『婚約破棄された令嬢は、名もなき秤を置いて去る』

ふわふわ

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第37話 重さを引き受けるということ

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第37話 重さを引き受けるということ

 朝の市場は、昨日より静かだった。

 人が減ったわけではない。
 声が消えたわけでもない。

 ただ――
 即断が、減った。

 値を叫ぶ前に、
 一拍、考える。
 相手の顔を見る。
 掲示板の紙を、ちらりと確認する。

 それだけで、
 町の空気は、わずかに変わる。

 ベルトーネ・ランナバウトは、通りの端に立ち、その変化を確かめていた。

(……秤は、動いている)

 だが、動き始めた秤には、
 必ず次の段階が来る。

 重さを、誰が引き受けるのか。


---

 昼前、集会所に呼び止められた。

「……少し、来てくれ」

 声をかけてきたのは、
 昨日、腕を組んで反発していた男だった。

 集会所の中には、数名が集まっている。
 顔ぶれは、商人、運送業者、地主。

 誰も、主導権を取ろうとしない。

 それが、問題だった。


---

「……決め方は、
 分かってきた」

 男が、重い口を開く。

「だが、
 決めた後が、
 分からない」

「後、とは?」

「誰が、
 責任を取るんだ」

 沈黙が落ちる。

 秤があっても、
 引き受ける人間がいなければ、
 測っただけで終わる。


---

 若い商人が、苛立ちを隠さず言った。

「理由を書けって言われたから、
 書いた」

「それで?」

「文句を言われた!」

「昨日は良かったじゃないかって!」

 声が荒くなる。

「……結局、
 俺が悪者だ!」

 誰も反論しない。

 それが、答えだった。


---

 ベルトーネは、
 少しだけ間を置いてから、口を開いた。

「……正しい流れです」

 全員が、彼女を見る。

「正しい?」

「はい」

 一拍。

「秤を置くと、
 最初に浮かび上がるのは、
 責任です」

「それは、
 歓迎されません」

 誰もが、
 分かっていたことだ。


---

「では、
 どうすればいい」

 地主の一人が、低く尋ねる。

「答えは、
 すでに出ています」

 ベルトーネは、
 集会所の中央を、指でなぞる。

「決めた人が、
 引き受ける」

「だが――」

「はい。
 重いです」

 彼女は、否定しない。

「だからこそ、
 秤が必要なのです」


---

 空気が、張りつめる。

「……今までは、
 誰かのせいにできた」

 年配の女商人が、静かに言う。

「“流れだから”
 “相場だから”
 “皆そうしてるから”」

 一拍。

「でも今は、
 理由を書いた瞬間、
 名前が浮かぶ」

 誰も、笑わない。

 それが、重さだ。


---

「引き受けられないなら、
 どうする」

 反発していた男が、問いかける。

「簡単です」

 ベルトーネは、淡々と答える。

「決めない」

 ざわめきが起きる。

「決めない?」

「はい」

「それで、
 回るのか!」

「回りません」

 即答だった。

「回らない不便さを、
 引き受ける覚悟がないなら、
 決めるべきではない」

 場が、静まり返る。


---

 若い商人が、拳を握りしめる。

「……じゃあ、
 決めるってのは、
 罰みたいなもんじゃないか」

「違います」

 ベルトーネは、
 静かに否定した。

「選択です」

「引き受ける選択」

「引き受けない選択」

「どちらも、
 秤に載せられる」


---

 しばらくの沈黙の後、
 女商人が、前に出た。

「……今日は、
 私が引き受ける」

 周囲が、息を呑む。

「値を変えない」

「理由は、
 昨日掲げた通り」

「文句があるなら、
 私のところへ来な」

 声は震えていたが、
 逃げていなかった。


---

 誰も、拍手しない。

 誰も、称えない。

 それでいい。

 重さは、
 祝福ではない。


---

 夕刻、市場で小さな口論が起きた。

「なんで、
 値を下げないんだ!」

「理由は、
 掲げてある」

「……本当に、
 その理由で?」

「そうだ」

 一拍。

「納得しないなら、
 明日、
 別の理由を掲げな」

 言葉は、強くない。

 だが、逃げてもいない。


---

 夜。

 宿の灯りの下で、
 ベルトーネは、記録をつける。

 今日、
 彼女は何も決めていない。

 だが――
 誰かが、重さを引き受けた。

(……これで、
 秤は道具になる)

 秤は、
 測るだけでは意味がない。

 引き受ける人間がいて、
 初めて機能する。

 それは、
 港でも、
 この町でも、
 同じだった。

 ベルトーネ・ランナバウトは、
 ペンを置く。

 明日、
 誰も引き受けない日が来るかもしれない。

 それでもいい。

 引き受けない選択も、
 また、重い。

 秤は、
 今日も語らない。

 だが、
 人はもう、
 軽くは動けない。

 それが――
 この町が、
 一歩、立った証だった。
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