婚約破棄された芋女ですが、北で砂糖を作ったら王国が甘くなりました

ふわふわ

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第四話 てんさい糖、最初の一粒

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第四話 てんさい糖、最初の一粒

 研究室と呼ぶにはあまりにも素朴な、屋敷の裏手の小部屋。

 石壁に囲まれ、北向きの小窓から冷たい風が差し込む。火を入れなければ、室温は外気とほとんど変わらない。冬には氷が張るこの部屋を、私はあえて選んだ。

 砂糖は、湿気に弱い。

 前世の記憶が、淡くよみがえる。製糖工場の映像。遠心分離機。真っ白な結晶。――あれほどの設備は望めない。だが原理は同じだ。

 甘い汁を取り出し、濃縮し、結晶化させる。

 それだけ。

「家畜用の根菜を、こんなに……?」

 厨房長が不安げにてんさいを見つめる。

「ええ。全部は使いません。まずは十本だけ」

 私は刃を取り、皮を厚めに剥く。泥を落とし、細かく刻む。すり潰し、布で包み、圧をかける。

 じわり、と透明な汁が滲み出た。

 それを鍋に集め、弱火にかける。

 甘い香りが、ほのかに立ちのぼる。

 てんさいの糖度は高い。だが同時に、不純物も多い。濾過しなければ濁ったままだ。

 私は灰を水で溶き、簡易的な濾過材を作る。布を重ね、汁をゆっくりと通す。

 透明度が、わずかに上がる。

「これで……甘くなるのですか?」

「なります。きっと」

 自分に言い聞かせるように、私は頷いた。

 火加減を調整しながら、ひたすら煮詰める。

 時間がかかる。

 単調で、地味で、根気のいる作業。

 婚約破棄のあの日、大広間で浴びせられた嘲笑を思い出す。

 芋女。

 甘い夢を語る愚か者。

 カフェなど幻想。

 王都では、私は現実を知らない令嬢だった。

 だが。

 私は知っている。

 甘さは、作れる。

 やがて鍋の中身は、とろりとした琥珀色の液体になった。

 これが第一段階。

 まだ砂糖ではない。

 私はそれを浅い皿に移し、冷気の強い部屋へ置く。

 夜。

 外気温は十度を下回る。

 この寒さが、結晶を助けるはずだ。

 翌朝。

 私は誰よりも早く研究室へ向かった。

 皿を覗き込む。

 琥珀色の表面に、わずかな白い粒が見えた。

 息を止める。

 指先でそっと触れる。

 固い。

 砂糖の結晶だ。

「……できた」

 思わず、笑いがこぼれる。

 ほんの少量。

 不揃いで、粗い粒。

 だが確かに、砂糖だ。

 私はそれを舌に乗せた。

 甘い。

 蜂蜜とは違う、澄んだ甘さ。

 王都で高値で売られていた南方の砂糖に、決して劣らない。

「本当に……甘い」

 厨房長が、目を丸くする。

 家宰も、無言で粒を舐め、驚愕の表情を浮かべた。

「これを……この地で?」

「ええ。まだ改良の余地はありますけれど」

 不純物は残っている。色も茶色い。だが精製を繰り返せば、より白く、より純度の高い砂糖へと近づくはずだ。

 私は鍋を見つめながら、静かに計算する。

 畑の面積。
 収穫量。
 糖分含有率。
 労働力。
 燃料。

 輸入砂糖にかかる関税と輸送費を引けば。

 十分、勝てる。

 王都の商人ギルドは、南方航路を握っている。

 だが彼らは、この地の根菜には興味を示さなかった。

 寒い土地。
 地味な芋。
 貧しい北。

 だからこそ、盲点だった。

 私は改めて皿を見つめる。

 たった一粒の結晶。

 だがこの一粒が、流れを変える。

「精製を重ねます。白く、もっと白く」

「白く……?」

「ええ。王都の貴族が驚くほどに」

 砂糖細工を誇示していた彼らに、北の砂糖を突きつける。

 甘味を、利権から解放する。

 やがて私は、厨房へ向かった。

 小麦粉。
 卵。
 牛乳。
 そして――自家製のてんさい糖。

 まだ少量だが、試作には足りる。

 生地に混ぜる。

 泡立てる。

 焼く。

 ふわりと立ちのぼる甘い香り。

 まだ膨らみは足りない。だが王都の硬いパンとは違う。

 焼き上がったそれを、皿に乗せる。

 表面に、てんさい糖のシロップを垂らす。

 見た目は質素だ。

 生クリームも、果実の飾りもない。

 だが一口食べれば。

 厨房長が、息を呑む。

「……甘い」

 それは、北の地では初めて味わう種類の甘さだった。

 安価で。
 十分に甘く。
 日常に届く味。

 私はゆっくりと微笑む。

 王都で絶望したカフェの夢。

 それは、ここで形を持ち始めている。

 寒さは敵ではなかった。

 乾燥は欠点ではなかった。

 北は、甘味の死地ではない。

 むしろ。

 甘味の揺りかごだ。

 私は窓の外の灰色の空を見上げる。

 やがてこの地は、こう呼ばれるだろう。

 北のお菓子の国。

 その始まりは、地味な根菜と、たった一粒の結晶。

 芋女と笑われた私の。

 最初の反撃である。
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