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3.アクシデント
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「あ、ああ。ちょっとうとうとしていた」
川尻は取り繕った。己の動悸が激しくなるのが分かる。この音が、電話の向こうまで聞こえやしないかと、余計な心配までした。
「こんな時間に? あっ、接待ゴルフとか言ってたっけ」
「うん。疲れたんだな。実は悪い夢を見てさ、麗子が事故で死んだっていう」
「何それ。冗談きついというか、悪趣味」
「すまんすまん。そんな夢から覚めた直後に、おまえから電話があって、妙な心地だったんだ。今はほっとしたよ」
取り繕い、どうにか普段通りの会話に持って行く。その間、川尻は交換殺人のメモ用紙を取り出した。そこに書かれた時刻を凝視する。間違いなく、今日の九時から十四時に決行予定となっている。なのに、麗子は生きている……。
「なあ、念のために聞くけど、今日、危ない目に遭わなかった?」
「心配してくれるのは嬉しいかもだけど、予知夢でも見たつもり? そんな神秘主義だっけ、優って」
「夢が生々しかったからさ。一応――いや、気にしないでくれ」
話の流れで、「一応、これからも気を付けるようにしろよ」と言いそうになり、慌ててやめた。気を付けられたら、小渕が麗子を殺そうと襲ったとき、しくじる恐れが高くなるのではないか。
そもそも、小渕という男は、やる気があるのだろうか。自分の殺したい相手が死んだからもういいと思ったのではあるまい。例の拇印付きメモがある。まさか、怖じ気づいたのか? だとしたら、せっついてやらねばならない。
殺してやりたい恋人との会話を続けながら、川尻はそんなことを考えていた。
小渕をせっつこうにも、連絡方法が不明であった。船上で約束を交わした折に、メールアドレスなり電話番号なりを交換したかもしれないが、川尻の記憶にはなかったし、そのときの着衣のどこを探ってもそれらしきメモは発見できなかった。
自力で調べ上げる外ないと判断した川尻は、職業上の調査能力を活用した。あの船の乗客名簿を入手し、小渕満彦の名を探す。偽名の可能性もあったが、最初から交換殺人の仲間を探す狙いで乗船したのでもない限り、その線は薄いと思っていた。というのも、信頼関係を構築するためには身元を証す必要があるとして、それぞれ運転免許証の氏名欄のみを見せ合ったことを覚えているからだ。
果たして、簡単に見つかった。小渕満彦は医者で、都内で個人病院をやっている。ネット検索で周辺情報を集めてみると、ホームページを構えており、顔写真まで載っていた。
「この男だったかな。自信が持てないな」
職業柄、川尻は人の顔を覚えるのは苦手ではないが、飲酒が過ぎた場合は別だ。曖昧模糊とした記憶の中にある共犯者の顔を思い浮かべると、確かに小渕満彦のようでもある。しかし、どことなくしっくり来ない。記憶の不確かさ故の感覚で、小渕が共犯者に間違いないとは思うのだが。
川尻は小渕病院の住所と電話番号をメモに取り、個人的に引き受けた依頼の名目で、昼前に車で出掛けた。駅近くの公共施設の駐車場に入れ、
ひとまず様子だけ見て、昼食を取ったあと、小渕満彦に接近できるチャンスを窺おう。そんな算段を立てていた川尻だが、医院に隣接する小渕邸を目にして、ちょっとした意外感にとらわれた。
(葬式? いや、通夜の準備か)
喪服姿の男達が忙しそうに動き回っている。病院の方は臨時休診の札が掛かっていた。理由を告げる張り紙はないが、小渕家の誰かが亡くなったのは間違いなさそうだ。
(ひょっとして、小渕満彦自身が事故か何かで急死し、そのため、麗子は今もぴんぴんしているとかじゃないだろうな)
頭を掻いた川尻。そのとき、彼の目の届くところに、通夜及び葬儀を告知する張り紙が張られ、案内看板が置かれた。
被葬者の名は小渕夏穂とあった。もっと接近して文章を読めれば、小渕満彦とどのような関係にあった女性なのか分かるのだが、印象に残る行動は取りたくない。出入りする人々の会話に耳を傾けていると、亡くなったのは小渕夫人らしいと知れた。
いつ死亡したのかは分からないが、こんな事態では、交換殺人に出掛ける暇がかったとしても合点が行く。さっさと殺してもらいたいのは山々だが、延期はやむを得まい。中止ではなく、決行する意志があるのかが重要だ。再度コンタクトを取る必要があるが、いつならよいだろう。
川尻は取り繕った。己の動悸が激しくなるのが分かる。この音が、電話の向こうまで聞こえやしないかと、余計な心配までした。
「こんな時間に? あっ、接待ゴルフとか言ってたっけ」
「うん。疲れたんだな。実は悪い夢を見てさ、麗子が事故で死んだっていう」
「何それ。冗談きついというか、悪趣味」
「すまんすまん。そんな夢から覚めた直後に、おまえから電話があって、妙な心地だったんだ。今はほっとしたよ」
取り繕い、どうにか普段通りの会話に持って行く。その間、川尻は交換殺人のメモ用紙を取り出した。そこに書かれた時刻を凝視する。間違いなく、今日の九時から十四時に決行予定となっている。なのに、麗子は生きている……。
「なあ、念のために聞くけど、今日、危ない目に遭わなかった?」
「心配してくれるのは嬉しいかもだけど、予知夢でも見たつもり? そんな神秘主義だっけ、優って」
「夢が生々しかったからさ。一応――いや、気にしないでくれ」
話の流れで、「一応、これからも気を付けるようにしろよ」と言いそうになり、慌ててやめた。気を付けられたら、小渕が麗子を殺そうと襲ったとき、しくじる恐れが高くなるのではないか。
そもそも、小渕という男は、やる気があるのだろうか。自分の殺したい相手が死んだからもういいと思ったのではあるまい。例の拇印付きメモがある。まさか、怖じ気づいたのか? だとしたら、せっついてやらねばならない。
殺してやりたい恋人との会話を続けながら、川尻はそんなことを考えていた。
小渕をせっつこうにも、連絡方法が不明であった。船上で約束を交わした折に、メールアドレスなり電話番号なりを交換したかもしれないが、川尻の記憶にはなかったし、そのときの着衣のどこを探ってもそれらしきメモは発見できなかった。
自力で調べ上げる外ないと判断した川尻は、職業上の調査能力を活用した。あの船の乗客名簿を入手し、小渕満彦の名を探す。偽名の可能性もあったが、最初から交換殺人の仲間を探す狙いで乗船したのでもない限り、その線は薄いと思っていた。というのも、信頼関係を構築するためには身元を証す必要があるとして、それぞれ運転免許証の氏名欄のみを見せ合ったことを覚えているからだ。
果たして、簡単に見つかった。小渕満彦は医者で、都内で個人病院をやっている。ネット検索で周辺情報を集めてみると、ホームページを構えており、顔写真まで載っていた。
「この男だったかな。自信が持てないな」
職業柄、川尻は人の顔を覚えるのは苦手ではないが、飲酒が過ぎた場合は別だ。曖昧模糊とした記憶の中にある共犯者の顔を思い浮かべると、確かに小渕満彦のようでもある。しかし、どことなくしっくり来ない。記憶の不確かさ故の感覚で、小渕が共犯者に間違いないとは思うのだが。
川尻は小渕病院の住所と電話番号をメモに取り、個人的に引き受けた依頼の名目で、昼前に車で出掛けた。駅近くの公共施設の駐車場に入れ、
ひとまず様子だけ見て、昼食を取ったあと、小渕満彦に接近できるチャンスを窺おう。そんな算段を立てていた川尻だが、医院に隣接する小渕邸を目にして、ちょっとした意外感にとらわれた。
(葬式? いや、通夜の準備か)
喪服姿の男達が忙しそうに動き回っている。病院の方は臨時休診の札が掛かっていた。理由を告げる張り紙はないが、小渕家の誰かが亡くなったのは間違いなさそうだ。
(ひょっとして、小渕満彦自身が事故か何かで急死し、そのため、麗子は今もぴんぴんしているとかじゃないだろうな)
頭を掻いた川尻。そのとき、彼の目の届くところに、通夜及び葬儀を告知する張り紙が張られ、案内看板が置かれた。
被葬者の名は小渕夏穂とあった。もっと接近して文章を読めれば、小渕満彦とどのような関係にあった女性なのか分かるのだが、印象に残る行動は取りたくない。出入りする人々の会話に耳を傾けていると、亡くなったのは小渕夫人らしいと知れた。
いつ死亡したのかは分からないが、こんな事態では、交換殺人に出掛ける暇がかったとしても合点が行く。さっさと殺してもらいたいのは山々だが、延期はやむを得まい。中止ではなく、決行する意志があるのかが重要だ。再度コンタクトを取る必要があるが、いつならよいだろう。
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