花の檻

第一章 種子殺人

④

　スチームミルクで書かれた可愛らしいクマのゆるきゃらのカフェラテを、二人組の女性に手渡すと、青年はにっこりと微笑む。

「可愛い！　ありがとうございます。ねね、テラス側に行こっか」
「いいね。晴れてるし、行こう」
「ごゆっくりお寛ぎ下さい」　

　白金台にある、モダンでシックなカフェは若い女性から、お年寄りまで人気があった。入り口に面したカウンター側の席は秋になると、赤と黄色の見事なコントラストの並木道が見れるし、店の奥にあるオープンテラスは、落ち着いた緑と花に囲まれて、どこかメルヘンチックだ。
　この店の名前は『Clair de luneクレールドゥリュンヌ』。
　フランス語で『月明かり』という、意味があり、内装も月を連想させる雑貨が飾られている。店内でケーキやカヌレの他に、月とウサギのアイジングクッキーなどが、テイクアウト出来るようになっている。また、コーヒー豆を保存できるキャニスター缶や、バッグなどのオリジナルグッズもあり、それを目当てに遠くから訪れる客もいるほどだ。
　女性客を接客していたのは白シャツに、Vネックの黒のエプロン、端正な顔立ちで物腰が柔らかく、どこか影があるバリスタの青年、高階葵たかしなあおいだ。
　彼の物憂いな雰囲気は、女性の母性本能をくすぐるのか、この店で葵あおいが働き始めてからというもの、若い女性の常連客が多くなってありがたい、というのが店長の口癖になっていた。若い女性が、SNSで発信する度に、お洒落なカフェにいる、イケメンの噂を聞きつけてやってくるのだから、彼は招き猫のようなものだろう。

「高階くん。イルガチェフェでホットお願いね。あと、４番のテラスのお客さんにキャロットケーキとカヌレ」
「――――はい、店長。ホット、キャロット、カヌレですね」

　オーダーを受けると、手際よくホットのコーヒーとキャロットケーキ、カヌレを用意する。エチオピア産のイルガチェフェは、フルーティーな味わいで、珈琲が苦手な客でも飲みやすい。
　テラスへ向かうと、女性たちが目を輝かせていた。パティシエ経験のある店長が作る、キャロットケーキやカヌレは、とても評判がいい。コーヒーだけでなく、スイーツ目当てで訪れる客も少なくはない。葵はテーブルにゆっくりと皿を置くと、ふと側に備えられていた茶色のブランケットを取り、彼女たちに微笑む。

「いつもありがとうございます。よろしければブランケットをどうぞ」
「あ、ありがとうございます。ちょうど寒くなってきたから、嬉しい」　
「お連れ様もどうぞ」
「ありがとうございます。あ、あの。私、コーヒー苦手な方なんですけど、ここのお店に通うようになって、自分に合う豆や、美味しく飲める方法がわかってきて、凄くはまっちゃいました」

　最近、この店に友人と訪れるようになった、常連客の女性は、葵を見るなり目を輝かせて、話しかけてきた。うっすらと化粧をしていて、大人びた表情をしているが、どこかあどけなさが抜けない。おそらく、高校生だろう。
　普段は、バリスタとしてカウンターの中でコーヒーを提供することが多いが、今日はホールスタッフが一人欠員している。ホールの経験も前職であった葵は、欠員のフォローに入っていた。できるだけ、面倒な会話を最小限にとどめるようにして、仕事をこなす。葵は接客業に携わっているものの、必要以上に他人と関わることは好まない。今日のように忙しい日は、客との会話を、早々に切り上げるのだが。
　彼女の言葉に、瞬間的に昔の記憶がフラッシュバックする。

✱✱✱

『お兄ちゃんの淹れてくれるコーヒーなら、私飲めるんだけどなぁ。ねぇ、お兄ちゃんなら絶対、良いバリスタになれるよ。私のことはいいから、本気で資格取ったら？』

　あれは、いつだったろうか。
　漫画を読んでいた妹に、葵がコーヒーを淹れてやった時だった。ソファーに座って、一口飲んで洗い物をしていた葵をふり返ると、就活に悩んでいた彼の背を、そっと押すようにして、笑顔で答えた。
　ほんの一瞬、たったそれだけ切り取られた記憶が目の裏に浮かぶ。