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第弍章
十、恭仁京姶良
しおりを挟む『それは有り得ない』
ぴしゃりと壮介は断言した。
『私達は幼少期からの知り合いだが、健は昔からこんなだし、私は代々続く民間陰陽師の子孫だ』
『こんなってなんだよ!』
文句を云う健司の口を手で塞ぎ、話を進める。
『私達はお互いを知っている。そんな御大層な恭仁京姶良様なんかではない』
『……フッ』
美舟は小さく笑った。
『何が可笑しい?』
『済まない、詫びをする』
軽く頭を下げると、美舟は立ち上がった。
『話はした。今後六徳会が接触してくるやもしれん。そうなればお前達だけでは太刀打ち出来んだろうから、遠慮せず大老會を頼ってくれ』
『また私達を巻き込むのか?』
『そういう星の元に産まれてしまった、と云うことだ。諦めるんだな』
『!?』
『それと、姶良は過去の記憶が無い』
『……』
嵐のように去って行った美舟を見送りもせず、壮介と健司はリビングのドアを見詰めたまま暫く呆けていた。
先に口を開いたのは健司。
『眠くなる話だったな』
『……お前だけな』
『で、あの人は何しに来たのさ?』
『事情を話したんだから今後は無関係ではない、自分達のことは自分達で責任を持て……って所だな、きっと』
あっそう――と健司はテーブルに突っ伏した。
『体調が悪いなら部屋に戻れ』
まだドアを見たままの壮介。
『なぁ、壮介?』
『何だ?』
『……お腹空いた』
盛大な溜め息が聞こえる。
『本当、自由だよな……』
重い腰を上げてキッチンに移動するが、すぐに戻って来た。
『食材を切らしている。買ってくるが何が良い?』
『……任せるよ……』
テーブルに突っ伏したままだ。
『健? 本当に大丈夫か?』
『大丈夫、いってらっしゃい……』
『……ああ、すぐ戻る』
小走りで玄関に移動する足音。
ガシャンと鍵を掛け、壮介は買い出しに出た。
『何なんだよ……』
頭の整理が出来ない。
大老會とも陰陽師ともかけ離れた場所にいた健司にとって世界が違い過ぎる、いきなり当事者だと云われても突然のことに誰よりも困惑するしかないのだ。
きっと壮介ときちんと話し合うべきだが、とにかく今は一人になりたかった。
ヨロヨロとソファーに移動し、倒れるように横になる。
ほんの一時間程度座っていただけなのに、身体に残っていた力を全て持って行かれたように怠い。
目を瞑れば一瞬で眠れるだろう。
だが、健司はうっすらと目を開けたまま窓の外を眺めた。
ここずっと外に出ていない。
太陽はキラキラと輝き、夏の暑さを人間に知らしめている。
窓を開ければ蝉の鳴き声が五月蝿いだろう。
向日葵や夏の植物の蒼さが目に鮮やかに映るだろう。
ただ何も考えたくない、今だけは。
『……』
冷房の音が僅かに聴こえてくるだけで、シン静まった部屋に、パタパタパタ――と足音らしき音が耳に入ってきた。
――何だ、廊下を走るな。
随分と軽い足音だ。
――あれ?
壮介ではない。
――誰だっけ?
ドアをゆっくりと開け、足音の主はリビングを覗きこんで様子を窺っているようだ。
そこからではソファーで横になっている健司の姿は見えまい。
意を決してするりと中に入ると、パタパタパタと近付いてくる。
ここに健司がいることを知っているようだ。
――誰?
不思議と怖くはない。
顔を見れば知っている気がした。
足音の主はこちらに回って来て、そっと健司の顔を覗き込む。
『にぃに?』
『!?』
目を見開くと、そこには広い和室が広がっていた。
――あれ?
布団に寝かされた少年は飛び起き、身体の痛みに顔を歪める。
『にぃに!』
『きゅううう?』
幼い子供が泣いている。
白い仔犬が哭いている。
『あ……』
記憶が混乱していた。
――ここはどこだ?
――この子達は誰だ?
――僕は誰だ?
『にぃに、無理しちゃ、メッよ』
『うん……』
――誰だっけ?
『にぃに、ここにいちゃ、メッよ!』
『うん……』
顔を見れば分かると思ったのに、全く思い出せない。
長い髪の毛の幼児。
桃色の可愛らしい着物に大きなリボン。
――誰だっけ?
『にぃに』
――……。
そもそも自分のことすら分からない。
『にぃに、メッなの、メッ!』
――……?
『とぉっても怖いおばけが来るから、ここにいちゃ、メッなの!』
――そうだね、だから守ってあげるね。
『にぃに、メッよ!』
――僕はお兄ちゃんだから、守ってあげる。
『にぃに……』
うんうん呻いていると、少年はまた眠りについた。
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