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五章 ローレル迷宮編
待ち続けた時
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二人の女が肩で息をしている。
まだ、生きておる。
凄まじい。
若は厳密にはヒューマンじゃが、枠としては人間側。
傍でずっと若を見てきて、儂は既に人間という生き物の強さを知っていた……気でいた。
強靭な肉体、強大な魔力、特殊な能力によるユニークで予測もつかない戦術。
そして何よりも……諦めない精神。
こやつらの場合は普通の人間よりも遥かに長い時間を生きているというのもあるかもしれぬが、どこまでも折れん。
これが人間か。
相手が自分たちよりも遥かに強い力を有していても、勝つ事も抗う事も決して諦めない。
儂は、望まぬ血を流し若に心配をかけてしまうかもしれないと思ったあの瞬間から手加減をやめた。
言うまでもなくここは相手の拠点であり、かつ儂も澪も若も今回はこの層に来た瞬間から大規模な術を発動させている。
決してまともな状況で相対しているとは言えぬし今全力を発揮できているとも言えぬ。
じゃが、戦場などというものは元来万全な状況で臨める保証などない場所。
そこに不満をぶつけるようでは半人前以下じゃ。
何故ならそれも互いの実力であり、運。
そして儂は本気で奴らを敵と認め、戦い。
それでもまだ仕留められずにいた。
「幻術幻術幻術。しかも接近戦もこっちを圧倒するってどういう事なのって話よ」
「まったくです。ほんの少しでも気を抜くとあっという間に幻に呑まれて勝負がつく。のらりくらりやる隙もくれない。最悪な相手」
嫌がってくれる程度はせんと散々仕掛けとる儂の方が泣きたくなってくるわ。
初見では若さえ呑んだ幻霧、更には識を見ておって使い方を覚えた幻術。
それに通常の属性魔術による攻撃。
無論体術に剣術も駆使しとる。
何もかもを叩き込んでおるのに、抵抗し解除し距離を作り。
この二人は儂の前に立ち続けた。
そればかりか。
「まさかそちらの僧侶まで弓を扱うとはの。見事に騙してくれたではないか、ん?」
そう。
儂は更なる反撃も許し、傷も負った。
ギネビアという女はサポートと至近距離での殴打の専門かと思っておった。
だがこの女は儂の意識が自分から逸れた一瞬に、相棒のハクが手放した弓矢を一瞬の内に蹴り上げると、まるで若でも見ておるようなそっくりの構えで儂を射抜いた。
威力も十分。
狙ったのかどうかは知らぬが相棒が儂を貫いたのと同じ場所に矢を突き刺してくれた。
最初の乱打といい、その次の骨折狙いの関節技といい。
こやつの僧侶らしからぬ予想外の攻撃にはやられっぱなしじゃ。
まあ全て治癒したし、当然タダで受けてやったのでもない。
報酬は少しずつ払ってもらっておるがな。
その結実が今の辛そうな二人という訳じゃ。
「だったら、少しはダメージがわかるようにきつそうにしてもらいたいですね」
「なるほど、道理じゃ。では次はそんな幻でも見せてやろうか」
「……」
二人の抵抗のパターンとそもそもそれに消費する魔力。
前者は観察と、時にこちらが負うダメージの代償として探らせてもらった。
大方は把握済みじゃ。
といってもこの二人の事、どこかに罠は仕込まれているかもしれんし油断はせん。
後者は戦いが長引いた分だけ消費されていく。
ようやく底が見えてきたという所かのう。
呆れかえるばかりじゃが、この二人の魔力は勇者とどっこいどっこい。
魔力の使い方と管理が異様なまでに上手いんじゃな。
だから儂も一時は両者ともに識と同じかそれ以上の魔力を持っておるように錯覚さえした。
「沈黙は時にわかりやすい答えをくれる。そう、例えば貴様らの敗着の時が近い、とかな」
「……竜の癖に。それも上位竜ならもう少し大雑把でわかりやすい攻撃に終始してくれないと困るんだけどー」
ハクの口調は相変わらず余裕があるように見受けられる。
どれだけ追い詰められてもダメージを負っても。
この娘の様子は変わらなんだ。
人の精神はかくも強靭に育て上げられるものなんじゃな。
「ふくく、それでは儂は今頃貴様らの足元に転がっておろう。冗談抜きに貴様らなら二人で上位竜を狩れるからのう」
……その気の若なら一人で鼻唄交じりでやるじゃろうが。
劣る力を技と経験で補って勝つという一面で見ると、この二人は明らかに若に勝るモノを持っておる。
特に連携については最早磨き上げ極められた芸術の領域じゃ。
「それドマ君にも言われた」
ギネビアは疲れを目に宿しながらも常に冷静さを失わない。
儂の幻術を二人分処理し続けて尚儂を観察し、今この時でも最善の一手を模索している。
回復も支援も迅速丁寧、センスも抜群。
隙あらば拳で攻撃をも担う。いや、弓もか。
更にはハクの素直で高精度極まった攻撃を最大限に活かす強かさ。
強かった、本当に。
「あのニート竜に言われても嬉しくないけどこの人に言われても嬉しくない。場合によっては英雄に向けるレベルの賛辞の筈なのに何故ぇ?」
「しばらく寝ておれ。それで全て終わる」
「……いよいよ、やれる事は全力特攻を残すばかりかしらね」
「踊弓――っ!?」
「セプテントリオン、じゃったな?」
不意打ち気味にハクの手が閃き、鞭が七本の光の矢を撃ち出す。
今の儂には現実を幻に消す力は使えん。
しかし逆ならば。
幻に一時の現を与える事ならば可能。
現すのは七本の矢。
幻霧が実体を得た矢となってハクから放たれた七本の矢と全く同じ軌道を儂の方から辿り、相殺。
記憶の中で何度も放たれたスキル、しかも現実でも一度見ている。
再現するのは容易い事。
「スキルのコピー!? なんていんちき!!」
「標的の魔脈を七か所破壊する高火力スキル。全弾ヒットなら倒しきれずとも相手の魔術を封じる。凄まじく便利じゃな、頼りにするのも頷ける」
「っ、そう……記憶。そういう事か。とんでもないの相手にしちゃったかー」
ハク=モクレン。
直感混じりの洞察力も研ぎ澄まされておる。
「連携を乱せずとも戦う手段はいくらでもあるという事じゃな。そして、斬る方法もな」
「――! 幻!?」
ギネビアの目前に儂が現れる。
そう、一瞬で看破された通り幻じゃ。
しかしその刃だけは実体化してある。
人を相手にするのにいくら長けておってもこれならば。
こやつなら対応したとて驚かんが、さて。
「あ、これずる!」
実体化の可能性を察したのか咄嗟に腕を取り刀を無力化するつもりか。
見事、されど反射じゃな。
腕を触れずすり抜けた事で事態を察するが時既に遅し。
刀が僧衣を裂き、肩口を大きく斬った。
「異神の祝癒!!」
……そして殆ど隙なく自身を癒す。
斬られた瞬間の対応でさえこれじゃ。
まったく、一秒にすら満たん隙しか作れんとはゆっくりはさせてもらえん。
ギネビアが回復に集中するほんの一瞬の間に。
先ほど幻を出現させたのよりも速く儂は二人の間に到達する。
これまでずっと隠しておいた瞬足。
縮地目指して修業を続けていてほんとに良かったのう。
刹那の時間にしみじみと考えつつ、ハクとギネビア二人のうなじに指を添える。
直接触れ、虚をつき、かつこれだけ魔力を削った今ならば可能。
「五里霧」
随分劣化しとるが、今の儂の奥義の一つじゃ。
もともとは対軍用に温めとったもんじゃが、こやつらはそこらの大軍よりは余程骨があった。
構わぬさ。相応しい相手よ。
眠りに落ちゆっくりと崩れ倒れた二人を横目に儂は大きく息を吐く。
まごうことなく強敵じゃった。
手加減したままでも、湧き上がった怒りのままでもこの勝ちに繋がったとは思えん。
……賢人か。
学ばせられるのう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「六夜さんが拘束、ハクさんとギネビアさんが負け、緋綱さんが時間稼ぎ途中に昏倒!? んでもって一番先に勝ちを決めて他の救援に向かう筈のピクニックローズガーデンが膠着状態って……マジか」
必勝に近い布陣が何故か全く異なる結果に結びついていっている。
絶望的といって良い。
幾つものモニターと数値が伝えるそれらを一人の男が冷や汗を流しながら処理し続けている。
「ピオーネが落ち着くまで、それと上のゴタゴタが片付くまで待っててくれりゃこんな戦いそもそも起きてなかったのに!」
とうとう溜まっていたものが溢れ出したのか、彼、馬門高嶺は目の前の机を叩く。
この世界では珍しいステンレス製らしき材質の机。
これとこれまた安っぽそうなデスクチェアが高嶺のお気に入りだった。
おかげで彼のいる部屋はどこか現代日本を思わせる不思議な空間に仕上がっている訳だが。
「大体、あの人は一体何してるんだよ! マリコサンからの情報じゃもうとっくに転移陣に乗ってるはずだ!」
「それは俺も聞きたいよ。まったく、何故だか直行で来れなかったんだが?」
「んな訳ないでしょうが! 身内には安心安全最速の直行便の利用権を開放してるんだから!」
「だからそれが使えなかったんだ。おかげで白鴉の能力を使って何とかここに飛んできた」
「あのねえ!! ……え?」
「や、高嶺君。久しぶりだね。急にここから緊急連絡が入ったから急いで戻ってきたよ。上の、カンナオイも随分とキナ臭い様子だったがひとまずは帰還を優先した」
「ア、アズさん!?」
「ああ。で、お客かね? しかもどうやら戦いになってるようだ」
「ええ、ええ! だから呼んだんだ。六夜さんも他の皆さんも、貴方もいないと対応できそうにないって」
「……ふむ。随分と少人数での侵入。しかも、君に気付かれずこの層全体に強大な結界魔術を施す程の相手か」
「そう、とんでもない連中なんです! ……え、結界、魔術?」
高嶺が突如部屋にいたもう一人の男に驚き、そして彼が話す内容にもう一度驚いた。
「うむ。どんなものかまではわからないが、気付かせない事に最も気を遣って施されている。効果はこの層への侵入妨害と、幻の類かな。しかし見た感じ効果はさっぱりだな。意図が読めん」
「馬鹿な。この層、いやこのヤソマガツヒの牢宮で俺が把握できない術の行使なんて!」
「余程の強者揃いという訳だ。真正面からここを落とす気ならそれを叶えられる程の。なるほど、俺の力も必要という訳か。納得した」
うむうむと頷く全身を甲冑で包んだ男。
落ち着いている。
反対に高嶺の方は手元のキーボードを忙しくたたき始める。
彼の正面には日本人ならば見慣れたパソコンのキーボードに酷似したデバイスがあった。
「くそ、くそ!! どこだどこだどこだ! 一体何を仕掛けられた!?」
「やれやれ、となれば俺はまず六夜と合流か。この条件下、こちらを殺さずに戦いを収めようとする敵か。六夜の説教も怖いが、さて何が出るか」
騎士の肩にどこからか飛来した白いカラスが留まる。
何事か顔を横に向けて呟くアズノワール。
その直後、彼の姿が薄暗い部屋から消えた。
「おっと、こいつは六夜のお伽の歯車。だが、どういう訳かあいつがいない?」
「この私を……こんなやり方で苦痛と屈辱を、この空と大地をつ……いえ私はそんなモノじゃありません、そう若様の従者であるこの私をよくも……あの男、六夜……」
転移を遂げたアズノワールが見たのは正面で見知った能力で高速された黒髪の女性。
若干病んで、いや様子がおかしくなってはいたが。
長く艶やかな髪と着物が魅力的な和服美女だった。
「……六夜の奴、これに捕まって平気な女性にこんなに想われるとは」
なんとも言えない表情で固まったアズノワールが苦笑を漏らす。
「お前」
「っと、なんでしょうお嬢さん」
「この歯車を壊したら……殺しますよ」
行動するまでもなく見つめただけで人を殺せそうな澪の視線がまっすぐ騎士に注がれる。
「ああ、それは見た瞬間から察している。とんでもなく強いが、複雑な事情もお持ちみたいだ」
「……ええ。だから放っておきなさい。正直な話、もしも今この拘束から望まぬ解放をされたら。私、自分を抑えられる自信がまったくありません」
「では交換条件で。六夜という男は知っているようだが、あれは今どこに?」
「そこらを走り回ってます……いえ、ました、ですね。ふふふ。よりによって若様と遭遇しましたか。おバカ」
「! どうやら、俺は急ぐべきだな」
アズノワールの姿が再度掻き消える。
「あれが彼らの待っていた切り札、ですか。おそらくそうでしょうね。だって外からここに入ってきたんですもの」
若干正気を取り戻した澪が思案する。
「なら若様が仕掛けた術にも気付いた? だとしても、こちらの切り札もそろそろですし別に構いませんか。ああ……早くこの歯車消えないかしらね」
けれど最後の一言は再び口から闇を吐くが如き響きに変わりつつ。
「でも六夜、若様相手にどこまでもつかしら。二発もったらお仕置き少し優しくしてあげようかしら。そうね、ポッキーくらいは除外してあげましょうか」
無邪気な口調でじきにつくであろう決着の予想をする澪であった。
「君はいつからモグラにジョブ替えしたのかね、真君!?」
「や、話せば長くなるんですが。いわゆる、かべのなかにいる、ってのをされまして」
「……いやいやいや、物事には限度ってものがあるだろう?」
地面を突如突き破って出現した人の頭。
その正体を見て六夜は思わず怒鳴った。
多分に何でそれで平気なんだという疑問を込めて。
そしてその人物は荒唐無稽な事を口にして苦笑いすると。
軽やかに飛び出して全身を土の中から出して大きく伸びを一つ。
「積もる話は戦いの後にするとして。貴方が無事で動き回ってるって事は澪は良くない状況にいるって事だ」
「……」
「落とさせてもらいます」
瞬時にして纏う気配を変えた男、侵入者の首魁である真が六夜に宣言した。
「ち、君の相手は良いのを選んであるんだがな!」
戦闘か逃走か。
自身の力と真の力を比較して六夜が瞬時に答えを出す。
逃走だ。
何しろ相性が悪すぎる。
既に顔を突き合わせた状況から彼が真に出来る事は殆どない。
パーティ単位での戦闘を想定してすらそれだ。
この一対一という現状に照らし合わせて六夜が考えた結論は、ゼロ。
ならば無茶でも無謀でも彼から逃れ、他の戦場に救援に向かうのが最良の選択。
「影国散」
凄まじい初速で距離を稼いだ六夜が得意の気配絶ちを試みた一瞬。
腹から全身に走る強烈な痺れに彼は顔を顰めた。
六夜が地を蹴り瞬時に距離を稼いだ時間に、真は弓と矢を手にして狙いまでも定めていた。
スキル発動を祈った暗殺者の祈りは届く事なく。
その腹部を矢が貫いていた。
「……」
「く、そ……やはり駄目、かね」
「一応、捕縛用の麻痺矢にしときました。ちょっと休んでてください。この戦いも、もう終わりですから」
「それは、どう、だろうな。一応、こちらの、切り札の方が、先に、出てきたみたいだが」
中空で射落とされた六夜がそのまま落下して鈍い音をさせた。
何度かもがくが、満足に体が動かないようだ。
だがその後何者かの気配を察したのか、小さく溜息を吐き、そして真の言葉に抵抗の意を示してみせる。
次いで真も気配を探り、そして姿を現した者に目を向ける。
「真打ち、ですか」
「そういうには少々遅刻してしまったようだけどな。俺はアズノワール、君は? あの黒髪の美人さんのお知り合いかな」
「ええ。クズノハ商会の代表、ライドウです。貴方がたには深澄真と名乗った方が良いかもしれません」
「クズノハ……ライドウ……。そうか、君が。数奇な出会いもあるものだな。あくまで俺の個人的な感情にすぎんが、出来る事なら君とは違う出会い方で関係を始めたかったよ」
「僕も、始まりの冒険者の皆さんには恨みなどありませんよ。わだかまりがなくなれば、きっと上手くいく。今でもそう思ってます」
「とはいえ今の君は俺の仲間を傷つけ身内の拠点を攻撃する敵だ。となれば」
アズノワールが片手で持った奇妙な形の大剣を真に向ける。
「もう少しだけ待ってもらえませんか。それでこの戦いは終わる」
「君たちの目論見はわからんが、それはどうだろうな。そも、戦いを望まない君らがこうして戦いに身を投じているのなら、そこには双方か、または片方にそれなりの理由がある。すべてを丸く収める方法が、常にあるとは限らないぞ?」
騎士から放たれる戦意と闘気が、真に向けられたまま右肩上がりに高まり続けていた。
「僕らはこの戦いの核となる理由を知った。だから対策を練った。アズノワールさん――」
「そこに、俺が」
「?」
「俺が君に剣を向ける理由は含まれていたか? 君のいうソレだけを解消したとて戦いの中で戦いを続ける理由は生まれていく。現に俺は今、身内を傷つけられた一人の騎士として君に相対し剣を向けている。大本の理由は知らぬままな」
「……」
「改めて、俺は獣騎士アズノワール。巷じゃ色々言われてるが、本気でやる相手にはちゃんと伝えとかないと失礼だからな。クズノハ商会ライドウ、君を侵入者として……」
「きた、とうとう折れた」
騎士の名乗りを聞いていた真の表情が唐突に喜色に染まる。
「ん?」
「アズノワールさん。確かに僕らは貴方の仲間を傷つけもした。でも! 会話と交渉を望んだ僕らに問答無用で襲い掛かってきたのはピクニックローズガーデンの方です。まずは事情を聞いて下さい。僕らの事情、お仲間の事情、どっちもです!」
「……」
「誰も死んでません。僕らはこの戦いで誰も殺してないんです。まだやり直せるはずだ。違いますか!」
「事情か。君らの事情については何となくわかるが……確かにこちらの面々がクズノハ商会を殺しにかかる理由は俺はまだ知らんな」
「はい」
「……わかった。どうやら君らの時間稼ぎも実を結んだようだし、まずは話を聞くとしよう」
愛剣を背にしまうとアズノワールは穏やかな表情で真に向けて頷いた。
クズノハ商会と迷宮の守護者の短くも苛烈な激戦はようやく終息を迎えようとしていた。
まだ、生きておる。
凄まじい。
若は厳密にはヒューマンじゃが、枠としては人間側。
傍でずっと若を見てきて、儂は既に人間という生き物の強さを知っていた……気でいた。
強靭な肉体、強大な魔力、特殊な能力によるユニークで予測もつかない戦術。
そして何よりも……諦めない精神。
こやつらの場合は普通の人間よりも遥かに長い時間を生きているというのもあるかもしれぬが、どこまでも折れん。
これが人間か。
相手が自分たちよりも遥かに強い力を有していても、勝つ事も抗う事も決して諦めない。
儂は、望まぬ血を流し若に心配をかけてしまうかもしれないと思ったあの瞬間から手加減をやめた。
言うまでもなくここは相手の拠点であり、かつ儂も澪も若も今回はこの層に来た瞬間から大規模な術を発動させている。
決してまともな状況で相対しているとは言えぬし今全力を発揮できているとも言えぬ。
じゃが、戦場などというものは元来万全な状況で臨める保証などない場所。
そこに不満をぶつけるようでは半人前以下じゃ。
何故ならそれも互いの実力であり、運。
そして儂は本気で奴らを敵と認め、戦い。
それでもまだ仕留められずにいた。
「幻術幻術幻術。しかも接近戦もこっちを圧倒するってどういう事なのって話よ」
「まったくです。ほんの少しでも気を抜くとあっという間に幻に呑まれて勝負がつく。のらりくらりやる隙もくれない。最悪な相手」
嫌がってくれる程度はせんと散々仕掛けとる儂の方が泣きたくなってくるわ。
初見では若さえ呑んだ幻霧、更には識を見ておって使い方を覚えた幻術。
それに通常の属性魔術による攻撃。
無論体術に剣術も駆使しとる。
何もかもを叩き込んでおるのに、抵抗し解除し距離を作り。
この二人は儂の前に立ち続けた。
そればかりか。
「まさかそちらの僧侶まで弓を扱うとはの。見事に騙してくれたではないか、ん?」
そう。
儂は更なる反撃も許し、傷も負った。
ギネビアという女はサポートと至近距離での殴打の専門かと思っておった。
だがこの女は儂の意識が自分から逸れた一瞬に、相棒のハクが手放した弓矢を一瞬の内に蹴り上げると、まるで若でも見ておるようなそっくりの構えで儂を射抜いた。
威力も十分。
狙ったのかどうかは知らぬが相棒が儂を貫いたのと同じ場所に矢を突き刺してくれた。
最初の乱打といい、その次の骨折狙いの関節技といい。
こやつの僧侶らしからぬ予想外の攻撃にはやられっぱなしじゃ。
まあ全て治癒したし、当然タダで受けてやったのでもない。
報酬は少しずつ払ってもらっておるがな。
その結実が今の辛そうな二人という訳じゃ。
「だったら、少しはダメージがわかるようにきつそうにしてもらいたいですね」
「なるほど、道理じゃ。では次はそんな幻でも見せてやろうか」
「……」
二人の抵抗のパターンとそもそもそれに消費する魔力。
前者は観察と、時にこちらが負うダメージの代償として探らせてもらった。
大方は把握済みじゃ。
といってもこの二人の事、どこかに罠は仕込まれているかもしれんし油断はせん。
後者は戦いが長引いた分だけ消費されていく。
ようやく底が見えてきたという所かのう。
呆れかえるばかりじゃが、この二人の魔力は勇者とどっこいどっこい。
魔力の使い方と管理が異様なまでに上手いんじゃな。
だから儂も一時は両者ともに識と同じかそれ以上の魔力を持っておるように錯覚さえした。
「沈黙は時にわかりやすい答えをくれる。そう、例えば貴様らの敗着の時が近い、とかな」
「……竜の癖に。それも上位竜ならもう少し大雑把でわかりやすい攻撃に終始してくれないと困るんだけどー」
ハクの口調は相変わらず余裕があるように見受けられる。
どれだけ追い詰められてもダメージを負っても。
この娘の様子は変わらなんだ。
人の精神はかくも強靭に育て上げられるものなんじゃな。
「ふくく、それでは儂は今頃貴様らの足元に転がっておろう。冗談抜きに貴様らなら二人で上位竜を狩れるからのう」
……その気の若なら一人で鼻唄交じりでやるじゃろうが。
劣る力を技と経験で補って勝つという一面で見ると、この二人は明らかに若に勝るモノを持っておる。
特に連携については最早磨き上げ極められた芸術の領域じゃ。
「それドマ君にも言われた」
ギネビアは疲れを目に宿しながらも常に冷静さを失わない。
儂の幻術を二人分処理し続けて尚儂を観察し、今この時でも最善の一手を模索している。
回復も支援も迅速丁寧、センスも抜群。
隙あらば拳で攻撃をも担う。いや、弓もか。
更にはハクの素直で高精度極まった攻撃を最大限に活かす強かさ。
強かった、本当に。
「あのニート竜に言われても嬉しくないけどこの人に言われても嬉しくない。場合によっては英雄に向けるレベルの賛辞の筈なのに何故ぇ?」
「しばらく寝ておれ。それで全て終わる」
「……いよいよ、やれる事は全力特攻を残すばかりかしらね」
「踊弓――っ!?」
「セプテントリオン、じゃったな?」
不意打ち気味にハクの手が閃き、鞭が七本の光の矢を撃ち出す。
今の儂には現実を幻に消す力は使えん。
しかし逆ならば。
幻に一時の現を与える事ならば可能。
現すのは七本の矢。
幻霧が実体を得た矢となってハクから放たれた七本の矢と全く同じ軌道を儂の方から辿り、相殺。
記憶の中で何度も放たれたスキル、しかも現実でも一度見ている。
再現するのは容易い事。
「スキルのコピー!? なんていんちき!!」
「標的の魔脈を七か所破壊する高火力スキル。全弾ヒットなら倒しきれずとも相手の魔術を封じる。凄まじく便利じゃな、頼りにするのも頷ける」
「っ、そう……記憶。そういう事か。とんでもないの相手にしちゃったかー」
ハク=モクレン。
直感混じりの洞察力も研ぎ澄まされておる。
「連携を乱せずとも戦う手段はいくらでもあるという事じゃな。そして、斬る方法もな」
「――! 幻!?」
ギネビアの目前に儂が現れる。
そう、一瞬で看破された通り幻じゃ。
しかしその刃だけは実体化してある。
人を相手にするのにいくら長けておってもこれならば。
こやつなら対応したとて驚かんが、さて。
「あ、これずる!」
実体化の可能性を察したのか咄嗟に腕を取り刀を無力化するつもりか。
見事、されど反射じゃな。
腕を触れずすり抜けた事で事態を察するが時既に遅し。
刀が僧衣を裂き、肩口を大きく斬った。
「異神の祝癒!!」
……そして殆ど隙なく自身を癒す。
斬られた瞬間の対応でさえこれじゃ。
まったく、一秒にすら満たん隙しか作れんとはゆっくりはさせてもらえん。
ギネビアが回復に集中するほんの一瞬の間に。
先ほど幻を出現させたのよりも速く儂は二人の間に到達する。
これまでずっと隠しておいた瞬足。
縮地目指して修業を続けていてほんとに良かったのう。
刹那の時間にしみじみと考えつつ、ハクとギネビア二人のうなじに指を添える。
直接触れ、虚をつき、かつこれだけ魔力を削った今ならば可能。
「五里霧」
随分劣化しとるが、今の儂の奥義の一つじゃ。
もともとは対軍用に温めとったもんじゃが、こやつらはそこらの大軍よりは余程骨があった。
構わぬさ。相応しい相手よ。
眠りに落ちゆっくりと崩れ倒れた二人を横目に儂は大きく息を吐く。
まごうことなく強敵じゃった。
手加減したままでも、湧き上がった怒りのままでもこの勝ちに繋がったとは思えん。
……賢人か。
学ばせられるのう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「六夜さんが拘束、ハクさんとギネビアさんが負け、緋綱さんが時間稼ぎ途中に昏倒!? んでもって一番先に勝ちを決めて他の救援に向かう筈のピクニックローズガーデンが膠着状態って……マジか」
必勝に近い布陣が何故か全く異なる結果に結びついていっている。
絶望的といって良い。
幾つものモニターと数値が伝えるそれらを一人の男が冷や汗を流しながら処理し続けている。
「ピオーネが落ち着くまで、それと上のゴタゴタが片付くまで待っててくれりゃこんな戦いそもそも起きてなかったのに!」
とうとう溜まっていたものが溢れ出したのか、彼、馬門高嶺は目の前の机を叩く。
この世界では珍しいステンレス製らしき材質の机。
これとこれまた安っぽそうなデスクチェアが高嶺のお気に入りだった。
おかげで彼のいる部屋はどこか現代日本を思わせる不思議な空間に仕上がっている訳だが。
「大体、あの人は一体何してるんだよ! マリコサンからの情報じゃもうとっくに転移陣に乗ってるはずだ!」
「それは俺も聞きたいよ。まったく、何故だか直行で来れなかったんだが?」
「んな訳ないでしょうが! 身内には安心安全最速の直行便の利用権を開放してるんだから!」
「だからそれが使えなかったんだ。おかげで白鴉の能力を使って何とかここに飛んできた」
「あのねえ!! ……え?」
「や、高嶺君。久しぶりだね。急にここから緊急連絡が入ったから急いで戻ってきたよ。上の、カンナオイも随分とキナ臭い様子だったがひとまずは帰還を優先した」
「ア、アズさん!?」
「ああ。で、お客かね? しかもどうやら戦いになってるようだ」
「ええ、ええ! だから呼んだんだ。六夜さんも他の皆さんも、貴方もいないと対応できそうにないって」
「……ふむ。随分と少人数での侵入。しかも、君に気付かれずこの層全体に強大な結界魔術を施す程の相手か」
「そう、とんでもない連中なんです! ……え、結界、魔術?」
高嶺が突如部屋にいたもう一人の男に驚き、そして彼が話す内容にもう一度驚いた。
「うむ。どんなものかまではわからないが、気付かせない事に最も気を遣って施されている。効果はこの層への侵入妨害と、幻の類かな。しかし見た感じ効果はさっぱりだな。意図が読めん」
「馬鹿な。この層、いやこのヤソマガツヒの牢宮で俺が把握できない術の行使なんて!」
「余程の強者揃いという訳だ。真正面からここを落とす気ならそれを叶えられる程の。なるほど、俺の力も必要という訳か。納得した」
うむうむと頷く全身を甲冑で包んだ男。
落ち着いている。
反対に高嶺の方は手元のキーボードを忙しくたたき始める。
彼の正面には日本人ならば見慣れたパソコンのキーボードに酷似したデバイスがあった。
「くそ、くそ!! どこだどこだどこだ! 一体何を仕掛けられた!?」
「やれやれ、となれば俺はまず六夜と合流か。この条件下、こちらを殺さずに戦いを収めようとする敵か。六夜の説教も怖いが、さて何が出るか」
騎士の肩にどこからか飛来した白いカラスが留まる。
何事か顔を横に向けて呟くアズノワール。
その直後、彼の姿が薄暗い部屋から消えた。
「おっと、こいつは六夜のお伽の歯車。だが、どういう訳かあいつがいない?」
「この私を……こんなやり方で苦痛と屈辱を、この空と大地をつ……いえ私はそんなモノじゃありません、そう若様の従者であるこの私をよくも……あの男、六夜……」
転移を遂げたアズノワールが見たのは正面で見知った能力で高速された黒髪の女性。
若干病んで、いや様子がおかしくなってはいたが。
長く艶やかな髪と着物が魅力的な和服美女だった。
「……六夜の奴、これに捕まって平気な女性にこんなに想われるとは」
なんとも言えない表情で固まったアズノワールが苦笑を漏らす。
「お前」
「っと、なんでしょうお嬢さん」
「この歯車を壊したら……殺しますよ」
行動するまでもなく見つめただけで人を殺せそうな澪の視線がまっすぐ騎士に注がれる。
「ああ、それは見た瞬間から察している。とんでもなく強いが、複雑な事情もお持ちみたいだ」
「……ええ。だから放っておきなさい。正直な話、もしも今この拘束から望まぬ解放をされたら。私、自分を抑えられる自信がまったくありません」
「では交換条件で。六夜という男は知っているようだが、あれは今どこに?」
「そこらを走り回ってます……いえ、ました、ですね。ふふふ。よりによって若様と遭遇しましたか。おバカ」
「! どうやら、俺は急ぐべきだな」
アズノワールの姿が再度掻き消える。
「あれが彼らの待っていた切り札、ですか。おそらくそうでしょうね。だって外からここに入ってきたんですもの」
若干正気を取り戻した澪が思案する。
「なら若様が仕掛けた術にも気付いた? だとしても、こちらの切り札もそろそろですし別に構いませんか。ああ……早くこの歯車消えないかしらね」
けれど最後の一言は再び口から闇を吐くが如き響きに変わりつつ。
「でも六夜、若様相手にどこまでもつかしら。二発もったらお仕置き少し優しくしてあげようかしら。そうね、ポッキーくらいは除外してあげましょうか」
無邪気な口調でじきにつくであろう決着の予想をする澪であった。
「君はいつからモグラにジョブ替えしたのかね、真君!?」
「や、話せば長くなるんですが。いわゆる、かべのなかにいる、ってのをされまして」
「……いやいやいや、物事には限度ってものがあるだろう?」
地面を突如突き破って出現した人の頭。
その正体を見て六夜は思わず怒鳴った。
多分に何でそれで平気なんだという疑問を込めて。
そしてその人物は荒唐無稽な事を口にして苦笑いすると。
軽やかに飛び出して全身を土の中から出して大きく伸びを一つ。
「積もる話は戦いの後にするとして。貴方が無事で動き回ってるって事は澪は良くない状況にいるって事だ」
「……」
「落とさせてもらいます」
瞬時にして纏う気配を変えた男、侵入者の首魁である真が六夜に宣言した。
「ち、君の相手は良いのを選んであるんだがな!」
戦闘か逃走か。
自身の力と真の力を比較して六夜が瞬時に答えを出す。
逃走だ。
何しろ相性が悪すぎる。
既に顔を突き合わせた状況から彼が真に出来る事は殆どない。
パーティ単位での戦闘を想定してすらそれだ。
この一対一という現状に照らし合わせて六夜が考えた結論は、ゼロ。
ならば無茶でも無謀でも彼から逃れ、他の戦場に救援に向かうのが最良の選択。
「影国散」
凄まじい初速で距離を稼いだ六夜が得意の気配絶ちを試みた一瞬。
腹から全身に走る強烈な痺れに彼は顔を顰めた。
六夜が地を蹴り瞬時に距離を稼いだ時間に、真は弓と矢を手にして狙いまでも定めていた。
スキル発動を祈った暗殺者の祈りは届く事なく。
その腹部を矢が貫いていた。
「……」
「く、そ……やはり駄目、かね」
「一応、捕縛用の麻痺矢にしときました。ちょっと休んでてください。この戦いも、もう終わりですから」
「それは、どう、だろうな。一応、こちらの、切り札の方が、先に、出てきたみたいだが」
中空で射落とされた六夜がそのまま落下して鈍い音をさせた。
何度かもがくが、満足に体が動かないようだ。
だがその後何者かの気配を察したのか、小さく溜息を吐き、そして真の言葉に抵抗の意を示してみせる。
次いで真も気配を探り、そして姿を現した者に目を向ける。
「真打ち、ですか」
「そういうには少々遅刻してしまったようだけどな。俺はアズノワール、君は? あの黒髪の美人さんのお知り合いかな」
「ええ。クズノハ商会の代表、ライドウです。貴方がたには深澄真と名乗った方が良いかもしれません」
「クズノハ……ライドウ……。そうか、君が。数奇な出会いもあるものだな。あくまで俺の個人的な感情にすぎんが、出来る事なら君とは違う出会い方で関係を始めたかったよ」
「僕も、始まりの冒険者の皆さんには恨みなどありませんよ。わだかまりがなくなれば、きっと上手くいく。今でもそう思ってます」
「とはいえ今の君は俺の仲間を傷つけ身内の拠点を攻撃する敵だ。となれば」
アズノワールが片手で持った奇妙な形の大剣を真に向ける。
「もう少しだけ待ってもらえませんか。それでこの戦いは終わる」
「君たちの目論見はわからんが、それはどうだろうな。そも、戦いを望まない君らがこうして戦いに身を投じているのなら、そこには双方か、または片方にそれなりの理由がある。すべてを丸く収める方法が、常にあるとは限らないぞ?」
騎士から放たれる戦意と闘気が、真に向けられたまま右肩上がりに高まり続けていた。
「僕らはこの戦いの核となる理由を知った。だから対策を練った。アズノワールさん――」
「そこに、俺が」
「?」
「俺が君に剣を向ける理由は含まれていたか? 君のいうソレだけを解消したとて戦いの中で戦いを続ける理由は生まれていく。現に俺は今、身内を傷つけられた一人の騎士として君に相対し剣を向けている。大本の理由は知らぬままな」
「……」
「改めて、俺は獣騎士アズノワール。巷じゃ色々言われてるが、本気でやる相手にはちゃんと伝えとかないと失礼だからな。クズノハ商会ライドウ、君を侵入者として……」
「きた、とうとう折れた」
騎士の名乗りを聞いていた真の表情が唐突に喜色に染まる。
「ん?」
「アズノワールさん。確かに僕らは貴方の仲間を傷つけもした。でも! 会話と交渉を望んだ僕らに問答無用で襲い掛かってきたのはピクニックローズガーデンの方です。まずは事情を聞いて下さい。僕らの事情、お仲間の事情、どっちもです!」
「……」
「誰も死んでません。僕らはこの戦いで誰も殺してないんです。まだやり直せるはずだ。違いますか!」
「事情か。君らの事情については何となくわかるが……確かにこちらの面々がクズノハ商会を殺しにかかる理由は俺はまだ知らんな」
「はい」
「……わかった。どうやら君らの時間稼ぎも実を結んだようだし、まずは話を聞くとしよう」
愛剣を背にしまうとアズノワールは穏やかな表情で真に向けて頷いた。
クズノハ商会と迷宮の守護者の短くも苛烈な激戦はようやく終息を迎えようとしていた。
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