日本と皇國の幻争正統記

第一章『脱出篇』

第四話『理不尽』 破

　航わたる達を拉致した男は二時間という刻限を切った。
　八人が自己紹介をするには充分お釣りがくる猶予だろう。
　彼らを閉じ込める建物の状態は古く、自己紹介を最初に言い出した少女――二に井い原はら雛ひな火びは雨漏りが滴った頭を気にしている。

　しかし、雛ひな火びはすぐに気を取り直した様に舌を出して愛あい嬌きょうを振ふり撒まいた。
　大きな丸い目、幼い顔立ちは実に愛らしく、天然な調子も嫌いや味みを感じさせない。
　体格はこの場で双葉に次いで小さく、子猫の様な印象を与えるが、反面肉付きは誰よりも育っており、大変男好きのするボディラインの持ち主である。

　その仕草は見方によってわざとらしくも見えるが、可か愛わいい子振っているというよりは普段の様子を自然体で振る舞っている。
　おそらく、性根の部分から天てん真しん爛らん漫まんで明るい少女なのだろう。

「気を取り直しまして、次に行きましょうか！」

　雛ひな火びはマイクを渡す仕草を模もして、次の相手に拳を差し出す。

「じゃあ次、Ⅱ番のお兄さん！」

　雛ひな火びは努めて朗らかに金髪の青年を指名した。
　だが、その彼は渋い顔をしている。

「気が乗らねえよ」
「ええ!?　なんでですか？」
「なんでもだよ、なんでも！　やるんなら手テ前メエらで勝手にやれよ！」

　青年は外方を向いて口を尖とがらせた。
　こういうノリが嫌い、というよりは恥ずかしい、といった様子だ。

「じゃあ先に私わたしから行くね」

　彼の後に控えていた「Ⅲ」の双ふた葉ばが中央に出てきた。
　彼女なりに、高校生の少女が空回りしないように気を遣ったのだろう。

「Ⅲ番、久く住ずみ双ふた葉ば、二十一歳です。今大学で人文社会を勉強しています。よろしくお願いします。」

　双ふた葉ばの自己紹介を聞いた航わたるは、彼女が心を開き切っていないように感じた。
　高校時代、彼女はもっと趣味の話を積極的にしてきたものだった。
　尤もっとも、人見知りがちな性格も知っているので、この場で初対面の人間が多いという事情を鑑みれば、そういう態度にもなるかと思い直した。

「おっと、僕ぼくか」

　双ふた葉ばに続くⅣ番は航わたるである。
　航わたるは咳せき払ばらいして彼女に続いた。

「Ⅳ番、岬さき守もり航わたる、二十一歳大学生。理学部だけど専攻はまだ無い。よろしく」

　航わたるは敢あえて双ふた葉ばや虎こ駕がとの関係に触れなかった。
　双ふた葉ばが自己紹介で必要以上に話さなかったのだから、そんな彼女のプライベートなことをうっかり話してしまうのは避けたかったし、それならば虎こ駕がに対しても同じ対応をするべきだと思ったからだ。
　航わたるは虎こ駕がに目で合図を送った。

「ん？　ああ、分かったのだよ。Ⅴ番、虎こ駕が憲けん進しん、二十二歳。岬さき守もりとは同じ大学だが、俺おれは法学部だ。よろしく頼むのだよ」

　虎こ駕がの自己紹介が終わったところで、順番を飛ばされたⅡ番の青年に白羽の矢が立った。
　彼は金髪の頭を掻かき、溜ため息いきを吐いて日焼けした肉付きの良い体を立ち上がらせた。

「どいつもこいつも立派だなあ。これ以上続くと余計に肩身が狭くなって自己紹介出来なくなりそうだ。しゃーねえ、俺おれも付き合ってやるよ」
「イエーイ、待ってました！」

　雛ひな火びの拍手に迎えられ、青年は中央に歩いてきた。

「Ⅱ番、虻あぶ球く磨ま新しん兒じ。二十歳はたちの高校生だ。今までの三人と比べたら自慢出来ねえよな。ま、卒業したら働いて、人並みに真まと面もな人生送んのが夢っちゃ夢かな」

　自己紹介を終えた青年――虻あぶ球く磨ま新しん兒じは顔を赤らめている。
　おそらく、雛ひな火びの提案に乗るのを渋ったのは自分の経歴に恥じらいを覚えたからだろう。
　尤も、航わたるは双ふた葉ばや虎こ駕がにそれぞれ事情があることも知っているので、然さ程ほど気にするようなことでもないように思えた。

「おお、私わたしに続いて夢を語ってくれましたね？　結構ノリノリなんじゃないですか！」
「手テ前メエ……後で覚えてろよ」

　新しん兒じは雛ひな火びに悪態を吐くと、元の位置に戻って坐すわり直した。

「じゃ、次行きましょうか」
「何だよ、結局続けるのかよ。面倒臭いなあ」

　次に指名を受けた女は舌打ちし、立ち上がらずにその場で名乗る。
　赤毛を後で束ねた髪型と気の強そうな顔立ちが印象的な女だった。
　今まで我関せずを通してきた彼女だったが、ここはさっさと済ませてしまった方が早いと判断したらしい。

「Ⅵ番、椿つばき陽よう子こ、二十二歳。みんな余計な事べらべら喋しゃべったけど、私あたしは馴なれ合あうつもり無いからこれだけ」
「えー、お互いの事よく知った方が良いじゃないですか！」
「五う月る蠅さいな。兎に角、私あたしはこれで終わりにするから」
「もー」

　情つれ無ない態度の椿つばき陽よう子こに、雛ひな火びは頬ほおを膨らませた。
　だが、すんなり付き合ってくれただけ良かった。
　何な故ぜなら、後に控える二人は更に話し掛け辛づらいからだ。

　Ⅶ番の女は最初からずっと塞ふさぎ込こんでいる。
　犯人の男に蹴り起こされたのは新しん兒じと彼女だった。

「Ⅶ番、繭まゆ月づき百ゆ合り菜な、二十九歳。大企業でバリバリ働いて同どう棲せい中バンドマン彼氏の夢を応援したい人生でした……」

　繭まゆ月づき百ゆ合り菜なはか細い声で名乗り、溜息を吐いた。
　ウェーブが掛かった長い髪が大人びた印象を与えるが、憔しょう悴すいして目の下に隈くまが出来ている。
　服装からして仕事帰りに攫われたのだろう。

「うわー、ヒモ養ってんのか」

　新しん兒じが引き気味なのは、高校卒業と共に働くつもりであり、ヒモ男の生き方もそんな男を養う女も理解出来なかったからだろう。
　だが、そんな彼の反応が失礼なことは確かで、繭まゆ月づきはこれに激げき昂こうした。

「彼の何が解わかるのよ！　良い男だったのよ！　あの時も私わたしを……逃がそうとして!!」
「あ、マジかそういう事情かよ。いや、すまん悪かった」

　繭まゆ月づきは再び塞ぎ込み、失言を悟った新しん兒じはばつが悪そうに彼女を慰めようとする。
　察するに、彼女の恋人は拉致の際に巻き込まれて殺されてしまったのだ。

「おい。これ、俺おれもやるのか？」

　そんな状況に水を差したのは、Ⅷ番の折おり野の菱りょうだった。
　彼は既に虎こ駕がから素す性じょうを暴ばく露ろされている。

「そういえば、貴方アンタが言う事は俺おれが全部言ってしまったのだな」
「良い度胸だな、兄ちゃん。因ちなみに俺おれは三十一歳、最年長だ。ちゃんと敬えよ」
「日本国憲法で内心の自由は保障されている。そんな義務は無いのだよ」

　嘲あざ笑わらう折おり野のと彼を嫌う虎こ駕がの間に険悪な空気が流れた。
　そんな中、椿つばき陽よう子こが話を戻そうとする。

「それより貴方アンタ達、自己紹介も終わったんだし本題に戻りましょうよ。どうすんの、この薬？」

　後回しにされていたが、航わたる達は犯人の警告を思い出した。
　一方、自分達を攫さらった相手の言う事など素直に信じられない、というのも確かな感情だ。
　ただ、航わたるは飢えだけでなく渇きも感じている。
　彼同様、せめて水だけでも飲みたい者が大半だろう。

　胡う散さん臭くさい薬を前にして、八人の意見は割れた。

「人ひと攫さらいの言う事なのだよ。信用出来まい」
「俺おれも賛成ー」
「私わたしも」

　虎こ駕が、新しん兒じ、双ふた葉ばは薬の服用を躊ため躇らっていた。

「私あたしは飲んでおいた方が良いと思う。抑そもそも、毒殺するつもりなら最初から生かしておかないでしょう。丸一日寝かしてたんなら、殺すのは容た易やすかった筈はず」
「おお、急にべらべら喋るようになったな姉ちゃん。だが、俺おれも同意見だ。折せっ角かく生きる機会を貰もらったんだ。余計な疑心暗鬼で棒に振りたくはねえよ」
「私わたしもそう思いますね！　ていうか喉渇きました！」

　椿つばき、折おり野の、雛ひな火びは薬を飲む気でいるらしい。

「どうでも良い……何もかも……」

　繭まゆ月づきは生きる気力を失い、全てを諦めて投げ出している。

「うーん……」

　航わたるは態度を決めかねていた。
　服用の是非は、双方の言い分にそれぞれの理があるような気がした。

「要するに、Ⅳ番は飲むのを躊躇ってるんでしょ？　後は、Ⅶ番の繭まゆ月づきさん、だっけ？　貴方アンタは仮に飲むか飲まないかの二択だったら、どうする？」

　椿つばきは何かを考えたようで、繭まゆ月づきに態度を決めさせようとしていた。

「どうでも良いからそっちで決めて。言う通りにするから……」

　心底投なげ遣やりといった答えが返ってきた。
　だがこれで椿つばきの腹は決まったらしい。

「じゃあ、こうしよう。先んじて、私あたしとⅧ番折おり野の、Ⅰ番二に井い原はら、そしてⅦ番繭まゆ月づきが薬を飲む。それで暫しばらく様子を見て、何事も無かったら残る四人も続く。これでどう？」
「ほーう、上う手まく纏まとめたな。良いんじゃねえか？　下らねえ茶番の間に時間も経たっちまった。さっさと飲もうや」

　一々茶々を入れる折おり野のだったが、椿つばきは構わず錠剤を包装から取り出し、口に含んでペットボトルの水と共に流し込んだ。
　それに続き、折おり野の、雛ひな火び、そして投げ遣りな繭まゆ月づきも一応薬を飲んだ。

「……何事も無さそうだね」

　椿つばきは自分の体調を確かめるように胸に手を当てて言った。
　判断には早計にも思えるが、少しでも早く安心したいのかも知れない。

　暗算で計って約三分が経過した。
　航わたるは頃合いと感じ、包装から錠剤を取り出した。

「僕ぼく達も飲もう」

　残る四人は、先まず航わたるから服用した。
　続いて双ふた葉ば、虎こ駕が、最後に新しん兒じが渋々薬を飲んだ。

    ⦿

　争いの種も無くなり、部屋の雰囲気も次第に打ち解けてきていた。
　雛ひな火びが提案した自己紹介が功を奏したのだろう。
　その彼女は、双ふた葉ばとアニメや漫画の話で盛り上がっている。
　他方では、虎こ駕がが新しん兒じに対して歴史問題や安全保障など、政治的な事柄を一方的に話していた。

　航わたるは、何をするでもなく天井の雨漏りを見詰めていた。

「おい、兄ちゃん。お前も同じか？　何かやべえ予感がするな」

　折おり野のが航わたるに話し掛けてきた。

「窓から外を見たところ、今雨は降っちゃいねえ。なら、この雨漏りは一体何だ？　少し前まで結構きつく降ったんじゃねえか？　そして、ここは山ン中だ」

　言い終わるや否やのタイミングだった。
　突如、大きな爆発音の如き轟ごう音おんが響き渡り、部屋は大きく傾いた。

「きゃあ!!」
「何だ!?」

　双ふた葉ばと新しん兒じが叫びながら壁に叩たたき付つけられる。
　他の面々もバランスを崩して部屋の中を転げた。

「畜生、土砂崩れか!!」
「今の音、あいつわざとやりやがった!!」

　航わたると折おり野のが事態に気付いた時には既に遅かった。
　建物は完全に落下し始めており、八人は死の谷底へと真まっ逆さか様さまに転落していった。