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アニラジを聴いて笑ってる僕らは、誰かが起こした人身事故のニュースに泣いたりもする。(上り線)

14、お腹に猫を乗せたい

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「どしたのさ。れいちゃん」

  甘えたい気分なのか、いつもの気まぐれかわからないが、背中を優しくとんとんしながら響季が訊く。さっきまでツイストを踏んでいたりガサ入れしたりしていたのに、なんだか安定していない。
  同時に、頭の中ではつい十数時間前の地震を思い出す。
  やはりそのことかなと思うが、零児は抱きついたまま一度大きく深呼吸し、

 「降板だって」

  そんなことを言った。

 「……誰が」

  予想外な答えだったが、響季はすぐにラジオのことが頭に浮かんだ。
  聴いているラジオのパーソナリティか、アシスタントが降板したのか。
  改編期にはまだ早い。が、前倒しでの発表はよくある。それとも何か問題を起こしての急遽降板か。だが、

 「ISOTONIC JENERATIONの神部ちゃん。マキシマム・フローズンのラジオのコーナーに出てた」
 「………おおおー」

  告げられたのは広報さんの名だった。
  一瞬誰かわからないくらいに意外な名前。
  アニメ系レーベル会社の名物美人広報さんで、スポンサーになっているアニラジ番組にもよく出ているので響季も知っていた。
  時折テレビの声優系情報番組に宣伝にやって来たり、アニメイベントの様子がVTRで流れる中で司会をしているのを見かけた。
  予想外の名前に響季の喉から唸り声のような、なんとも言えない声が出る。

 「アニメ部門じゃなくなるんだって。担当から外れるんだって」

  首筋に顔をうずめたまま零児がぽつりぽつりと話す。
  端的な情報だけだが、なんとなく事情はわかった。

 「好きだったのに」

  そして告白にも似たその言葉を受け止める。
  メインパーソナリティたる声優よりも、その周囲にいるスタッフに心惹かれるというのは響季にも理解出来た。
  女性広報さんというのはアニラジにおいてとても魅力的なキャラクターだった。
  特に女性声優と絡むとその魅力は倍増する。
  アニメ作品の販促番組として放送されたり、音楽レーベルやアニメグッズ会社がスポンサーになっているアニラジは様々な商品も果敢に売り込んでくる。それを番組内で宣伝しにくる広報さんもいる。

  声のプロとは違う、素人くさい発声、辿々しい喋り方。
  それでもきちんと自社商品の宣伝をするが、それをパーソナリティーにつっこまれ、時折商品説明や新譜紹介を邪魔される。
  突然の小芝居に振り回され、演技力とアドリブで付き合されることもある。
  だがそれも仕事のうちと満身創痍でやりきってみせる。
  すっかり大人な社会人が、社会的にはあまりしっかりしていない浮き草のような声優に言い様にやられる。
  逆にパーソナリティの茶化しが過ぎると、ピシャリとやり返すこともある。
  そんな立場の違う妙齢女子のキャッキャしたやりとりは、声優同士では得られない面白さがあった。

 「わかるよ」

  細い肩に自分の顎を乗せ、いつか零児が言ってくれたような同意の言葉を響季が言う。

 「作家さんとかね。ディレクターさんとか、ADさんとかね。メインの声優さんじゃなくてそっちの人達が気になっちゃうやつね」

  響季の言葉に、零児が小さく頷く。
  声優は本来裏方な職業のはずだが、昨今はアニメキャラを通して知る前から、あるいは声を知る前から顔を先に知るなんてことはざらだった。
  その分ラジオに関わる人というのは今も昔もあまり表には過剰に出てこない。
  作家、ディレクター、AD、ミキサー、その他よくわからない人。
  それはアニラジでも同じことだ。
  番組に関わる人達が、本人の生声か、あるいはパーソナリティのフリートークで隠れキャラのようにひょっこり出てくることがある。

  検索すればある程度情報が出てくる声優とは違い、彼らはあまりに情報が少なすぎる。
  本来声優側にあったはずの「この声の人はどんな人なんだろう」というワクワクの火は声優業界の活性化により無くなり、いつしかラジオの裏方達に揺らめいていた。
  少ない情報を耳だけで拾い集め、形成し、想像する楽しさ。
  そんな彼らも職を変えることもある。現場を離れることもある。

 「そんで他の番組聴いてて、ああ、この番組もあのディレクターさんだったんだ、って気づいてなんか嬉しくなったりね」

  響季の言葉に零児がまた頷く。
  離れていく寂しさもあれば、逆に番組中のちょっとした手がかりから、ああ、この番組もこのスタッフさんが携わっていたんだと気付く嬉しさもある。
  自分が好きな番組が同じ人によって作られていた。
  手のひらの上で踊らされていたような感覚と、こちらが一方的に感じる再会の喜び。
  急に点と点が繋がったような楽しさ。
  零児が感じたマニアックな寂しさを、響季も感じたことがあった。
  そうして同じ想いを共有していると、

 「……眠い」
 「え?」

  身体を離し、零児が目をしぱしぱさせる。
  相手が理解してくれたことで急に安心し、眠気が襲ってきた。
  そういえば今日は寝るのが遅かった。
  ぎゅうと一度目をつぶり、ゆらりと立ち上がると、

 「くらくらくら」
 「えっ!?」

  零児は自分で効果音を出しながら、少し離れたところで目眩を起こしたように揃えた膝を折る。
  そして教室の床にくたっと寝そべってしまった。他所様の、他校の教室の床に。
  響季はそれを呆然と見ていたが、

 「れいちゃんは…、あれですか。ひとんちでも自分ちみたいに振る舞えるタイプですか」
 「そうかな」

  そう言って寝たままずりずりと這い、零児は響季のロッカーからジャージを引っ張りだすと、それを丸めて枕にしてしまった。

 「やれやれですな」

  しばらくその姿を見ていたが、結局は響季もそのすぐ近くに、床に仰向けに寝転がる。
  床から見る教室の天井は、高くもなく低くもない。
  頭を上から押さえつけられるほどの息苦しさや圧迫感もなかった。
  それをぼんやり見つめながら、響季はれいちゃん、今度ライブ行かない?と言った。

 「ライブ?」
 「そう。DOLCE GARDENっていう、アニソンとか歌ってる人達。知ってる?」
 「知ってる」
 「その人達がモールに来ぐぇっ」

  まだデートに誘ってる最中なのに、響季からカエルのような鳴き声が出てきた。
  零児がいきなり自分のお腹の上に頭を乗せてきたからだ。
  小さい頭だがそれなりに重く、衝撃はある。

 「んふぅ。その人達がさあ、モールに来るから一緒に行きませんか?」

  それでもひと呼吸ついて預けられた重さを馴染ませると、お腹の上に乗った零児の頭を撫でる。
  さらさらした髪が心地いい。
  向こうが安心しきって身体を預けてくれるのも嬉しかった。
  しかもあんなに面白いことが詰まった頭をだ。
  なるべくいい枕になりきろうと、響季の呼吸が穏やかな腹式呼吸になっていくと、それに合わせて零児の頭も上下する。
  顔が向こうを向いているので、なんだかお腹の上で寝ている黒猫みたいだった。
  窓から差し込む日差しが暖かく、うっかりすると寝てしまいそうになる。
  しばらく髪を撫で、呼吸を繰り返しながら返事を待っていたが、突然零児がきゅうと小動物のような声をあげて手足を縮こませた。

 「れいちゃんっ?」

  驚いた響季が零児の頭から手を放す。
  撫でた拍子に髪が目に入ってしまったのだろうかと焦るが、

 「なん…でもなぃ」

  答える零児の声は涙を含んでいた。

 「なんでもなくないでしょっ。泣いてる、の?」

  顔を見ようと響季が肘をついて上体を起こそうとすると、

 「まだ寝てて」
 「えっ!?」
 「…起きないで」

  向こうを向いたまま零児が手を伸ばし、響季の身体をそっと抑えつけるようにする。
  その手が徐々に下がっていき、

 「おなか、力抜いて」

  頭を置いたすぐ近くに触れる。上体を起こしたことで響季の腹筋に力が入っていた。
  再び床に横たわり、響季が息を吐いて力を抜くと、また柔らかいおなかまくらが出来た。
  そして浅い呼吸を繰り返しながら言葉を待つと、

 「なんか」
 「なに?」
 「勘違い、だろうけど」

  相変わらずあちらを向いたまま、零児が響季の手を探す。
  呼ばれている気がして響季が手を伸ばすと、零児は触れてきたそれを掴み、自分の頭に手のひらを乗せた。
  今度は撫でずに、響季が乗せたままにすると、

 「……愛されてるなって」

  照れを含んだような声で零児が言った。

―愛されてるなって。
 勘違いだろうけど、愛されてるなって―

 確かに頭を撫でていた時、穏やかに呼吸を繰り返していた時。
  他愛ない話をしつつ、愛おしいと響季は思っていた。
  手のひらから愛情を注ぎ、お腹の上に乗せられた小さな頭を愛おしいと思っていた。
  その動作と想いはごく自然なものだった。
  意識せずに身体が勝手にやって、想っていたことだ。
  それが零児に伝わっていた。伝える気はなかったのに。
  零児はそれを感じ取り、涙となって溢れてしまった。

 「れい、ちゃん」

  頭のいい子だから、ありきたりな言葉では伝わらない。
  だけどこんなことで、こんなコミュニケーションで泣いてしまったりするのだ。
  注ぎ込まれた愛情に対処しきれず、赤ちゃんのように身体を縮こませてしまうのだ。
  その可愛さと愛おしさに響季の胸が締め付けられる。
  鼻の奥が痛くなり、涙が零れそうになる。だから、

 「むにゃむにゃ。ぼくもう食べられないよ」
 「こいつ、寝やがった」

  響季が食いしん坊の寝言ギャグでごまかし、それに零児が涙声でツっこむ。
  なんだか気恥ずかしくて、二人して笑いに逃げた。
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