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第一章『脱出篇』
第四話『理不尽』 序
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石見の海 角の浦廻を 浦無しと 人こそ見らめ 滷無しと 人こそ見らめ よしゑやし 浦は無くとも よしゑやし 滷は無くとも 鯨魚とり 海邊を指して 和多豆の 荒礒の上に か靑なる 玉藻おきつ藻 朝羽振る 風こそ依せめ 夕羽振る 浪こそ來緣せ 浪の共 彼より此より 玉藻なす 依り寝し妹を 露霜の 置きてし來れば 此の道の 八十隈每に 萬段 顧すれど 彌遠に 里は放りぬ 益高に 山も越え來ぬ 夏草の 念ひしなえて しぬぶらむ 妹が門見む 靡け此の山
『萬葉集、柿本朝臣人麻呂の石見國より妻に別れて上り来し時の歌』
===============================================
雨漏りの音が聞こえる。
岬守航が目を覚ましたのは、失明を疑う程に何も見えない、暗い怖い闇の中だった。
一定のリズムで滴る水音が響く――この恐ろしい空間は、太陽の光という概念すらも岩で鎖してしまっているかの様だった。
記憶を辿るに、どうやら航は何者かに拉致されたらしい。
全身に意識を巡らせ、五体の無事を確認する。
それ程の恐怖が航の置かれた闇を埋め尽くしていた。
拘束されていないのがせめてもの安心材料だった。
耳を頼りに、辺りの様子を探る。
微かな呼吸音が幾つか聞こえ、他にも何人か囚われている事が分かる。
その時、何かの錠前が開く音が聞こえた。
軋む滑車を無理に回すような嫌な音を立て、部屋に光が差し込んでくる。
頭陀袋を肩に抱えた、背の高い男の影が入り口に立っていた。
(誰だ……?)
逆光になっていて顔が上手く見えない。
男は後手に電灯のスイッチを入れた。
古びた電球が鈍い光を点し、航は漸く部屋の全容を見ることが出来た。
やはり攫われたのは航だけではなく、目が覚めた者も居れば眠ったままの者も居る。
「さっさと起きろ!」
眠っていた被害者が二人、男に蹴られて呻き声を上げる。
この男はおそらく航達を拉致した犯人だ。
明かりが点いて見えた、蛇にも似た悪辣な顔には覚えがある。
航を不意打ち気味に襲った、三番目の暴漢に違い無かった。
「やめ……ろ!」
航は男を止めるべく立ち上がるも、身体に力が入らない。
酷い飢えが臓腑から込み上げている。
それでも航は男を抑えようとしたが、簡単に振り解かれて逆に殴り飛ばされてしまった。
「うぐっ、この野郎……!」
男を睨み上げる航の目の前に銃口が向けられた。
「威勢が良いことだな、Ⅳ番。丸一日何も食っていない状況で、それでも抗おうとする根性……今は取り敢えず褒めておこう」
「Ⅳ番……だと……? 丸一日……?」
辺りに視線を向けると、航以外に攫われた被害者は七人、先程犯人に蹴られた男女はそれぞれ顔に「Ⅱ」「Ⅶ」と黒いインクで書かれていた。
他にも十代の少女から三十代と思しき男まで様々な者達が居て、全員の顔にローマ数字が書かれている。
そして更に、航は被害者の中に知っている顔を見付けた。
「虎駕! それと、まさか久住さんか!?」
中学の同窓生にして同じ大学に通う友人の虎駕憲進、それと高校の同窓生である久住双葉だった。
ここ二年連絡を取り合っていない双葉は、最後に会った時よりも随分と垢抜けた印象になっていたが、それでも判る程に嘗ての面影を残している。
虎駕も航と似たタイミングで拉致されたのか、細身の体が更に気の毒な程に窶れている。
二人にもそれぞれ「Ⅲ」「Ⅴ」と書かれている。
「岬守君……」
「お前もなのか、岬守……」
航同様、二人も戸惑いを隠せない様だ。
思わぬ再会を尻目に、犯人の男は冷笑を浮かべる。
「何だ、知り合いが三人も居るのか。妙な偶然もあるものだ」
残る被害者は三人、中高生くらいの少女に「Ⅰ」が、航や双葉、虎駕と同年代の女に「Ⅵ」が、背の高い三十代の男に「Ⅷ」がそれぞれ記されている。
先程犯人に蹴り起こされた「Ⅱ」の男が航達と同年代かやや若い事、「Ⅶ」の女が二十代後半程度と思われる事から、どうやら顔に書かれた数字は概ね若い順になっているらしい。
そんな多様な虜囚達の足下に、犯人の男は頭陀袋からペットボトルの水と錠剤を取り出して投げた。
「二時間の猶予をやろう。それを飲んでおけ」
「はあ!? 何言ってんだ手前!?」
被害者の一人、「Ⅱ」と書かれた青年が声を上げた。
金髪で目付きが悪く、日焼けした体格の良い青年で、凄む姿はヤクザとまでは行かずとも半グレの様に見えてしまう。
「いきなり攫われて、訳の分からない薬を渡されて、誰が飲むかってんだよ!」
言い分は概ね正当だ。
他の者達も態度こそ様々――航や彼の様に怒りを覚える者や、ただ戸惑う者、状況を静観する者、打ち拉がれて嘆く者が居るが、犯人の命令には同じ様な感想を抱いただろう。
しかし、犯人は銃をちらつかせて尚も冷笑する。
「得体の知れん薬など飲めんということか、まあそれも結構。確かに毒薬か、将又麻薬か、飲めば何が起こるか貴様らには想像も付かんだろうな。だが、一応これだけは警告しておこう。貴様らが恐れるその薬、飲まなければこの後確実に死ぬ事になる。賢明な選択をすることだ」
犯人は不気味に高笑いしながら部屋を出て行った。
廊下の奥で引き戸の軋む音、施錠の音が鳴り、航達被害者は八人で不気味な建物に取り残された。
「畜生、あの野郎ふざけやがって! 誰か俺と来い! 逃げられる場所がねえか、探しに行くぞ!」
金髪の青年は虎駕を連れて廊下へ出て行った。
航は天井の雨漏りを見上げていた。
暫くすると、虎駕が一人で部屋に戻ってきた。
「駄目だ、建物自体が鎖されている。硝子窓があるにはあるが、分厚過ぎて割れそうにないのだよ」
激しい打撃音と振動が部屋まで響いてきた。
驚いた航が虎駕に付いて行くと、廊下の窓を金髪の青年が何度も殴っていた。
「っ痛ぇ……! 糞、ビクともしねえ。硝子なら何度も割った事あるのによ」
物騒な物言いに呆れる航だが、硝子を割るといえば航はもっと物騒な目に遭った事がある。
その時の経験が生きているのか、航は比較的落ち着いていた。
「見たところ山の中だな」
「岬守、それがどうしたのだ?」
「いや、別になんてことも無いんだが……」
航は建物が置かれた環境に、言語化出来ない妙な胸騒ぎを覚えたが、その正体までは分からなかった。
もやもやした気持ちを抱えながら、取り敢えず三人で部屋に戻った。
「くくく……」
航達の顔を見て、三十代の大男が露悪的に笑い出した。
金髪の青年とは種類の違う人相の悪さと、虎駕とは種類の違う不健康さを備えた顔は、この場にいない犯人と同じかそれ以上の不気味さを醸し出す。
「逃げる手段は無かったって? いけないなあ、お兄ちゃん達。俺みたいな極悪人を女と一緒に独り残しちゃあ……」
「極悪人?」
男の言葉に思い当たる節があったのか、虎駕が声を上げた。
「お前、まさか折野菱なのか!」
「折野……?」
航も思い出した。
自分たちと一緒に拉致された男は有名人で、悪名を轟かせた凶悪犯だという事に気が付いたのだ。
虎駕が先に気付いたのは、専門分野に関わりがあったからだ。
「ついこの間、殺人事件の公判中に退廷を命じられ、そのどさくさに紛れて逃走したというニュースがあったのだよ。まさかこんなところで被告人本人に会うとは」
折野菱――会社員の自宅へ強盗に押し入り、その妻と五歳の子供を殺害した咎で死刑を求刑されていた男である。
だが、拘留と裁判が続く中で彼は過去の殺人を次々と自白し、年少期から合計七人を殺害していたと明らかになったのだ。
「下調べもせずに押し入ったのは拙かったなあ、証拠を残し過ぎた。しかも死刑求刑となりゃ、俺も年貢の納め時かと思ったね。で、このまま死ぬのは癪だったんで、一層のこと今までの殺しを洗い浚い打ち撒けてやったのさ。全ての事件の真相が明らかになるまで、死刑執行の時間も稼げると思ったしな。だがま、所詮は悪足掻きだろ? 逃げられるチャンスがありゃ、そりゃ逃げるわ。しかし、どうせ警察に捕まって終わりかと思ってたら、まさか訳の分からん連中に攫われちまうとはな。運が良いんだか悪いんだか」
ぞっとするような声と言葉だった。
この男は自分の悪行を得意げに話しており、罪の意識を全く感じさせない。
折野はおそらくこの場で最年長だろうが、到底頼りになる大人ではなかった。
「脱線はそこまでにしとけよ」
航は二発の手拍子を鳴らし、この場を収めようとする。
「さっきの男、僕達はこのままじゃ死ぬと脅してきた。貴方も死刑から逃げて来たんだ、そんなのはごめんだろう。ここは協力しないか?」
航はリーダーシップを取ろうとする。
自分より年上と思われる人間は凶悪犯だったり、塞ぎ込んでいたりと、あまり纏め役になれそうにない。
同年代に目を向けると、虎駕は折野と険悪だし、金髪の青年は冷静さに欠けるし、双葉はこういう役回りに向かないだろうし、残る女はどこか他人事だ。
後は、まさか最年少の少女に統率を取らせるわけにもいくまい。
必然的に、消去法で航しかいない。
折野は立ち上がり、航を見下ろす。
威圧感のある男に見下ろされるのは二度目だが、折野には根尾とは違う不気味な迫力がある。
直視が躊躇われる、体の芯から震えが込み上げてくる、そんな恐ろしい視線だった。
常人には大抵備わっている、まさか殺されはしまいと言う信頼が、折野には無い。
航は恐怖を押し殺し、折野の眼を真直ぐに見詰め返す。
幸い折野に争うつもりは無いらしく、小さく皮肉めいた笑みを浮かべた。
「別に協力しないなんて、俺は一言も言ってないんだがな」
折野はわざとらしく両腕を広げて見せ、壁に凭れてその場に坐り込んだ。
取り敢えずこの場は収まったが、ただでさえ重かった空気に余計な澱みまで加わってしまった。
それを察してか、最年少の少女が真直ぐに手を上げた。
「はーい、提案がありまーす!」
元気よく立ち上がった彼女だったが、ふらついて一瞬壁に体を預け、照れくさそうに笑った。
「ありゃりゃ、ちょっと疲れていたみたいです。それより、折角の流れなので、皆さん自己紹介しませんか?」
少女は部屋の中央に躍り出る。
「折角顔に落書きされてることですし、Ⅰ番から順番に行きましょう。Ⅰ番の人、居ませんかー?」
「Ⅰ番は君だよ」
「ふえ? あ、そういうことですか」
自分から出てきたことを鑑みると、航にツッコまれたこの間抜けさは演技だろう。
最年少の彼女は、彼女なりに場を和ませようとしたのだろうか。
「Ⅰ番、二井原雛火、十五歳。この春、高校に入学しました。趣味はカラオケ、将来の夢は声優になることです。よろしくお願いしまーす!」
一人で燥ぐ彼女の頭に雨漏りの滴が落ちた。
「もー、何なんですかこれ!」
雨漏りは天井の罅割れから滴っている。
その奥にカメラのレンズが光っていると、この場の誰も気が付いていなかった。
⦿
航達が囚われている建物とは別の小屋で、二人の男がブラウン管のモニター画面を見ている。
男達の背後では別に二人の男が壁に磔にされていた。
航を拉致しようとして海に落とされた二人である。
「同志屋渡、準備が整いました」
「御苦労」
磔にされた二人の男は既に意識を失っている。
失態は許されていなかったのだ。
「クク……」
屋渡と呼ばれるリーダー格の男は悪辣な笑みを浮かべて画面に映る部屋の様子を窺っている。
丁度、雛火が自己紹介を始めていた。
「暢気なことだな。だが良いのか? 時間は待ってはくれんぞ」
蛇の様な眼が悪意たっぷりに航達を見守っていた。
『萬葉集、柿本朝臣人麻呂の石見國より妻に別れて上り来し時の歌』
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雨漏りの音が聞こえる。
岬守航が目を覚ましたのは、失明を疑う程に何も見えない、暗い怖い闇の中だった。
一定のリズムで滴る水音が響く――この恐ろしい空間は、太陽の光という概念すらも岩で鎖してしまっているかの様だった。
記憶を辿るに、どうやら航は何者かに拉致されたらしい。
全身に意識を巡らせ、五体の無事を確認する。
それ程の恐怖が航の置かれた闇を埋め尽くしていた。
拘束されていないのがせめてもの安心材料だった。
耳を頼りに、辺りの様子を探る。
微かな呼吸音が幾つか聞こえ、他にも何人か囚われている事が分かる。
その時、何かの錠前が開く音が聞こえた。
軋む滑車を無理に回すような嫌な音を立て、部屋に光が差し込んでくる。
頭陀袋を肩に抱えた、背の高い男の影が入り口に立っていた。
(誰だ……?)
逆光になっていて顔が上手く見えない。
男は後手に電灯のスイッチを入れた。
古びた電球が鈍い光を点し、航は漸く部屋の全容を見ることが出来た。
やはり攫われたのは航だけではなく、目が覚めた者も居れば眠ったままの者も居る。
「さっさと起きろ!」
眠っていた被害者が二人、男に蹴られて呻き声を上げる。
この男はおそらく航達を拉致した犯人だ。
明かりが点いて見えた、蛇にも似た悪辣な顔には覚えがある。
航を不意打ち気味に襲った、三番目の暴漢に違い無かった。
「やめ……ろ!」
航は男を止めるべく立ち上がるも、身体に力が入らない。
酷い飢えが臓腑から込み上げている。
それでも航は男を抑えようとしたが、簡単に振り解かれて逆に殴り飛ばされてしまった。
「うぐっ、この野郎……!」
男を睨み上げる航の目の前に銃口が向けられた。
「威勢が良いことだな、Ⅳ番。丸一日何も食っていない状況で、それでも抗おうとする根性……今は取り敢えず褒めておこう」
「Ⅳ番……だと……? 丸一日……?」
辺りに視線を向けると、航以外に攫われた被害者は七人、先程犯人に蹴られた男女はそれぞれ顔に「Ⅱ」「Ⅶ」と黒いインクで書かれていた。
他にも十代の少女から三十代と思しき男まで様々な者達が居て、全員の顔にローマ数字が書かれている。
そして更に、航は被害者の中に知っている顔を見付けた。
「虎駕! それと、まさか久住さんか!?」
中学の同窓生にして同じ大学に通う友人の虎駕憲進、それと高校の同窓生である久住双葉だった。
ここ二年連絡を取り合っていない双葉は、最後に会った時よりも随分と垢抜けた印象になっていたが、それでも判る程に嘗ての面影を残している。
虎駕も航と似たタイミングで拉致されたのか、細身の体が更に気の毒な程に窶れている。
二人にもそれぞれ「Ⅲ」「Ⅴ」と書かれている。
「岬守君……」
「お前もなのか、岬守……」
航同様、二人も戸惑いを隠せない様だ。
思わぬ再会を尻目に、犯人の男は冷笑を浮かべる。
「何だ、知り合いが三人も居るのか。妙な偶然もあるものだ」
残る被害者は三人、中高生くらいの少女に「Ⅰ」が、航や双葉、虎駕と同年代の女に「Ⅵ」が、背の高い三十代の男に「Ⅷ」がそれぞれ記されている。
先程犯人に蹴り起こされた「Ⅱ」の男が航達と同年代かやや若い事、「Ⅶ」の女が二十代後半程度と思われる事から、どうやら顔に書かれた数字は概ね若い順になっているらしい。
そんな多様な虜囚達の足下に、犯人の男は頭陀袋からペットボトルの水と錠剤を取り出して投げた。
「二時間の猶予をやろう。それを飲んでおけ」
「はあ!? 何言ってんだ手前!?」
被害者の一人、「Ⅱ」と書かれた青年が声を上げた。
金髪で目付きが悪く、日焼けした体格の良い青年で、凄む姿はヤクザとまでは行かずとも半グレの様に見えてしまう。
「いきなり攫われて、訳の分からない薬を渡されて、誰が飲むかってんだよ!」
言い分は概ね正当だ。
他の者達も態度こそ様々――航や彼の様に怒りを覚える者や、ただ戸惑う者、状況を静観する者、打ち拉がれて嘆く者が居るが、犯人の命令には同じ様な感想を抱いただろう。
しかし、犯人は銃をちらつかせて尚も冷笑する。
「得体の知れん薬など飲めんということか、まあそれも結構。確かに毒薬か、将又麻薬か、飲めば何が起こるか貴様らには想像も付かんだろうな。だが、一応これだけは警告しておこう。貴様らが恐れるその薬、飲まなければこの後確実に死ぬ事になる。賢明な選択をすることだ」
犯人は不気味に高笑いしながら部屋を出て行った。
廊下の奥で引き戸の軋む音、施錠の音が鳴り、航達被害者は八人で不気味な建物に取り残された。
「畜生、あの野郎ふざけやがって! 誰か俺と来い! 逃げられる場所がねえか、探しに行くぞ!」
金髪の青年は虎駕を連れて廊下へ出て行った。
航は天井の雨漏りを見上げていた。
暫くすると、虎駕が一人で部屋に戻ってきた。
「駄目だ、建物自体が鎖されている。硝子窓があるにはあるが、分厚過ぎて割れそうにないのだよ」
激しい打撃音と振動が部屋まで響いてきた。
驚いた航が虎駕に付いて行くと、廊下の窓を金髪の青年が何度も殴っていた。
「っ痛ぇ……! 糞、ビクともしねえ。硝子なら何度も割った事あるのによ」
物騒な物言いに呆れる航だが、硝子を割るといえば航はもっと物騒な目に遭った事がある。
その時の経験が生きているのか、航は比較的落ち着いていた。
「見たところ山の中だな」
「岬守、それがどうしたのだ?」
「いや、別になんてことも無いんだが……」
航は建物が置かれた環境に、言語化出来ない妙な胸騒ぎを覚えたが、その正体までは分からなかった。
もやもやした気持ちを抱えながら、取り敢えず三人で部屋に戻った。
「くくく……」
航達の顔を見て、三十代の大男が露悪的に笑い出した。
金髪の青年とは種類の違う人相の悪さと、虎駕とは種類の違う不健康さを備えた顔は、この場にいない犯人と同じかそれ以上の不気味さを醸し出す。
「逃げる手段は無かったって? いけないなあ、お兄ちゃん達。俺みたいな極悪人を女と一緒に独り残しちゃあ……」
「極悪人?」
男の言葉に思い当たる節があったのか、虎駕が声を上げた。
「お前、まさか折野菱なのか!」
「折野……?」
航も思い出した。
自分たちと一緒に拉致された男は有名人で、悪名を轟かせた凶悪犯だという事に気が付いたのだ。
虎駕が先に気付いたのは、専門分野に関わりがあったからだ。
「ついこの間、殺人事件の公判中に退廷を命じられ、そのどさくさに紛れて逃走したというニュースがあったのだよ。まさかこんなところで被告人本人に会うとは」
折野菱――会社員の自宅へ強盗に押し入り、その妻と五歳の子供を殺害した咎で死刑を求刑されていた男である。
だが、拘留と裁判が続く中で彼は過去の殺人を次々と自白し、年少期から合計七人を殺害していたと明らかになったのだ。
「下調べもせずに押し入ったのは拙かったなあ、証拠を残し過ぎた。しかも死刑求刑となりゃ、俺も年貢の納め時かと思ったね。で、このまま死ぬのは癪だったんで、一層のこと今までの殺しを洗い浚い打ち撒けてやったのさ。全ての事件の真相が明らかになるまで、死刑執行の時間も稼げると思ったしな。だがま、所詮は悪足掻きだろ? 逃げられるチャンスがありゃ、そりゃ逃げるわ。しかし、どうせ警察に捕まって終わりかと思ってたら、まさか訳の分からん連中に攫われちまうとはな。運が良いんだか悪いんだか」
ぞっとするような声と言葉だった。
この男は自分の悪行を得意げに話しており、罪の意識を全く感じさせない。
折野はおそらくこの場で最年長だろうが、到底頼りになる大人ではなかった。
「脱線はそこまでにしとけよ」
航は二発の手拍子を鳴らし、この場を収めようとする。
「さっきの男、僕達はこのままじゃ死ぬと脅してきた。貴方も死刑から逃げて来たんだ、そんなのはごめんだろう。ここは協力しないか?」
航はリーダーシップを取ろうとする。
自分より年上と思われる人間は凶悪犯だったり、塞ぎ込んでいたりと、あまり纏め役になれそうにない。
同年代に目を向けると、虎駕は折野と険悪だし、金髪の青年は冷静さに欠けるし、双葉はこういう役回りに向かないだろうし、残る女はどこか他人事だ。
後は、まさか最年少の少女に統率を取らせるわけにもいくまい。
必然的に、消去法で航しかいない。
折野は立ち上がり、航を見下ろす。
威圧感のある男に見下ろされるのは二度目だが、折野には根尾とは違う不気味な迫力がある。
直視が躊躇われる、体の芯から震えが込み上げてくる、そんな恐ろしい視線だった。
常人には大抵備わっている、まさか殺されはしまいと言う信頼が、折野には無い。
航は恐怖を押し殺し、折野の眼を真直ぐに見詰め返す。
幸い折野に争うつもりは無いらしく、小さく皮肉めいた笑みを浮かべた。
「別に協力しないなんて、俺は一言も言ってないんだがな」
折野はわざとらしく両腕を広げて見せ、壁に凭れてその場に坐り込んだ。
取り敢えずこの場は収まったが、ただでさえ重かった空気に余計な澱みまで加わってしまった。
それを察してか、最年少の少女が真直ぐに手を上げた。
「はーい、提案がありまーす!」
元気よく立ち上がった彼女だったが、ふらついて一瞬壁に体を預け、照れくさそうに笑った。
「ありゃりゃ、ちょっと疲れていたみたいです。それより、折角の流れなので、皆さん自己紹介しませんか?」
少女は部屋の中央に躍り出る。
「折角顔に落書きされてることですし、Ⅰ番から順番に行きましょう。Ⅰ番の人、居ませんかー?」
「Ⅰ番は君だよ」
「ふえ? あ、そういうことですか」
自分から出てきたことを鑑みると、航にツッコまれたこの間抜けさは演技だろう。
最年少の彼女は、彼女なりに場を和ませようとしたのだろうか。
「Ⅰ番、二井原雛火、十五歳。この春、高校に入学しました。趣味はカラオケ、将来の夢は声優になることです。よろしくお願いしまーす!」
一人で燥ぐ彼女の頭に雨漏りの滴が落ちた。
「もー、何なんですかこれ!」
雨漏りは天井の罅割れから滴っている。
その奥にカメラのレンズが光っていると、この場の誰も気が付いていなかった。
⦿
航達が囚われている建物とは別の小屋で、二人の男がブラウン管のモニター画面を見ている。
男達の背後では別に二人の男が壁に磔にされていた。
航を拉致しようとして海に落とされた二人である。
「同志屋渡、準備が整いました」
「御苦労」
磔にされた二人の男は既に意識を失っている。
失態は許されていなかったのだ。
「クク……」
屋渡と呼ばれるリーダー格の男は悪辣な笑みを浮かべて画面に映る部屋の様子を窺っている。
丁度、雛火が自己紹介を始めていた。
「暢気なことだな。だが良いのか? 時間は待ってはくれんぞ」
蛇の様な眼が悪意たっぷりに航達を見守っていた。
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