日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第六話『親と子』 急

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 中学三年、卒業の差し掛かった時期だった。

 祭壇に掲げられたうるつるの遺影は、わたるが知るよりも若く肉付きが良かった。
 うる家と親密に付き合っていたわたるだが、この時ばかりは赤の他人の立場に甘んずるより他は無かった。
 わたるから離れて右側の席、親族のすわる上座には、ことを含めた三人の女と二人の老翁が陣取っている。

 喪主を務めるのは故人の妻、ことの母親、当時のうるかなだった。
 聞くところによると、彼女は政界の仕事にかまけて家族をないがしろにしてきたらしい。
 涙を見せないのは気丈に振る舞っているのか、それともほど思い入れが無いのか、わたるには判断が付かなかった。

 他の親族達もあまり良好な関係には見えない。
 ことを挟んで、喪主と同じ最前列に車椅子で控える老翁が故人の父、ことの父方の祖父。
 二列目に二つ並んだ椅子に腰掛ける老翁と女は、ことの母方の祖父と、故人の姉に当たる親族だという。
 子供心に、わたるは母方の祖父が最も裕福である事、そして伯母が親族でも孤立している事を何となく察した。

 喪主たる母親、次いで故人の父たる車椅子の祖父に続き、ことが焼香を上げた。
 遺影に何をか問うようにたたずんだ彼女は、ただならぬ感情を抑えているように見えた。

こと……)

 親族に続き、一般参列者の焼香が行われる。
 わたるけんしんら同級生に混じり、席に着いて順番を待っていた。

 その間、気掛かりだったのはやはりことの様子だった。
 わたるは彼女がずっとしく父親の世話をしていたとよく知っている。

 つるは優しく穏やかな人物で、病気にもかかわらず周囲に当たり散らすような事もせず、やんわりと心を包んでくれるような雰囲気を持っていた。
 わたるにとっても、つるは極めて父親に近い人物だった。
 ことにとってどれだけ大きな存在か、付き合いが深い分痛い程にわかった。

 焼香を終えて席に戻る時、わたるは見た。
 ことの目から、さめざめと涙が流れていた。
 己が泣いている事にも気付いていないような、はばかる事も知らぬといった号泣だった。
 ことも泣く事はあるのかと、わたるは初めて彼女の中に弱い少女を見た気がした。

    ⦿

 通夜の後、わたることが誰に言うでもない独り言をつぶやくのを聞いた。

「駄目だった……。どういて良いかも分からなかった……。こんなにも何も出来ない事が……。こんなにも無力な事が……。こんなにもあらがいようのないものが……。こんなにも……」

 あまりにも大きなショックを受けた様子のことに、わたるは掛ける言葉が見付からなかった。
 彼女に車椅子を押される老人、彼女の祖父がそれに答えるように呟いた。

「お前さんのせいではない。つるを壊したものがあまりにも凶悪だったのじゃ。お前さんにもどうにもならぬ程に」
「はい、じいさま……」
「おそらくはわしも、そう遠くない内に逝くじゃろう。後の事は……」

 老翁がそう言いかけた時、二人の女が彼をにらんだ。
 それを認めた老翁は、それ以上続けなかった。

 わたるは、そんな老翁と目が合った。
 老翁はけんしわを寄せ、いぶかしむような、値踏みするような視線をわたるに向ける。

(何だ、この人……?)

 わたるは老翁の瞳の奥にただならぬものが渦巻いているように思えた。
 何か得体の知れない狂気が、老いて弱った身体に蜷局とぐろを巻いている。
 それは息子のつるとは似ても似つかぬ邪気だった。

 老翁は小さく口を開いた。

「小僧……」

 わたるの方には老翁と面識は無かったが、向こうはわたるを知っている風だった。
 わたるは背筋にかんが走るのを感じた。

「息子と孫の事、誠に感謝しておるぞ」

 わたるは老翁から逃げるようにことへ視線を移した。
 普段使っているしろうさぎ柄の手巾ハンカチではなく、無地のもので涙を拭く姿が痛々しい。

こと
わたる、大丈夫だから」

 涙を拭い、充血したことの目に少女の終わりが見えた。
 いずれは誰もが経験する、親しき者との死別。
 それを経た時、人はかなしみをその身に宿し、大人の階段を昇るのだと聞いた事がある。

 わたるには、ことが雨の中で殻を破ろうとしているさなぎの様に思えた。
 忘れられない、哀しみの記憶だった。

    ⦿

 高校から、わたることの家に行く事は無くなった。
 小遣いは相変わらずもらえなかったが、アルバイトをしてしのいだ。
 浪人はしたが、予備校には行かなかった。
 それでも自身と同じ大学に一年遅れで合格したわたるを、ことは大変なプレゼントで祝ってくれた。

「合格祝いにバイクって、聞いた事無いよ」
「高校の頃、欲しがっていたでしょう?」
「そうだけど、とても簡単に贈れるようなものでもないじゃないか」
「あら、そうかしら?」
「金持ちが……」

 過去を夢に見る中で、わたることが解らなくなってきた。
 きみぼくをどう思っているのだろう。
 だってここまでしてくれるのは明らかにおかしいじゃないか。
 それがどうして、今はぼくと距離を取ろうとするんだ。

 きみには世話になってばかりだった。
 かつくしてくれたきみと、今避けてくるきみ、一体どちらが本当なんだ。

 もう一度、きみいたい。
 本当のきみを確かめたい。
 そして願わくは、またきみと……。



    ⦿⦿⦿



 わたるは狭く柔らかい場所で振動を感じて目を覚ました。
 どうやら自動車の後部座席に寝かされていたようだ。

「お目覚めのようですね。気絶されていたということは、衝撃の耐久と損傷の修復にしんほとんどを使ってしまわれたということ。今は生身の人間とお変わりありませんので、しばらくお休みになってしんの回復を待たれた方がよろしいかと」

 運転していたのはこうてんかんの管理人、おうぎだった。

何故なぜぼくを? 今度は何処どこへ連れて行こうというんだ?」
「そう遠くへは参りませんよ。目的地へ向かう途中、道端で伸びていた貴方あなたをお見かけしましたので、ついでに御同乗いただいたまでです」

 今度は、という皮肉も通じなかったようで、わたるは忌々し気に外の景色を睨んだ。
 日本の山に似た道並みがひどく恨めしく思えた。
 こんな現実に目覚めるくらいなら、もう少し夢を見ていたかった。

 どうやら本当にすぐの場所へ向かっていたようで、程無く自動車はトンネルの中で停車した。
 橙色に染まった薄暗い窓の外には大きなシャッターが見えた。

て、わたくしはこれからわたくしの仕事をすいこうしに参りますが、その前に貴方あなたと少しだけお話をさせていただきたく存じます」

 おうぎはミラー越しにわたるへ目を向けた。
 何の寝言か、とわたるは鼻で笑ってそっを向いた。

「悪いけど、こっちにはひとさらいの一味と話す事なんか無いよ」
「『人攫いの一味』ですか。つまり、同志になるおつもりは無い、と……」
けた事を言うなよ、当たり前だろ。脱走だって、まだ諦めた訳じゃないからな」
ようで御座いますか……」

 おうぎは一つためいきを吐いた。

「そうはおっしゃいますが、帰る当ては御座いますか? 同じ国ならばいざ知らず、海の向こうなのですよ? 御無理はなさらず、すうな巡り合わせもまた人生と、運命に導かれた土地を第二の故郷と考え、新しい使命に尽くす中に意義をみいすことは出来ませんか?」

 !

「ふざけるな!!」

 わたるは車体を震わせる勢いで怒号を上げた。
 まだかいふくし切っていない体がきしんだが、その痛みを忘れる程に許せない言葉だった。

「いきなりさらっておいて、もう帰れっこないからここで生きろだと? おれの、おれ達の人生は貴様らのおもちゃじゃない! 何が革命、こうこく打倒だ! ふざけるのも大概にしろ!!」

 まくてたわたるは痛みを堪え切れなくなり、呼吸を乱した。
 少しの沈黙が車内に流れる。

「成程。全くもって、仰る通りかと。わたくし貴方あなたことに、全面的に同意いたしますよ」

 おうぎは意外な言葉を残して車を降り、後部座席の窓を開いて車外からわたるを見下ろす。

「一つ条件をんでいただけるなら、貴方あなた達をお助けしましょう。お体は痛むでしょうが、少々わたくしにお付き合いくださいませんか?」

 突然の言葉に事態を飲み込めないわたるは、おうぎの顔をただじっと見上げていた。
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