つれづれなるおやつ

蒼真まこ

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兄とソフトクリーム

溶けていくソフトクリーム

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「七海、お父さんとお母さん、別々に暮らすんだって」

 顔色を変えることなく、兄は私に話してくれた。きっと、こうなることを予想していたのだろう。

「そう、なの……?」

 私が小学校に入る年に、両親は離婚することになった。
 別々に暮らすようになれば、父と母はもうケンカしなくてすむのだと、子ども心に思った。ふたりがすごい形相で罵り合っている姿を見るのは辛かった。父と母のことも、心底嫌いにはなれなかったのだから。

「七海とお兄ちゃんは、どうなるの? 」

 私が一番気になることは、兄と一緒にいられるかどうかだった。
 おとうさんやおかあさんが別々に暮らすのはしかたないと、子どもでも思えた。けれど、兄とだけは離れたくなかった。幼い私を守ってくれるのは、兄の航、ただひとりだけだったのだから。

 兄は、何も答えなかった。やや下を向き、唇を噛んでいるように見えた。

「ねぇ、お兄ちゃん」

 しばらくして兄はゆっくりと顔をあげ、私に笑顔を見せてくれた。

「七海、兄ちゃんとソフトクリームを食べにいこう」

 その笑顔は少しひきつっていて、いつもの表情とは違っているように感じられる。

「うん……」

 いつも通り、兄はおじさんがいる売店へと私を連れて行ってくれた。優しいおじさんの店に行くときは、これから食べられるソフトクリームが楽しみでわくわくしているのに、その日だけは少し不安だった。

「おじさん、ソフトクリームひとつください」
「あいよっ!」

 明るくて優しいおじさんが作るソフトクリームは、今日も妙な形をしていた。コーンカップから、こぼれてこないのが不思議なぐらいだ。
 おかしな形状のソフトクリームを受けとると、はじけるように笑うのに、その日の兄に笑顔はなかった。
 おじさんも疑問に思ったのか、首を傾げている。 
 兄が笑ってくれないと、私も笑ってはいけない気がして、何も言えなかった。

「ほら、七海。あっちで食べよう」
「う、うん」

 売店の横にあるベンチに、二人並んで腰を下ろす。普段と変わらないのに、なぜか心がざわつく。

「七海、食べろよ」

 いびつな形のソフトクリームを手渡され、遠慮がちにかぶりついた。
 ひんやりと冷たいクリームにぷるっと体を震わせながら、ミルキィなソフトクリームを口の中で堪能する。いつもと変わらず、冷たくて甘くて美味しい。
 一口食べたら、今度は兄の番だ。

「はい、お兄ちゃん」

 兄に渡そうとすると、兄の航は静かに首を横に振った。

「七海、食べながらでいいから聞いてくれ」

 兄はソフトクリームを受けとらず、代わりに話し始めた。

「さっきの話だけどな。兄ちゃんは、お母さんと暮らすんだって。あと少ししたら引っ越すことになる」

 先程の質問を、今になって兄は答えてくれているのがわかった。
 
「な、七海は……?」

 おそるおそる、聞いてみた。ソフトクリームをもつ手が、かすかに揺れている。

「七海は……お父さんと暮らすんだ。仕事の都合で遠くに行くって」

 それはつまり、私と兄が別々に暮らすことになるという意味だった。兄は母に引き取られ、私は父に引き取られるのだ。
 私にとって、一番聞きたくない答えだった。

「やだ……。七海も、お兄ちゃんといっしょがいい」

 大好きな兄と別れるなんて、絶対に嫌だった。転んでばかりの私を背負い、助けてくれる優しいお兄ちゃん。
 お兄ちゃんがいなければ、わたしは生きていけない。

「それは、無理だよ。お父さんは七海と離れたくないんだって。オレは、お母さんに似てるから、いらないって言うんだ。だから……」
「じゃあ、七海がおかあさんのところへ行く」
「お母さんは、ひとり引き取るのが精一杯なんだってさ」
「それじゃ、お兄ちゃんがおとうさんのほうへ」
「だからそれがダメなんだってば」

 離婚を決めた父と母は、私と兄をどうするかもすでに決めているのだ。
 子どもである私たちに、決定権などなかった。親の意志に従うしか道はない。

「やだ、やだぁ。七海もお兄ちゃんといっしょがいい」
「七海。いい子だから、わかってくれよ。ほら、ソフトクリームが溶け始めてるぞ。早く食べろ」
「やだっ!!」

 大好きなソフトクリームも、食べる気にはなれなかった。
 溶け始めたソフトクリームが、コーンカップから垂れてきている。

「七海は、お兄ちゃんといっしょに行く! ぜったいなの!」

 ソフトクリームを持ったまま、叫んだ。どうにかして自分の願いを、兄にわかってほしかったのだ。

「できないよ。何度言ったら、わかるんだ」

 兄の声が少し苛ついているのがわかったが、兄と別れることだけはどうしても受け入れられなかった。

「やだ、やだ。いやだったら、やなのっ!」

 溶けてきているソフトクリームを上下に振りながら、再び大声を出す。溶けたソフトクリームが四方に飛び散り、私や兄の服を汚してしまったが、気にする余裕などなかった。

「うるさいっ!」

 初めて聞く、兄の怒鳴り声だった。
 これまで私は、兄が怒る姿を一度も見たことがなかった。兄の航はいつだって優しくて、私を守ってくれていたのに。

「いいかげんにしろよ! おまえのわがままにはもう、うんざりだっ!」

 どうして、お兄ちゃんは私に怒っているの? おとうさんやおかあさんがケンカしていても、お兄ちゃんだけは私に怒ったりしなかったのに。

「お、にい、ちゃ……」

「お兄ちゃん」と呼びたいのに、言葉にならない。初めて怒鳴られた衝撃で、がたがたと体が震えている。

「オレはお母さんと一緒に行く。だから七海は、お父さんと行け。わかったな!」

 怒声と共に、兄との別れを告げられる。それは私にとって、生きる希望を失うも同然だった。
 どうにか持っていたソフトクリームが私の手から離れ、ぺしゃりと地面に落ちてしまった。

「うぁぁぁ~ん! お兄ちゃんが、怒ったぁぁぁ。七海のこと、しかったぁぁ~!」

 初めて怒鳴られたショックと、大好きな兄と別れる現実に耐えられなくなった私は、おいおいと泣き出してしまった。

「おにいちゃんが、おにいちゃんがぁぁ~。うわーん!」

 地面に落ちたソフトクリームが溶けて、みるみる広がっていく。ソフトクリームが食べられなくなったことがまた悲しくて、さらに泣いてしまう。

「七海ちゃん、航くん。どうしたんだい? ほら、ソフトクリームなら、おっちゃんがあげるから。特別サービスだよ」

 ただならぬ様子に驚いた店主のおじさんが、すぐに飛んできてくれたらしい。私たちを気遣い、新しいソフトクリームを持ってきてくれたのだ。

「いらないもん。ソフトクリームなんて、もういいもんっ! ソフトクリームも、お兄ちゃんも、だいっきらいっ!!」

 すべてが嫌になってしまった私は、心にもないことを言ってしまった。
 お兄ちゃんも、ソフトクリームも、店主のおじさんも大好きなのに。

「そうか。兄ちゃんも、わがままな七海なんて嫌いだよ。別れることになって、せいせいするよっ!」

 私のことを嫌いと言いながらも、兄の目には涙がたまっていた。
 兄もまた、心の中の思いとは別のことを叫んでいたのだ。
 けれど幼い私には、兄の思いも優しさも、なにひとつ気づけなかった。

「おにいちゃんが、七海をきらいって……あぁ~ん!」

 兄に怒鳴られ、嫌いと言われたことが辛くてたまらない。小さかった私には、ひたすら泣き続けることしかできなかった。
 地面に落ちた白いソフトクリームが溶けて、地面の砂も汚れも静かに呑みこんでいく。純白のクリームがけがれていくのを、兄は黙って見つめていた。


 


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