少年プリズン

まさみ

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はじまりの地

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鍵屋崎恵が安田恵になり三か月経った。

「おはよ順。コーヒー淹れよっか」
「起きてたのか」
「締め切りに追われてね」
「海外の機関紙に頼まれたヤツか。年を考えろ、徹夜は障るぞ」
「言うなあ。そっちも同い年じゃないか、仕事に忙殺されてるのはお互い様だろ。で、コーヒーは」
「濃くしてくれ」
「了解」
同居人は朝が早い。安田が起きる頃には既にダイニングテーブルで新聞を広げている。今朝もカジュアルなシャツとスラックスに着替え、リラックスした居住まいでコーヒーを飲んでいた。鳶色の髪が一房跳ねているのはご愛敬か。
「立ってるぞ」
「出勤前には直す。大目に見てよ」
「だらしないな」
「君こそ、目の下に隈ができてる。顔洗ってきたら?」
「言われなくても行くところだ」
キッチンカウンターに置かれたサイフォンの中、こぽこぽ泡を立て黒い液体が蒸留される。透明なフラスコの内部をコーヒーが滴り落ちてく様は化学の実験を思わせ、見ていて飽きない。
これは斉藤が新居に持ち込んだものだ。「本格的なコーヒーを飲みたい」というのがその理由で、安田も賛成した。
一旦洗面所に引っ込んで顔を洗い、ハンドタオルに雫を吸わせる。家庭的な柔軟剤の香りに包まれ、面映ゆさと違和感を覚える。洗面台のコップには青・オレンジ・ピンクの歯ブラシが三本立てかけられていた。
起床後はまず歯を磨くのが安田の習慣。寝起きは口内の雑菌が繁殖し、不衛生極まりない状態なのだ。青い歯ブラシを手に取り、チューブから歯磨き粉を搾りだす。
それを口に突っ込んだ直後、痛恨の失敗に気付いた。反射的に蛇口を捻り、コップに水を汲んでうがいをする。左手のチューブを一瞥、「お子様用 いちご味」の表記にげんなりする。
この場に斉藤がいなくて助かった。見られたらさんざんからかわれるところだった。
いちご味の歯磨き粉は同居が決まった時に買いそろえたもので、恵が愛用している。
正しい歯磨き粉を搾り、機械的に磨き直す。甘ったるい後味を払拭すべく口をよく濯いだのち、蛇口を締めてキッチンへ引き返す。
「おかえり」
爽やかに微笑みかける斉藤を無視し、指定席に掛ける。キッチンテーブルの椅子は三脚。向かって右手に斉藤と安田が、左手に恵が座る。斉藤が差し出すコーヒーに口を付けると、漸く頭が回り始めた。
「恵は?まだ寝てるのか」
「六時だもの」
「そうか。そうだな」
「朝食はどうする?」
「今日はパンの気分だ」
「トーストと目玉焼きとサラダでどうかな。新しいジャムを買ったんだ」
「何味だ」
「アップルアンドシナモン。気に入ってくれるといいんだけど」
「甘いものは苦手だ」
「そういうと思って、君にはルバーブジャムを用意した」
「ルバーブ?」
「セロリの仲間でパリッとした食感と強い酸味が特徴。一般的な調理法は果物に近くて、海外じゃパイやクランブルとかデザートに用いるんだって」
「糖分控えめならなんでもいい」
斉藤は料理上手だ。離婚後は自炊をしていたせいか、和・洋・中大抵の料理は作れる。
寝室から持参したラップトップパソコンを開き、昨夜の作業の続きを再開する安田に対し、斉藤は話題を向ける。
「東京プリズンから逃げた囚人は四割捕まったみたいだね」
「まだ四割だ。残り六割は消息不明、都下のスラムに潜伏した可能性が高いと当局は見てる」
「池袋・渋谷・原宿・新宿……全部捜すのは骨が折れそうだ」
斉藤が読む新聞の一面には、極東の砂漠に存在する東京少年刑務所を、上空から俯瞰した写真が載っていた。プロペラのうるさい駆動音を思い出し、自然と顔が歪む。
「全く、見世物じゃないんだぞ。人の気も知らないで」
「頑張りすぎると過労死しちゃうよ。ほどほどにね、所長さん」
「その呼び方はよせ」
「嫌?」
斉藤が悪戯っぽく微笑む。安田は憮然とし、マグカップを口に運ぶ。
「馬鹿にされてる気分だ」
東京少年刑務所の新体制が発足し、安田が所長に就任して数年。依然囚人の殆どを捕まえられず、国の威信は揺らいでいた。
「そろそろトップの肩書に慣れたんじゃない?」
「所詮繋ぎにすぎん。いずれ相応しい人材が派遣されれば喜んで明け渡す」
「君以上に適任なんていないよ。僕が保証する」
「買いかぶりだ」
安田が苦々しげに呟き、斉藤が前に積んだファイルを見る。
「これ?囚人、ならびに看守の精神鑑定結果。全員診るにはまだ手が足りないけど、少しは改善されたかな。週一のカウンセリングも義務化できたし」
「ちゃんと働いてるんだな」
「給料分はね。君こそ、ブラックワーク廃止に踏み切ったのは英断だ」
「あんなふざけたシステムが黙認されてた方が異常なんだ。私の目が黒いうちはリンチの死者はおろか自殺者とて一人も出さん」
「その意気その意気。お代わりいる?」
「もらっておく」
鼻歌まじりにコーヒーを淹れる斉藤を眺め、パソコンのキーを打鍵している最中、静かにドアが開いた。
「おはよ、恵ちゃん」
「……おはようございます」
斉藤が笑って挨拶すれば、パジャマ姿の恵が眠たげに目を擦り、形だけ会釈をした。
「もうすぐ朝ごはんだ、着替えてきなよ」
「お手伝いします」
「待ってる」
洗面所に駆けてく後ろ姿を見送り、挨拶しそびれたことを悔やむ。再びキッチンに現われた恵は、動きやすいシャツとズボンに着替えていた。
「冷蔵庫から卵とってくれる?」
「はい」
「ありがと。片面焼きと両面焼きどっち?」
「普通の目玉焼きがいいです。コップにミルク注いどきますね」
「気が利くね」
忙しげに立ち働く男と少女は実の親子のように打ち解けて見えた。台所を行ったり来たり、朝食の支度にとりかかる二人を見比べ、安田は居心地悪げに俯く。
十分後、テーブルに出来たての朝食が並ぶ。香ばしいキツネ色のトーストとレタスをちぎった新鮮なサラダ、半熟の目玉焼き。
「いただきます」
「いただきます」
「……す」
斉藤と恵が綺麗に唱和し、またしても安田だけ出遅れる。空回り甚だしい。
「恵ちゃんが手伝ってくれたからおいしくできたよ」
「お世辞はやめてください、先生」
「本当本当」
「牛乳注ぐ位しかしてないのに大袈裟すぎです」
「今度は目玉焼き作ってみる?」
「できるかなあ」
「簡単だよ、わかんなかったら何でも聞いて」
朝食中は主に斉藤と恵が喋り、安田は黙々とトーストを齧っていた。
「授業はどこまで進んだ?」
「今は日本の近代史をやってます」
「歴史の勉強は楽しい?」
「はい。一番好きなのは国語だけど」
「恵ちゃんは文系だね」
「カラマーゾフの兄弟を読んでるんです。難しい漢字がたくさんあるし、同じ人でも愛称が色々で最初は大変だったけど、慣れてきたら面白くて」
「ドストエフスキーかあ。懐かしい、昔大学でやったな。登場人物が皆癖強くてキャラ立ってるよね。順も好きだったよね」
突然話を向けられ、嚥下したものが喉に閊える。養父の失態を目撃し、心なしか恵も気まずそうだ。
「どうした?愛読書だろ」
「いや……」
「レポート書いて提出したじゃないか、カラマゾーフの兄弟におけるイワンとスメルジャコフの共依存構造の解剖」
「なんで表題を覚えてるんだ、気持ち悪いぞ」
「わからないことは順に聞きなよ、原文で読んでるから」
「ロシア語で?すごい」
恵が素直に感心し、尊敬の眼差しを向けてくる。ますますいたたまれない。照れ隠しに咳払いする安田の反応をはき違え、小さくなって俯く。
「ご、ごめんなさい」
「何故謝る」
「えっと……お仕事忙しいのにずうずうしかったかなって。わからない事は自分で調べるんで、私のことは気にしないでください」
萎縮しきって謝る恵を見返し、わざとらしく咳払いする。良い機会だ。毅然と顎を引き、名前を呼ぶ。
「恵」
「はい」
「敬語はやめろ」
「え?」
「君と暮らし始めて随分経過した。そろそろその、もっと肩の力を抜いて話してくれ」
話し始めて早速後悔した。恵の顔がみるみる曇り、大きな瞳に困惑が浮かぶ。
「具体的には」
「斉藤に先生を付けるな」
「先生は先生です」
「こんな奴は呼び捨てで構わん」
「酷いな」
やんわり抗議を申し立てる斉藤をよそに、ルバーブジャムを塗ったトーストを一口齧る。
「ならせめて斉藤さんにしろ。君は私たちの娘で患者じゃないんだ」
「安田さんは安田さんのままでいいんですか」
「好きに呼びたまえ」
「不公平だな」
斉藤が拗ねる。恵は唇を噛んでしばらく考え、意を決し小さな口を開き、どうしても言えず引き結ぶ。
「……ごめんなさい。先生はずっと先生だったから今すぐには」
「謝るな。無理をしろとは言ってない」
「口下手な本音を通訳するとだね、順は『お父さん』と呼んでほしいみたいなんだ」
「許可なく騙るな!」
安田が椅子を蹴立てると同時、恵がビクリと身を強張らせフォークを落とす。まずい。
「……朝食を続けなさい」
またしても事を急ぎすぎた。プレッシャーをかけるのは本意じゃない。安田の指示に従い、恵が朝食を再開する。新しいフォークは斉藤が取ってきた。
正直な所、安田は恵を扱いあぐねていた。もとより子供は苦手で接し方がわからない上、彼女の生い立ちと性格が拍車をかける。

夜、安田と斉藤は話し合いを持った。

「確かにコミュニケーションをとれとは言った。言ったけどね、いきなり『敬語をやめろ』はないでしょ」
「反省はしてる」
「恵ちゃんはあれが自然体なのさ。今はゆっくり新しい環境に適応中なんだ、無理強いするもんじゃない」
「それはそうだが」
「年の差を考えなよ、三十路の男が十代の女の子にタメ口で話しかけられても微妙な空気になるだけだ。僕は歓迎だけど」
「しかし病院では」
「あそこは特殊な空間だからね。関係を築き直すとなったら一旦リセットしなきゃ」
「……」
「どうしたんだい。敬語は使われ慣れてるだろ」
斉藤の質問にやや目線を伏せ、気恥ずかしげに白状する。
「先生と安田さんなら、後者の方がよそよそしくないか」
「それは君の感じ方だろ?」
「まあな」
苦いコーヒーを嚥下、渋々認める。視線の先にはドアを隔てた恵の部屋。
「……変な感じだ、お前と一緒に他人の子供を育てるなんて」
「他人じゃない。直君の妹である以上、僕たちの娘も同然」
「解せん理屈だな」
「消息は?まだわからないのかい」
「今頃どこでどうしてるのか……捕まったって話は聞かないから、逃避行を続けているのだろうな」
「海外に出たのかもね。その方がいい」
恵は直からの預かりものだ。斉藤と協力し、正しく育てたい。それが安田にできる最大の償いだ。
当時十歳だった少女は十五歳に成長し、後見人の庇護のもとよく学び、将来を模索している。
「いずれ全てを話す時が来る」
「全てってどこまで?直君の身に起きたこと全てって意味なら反対だ、恵ちゃんが罪悪感で潰れてしまいかねない」
「お前の言い分も一理あるが彼女には知る権利が」
「知らないでいる権利も等しく与えなきゃ。どっちにしろ選ぶのは恵ちゃんで僕たちじゃない」
斉藤がきっぱり断言し、安田が眼鏡をとって瞼を揉む。
「正論だな。どうかしていた」
「気がかりは他にもある」
「悪夢か」
「気付いてた?」
「声が聞こえるからな」
斉藤・安田と共に暮らし始めて数か月、恵は週に一・二度の頻度でうなされていた。
「女の子の寝室を覗くのはいただけないけど、前に一度様子を見に行ったことがある」
「どうしてた」
「ごめんなさいを繰り返していた。寝言で」
誰に謝罪を捧げているのか。亡き両親か生き別れの兄か。安田の顔が苦悩に歪む。
「……直は。鍵屋崎は、彼女を迎えに来る気があるのか」
「さあね」
「無責任だな」
「僕は直くんじゃないからね、その問いには答えられないよ」
斉藤が悪戯っぽく笑い、安田のマグに手を被せる。
「考えてること当ててみせようか。僕等と暮らすより直くんに付いてった方が恵ちゃんは幸せかもしれないって悩んでるんだろ」
「彼女に健全な家庭を……安定した居場所を与えたいというのが、大人のエゴだったのは認める」
たとえ不安定な暮らしでも、最愛の兄と同行した方が幸せだったんじゃないか?
脳裏を過ぎる疑問に囚われ、率直な心情を吐露する。
「直が託して行った少女に、子供を脅かさない親のモデルケースを与えたかった」
「それが養子縁組の動機?」
「お前は経験者だ。パートナーとして不足はない」
「嫌味か」
「良い夫とは口が裂けても言わないが、父親としてはそこそこ頑張ってる方だ。そういうところは好ましい」
斉藤が実子と連絡を取り合ってるのは知ってる。安田の言葉に苦笑し、腰を浮かす。
「僕たちって夫婦なのかな?」
「ぴんとこないな」
「だよね」
「かといってただ一緒に住んでるだけでもない。おかしな関係だ」
「君が好きだ。ずっと一緒にいたい」
「斉藤」
「結婚して子供ができても忘れられなかった。離婚後は前にも増して思い出すことが増えた。今、毎日顔が見れて嬉しい。君と過ごす日常が幸せだ」
面と向かって告白され、安田が微妙な顔で黙り込む。頬と耳たぶが薄赤く染まっていた。
「ベッドに行こうか」
斉藤がさりげなく眼鏡を外し、畳んで安田に返す。情事のはじまりの合図だった。

目の前に一人の少年がいる。癖のない黒髪に冷たい切れ長の目をした、眼鏡の少年だ。
『直』
少年は懐かしい囚人服を着ていた。周囲には不毛の砂漠が広がり、空には灼熱の太陽が輝く。
『久しぶりだな安田。所長だって?出世したじゃないか』
『今どこにいる。無事なのか』
『場所は伏せる。恵は?』
『元気にやってる』
『そうか。よかった』
安堵が滲む声色で呟き、眩げに目を細めて見返す。
『貴方に頼んで正解だった』
『会いに来ないのか?』
直は黙り込んだまま答えず、眉間に手庇を翳し、空の遥か彼方を振り仰ぐ。
『あの病院は監視されていた。政府は僕が妹に接触すると睨んでいる。筋書き通りに動いて巻き込むのは癪に障る』
『……』
言いたいことや伝えたいことは山ほどある。責めてほしい、罵ってほしいと願い、それすら叶わず砂を踏み締め近寄り、生き別れた息子の名前を呼ぶ。
『直』
『恵は恵の人生を生きる。それが僕の願いだ』
誰にも依存せず自立して。
『そして貴方も』
砂に埋もれる安田の前で踵を返し、傲然と去って行く。長身痩躯の男が隣に並び、手と手を繋いで遠ざかる。行くなと叫ぶ喉に砂が入り込み、連れ戻そうと伸ばした手が空を掴む。
死に物狂いにあがけど追い付けず引き離され、こみ上げる激情に駆り立てられ、切実に絶叫する。

―「直!!」―

闇に沈んだ天井が出迎える。
「はあっ、はあっ、はあっ」
「大丈夫?うなされてたよ」
「ああ……」
放心状態で呟く安田の隣、全裸の斉藤が気だるげに身を起こす。
「また直君の夢?」
「久しぶりに見た」
「何かあったのかな」
「不吉なことを言うな。たぶん心配で出てきたんだろ」
「君が?」
「妹に決まってる」
物言いたげな視線を振り切り、ダブルベッドを抜け出しバスルームへ赴く。
コックを捻りシャワーを浴びる。体を伝うしずくに息を吐き、こびり付いた体液と共に夢の残滓を洗い流す。
一体どこにいるんだ。生きているのか。仄白い水蒸気が立ち込め、男の裸身を覆い隠す。
脱衣カゴに入っていたシャツとスラックスを身に付け、寝室へ帰る際に胸騒ぎがした。
「ううっ、うっ」
嗚咽まじりの呻き声が理性をかき乱し、少女の部屋の前で立ち止まる。
「入るぞ」
具合が悪いのかと案じ、小さくドアを開けて踏み込めば、ベッドの上で恵が丸まっていた。部屋は電気が消され真っ暗だ。
「点けないで!」
壁のスイッチに伸ばした手を引っ込め、ベッドのそばまで歩いていく。恵は毛布を被って泣いていた。
「怖い夢でも見たのか。大丈夫だ」
こんな時どうすればいいか安田は知らない。顔を覆って嗚咽する恵の傍らに立ち尽くし、無力感に打ちひしがれる。
「……さい、ごめんなさい」
「恵?」
「お兄ちゃんごめんなさい……」
ドアの隙間がさらに広がり、逆光を背負った斉藤が入ってくる。二人の男が立ち尽くす中、恵は完全に子供返りしてしゃっくりを漏らす。
斉藤が忍び足で退室、暗い部屋に残される。しばらくのち、戻ったきた男の手にはホットミルクを注いだマグがおさまっていた。
「飲んで。落ち着くよ」
言われるがままマグを受け取り、中身を一口嚥下する。途端に表情が和らぎ、細い体が弛緩するのがわかった。
「どんな夢を見たの」
「……」
「言わなくてもいいよ」
恵が小さく首を振り、たどたどしい言葉を紡ぐ。
「お父さんお母さんを殺したときの夢」
安田恵もとい鍵屋崎恵は人殺しだ。鍵屋崎直は最愛の妹を庇い、親殺しの罪を被った。
「私がやったの。お兄ちゃんは悪くない。庇ってくれたの」
「恵ちゃん」
「私の代わりに刑務所に入って、いっぱいいっぱい酷い目にあって、勝手にどっかに消えちゃった。刑務所でできたお友達と一緒に」
力なく微笑む。
「ホント、最後まで勝手でやんなっちゃう」

恵は許された子供だ。
故に償うことさえできない。
彼女が償うべき罪は、独善と偽善を貫いた鍵屋崎直が持って行ってしまった。

置き去りにされた者同士シンパシーを感じ口を開いた安田を遮り、両手にマグを包んだ恵が尋ねる。
「先生。安田さん」
「なんだ」
「お兄ちゃんたち、まだ生きてるよね?」
「当たり前だ」
縋るような声音の質問に、願いを込めて即答する。恵は「そっか」と頷き、ごくごくミルクを飲み干す。
「私はもうこどもじゃない。来ないお迎えを待ったりしない。自分から会いに行く」
「会いに行ってどうする」
「内緒」
安田の心配は杞憂だった。過ぎ行く歳月は恵を強くした。
枕元の紙飛行機を握り締め、仄かに微笑む恵を見守り、安田と斉藤は心に決める。
「直に会いに行く時は私たちも一緒だ」
「お供するよ」
「え?で、でも」
「たまには保護者らしいことをさせてくれ」
「彼等は僕等の友人でもある」
自分と斉藤が今ここにこうしているのは直やサムライ、レイジやロンの活躍あればこそ。
この世の地獄と呼ばれる東京プリズンで安田と直が巡り会い、斉藤と再会した事にはちゃんと意味があった。
安田がからっぽになったマグを取り上げ、不器用に念を押す。
「一人で大丈夫か?」
「は、はい」
「おやすみ。今度こそ良い夢を」
「待って!」
退室の素振りを見せた二人を引き止め、恵がもじもじする。安田が眼鏡のブリッジを押す。
「まだ何か?」
「お兄ちゃんのお話してください」
あっけにとられ顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑いし、恵を挟む形でベッドに掛け直す。
「長くなるぞ」
「大丈夫」
「朝までかかるよ」
「頑張る」
恵が真剣に頷く。斉藤が足を組み、これから始まる長い長い物語を挫けず終え、今度こそ本物の夜明けを迎えられるように安田の手を掴む。
全幅の信頼をおくパートナーに励まされ、今や娘となった少女の真っ直ぐな眼差しを受け止め、元副所長は語り始めた。

―「そこに在るのは無辺大の砂漠と灼熱の太陽。走るジープの荷台には数名の囚人と看守。彼等の行き先は東京少年刑務所、通称東京プリズンと呼ばれていた」―
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みんなの感想(1件)

享
2023.05.20

一気に読ませていただきました。ほんっとうに大好きです!どのキャラクターも大好きで、(タジマ以外)特にレイジとロンの関係性がもう、うわぁ〜〜あ〜〜好きって感じで!サムライと直のお互いを信じてるけどすれ違ちゃってるのも大好きです‼︎自分も少年プリズンに入ってるかのように物語にのめり込みました!言いたいことはまだまだあるんですてど、まさみ様、素敵なお話有難うございます!

まさみ
2023.05.21 まさみ

ご感想ありがとうございます!大好きと言っていただけて嬉しいです、お約束のタジマは例外にも笑いました。レイジとロンはお互い背中を預け合えるようになるまでが長かったですね……!サムライと直は既に熟年夫婦の赴きです。
東京プリズンに入ったかのような一体感を味わっていただけたなら作者冥利に尽きます、長々とお付き合いありがとうございました。

解除
1 / 5

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