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アニラジを聴いて笑ってる僕らは、誰かが起こした人身事故のニュースに泣いたりもする。(下り線)
5、火事です、火事です。通り魔が発生しました
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「コンビニまで、走って」
前方の道を抜けたところにコンビニがあった。
レンタルDVD屋や遅くまでやっている古着屋もあるため、道が明るくなっている。
今いる道は住宅街だが暗く、人通りも人目もない。
零児も足音と気配に気付いていた。
どちらが標的かわからない。
だが二人一緒だと危ない。バラけさせた方が安全だ。
聡明な友人は相変わらず理解が早かった。
「わかった」
小さく言うと、零児はするりと腕を離し、駆け出した。
温かさが離れていくことに響季は寂しさを覚えるが、その直後に後ろからの足音が大きくなった。
やはり狙いは零児かと振り向くと、ちょうど鋭利な光るものを持ったサラリーマンが近づいてくるところだった。
歯を剥き出しにし、目を真っ赤に血走らせて。
まるでストップモーションのような速度で、響季の目が近づいてくるサラリーマンを捉える。
標的は零児ではなく響季だった。
それはどこかで予想はしていたことだった。
だが現実として降りかかってくれば、心臓がぎゅうっと縮まる事態だった。
そんな身体の異変に気付きつつも、響季はポケットからラジオのスペシャルウィークで手に入れたブツを取り出す。
蓋をスライドさせたタブレットケースを、男の真正面に来るように投げつけると、
「ぶわっ!?」
超激辛ミントタブレットが顔に当たり、いくつかが口に入った。
作戦が成功したことに、やった!と響季の気分が高揚する。
使い道がなかったタブレットが役だったことにも。
「ぶぺっ!ぺっ!ぺっ!がっ!」
男がそれを吐き出すのを後ろに感じ、ガシャン!となるべく大きな音を立てるようにして響季が自分の愛車を地面に倒す。当然付近の住民に知らせるためだ。
散乱したバッグが気になったが、逆に誰かがそれを見て異常な事態だと気づいてくれるかもしれない。
それだけ冷静な判断が出来たのに、駆け出した足はぐにゃぐにゃともつれ、言うことを聞かない。
興奮にではない、思っていた以上の恐怖にだ。
背中に信じられないくらいの殺気を感じた。
「走れっ!」
思わず前方にいる零児に叫ぶ。だがそれは自分にだったのかもしれない。
それ程までに足が言うことを聞かなかった。
なのに零児は表情を固まらせ、響季の方に駆け出してくる。
なんで、と思った時には響季は迫り来る気配に顔だけ振り向いていた。そして、
「がっ!あっ」
背中の上を何かが切り裂く感触、痛み、熱さ、背骨の上を何かがごりっと通過する感覚。次いで先程よりももっと強い現実感。
血液、汗、涙、それら体液が噴出する。
駆け出した足が前に出ない。なのに頭はどこまでも冷静だった。
バランスを崩す響季に向かって、男は更に鋭利なものを振り上げてくる。
それを見ながら響季の中で様々なものが駆け巡った。
恐怖、後悔、懺悔、怒り、絶望。
単純な恐怖と、なぜこの道を通ったのかという後悔。
自分は何か悪いことをしたのかという懺悔。
なぜ自分なのかという怒り。
そして、日常はこんなにも簡単に切り離されてしまうという絶望。
平和な日々は決して地続きではない。それはつい先日学んだことなのに。
とっさに出来たことといえば、顔を腕でかばうだけだった。
降りかかる痛みに覚悟した瞬間。
「ゲットダウン!(伏せてください)」
今まで耳にしたことがないほど鋭い声が聞こえてきた。
身体が勝手に言われた通りにするのと、それが零児の声だとわかった後。おぐっ、というくぐもった声が聞こえてきた。
見ると零児の鞄がどさりとアスファルトに落ちていた。
リストバンドやバンダナ、野外でもないのにポンチョタオル、それいつ使うの?という扇子など、ライブの物販商品をしこたま買い込んだ鞄が。
これを投げつけたのかと響季が理解するよりも早く、風のごとく駆け寄ってきた零児が男の股間に前蹴りをくらわしていた。
「が、ああっ!」
蹴られた場所を片手で抑え、男があげる悲鳴をかき消すように、
「火事だあああああっ!」
と、零児が叫び、痛みで体を折った男の口へ、歯を砕かんばかりに足刀を入れた。
更にバランスを崩し尻もちをついた男の顎を、靴の爪先で思い切り蹴飛ばす。
顔と股間を抑え、がら空きになったボディを肋骨や内臓を狙って上から何度も踏みつける。
「火事だっ!火事だああーっ!燃えてるぞおぉっ!」
その間も零児は叫び続けた。
声を聞いて付近の住民が窓を開け、その住民に零児が叫ぶ。
「通り魔ですっ!刺されましたっ!警察呼んでっ!あと救急車っ!!」
その声に住民は驚きながらも、何度も頷き部屋に戻った。
騒ぎと声に、何人かの住民も窓から顔を覗かせていた。
「があああっ!」
それに気を取られた零児に、起き上がった男が刃を振り上げるが、
「うるぁあああっ!」
更にそれを阻止すべく、響季が低姿勢から無理やりタックルをかけた。
アスファルトで男と響季がもつれ合う。
「ぐっうっがあああ」
男が叫びながら抵抗するが、響季はナイフを持った手首を掴んでどうにか体全体で組み伏せようとする。
更に回り込んだ零児が男の耳を横から足の甲で蹴り、
「ぐああ」
痛みに耐えるように男が顔を背ける。それでも刃物を持った手は離さない。
「誰か、誰かきてえ!」
付近の住民だろう、半狂乱の女性の声が聞こえた。響季にはそれが遠くからなのか近くなのかわからないが、恐らく安全なところからだ。
なんで飲み屋にいる客は騒ぎを聞きつけ、助けに来てくれないのだろう。
なんでパジャマ姿の住民男性が、ゴルフのパターとかを手に加勢に来てはくれないのだろう。
なんでパトロール中の警察が偶然通りかかってくれないんだろう。
なんでこんなトラブルに、一人で立ち向かわなくてはならないのだろう。
それを思うと、響季の目から涙が出てきた。
組み伏せている男の声と息遣いと体温と体臭が気持ち悪い。離れたいが、手を放した瞬間に刺してくるかもしれない。
勢いで顔を切られるかもしれない。
その上零児に襲いかかれば、この体では助けられない、庇えない。
恐怖と情けなさに、涙が眼鏡のレンズに落ちる。
その悪くなった視界の中で。響季がナイフの側を押さえ付けてるのとは反対の手の指で、男の眼球をぐいと押した。
「うがああっ!」
さすがに抵抗が緩んだところで、響季が男を組み伏せたまま一瞬だけ体を浮かし、体重をかけて自分の膝を股間に押し込む。
「ぎああっ」
痛みに翻弄される隙を突いて、響季が男の上から転がるようにして離れると、次いで零児がナイフを持った方の男の腕をぐいと掴み、強引に身体をひっくり返してうつ伏せにさせた。
そして背中を踏みつけると掴んだ腕を思い切り、本来の可動域の向こう側へと引き倒すと、
「あがああっ!」
あっけないほど簡単に肩が外れた。
恐らくその日一番の痛みに男はようやくナイフを放し、それを零児が靴のつま先ですばやく遠くへ蹴る。
その様子を、響季が地面に顔をつけたまま見ていた。
うわ、れいちゃんつえー、と。
擦ったのか頬がじんじんと熱く痛い。
その傷に、酷く冷たい地面が心地良かった。
雨でも降ったのかと考え、違う、体温が奪われてるからだと理解した。
-なぜ体温が?
血液が流れていってるからだ。
-どうして?
刺されたからだ。
-この匂いは?
血液が流れていってるのだ。
-どうして?
聴こえてくる声に響季は事態を飲み込んでいく。
自分の身に降りかかったことを。
大変なことになってしまった、どうしよう、お母さんになんて言おう、そうだ、救急車来るんだ。誰か呼んだよね?
学校は?やっぱ入院とかなっちゃうのかな。
死ぬ、の?
「はっ、はっ、は」
鼓動と呼吸が早くなり、血液の流れも早くなる。
どうしよう、どうしよう。
背中の血止まらないよ。
なにこの匂い。
人間の血液って全部で何リットルで、どれだけ出たらやばいんだっけ。
怪我してんのに、あんなに派手に動いちゃったよ。
暑い暑い、寒い、痛い、苦しい、吐きそう、頭が、
「はっ、はっ、」
「響季、大丈夫だよ。すぐに救急車来るから」
その恐怖を討ち止めるように。
しっかりとした冷静な声で零児が言う。
肩を外された男は虫のようにアスファルトで蠢いていた。
が、零児は無事な方の手も無理やり掴み、
「やめて、やめて、がああっ!!」
懇願する男の声を無視してそちらも肩から外した。
そんな作業を、こちらに背を向けたまま淡々とこなしながら、零児はもう一度大丈夫だよ、と言った。
「ああああっ!」
だが男の悲鳴でその声がよく聞こえない。顔も見えない。
なぜかその大丈夫は男に向かって言ってるような気さえした。
うるさいな、れいちゃんのこえが、きこえないよ。
熱さと寒さの中で、響季は無理やり眠りにつくように意識をブラックアウトさせた。
前方の道を抜けたところにコンビニがあった。
レンタルDVD屋や遅くまでやっている古着屋もあるため、道が明るくなっている。
今いる道は住宅街だが暗く、人通りも人目もない。
零児も足音と気配に気付いていた。
どちらが標的かわからない。
だが二人一緒だと危ない。バラけさせた方が安全だ。
聡明な友人は相変わらず理解が早かった。
「わかった」
小さく言うと、零児はするりと腕を離し、駆け出した。
温かさが離れていくことに響季は寂しさを覚えるが、その直後に後ろからの足音が大きくなった。
やはり狙いは零児かと振り向くと、ちょうど鋭利な光るものを持ったサラリーマンが近づいてくるところだった。
歯を剥き出しにし、目を真っ赤に血走らせて。
まるでストップモーションのような速度で、響季の目が近づいてくるサラリーマンを捉える。
標的は零児ではなく響季だった。
それはどこかで予想はしていたことだった。
だが現実として降りかかってくれば、心臓がぎゅうっと縮まる事態だった。
そんな身体の異変に気付きつつも、響季はポケットからラジオのスペシャルウィークで手に入れたブツを取り出す。
蓋をスライドさせたタブレットケースを、男の真正面に来るように投げつけると、
「ぶわっ!?」
超激辛ミントタブレットが顔に当たり、いくつかが口に入った。
作戦が成功したことに、やった!と響季の気分が高揚する。
使い道がなかったタブレットが役だったことにも。
「ぶぺっ!ぺっ!ぺっ!がっ!」
男がそれを吐き出すのを後ろに感じ、ガシャン!となるべく大きな音を立てるようにして響季が自分の愛車を地面に倒す。当然付近の住民に知らせるためだ。
散乱したバッグが気になったが、逆に誰かがそれを見て異常な事態だと気づいてくれるかもしれない。
それだけ冷静な判断が出来たのに、駆け出した足はぐにゃぐにゃともつれ、言うことを聞かない。
興奮にではない、思っていた以上の恐怖にだ。
背中に信じられないくらいの殺気を感じた。
「走れっ!」
思わず前方にいる零児に叫ぶ。だがそれは自分にだったのかもしれない。
それ程までに足が言うことを聞かなかった。
なのに零児は表情を固まらせ、響季の方に駆け出してくる。
なんで、と思った時には響季は迫り来る気配に顔だけ振り向いていた。そして、
「がっ!あっ」
背中の上を何かが切り裂く感触、痛み、熱さ、背骨の上を何かがごりっと通過する感覚。次いで先程よりももっと強い現実感。
血液、汗、涙、それら体液が噴出する。
駆け出した足が前に出ない。なのに頭はどこまでも冷静だった。
バランスを崩す響季に向かって、男は更に鋭利なものを振り上げてくる。
それを見ながら響季の中で様々なものが駆け巡った。
恐怖、後悔、懺悔、怒り、絶望。
単純な恐怖と、なぜこの道を通ったのかという後悔。
自分は何か悪いことをしたのかという懺悔。
なぜ自分なのかという怒り。
そして、日常はこんなにも簡単に切り離されてしまうという絶望。
平和な日々は決して地続きではない。それはつい先日学んだことなのに。
とっさに出来たことといえば、顔を腕でかばうだけだった。
降りかかる痛みに覚悟した瞬間。
「ゲットダウン!(伏せてください)」
今まで耳にしたことがないほど鋭い声が聞こえてきた。
身体が勝手に言われた通りにするのと、それが零児の声だとわかった後。おぐっ、というくぐもった声が聞こえてきた。
見ると零児の鞄がどさりとアスファルトに落ちていた。
リストバンドやバンダナ、野外でもないのにポンチョタオル、それいつ使うの?という扇子など、ライブの物販商品をしこたま買い込んだ鞄が。
これを投げつけたのかと響季が理解するよりも早く、風のごとく駆け寄ってきた零児が男の股間に前蹴りをくらわしていた。
「が、ああっ!」
蹴られた場所を片手で抑え、男があげる悲鳴をかき消すように、
「火事だあああああっ!」
と、零児が叫び、痛みで体を折った男の口へ、歯を砕かんばかりに足刀を入れた。
更にバランスを崩し尻もちをついた男の顎を、靴の爪先で思い切り蹴飛ばす。
顔と股間を抑え、がら空きになったボディを肋骨や内臓を狙って上から何度も踏みつける。
「火事だっ!火事だああーっ!燃えてるぞおぉっ!」
その間も零児は叫び続けた。
声を聞いて付近の住民が窓を開け、その住民に零児が叫ぶ。
「通り魔ですっ!刺されましたっ!警察呼んでっ!あと救急車っ!!」
その声に住民は驚きながらも、何度も頷き部屋に戻った。
騒ぎと声に、何人かの住民も窓から顔を覗かせていた。
「があああっ!」
それに気を取られた零児に、起き上がった男が刃を振り上げるが、
「うるぁあああっ!」
更にそれを阻止すべく、響季が低姿勢から無理やりタックルをかけた。
アスファルトで男と響季がもつれ合う。
「ぐっうっがあああ」
男が叫びながら抵抗するが、響季はナイフを持った手首を掴んでどうにか体全体で組み伏せようとする。
更に回り込んだ零児が男の耳を横から足の甲で蹴り、
「ぐああ」
痛みに耐えるように男が顔を背ける。それでも刃物を持った手は離さない。
「誰か、誰かきてえ!」
付近の住民だろう、半狂乱の女性の声が聞こえた。響季にはそれが遠くからなのか近くなのかわからないが、恐らく安全なところからだ。
なんで飲み屋にいる客は騒ぎを聞きつけ、助けに来てくれないのだろう。
なんでパジャマ姿の住民男性が、ゴルフのパターとかを手に加勢に来てはくれないのだろう。
なんでパトロール中の警察が偶然通りかかってくれないんだろう。
なんでこんなトラブルに、一人で立ち向かわなくてはならないのだろう。
それを思うと、響季の目から涙が出てきた。
組み伏せている男の声と息遣いと体温と体臭が気持ち悪い。離れたいが、手を放した瞬間に刺してくるかもしれない。
勢いで顔を切られるかもしれない。
その上零児に襲いかかれば、この体では助けられない、庇えない。
恐怖と情けなさに、涙が眼鏡のレンズに落ちる。
その悪くなった視界の中で。響季がナイフの側を押さえ付けてるのとは反対の手の指で、男の眼球をぐいと押した。
「うがああっ!」
さすがに抵抗が緩んだところで、響季が男を組み伏せたまま一瞬だけ体を浮かし、体重をかけて自分の膝を股間に押し込む。
「ぎああっ」
痛みに翻弄される隙を突いて、響季が男の上から転がるようにして離れると、次いで零児がナイフを持った方の男の腕をぐいと掴み、強引に身体をひっくり返してうつ伏せにさせた。
そして背中を踏みつけると掴んだ腕を思い切り、本来の可動域の向こう側へと引き倒すと、
「あがああっ!」
あっけないほど簡単に肩が外れた。
恐らくその日一番の痛みに男はようやくナイフを放し、それを零児が靴のつま先ですばやく遠くへ蹴る。
その様子を、響季が地面に顔をつけたまま見ていた。
うわ、れいちゃんつえー、と。
擦ったのか頬がじんじんと熱く痛い。
その傷に、酷く冷たい地面が心地良かった。
雨でも降ったのかと考え、違う、体温が奪われてるからだと理解した。
-なぜ体温が?
血液が流れていってるからだ。
-どうして?
刺されたからだ。
-この匂いは?
血液が流れていってるのだ。
-どうして?
聴こえてくる声に響季は事態を飲み込んでいく。
自分の身に降りかかったことを。
大変なことになってしまった、どうしよう、お母さんになんて言おう、そうだ、救急車来るんだ。誰か呼んだよね?
学校は?やっぱ入院とかなっちゃうのかな。
死ぬ、の?
「はっ、はっ、は」
鼓動と呼吸が早くなり、血液の流れも早くなる。
どうしよう、どうしよう。
背中の血止まらないよ。
なにこの匂い。
人間の血液って全部で何リットルで、どれだけ出たらやばいんだっけ。
怪我してんのに、あんなに派手に動いちゃったよ。
暑い暑い、寒い、痛い、苦しい、吐きそう、頭が、
「はっ、はっ、」
「響季、大丈夫だよ。すぐに救急車来るから」
その恐怖を討ち止めるように。
しっかりとした冷静な声で零児が言う。
肩を外された男は虫のようにアスファルトで蠢いていた。
が、零児は無事な方の手も無理やり掴み、
「やめて、やめて、がああっ!!」
懇願する男の声を無視してそちらも肩から外した。
そんな作業を、こちらに背を向けたまま淡々とこなしながら、零児はもう一度大丈夫だよ、と言った。
「ああああっ!」
だが男の悲鳴でその声がよく聞こえない。顔も見えない。
なぜかその大丈夫は男に向かって言ってるような気さえした。
うるさいな、れいちゃんのこえが、きこえないよ。
熱さと寒さの中で、響季は無理やり眠りにつくように意識をブラックアウトさせた。
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