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ほとり編

(7)危機管理能力の低さが露呈

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昨晩遅くまで打ち合わせをしたおかげで、先方への挨拶はスムーズに済み、あとは施設の視察を残すところとなった。

「季節によって変わる体験型イベントを随時開催しており、大人から子どもまで、リピーターの方も楽しめるものになっています。」
スタッフさんの説明を聞きながら、あちこち見て回る。
地元の特産物や工芸、伝統のお菓子作りなど、短時間で済むものから半日かかるものまで様々展開されている。
「わー、面白そう。私もやってみたいです。」
「うん、面白いね。すみません、平均参加人数や、キャパシティはどれくらいですか?」
中村さんは、テキパキと必要な情報を聞き出し、すぐにタブレットでまとめていく。さすが営業マン、すごい。

ガラスの向こうで、地元の職人さんたちが、社会科見学で来ている小学生たちに、色々教えている。
こういうの好きだから、楽しそうだな。灘くんと一緒に来たいな、なんて眺めていた。
和菓子の練り切り作りとかさ
「わー!ちょっと不恰好になっちゃった!」
「そんなことないよ、美味しそうじゃん。」
「灘くん妙にうまくない?」
「俺こういう細かいやつ、結構得意なんだよね。」
「それ、私にちょうだい!灘くんの欲しい!」
「じゃあ、俺にほとりのちょうだい。」
なんて、なんてね!

肩をトントンと叩かれて振り向く。
「木実、行くよ。」
中村さんかー…
「あ、はーい!」
笑顔で後を追う。

失礼だけど、灘くんで妄想してたから、急に中村さん見ると物足りなさを感じるよね。
中村さんも女子社員にそこそこ人気があるし、世間一般だと素敵だと思うけど、やっぱり灘くんが世界で一番かっこいいから。
なんたって、キリッとした表情から、あのふにゃっとした笑顔のギャップ。あー可愛い。あー好き。
早く土曜日にならないかな。


視察は予定より少し時間が押したけど、全体の終了時間としてはトントンだった。
明日は帰るだけだけど、移動時間が長いから、家に着くのは夜。
なので今夜、出張打ち上げを開くことになった。

「かんぱーい」
「お疲れ様でした。」
グラスをカチンと当て、ゴクッゴクと喉を鳴らしてビールを飲む中村さんの横で、クエン酸サワーを飲む私。
疲れにはクエン酸だよ。
施設のスタッフさんにおすすめされた、地元民行きつけの美味しい料理を出してくれる個人居酒屋さん。
さすが、お通しで出てきたお刺身がプリップリで感動しています。

「出張の同行してくれて、ありがとう。木実が色々フォローしてくれたから、助かったよ。良い取引が出来そう。」
「そう言ってもらえて良かったです。こちらこそ色々勉強になりました、ありがとうございます。」
「さ、飲んで飲んで!」
「いただきます。」
頼んでいた料理がどんどん運ばれてくる。どれもみんな美味しそう。
お酒も美味しいし、どんどん進む。

お互い3杯目を飲み終えたころ、顔の赤い中村さんがトロンとした目でこっちをじっと見つめているのに気がついた。
「なんですか?」
「俺さ、木実のことずっと可愛いと思ってたんだよね。」
えっ、え?
「やだー、中村さんてばお上手なんだからー!やめてくださいよ、照れるじゃないですかー。」
「本当だよ?」
「お世辞ばっかりー!他の子にもそういうこと言ってるんでしょ。」
「本心、本心。」
「またまたー!」
すごくない?この台詞の応酬。一字一句違わず酔っ払い相手の会話って感じ!なんの中身もないし、面白くない!
この無駄な時間。面倒くさいから早くホテルに帰ってお風呂に入って寝たいです。

「木実は、彼氏いないの?」
「えー、いないですよ」
大好きな人はいるがな!面倒なので言わないですけど。
「じゃあ、俺は?俺のことどう?」
「えー、中村さんですか?良い先輩って感じですかねー」
面倒くせー!もう酔わせて潰して一人で帰ろうかな。
「男として見てよー」
「あ、グラス空っぽですよ。すみませーん!ホッピー黒1つー!中濃いめで!」
「ありがとー、気がきくねー。やっぱ木実って良いなー。俺と付き合ってよー。大切にするよ。」
うるせー!こちとら灘くんに大切にされたいんじゃい。

カウンターからホッピーを受け取って、中村さんに渡す。
「はい、来ましたよ。飲んで飲んで。美味しそうに飲んでるところが見たいなー。」
飲むのを確認しつつ、中だけ頼んで、飲んだ分を継ぎ足す。
見た感じ、アルコール強くないみたいだから、中を継ぎ足していけばそのうち潰れるはず。
「こーのみいー、飲んだぞー。ご褒美のちゅー」
腕を引っ張られてバランスを崩した拍子に、頭に中村さんの唇が当たった。
マジで無理。気持ち悪いっていうか、怖い。
背中に悪寒が走る。
「中村さん、まだ残ってますよー飲んで飲んでー」
「うぃー」
「ちょっとお手洗い行ってきますねー!」
無理矢理ホッピーを握らせて、慌ててトイレに逃げ込む。

無理無理、怖い。
掴まれた腕がゾワゾワ鳥肌立ってる。
灘くん、灘くん。
震える指で、液晶画面をタップすると、呼び出し音がかかる。
お願い、出て。
「木実?どうした?」
すぐに出てくれた。
灘くんの優しい声がして、思わず涙がこぼれた。
「灘くーん!怖い、怖いよー!」
「大丈夫、落ち着いて。今どこ?」
「出張先の居酒屋のトイレ」
「あー…うん。大体察した。何かされてない?大丈夫?」
「うっうう…キスしてって腕引っ張られてバランスくずして、口じゃなかったけど頭にキスされた、怖かった。」
ボロボロと涙が流れて、しゃくり上げてしまう。
灘くんに会いたい。
「怖かったね。逃げてこれてえらいよ。」
「ひっく、ひっく…キスされるなら…灘くんが良かった。」
しばらく無言の間が空いた。

「……今すぐそっちに行って、めちゃくちゃにキスしたい。」

涙が止まった。
顔から火を噴きそう。
胸が苦しくて、死んじゃう。

「ば、ばか!」
「お、元気出たね。良かった。」
電話の向こうでケラケラ笑ってる。
冗談かよ!くそー!ドキドキし損だー。でもかっこよかった。

「ねぇ、どうしたらいいかな?」
このままトイレにいる訳にもいかない。
「あの人、何杯くらい飲んでる?」
「えっと、ビール1杯と、ホッピー3杯で、今潰そうとして中濃いめでガンガン飲ませた。」
「それなら、そのうち潰れて寝ちゃうから、置いて先に帰っちゃっていいよ。」
「えっ…でも…」
「酒癖悪いのに出張先で酔っ払ってんだから、自業自得だよ。木実はタクシー使ってね。」
「う、うん…分かった。」
「ホテル着いたら電話して。」
「ありがとう。」

通話を切って、トイレから様子を伺うと、中村さんはテーブルに突っ伏して眠っていた。
とりあえずお代を払い、そのままにしておけって言われたけど、お店に迷惑がかかるのが嫌だから、先にタクシーを呼んでもらって、中村さんだけホテルに送ってもらった。
そのあと、改めてタクシーを呼び直して、ホテルに帰った。
ロビーに姿がないから、自力で部屋に帰れたんだと思う。
すごく疲れた。
灘くんに電話しなきゃだけど、先にシャワーを浴びて髪の毛を乾かしたかった。
腕と頭をきれいに洗いたい!

ベッドに座って、電話をかける。
「木実?無事帰れた?」
「うん、心配かけてごめんね。ありがとう。」
「無事なら良かったよ。疲れたでしょ、もう寝る?」
「灘くんが良かったら、もう少しだけ話しててもいい?」
「いいよ。」
すっと深呼吸する。

「もしかしてさ、昨日の夜電話くれたのって、このこと?」
「あーうん、そう。木実のくせによく分かったね。」
ちょっと小馬鹿にした感じで言われた。
「いくらなんでもわかりますよ!」
「あはは、ごめんごめん。先週さ、俺があの人に同行した時に、やっぱり飲みに行って、すごかったんだよね。
初めて一緒に飲んだんだけど、まさかだった。だから、木実もやばいんじゃないかと思って。」
「それならそうと言ってくれれば良かったのに。」
「確かに、忠告しておけば良かったって反省してる。女の子と二人だからあの人も飲まないかなって思ったのと、木実が断ってくれないかなって期待してた。ごめん。」
手持ち無沙汰に、シーツを撫でる。
期待とは?

「断るって、なんで?」
「男と二人っきりで飲むとか、危ないじゃん。」
「先輩だし断れないよ。灘くんとだって二人で飲んだじゃん。」
「俺はいいんだよ!」
なんだそれ、灘くんはいいって、なんだそれ。
え、独占欲?
ドキドキして、ボスっと枕を抱きしめた。
「なんの音?」
「枕を抱きしめた音」
「ふーん。じゃあ、それを俺だと思って寝て。」
「えっ?どういうこと?えっ?ねえ」
「そういうことだよ!うるさい!もう寝ろ!」
電話の向こうで照れて叫んでる声がする。
「なんなのー!」
「じゃあ、土曜日な!気をつけて帰って来いよ。」
「うん、分かった。」
「おやすみ」
「おやすみ」
一呼吸置いて、通話が切れた。

中村さんのセクハラとか、まじどうでもよくなって、忘れてしまうくらいの衝撃だった。
灘川幸太の破壊力。
胸キュンで殺されそう。
俺だと思ってって言われた枕にキスをして、夜はぐっすりよく眠れた。



翌朝、顔を合わせづらいなーと思いながらロビーへ行くと、飲んでる間の記憶を無くした中村さんが待っていた。
本当、迷惑なヤツ!!
もう二度とお前とは飲みに行かないからな!

駅で現地解散して、新幹線に乗るまでの間、お土産を買うことにした。
末ちゃんと松田くんには、お菓子。阿部くんはご当地キーホルダーでいいか。
灘くんは、ちょっと重くなるけど地酒にした。お家でもお酒を飲む人だから、喜んでくれるといいな。こっちの地方は、灘くんの管轄外だし、地酒は珍しいよね。

早く土曜日にならないかな。
帰ったら入念にスキンケアして、23時までには寝て、バッチリナチュラルメイクして行くぞー!
なんて考えてたら、新幹線の中でもぐっすり寝てしまっていた。

本当に疲れた出張だった。
しばらくは同行しなくていいかな。


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