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第二話 カフェ不可能論
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第二話 カフェ不可能論
王都を出立した馬車の窓から、ゆっくりと石畳の街並みが遠ざかっていく。
あの大広間での出来事は、すでに噂となっているだろう。
「芋女、ついに捨てられる」と。
私は膝の上に置いた帳面を開いた。そこには、びっしりと数字が並んでいる。
――王都でカフェを開く場合の試算。
婚約中、私は密かに調査を重ねていた。王都の流行、茶会文化、食材価格、保存環境、流通経路。夢物語で終わらせたくなかったからだ。
だが、何度計算しても結論は同じだった。
不可能。
まず、砂糖。
王都で流通している砂糖は、南方の植民地から船で運ばれ、商人ギルドが一括で買い取り、精製業者を通して販売される。関税、保管費、流通マージンが重なり、価格は跳ね上がる。
現在の相場では、一ポンドの砂糖は熟練職人の二日分の賃金に相当する。
仮にショートケーキ一台に百グラム使うとすれば――原価だけで庶民の週給が吹き飛ぶ。
蜂蜜はどうか。
砂糖よりは安い。だがそれでも贅沢品。養蜂は教会や富裕農家が管理しており、供給量も限られている。大量使用など論外だ。
「甘味」は、王都では薬か装飾であって、日常ではない。
次に牛乳。
王都周辺の酪農は盛んだが、問題は保存だ。昼間は湿度が高く、気温もそれなりに上がる。冷却技術は氷室頼みだが、夏場に安定供給するのは難しい。氷の輸送費も高い。
生クリームを泡立てる?
冗談ではない。泡立てている間に腐る。
そして決定的なのが――膨らみ。
王都のパンは硬い。酵母でじっくり発酵させた重いパンが主流だ。卵白を何時間も泡立てれば多少は軽くなるが、安定しない。ベイキングパウダーなど存在しない。
つまり。
王都の「カフェ」は、甘くない。
茶を楽しみ、商談をし、政治を語る場。
そこに並ぶのは硬いパンや塩味の菓子、干し果実。
ふわふわのパンケーキなど、夢のまた夢。
私は何度も試算した。
砂糖を蜂蜜で代用した場合。
林檎の果汁を煮詰めた場合。
果実の甘味だけで成立させた場合。
だが王都の林檎は酸味と渋みが強い。煮詰めれば多少甘くなるが、コストと手間に見合わない。
計算すればするほど、現実は冷酷だった。
甘いカフェは、王都では成立しない。
私は帳面を閉じ、馬車の窓の外を見た。
石造りの街並みが途切れ、なだらかな丘陵が広がる。
王都の湿気を含んだ空気が、次第に乾いていく。
北へ。
寒冷で、風が強く、作物が限られる土地。
王都では「貧しい」と言われる我が領地。
だが私は思い出す。
北の昼間の気温。
夏でも涼しく、夜は冷え込む。
湿度は低い。風が強い。
粉の保存に適している。
乳の腐敗も遅い。
そして、冬。
凍りつく世界。
天然の冷却環境。
王都では欠点だった寒さが、北では武器になるかもしれない。
私は胸の奥で、静かに火が灯るのを感じた。
王都でカフェが不可能なら。
別の場所で可能にすればいい。
甘味を支配しているのは、南方貿易と商人ギルドだ。
だがもし、砂糖を自給できるとしたら?
もし輸送を必要としない甘味が存在したら?
私は幼い頃、領地で見た光景を思い出す。
畑に転がる、白っぽい大きな根菜。
家畜の餌として扱われるそれを、私は一度かじったことがある。
ほんのりとした甘味。
あの味を、私は知っている。
前世の知識が、確信へと変わる。
てんさい。
あれは、ただの餌ではない。
砂糖の源だ。
もちろん簡単ではないだろう。
圧搾、濾過、再結晶。
精製技術も必要だ。
だが理論は頭の中にある。
そして北には、寒さという強力な味方がいる。
私は窓を閉め、深く息を吸った。
王都では不可能だったカフェ。
甘味のない茶会文化。
それらを否定するのではない。
超える。
北の地で、甘味を日常にする。
芋女と笑われた私が。
甘さで、この国をひっくり返す。
馬車は北へと進み続ける。
王都では夢だったものが、
北では現実になるかもしれない。
カフェ不可能論は、王都限定だ。
場所が変われば、理屈も変わる。
私は帳面の最後のページに、新たな一行を書き加えた。
「王都:不可能」
その下に。
「北方:再計算」
甘い逆転の準備は、すでに始まっている。
王都を出立した馬車の窓から、ゆっくりと石畳の街並みが遠ざかっていく。
あの大広間での出来事は、すでに噂となっているだろう。
「芋女、ついに捨てられる」と。
私は膝の上に置いた帳面を開いた。そこには、びっしりと数字が並んでいる。
――王都でカフェを開く場合の試算。
婚約中、私は密かに調査を重ねていた。王都の流行、茶会文化、食材価格、保存環境、流通経路。夢物語で終わらせたくなかったからだ。
だが、何度計算しても結論は同じだった。
不可能。
まず、砂糖。
王都で流通している砂糖は、南方の植民地から船で運ばれ、商人ギルドが一括で買い取り、精製業者を通して販売される。関税、保管費、流通マージンが重なり、価格は跳ね上がる。
現在の相場では、一ポンドの砂糖は熟練職人の二日分の賃金に相当する。
仮にショートケーキ一台に百グラム使うとすれば――原価だけで庶民の週給が吹き飛ぶ。
蜂蜜はどうか。
砂糖よりは安い。だがそれでも贅沢品。養蜂は教会や富裕農家が管理しており、供給量も限られている。大量使用など論外だ。
「甘味」は、王都では薬か装飾であって、日常ではない。
次に牛乳。
王都周辺の酪農は盛んだが、問題は保存だ。昼間は湿度が高く、気温もそれなりに上がる。冷却技術は氷室頼みだが、夏場に安定供給するのは難しい。氷の輸送費も高い。
生クリームを泡立てる?
冗談ではない。泡立てている間に腐る。
そして決定的なのが――膨らみ。
王都のパンは硬い。酵母でじっくり発酵させた重いパンが主流だ。卵白を何時間も泡立てれば多少は軽くなるが、安定しない。ベイキングパウダーなど存在しない。
つまり。
王都の「カフェ」は、甘くない。
茶を楽しみ、商談をし、政治を語る場。
そこに並ぶのは硬いパンや塩味の菓子、干し果実。
ふわふわのパンケーキなど、夢のまた夢。
私は何度も試算した。
砂糖を蜂蜜で代用した場合。
林檎の果汁を煮詰めた場合。
果実の甘味だけで成立させた場合。
だが王都の林檎は酸味と渋みが強い。煮詰めれば多少甘くなるが、コストと手間に見合わない。
計算すればするほど、現実は冷酷だった。
甘いカフェは、王都では成立しない。
私は帳面を閉じ、馬車の窓の外を見た。
石造りの街並みが途切れ、なだらかな丘陵が広がる。
王都の湿気を含んだ空気が、次第に乾いていく。
北へ。
寒冷で、風が強く、作物が限られる土地。
王都では「貧しい」と言われる我が領地。
だが私は思い出す。
北の昼間の気温。
夏でも涼しく、夜は冷え込む。
湿度は低い。風が強い。
粉の保存に適している。
乳の腐敗も遅い。
そして、冬。
凍りつく世界。
天然の冷却環境。
王都では欠点だった寒さが、北では武器になるかもしれない。
私は胸の奥で、静かに火が灯るのを感じた。
王都でカフェが不可能なら。
別の場所で可能にすればいい。
甘味を支配しているのは、南方貿易と商人ギルドだ。
だがもし、砂糖を自給できるとしたら?
もし輸送を必要としない甘味が存在したら?
私は幼い頃、領地で見た光景を思い出す。
畑に転がる、白っぽい大きな根菜。
家畜の餌として扱われるそれを、私は一度かじったことがある。
ほんのりとした甘味。
あの味を、私は知っている。
前世の知識が、確信へと変わる。
てんさい。
あれは、ただの餌ではない。
砂糖の源だ。
もちろん簡単ではないだろう。
圧搾、濾過、再結晶。
精製技術も必要だ。
だが理論は頭の中にある。
そして北には、寒さという強力な味方がいる。
私は窓を閉め、深く息を吸った。
王都では不可能だったカフェ。
甘味のない茶会文化。
それらを否定するのではない。
超える。
北の地で、甘味を日常にする。
芋女と笑われた私が。
甘さで、この国をひっくり返す。
馬車は北へと進み続ける。
王都では夢だったものが、
北では現実になるかもしれない。
カフェ不可能論は、王都限定だ。
場所が変われば、理屈も変わる。
私は帳面の最後のページに、新たな一行を書き加えた。
「王都:不可能」
その下に。
「北方:再計算」
甘い逆転の準備は、すでに始まっている。
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