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アニラジを聴いて笑ってる僕らは、誰かが起こした人身事故のニュースに泣いたりもする。(下り線)

13、雪の降らない国から、桜の降る国の歌姫へ

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 10年程前、一人の女性アニソンシンガーが海外旅行に出かけた。
  アルバム制作が終わり、ツアーが始まる短い期間で。
  しかし行った国ではちょうど学生運動が盛んで、彼女が日本へ帰国する日、学生達がターミナル駅を占拠した。
  電車は止まり、利用客は足止めをくらった。
  飛び交う怒号、血気盛んに意見を主張する学生、仕方ないと諦める客。
  その中で、彼女はアナウンスを続ける駅員からマイクをもぎ取り、おそらく自身のリリース曲で一番有名な曲を歌った。
  伴奏もないその曲を耳にした者が歌声の方に顔を向け、あるいは顔を上げた。
  それは有名な日本のアニメソングだった。
  それまではアニメなんて文化はなかったその国でも放送され、驚異的な視聴率を誇ったアニメ番組。

  大人から子供まで夢中になったアニメの主題歌だった。
  子供みたいに小柄なその日本人女性は、声を張り上げて歌っていた。力強くシャウトしていた。
  性能の悪いマイクを通して、いやマイクなんていらないんじゃないかというぐらいの声量で、愛と勇気と強さと希望を。
  アニメを通じて、何よりその曲で教わったことを。
  その歌声に、ついさっきまで座り込み、憂鬱な表情をしていた利用客から、ヒュー!という声が飛び交う。指笛や歓声も。
  鬱屈していた雰囲気を吹き飛ばすような、突然のパフォーマンスを讃える。
  そしてその場にいる者達が歌を口ずさみ始めた。
  ほとんどの人が一般人が歌っているだけかと思っていたが、インターネットで彼女の顔を知っていた何人かが、特に学生が、本物だ!本物のサキ・ツチクラだ!と叫ぶ。
  学生は手にした武器を下ろし、ケータイをカメラモードにする。
  その瞳はヒーローに出会った子供そのものだった。
  ほとんどのものは彼女に合わせて同じ歌を歌っていた。

  それはいつしか大合唱になる。
  皆子供みたいに大声で、自分達の知っている大好きなその曲を歌った。
  その歌声は日本語だった。
  テレビから流れてくるその歌を、彼らは日本語のまま覚えていた。
  異国の地で、その国の人が日本語で、日本のアニメソングを大合唱していた。
  彼女はテレビサイズで歌い上げると、日本人らしく慎ましやかに頭を垂れた。
  大喝采と拍手が送られ、その中で彼女は駅員に通訳を頼んだ。
  私はこれから日本に帰らなくてはなりません。
  仕事が待っているからです。
  この場にいる人達も目的地があり、交通機関を利用します。
  学生の皆さん、声高らかに主張するならどうか平和的にお願いします。
  その言葉は学生の身に強く響いた。
  自分達の行動は、社会のサイクルを邪魔するだけだと。もっと平和的に社会を動かせるはずだと。

  自分達が見ていたアニメの主人公は、圧倒的ともいえる力で悪をねじ伏せていた。
  だが現実は違うのだ。
  その国はかつて戦火に包まれていた。
  そこから一気に復興し、整備され、大学などというものまで作られた。
  それには日本も手を貸してくれたのだ。
  それらを、自分達の主張のために停止させていいはずはない。
  彼女は教えてくれた。
  たった一曲のアニメソングで。
  歌声で。


 「その時作られたのが、あれ」

  赤峰さんが攻め攻めメイクを施した顔で優しく微笑む。
  ステージのバックにあるのは教会ではなく、大学の校舎だった。
  その両脇に駅と、空港があった。
  しかしグズグズの造形で、ぱっと見では分からなかった。

 「元々雪なんて降らない国だから、逆にスノードームなんてものが人気らしいの。あれは当時作られたんだけどまだ売ってるみたいでね。歌がうまくなるアイテムだとか、歌で平和をつなぐシンボルだとか言われてるみたいだけど」
 「そう、なんですか」

  ネタばらしをされてみれば、贈られた意図を聞かされれば貰ったものはお宝だった。
  10年以上前の話だというが、今では様々なアニソンアーティストがその国で行われるアニソンライブに招待されていた。
  そして、零児がドームの中で舞っていたものを思い出す。平和という単語を聴いて。

 「だから、鳩?」

  雪ではない、ドーム内に舞っていたものについて訊くと、違う違うと赤峰さん笑いながら首を振る。

 「鳩じゃなくて。あれ、桜」
 「さくら…」
 「日本の心を表現してくれたみたいだけど、大雑把なお国だからねえ。繊細なピンクなんて色が出せなかったのかも」

  出来をフォローするように、赤峰さんがそう言う。
  日本の裏側みたいなところで、歌だけで争いを止めた日本の女性アニソンシンガー。
  それを讃えてその国の人はスノードームを作った。
  雪の降らないその国で、雪のように桜が舞う国の歌姫を讃えて。
  零児がぼんやりと受付カウンターを見つめる。
  自分のポケットの中にある音楽プレーヤー。その中にある数千曲にも及ぶアニメソング。
  零児自身、アニメはほとんど見ない。だがアニメソングというものは好きだった。
  ジャンルに囚われないその音楽は、自分の知識欲を満たしてくれた。

  ロック、ポップス、クラシック、演歌、軍歌、電波、ラップ、テクノ、R&B、祭囃子、音頭、ヒップホップ、アカペラ、トランス、昭和歌謡、インストゥルメンタル、ディスコ、ジャズ、雅楽、合唱、ブラックミュージック、ゴスペル、サンバ、サーフナンバー、ファンク、北欧系メタル、渋谷系、シャンソン、シンフォニックメタル、吹奏楽、パンク、ソウルミュージック、タンゴ、チップチューン、デジロック、童謡、バラード、ビジュアル系、フォーク、アイドルソング、マンボ、ユーロビート、レゲエ、ルンバ、ワルツ、フレンチポップ、ブルース、ボサノバ、ロカビリー、ブリティッシュロック。

  アニメソングはその間口の広さから様々な音楽に触れることが出来た。
  だからいつも音楽プレーヤーに入れて聴いていたのだ。
  そして、そこに入っている曲が異国の地で争いを止めた。
  零児の胸が熱くなる。なぜだかわからないが、涙が溢れそうになった。
  信じていてよかったと、自分が信じていたものは素晴らしいものだったのだと。でも、

 「なん、で」

  なぜ自分がアニメソングに傾倒しているのを知っているのかと零児が問う。
  アニメソングが好きだなんて会話は赤峰さんにした記憶が無い。
  プレーヤーの中身を覗けばわかるだろうが、スノードームをくれたのはずっと前だ。

 「うん…。これはあまり…、言っちゃいけないんだけどね」

  そう赤峰さんが唇の前に人差し指を立てて言う。オフレコだけど、と。

 「例えば…、美容師さんが前来た時にした会話とかを、次来た時も覚えくれてたりするじゃない?」
 「……話しかけられるの鬱陶しいからいつも本持ってって読んでます」
 「あー、そっかあ」

  施術中は話しかけるなオーラを出しているという少女には例えが上手く伝わらなくて、赤峰さんがアチャーとこめかみに手をやり、

 「つまり…、来てくれる子達のプロフィール的なものは、結構管理しててね」

  最小限の情報だけで裏事情を教えてくれた。
  零児自身は看護師さんや職員さんにアニメソングの話をしたことはない。
  第一採血中はじっと目を閉じ、看護師さんの手を煩わせぬようただ終わるのを待っていた。
  だが休憩スペースでなら、響季としたかもしれない。
  あるいは響季が採血室でしたのかもしれない。

  例えば、最初のデートの報告をした流れとかで。
  その会話をしている姿を見られ、聴かれていたのだ。
  そしてそれを記録され、個別に管理されていた。
  献結の問診表にも簡単な体調などは備考欄に記入される。
  空腹で来たのならお腹の足しになるものを与えるようにと。
  暑い中汗だくでルームに来てくれたのなら発汗著明、要水分摂取。血液検査の時点で採血が苦手なようなら採血苦手など。

  それと同じように看護師さんや職員さんはルーム内での子供達の出来事を記録し、伝え、採血中や休憩中の他愛ない会話に繋げていた。
  この子はどんな部活に入っていて、この子はどんなバイトをしていて、この子は休日に来てくれて、この子はいつも献結終わりに夕飯の買い物を頼まれていて、何に夢中で、どこのブランドが好きで、恋をしていて。
  学校帰りに寄ってくれているが、自転車通学、電車通学なので万が一を考え、採血後はしっかり休ませるように、ということまで。
  以前した会話や好きなモノを覚えていてくれたとなれば、来た方は嬉しいのだろう。
  結果それでルームの常連となり、定期的に献結に来てくれるかもしれない。
  それが社会貢献であったとしても、謝礼品狙いであったとしても、治療の一環であったとしても。
  行き場のない子達の憩いの場であったとしてもだ。

 「常連に、なってもらうための」
 「そう言っちゃうと身も蓋もないかな」

  ずばり言われて赤峰さん苦笑するが、でも、と繋げる。

 「数値を見ればいい方向に向かってるなとかはわかるけど、本人の変化も見てあげれたらなって」

  その言葉に嘘偽りはなかった。
  TB成分が多くなればその変化は本人にも出る。少なくなればそれも。
  そんな小さな変化をお姐さん達は細かく見ていてくれたのだ。
  会話を聴かれていたとしても、零児は嫌な感じはしなかった。見守られていたとさえ思えた。
  オフレコだと言いつつこんな裏事情を話してくれたのも、本人の性格を見込んでだろう。
  採血中は目を閉じ、無駄なおしゃべりを好まない子なら、極秘事項をベラベラと他人に喋ったりしないだろうと。
  それを実感し、零児の胸にじわじわと嬉しさが広がるが、

 「お見舞い行ってないんだって?ひびきちゃんの」

  カウンター越しに言われたその言葉が、嬉しさで満ちた胸に優しく突き刺さった。

 「行ってあげたら?」

  それは零児が一番言って欲しくなくて、言って欲しかった言葉だ。
  同時に、やはりお見通しなのだと思えた。
  行ってあげたら?と、ただそれだけを赤峰さんは伝えてきた。
  一緒に行ってあげようかなんてことは言わない。おそらくプロフィールにも書かれているのだ。
  この子は意地っ張りで、素直に甘えたり人に頼ったりすることが出来ない子供だと。
  だから最小限の力で背中を押してくれた。
  だがもうここへは、こんなに温かく優しい場所へ響季を連れてくることは出来ない。
  それは零児が犯した罪だった。
  そしてまだ子供ゆえ、それを頼れるお姐さんに懺悔することは出来なかった。

 「ありがとう、ございました」

  カウンターを見つめたまま、零児はそうお礼だけを言って頭を小さく下げた。
  今更だがスノードームのことも含めて。
  お見舞いに行くか行かないかはまだ言えなかった。決められなかった。
  そんな少女の頭を、攻め攻めメイクのお姐さんは優しくぽんぽんと叩いた。
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