』 序

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 それは存在そのものが危機クライシスだった。
 得体の知れないでかい脅威が太平洋上に居座るだけで、世界の流通・物流は深刻な混乱に陥っていた。

 ちなみに我が国最大の島・本州は世界七位の大きさであり、この面積が十倍になると世界最大の島であるグリーンランドを超える。
 日本国そのものの面積が十倍になると、インドを抜き世界七位になる。
 もっと言えば、沖縄諸島を含む日本は元々南北の距離がそのインドとそう変わらない。
 そんな規模の国土が三倍の縮尺となって太平洋上に浮かぶとなると、どれだけの領域を占拠し、どれほどの存在感で影響を及ぼすことになるか、その甚大さは論をつまい。

 少なくとも、早々にして世界中の経済に深刻な信用不安が起こり、株価は軒並み暴落。
 企業倒産が相次ぎ、大量の失業者が世界中で問題となっていた。

 もちろん、日本も無関係ではいられない。
 むしろ、問題となっている当の存在が日本国、それも複雑な過去の姿を強調している以上、最大の当事者ですらあるだろう。
 しんせいだいにっぽんこうこくなるものから大きな被害を受けた米国と、早くから足並みをそろえたのは必然だった。

 しかし、さきもりわたるうることを取り巻く環境で重要なのは、そんな世界的な事件よりも、先日起きたテロリストによる学校占拠の後始末だった。

 破壊された校舎の復旧が済むまで近場の会議室を借りて授業が行われるなどの変則的な高校生活を経て、日常が戻るにはすうげつを要した。

 ともあれ、二年に進級する頃には高校生活も元の姿を取り戻し始めていた。



    ⦿⦿⦿



 二〇二一年十月一日金曜日――わたること、高校二年の秋の事。
 わたるは食堂のテラスで昼食を取っていた。
 わざわざ見晴らしの良い場所を選んだのは、彼以外に同席する級友が二人居たからだ。

ずみさんのお弁当、相変わらずしそうだね」
「あげなくて良いわよ、ずみさん」

 持参の弁当を褒められて照れくさそうにしているのは、新しいクラスになって二人と仲良くなった女子生徒・ずみふたである。
 丸い垂れ目に大きな眼鏡を掛けた、ボブカットが印象的な、小柄で控えめな少女だ。

 その黒髪のつやことに勝るとも劣らない。
 テラスに差す日の光を浴びて天使の輪がかたどられている。

「ありがとう、さきもり君。何だかうれしいな。こうして誰かとお昼ご飯食べるなんて、去年は想像出来なかったから……」

 ふたは一年の時、最初は同じクラスの女子グループに入っていたが、いつの間にか仲間外れにされるようになり、夏の前にはいじめられ始めていた。
 弁当を泥水塗れにされたり、おかずで机や椅子を汚されたり、趣味で描いている鉛筆のイラストを破ってごみばこに捨てられたり、色々と散々な目に遭っていた。
 学校占拠事件の影響で外部の会議室を教室として借りるようになってからは、備品汚損のとがを擦り付けられることもあり、弁済が発生する学校側・教師の怒りも買って目の敵にされた。

 その状況は進級後も続いたが、いじめっ子達がかつだったのは、春にわたることの前でいじめをやってしまったことだった。
 ノートに描かれた漫画に赤ペンを入れた上で、一ページずつ白板に貼り出して晒し物にする、というやり方はあまりにも露骨過ぎた。

 これはわたることを大いに不快にし、いじめっ子達は二人を敵に回した。
 学校占拠事件での立ち回りから、わたることは共に校内で一目置かれている。
 そんな彼らがにらみを利かせている限り、ふたに手を出せなくなったのだ。

 そういう経緯があって、今、ずみふたわたることとよく行動を共にしている。
 何の気兼ねも無く弁当を食べられるのは、彼女にとって学校生活が平穏になったことの象徴だった。

さきもり君は相変わらず食堂の日替わり定食、そしてうるさんは毎度じみの……」
「勿論、あんぱんよ」

 ことは至福の微笑ほほえみを浮かべ、自身の顔程もあるあんぱんをほおる。

「毎日それでよく飽きないな……」
「ふ。あんぱんは最もシンプルで美しい和洋折衷の芸術品。文明開化の折に、かの明治大帝もみとめになった高貴な美食グルメ。一つ食べればどんな空腹も満足させる究極にして至高の完全食よ」

 顔を輝かせ、ご満悦といった様子でゆっくりと味わって食べることを、わたるふたは苦笑いを浮かべて見守っていた。

「そういえば、うるさん、前に言ってた漫画、持って来たよ」

 ふたは持って来ていたかばんの中をわずかにのぞかせ、数冊の漫画単行本をかいせた。

「何? きみら、漫画の貸し借りしてるの?」
「ええ。わたるも結構漫画には詳しいけれど、ずみさんは知る人ぞ知るって感じの隠れた名作を色々持っているから、何かと布教してもらっているのよ」

 わたるは女子二人のりを見て、少し微笑ましく感じた。
 春までいじめを受けて孤立していたふたと、性格的にあまり他人とつるむタイプではないことが交友を深めている様子に、心温まる思いだった。

さきもり君も漫画好きなんだ」
「漫画の王子様と呼んでくれ」
「漫画ばっかり読んでてはいちゃくされそうね」

 取り留めも無い会話を交わす高校生活の一ページが、わたるにはたまらなくいとおしかった。
 そこには確かに三人の青春があった。

    ⦿

 放課後、校門の前を通るわたるは一人だった。
 ことは急用が出来たと言って六限終わりに早退してしまったのだ。
 わたるは一年前の事を思い出していた。

「そういえば、なんか引っ掛かってんだよな……」

 わたるは頭をいて、学校占拠事件で感じたはずの不可解を思い出そうとする。
 世界を一変させる大事件によってになったが、わたることの言動に違和感を覚えた筈だった。

 何故なぜ、あの日に限ってことは休んだのか、急用とは何だったのか。
 テロリストが目的としていた「じょうさま」なる女生徒とはことの事だったのではないか。
 その後、この世界に顕現・ごうりんした「しんせいだいにっぽんこうこく」について、ことが何やら訳知りの様子だったのは?

 だがそれらの謎はややこしく絡まり過ぎて、わたるの意識はかえって考えることを放棄してしまっていた。
 それ以降の生活は平穏なものだったし、新しい交友関係が増えたのもあって、違和感は記憶の片隅でほこりを被って忘れられていた。

さきもり君」

 そんな新しい友がわたるの後から声を掛けてきた。

「あ、ずみさん……」

 ずみふたは鞄をひざの前に持ち、少し遠慮がちに微笑んでいた。

「今日はうるさんと一緒じゃないんだね」
「ま、先に帰っちゃったからね」
「良かったら、一緒に帰らない? 途中まで道同じだよね」
「そうだね。この機会にゆっくり漫画の話でもするか」

 わたるのうに一瞬だけことの不機嫌そうな顔が浮かんだ。
 しかし、仮に不満があったとしても下校の機会を逸したのは彼女の方なのだから、文句を言われる筋合いなど無い――わたるそうは思い直した。
 こうして、わたるふたは週刊漫画の最近の展開について語り合ったり、往年の名作漫画のアニメ化について意見を交わしたりしながら家路を共にした。

「そういえばさ、さきもり君」
「何?」
さきもり君とうるさんって、付き合ってないの?」

 唐突に繰り出された一撃に、わたるは思わず噴き出した。
 ふたは意図していなかっただろうが、この不意打ちは中々に効き目が強い。

き方おかしくない!? なんで否定形なの!?」
「だって、なんか距離感がもうそういう感じだし」

 中々に無遠慮な質問と指摘だが、ふたはきょとんとした表情で首をかしげ、揶揄からかうような悪意は感じられない。
 彼女が他人の恋愛事情に興味を持っていたことにわたるは少し驚いた。

「昔からの仲だってだけだよ」
「でも、少なくともさきもり君はうるさんのこと好きだよね?」

 更なる追撃にわたるは吹き出すだけでなくかえってしまった。
 人畜無害な顔をしてデリケートな所に悪意無く触ってくるふたの意外な一面に、わたるは大いに驚いた。

「サッキカラキミハ何ヲ言ッテイルノカナ?」

 取り繕おうとしても、図星を突かれた衝撃で片言になっていては世話無い。
 ふたは莫迦にするでもなく、平然と続ける。

わたしさきもり君とうるさんってお似合いだと思うよ。でも、みんな二人の関係が進展するのを手をこまねいて待ってくれるわけじゃないからね」
「いや、あのね……。あ、ほら! そんなことよりあれの話しようよ! あの異世界転生ものの金字塔の第二期やるじゃん」
「そりゃわたしさきもり君と漫画やアニメの話するの楽しいけど……関係をはっきりさせるのは早い方が良いと思うな。うるさんだって……満更じゃないだろうし……」

 ふたはどこか切なげに目を伏せた。

わたしは……応援してるから……」

 不意に秋の風が二人の間を吹き抜け、涼しさが季節の移ろいを感じさせた。
 秋の深まりが早いのは、例の巨大なもう一つの日本列島があらわれて気候が変動したせいだろうか。
 大通りに植えられた銀杏いちょうが僅かに黄葉こうようし始めていた。



    ⦿⦿⦿



 駅でふたと別れたわたるは電車に乗り、最寄駅から独り自宅へ向かっていた。

「ん?」

 わたるの目に信じたくない光景が飛び込んできた。
 見知った顔と見知らぬ顔が二人で喫茶店に入って行ったのだ。

「え? は? こと!?」

 わたるは慌てて喫茶店を窓からのぞんだ。
 見間違いなどではなく、うることが確かに見慣れない男と相席している。

(誰だよそいつ! 学校早退して何やってんだお前!)

 わたるはつい先程まで交わしていたふたとの会話を思い出していた。

『みんな二人の関係が進展するのを手を拱いて待ってくれるわけじゃないからね』

 わたるは居ても立ってもいられなくなり、衝動的に喫茶店へ飛び込んだ。
 そして二人に見付からないよう、ことすわる席の真後ろに陣取って身を潜めた。

きみはどう思う、この状況を?」

 端正な顔をした男が真剣な面持ちで語りだした。
 男は見たところ二十代半ばで、スタイルの良い長身をスーツに包んでいる。
 童顔のわたるとは種類の違う顔立ちで、鍛えられたたいと刃の様に鋭い目付きが洗練された大人のかんろくと迂闊な口を挟ませない威圧感を醸し出していた。

さん、高校生相手に何の話ですか?」

 ことの返した言葉に、わたるは少しだけあんしてしくなった。

(そうだそうだ、言ってやれこと。お前はまだ十七歳だからな。やることやったら犯罪なんだぞ)

 なお、日が出ている時間帯で一緒に食事をする程度ならば問題とは言えないだろう。
 もっとも、嫉妬から顔を滑稽にゆがめているわたるに通じる話ではないだろうが。

 だが、このと呼ばれた男が彼女に答えたのは予想もしない言葉だった。

「決まっているだろう。一年前に顕れた脅威『しんせいだいにっぽんこうこく』の話だよ」

 ことを中心に前後を挟む、真剣な面持ちで向き合う男と背後にこそこそ隠れる少年。
 喫茶店の中でこの三人の居る空間だけ奇妙な緊張感に包み込まれた。
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