『婚約破棄された令嬢は、名もなき秤を置いて去る』

ふわふわ

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第28話 決断の重さを量る秤

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第28話 決断の重さを量る秤

 朝靄が港を包み、遠くの桟橋が輪郭だけを残して滲んでいた。

 ベルトーネ・ランナバウトは、その光景を執務室の窓から眺めながら、机上に広げられた二通の書簡に視線を落とす。
 一通は王都から。
 もう一通は、周辺領の連名。

 どちらも、文面は丁寧だ。
 だが、書かれていない行間が、同じ匂いを放っていた。

(……秤にかけろ、ということね)

 選択の自由を与える顔をして、
 実際には、重さを測ろうとしている。


---

 午前の小会議で、側近たちは慎重に言葉を選んだ。

「王都の書簡は、
 “協調”を名目にしています」

「周辺領の方は?」

「“共同運用”です。
 基準の一部をすり合わせたい、と」

 ベルトーネは、指先で紙の端を整えた。

「すり合わせる、ですか」

「はい。
 実質的には、例外条項の追加になります」

 部屋に、短い沈黙が落ちる。

 誰もが分かっている。
 例外は、一度作れば増える。

「返答期限は?」

「王都は三日。
 周辺領は一週間です」

「十分です」

 彼女は、静かに言った。

「秤に載せる時間としては」


---

 昼過ぎ。

 港湾地区から戻った責任者が、顔色を引き締めて報告に来た。

「……現場で、動きがあります」

「どんな?」

「周辺領の拠点へ、
 こちらの作業員に声をかける者が出ています」

 ベルトーネは、目を細めた。

(……人を測りに来た)

 制度ではなく、
 決断の重さを。

「強引ではありません」

 責任者は続ける。

「条件は良い。
 待遇も、今より少し上です」

 少し、ではあるが。
 それが、試金石になる。

「対応は?」

「現場判断で、
 “本人の意思を尊重する”とだけ伝えました」

「正しいです」

 ベルトーネは、頷いた。

「引き止めない。
 だが、
 戻り口も作らない」

 それが、ここでの一貫した姿勢だった。


---

 夕刻。

 ベルトーネは、公爵と並んで港を歩いた。

 潮が引き、濡れた板が鈍く光っている。

「……人が動き始めたな」

「ええ」

 彼女は、足を止めない。

「数字や規約ではなく、
 “自分の決断が、
 どれだけ重いか”を量られている」

 公爵は、低く言う。

「重さを嫌う者もいる」

「当然です」

 ベルトーネは、静かに答えた。

「軽い方が、楽ですから」

 一拍。

「でも、
 軽い選択は、
 長く持ちません」

 公爵は、何も言わなかった。
 それが、同意だと分かる。


---

 夜。

 執務室で、ベルトーネは二通の書簡を並べ直した。

 王都の提案は、
 短期的な摩擦を減らす。
 周辺領の提案は、
 見かけ上の拡大をもたらす。

 どちらも、魅力的だ。
 だが――

(……秤に載せるべきは、
 “得”じゃない)

 歪みだ。

 歪みが、どれだけ先まで残るか。

 彼女は、白紙を一枚取り、
 短く箇条書きを始めた。

 ・例外が増えた場合の現場負荷
 ・基準の解釈差
・責任の所在
・戻り口の発生確率

 書き出すほどに、
 秤は傾いていく。


---

 翌朝。

 港で働く若い女性が、
 恐る恐る声をかけてきた。

「……周辺領の話、
 私にも来ました」

「そう」

「正直、迷いました」

 ベルトーネは、彼女の目を見て頷く。

「迷うのは、正しい」

「でも……」

 彼女は、拳を握る。

「ここは、
 迷ったあとに、
 逃げない場所だと思ったので」

 ベルトーネは、短く微笑んだ。

「あなたの秤は、
 ちゃんと働いています」

 その言葉に、
 彼女の肩から、力が抜けた。


---

 夜更け。

 ベルトーネは、二通の書簡に、
 それぞれ別の返答案を用意していた。

 王都へは、基準の共有のみを。
 周辺領へは、情報公開の協力までを。

 共同運用も、例外も、
 今は受けない。

 理由は、ただ一つ。

 決断の重さを、
 外に委ねないため。

 ペンを置き、深く息を吐く。

 秤は、揺れた。
 だが、倒れなかった。

 それでいい。

 重さを量る秤が、
 ここにある限り、
 選択は、誰かの都合で歪まない。

 ベルトーネ・ランナバウトは、
 静かに灯りを落とした。

 明日、返答は送られる。
 軽くはならない。

 だが――
 真っ直ぐだ。
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