黒衣の魔道士

オレンジペコ

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第一部 アストラス編~王の落胤~

136.手本

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「シリィ、シュバルツに選んでもらった服は気に入ったか?」

クレイにそう尋ねられてシリィは正直に答えを返した。

「シュバルツ様に選んでもらったというか…ほとんどロックウェル様に選んでもらったような……」

どうやらロックウェルが数着シリィに似合う服を選び、シュバルツはその中からシリィに一番似合う服を選びとったらしい。
そんなシリィの言葉にシュバルツが一応自己主張をする。

「確かに選ぶのはなかなか難しかったが、シリィには清廉な感じが似合うと思う。そこは絶対はずせない!」

その言葉にはクレイも満面の笑みを浮かべた。

「何だわかっているじゃないか。シリィの良さをちゃんとわかって選べたのなら上出来だ」

そんな言葉にシリィがポッと頬を染めるのを見て、シュバルツはムッとしながらクレイへと噛みついた。

「だから!クレイはすぐにそうやってシリィに思わせぶりなことを言うのをやめてほしい!」
「…?別に言ってないが?」
「言ってるから注意してるんだろう?!」
「…そうは言っても本当によくわからないんだ。思わせぶりな言葉は仕事で使うこともあるが、普段は使ってないし……」

そんな風に心底不思議そうな顔をするクレイにシュバルツはイライラするが、それに対してリーネは何故か納得している。

「ああ、そう言うことね。仕事で相手を陥落させる時の言葉って普段は使わないものね」
「ああ。ああいう時は一発で落とさないとまずいしな」
「上手く逃げるには使えないと本気でまずいものね」

クスクスと笑いあうそんな二人に三人は首を傾げる他ない。
どうやら黒魔道士にしかわからない話のようだ。
けれどそんな会話にロックウェルが興味を示した。

「仕事で逃げる時に使う手管なのか?」
「ああ。中にはおかしな依頼人もいるから、気分を害さずに逃げる時に使うんだ」
「そうなんです。一瞬で自分のペースに持ち込んで、一気に逃げる。これが一番安全で確実に逃げられるので、黒魔道士にとっての必須スキルと言ってもいいかもしれません」
「…興味深いな」

そんなロックウェルにクレイがそう言えばと思いついたように口を開いた。

「魔力が使えない時の対策をリーネに教えようと思ってたんだが、それもこれの延長線上なんだぞ?」
「ほぅ?」

それは一体どういうものなんだと尋ねたロックウェルに、クレイは笑顔で答えを返す。

「勿論、陥落して自分に惹きつけたところで一気に手刀で落とすんだ」

そうしたら確実に逃げられるからと言ったクレイにリーネはなるほどねとあっさり納得した。
それなら確かに魔力は必要ない。
けれどそこでリーネはふと首を傾げた。
そんなに一瞬で相手を落とせるのなら自分とのゲームの時、クレイは本気ではなかったということなのだろうか?
思わずそう尋ねると、一瞬でゲームが終わったらつまらないだろうと言われてしまった。

「…私はそんなに簡単に落ちたりしないわよ?」
「そうか?」

さすがに黒魔道士としてのプライドもある。
その辺の者達と同じにはしないでほしい。
そう思ってリーネは言ったのだが、クレイはう~ん…と唸るばかりだ。

「それなら今、落としてくれてもいいわ」

クレイの事はもう大体わかっているから絶対に落とされたりしないと言い放ったリーネに、クレイが思わず目を瞠る。

「私、クレイの事はちゃんと気持ちの整理をつけたし、絶対ふらつかない自信があるわよ?」

そんな風に笑顔で挑発してきたリーネに、クレイがまあそれならいいかと思ったのをロックウェルは感じた。
正直クレイの言う『思わせぶりな態度』というのをしっかりと知っておきたかったというのもある。
いつもいつも思わせぶりな態度をとっている癖に本人は絶対にそれを認めようとしないのだ。
ここでそれがどれだけ本人の認識と違うのかを確認しておくべきだろうと思った。
甘い言葉なのか、はたまた態度なのか?
そう思っていると、クレイが実に流れるように優雅な動きを見せた。
艶やかな笑みでそっとリーネへと近づき、甘やかな眼差しを向けながら腰へと手を回して、そっと耳元へと唇を寄せ何事かを囁く。
それに対しリーネの頬がサッと朱に染まった。
それを確認してクレイは更に二言三言囁き、その頤に手をやるとただ短く尋ねた。

「リーネ…返事は?」
「は…はい…」

その表情は先程までとはうって変わって完全にクレイに落とされてしまっている。

「ほら、落ちたぞ?」

そしてシュバルツの方を見て、だから言葉は少なくても相手は落とせるんだと言い、自分は普段はこういうことはしていないと改めて口にした。

「全く…言いがかりにも程がある」

そんなクレイにリーネが我に返って、悔しいと叫びをあげる。

「ズルいわクレイ!」
「ズルくはないぞ?これをマスターしておけば大抵の奴からは逃げられるし、リーネも使えそうなら今度使ってみるといい」
「うぅ…悔しいけど、自分なりに使わせてもらうわ…」

その答えに満足げに笑うクレイに、リーネは真っ赤になりながらもおずおずとクレイの黒衣へと手を伸ばした。

「クレイ…」
「なんだ?」
「やっぱり私…クレイに……」

普段余裕のあるリーネが切なげにクレイを見つめる姿に一同驚きを隠せないが、クレイはそんなリーネをあっさりと躱してしまう。

「悪いが俺はロックウェルだけだと知っているだろう?」
「…わかってるわ。そんなこと…」

はぁ…と深いため息を吐いた後で、リーネがロックウェルへと向き直りその言葉を紡いだ。

「ロックウェル様?クレイは本当に罪作りなので、首にしっかりと縄をつけておいてくださいね」

申し訳ないが今日は先に帰らせてもらうと言って、リーネは目に涙を滲ませながらそのまま帰ってしまった。
確かに最初にクレイにそれをしてくれと求めたのはリーネの方だったし、止めなかったのは自分達だ。
けれど今のはさすがにクレイが悪いとしか思えなかった。
あまりにも可哀想だ。
けれど…。

【クレイ様には言っても無駄でございます。言われたからやった。ただそれだけですから】

全く悪気はないのだが、こういうところが問題なのだとヒュースは口にする。
それに対して、クレイは『その通りだろう?』とただ首を傾げるだけだ。
ヒュースが言う通り、何が悪かったのか本人は全く分かっていないようだった。
眷属達が口を揃えて言う『トラブルメーカー』の名は伊達ではない。
これにはさすがのロックウェルもびっくりだ。

【本当に…クレイ様には困ったものです。これだからロイドではなくロックウェル様にお任せしたいのですよ】

やれやれと言って、ヒュースがクレイに向き合い、改めて説教を始めた。

【クレイ様。先ほどの件では、何を言われても『やりたくない』というのが正解でございます。無駄に人を傷つける行為はお控えください】
「え?でも…」
【でもも何もございません。大体いつもクレイ様は素直に相手の言葉を受け取り過ぎなのです!たまには断ることも視野に入れてですね…】
「わかった!わかったから…!どうせまた俺が悪いんだろう?!いつもいつも…!」
【そうやっていつも話半分で自分が悪かったと言って話を切っておしまいになるから同じことを繰り返すんです!】
「仕方がないだろう?いつも同じような説教なんだから!」

そうやってぎゃいぎゃい言い合う姿は最初にヒュースを紹介された時の姿そのままで、本当に同じようなことを何度も言われているんだなと言うのが物凄く伝わってきた。
これは眷属達が自分にクレイを調教してほしいと頼んでくるわけだ。
それくらいしないときっとクレイは変わらないだろう。
そんなクレイに思わずはぁ…とため息を吐いてしまったのだが、それを見たクレイがハッとなっておずおずとこちらを見てきた。

「ロ…ロックウェル……」

その瞳がどこか不安げに揺れているのは、自分に呆れられたと思っているからに他ならない。
それがわかるだけにどう言えばいいかと暫し思案した。
恐らく今のクレイにはヒュースの言葉よりも自分の言葉の方が心に響くだろう。

「クレイ?ヒュースの言葉をちゃんと聞け。さっきのはお前が悪い」
「……」
「リーネは確かに黒魔道士だし、白魔道士よりは耐性があるだろう。でも確実に落とせるとお前が思ったのなら、責任をとれないのに落とすのは間違った行為だ」
「う…」

それは真っ直ぐにグサッとクレイの胸へと突き刺さる。

「リーネに教えるのなら、私を相手に実践して見せてやればよかっただけの話だ」

自分は恋人なのだからクレイに口説かれても嬉しいだけで、別に傷つくこともないのだからと言ってやると、クレイはしょんぼりしながらも納得がいったようだった。

「うぅ…確かに」
「わかったらちゃんとリーネに謝るんだ」
「…わかった」

そんな二人にシュバルツとシリィも思わず『珍獣使いだ』と感心したようにため息を吐く。
これにはヒュース達もとても満足げだ。

【さすがはロックウェル様。我々が見込んだだけの事はございます。クレイ様は本当に我々の言葉は右から左と聞き流すので、ずっと困っていたのですよ】
【そうですよ。やはりロックウェル様でないと】
【ロイドだとクレイ様に転がされるか一緒に楽しむだけですしね。いやはや本当に…クレイ様の教育はロックウェル様にしかできません】
「…お前達は!俺の眷属のくせに最初からロックウェル贔屓だったのはそう言う訳か?!」
【何を仰いますやら。クレイ様がロックウェル様にベタ惚れだったからに決まっているでしょう?】
【そうですよ。それこそ言い掛かりでございます。我々は主の幸せしか望んでおりません】
【寂しがり屋なくせに人の言うことを全く聞かないクレイ様には、ロックウェル様のようにしっかりした方でないとお相手は務まりませんし…結果よければ全てよしでございます】

どうやら眷属達は本当にクレイを何とかしたかったらしい。
そんな彼らにクレイは悔しそうにしていたが、ロックウェルは思わず笑ってしまった。

「お前の眷属達は本当にお前の事を大事に思ってくれているんだな」

クスクスと笑いながら言ってやると、クレイはサッと頬を紅潮させながらそんなことは言われなくてもわかっていると俯いてしまう。

「大体、皆お前には甘すぎるんだ…!」
「まあそれはそうだな」

彼らの主であるクレイに随分色々なことをしてしまったが、特にそれに関して咎められたことはない。

「いいじゃないか。お前はもう私とだけイチャイチャしておけばいい。他の誰も誘惑せず、ずっと私の隣に居ろ」

口説きたかったら自分を口説けと言ってやると何故かクレイはフイッと横を向いてしまった。

「絶対に嫌だ!」
「何故だ?」

心底不思議に思ってそう尋ねると、怒ったように言い放たれた。

「…恥ずかしいからに決まっているだろう?!この馬鹿!」
「…?」

何が恥ずかしいのかさっぱりわからないが、どうやらクレイ的には相当恥ずかしいことらしい。

「クレイ?そう言うことなら、是非帰ってから沢山口説いてほしいものだな」

だからこそそんな意地悪な言葉がするりと口から飛び出してしまうのだが────。
そんな自分の色気にあてられて、クレイは顔を真っ赤に染めて口をパクパクとさせてしまう。
最早逃げ出す一歩手前だ。

「クレイ?言っておくがここで逃げたらお仕置きだぞ?」
「~~~~~っ!!卑怯だ!」
「卑怯で結構だ。お前が言うことを聞かないのが悪い」
「……ッ!!」
「返事は?クレイ」
「…わかった」

そんな二人の姿に、シリィが徐にポムッと手を打った。

「わかりました!クレイのあれはロックウェル様仕込みだったんですね!」

納得がいったと言い出したシリィに何のことだと首を傾げてしまったが、クレイの方はその通りだとでも言いたげだった。

「俺がオリジナルのお前に勝てるわけがないだろう?」

ポツリと溢されたその言葉に、以前ヒュースが言っていたことを思い出して思わず笑ってしまった。
そう言えばクレイの口説き方は自分の行動を観察して自己流にアレンジしたものだった。
そのことをすっかり忘れていた。

「だからやりたくなかったんだ!」
「わかったわかった。お前が昔から私しか見ていなかったのをすっかり忘れていた」
「~~~~~っ!!」
「そう怒るな」

真っ赤になって怒るクレイを抱き寄せて、ついつい幸せに浸ってしまう自分がいた。
本当に可愛すぎて困ってしまう。

「もういい!シリィ、シュバルツ!もうロックウェルは放っておいて水晶を買いに行くぞ!」

そう言って誤魔化すように歩き出したクレイに、シュバルツがポツリと呟いた。

「なんだ…結局バカップルの騒動に巻き込まれただけか…」

そうして深い深いため息を吐かれてしまう。

「クレイって本当にロックウェル様の悪いところばっかり参考にしちゃったんですね」

シリィには見当違いの所でため息を吐かれた。
これでは自分が悪いみたいではないか。

(まあいい…)

「ちゃんと責任をもって調教し直すから、あいつの事は私に任せておけ」

これでシリィもクレイに期待することもなくなることだろう。
そう思ったのだが…。

「本当に頼みますよ?どうもクレイは放っておけないところがあるのでいつまででも世話を焼きたくなってしまうんですよね」

【シリィ様。我々と同じ心境になってしまわれて…本当にお気の毒でございます】

ヒュースのしみじみとこぼされた言葉になるほどなとロックウェルもため息を吐いてしまった。
最早ここまで行くと保護者の心境なのだろう。

(それならそれでいいか)

ライバルはこれでほぼいなくなった。
クレイが天然で本当に良かったと思おう。
そんな自分にシュバルツが理解できないとばかりに吐き捨てた。

「ロイドもロックウェルもどうしてあんな男が好きなのかさっぱり理解できない!」

それは確かにそうだろう。
自分でも実はよくわからない。
けれど…。

「結局、惚れた者負けということじゃないか?」

クレイが何をやっても自分の目には可愛く映るのだから仕方がない。

「嫌いになれずどうしようもなく心惹かれるのなら、あとは自分好みに育ててやればいいだけの話だ」

そうやってニヤリと微笑んだ自分に、シュバルツもシリィもドン引きしたのを感じたが、結論から言ってそれが全てだと思う。

「ロックウェル様って本当にクレイに関してだけはドSなんですね」
「あのクレイが言うことを聞くという時点で驚きだ」
「ここまで本当に長かったんだ。本気で誰にもやる気はないぞ?」

そう宣言したロックウェルに二人はなるほどと頷かざるを得ない。

「よくわかりました。では私もできるだけフォローさせていただきますので」
「ああ、助かる。シリィもライアード王子やルドルフ王子と幸せになってくれ。なんならシュバルツ殿でもいいんだぞ?」

そんな言葉に二人が目を丸くしてあたふたとし始める。

「なっ…!何を言ってるんですか!」
「そうだ!私の想い人はロイドだぞ?!」
「…いや。いい雰囲気だなと思ったから言ったまでで…」

先日から思っていたが何となく二人は息が合いそうな気がしたから口にしただけだったのだが、まさかこんなに両者から否定されるとは思っても見なかった。
そんな中、クレイが三人へと遠くから声を掛けてくる。

「ほら!良さそうなのを見つけたぞ!」

そんな言葉に二人が誤魔化すように駆け出して、ロックウェルもまたその後を追った。
どうやらシリィの新しい恋はまだまだ始まる一歩手前のようだ────と、そう思いながら。




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