忠誠の蜜は騎士を蝕む

蒼琉璃

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第2話 アカシアの精霊

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「ジャーニ」
 
 ルーは手の中に光る指輪を眺める。
 普段誰にも見せたことがない一筋の涙が頬を伝った。子供の頃からともに学び、戦った親友のジャーニが先に逝ってしまったのだ。ルーはお守りがわりに持っていた遺品となった琥珀の指輪を握りしめる。
 命からがら彼の形見を持ち帰ってきたが、自分も片目を負傷し視力を失ってここに運ばれてきた。寝床ベッドに横になりながら、ルーは唇を噛みしめる。

「このまま、死ぬわけにはいかない。だが、どうすればいい。もう我々の兵力は半分だ……このまま負けてたまるか! ジャーニ、そして兄弟たちの仇を……!」

 ふと、ルーの頭に乳母ロモスの顔が浮かぶ。彼らの育ての親でもあり、教育係でもある彼女はコロニーの掟を、子供たちに教える役目を持っていた。
 女王への揺るぎなき忠誠。
 その命が尽きるまで騎士として戦い続けること。そして禁足地に足を踏み入れてはならないという言い伝えがあること。
 その中で特にルーが気になったのは言い伝えのある禁足地のことで、彼女に問いかけてみた。

『ねぇ、ロモス。なぜあの森の奥に入ってはいけないの』
『ルー、禁足地の奥にあるアカシアの木にはおそろしい精霊がいるのさ。そいつはとても醜く、おそろしい存在なんだよ。悪い精霊に捕まり、蜜を口にしたら最後、化け物に変わってしまうんだよ。だから絶対に行ってはならないのさ』

 ロモスはルーを怖がらせるように指を動かした。大人になれば、彼女の脅しも子供たちを危険な場所に行かせないための嘘だと、自分の中で結論づけていた。
 しかし、もし本当にアカシアの木におそろしい精霊がいて、その存在が持つという蜜に化け物に変わるほどの強い力が宿っているのだとしたら、最期にエラノラ女王のために使いたい――――。
 それがおとぎ話だったとしても、何もしないで死を待つより、試してみる価値はあるのではないかとルーは思った。

 ✤✤✤

 禁足地は戦場よりはるか南下した場所にある。面白半分に、侵入する者を警戒してか詳しい場所については、子供たちに教えられることは無かった。
 だが、重症を負った騎士を治療するのに忙しい治療師たちの目を盗み、ルーは『賢者の書庫』に忍びこむと禁足地に関する書物を読み漁った。
 悪しきアカシアの精霊が住むのは南西に位置し、その道は棘で塞がれているのだという。精霊も外敵から身を守っているのだろうか。

「棘か、厄介だな。それにしても強い力を持つ悪しき精霊も外敵を防ごうとしているとは、おもしろいものだ」

 ルーは誰にも気づかれないように、地図が書かれたページを破りとると、愛馬の元へと急いだ。自分がいなくなったことで、戦場から逃げ出した卑怯者と思われるかもしれない。
 しかし、彼が騎士としてエラノラ女王への忠誠と兄弟たちを守るためには、ブリンダビアの兵士たちを打ち破るような力が必要なのだ。
 
「北は草木が多い茂っているが、南の方はそうでもないのか。しかし、いったい禁足地まで何日かかるか……見当もつかないな」

 その間に、騎士団が全滅しエラノラ女王が処刑されてしまっていたら……そう思うだけで陰鬱いんうつとする。
 余計なことを考えるのはやめ、ルーは南西の禁足地へと向かった。騎士といえど、一人で行動することは危険が伴う。
 敵対する部族に見つからないように、偵察し彼らが狩り場から去った後を狙って進んでいく。彼らは自分たちよりも体が大きく、そして野蛮なのだ。見つかれば八つ裂きにされてしまうだろう。
 ルーは、三日三晩愛馬を走らせ、ようやく棘に覆われた道を見つけ出すことができた。

「ここが………禁足地か。いよいよ覚悟を決めなければならないな」

 ルーは剣を手にすると、息を呑んで外敵から身を護るように突き出た棘を斬っていく。ブリンダビアの騎士や、外敵と戦う時には感じなかった独特な感情だ。
 未知なる敵に対する興奮と、醜く恐ろしい悪しき精霊に対する畏怖を感じていた。もし問答無用もんどうむようで悪しき精霊が襲いかかってきたら、精霊を倒して蜜を奪うしかない。

「くそっ! いまいましい棘め。いったいどこまで続くんだ」

 ルーは焦りから苛立ちを抑えきれず、舌打ちした。大きく一振りした瞬間に視界がひらけ、鳥たちの飛び立つ音があたりに響き渡る。
 そこには、まだ黄色の華をぽつぽつと咲かせた、細く若い木が天に向かって生えていた。そしてそこには、アカシアの木を見つめる陽炎かげろうのような人影がぼんやりと立っていた。
 
 ――――あれが、アカシアの悪しき精霊か。

 剣を握る手に力が入る。
 人影はどうやら一つ、精霊というのは単体なのか、注意深く周囲を確認しながら忍びよっていく。突然攻撃されることも考え、ルーは姿勢を低くし構えながら前に進む。
 地面を踏みしめた瞬間、パキリと枝が折れる乾いた音がして息を飲んだ。

(しまった! 気づかれたか)

 汗が額を伝い、前方から目を離せずにいるとゆっくりと人影がふりかえった。

『だれ?』

 心地よい女の声が頭の中に響いた。
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