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Ⅰ章.始まりの街カミエ

19.内宮にて……

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 湯呑の縁を指を滑らせると、微かな振動が湯呑の中に小さな波紋をつくる。
 湯呑の縁は滑らかであり、波紋ができることに霞は違和感を感じたが、それを無視して窓の外の景色を見やった。
 開放的な大窓から見下ろすカミエの街は、山岳地帯からの吹きおろしの風で、桜色にかすんで見える。
 この季節、時折吹く山からの吹きおろしの風は、低緯度地方独特の暑熱を払ってくれるありがたさだけではなく、時折まじる桜色の花弁が人々の心を和ませていた。

 アマギの国は比較的低緯度にあり、年間を通して温暖であるが、桜が美しく満開の花を咲かせるのは冬の寒気が必要である。
 カミエの街周辺では雪が降ることも希な為、街が桜色に染まると言うほどの事は無く、南の山岳地帯の町アテの周辺で山々が染まるのを、遠目にみる事を楽しみにしている者も多いのだ。

 折しもここちよい風が執務室の中へと吹き込んできて、整えられた艶やかな髪を揺らす。
 風にのりふわりと漂ってきた一枚の花弁が、あたかも湯呑の中を旅の終着点に選んだかのように浮かんだ。

(はぁ…… 波乱の後の安寧を予感させる出来事やで……めんどい事です)

 巫女としては異例の、一年目での七十二侯を拝命して三か月、仕事にも慣れてようやく落ち着き始めた身の回りをかえりみて、霞は苦笑する。

 形の良い指先が、桜の花びらが浮かぶ湯飲みを弾くと、できた波紋がさらに花びらを揺らせた。
 コトリと執務卓の上に物を置く音に霞は視線を向けると、側付そばづきの社人である桔梗ききょうが新たにお茶をいれてくれたようだ。

「今日は少し蒸しますね。水出しのお茶にしたほうがよろしかったでしょうか?」

 そう言いながら、花びらの浮かんだ湯飲みを下げようとしたので、霞は桔梗の手をとめる。
 揺れる花びらをみて、桔梗もなにかを感じたのか笑みを浮かべた。

「……予兆ですか……?」

「ん~、たぶんそうやろうね……」

 桔梗の言葉にうなずきながら、霞はあえてそれに触れないように外をみやった。

 十二月姫である睦月の宮『青陽宮』は、三ノ宮宮社のある氷晶山の真北に、山頂から中腹に広がる白亜の宮である。
 白い瓦屋根と白壁で構成された建物群は、山頂から広がる緑と白のコントラストがとても美しく、カミエの街の人々からは『雪解けの大地のようだ』と評されている。

 しかし、巫女や社人が務める『青陽宮』とはいえ、人が集えば発生する軋轢も市井と何も変わる訳ではない。
 異例の若さで『青陽宮』を担う七十二候になった霞と、彼女に付き従う社人の者たちを迎えたのは、表面的な歓迎の言葉と、陰でささやかれるねたみやそねみであった。

 宮社の頂点百名余りの中で、霞はただ一人の十代の娘であり、他の七十二候は二十代の者である。
 それらに付き従う社人も同様に若くても二十代に近い者が多く、有能とされた桔梗をもってしても、やはり人付き合いは苦労が絶えないらしく、当初はため息ばかりついているのをよく見かけたものである。

 そもそも桔梗は若手の社人の中では、才色兼備として有名でありながらも、霞が側付きとして召し上げるまで、フリーでいたのも謎だったが、桔梗を側付きにして初めて霞にもわかってきた事があった。

 社人でありながら、七十二候ほどではないものの強い『祈力』を持ち、さらに女子には少ない『剣聖』の加護をもつ娘。
 能力的には最もバランスがとれていて、巫女神様の寵愛が深いとまで言われる社人の娘は、あるじに自身の力不足を感じさせるのだ。
 桔梗本人は主の仕事に差し出口を挟むようなことはせず、意見を問われた時にのみ口を出す控えめな性格でもあるのだが……
 強いて挙げれば、ときおり口に出す諫言かんげんは、主の痛いところを的確に突く点だが、それも親愛の情というものだろうと霞は思うことにしていた。

 そう感じはしていても、内宮以外の事は桔梗にたずねるしかないのが、今の霞の辛いところではある。

「そういえば、最近紫陽花あじさいを見かけへんけど、桔梗はなんか聞いてるかしら? その……坤島ひつじさるしまの(彼の)ことを……」

 そっけない口調では尋ねるが、桔梗には通じないだろうと霞は思う。

 霞が気にしてるのはクロのことであり、桔梗もそれは知っている。
 男子禁制の宮社でただ一人の男の子。いにしえの五聖剣を内封した、他の男の子とはかなり違った雰囲気を持つ少年だ。

「えぇ、芹様の元で健やかにお育ちのようですよ。一緒にいる『剣帝』の加護を持つ『ハク』という娘とも、仲が良くも悪くも無く、つつがなく暮らしているようです」

 クロは男子なのに、なぜか巫女神様の寵愛があるせいか、美少女のような顔と小柄で華奢な身体、色白の肌を持ち、優しげな話し方をする少年だ。
 霞も桔梗も、特別年下の男の子が好きという個人的趣向は持ち合わせていないが、クロは同じ年頃の他の男の子と比べると大人びた感じがして、どこか心惹かれるモノがあるのだ。

 総じてこの世界の男子は、娘たちからみると態度がよろしくない。十歳前後で親元を離れ、大半が村や里で男だけの生活をするせいもあるだろうが、がさつで横暴な者が大半をしめていた。
 特に農村の男たちは、町へ来ることができるのが、一定の食料を生産できるようになった一人前の農夫と認められてからということもあって、自負信が強く、娘達に露骨な態度にでる者が多い。
 言い寄る娘たち全てに拒否され、彼らはようやく気付くのだ。選択する権利は自分たちにはなく、自分たちが選ばれる側であることに……

 それに比べて、職人や商人へ奉公についたものは、日常的にも女子と接触することはあるため、娘たちへの対応はそれなりに洗練される。とはいえ、若く年頃の娘に気に入られようとする気持ちが背後に透けていて、それはそれで興が冷めるのである。

 女子に好かれようという態度がクロに無いのは、霞たちは知らないが中の人はそれなりの人生経験があり、そもそも女性に気に入ってもらおうなどと考えていないからであろう。
 本人は、まさか女性に対して草食性的な態度が気に入られるとは思ってもいないであろうが……

 余談ではあるが、クロの実年齢が八歳になったばかりであり、若いといっても十六歳の霞との年齢差はあるが、この世界では男女の年齢差はあまり問題にならない。
 こちらの世界では女性が少ないこと、そして婚姻相手の決定権が女性にあることも大きいのだろう。
 日本でも、平安時代に光源氏があちこちで浮名を流したのも、女性が許容すれば認められたのと同じことがこの世界にもいえるようである。

 『ハク』の名前を聞いて、内心穏やかではない霞であるが、ハクの境遇や噂は聞き及んでいる。
 悪い噂など彼女をよく思わないものが立てた無責任な噂であろうし、霞は気にしないが、クロの一番身近にいる女の子である。しかし、シロはクロを男の子だと知らないし、当人の境遇や性格からも、クロとの急接近は気にせずに済むのが幸いだとも思うのだ。

 霞がそんな事を考えながらお茶を飲んでいると、霞とおなじ紫色の袴をはいた巫女が執務室へと入ってきた。紫色の袴は七十二侯の証であり、この日の霞も同じものを着用している。
 霞は微かに眉をひそめる。この巫女は雨水の配下にいる三人の七十二候の一人で、末候まっこうの萌という女性だ。宮社の巫女共通して美しくスタイルも良いが、年齢は二十五歳であり、七十二候になってから五年が経過している、霞にとっては大先輩である。

 だが、萌の視点からみれば、霞は自分よりも若くして七十二候の位に上り、ほぼ同位とはいえ形式上萌の上になる霞に対しては、ややお局様状態にはいるのが難点であった。

次項殿じこうどの、雨水様がお呼びでございますよ。なにか、お叱りがあるのかもしれませんので、お急ぎくださいますように……」

 自分より若くて才能があるものが、あっという間に自分と肩を並べるどころか、わずかでも上をいかれた場合の反応は、何処でもそうは変わらないものらしい。

 にこやかな笑顔の萌の様子に、眉を潜めながらも慌てる様子もなく立ち上がると、霞は萌に礼の言葉をつたえる。

「ありがとうございます、萌様。雨水様には、萌様からの伝言を確かに辰巳の時刻にお聞きしましたと伝えておきますね」

 霞の言葉に、おそらくわざと時間を遅らせて伝えたのであろう萌は表情を変えながらもその場を取繕っている。
 霞とて、嫌がらせを立て続けにうければ、相手が何を考えて行動しているか程度の考えはつくのだ。たとえ、それが腹立たしいとはいえど、相手は宮社を十年守り続けてきた尊敬すべき先輩であることに違いはない。

 先ほど感じた予兆はこれだったのかと思いながら執務室を後にし、雨月様の宮へと向かう霞だが、彼女の前には百段を超える石段が待っていた。朱塗りの鳥居の下をくぐる百段の階段は、内宮奥へ向かういわば正規のルートである。
 内宮奥には桔梗は同行できない為、霞だけで九十九折する石段を上るが、百段と言えば高さにして十八メートル、ビルにすれば五階建て以上の高さとなり、それを自らの脚でのぼらねばならないのだ。

 十二月姫や二十四節姫、世話役の社人には専用の通路があると噂されているが、それを語る者は誰もいない。しかし彼らがこの石段を上り下りする姿を見かける事はないので、確実に存在する都市伝説と化してはいるのだが……

 足元を見ながら、急な石段を一段一段登っていく霞であるが、ふと足を止めて踊り場から街を見下ろすと、『青陽宮』は、春の雪解けの大地のようにみえて、美しく感じた。カミエの街も、運河と桜の並木、そして青々と育つ草花は、町の白壁と相まってとても幻想的である。
 とはいえ、さほどのんびりする時間的な余裕はない。萌が意図的に伝える時刻を遅らせていたとしても、直接の上司である雨水を待たせていることに変わりはないのだ。
 焦りはしても進まぬ脚に、ますます萌への怒りを募らせながらも、なんとか百段の階段を上り追えて、息をついた霞の視界に、水仙の紋をさした白袴がはいる。

「っ、失礼しました」

 とっさに膝を着き、謝罪の言葉を口にした霞であるが、これは本人にとっては上出来の対応だった。
 白地に白紋の刺繍の袴。それは三ノ宮の中でも最高位と称される十二月姫の正装であり、『青陽宮』にいる白袴の十二月姫といえばただ一人しかいない。

 十二月姫の一人睦月は、石段の頂上からカミエの街を見下ろしていたが、霞の存在に気付くと、狐面を僅かにあげて素顔をのぞかせる。

「気にしないでいいのですよ…… 霞さんがなかなか来られないので、様子を見に来ただけですから。
 また萌が意地悪したのでしょうけど、許してあげてくださいね」

 そう言って霞に顔をあげるように促した。

 誠実そうな声に、言われた通りに顔をあげた霞は、初めて間近で睦月の姿を見たのである。

 白い髪は艶やかで長く腰まで伸ばされ、桜の意匠をした髪留めの色が映える。霞に差し出された右手は白魚のように美しく、ほっそりとした身体は一枚の絵画のような、非現実的な印象さえ覚えてしまい、思わず見惚れてしまいそうであった。

 差し出された手をとり立ち上がった霞は、思わず聞き返してしまう。

「あ、あのすいません。私は雨月様に呼ばれたと聞いていたのですが……」

 今の会話からすると、呼び出した相手まで偽ったのかと、萌の行動に怒りを覚えた霞であったが、睦月はやんわりと否定する。

「萌が偽りを伝えたわけではありませんわ。わたくしが霞さんとお話をしたくて、雨月を通して呼んでもらったのです。
 さぁ、いらっしゃいな。折角会えたんですもの、色々と聞いてみたいこともあったんですよ」

 そう言って、手を引き歩き出す睦月の自然な動きに、霞は気づくことは無かった。睦月の両の目が閉ざされていた事に......
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