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03.はめられたラキシス

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 五年ほど前にラキシスは侯爵嫡男のヘンリーと婚約した。
 縁談は侯爵家からの申し入れだった。
 ラキシスの家は伯爵家だが、農業を中心に堅実な領地運営をしている。
 大きく儲けが出ることはないのだが、
「昨今は戦争続きで食糧需給が安定している我が家と縁を繋ぐのを侯爵様が望まれたのです」
 ラキシスの言葉にアルバートは神妙な表情になった。
 他意はないが、軍人のアルバートはそう感じないかも知れない。
 ラキシスも横にいたクレマンもヒヤリとしたが、アルバートは言った。
「それは懸命な判断だな。続けてくれ」
「は、はい」
 焦りながらラキシスは再び語り出す。

 ラキシスとヘンリーの仲は悪くも良くもなかった。
 自分もヘンリーに強い愛情は感じなかったが、ヘンリーもそこは同様だろう。
 しかし仲は悪くはない。
 互いに貴族の子供として政略結婚は「するもの」であると理解している。
 既定路線にわざわざ波風立てるつもりはヘンリーにもラキシスにもなかった。
 ラキシスは両親のいる領地で育ち、一方ヘンリーはこの王都で育ったため、交流は年に数回程度しかなかったが、それも互いに気を遣い合い、ほどよい関係を築いていたと言っていい。
 だが、一つ年上のヘンリーが学校を卒業し社交界に出入りするようになると様子が一変した。
 遅れて社交界デビューしたラキシスが結婚や社交のために王都の屋敷に暮らすようになった頃には二人の距離はかなりギクシャクしていた。
 ヘンリーは多忙とかで、離れて暮らした時期より顔を合わせない。

 ラキシスは堅実なアルティス伯爵の娘らしく、あまり華美なものは好まない。
 それがヘンリーには地味に見えるらしかった。
 滅多にない顔合わせの時も小言を言うようになった。
「君は地味だね。もう少し女性らしく華やかな方がいいよ」
 ラキシスはドレスに流行を取り入れ、アクセサリーを新調したりとヘンリーの気持ちに添うよう努力したつもりだったが、ぱったりアルティス家への出入りが途絶えた矢先、ヘンリーから婚約解消を言い渡されたのだ。

 元々二人の婚約は格上の侯爵家からの申し入れで、慰謝料も支払うという。
 アルティス家に拒む理由はなく、出来もしない。
 こうしてラキシスとヘンリーの婚約は解消された。

 それから一月も立たずにヘンリーはシリス公爵家の令嬢リディアと婚約した。
 おそらくはリディアとの結婚話が出て、ヘンリーは、というより侯爵家はラキシスからリディアに乗り換えることにしたのだろう。
 気分は良くないが、身分が物言う世界では良くあることでもある。
 リディアはヘンリーが好む華やかな美人だ。
『仕方ない』
 とラキシスは元婚約者の不実な心変わりを受け入れた。

 しかし、しばらくして社交界に妙な噂話が立った――。


「それが、あの噂か」
 アルバートの呟きにラキシスは首肯した。
「はい」
 アルティス伯爵家のラキシスはとんでもない悪女で、愛し合う恋人達を引き裂き別れさせた。しかし恋人達は誤解を乗り越えて何とか復縁しついに婚約したのだ。
 そんな事実とはまったく真逆の噂話が囁かれるようになった。

 ラキシスも家族もあわてて否定したが、噂は収まらない。
 アルティス伯爵家に近しい人が「くれぐれも内密に」という条件で教えてくれたのは、この噂の出所は王太子だそうだ。
 ラキシスからリディアに乗り換えたヘンリーそしてリディアに対し、当初世間の風当たりが少々強かった。
 良識ある年上のお偉方が眉をひそめ、苦言を呈したのだ。

 そんな中、王太子が言った。
 王太子はリディア公爵令嬢と幼なじみで友人らしい。
 ヘンリーとも当然知己である。
「君もまあ、とんでもない悪女に掴まったようだね。あんなに大人しそうな顔をしてラキシス嬢も大した人だ」
 王太子はおそらくは冗談でそんな話を口にして場を和ませようとした。


 だが王太子の「冗談」はまたたく間に社交界に広がった。
 なにせ王太子が語る噂話だ。
 多くの人はラキシスが見かけ通り気弱な女性で悪女などではないことも知っている。
 アルティス伯爵家はそこまで強い影響力を持つ家ではない。
 あらゆる意味で生贄の山羊スケープゴートに相応しかった。

 ラキシスはあっという間に『悪女』となった。





 ***

「そうであったか」
 話を聞いたアルバートは深々と嘆息した。
「ラキシス嬢」
「は、はい」
「ひどい誤解をして済まなかった。謝罪しよう」
 そしてアルバートは頭を下げた。
 ラキシスは目を見張る。
 そんなことを言われたのはこの数ヶ月で初めてだ。
 ヘンリーも親の侯爵も「仕方がない」「縁がなかった」と繰り返すだけでついにラキシスに対する謝罪は口にしなかった。

「も、勿体ないお言葉です」
「何とかラキシス嬢の言われなき醜聞、晴らしてやりたいが、いかんせんこの私が動いても消えることはあるまい」
 アルバートは王族だが、噂の出所は王太子とアルバートより立場が上だ。
 王には王太子以外にも子はいるが、嫡子は彼一人でいずれ王になると決まっている。
 何より彼は社交界の人気者で絶大な影響力があるのだ。
 彼が一言言えば白いものでも黒くなる。

 ――ラキシスの噂話がそうだったように。

「求婚もそういう事情であれば取り消さざるを得ん。なかったことにして欲しい。しかしクレマン卿」
「はい、殿下」
「ラキシス嬢の次のお相手は決まっているのかね?」
「縁談は……何処からも申し入れは……」
 実はあるにはあるが、後妻や明らかに金目当ての家ばかりだ。ラキシスが不幸になるのが目に見えている。

「なるほどな。せめてもの詫びに私にラキシス嬢の縁談を調えさせてくれないか?」
「殿下が?」
「ああ、私と同じように青春を戦場で過ごし、婚約者もないのが数名いる。中には伯爵家の嫡男もおる。いずれか気に入った者を選ぶがいい」
「気に入った者……」
 ラキシスは当惑するが、アルバートは淡々と次のラキシスの縁談の話を始めた。

「皆にああ言った手前、ラキシス嬢と私の婚約は表向きは進めねばならない。だが私はすぐに次の相手を見つけその女性と結婚する。ラキシス嬢は不実な私に捨てられるが、真摯に愛する相手に慰められ幸せな結婚を果たす。こういう筋書きだ。汚名は私と『彼女』で引き受ける。ラキシス嬢がこれ以上傷つかぬように努力しよう」

 クレマンがアルバートに問う。
「殿下は先程ラキシスに求婚なさいました。お気が変わられたのでしょうか?」
 アルバートは頭を振って否定する。
「いや、気が変わったのではない。ラキシス嬢では私の求める条件に合わぬのだ」
「条件とは?」
 アルバートはそれに答えず、テーブルの上に置いたベルをチリンと鳴らす。

 すぐにやって来た執事と続く従僕は両手に食べ物の載った皿を持っていた。
 サンドイッチや一口大に切ったローストチキンなど女性でも食べやすい軽食がプレートに載っている。
「私のせいで食いっぱぐれただろう。夜食を用意した」

 アルバートは「飲まないか?」と二人に酒も勧め、クレマンはワイングラスを受け取る。
 ラキシスは酒ではなく暖かい紅茶を貰った。
 緊張していたせいで分からなかったが、随分お腹が空いていたようだ。
 食事はことのほか美味しく感じられた。

「先程の答えだが……」
 食事をあらかた片付けた後、アルバートは口を開いた。
 ラキシスとクレマンは再び居住まいを正し、アルバートの答えを待った。

「私は悪女と結婚したいのだ」
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