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Act.12 ハイマー辺境領への帰還

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 ぱん、と誰かが手を打つ音がした。打ち主は御館様だったようだ。

「よし! 今晩は騎士団の者たちも含めた身内の宴会よ! 早速準備を始めるとしよう! 主役はクリストファーとディラン、そしてリアン!! この三名は準備が整うまで、親子水入らずゆっくり休むがいい!!」

 御館様のお言葉に、すっ、と移動を始めた使用人一同。
 えっ、俺はどうしたら?
 と思っていると、いつの間にか側に来たのか、クリストファー様が俺の腕をがっちりと取っていた。
 ……ああ、やることを聞くタイミングを失ってしまった。

「お主らは腹が減っているだろう! 朝餉を食した後、湯浴みし休むといい! 何かあればリラに申しつけよ!」

 そう言い遺され、御館様もお屋敷の中にお戻りになられた。
 一人残っていたリラさんが俺たちに訊いてくる。

「どちらで朝のお食事をお召しになりますか?」

 そう言えば、今は何時なんだろう。

「今って、もう朝食の時間は……」
「終わっています」

 俺の問いにリラさんが答えた。
 なら、とクリストファー様が指示を出す。

「僕たちの部屋で食べるよ。片付けただろう朝食室を使うのも悪いし」
「かしこまりました。お部屋への案内は……」
「自分たちで勝手に行くから大丈夫。リラはご飯の準備を頼むよ、その間に俺たち着替えておくから」
「かしこまりました」

 リラさんがぺこりと頭を下げ、厨房に向かう。
 さて、リアンは……ああ、まだお子様方と談笑していた。
 ……うーん、アンナ様が悔しそうに目一杯伸びをされている。
 よっぽどリアンが成長したのが口惜しいのだろうか。
 ふふ、とクリストファー様が忍び笑った。

「……どうしました?」
「いんや。僕も、ディランに対してああだった時期があったなぁ、って」
「ああ、急に俺の背が伸びたときに、ものすごく悔しがってましたよね」
「そうそう」
「……ふふ、確かに懐かしいですね」

 アンナ様は人間で、リアンは精霊。
 いずれアンナ様はいずこかの殿方の元に嫁がれるだろう。
 その時、リアンはもう精霊ユグドラシルと成っているかもしれないし、まだかもしれない。
 ……でも、多分アンナ様と人生が交わることは、ないだろう。
 それでも願わくば、リアンにはグルシエス家とその家中の皆と良き隣人でいて欲しい、……と思うのは俺の欲目だろうか。

「さて、そろそろ部屋に戻ろっか」
「はい」

 声をかけられたことで俺の思考は現実に戻ってきた。
 リアンたちに近づいていくと、奥様方や従者たちがお子様方に解散をそれとない言い回しでお伝えになり始める。
 俺たちもその中の一組なんだが。

「リアン、そろそろ中に入るよ」
「はぁーい」

 リアンは小走りにやってきて、俺とクリストファー様の間に収まった。
 手を握ってやると、ぶらぶらと揺らして遊び始めた。お子様方と、またごはんの時にね、などと声をかけあっている。

 俺たちの寝室に戻ると、何故かリアンとクリストファー様の衣装担当のメイドさんが待ち構えていた。
 サクサクと俺たちの旅装は剥ぎ取られ、リアンと共に軽装に着替えさせられる。
 計ったかのようなタイミングで、リラさんともう一人のメイドさんが軽食を運んできてくれた。
 スープとパン、俺とクリストファー様にはベーコン付きオムレツ、リアンにはみじん切りの野菜を混ぜ込んだオムレツ、紅茶とジュースという献立だ。

「はぁ~、やっぱり我が家のご飯が一番だよねぇ~」
「ええ、本当に」
「久しぶりのごは~ん!」

 舌鼓を打ちながら食べ進めていると、リアンから絶食していたかのような発言が飛び出した。
 この発言に首を傾げていると、教団にいた間は次代のユグドラシルとして奉られていたので、供物としての水やノルニアの森の果物しか口にしていなかったらしい。
 ユグドラシルの領域に行ってからは、ふたりの記憶の中にあるありとあらゆる食を再現していたらしいが、それには<物質マテリアル>がない。
 つまり、<物質マテリアル>が主体で構成されている食物が久しぶりだ、ということだそうな。
 ここにいる間は、主に植物性のものを好んではいるが、同年代の子と比べてもモリモリ食べていたあのリアンが、である。
 話を聞いていた、控えていたリラさんとメイドさんが目元を押さえだした。
 クリストファー様もリアンのグラスにジュースをつぎ足しながら言う。

「夕飯はめっちゃ豪華になると思うから、いっぱいお食べ……」
「リアンちゃんの好物もいっぱい出してもらうように、厨房にお願いしておきますね……」
「? はぁ~い」

 そう。グルシエス本家筋、そして騎士団のみでの宴とはいえ、きっと豪華になる。
 御館様御自らがお狩りなられるボアや野鳥の丸焼き、今日は何匹出てくるかなぁ……。フフフ。
 おっといけない涎が。
 そんな感じで食べ終わった後、今度は湯殿担当のメイドさんが俺たちを一人ずつ強制連行していって、埃を全て注ぎ落とす勢いで磨かれた。

「……って、いやおかしくないですか!?」
「クリストファー様から、ディランくんをピッカピカに磨き上げてね、というお達しがあったのよ」
「えっ」
「うふふ、気合を入れて磨くわよ、ディランくん~」

 不意打ちでそんなことを言われてパニックにならない奴がいるか? いやいないね!!
 俺はパニックのあまり、生娘のような悲鳴を上げてしまった……。くそう、一生の汚点が増えたじゃねえか!!
 一生に使えるかどうかも分からない石鹸で洗われし、洗髪剤からは何かどこかの香水みたいな匂いがするし、おまけにあかすりだの、髪を乾かすときに香油だのを塗られ……!!
 そんな気疲れしかしない湯浴みを終えると、先に湯浴みしていたクリストファー様とリアンが揃ってベッドで寝落ちしていた。
 …………俺も疲れたし、寝よっかな……。
 うん、何も問題ないだろ? 俺たち家族なんだし……。

 俺の記憶は、そんなことを思いながらもごもごとベッドに潜り込んで上掛けを整えたあたりで途切れていた。
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