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その声がいつも魂の叫びでありますように

14、他所のおうちに行ったらちゃんと「お邪魔します」って行って、好きな声優が結婚しても、ちゃんと「おめでとう」って言うのよ?

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「ぬわっ」

  ある日の放課後。第二パソコンルームにて。いつものようにネットニュースを見漁っていた柿内君が妙な声をあげる。

 「どしたよ」

  今日は特に零児との約束も、献結の予定もない響季が最近はまっているバターレーズンをもっちゃもっちゃ食べながら訊くと、

 「……《人気声優 文屋真希入籍発表》だと」
 「ええっ!?」

  そこそこのビッグニュースにこちらも驚く。

 「ちょっとあーた、どきなさいよ!」
 「やあのやあの!あんたがもっと端っこ行きなさいよ!」

  そしてキュキュとキャスター付きパソコンチェアを移動させ、オカマちゃんコントを繰り広げながら柿内君と分厚いディスプレイを覗きこむ。
  確かに映しだされているニューストピックには『人気声優入籍発表』とあった。お相手は一般男性とある。

 「うわ、マジで?うわあ、マジで?うわぁ…」

  驚きのあまり、響季は同じことしか言えない。
  胸に広がる、ざわつくいやな思い。
  それは祝福の色をしてはいるが、本質的にはなにかが違った。
  響季自身、特別文屋真希のファンだった訳ではない。実力派ゆえ、最近の若手らしからぬその力量ゆえ、まあ好きな声優ぐらいではあった。
  だからだろうか、なんだか素直に受け止められなかった。
  言い訳めいたことを自分にし、響季が驚きと感情を消化しようとする。
  しかし、隣にいる彼は。

 「…カッキーさん、今の心境を」

  囲み取材の記者がマイクを向けるように、ストローの刺さった500ミリパックジュースを響季が向けてみる。
  柿内君は一息つくと、画面を見たまま、

ボコココッ!

  ストローを咥え、思い切り息を吹き込んでやった。

 「ああああーっ!もうっ!」

  汚いとまではいかないが、ビミョーなブレンドになったジュースを響季が悲しそうに見つめる。
  だが結局は特に気にもせず、ちうと一口飲むと、

 「正直、驚き以外の感想が無い」

  画面を見つめたまま頬杖をつくと、柿内君はそう言った。
  それはやせ我慢ではなく、まぎれもない本心だった。

 「でもファンだったんじゃ」

  彼女が起用されたオシャンティ啓蒙ポスターを貰いに行くよう、親友に頼むほどには興味があったはずだ。
  そのポスターをそこそこ楽しい苦労をして手に入れた響季が訊いてみるが、

 「あれは本当に興味本意だ。あと単純に手に入れたかった。手に入れたらもう興味がなくなった」
 「…なるほど」

  喉から手が出るほどノベルティグッズを欲しがり、手に入れた瞬間からどうでもよくなる響季にはそれがよくわかった。
  釣った魚をそのまま炎天下で放置するように、飢餓感と蒐集欲が埋まればあとはわりとどうでも良くなる。

 「でも結婚とか早くない?いくつだっけ」

  響季がマウスで画面をスクロールさせてみるが、記事には文屋真希の年齢は26歳とあった。

 「早くない、か。26じゃ普通か」

  晩婚が珍しい時代ではないので忘れていたが、十分適齢期ゾーンだ。
  その言葉を聞き、

 「…そうか」

  ずっと考えこんでいた柿内君が呟く。ようやく理解出来たと。

 「なに?」
 「これだけ早い上にわざわざ公表したってことは、きちんと考えた上での結婚かもしれない」
 「考えたって?」

  意味がわからず響季が訊くと、

 「人生設計を」
 「人生…。あー、なるほど」

  女性が人生設計に基づいて適齢期にきちんと結婚する。
  それは行き遅れや諸々のことより、人を生み育てることを念頭に置いている可能性が高い。

 「でも妊娠とかは書いてないよね」

  響季が更に記事をスクロールさせる。
  そこにはファンをがっかりさせたり、CDを叩き割るなどの行為に至らせるような情報はない。
  本来問題なのは妊娠するような行為をしていた、ではない。
  その行為を裏切りと捉える者もいるが、それはあまりにも身勝手だ。問題なのは、

 「産休かぁ」

  言って響季がパソコンチェアの背もたれに背を預ける。
  そんなことはまだ決まってもいない。しかし結婚となるとその可能性は高くなる。
  早い結婚が確実な妊娠、出産、育児だと仮定してみる。
  それが、声優業を投げ打ってでも、だとしたら。

 「だけどまあ、産休よりもっと問題なのは」
 「あー、ですよねぇ」

  柿内君の言葉に響季が同意し、お互い見合う。そして、

 「代役」
 「KA―GE ムーシャ!」
 「何で外すんだよぉ」

  親友の肩を響季が笑いながら小突く。
  せーので合わせようとしてたのに、柿内君は似非外国人のようなテンションで敢えて外してきた。

 「まあそれはいいんですけどさぁ」

  一笑いしたところで響季が腕組みをする。
  産休は別にいい。育児休暇も。
  だが重要なのはその間の代役だ。

  そして思い出す。

  代役声優の声を聞いた時のあの感覚を。
  ずぐんと、キャラクターか、あるいは自分の内臓の位置が変わってしまったのではないかというくらいのあの違和感。
  拭えない、受け入れがたき不安感。
  たとえ代役声優が一生懸命その任を務めても、何かが決定的に違うのだ。
  アニメキャラクターに声を吹き込む。
  それによってキャラクターに命が、魂が宿る。声優とはその魂入れを任されている。そんな職業だ。
  ならば声が変わるということは、魂を入れ替えさせられたようなものだ。
  納得出来ない転生みたいなものだ。
  キャラクターの声がいつもと違う。先週までと違う。
  それはアニメキャラを生きるものとして見る子供ならば、余計にズレを感じるだろう。
  おまけに公式からのアナウンスもほとんど無い。
  どうしちゃったの?こえがちがうよ!ねえ、おかあさん!と子供が聞いても、いち家庭の母親は声優業界になど詳しくないから回答が得られない。
  大人になればある程度事情やからくりがわかってくるが、純粋な子供は違うのだ。
  出来れば味合わせたくないあの感覚。
  そういえば文屋真希はどんなアニメに出ていただろうかと、マウスを操り、響季は代表作、出演作を見てみるが、

 「ゲッ!そーか、アルボン出てるんじゃん。あたしあれ好きなのに」

  コアファン略称のアルドボではなく、一般人向け略称で好きなアニメタイトルを挙げる。
  一般人でもギリギリわかる文屋真希の出演作として、アルコール・ド・ボンバーがあった。
  アルコール・ド・ボンバーは子供達にスマートにお酒というものを教えるアニメだ。お酒の楽しさも、怖さも。
  子供向けアニメだが大人も楽しめるその許されたエアポケットに、響季はまんまとハマっていた。
  文屋真希はそれのビアバスター役として出ていたのだが。

 「やだなあ。産休とかなったら声変わっちゃうのかなあ」
 「ある程度なら録り溜め出来そうだけどな。まあ、もっと可能性として危ういのは」
 「そうだねぇ」

  お互い考えないようにしていた可能性に辿り着く。
  産休ならまだいい。
  だが出産をし、育児休暇、子供の手がかからなくなるまで前線を退く、あるいはそのまま声優業を引退する可能性もあるのだ。
  もう役者としてやるべきことはした、これからはこの子と家族のために生きるのだとばかりに。

 「意外と子供アニメ多いんだよねぇ」

  出演作をさらっていくと、若手ながら文屋真希は一般人でも聞いたことのあるタイトルのアニメが多い。
  萌系ではなく、子供アニメに需要のある声。
  それは子供と接する機会が多く、ならば自分に子供が出来たら第一に、と考えるかもしれない。

 「子供アニメによく出てたから自分の子供を優先にするか、子供アニメによく呼ばれるから声優業は続けてくってこともあるかもな。自分の仕事に誇りを持ってて。こういうのだと深夜アニメみたいに三ヶ月とかじゃなくて半年とか一年単位だろうし。旦那いるなら仕事セーブしても一応は平気だろうし」
 「うーん…」

  柿内君の言葉に響季が難しい顔をしたまま頬を擦る。
  どうにも子供がいないので分からない。
  自分は誇らしい仕事をしていると子供に見せたいか、かつてはしていたと教えるか、もう少し子供が大きくなったら再開するか。
  響季はビアバスターと、そしてラジオで喋る文屋真希が好きだった。
  レギュラー番組を持ってないので、ラジオは専らゲストとして出るだけ。
  クールで飄々としていて、体温が低そうな喋り口調。
  けれど声優という職業が年のわりに落ち着いてない人が多いだけで、単に年相応なのかもしれない。だがその等身大な人柄が、響季は好きだった。

  そして今後はどうなるのか。
  声優業は続けても、ラジオに出る回数は更に少なくなるかもしれない。
  今のところ結婚引退はないらしいが、昔に比べれば声優なんて代謝の激しい業界だ。
  現場を離れている間に新しい声優がどんどん入ってくる。
  仮にそうなった場合、そこに文屋真希は入り込む余地があるのか。

 「なんかやだなあ。素直におめでとうって思えないの」

  例えばアイドル声優が、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組で散々彼氏いねーわー、寂しいわー、結婚してえわー、などという予防線発言をしていた上での結婚ではない。
  だがなんとも言えないこの状況が、不意打ち感が、不安感が、いち女子高生はもどかしかった。

 「なんだろうね、このモヤモヤ。恋かしら」
 「かもなぁー」

  響季の12点のボケに適当に答えた柿内君は、もう興味が薄れてきたのか、くぅーっ、と伸びをする。ついでに親友のおやつであるバターレーズンもひと掴み分失敬する。
  結婚をきっかけに第一線を退き、現場を離れ、いつか好きだったことも忘れ、ああそんな声優も居たねと過去になってしまうかもしれないのが、響季は嫌だった。
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