スパダリ社長の狼くん

soirée

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第三章

十話

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 会場の一角で、手持ち無沙汰にシャンパングラスを持て余す。忍に連れられて入ったパーティー会場だったが、忍は立場上各方面への挨拶に忙しい。できる限りそばにいる、と言う言葉に偽りはなく、「できる限り」はそばにいてくれるのだが、できない時も当然あるのだった。


 華やかなパーティードレスの女性陣がオードブルの皿を手に笑い合っている中心に忍が見える。ダークネイビーのスーツはこれ以上ないほどよく似合う。白のドレスシャツも相まって、女性から見れば間違いなくプリンスだろう。その上忍は独身で、浮いた話もないのだから。華奢な忍とはいえ女性と並べば男としての頼もしさは間違いなくあり、整った顔も艶やかな長髪もどこからどうみても麗しいの一言だった。
 思わず視線を逸らす。無駄なボディタッチをするなと苛立ちが募って仕方がない。そうかと思えば取引先の重役とビジネスの話を進める姿にはどうしても惚れ直してしまうのも事実で、会場入りしてから今に至るまで、忍の無闇な魅力のせいで周囲も瞬も翻弄されてばかりだった。

(そりゃ……かっこいいから、見惚れるのも憧れるのもわかる、けどさ……)

 モヤモヤした気分のまま、壁の花を決め込む。その瞬にも数知れず女性がアプローチをかけているのだが、本人が無頓着すぎて女性たちの一人相撲になっていた。
 不意に差し出されたカルパッチョをつい受け取ってしまう。初めて気がついたように顔を上げた瞬の前に立っているのは、柔らかい茶髪のこれはまた異常な顔面偏差値としか言いようのない男だ。骨ばった指がシャンパングラスを傾けて忍をさす。
「罪な男だよね。あれだけ群がってんのに相手する気なんてかけらもないんだからさぁ。あの人がいつまでも独身でいるせいでうちの女の人みんな望みを捨てられずに退社しないんだよ。俺から見たら全く望みないけど」
 砕けた口調で話しかけてくる。長いまつげに縁取られたパッチリとした大きな二重の瞳は、日本人には珍しい鳶色だ。チャコールグレーのヘリンボーンスーツの胸元に特徴的な眼鏡をしまっている。アイスブルーと鼈甲のフレーム。
「……? うちの会社の人、ですよね?」
 尋ねた瞬にそうよー、と頷く。
「まぁ俺をまともに見たことあるやつほとんどいないし、あんたとはビルも違うしね。知らなくて当然」
 不意に視線を流してきた男の目がかすかな敵意を帯びた。瞬が身じろぎする。
「あんた、社長の寝子でしょ? 写真出回っちゃったもんな。女の子たち皆傷ついてんだよ? どう、あの高嶺の花を独り占めする気分」
 言葉の棘に小さく俯く。
「俺、あんたの前のあの人の寝子だよ。あんたが来てからセキュリティ事業部の方にも社長ほとんど顔出さねーし。ほんとムカつくわ。顔も平凡なのにな」
 瞬が瞠目した。男の顔を見返すこともできないまま、忍へと視線を向ける。過去の相手に嫉妬をしても始まらない、だが……。
 
 歩み寄ってきた忍が、手にしたチーズの盛り合わせを差し出してくれる。顔色の悪い瞬に心配そうな視線を向けたのち、隣で悪びれずにいる山岸に苦言を落とした。
「佑。また要らない毒を吐いたね? 君の悪い癖だよ」
「ごめんなさーい。んじゃ俺、忍にも挨拶したしこれで帰るよ。いいでしょ、こんなまともなカッコで出てきただけ褒めてよね」
「社長と呼べっていつも言ってるんだけどな。お疲れ様。気をつけて帰ってね」
妙に馴れ馴れしい口調の山岸のことも許している忍に、先ほどの言葉は嘘ではなさそうだとわかってしまう。
(特定の相手と関係が続いたことはないって、言ってたのに……)
 つい責めるような目になってしまう。忍が苦笑した。
「ごめんね、遠慮がない子なんだ。気にしなくていいからね」
 並んで立てばすぐに気づかれるであろうシミラーコーデすらも安心材料になってくれない。眉間に皺を寄せている瞬の指先を軽く叩き、忍が「おいで」と手招きをする。仕方なく後に続きながら、壇上に上がる忍を見上げた。マイクを手にした忍が、集まってくれたことへの感謝を述べる。
「実は10年と言う節目に僕に家族ができたことを今日は発表したいと思っている。長く独身を貫いたけれど、今の僕にはかけがえのない相手がいる」
 忍の言葉に瞬が目を見開いた。公表する気なのかと焦る。忍の社会的な立場はどうなるのか。
「残念ながら法的に家族になることはできない相手だけれど、僕は他の誰より彼を愛している。僕の優秀な秘書で、恋人の──黒宮瞬を」
 会場がざわついた。忍に縁談を持ちかけていた取引先の人間までもが瞬を一斉に見る。
「彼は僕のものだとはっきりと今言ったよ。手を出さないでね。もちろん、僕にも」
 悪戯っぽい忍の声に笑いがさざめく。衝撃と共に広がった事実は、瞬が恐れたほどの拒絶はされない。むしろ祝福するようにシャンパングラスを掲げてくれる。

「社長、お幸せに!」
 
 上がった声はよく知っている。笹野だ。つられたように会場は祝宴モードへと変わる。山岸が逃げ出したのも無理はなかった。呆然としていた瞬を壇上に招いた忍は、あろうことか堂々と唇を重ねてくる。黄色い声が上がる。
 混乱はするものの、誤魔化しようもない嬉しさも込み上げた。瞬の目尻に涙が滲むのを忍が愛おしそうに指先で拭ってくれる。揃いのスーツもこうなるとどうにも恥ずかしい。瞬の精悍さをより魅力的に仕上げる黒のドレスシャツと忍のクラシカルな白が、互いを引き立て合うようだった。
 締めの挨拶と共に壇上を降りた忍と瞬のもとに多くの祝辞が寄せられる。顔が綻んでしまうのを止められない。いますぐ忍を抱きしめて、瞬の方こそこいつは俺のものなんだと言ってしまいたいほどだった。


 
 完全に酔い潰れてしまった瞬を車に運んで、運転代行のドライバーにタワーマンションの住所を告げる。嬉しさのあまり加減もせずにシャンパンを立て続けに口にしたせいで、意識もやや朦朧としている瞬にやれやれと微笑みを落とす。
 
 もう、これで後戻りはできなくなった。良くも悪くも進むしかないという状況だ。削除されたメールをゴミ箱から復元した際に開いたファイル、そこにあった己の過去も含めて、全てにケリをつけるいい機会だ。

 守るためには戦わなくてはいけない。奪わせてなるものかと、忍の視線がやや鋭い色を帯びた。
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