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ベットの支配する世界
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ビッツの家は、川から一番近い小屋ではなく、二番目だった。おかげで少し歩かされたが、足裏の痛さは気にならなかった。
「あの、早くから起き出して、用事が何かあったんじゃあ……」
前を行く彼女の背中に話し掛けると、「水汲み。合法的にサボれるわ」との返事。嘘か本当かは分からないが、迷惑を掛けてるんじゃないと思えば気が休まる。
「日本語はどうやって覚えたの? こっちに来た日本人から教わった?」
「あ、言葉は違うんだよ。私は普通に喋ってるだけで、あなたにはあなたの国の言葉に聞こえる。逆に、私は日本語なんて全然分からないけれども、あなたの言葉はファゴット語に聞こえる。どういう理屈かは聞かないで。分かんないんだから」
文字はどうなんだろうという質問が浮かんだが、それを声にする前にビッツの家に着いた。
「ちょっと待ってて」
書面玄関ではなく、勝手口と思しき扉の前で立ち止まる。中に入ったビッツはすぐに戻って来て、木製の洗面器と布きれをくれた。
「水、少ないけど、足を拭いておいて。父さんか母さんを連れて来る」
「分かった。ありがとう」
足をきれいにしたあと、勝手口から半歩離れた平らで大きな石の上に立った。
と、その途端に勝手口のドアが開き、髭面の大男が顔を見せた。
顎髭を蓄えた二メートル級のその男性が、ビッツの父親で、ナフト・クレインと名乗った。こちらも自己紹介を済ませ、事情を詳しく話そうとする。ところが止められた。
「聞いてもすぐに俺がどうこうできるもんじゃなし、とにかく入りな。このあと何がどうなるかを聞きたいだろ」
「え、ええ」
上がらせてもらえるのはほっとする反面、このあとのことを漠然と示唆されて何だか怖さを覚えた。
「朝食は?」
「まだ、です」
廊下を通って食堂らしき部屋に通された。いや、食堂と居間と応接間を兼ねているようなスペースだ。ごそごそと物音がする方向に目をやると、床にある四角い戸を開けて、中から根菜を取り出す小柄な女性の姿があった。
「連れて来たぞ。挨拶だ。えー、妻のヤッフだ」
その台詞が終わらぬ内に、上体を起こしたヤッフ。その勢いのまま「初めまして。ヤッフ・クレインよ。珍しいお客様は大歓迎」と満面の笑みで言った。こちらも名乗ろうとした矢先、ヤッフの頭上にジャガイモみたいな物が浮いているのが視界に捉えられた。
「あ、危ない」
「え? ああ、これ」
こちらの視線の動きで察したらしく、ヤッフは右肩越しに振り返って、浮いているイモを指差した。それからくすくす笑うばかり。
「魔法というやつだ」
ナフトがボリュームを上げて言ってくれた。妻が勿体ぶっていると思ったのか、どこか苛立たしげだ。
「魔法、ですか」
「そうよ。我が家で使えるのは私だけ。こうして手頃な物を浮かせるくらいしかできないけれども、作業の途中で話し掛けられてもどのお芋がいいのか、どこまでチェックしたのかを見失わなくて済むわ」
「はあ」
「と、こうしちゃいられない。あなたの分を追加して作るから、しばらく待っていて」
ヤッフが言うなり、一番近くの椅子がテーブルから引かれた。誰も触れていないのに勝手に動いた。つまり、ヤッフがしたことなのだろう。その間、ジャガイモは浮くのをやめて、まな板の上にあったから、一度に浮かせる対象物は一つだけに限られるのかもしれない。
それにしても魔法とは……。冷静に分析しつつも、頭は軽めのパニックを連続的に起こしている。だけれども、焦りや恐怖は不思議とない。不安はあるが、それ以上に馴染めている気がする。
「ときに紀野」
四角いテーブルを挟んで反対側の椅子にどっかと腰を押しを下ろしたナフトが、なかなか非日常的な呼び方をした。
「はい」
「君は賭け事が好きか」
つづく
「あの、早くから起き出して、用事が何かあったんじゃあ……」
前を行く彼女の背中に話し掛けると、「水汲み。合法的にサボれるわ」との返事。嘘か本当かは分からないが、迷惑を掛けてるんじゃないと思えば気が休まる。
「日本語はどうやって覚えたの? こっちに来た日本人から教わった?」
「あ、言葉は違うんだよ。私は普通に喋ってるだけで、あなたにはあなたの国の言葉に聞こえる。逆に、私は日本語なんて全然分からないけれども、あなたの言葉はファゴット語に聞こえる。どういう理屈かは聞かないで。分かんないんだから」
文字はどうなんだろうという質問が浮かんだが、それを声にする前にビッツの家に着いた。
「ちょっと待ってて」
書面玄関ではなく、勝手口と思しき扉の前で立ち止まる。中に入ったビッツはすぐに戻って来て、木製の洗面器と布きれをくれた。
「水、少ないけど、足を拭いておいて。父さんか母さんを連れて来る」
「分かった。ありがとう」
足をきれいにしたあと、勝手口から半歩離れた平らで大きな石の上に立った。
と、その途端に勝手口のドアが開き、髭面の大男が顔を見せた。
顎髭を蓄えた二メートル級のその男性が、ビッツの父親で、ナフト・クレインと名乗った。こちらも自己紹介を済ませ、事情を詳しく話そうとする。ところが止められた。
「聞いてもすぐに俺がどうこうできるもんじゃなし、とにかく入りな。このあと何がどうなるかを聞きたいだろ」
「え、ええ」
上がらせてもらえるのはほっとする反面、このあとのことを漠然と示唆されて何だか怖さを覚えた。
「朝食は?」
「まだ、です」
廊下を通って食堂らしき部屋に通された。いや、食堂と居間と応接間を兼ねているようなスペースだ。ごそごそと物音がする方向に目をやると、床にある四角い戸を開けて、中から根菜を取り出す小柄な女性の姿があった。
「連れて来たぞ。挨拶だ。えー、妻のヤッフだ」
その台詞が終わらぬ内に、上体を起こしたヤッフ。その勢いのまま「初めまして。ヤッフ・クレインよ。珍しいお客様は大歓迎」と満面の笑みで言った。こちらも名乗ろうとした矢先、ヤッフの頭上にジャガイモみたいな物が浮いているのが視界に捉えられた。
「あ、危ない」
「え? ああ、これ」
こちらの視線の動きで察したらしく、ヤッフは右肩越しに振り返って、浮いているイモを指差した。それからくすくす笑うばかり。
「魔法というやつだ」
ナフトがボリュームを上げて言ってくれた。妻が勿体ぶっていると思ったのか、どこか苛立たしげだ。
「魔法、ですか」
「そうよ。我が家で使えるのは私だけ。こうして手頃な物を浮かせるくらいしかできないけれども、作業の途中で話し掛けられてもどのお芋がいいのか、どこまでチェックしたのかを見失わなくて済むわ」
「はあ」
「と、こうしちゃいられない。あなたの分を追加して作るから、しばらく待っていて」
ヤッフが言うなり、一番近くの椅子がテーブルから引かれた。誰も触れていないのに勝手に動いた。つまり、ヤッフがしたことなのだろう。その間、ジャガイモは浮くのをやめて、まな板の上にあったから、一度に浮かせる対象物は一つだけに限られるのかもしれない。
それにしても魔法とは……。冷静に分析しつつも、頭は軽めのパニックを連続的に起こしている。だけれども、焦りや恐怖は不思議とない。不安はあるが、それ以上に馴染めている気がする。
「ときに紀野」
四角いテーブルを挟んで反対側の椅子にどっかと腰を押しを下ろしたナフトが、なかなか非日常的な呼び方をした。
「はい」
「君は賭け事が好きか」
つづく
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