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Act.4 押しかけペットとグルシエス家中
報告 ~トカゲと魚~
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リアンの元に、四匹の不思議な生き物がやってきてから数日が経った。
現在、早朝。ハイマー辺境領本邸の厨房は主一族の朝食を作るために、戦場と化している。
「さて、と」
数年前から働き始めたこの料理人は、最近ようやくスープを任せてもらえるようになった青年だ。
グルシエス家の人々から時折、料理を作ってくれることに感謝の言葉をかけてもらえる。働きがいのある居心地いい職場だと彼は思う。
今朝も美味しく朝食を食べてもらいたいと、青年は張り切って調理に勤しんでいる。
スープ用の鍋で具材を炒め、ブイヨンと水を注ぎ、いざ暖めようと魔道具コンロに戻したその時だった。
むぎゅ、というコンロにあり得ない感触。同時に、スープが一瞬で沸騰した。
「だぁあ!? あっつ、あっつう!!」
ガン! とけたたましい音を立てて、青年は慌てて鍋を隣のコンロに置いた。鍋用のミトンをつけていて本当に良かったと言えるだろう。
もくもくといい香りの湯気を上げる鍋。その影から、揺れる炎の体を持つトカゲが、不機嫌を隠すことなく顔を出した。
『おいおいおいおいこのスットコドッコイ! このオレ様が火の<属性>浴してるってェときに、いきなり上から物を乗せてくるたぁ、どういう了見でェ!!』
かなり大きく、通る声で青年に怒鳴る火のトカゲ。
厨房の注目はトカゲと青年に集まった。
周囲から見られているとは露知らず。厨房という場所では予測すら出来ない感触と、不意の沸騰に未だ心臓がせわしなく跳ねている青年は、荒い息を整えながら苛立ち紛れにトカゲに言った。
「な、何でコンロの上にリアン坊ちゃんのペットがいるんだよ! あり得ねえだろ普通! つうかそこにいると調理の邪魔だ、どきやがれ!」
『あァン!?』
トカゲが一気に不機嫌になった。どうやら、青年の物言いが気に障ったらしい。
べちん! と右前足でコンロの上面を叩きながら、青年に怒鳴り返してきた。
『オレのことをペットだっつった上に邪魔だって言い腐りやがったか!? この火の精れ……ゲフン、オレ様にそんな態度とるなんざぁ、ふてぇ野郎だ!! 燃やし尽くしてやろうか、えぇ!? 人間よォ!!』
その時、料理人達の中でもひときわ筋骨逞しい男が、青年に向かって声を張る。
見た目にそぐわぬ、威圧と太さが兼ね備わった声だ。
「おい、馬鹿やってないでさっさと続きに取りかかれ! 間に合わなくなるぞ!!」
「わ、分かってます!」
青年は苛立ちを紛らわすように、ため息をついた。
鍋を置いたコンロのスイッチを入れ、火の魔力をコンロに行き渡らせる。
さっきトカゲによってあっという間に沸騰してしまったので、設定は一番弱めに。
小皿に少しだけスープを取って、味見。
「……ボス、ちょっと相談が……」
作り直すか否か。その判断を仰ぐために、青年は料理長を召喚することにした。
『ぁあ~~~~~、この熱が落ち着くってもんだぜぇ~~~~~』
コンロに火をつけた途端、鍋に貼りついてきたトカゲ。
青年はそれに恨めしい視線を送った。トカゲが面倒なことをしてくれたと思っている料理長と共に。
同日、午前。
ディランがゼリー体の鑑賞魚と認識した彼女は、優雅にハイマー辺境領邸・敷地内の散策に勤しんでいた。
ふと、井戸の近くにさしかかると、見覚えのある人間の姿を見つけた。
『……うむ?』
火のトカゲら仲間達と示し合わせて、姿を見せることにしたその日。彼女がたまたま姿を現した場所が、人間達がシーツと呼ぶ平たい布のど真ん中だったのだ。
そのせいで、およそ人間とは思えない速度と形相で追い回された。未だに忘れることが出来ない。
だが、所詮人間は人間だ。観賞魚は恐れることなく、すいすいと人間達に近寄る。
『そこな人間の娘ども。何をしておるのじゃ』
話しかけられ、二人のランドリーメイドは振り返った。
その片割れがあからさまに顔をしかめる。
「うわっ、リアンちゃんのペットの魚妖精……」
その反応に、観賞魚は気分を損ねた。
自分たちのことを妖精と認識しているのに、その態度は何なのだと。
『うわっとはなんじゃ、うわっとは! このわらわに対してその態度、不敬であるぞ!』
「ハン! こないだせっかくの乾きたて洗濯物をびしょ濡れにされた恨みは忘れてないのよ!」
魚の姿をしているのに明らかに眉をつり上げているように見える観賞魚と、それに負けない気の強さで応戦するメイド。
一触即発になりそうな雰囲気に耐えられず、もう一人のメイドが顔を青くしながら相棒に懇願する。
「ちょっと、妖精にそこまで言わなくても……!」
彼女は、相棒とは違い戦闘に関わることのない普通のメイドだ。不可視の存在を感知する力も無い。妖精という存在に少々の怖れすら抱いている。
そのため、穏便に済ませてほしいと言外に主張したが、仕事仲間には伝わらなかった。
腰に手を当てていた彼女は、少し臆病なメイドを諭すように言う。
「こっちの仕事の邪魔されたんだもの、ちょっとした釘差しぐらいなんてことないわ。人間相手でも妖精相手でもね。アンタも言うべきことは言っといた方がいいわよ」
「えぇ……」
妖精は不思議な隣人。とはいえ、いくらなんでも限度があるだろう、と臆病なメイドは思う。この仕事仲間がサヘンドラの血筋で、幼い頃から鍛えていたといってもだ。
ところが、魚自身の感想は違ったらしい。
まるで貴婦人の扇のように、胸びれを器用にひらりと口元に当てて言う。
『……ふむ。そなた、なかなかに気骨のある女子じゃな。気に入った』
「え?」
メイド二人が、魚の言動に揃って首を傾げた。
魚はフン、と鼻を鳴らすような仕草をする。
『そのセンタク? とかいう行為を手伝うてやると言うておるのじゃ。わらわの気の向いた時だけじゃがな』
「あー……」
サヘンドラの血筋のメイドは小首を傾げて考える。横で仕事仲間が蒼白な表情で、小さく首を振り続けているのには気づいていない。
ほんの少しの時間だけ考えて、特に深く考えることなく頼んだ。
「じゃあ、あたしたちが指示した桶に、綺麗な水を足す作業を手伝ってもらっていい? あんた水の妖精なんでしょ?」
頼まれた内容は、観賞魚にとっては瞬きよりも簡単なことだった。
何せ彼女は水に生きる存在だ。水の扱いはこの世界の誰よりも熟練していると言っていい。
『ふむ、それだけでよいのか。些末なことじゃ』
こう答えた観賞魚に、メイド二人の反応は真逆であった。
「些末……」
「さっすが水の妖精! じゃあ指示したときによろしくね」
臆病なメイドは呆気に取られ、剛毅なメイドはさっさと仕事を再開する。
あまりの同時なさに、臆病なメイドはため息をつきつつ自身の洗濯桶に向き合う。
やがて、井戸のあたりからは、三人の女性の世間話が聞こえてきた。
現在、早朝。ハイマー辺境領本邸の厨房は主一族の朝食を作るために、戦場と化している。
「さて、と」
数年前から働き始めたこの料理人は、最近ようやくスープを任せてもらえるようになった青年だ。
グルシエス家の人々から時折、料理を作ってくれることに感謝の言葉をかけてもらえる。働きがいのある居心地いい職場だと彼は思う。
今朝も美味しく朝食を食べてもらいたいと、青年は張り切って調理に勤しんでいる。
スープ用の鍋で具材を炒め、ブイヨンと水を注ぎ、いざ暖めようと魔道具コンロに戻したその時だった。
むぎゅ、というコンロにあり得ない感触。同時に、スープが一瞬で沸騰した。
「だぁあ!? あっつ、あっつう!!」
ガン! とけたたましい音を立てて、青年は慌てて鍋を隣のコンロに置いた。鍋用のミトンをつけていて本当に良かったと言えるだろう。
もくもくといい香りの湯気を上げる鍋。その影から、揺れる炎の体を持つトカゲが、不機嫌を隠すことなく顔を出した。
『おいおいおいおいこのスットコドッコイ! このオレ様が火の<属性>浴してるってェときに、いきなり上から物を乗せてくるたぁ、どういう了見でェ!!』
かなり大きく、通る声で青年に怒鳴る火のトカゲ。
厨房の注目はトカゲと青年に集まった。
周囲から見られているとは露知らず。厨房という場所では予測すら出来ない感触と、不意の沸騰に未だ心臓がせわしなく跳ねている青年は、荒い息を整えながら苛立ち紛れにトカゲに言った。
「な、何でコンロの上にリアン坊ちゃんのペットがいるんだよ! あり得ねえだろ普通! つうかそこにいると調理の邪魔だ、どきやがれ!」
『あァン!?』
トカゲが一気に不機嫌になった。どうやら、青年の物言いが気に障ったらしい。
べちん! と右前足でコンロの上面を叩きながら、青年に怒鳴り返してきた。
『オレのことをペットだっつった上に邪魔だって言い腐りやがったか!? この火の精れ……ゲフン、オレ様にそんな態度とるなんざぁ、ふてぇ野郎だ!! 燃やし尽くしてやろうか、えぇ!? 人間よォ!!』
その時、料理人達の中でもひときわ筋骨逞しい男が、青年に向かって声を張る。
見た目にそぐわぬ、威圧と太さが兼ね備わった声だ。
「おい、馬鹿やってないでさっさと続きに取りかかれ! 間に合わなくなるぞ!!」
「わ、分かってます!」
青年は苛立ちを紛らわすように、ため息をついた。
鍋を置いたコンロのスイッチを入れ、火の魔力をコンロに行き渡らせる。
さっきトカゲによってあっという間に沸騰してしまったので、設定は一番弱めに。
小皿に少しだけスープを取って、味見。
「……ボス、ちょっと相談が……」
作り直すか否か。その判断を仰ぐために、青年は料理長を召喚することにした。
『ぁあ~~~~~、この熱が落ち着くってもんだぜぇ~~~~~』
コンロに火をつけた途端、鍋に貼りついてきたトカゲ。
青年はそれに恨めしい視線を送った。トカゲが面倒なことをしてくれたと思っている料理長と共に。
同日、午前。
ディランがゼリー体の鑑賞魚と認識した彼女は、優雅にハイマー辺境領邸・敷地内の散策に勤しんでいた。
ふと、井戸の近くにさしかかると、見覚えのある人間の姿を見つけた。
『……うむ?』
火のトカゲら仲間達と示し合わせて、姿を見せることにしたその日。彼女がたまたま姿を現した場所が、人間達がシーツと呼ぶ平たい布のど真ん中だったのだ。
そのせいで、およそ人間とは思えない速度と形相で追い回された。未だに忘れることが出来ない。
だが、所詮人間は人間だ。観賞魚は恐れることなく、すいすいと人間達に近寄る。
『そこな人間の娘ども。何をしておるのじゃ』
話しかけられ、二人のランドリーメイドは振り返った。
その片割れがあからさまに顔をしかめる。
「うわっ、リアンちゃんのペットの魚妖精……」
その反応に、観賞魚は気分を損ねた。
自分たちのことを妖精と認識しているのに、その態度は何なのだと。
『うわっとはなんじゃ、うわっとは! このわらわに対してその態度、不敬であるぞ!』
「ハン! こないだせっかくの乾きたて洗濯物をびしょ濡れにされた恨みは忘れてないのよ!」
魚の姿をしているのに明らかに眉をつり上げているように見える観賞魚と、それに負けない気の強さで応戦するメイド。
一触即発になりそうな雰囲気に耐えられず、もう一人のメイドが顔を青くしながら相棒に懇願する。
「ちょっと、妖精にそこまで言わなくても……!」
彼女は、相棒とは違い戦闘に関わることのない普通のメイドだ。不可視の存在を感知する力も無い。妖精という存在に少々の怖れすら抱いている。
そのため、穏便に済ませてほしいと言外に主張したが、仕事仲間には伝わらなかった。
腰に手を当てていた彼女は、少し臆病なメイドを諭すように言う。
「こっちの仕事の邪魔されたんだもの、ちょっとした釘差しぐらいなんてことないわ。人間相手でも妖精相手でもね。アンタも言うべきことは言っといた方がいいわよ」
「えぇ……」
妖精は不思議な隣人。とはいえ、いくらなんでも限度があるだろう、と臆病なメイドは思う。この仕事仲間がサヘンドラの血筋で、幼い頃から鍛えていたといってもだ。
ところが、魚自身の感想は違ったらしい。
まるで貴婦人の扇のように、胸びれを器用にひらりと口元に当てて言う。
『……ふむ。そなた、なかなかに気骨のある女子じゃな。気に入った』
「え?」
メイド二人が、魚の言動に揃って首を傾げた。
魚はフン、と鼻を鳴らすような仕草をする。
『そのセンタク? とかいう行為を手伝うてやると言うておるのじゃ。わらわの気の向いた時だけじゃがな』
「あー……」
サヘンドラの血筋のメイドは小首を傾げて考える。横で仕事仲間が蒼白な表情で、小さく首を振り続けているのには気づいていない。
ほんの少しの時間だけ考えて、特に深く考えることなく頼んだ。
「じゃあ、あたしたちが指示した桶に、綺麗な水を足す作業を手伝ってもらっていい? あんた水の妖精なんでしょ?」
頼まれた内容は、観賞魚にとっては瞬きよりも簡単なことだった。
何せ彼女は水に生きる存在だ。水の扱いはこの世界の誰よりも熟練していると言っていい。
『ふむ、それだけでよいのか。些末なことじゃ』
こう答えた観賞魚に、メイド二人の反応は真逆であった。
「些末……」
「さっすが水の妖精! じゃあ指示したときによろしくね」
臆病なメイドは呆気に取られ、剛毅なメイドはさっさと仕事を再開する。
あまりの同時なさに、臆病なメイドはため息をつきつつ自身の洗濯桶に向き合う。
やがて、井戸のあたりからは、三人の女性の世間話が聞こえてきた。
応援ありがとうございます!
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