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第二十九話 甘味は国境を越える
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第二十九話 甘味は国境を越える
最初に異変に気づいたのは、港の荷役人だった。
「北の砂糖を積んだ船が、倍に増えてますぜ」
倉庫長が報告書を持って駆け込んできたとき、私は製糖工房の二階で帳簿を確認していた。
「倍、ですか」
「はい。王都向けだけでなく、西方諸侯領からも注文が入っています。しかも現金払いで」
私はペンを止める。
王国の中だけで回るはずだった甘味が、外へ流れ始めている。
山道と港の再整備が進み、物流は安定した。北の乾燥した気候は結晶の品質を高め、氷室は乳製品を守り、ベイキングパウダーは“ふわふわ”という新概念を定着させた。
だが、それだけではない。
白い砂糖は、政治の言葉を超える。
隣国からの使者が訪れたのは、その三日後だった。
「北糖の輸出について、正式に協議したい」
使者は礼儀正しく頭を下げたが、その背後にあるのは焦りだ。
南方プランテーションに依存していた隣国は、海上封鎖や関税の揺らぎに常に悩まされている。そこへ現れた“寒冷地で生産可能な砂糖”。
それは外交カードになる。
応接室で茶を出す。
もちろん、砂糖入り。
彼は一口飲み、わずかに目を見開いた。
「……甘い」
「ええ。安定供給が可能ですわ」
「貴国は、これをどこまで広げるおつもりで?」
私は微笑む。
「必要とされる場所まで」
答えは曖昧だが、意味は明確だ。
甘味は武器になり得る。
帰り際、使者は静かに言った。
「北は、もはや辺境ではありませんな」
その言葉は、かつての“芋女”への嘲笑と対照的だった。
その夜、私は父――公爵と会談する。
「輸出を拡大するなら、税制を再設計せねばならん」
「関税は抑え、代わりに製糖設備への投資を増やします。量で稼ぐ構造へ」
父は頷いた。
「お前は、商人よりも商人らしいな」
「甘味は感情を動かします。感情が動けば、金も動きます」
翌週、王都からも通達が来た。
北糖を王国公式交易品として認定する。
つまり、王家の後ろ盾がついた。
南方商会は完全に沈黙したわけではないが、もはや独占はできない。
茶房では新メニューが試作されている。
砂糖漬けの柑橘。
保存性を高めた焼き菓子。
輸送向けに改良した“乾燥パンケーキ粉”。
私は試作品を手に取る。
「これなら、湿気の多い地方でも扱えますわね」
「北ほどではありませんが、十分に膨らみます」
技師が答える。
甘味は、北の風土に守られて完成した。
だが、世界に広げるには改良が必要だ。
そして、改良こそが真の価値になる。
広場では子どもたちが“砂糖菓子祭”の準備をしている。
白い結晶を星形に固め、飾り付ける。
かつては硬いパンしかなかった土地だ。
今では、祭りに甘味がある。
私は静かに思う。
婚約破棄の日、私は価値を否定された。
だが今、北は他国に必要とされている。
必要とされること。
それこそが、最大の逆転だ。
夜、執務室の窓から港を見る。
灯りが増えている。
交易船が増えた証だ。
甘味は、国境を越えた。
そして次に越えるのは、常識だ。
私は帳簿を閉じる。
「次は、教育ですわね」
製糖技術。
化学。
乾燥管理。
品質検査。
これを体系化しなければ、北は一過性の流行で終わる。
だが、流行ではない。
産業だ。
産業は、学問を生む。
甘味の国は、知の国へ。
白い砂糖は、ただの甘味ではない。
北の未来そのものだ。
最初に異変に気づいたのは、港の荷役人だった。
「北の砂糖を積んだ船が、倍に増えてますぜ」
倉庫長が報告書を持って駆け込んできたとき、私は製糖工房の二階で帳簿を確認していた。
「倍、ですか」
「はい。王都向けだけでなく、西方諸侯領からも注文が入っています。しかも現金払いで」
私はペンを止める。
王国の中だけで回るはずだった甘味が、外へ流れ始めている。
山道と港の再整備が進み、物流は安定した。北の乾燥した気候は結晶の品質を高め、氷室は乳製品を守り、ベイキングパウダーは“ふわふわ”という新概念を定着させた。
だが、それだけではない。
白い砂糖は、政治の言葉を超える。
隣国からの使者が訪れたのは、その三日後だった。
「北糖の輸出について、正式に協議したい」
使者は礼儀正しく頭を下げたが、その背後にあるのは焦りだ。
南方プランテーションに依存していた隣国は、海上封鎖や関税の揺らぎに常に悩まされている。そこへ現れた“寒冷地で生産可能な砂糖”。
それは外交カードになる。
応接室で茶を出す。
もちろん、砂糖入り。
彼は一口飲み、わずかに目を見開いた。
「……甘い」
「ええ。安定供給が可能ですわ」
「貴国は、これをどこまで広げるおつもりで?」
私は微笑む。
「必要とされる場所まで」
答えは曖昧だが、意味は明確だ。
甘味は武器になり得る。
帰り際、使者は静かに言った。
「北は、もはや辺境ではありませんな」
その言葉は、かつての“芋女”への嘲笑と対照的だった。
その夜、私は父――公爵と会談する。
「輸出を拡大するなら、税制を再設計せねばならん」
「関税は抑え、代わりに製糖設備への投資を増やします。量で稼ぐ構造へ」
父は頷いた。
「お前は、商人よりも商人らしいな」
「甘味は感情を動かします。感情が動けば、金も動きます」
翌週、王都からも通達が来た。
北糖を王国公式交易品として認定する。
つまり、王家の後ろ盾がついた。
南方商会は完全に沈黙したわけではないが、もはや独占はできない。
茶房では新メニューが試作されている。
砂糖漬けの柑橘。
保存性を高めた焼き菓子。
輸送向けに改良した“乾燥パンケーキ粉”。
私は試作品を手に取る。
「これなら、湿気の多い地方でも扱えますわね」
「北ほどではありませんが、十分に膨らみます」
技師が答える。
甘味は、北の風土に守られて完成した。
だが、世界に広げるには改良が必要だ。
そして、改良こそが真の価値になる。
広場では子どもたちが“砂糖菓子祭”の準備をしている。
白い結晶を星形に固め、飾り付ける。
かつては硬いパンしかなかった土地だ。
今では、祭りに甘味がある。
私は静かに思う。
婚約破棄の日、私は価値を否定された。
だが今、北は他国に必要とされている。
必要とされること。
それこそが、最大の逆転だ。
夜、執務室の窓から港を見る。
灯りが増えている。
交易船が増えた証だ。
甘味は、国境を越えた。
そして次に越えるのは、常識だ。
私は帳簿を閉じる。
「次は、教育ですわね」
製糖技術。
化学。
乾燥管理。
品質検査。
これを体系化しなければ、北は一過性の流行で終わる。
だが、流行ではない。
産業だ。
産業は、学問を生む。
甘味の国は、知の国へ。
白い砂糖は、ただの甘味ではない。
北の未来そのものだ。
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