『婚約破棄された令嬢は、名もなき秤を置いて去る』

ふわふわ

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第26話 静かに積み上がる差

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第26話 静かに積み上がる差

 数字は、嘘をつかない。

 だが――
 語りすぎることもない。

 ベルトーネ・ランナバウトは、朝の執務室で、並べられた報告書を一枚ずつ確認しながら、そう実感していた。

 物流拠点の利用率。
 港湾の滞留時間。
 苦情件数と、その内訳。

 どれも、前月比で大きくは変わっていない。
 劇的な伸びも、急落もない。

(……いい傾向ね)

 派手な成功は、反動を生む。
 だが、淡々と積み上がる改善は、差を生む。


---

 午前の会議で、その“差”は、少しずつ形になって現れた。

「……周辺領の拠点ですが」

 報告役の文官が、慎重に切り出す。

「立ち上げから一か月。
 すでに運用の見直しが三度行われています」

「理由は?」

「契約条件の不統一です。
 例外措置が多く、現場が混乱しています」

 ベルトーネは、静かに頷いた。

(……予想通り)

 例外は、短期的には便利だ。
 だが、積み重なるほど、基準を溶かす。

「こちらへの影響は?」

「一部の商人が、
 向こうとこちらを天秤にかけています」

「構いません」

 即答だった。

「比べる時間は、必要です」

 比べて、選ぶ。
 その過程こそが、信頼を定着させる。


---

 昼前。

 公爵邸に、再び“非公式”な使者が訪れた。

 今回は、王都ではなく、周辺領の有力者だ。

「……貴領の運用を、
 参考にしたい」

 丁寧な言葉遣い。
 だが、視線は探るようだった。

「どの点を、でしょうか」

「例外を作らない、という姿勢です」

 ベルトーネは、少しだけ考え、正直に答えた。

「特別なことは、していません」

「ですが、
 多くの反発を招くやり方でもある」

「ええ」

 否定しない。

「だからこそ、
 最初から覚悟が必要です」

 使者は、困ったように笑う。

「……それが、難しい」

「そうでしょうね」

 ベルトーネは、穏やかに続ける。

「例外を一つ認めるたびに、
 次の例外を断る理由が、
 弱くなります」

 一拍。

「最初に積み上げた基準が、
 静かに崩れていく」

 使者は、深く息を吐いた。

「……勉強になりました」

「実践するかどうかは、
 そちらの選択です」

 彼女は、最後まで踏み込まなかった。


---

 午後。

 港湾地区から、現場視察の要請が入る。

 ベルトーネは、迷わず応じた。

 現場は、以前よりも落ち着いていた。
 人の動きが、無駄なく流れている。

「……最近、
 問い合わせが減りました」

 責任者が、そう言う。

「減った、ですか?」

「ええ。
 条件を理解してから来る人が増えたので」

 ベルトーネは、小さく頷いた。

(……それが、差)

 説明に時間を取られない。
 感情的な交渉もない。

 最初から、
 同じ地面に立って話ができる。


---

 視察の途中、
 かつて強く反発していた商人の姿があった。

 彼は、黙々と荷の確認をしている。

「……調子は、いかがですか」

 声をかけると、
 一瞬だけ驚いた顔をし、すぐに頭を下げた。

「……悪くありません」

「そうですか」

 それ以上、何も言わない。

 彼は、少し迷ってから、ぽつりと漏らす。

「最初は、
 息苦しいと思いました」

「ええ」

「でも……
 今は、先が読めます」

 それが、すべてだった。


---

 夕刻。

 公爵邸に戻ったベルトーネは、
 アルベリク・フォン・グラーフ公爵と、簡単な確認を行った。

「周辺領の動きは?」

「苦戦している」

 短い答え。

「こちらとの差は?」

「少しずつ、開いている」

 ベルトーネは、静かに息を吐いた。

「……勝ち負けではありません」

「分かっている」

 公爵は、頷く。

「だが、
 差は、いずれ力になる」

「ええ」

 彼女は、視線を落とす。

「静かに、
 確実に」


---

 夜。

 書斎で一人、記録をまとめながら、
 ベルトーネは思う。

 誰かを打ち負かしたわけではない。
 声高に主張したわけでもない。

 ただ、
 同じことを、同じ姿勢で、続けただけ。

 それでも、
 積み上がる差は、
 やがて、埋めがたいものになる。

 ベルトーネ・ランナバウトは、ペンを置く。

 静かな積み重ねは、
 気づかれにくい。

 だが――
 気づいたときには、
 もう、追いつけない。

 それが、
 彼女の選んだやり方だった。
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