婚約破棄された芋女ですが、北で砂糖を作ったら王国が甘くなりました

ふわふわ

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第十六話 ふわり、革命の香り

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第十六話 ふわり、革命の香り

 その朝、焼き上がったばかりの生地は、静かに湯気を立てていた。

 鉄板の上で、黄金色に膨らんだ丸いそれを見つめながら、工房の若い料理人がぽつりと呟く。

「……本当に、酵母を使っていないのですか?」

「ええ」

 私は微笑んだ。

「魔法の粉よ」

 もちろん、本当の魔法ではない。

 重曹と酒石酸、そしてじゃがいも澱粉。

 湿気を避け、黄金比で混ぜた白い粉。

 この世界では存在しないはずの“膨張剤”。

 硬い黒パンしかない世界で、
 十五分で焼ける、ふわふわのパンケーキ。

 それは、甘味以上の衝撃だった。

 私は焼き上がったそれに、てんさい糖のシロップをとろりとかける。

 蜂蜜は使わない。

 高価だからではない。

 “使わなくていいから”だ。

 フォークを入れると、しゅわり、と音がする。

 若い料理人が目を丸くする。

「空気を食べているみたいだ……」

 私は頷く。

「それが“軽さ”よ」

 この世界の菓子は重い。

 甘さは希少。

 だからこそ、甘味は濃く、重く、誇示的。

 だが私は違う方向へ行く。

 軽く、優しく、毎日食べられる甘味。

 北の寒さは、保存に向く。

 湿度が低い。

 粉は湿気にくい。

 天然の乾燥庫。

 私はパンケーキを切り分ける。

「これを“朝の甘味”にするわ」

 朝?

 料理人たちは顔を見合わせる。

 甘いものは宴席で食べるもの。

 朝に食べるという発想がない。

「砂糖はエネルギーよ」

 私は説明する。

「労働前に少量の甘味を摂ると、体が温まる」

 北の冬は厳しい。

 冷えた体に、温かい甘味。

 理にかなっている。

 その日、私は試験的に領内の工房で配った。

 農民、鍛冶屋、子供たち。

 反応は劇的だった。

「柔らかい……」

「歯がいらない」

「甘いのに、くどくない」

 硬いパンに慣れた人々の目が輝く。

 それを見て、私は確信する。

 これは単なる新商品ではない。

 生活様式の変化。

 そして当然。

 王都にも噂は届いた。

「北で“浮くパン”が出回っているそうです」

 王太子は眉をひそめる。

「浮く?」

「酵母ではないそうです」

 得体が知れない。

 それが恐怖を呼ぶ。

「魔術か?」

「いいえ、料理だと」

 料理。

 その一言が、逆に不気味。

 魔法なら規制できる。

 料理は規制できない。

 一方、北では。

 私は次の段階へ進む。

 パンケーキ単体では弱い。

 “体験”が必要。

 私は旧倉庫を改装する。

 白い壁。

 木の長机。

 大きな窓。

 北の光は柔らかい。

 そこに掲げた看板。

 ――北甘味茶房。

 王都にはない。

 “甘味が主役”のカフェ。

 お茶のみの店はある。

 だが菓子を常設で出せる店はない。

 保存技術がないから。

 砂糖が高すぎるから。

 私はその全てを突破した。

 てんさい糖。

 天然冷蔵庫。

 乾燥気候。

 そして、魔法の粉。

 開店初日。

 人は半信半疑で集まった。

 芋女の道楽。

 そう囁く者もいた。

 私は自ら鉄板に立つ。

 じゅう、と音がする。

 膨らむ。

 香ばしい匂い。

 空気が甘くなる。

 客の視線が集まる。

 私は皿を差し出す。

「どうぞ」

 老農夫が一口。

 沈黙。

 そして。

「……笑ってしまうな」

 彼は涙ぐむ。

「こんな柔らかいものを食べたのは初めてだ」

 店内にざわめきが広がる。

 子供が笑う。

 若者が頬張る。

 女たちが頷く。

 私は静かに息を吐く。

 カフェは不可能だと、最初に断じた。

 砂糖がない。

 乳が腐る。

 林檎は酸っぱい。

 蜂蜜は高価。

 その絶望を、一つずつ潰した。

 そして今。

 ふわふわのパンケーキが、北で日常になろうとしている。

 その夜。

 売上帳を確認する。

 黒字。

 だが、それ以上に。

 “常連”が増えている。

 甘味が特別から日常へ。

 それは経済の安定を意味する。

 王都では再び会議。

「北はカフェを始めた」

「菓子専門だと?」

「はい。王都には存在しない形態です」

 王太子は机を叩く。

「真似しろ」

「砂糖価格が……」

 沈黙。

 南方砂糖では原価が合わない。

 北のてんさい糖だからできる価格。

 王都は動けない。

 私は夜の店内を歩く。

 甘い匂いが残っている。

 窓の外は雪。

 白い世界。

 白い砂糖。

 白い湯気。

 私は小さく笑う。

「革命は、ふわりと始まるのですわ」

 剣も槍も使わない。

 ただ、柔らかさで。

 北のお菓子の国は、静かに形を変え始めていた。
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