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4・少し変わる君との関係

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こんなに出社を楽しみにした日はなかった。
一体どんな顔をしているかな、昨日のノリから今日はどれだけ差が出てるかな、って考えたらドキドキワクワクしている。
だって、こんなこと俺しか知らない。

フロアに入ってデスクを確認すると、肘をついて顔を覆っている末沢さんがいた。
あれは落ち込んでる!すごい!朝から社内で感情を露わにしている末沢さんは初めてだ。それをさせたのが、昨日の俺とのやり取りっていうのがグッとくる。
ニヤニヤした顔を引き締めて、普段通りに声を掛ける。
「末沢さん、おはようございます!」
「おはよう、松田くん。あの…」
絶望しているみたいな顔で、逡巡しているから面白くて、何て言うのかワクワクして待つ。
末沢さんは目を泳がせてデスクに手をついて頭を下げた。
「ごめんなさい。昨日は、本当に。」
「俺は楽しかったですよ。」
「いや、でもやっぱり…」
悲痛そうに否定する末沢さんが可愛くて、やっぱりこの人は表情豊かな方が絶対に良いと思った。
「じゃあ、昨日みたいに話してください。」
「え?」
「松田って呼び捨てて。末ちゃんって呼んでくれなきゃ嫌って、言って。」
途端、真っ赤になった顔を覆う。
「本当にやめてー!」
「俺は、あの末沢さん好きですよ。楽しい方がいいでしょう。」
「ううう…」
苦し紛れに宙を掴むように手をグーパーしている。もう一押しで行けそうな気がする。笑顔でゴリ押ししよう。
「すーえーちゃんっ!」
しなを作って、松子になる。
「松子も、末ちゃんって呼びたいなぁ。」
「…分かった、分かったから。呼ぶから、呼んでいいから、もう止めて。」
顔を真っ赤にして、涙目になった末ちゃんは、とても可愛かった。俺にしか、こんな顔させられないんだ。
「おはようございます。って、末沢さんどうしたんですか?」
灘川が驚きながらデスクにつく。
「あ、灘ー!おはよう!あのね、末ちゃんはね」
「やめろ!松田!」
「末ちゃん?松田?何が起きてんの?」
「昨日、松田と飲みに行ったのよ。」
自分から言えばこれ以上言われないだろうと、自棄っぱちな末ちゃんが面白い。
さっきいじめすぎちゃったから、今はやめておくよ。
「えー!ずるい、何で誘ってくれないんだよ松田!」
「いや、昨日は直帰だっただろ。」
「金曜空けて!俺、出張早めに切り上げるから!」
俄然やる気を出している灘川は、末ちゃんに詰め寄る。
「末沢さん、松田連れて絶対来てくださいね。」
「分かった、分かったから。」
エース営業からの圧力に屈した末ちゃんは、頷くしかなかった。
灘川は返事を聞くと、外回りのためバッグを持って身を翻して出て行った。
「灘が強引だったけど。末ちゃん、予定は大丈夫?」
「うん、まぁ大丈夫。金曜は、どうなるか分からない予定だったから、断ろうと思ってたし、ちょうど良かったよ。」
末ちゃんはパソコンを起動して、コーヒーを飲む。一息ついた彼女からは、もう以前の硬い雰囲気はなかった。
「そっか、ありがとう。」
「松田がお礼言うなんて、変なの。」
「そう?でも、予定断ってまで俺たちに付き合ってくれるし。」
「2人は面白いから、いいのよ。」
片眉を上げてニヒルに笑う末ちゃんは、女優みたいでかっこよかった。
そうやって、いろんな顔をして欲しいな。


日帰り出張に行ったり、上司とミーティングをしたりしているうに、週末は足早にやってきた。プロジェクトも来週中には方が付く。やっと肩の荷が下りて、自分の仕事だけに集中出来そうだ。
しかし、定時が過ぎても作業が終わらない。
「松田、終わるの?手伝おうか?」
「ううう…これ、報告書だから末ちゃんに手伝ってもらえないやつ…!」
必死にキーボードを叩き、時間と戦う。もう18時半になる。
「あー。じゃあ待ってるから、頑張んなさい。」
「灘にまだかかるって連絡しておいて…!」
「はいはい。」
メッセージで連絡してくれているのか、何やら入力している。足を組んで待っている姿が艶っぽい。
「松田、よそ見しない。」
「はーい」
なんとか形になった報告書を、上司宛てにメールで送る。
これで今週は終わり!解放されたー!
「末ちゃんお待たせ、行こう!」
「灘川くん、もう着いてるって。」
「ひゃー!」
2人で帰社して、この前も行った居酒屋に向かう。そこは入社した時から、灘川と使っているお店だ。だから、大将とも顔見知り。
道を歩きながら、末ちゃんとお話しする。
「末ちゃんて、絶対に定時に上がるけど、秘訣でもあるの?」
「え?そんなのないけど。」
「今日もサクッと終わってたじゃんー!」
「そうねぇ、強いて言えばタイピングが速いってことと、出来ない仕事は無駄にもらわないってことかな。」
「えっ、仕事を断るの?」
びっくりして立ち止まってしまう。末ちゃんも立ち止まる。
「違うわよ。この時間までなら、ここまで終わりますって申告しとくのよ。早く終われば追加でもらうし。まぁ、事務仕事が多いから出来ることだけど。営業じゃ無理よ。」
背中をポンと叩かれて、歩みを促される。
「でも、俺は難しいなぁ。上司から振られる仕事に、これはできませんとか言えない。」
「松田は、気を利かせて余計に仕事を増やしそうね。他の奴の仕事をやってやることないのよ。給料増えないんだから。」
「うーん、なかなか割り切れない。末ちゃんは、かっこいいね。」
「ははっ、違うわよ。私なんて…だもの」
「え?」
最後の方がよく聞き取れなかった。
末ちゃんは被りを振って笑った。
「ほら、もう着いた。灘川くんが待ってるよ。」

大将に通されて奥に行くと、灘川が既に飲んでいた。
「遅ーい!俺はもうハッピーアワーしてたからね!」
「19時前だものね。」
「ごめん!俺の仕事が終わらなくて。」
「そりゃそうだ。末沢さんが仕事終わらないわけないだろ。」
なんという末ちゃんへの信頼感。分かるけど、悲しい。
それぞれ飲み物と料理を注文して、先に来たアルコールで乾杯。
「お疲れ様でした!」
「お疲れー。」
「お疲れ様。」
ビールが、疲れた五臓六腑に染み渡る。うまい。
隣の末ちゃんは、調整しているのかのんびりと飲んでいた。とりあえず、水をそばに置いておく。
「松田、心配してくれるのはありがたいけど、まだ大丈夫よ。」
「うん!とりあえずね!」
「まぁ随分と甲斐甲斐しいこと。」
俺たちの会話を、灘川がジト目で見ている。
「2人は…俺が知らない間に付き合ってる…?」
「灘っ!末ちゃんに失礼だよ!」
「灘川くん。私、お付き合いしている方がいるから。」
「えっ!?」
思わず声が出た、衝撃の事実。いや、いるよね。こんないい女なんだから、彼氏の1人や2人はいるよね。
でも、ショックだ。だって、ちょっと好きになりかけてた。
「まぁ、いるでしょうね。末沢さんて男が途切れなさそうだもん。」
「あら、そういう灘川くんも、女が放っておかなそうですけど。」
なんだかバチバチしている気がする。
「あ、ほら、唐揚げきたよ!末ちゃん好きでしょ?!」
運ばれた唐揚げの皿を、末ちゃんの前に持ってくる。
「わーい!唐揚げ!」
にっこりと笑って一つ口に運び、揚げたての熱さにハフハフしながら食べている。可愛い。
そうか…彼氏持ちかぁ…
彼氏はこんな可愛い顔、毎回見てるんだ。悔しいなぁ。
「あ、じゃあ今日の予定も彼氏だったの?断って良かったの?」
「いいのよ、私は2番目だから。」
「えっ…え?」
灘川もびっくりして目を丸くしている。
「末沢さんが、浮気相手ってこと?」
「まぁ、そうなるわね。」
なんで?こんなに可愛い末ちゃんが2番目って、何を考えてるんだその相手は。俺だったら絶対に大切にするのに。
手元のビールを一気に流し込む。
「やだ、松田。そんな顔して、泣きそうじゃない。」
クスクス笑って唐揚げを食べる末ちゃんが、追加でビールを頼む。灘川もついでに頼んでいる。
「末沢さん、松田っていい奴でしょ。」
「そうね、馬鹿みたいに。」
「松田はね、人の笑顔が好きなんですよ。みんなを笑顔にしたいから、うちの会社に入って営業やってるんです。」
「えっ、そんな高尚な志を持ってたのね。」
まぁ、そうですけど。高尚じゃないです。
「だからね、末沢さんが笑ってると嬉しいんだと思いますよ。めちゃくちゃ構ってくるでしょ、こいつ。」
こういうこと言われ慣れないから、むず痒くてビールを煽る。
「たまに面倒になるくらいに構ってくるね。」
「えっ、面倒だった?!」
慌てて末ちゃんを見ると、大笑いしている。
「面倒だけど、嫌じゃないよ。面倒と好き嫌いは別物でしょ。松田は面倒なことは嫌?」
「人や物によるかな。」
「でしょ?」
運ばれてきたビールを灘川が俺の目の前に置く。
「松田は、末沢さんが彼氏の1番じゃないのが気に入らないんだろ。」
「なにそれ、私のことなのに。本当、松田って面白い。」
「だって、末ちゃん、こんなにいい女なのに…」
「ふふっ、ありがとう。」
笑っている末ちゃんから、口に唐揚げを突っ込まれた。そのままもぐもぐ噛む。
「私は好きな人の1番にはなれないのよ。だから、好きになるのが怖いの。浮気相手くらいがちょうどいい。」
好きな人の一番になれない…。
「辛いことがあったんだね。」
「まぁね。生きてれば、色々あるもんよ。さ、飲め飲め。楽しいのが1番なんでしょ?」
「松田も末沢さんも、はいビール来たよ。」
3人でもう一度乾杯をする。
その後は、ガンガン飲んで笑って帰った。でも、あんまり記憶がない。

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