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Act.3 リアンとグルシエス家の人々

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 ……ということがあったのだ。
 だから俺は今朝も、プレッシャーに痛む胃を宥めながらなんとか朝食を食べている。
 ちょくちょく、哀れなものを見るような視線が来ているのには気づいているが、そう思うんだったらぶっちゃけ助けてほしい。切実に。
 見ていると、リアンの今日の食事にも動物性のものは極力避けられていた。
 だが、デザートに出てきたヨーグルトのベリーソースがけは食べている。動物性のもの全般というわけではなく、肉類や魚類がダメということなんだろうか。

「クリストファー、ディランよ」
「はい」

 御館様からお声がけがあった。クリストファー様が代表して反応を返す。

「おぬしら、朝食が終わったら屋敷や敷地内をリアンに案内してやるとよい。家族水入らず、というやつよな! はっはっは!」

 ……勘弁してください。分不相応な立場に置かれたストレスで死にます、胃が……。


***************


 まあ、一介の使用人ごときの俺が、御館様の命に逆らえるわけがない。
 というわけで今、クリストファー様とリアンがお手々繋いで屋敷の中を散策中だ。俺はその背中を守る形で歩いている。

 ハイマー辺境領邸は、いざというとき立てこもれるように石とレンガで作られていて、重厚な見た目だ。
 しかし代々の奥様やお嬢様方の差配で、花や家具、絨毯、所々の絵画などで、爵位に見合った華やかさの演出も忘れられてはいない。
 冬は寒いが夏は快適。この辺は国の北方とはいえ盆地なので、夏はそこそこに気温が上がる。そして冬は雪が積もる。幼い頃はクリストファー様と雪の中を転げ回って、仲良く風邪をひいたものだ。

 お屋敷本邸の一階は、玄関ホールや朝・昼食用の食堂、晩餐用の食堂、パーティー用のホール、図書館、厨房、住み込み使用人達の部屋と食堂、湯殿などがある。
 二階は執務室や客室、応接室、お子様方の座学部屋、使用人の中でも幹部級の面々――家令の親父と総メイド長の母さんの部屋、次期家令の兄貴夫婦と姪の家族部屋、コック長の部屋など。

 ちなみに、グルシエス家には下級貴族家出身の使用人がいることはいる。だが代々の信頼が積み重なって家令が排出されやすい一族のうちも、上級使用人扱いだ。
 そもそも婚姻の結果、今いる使用人達の七割くらいは、何かしらの形でサヘンドラとは親戚やら遠戚やらだ。

 三階はグルシエス一家の皆様の私的なスペースだ。私室、衣装部屋、専用の湯殿などなど。
 ……今、俺はこの階で寝起きしてるんだよなぁ……。
 ……確かに、小さい頃はクリストファー様のわがま、ごほん、熱烈なご要望で俺がお泊まりするということはあったが……。
 このお部屋は誰々の……という説明を、扉に指さしながらリアンを連れて歩いているクリストファー様。
 ん? 立ち止まられたぞ? ……あ。

「で、ここがパパとママの愛の巣で、リアンのお部屋でもあるよ~」
「愛の巣は止めてください」

 条件反射でツッコミを入れてしまった。
 いや、ホントに、愛の巣は違うだろ、愛の巣は……。
 ……お掃除中のメイドのお姉さま方お嬢さん方、聞こえてるんですよ。微笑ましそうなくすくす笑いが聞こえてるんですよ……!!

「ま、屋敷の中はこんなところかな。行きたいところが分からなくなったら、僕たちか、お屋敷の大人の人に聞いてね」
「ぁい!」

 屋敷内の案内が一段落した。俺は咳払いした。

「では、次は騎士団の屯所ですね」

 リアンが俺の方を見上げてきた。首を傾げている。

「きしらん?」
「そう。このハイマー辺境領はね、魔獣や悪い人間からこの国を守るっていう、大事なお仕事をしているんだ。そのために、とっても強い人たちが集まってるんだ」
「ま、この世にディランに適う男なんていないけどね!」

 いや適わない男だらけなんですが???

「お言葉が過ぎます」
「えぇ~、全然過ぎてないよ~。事実なのにー」

 ぷぅ、と頬を膨らませるクリストファー様。……どうして、成人済みの男性だというのに、そういうあざとい表情が未だに似合うんだろう。
 リアンはアルフォンソ様が3歳の頃に着用されていた服を借りていて、ブラウスに膝丈のトラウザーズという格好をしている。
 それに合うような薄手のポンチョを羽織らせ、俺とクリストファー様も防寒用の薄手のマントを羽織る。
 俺はともかく、クリストファー様とリアンに風邪をひかせるわけにはいかないからな。 三人揃って玄関から外に出る。玄関アプローチの花壇を見て、リアンが誘われるように向かっていった。

「おはなしゃん!」

 花壇を手入れしていた庭師さんがその声に気づいて、顔を上げた。クリストファー様を見て頭を下げる。

「クリストファー坊ちゃま、リアン坊ちゃまとお散歩ですかな」
「そう。リアンに色々見せてあげてるの」
「左様でございますか」

 にこやかに返した庭師さん。その次の一瞬で俺に厳しい目で目配せしてきた。
 その内容は「きちんと護衛しろよ坊主」だ。

 実はこの庭師さん、元々は先代様の副官騎士であられたお方だ。
 先代様が当主と騎士団団長の座を譲られたとき、共に騎士団から退き、今は戦場とは間反対の花や植物と格闘なさっている、というわけ。

 俺はひょいとリアンを抱える。

「さ、リアン。あちこち寄り道してたらキリがないからね。お花は騎士団の屯所を見てからにしよう」

 言うとリアンは素直に頷いた。
 聞き分けがもの凄くいい……。親戚の数々のやんちゃ坊主とおてんば娘たちを見てきたが、リアンはちょっと拍子抜けする。

「それじゃあ僕たちはそろそろ行くよ」
「はい、行ってらっしゃいませ」

 クリストファー様の言葉に、庭師さんが頭を下げる。
 リアンがばいばーい、と手を振る。庭師さんは微笑んで手を振り返していた。
 ……親父の話だと、現役の頃は鬼剣士と恐れられていたらしいんだが……。
 小さい子の威力、すげえな。

 急ぐ必要はないので、のんびり歩いていく。ちょっと歩けばすぐ見えてくるもう一つのお屋敷に、リアンが指さして訊いてきた。

「あぇ、なぁに?」
「ああ。昨日の晩餐にいたデイヴィッド兄上、覚えてる?」
「あい」

 クリストファー様にこっくり頷くリアン。

「あれはね、デイヴィッド兄上のご一家が住んでるんだよ」

 あの別邸は、このハイマー辺境領屋敷の最後の砦だ。
 もしこのハイマー辺境領邸一帯が戦場になってしまった場合、非戦闘員の女性や子供達を避難させるための施設なのだ。
 外観は本邸と全く同じ作りだ。二階建てで一回り小さいかな? くらいだが。

 別邸から屯所に向かって歩いていくと、馬車も通れる道を挟んで放牧用の敷地が左側にある。今は本邸と別邸の馬が思い思いに過ごしているみたいだ。
 柵の近くにいた何人かの本邸と別邸の厩務員さんが、こちらに気づいて挨拶してくれた。俺たちも挨拶し返すと、俺とクリストファー様の馬が寄ってきた。
 俺の馬は兄貴の馬の子供で鹿毛、クリストファー様の馬はリリアンヌ奥様の白馬の子孫だ。
 二匹とも、リアンに鼻を寄せ匂いを嗅いだかと思うと、その首を垂れた。
 見える範囲にいる他の馬たちも、全員こちらに向かって頭を下げている。

「……ねえ、ウルフたちといい……」
「ええ……」

 クリストファー様がこっそり話しかけてきた。俺も頷く。
 どうやら、リアンは本当にただ者ではないらしい。その正式な正体は未だ分からないが。
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