少年プリズン

まさみ

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二百九十七話

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 僕が守りたいものはプライド、僕を僕たらしめるプライド。
 IQ180天才として、将来有望と目された鍵屋崎優の後継者として、いやそれより何より恵の兄としてサムライの友人として僕は誇りを持ちたい。鍵屋崎直の実力を証明して、僕は無力なばかりの人間ではないと主張したいのだ。
 もうこれ以上一方的に庇護されるのは我慢ならない、本来対等な立場の友人の足を引っ張り仲間の重荷になるのは我慢ならないと心が訴える。僕がサムライの負担になっているのは認めたくないが事実、これ以上なく事実なのだ。
 名誉挽回のチャンスがようやく訪れたのだ。サムライと対等になれる機会がようやく訪れたのだ。
 今足掻かずに、いつ足掻く?
 「色狂いの王様は大人しくしていろ、飼い馴らされた豹のようにそこに寝そべっていればいい。僕は戦う、まだ戦える。僕はまだヨンイルに負けていない、敗北を認めていない。最後の最後の瞬間まで足掻いて足掻いて足掻いてやる、無様にみっともなく死に物狂いで、プライドに賭けて足掻ききってやる」
 「~~~っ!勝手にしやがれ、もう面倒みきれねえよ」
 床に唾を吐いたレイジが乱暴に僕の肩を突き放す。渋々ながらレイジも納得したようだと僕は内心安堵して周囲を見渡す。この地下停留場のどこかに爆弾が仕掛けられている。ヨンイルはリングの半径50メートル以内と限定した、その言を信用するなら爆弾が仕掛けられた場所はそう遠くないはず。
 レイジの手は借りられない。僕ひとりで見つけ出すしかない。気が遠くなるような話だが、僕の闘争心は萎えてはいない。なんとしても時間内に爆弾を見つけ出し解除せねばという使命感に駆られ、ふてくされたレイジに背中を向けて走りだす。
 どこだ、どこだ、爆弾はどこだ?気ばかり焦って空回る僕を嘲笑うかのように時間は刻々と経過する。ふと振り返り、地下停留場を脱出する大群の頭越しにリングを透かし見れば、リング中央に突っ立ったヨンイルがこちらに手を振っていた。
 あとで覚えていろと胸中で吐き捨て、爆弾さがしに奔走する。人ごみを掻き分け押しのけ前に進もうともがけばもがむほど、地下停留場から逃げ出す群衆に巻きこまれ呑みこまれ、逆方向へと押し流されてしまう。くそ、こんなことで時間をとられてる場合じゃないのに!
 「どけ、頼むどいてくれ、一刻も早く爆弾を見つけねば」
 「無駄だっつってんだろ!!」
 制止の声もむなしく肩にかけた手を荒らしく振りほどかれ、とどめとばかりに鳩尾に肘打ちを食らう。目も眩む激痛によろめき、腹部を庇ってうずくまった僕の背中を踏み付け踏み倒し、囚人たちが逃げてゆく。
 「命が惜しけりゃてめえも逃げろや親殺し、それともヨンイルと心中するか!?」
 「龍に巻かれて昇天しろや、極楽浄土に逝けるだろうさ!」
 「馬鹿言えお前ここをどこだと思ってる、この世の地獄の東京プリズンだ!地獄で死んだ人間が天国逝けるわきゃねえだろうが、地獄で死んだらもっと深くて救いがねえ無限地獄に堕ちるまでだ。業火に灼かれて苦しめ親殺しが!」
 頭上に浴びせ掛けられる唾と罵声に耐え、地面に手をついて上体を起こす。上体を起こしたそばから、後ろから大挙してやってきた囚人に背中を踏まれわざと蹴り飛ばされ体が頼りなく傾ぐ。 
 五指を握りこみ、手のひらに爪を立てる。
 諦めてたまるか。
 だれになにを言われても絶対に諦めない、今ここで諦めたら他でもない僕自身を裏切ることになる。既にリングと会場とを区別する境目の柵は倒れ、神聖不可侵のリングまで発狂したように逃げ惑う囚人に踏み荒らされる始末。試合は無効になるかもしれない、僕がやってきたこと全部が無駄になるかもしれない。はげしくかぶりを振り、最悪の想像を脳裏から閉め出す。今は爆弾を見つけ出すことに集中しろ、余計なことは考えるな。優先順位をはっきりさせ、呼吸を整えて立ちあがる。
 ヨンイルはリングから半径50メートル以内のどこかに爆弾があると言った。
 目を閉じ、集中力を高め、ヨンイルの言葉を反芻する。リングに上がる前のヨンイルの行動は知らないが、西の応援団との語らいがあったかもしれない。ならば容疑者として有力候補なのは西の人間だが、人望厚いトップとして慕われるヨンイルが仲間に爆弾を仕掛けるような真似をするだろうか?まかり間違えば西の人間が爆弾の犠牲になる危険性もあるのに。ヨンイルの性格を考慮すればそれはありえない。いや待て、僕に「ありえない」と錯覚させミスリードに導くのが目的なら逆にありえるのか?
 「くそっ、人を食った真似を!」
 下品な悪態も吐きたくなるというものだ。舌打ちをし、いまいましくヨンイルを睨みつける。リング中央に仁王立ちしたヨンイルはにやにやと腕を組み、苦戦中の僕を遠目に見物している。
 殴りたい。
 待て、ヨンイルを殴るのはあとまわしだ。今はそれどころじゃない。時間は刻々と過ぎている。体感時間では既に五分以上が経過した、残りあと五分で爆弾を見つけねば流血の大惨事が起きる。
 どこだ、どこに爆弾がある?
 怒涛のごとく出口を目指す人ごみの渦中に踏みとどまり、焦燥に駆られて全包囲を見渡す。靴跡の泥にまみれたコンクリ床、床に倒れた金網と落下した照明器具……一見、どこにも異状はない。爆弾が仕掛けられた痕跡は見られない。ヨンイルの手口は巧妙だ、爆弾を仕掛けた場所がすぐにはわからないよう隠蔽してる疑いも捨てきれない。もう時間がない、爆弾が爆発するまであと三分もない!
 無為に過ぎゆく時間にあせりつつ、周囲を見渡す僕の目にとびこんできたのは、ひとりの看守と小柄な囚人。中肉中背のくたびれた看守と特徴的な赤毛の囚人が、たがいに寄り添いあうように突っ立ってる。
 五十嵐とリョウだ。
 五十嵐とリョウが試合前からあそこにいたのだとしたら、ヨンイルの不審な行動を目撃してるかもしれない。その可能性に一縷の希望を託し、五十嵐とリョウのもとへ駆け付ける。僕の顔を見たリョウが驚いたように目を見開き、なにか言いかけるのを制し、肩を掴む。
 「リョウ、君は試合前からここにいたのか!?ヨンイルの不審な行動を目撃してないか!!」
 「い、痛いよメガネくん放してよ!肩に指が食い込んでるっ」
 リョウの肩を強く掴んだまま、ぐっと顔を寄せる。
 「もっと痛い目に遭わせてやろうか?知っていることがあるなら包み隠さず述べろ、僕は心が広いから十秒待ってやる」
 「全然広くないじゃん!」
 リョウが金切り声で抗議する。話にならない、リョウに関わってる時間が惜しい。リョウの肩を掴んだまま五十嵐を振り仰ぎ、おなじことを聞こうと……
 五十嵐を見上げ、言葉を失った。
 「またか」
 五十嵐はリングを一心に見つめていた。ひどく思い詰めた暗い眼差し。絶望と虚無とが綯い交ぜとなった双眸には、ヨンイルだけが映っている。
 「また、なのか」
 五十嵐の唇がわななく。現実に起きてることが信じられない、信じたくないといった拒絶の響きを宿した声だった。僕には五十嵐の絶望が想像できる。ヨンイルは絶対にしてはいけないことをした、地下停留場に居合わせた五十嵐の前でこのどこかに爆弾を仕掛けたと飄々と言い放ったのだ。反省の色などかけらもなく、過去の罪悪感に苦しむ様子もなく、葛藤とは無縁の爽やかな笑顔で。  
 過去に五十嵐の娘を殺しておきながら、またおなじことをしようとしている。
 笑いながら過ちをくりかえそうとしている。
 五十嵐の表情を直視するに耐えかね、視線を逸らす。僕はどうしたらいいんだサムライ、と心の中で問いかける。今も医務室のベッドで寝てるはずの友人を思い浮かべ、上着の胸に手をあて、そっと目を閉じる。
 『無事に帰って来い』
 サムライはそう念を押した。必ずまた元気な顔を見せてくれと僕に言った。
 僕はサムライとの約束を守りたい、彼から預かった木刀を持ってサムライに会いに行きたい。だが、今の状態で彼のもとに帰ることなどとてもできやしない。
 苦悩する僕のもとへ背後から靴音が近付いてくる。
 「いやはや、ヨンイルくんも無茶をなさる。感心するやらあきれるやら」
 振り向けばホセがいた。
 ヨンイルと僕とを見比べながら、胡散臭い笑顔でホセが述べる。
 「吾輩の二つ名は隠者。ご存知ですか、タロットカードの隠者が象徴するキーワードは『経験』『過去』『蓄積』……そう、一見地味な隠者とはまさしく叡智を体現するカードなのです」
 「占い談義に興味はない、わざわざ僕を苛立たせにきたのならその試みは成功してるが」
 「タロットカードの隠者が意味する状況は『己で道を見い出すより他に選択肢がない』……わかりやすく言えば八方塞りということ。ですが、吾輩はヨンイルくんほど人が悪くない。八方塞りの逆境に立たされた君に、活路を切りひらくきっかけとなるヒントをあげましょう」
 浅黒い肌に映える白い歯を覗かせ、ホセが人さし指を立てる。
 「タロットカードで道化にあたる『The Fool』の意味は、愚行、無思慮、無規律、不親切、空約束、冒険癖……すべてヨンイルくんにあてはまります。ヨンイルくんが今行っているのは冒険癖に端を発した愚行、会場全体に不要な混乱を招く無思慮で無規律な振るまいに他ならない。おまけにヨンイルくんは不親切だ、重要なカードを伏せて言葉の陥穽で君を翻弄してるにすぎない。そして……」
 思わせぶりに言葉を切ったホセが、人さし指をおろし、笑みを含んだ目で僕を見つめる。
 『The Fool』。愚か者のカードが示唆するキーワードはすべてヨンイルに合致する。ヨンイルはただ「リングから半径50メートル以内のどこかに爆弾を仕掛けた」とだけ言った、僕はそれを真に受けてリングをとびだしたがそもそもそれが間違いだったのだ。先入観に惑わされた僕は、「このリングのどこか」という言葉をまともにとって、おそらくはリングを囲む金網か試合前にヨンイルと接触した人間があやしいと睨んでいたが、それこそただの思いこみだった。
 『空約束』。そう、すべてはハッタリだったのだ。
 ホセの言葉で目が覚めた。ホセに礼も言わずリング中央に引き返した僕は、余裕ありげな物腰で腕を組んだヨンイルと対峙する。
 「木の葉を隠すなら森の中か」
 答えは単純だった。もっとはやく気付けばよかった、すぐさま気付かない方がどうかしている。試合前、レイジと口論をしてる最中はヨンイルから注意が逸れていたといえど、ヨンイルがリング周辺で不審な行動をしたら目立つはずだ。だが僕は全然気付かなかった、ヨンイルが金網に細工してる様子も西の人間に不自然に密着してる様子もなかったのだから当たり前だ。
 木の葉を隠すなら森の中。爆弾を隠すなら……
 「キーストア、どうしたんだよ!?悠長に睨めっこしてる場合かよ、はやく爆弾見つけださねえと死人がでるぜ。ヨンイルの爆弾の威力を舐めてかかるな、過去に二千人殺した危険きわまりねえ代物だ」
 レイジが金網を殴り付け警戒を促すが、無視してヨンイルに歩み寄る。
 「爆弾の隠し場所がわかった」
 「おめでとう。せやけどこんなとこで呑気にやっとってええのん、はよ解除せなまずいんちゃうか」
 「その必要はない」
 ヨンイルの手前で立ち止まり、推理を述べる。
 「『このリングのどこかに爆弾を仕掛けた』と君は明言した。なるほど、その言葉に嘘はない。後付けで範囲を広げたのは感心しないが、僕の目をくらます作戦のうちだったんだろう。だが、金網のどこにも爆弾は仕掛けられていない。もし金網に爆弾が仕掛けられているならさっき倒れたショックで爆発してもおかしくない。君自身が言ったんだ、刑務所では大した材料を集められなかったから性能が保証できず時間がくるまえに爆発してしまう可能性もあると。性能な不安な爆弾なら、金網が倒れた衝撃で爆発する危険性は大いにありえる。だが、金網が倒れた時は異状はなかった。ならば金網には爆弾が仕掛けられてない。
 会場の人間はどうだ、君が試合前に接触した人間が爆弾を所持してる可能性は?
 残念ながらそれもない。
 ペア戦では試合開始30分前に入り口での待機が義務付けられている。この規則にのっとって、君も反対側の出口に待機していたはず。そこから遠くへ行くことはできず、移動範囲は制限される。君が待機していた場所はちょうど僕らの反対側、真正面に位置する。
 いくら僕が口論に熱中してたとはいえ、視界の端で不審な行動をする人物がいたら気付かないはずがない。おまけに君は目立つ容姿をしている、針のように立たせた髪と顔半分を覆う黒いゴーグルという風貌が人ごみに埋もれるはずがない。相手に知られず爆弾を預けるのは不可能だと断言していい。また、いくらトップの命令とはいえ爆弾をすすんで預かるような人間がいるとは思えない」
 推理の包囲網でヨンイルを追い詰め、眼鏡のブリッジに触れる。
 「以上の過程から導き出された結論はひとつ」
 ヨンイルの表情がぴくりと動く。ヨンイルの間合いに踏みこみ、抗議する暇を与えず、無造作にズボンに手を突っ込む。囚人服のズボンのポケットは深く、スタンガンを丸々収納する余裕がある。
 ヨンイルのポケットをまさぐり、手ごたえをおぼえる。
 あたりだ。
 推理も佳境にさしかかる。ゆっくりとポケットから手を抜き、外堀を埋めるようにヨンイルを追い詰めつつ、言う。
 「『このリングのどこかに爆弾を仕掛けた』と君は言った。このリングにいたのは僕と君二人だけ、つまり『このリングのどこか』と明言したならば前提として自分も含まれる」
 何故もっと早くヨンイルの言葉の矛盾に気付けなかったのだと自分の愚かさを呪う。
 「リングに爆弾を仕掛ける余裕はなかった。だからあえて『リングのどこか』という曖昧な表現を使った、『このリングに爆弾を仕掛けた』でも『地下停留場に爆弾を仕掛けた』でもなく、不特定な『どこか』という漠然とした表現を用いた」
 『どこか』には『ここ』が含まれる。ヨンイルがいる『ここ』こそ推理の原点にして終点、最終的に行き着いた場所。
 ヨンイルのポケットから抜いた手を高々と頭上に掲げる。
 「つまり、爆弾は最初から君が持っていたんだ。以上、証明終了。異論があるなら聞くが?」
 爆弾を頭上に掲げてヨンイルを睨めば、西の道化が砕顔する。
 「おめでとさん。おなじIQ180の金田一少年にも負けん名推理や」
 試合は、僕の勝利だ。 
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