孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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三章 争乱の魔女アルクトゥルス

47.孤独の魔女と開幕の継承戦

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王位継承戦 アルクカースという国が成立してより連綿と続く一つの仕来り、強き者こそ絶対であるこの国において 王として君臨する者は当然の如く誰よりも強くなければならない

故に作る、王は或いは女王は次代の候補者を増やし戦わせるために子供を多く作る

故にこそ決める、生まれた王子の中から王女の中から最も強きものを、それを決める継承戦は開催日はアルクトゥルスと今代の王の決定により決められるという

今回の継承戦が開かれるきっかけは正にこのすぐ後に控えた大戦争 デルセクト侵略戦に他ならぬであろう、折角の次代の王の治世を戦いにあふれた良き治世にする為 今代の王ジークムルドは大戦争を前に自ら王の座を引くことを決意し継承戦の開戦を発した

そして、今日…その継承戦が幕を開ける事となる

継承戦がいくら戦争の一種であるとはいえ、いきなり始まるルール無用の殺し合いではない、形は荒々しくも正式な国王を決める一つの式典でもあるのだから通過儀礼的決まり事やルールは多くある

例えば今日…継承戦の開催を宣言するこの開戦式には全ての国王候補と国王と魔女 そしてアルクカース中の諸侯がこの魔女大要塞フリードリスに出席する事になる、もしこの場に現れなければその時点で失格 敵前逃亡及び義務の放棄と見なされ最悪王族や貴族の肩書きさえ剥奪される

関係ない話ではあるが 全ての諸侯が集う為現在アルクカースは最も無防備な状態にあると言えるが、かつてこの日を狙って戦争を仕掛けた国がアルクトゥルスの怒りを買い領土丸々更地にされたと言う話がある為 この日を狙って仕掛けようと言う馬鹿は今現在はいない


閑話休題

今日 この特別な日にあって、国王候補達はこの日の為に集めた軍勢を背後に率いながらフリードリスの大庭園に横に並ぶ…これから魔女や国王による継承戦開催の儀を執り行うらしいのだ

「はぁ、緊張してきました」

そんな中エリスは緊張に胸を躍らせていた、エリスは今フリードリスの大庭園にて 継承戦の開戦式に参加する為ラグナの戦列に加わっている、周りを見渡せば皆武器を持っていることからここにいる人たちは皆継承戦に参加する為集まった人間であることがわかる

ちなみに師匠はこの場にはいない、一応継承戦には不参加の立場である為この開戦式には参加できない、故に今は庭園の外で待機中だ

「うう、それにしても人がいっぱい…ここにいる人たちみんな継承戦に参加するんですね」

大庭園には四つの隊列が存在する、それぞれ第一王子 第二王女 第三王子 第四王子がこの日に連れてきた軍団達だ…こうして見るとみんな強そうだなぁ、装備も立派だし体格も良い、開戦式に立ち会えるのは継承戦に参加する者のみ ということはここにいる人間全員がエリスの敵であると言える

「なぁに?エリスちゃん、緊張してんの?」

「テオドーラさん」

なんて緊張しているとエリスの肩を隣に立つテオドーラさんが小突いてくる、緊張してるかって言われたら そりゃあしてるよ、こんな風に式典に参加するのは初めてなんだ…ああいや廻癒祭には参加したことあるか、でもあの時の緊張感とは別物だ…だってエリスは当事者だ あの時のデティのオマケの立場とは訳が違うし

「緊張は…しています、みんな強そうだなと思って」

「まぁ強いだろーね、強いの集めてる訳だし…何よりほれ あの面子、見ただけで分かるほど豪華なメンツぅ!」

そう言ってテオドーラさんが指差すのは 第一王子ラクレス率いる第一戦士隊と第二戦士隊の方を指差す、皆来ている鎧は一級品 佇まいからも誇りが滲み出ている、あれは勝ち続けた者が纏う勝者の余裕…特にそれが凄まじいのが

「あのテオドーラさん、あのラクレスさんの隣にいるおじさんって誰ですか?」

第一王子の横に立ち、余裕そうにニヒルに笑う一人のおじさんが目に止まる、彼だけなんというか佇まいが一線を画しているというか 他と違う感じがする、事実彼だけ来ている隊服が違うし

「おじさん?…ああ ブラッドフォードさんだね、討滅戦士団のNo.3ブラッドフォード・エイジャックス…どんな武器どんな作戦どんな戦法でもそつなくこなすと言われている芸達者な人で、ラクレスの師匠だね」

「と 討滅戦士団!!?」

思わず声に出てしまい、静粛とした場の空気が乱れてしまう、…ごめんてラグナ そんな目で見ないで
いやしかし、討滅戦士団か…この国最強の戦士団…ラグナもサイラスさんも個人的に候補者と関わりのある戦士は参加するかもと言っていたけどまさか本当に参戦してるとは

というか、エリスのさっきの驚きの声でこちらに気がついたのか…ラクレスさんの率いる軍団がこちらを険しい目で睨んでくる、お…怒ってるのかな

「なんか 怒らせてしまったみたいですね」

「別にあれエリスちゃんに怒ってるわけじゃないよ、嫌ってるのさ…ウチを」

「嫌ってる?」

「うん、ほら あそこ…戦士隊を率いる所に立ってるの、第一戦士隊隊長ジョージ・ドレッドノートと第二戦士隊隊長エリーナ・ドレッドノート…ウチのお父さんとお母さんなんだけどさ、…ウチ家族からは嫌われてんだよね」

「テオドーラさん…」

そう語るテオドーラさんの顔は酷く悲しく そして諦めの混じった顔をしていた、家族から嫌われるとは何をしたのか何があったのか聞きたい気持ちはあるが、今は抑える…テオドーラさん自身家族にあんな視線を向けられることに多少なりとも傷ついてるみたいだし、今は触れないでおこう

「ついでだし他の軍団も解説してあげちゃおっかなぁ、お隣の第二王女のホリン様が率いるあっちの軍団、ほら見てホリン様の隣に立つ女戦士」

「ホリン様の隣…あ、あの人見たことあります 確か…」

そう言ってホリン様の隣に目を向ければ、見たことのある女戦士が立っていた

…そう見たことがある、彼女の名は確か ルイザ・フォーミダブル、討滅戦士団の一員だったはずだ、ラグナを舞闘会へ招いたあのお姉さんが身の丈程のウォーハンマー片手に立っていた

「ルイザさんだね、あの人とホリン様は小さい頃からの親友だって言うし 向こう側での参戦はまぁ読めてたかな、それにあの二人すごいモテるしね」

「モテるしねって…モテるとなんなんですか?」

「この国じゃ男も女もモテる奴ほど相場で強いって決まってるんよ、ゴリラみたいな女でも豚みたいな男でも強けりゃモテる…んで、あのお二人はアルクカース的に見て国で一番の美女コンビってわけ」

なるほど、言い換えればあの二人は相当強いと言うことになる、まぁホリンさんの腕前はこの目で見てるし ルイザさんも討滅戦士団だ 弱いわけないか

「それで続いて…第三王子のベオセルク様のところに控えてるあのいけ好かないメガネ 、エリスちゃんも会ったよね?、リオン・フォルミダビーレだよ…ベオセルク様とは小さい頃からの世話係って仲らしいよ」

そう言って指差すのは リオン…これまた知った顔だ、アルクカースに入国する前に見たあの正論銀ピカメガネだ、あの人まで参戦してるとは…強さの程は分からないが まぁ弱いことはないだろう

と言うか何より目を引くのはベオセルクさんの率いている軍だ、鎧は至る所に傷が走っておりズタボロで、まるで戦場で死んだ亡霊が戦列を為しているかのような恐ろしさを感じる

「なんかおっかない軍隊ですね」

「餓獣戦士団って言うらしいよ、ベオセルク様が手ずからスカウトして育成したベオセルク様だけの部隊、下手なプライドが無い分練度は第一戦士隊よも上かもね」

餓獣戦士団か…いかにもって感じたな、戦士団数はエリス達と同じ五百人程だが、あれ一人一人が第一戦士隊よりも強いかもしれないのか…流石国王候補最強が率いる軍団は別格と言える

…あれ?あんなおどろおどろしい軍団の中に一人綺麗なドレスを着たポワポワした雰囲気を纏う女性が混じってるけど…あれも戦士か?

「すみませんテオドーラさん、あの女の人は…」

「あああれね、あれベオセルク様の奥様」

「お!?く!?さ!?ま!?、ベオセルクさんって結婚してるんですか!?……ぁ」

しまった また大きな声を出してしまった、…ラグナそんな目で見ないでぇ

しかし奥さんとは え?ベオセルク様って確かまだ18か19そこいらでクレアさんとあんまり変わらない年齢だった気がするけど、え え!?結婚してるの?と言うかあの飢えた獣みたいなあの人が結婚なんて出来るの!?

「5歳の時に結婚したらしいよ」

「ごっ!?……5歳ですか?」

「うん、確か奥様の名前はアスク・エラトス・アルクカースだったはずだけれど、ええと 十八~九年前に起こったエラトスとの戦争で 和平の条件としてこの国に送られてきたのがアスク様らしいよ」

…エラトスの、そういえばそんな話あったな …イスキュスさんの娘さんがエラトスに和平の条件として送られたなんて話は確かに聞いたことがある、なるほどつまりあの女の人はエラトスからアルクカースへ送られた人質であり謝罪の品ということになる、可哀想に…それであんな獣みたいな男と結婚させられたんだ

「というか五歳で結婚って凄いですね」

「そうかな。王族だし普通じゃ無い?ラクレス様も同じくらいの歳の頃に結婚してたはずだし、一昨年も結婚してたよ?もう妻は八人くらいいるんじゃなかったかな」

そんなに、というかラクレスさんも妻帯者なのか、…確かアルクカースは一夫多妻も一妻多夫も認められている、強ければ何人でも伴侶を連れて良いと言われており 男も女も大勢伴侶を連れている方が強いとされ 寧ろ好まれる傾向にあるらしい

しかも王族として世継ぎを多く残す必要もある…、そりゃあ男と女一対一の結婚のほうがいいだろうけど、そうも言ってられない立場なのだろう

というか、それなら…

「…あの、じゃあラグナも結婚してるんですか?」

「うん、してるよ」

「えぇっ!?」

思わず声に出てしまう、ラクレスさんもベオセルクさんも若くして結婚してるなら確かにラグナも結婚しててもおかしくは無い、おかしくは無いけど…な 何でこんなにショックなのか…

「…うそぴょーん!、そんなに驚くとは思わなかったなぁ」

「う 嘘ですか、なんですかそうですか…驚かせないでくださいよまったく」

よくよく考えてみればラグナは今までそんなこと一度も口にしてない、ラグナの性質上奥さんがいたら放っておかないだろうし、うん…うん 嘘ならいいんだ嘘なら

「……こりゃ存外に脈アリか?、ラグナ様ももう少し積極的に行けば……」

テオドーラさんが何やらボソボソ呟いたが、よく聞こえないのでスルーする

なんて会話をしていると、周囲がザワザワとざわめき始める、…どうやらそろそろ開始の合図らしい、無駄話もそこそこに エリスは襟と姿勢を正し、キリリと前を見る

「むんっ…ほう、これが我が息子娘らが集めた軍か、いやなかなかどうして侮れぬ者ばかりよ」

そう言いながら奥の扉から悠然と歩いてこちらに現れるのは 筋骨隆々の大男、この国の現大王にしてラグナ達のお父さん、ジークムルド・アルクカースだ

なんでか分からないけど上半身裸でその上からマントを羽織っている、なんであんな変態スタイルなのに誰もなにも言わないの?、あれ普通なの?エリスおかしいの?

「皆 今日までご苦労であった、これだけ精強な者達をその手で集め軍として纏め上げ今日という日に臨んで来たその覚悟と努力、一人の大王として一人の父として嬉しく思う」

なんて思ってるうちに演説が始まった、ああこれ開催前の演説か何かか?ならおとなしく聞いておいたほうがよさそうだ

「これより行われるはアルクカースの伝統的な一戦、皆が皆 その軍を率い最強を決め、次代の玉座に座る者を選ぶ重要な戦い 、泣いても笑っても勝者は一人 時として遺恨悔恨を残すことはあろうが、…全霊を尽くせ そして全霊を尽くした末に己が兄妹たちに思い知らせよ、我こそが次代の王であると」

ジークムルドの演説は続く、彼も父として嬉しいのかもしれない…息子娘の晴れ姿だ、少し張り切って演説しても良いでは無いか、でもエリスは彼の口と共に動く大胸筋に目を奪われていて話の内容が入ってこ無い

なんか面白い…プルプル動く大胸筋がなんか可愛い

「そして、ここで私から一つの言葉を贈りたい 次代の王へ今代の王から贈る珠玉の言葉である…よく聞くが良い、えー…」

「長い、どけ」

すると意を決して何年も前から考えていたであろう名言(予定)を言い放とうとした瞬間、ジークムルドはさらに後ろから現れた何者かによって弾き飛ばされる、…大国アルクカースを統べる大王にこんな不敬を働ける人物などこの国には一人しかいない

「魔女殿!ここからがいいところですのに!」

「うるせぇな、テメェも若い頃はオヤジの長い話が嫌いだって言ってたろうが、嫌な年の取り方しやがって」

魔女アルクトゥルスだ、赤い髪と黒い軍服をたなびかせ 奥から現れる、彼女がただ現れただけで…この場は言い知れぬ緊張感に包まれる

「…志とか 王への心構えとか、ンなのはどうだっていいんだよ、…テメェら この国は強さこそが全てだ 勝ち負けこそが絶対だ、手前の好きにやりたいなら 他を黙らせるくらい強くあれ、他に有無を言わせなくらい完膚なきまでに勝て 、それ以外 考えを押し通す方法なんてなぁこの国には存在しない!」

簡潔にこの国の真理を言う、エリスももう一年近くアルクカースにいるから分かる、そうだ 強い奴が勝った奴が全てなんだこの国では、信念を押し通したいなら 目的を果たしたいなら、強くなり勝つしか無いんだ

「この継承戦に勝ったやつには 国王の座と次のデルセクト侵略戦への全権をこのオレ様から譲ることになっている、王になって好き勝手したいなら…最高の闘争を味わいたいなら、…兄妹と言えども容赦するこたねぇ ぶっ潰せ!分かったな!」

デルセクトとの戦争の権利、それはつまり歴史上類を見ない一大戦争の指揮を取れるという事、アルクカース人からすればこれ以上ない光栄だ…がエリスたちは違う、その戦争を止めるためにここに立っている

もしかしたらエリスたち以外この国でラグナの勝利を望む者などいないかもしれない、だとしても…だとしても勝たねばならない、この世界は意味のない戦争で破壊していい世界ではない

「んじゃあ、長ったらしい開催式ってのは好きじゃあねぇから、ここらで終わらせ…いや始めさせてもらう、これから継承戦を始める!手前ら!好きに戦争しろよ!、悔いの残らねぇようにな」

んじゃあな とだけ言い残しアルクトゥルス様は興味なさげに要塞の方へ引き返していく…え?もうスタート?今から戦争?この場で戦るの?、キョロキョロと周りを見回しているとアルクトゥルス様と入れ違いになった従者が羊皮紙を抱えて現れ、それを一枚づつ 候補者達に手渡していく…

えっと、なにあれ

「あの、テオドーラさん…あれなんですか?」

「ん?、ああ…あれはね?継承戦の開催地の地図だよ」

そう言ってテオドーラさんは説明してくれる

継承戦は公平性を保つ為に 開催直前まで戦場がどこかは明かされない、これはハロルドさんも言っていた事だが、確かに事前にどこでやるか分かってたらラクレスさんあたりが事前に戦場を自分に有利なように整えていてもおかしくはない

アルクトゥルス様は戦場と戦争は常に公平であるべしの理屈の元に どの候補者にも有利にならないよう、開催日の前日にサイコロを振って場所を決めるらしい…いやサイコロって

候補者達は手渡された地図を元に移動し、開催の合図と共に開戦…と言う流れになる、当然現在地など分からないし相手がどこかも分からない、故に拠点確保や情報収集と言った足場固めも重要になるとのことだ

まぁ、一応ハロルドさん曰く戦場は常にアルクカース国内のどこかになる為、余裕のある候補者は何処が戦場になってもいいようにアルクカース中を隈なく練り歩き準備を整えるらしい

ラグナが手渡されたのは おそらくラグナ軍の継承戦の開始地点、多分だけど 他の候補者も開催地のどこかに陣取るよう指示されているのだと思う

「なるほど、じゃあ今からあの地図を元に移動するわけですね」

「そゆこと、どこが継承戦の戦場になるかわからないからその辺は準備のしようがないよね、聞いた話じゃ昔の継承戦だと候補者全員がすぐ近くに陣取った事もあったみたいだし、市街地が戦場になった事もあるんだってさ」

サイコロなんかで適当に決めてるからだろ、いや…逆に言えば開始時点の決定は魔女の意志さえ及ばない所にあると言える、つまり完全な運だ

運が悪いければ他の候補者に囲まれた状態で始まる事もあるしラクレスさんやベオセルクさんに背後を取られた状態でも始まると言う事だ、逆に運が良ければ…なんて、ここまでしっかり準備させておいて最後は運試しか、やるせないな

なんてエリスが些かながら継承戦の仕組みに不満を持っていると、ラグナが何食わぬ羊皮紙を丸めそれで肩を叩きながらこちらに戻ってくる
周りを見てみれば皆一様に移動を始めていることから、開催式は本当にアルクトゥルスさんの一言で終わったことを理解する、と言うことはこれから戦場へ移動するのか…

「エリス…テオドーラ、厳粛な場くらいは静かにしてもらわないと困るな…」

あ 怒られた、ラグナが珍しくジトッとした目をこちら向けている、うう 確かにあの真面目な場面で二人でおしゃべりはマズかったか

「すみません、ラグナ…」

「すみませぇん若」

「やる気があるのは結構、継承戦本番でそのやる気を見せてくれよ?…じゃ、移動しようか 地図ももらったしね」

「移動、その地図を元に指定された戦場に移動するんですよね?、継承戦の戦場はどこになるんですか?」

「どうやら今回の継承戦の戦場にはホーフェン地方と呼ばれる山岳地帯が選ばられたらしいよ、地図見るかい?」

そう言ってラグナは羊皮紙をエリスに手渡してくる、地図…と呼ぶには余りに簡素なそして簡略化された物が書き込まれており、紙には『ホーフェン地方』と書かれている…地図は分かりにくく ホーフェン地方の大体ここら辺と言わんばかりに大雑把に赤い丸が書き込まれている

「読みにくい地図ですね…」

「読みにくいのはわざとさ、この地図で詳しい地形がわかってしまったらダメだからね、地形把握も現地で行う必要があるのさ」

「なるほどなるほど、でもエリスここの地形分かりますよ、多分これは…山と山の隙間の辺りでしょうか、ここら辺に森があって…少し離れた場所に放棄された古い砦もあったはずです」

ホーフェン地方…確かビスマルシアを北上した辺りに存在する広大な土地の事だ、沢山の小山が乱立しアルクカースには珍しく緑の多い土地だと聞きおよぶ、この地図から推察するにエリス達の軍の開始場所は 小さな山と山の間だ、悪くない これなら変に悪目立ちする事もないし守りやすいだろう

「な なんで知ってるんだよエリス」

「なんでもなにも、予習してきただけです この10ヶ月でアルクカースの地図を隈なく読み上げて、細かい土地も全て記憶したんです、どこが戦場になってもいいように」

継承戦がランダムで決められることは一応聞いていたから何処が戦場になっても良いようにと、地図を手に入れて細かな土地や地理を全てを記憶しておいたんだ 
エリスは一度見たものは忘れない、頭の中には既にアルクカース全土の土地の細かな情報が入っている 

「予習って…いや、そういえば君は記憶力がいいんだったな、少し異常な気もするが これは凄いぞ、エリスがいる限り細かな土地把握をする必要がないな」

「はい、ですが事前にこのホーフェンの地図を手に入れておけばいいのでは?」

「一応、ダメなことはないんだがな…事前に細かい地形の書かれた地図を用意して置くとなると、アルクカース全土分となる…シャレにならない量を用意する必要があるからな」

確かに、アルクカース全域を描いた地図はあるが それには細かい地形は書かれていない、なら細かい地形の書かれた地方ごとの地図をとなると今度はどこが必要になるか分からない、前もって全部用意するとなるとかなりの量が必要になる…

エリスも何ヶ月もかけて複数の地図や文献を見合わせ地形の擦り合わせ行ったくらいだし、それなら現地でマッピングした方が早いのか、ラクレスさんくらいなら 事前に専用の細かい地形が書かれかアルクカース全土の地図とかもっててもおかしくない気がするが、それをエリス達が手に入れるのは不可能だ

「ともあれ、エリスのおかげで地形の把握は楽になることに違いはない」

「分かりました、あとで紙に書き上げて地図を描いておきますね」

流石にそっくりそのまま転写とはいかないが、ある程度の地理は調べるまでも無い そのホーフェン地方に到着してからも直ぐに行動に移ることが出来るだろう

なんて話しているウチに他の候補者達は軍を率いて庭園を後にしていく、…ここから見ても分かるほどに皆ピリピリしている、特にラクレスさんだ…いつもの温厚そうな顔が今は嘘のように消えて無くなり 鬼のような形相でベオセルクさんを睨みつけている

対するベオセルクさんはそのラクレスさんさえ眼中にないと言わんばかりに餓獣戦士団を率いてそそくさと消えていく、ホリンさんはそんな二人を見てさらに獰猛な笑みを浮かべ…

みんなエリス達は眼中にないようだ、まぁ仕方ないか …だが足元を掬うには絶好の状況とも言える、…やるぞ

「おいラグナ、もう継承戦は始まっているんだろう?、こんなところでくっちゃべっている暇があるならとっとと移動するぞ」

「あ、師匠」

痺れを切らしたのか 庭園の外で待機している師匠がズカズカとこちらに寄ってくる、一応師匠は継承戦には不参加ではあるものの戦場には付いてきてくれることになっている、何をするってわけでもないが、曰くエリスが心配だからだという…エリス的にも師匠が側にいてくれると心強い


もう移動の準備は出来ている、事前に馬や馬車は確保してある 流石にラクレスさんはそこまで抑えるような嫌な真似はしていなかったようだ

「あ、はい…ホーフェン地方はここから差して遠くなかったな、今から動けば夕頃には着くか、荷物の準備は出来てるよな?」

「ご安心を若、昨日の時点で我輩が全てチェック済みです、馬も揃えてありますし いつでも出発できます、後は若の号令だけですな」

「そうか…」

もう武器も物資も全て準備してある、そのための一年だ 抜かりはない、後は彼が一声かければ、エリス達の継承戦は 戦いは始まるのだ

ラグナは迷っているのか、或いは感傷に浸っているのか、瞑目し空を仰ぐ…数秒 体感にすれば1分近い時間、ただ静かに風を感じるラグナを エリスは エリス達は静かに見つめ、その号を待つ

そして

「行くぞ!みんな!」

既に、賽は頭上高く投げられた…結果を出すのはエリス達の奮戦以外ない

アルクカースのデルセクトのアジメクの 世界の 安寧は今、ラグナ達の切っ先に託された



…………………………………………………………

「おや、アルクトゥルス様 今回は継承戦を観戦なさるのですか?いつもは興味ないと観戦なさらぬのに」

フリードリスの頂上、…いや屋上と言うべきか 街を一望できる展望台に一人立つアルクトゥルスにヨボヨボの老人、アルクカース1の軍師にして魔女の左腕 ギデオンは声をかける

アルクトゥルスは基本的に自分の参加しない戦いには無関心だ、だと言うのに今回は珍しく王子達の戦う継承戦に興味を示したのか ジッと虚空を睨んでいるのだ、あれは遠視の魔眼を用い ホーフェン地方の方角を見ているのだ

「ギデオンか、興味…そうだな 興味がある」

その声を聞きギデオンは表情を変える…、何せいつも荒ぶっているアルクトゥルス様様が今回は酷く落ち着き、理知的な声を発しているからだ…

ああいや、違うな アルクトゥルス様様は本来非常に理知的な方なのだ、闘争本能に駆られなければ 恐らく魔女達の中でもトップクラスの頭脳を持つ、ただ最近はそう言った面が垣間見える事が少なくなっていたため、ギデオンも少々驚いたのだ

「興味が惹かれるような戦いでもないでしょうに」

「お前の孫が戦うと言うのに、随分な物言いだな…ギデオン、うーん お前は誰が勝つと思う?」

「さぁ、ワシにはとても…ただまぁ少し考えるならば、ベオセルク様でしょうな…ラクレス様は既にベオセルク様の術中にあり ホリン様では経験的に不足であり、ラグナ様では実力が足りない、勝機はベオセルク様にあります」

「だよな、オレ様もそう思う」

アルクトゥルス様様がそう言うのであればベオセルク様の勝利は揺るぐまいとギデオンは察する、八千年と言う長い時の中で磨かれた超絶した直感と圧倒的経験則からなる戦略眼は本物だ、此度の戦いの行く先を見抜くなど造作もないだろう…

「だからこそ興味がある、そんなベオセルクにラグナがどうやって勝つのか」

「ラグナ様がベオセルク様に勝つと?、ふーむワシには勝機があるようには見えませぬな、ましてやあそこの軍師は我が愚孫ですのでなぁ」

「愚か者がここ大一番で化けることはよくある、それに…今回の継承戦はどいつもこいつも余所見をしすぎだ、ああやって目の前の敵に全霊を尽くそうとしているのはラグナだけだ」

ギデオンは顎に蓄えた白い髭を撫でながら考える、このお方は妙にラグナ様に甘い節がある
何故かは分からない、だがラグナ様を道端で見かけると声をかけたり 国家機密とも言える魔女の抜け穴の話をしたり

ああそうだ、ラグナ様が多重付与魔術なんて高等技術を使えるのもアルクトゥルス様が教えたからだ、ラグナ様がデルセクトとの戦争を否定しても 『止めたいなら止めてみろ』と火をつけるようなことを言ったり…

甘い、あまりに甘い あの苛烈極まるアルクトゥルス様が小さな子供相手に笑いかけているところなどこの長い生涯初めて見たと言える

「問題はレグルスがどう関わってくるかだな、…レグルスが参戦するなら流石にオレ様も黙ってるわけには…ッッ!?ぐぅっ…」

「アルクトゥルス様?如何されましたか?」

突如として頭を抱え苦しみ始めるアルクトゥルス様に慌てて近寄ろうとするが、その大きな手を向けられ制止される

「なんでもねぇ…離れてろ、ちょっと…ッッ、一人にさせてくれ…」

「アルクトゥルス様…」

このようにアルクトゥルス様が頭痛に苛まれる光景を見るのは初めてではない、最初は 軽い頭痛に悩まされる程度だったが、最近は一層激しく かの争乱の魔女が床でのたうち回るほど激しいものになっている

同じ時期からだったろうか、アルクトゥルス様が異様に闘争を求めるようになったのは…いつ頃からだ こうなったのは、確かギデオンが記憶するに五十年前…

「ギデオン!オレ様の言う事が聞けねぇか!」

「むぅ、かしこまりました…」

こうなってはギデオンにできることはない、ここでしつこくこの場に止まっても返ってアルクトゥルス様を苦しめることになる、口惜しいがここは身を引こう

そう思い展望台から立ち去ろうとしたその時、ふと…振り返りアルクトゥルス様の方を見ると

「…ぐっ…、止めてみろ…ラグナ オレ様を…止めてみろ」

ホーフェン地方の方を睨みつけながら譫言のように呟くアルクトゥルス様の姿が見えた

やはり、アルクトゥルス様にとってラグナ様は……



………………………………………………………………


馬に乗り 馬車を手繰り、デコボコと盛り上がる荒い大地を突き進む事数時間、エリス達はホーフェン地方に到着しました

別にここがホーフェン地方だよって看板が立ててあるわけではない、だが人里離れ 広大な山々が続く山岳地帯に入った辺りから 少し風景が変わったため分かりやすいのだ

アルクカースという国は縦に長い、その為南側と北側では環境が違うのだ 、ラグナも以前言っていたがアルクカースも北に行けば牧畜が盛んな地区があると言っていた、彼のいう通り北側はある程度緑が存在するのだ

ふと周りをくるりと見渡せば、少し前まであった荒涼とした大地は消え去り、今はある程度の緑が見える、といってもアジメクほど豊かではないが 多少の森々が大地を染めている

ここが、継承戦の戦場…盛り上がった山と鬱蒼とした森が視界を奪い 平地では目視できる軍団もこれでは視認することもままなるまい、だがそれはエリス達にも言えること、この環境を生かせるかこの環境に殺されるか…勝敗のカギはそこにある

「地図に書いてあるのは多分この辺だと思う」

馬にまたがったラグナが、周囲を見渡しながらそう呟く 、この辺とはエリス達 ラグナ陣営の継承戦開始地点のことだ、少し大きな山と山に挟まれた平地…残念ながらエリス達のいる場所には木がなく非常に視界が開けている、山の上を取られたら 頭の上から攻撃し放題な場所だな

「…到着ってことですか?」

「そうなるな、全員が指定された場所についた瞬間 角笛による開始の合図がされる…それを待ってから行動を…」

なんて話をし出した瞬間、山の向こうから低い角笛が鳴り響く…なるほど エリス達が持ち場に着くのが一番遅かったらしい、無駄話をしていて遅れた…とかではなく単純に行軍スピードに差があったのだろう、兵の優秀さとは即ち軍の機動力にも直結するから

「開始の合図ですな、あの角笛が鳴り響いたその瞬間から このホーフェンの地は四つの軍が入り乱れる戦場となる、もはや何があっても不思議ではありませんぞ?」

「わかってるよサイラス、取り敢えず ここに拠点を建てる、まずは足場固めから始めていくぞ」

うーい と皆の軽い返事が返ってくる、え?もう戦争始まってるんだよね?戦い始まってるんだよね、…なんか そんな感じはしない

エリスは敵と相対するという一対一の戦いしか経験したことがないから、目の前に敵がいないと戦ってるって感覚は薄いな

「というかこんな目立つところに作って大丈夫ですか?、森の中とか 山の上に移動してから作った方が…」

「いやいい、継承戦は短期決戦だ 拠点にそこまでの防御力はいらない、山の上に作ったって持て余すだけだし、森の中に作ったら森に火をつけられた時全てお陀仏だ、なら こんな周囲を山に囲まれた平地の方がある程度マシ…だと思う」

自信がなさそうだ、とはいえエリスも戦争初心者…変な口出しは出来ないからここは経験者達に任せておこう

ラグナの拠点建設の号令と共に荷車に乗せられた木材達が運ばれてくる、もう既にある程度の仮組みがされている為、建設そのものにはあまり時間はかからないだろう、ハロルドさん達の意見がなければエリス達はここでいきなり近くの森に木を切りに行くところから始まっていただろう

「テオドーラとバードランド カロケリ族のみんなは拠点の建設の方にかかってほしい、サイラスとハロルドさんは俺と軍議…エリスはさっき言っていた地図の方を頼む、出来れば足場を固めるのは夜までに終わらせたい、みんな 頼むぞ!」

「了解若ー!お任せあれ!」

「おう!、力仕事なら若いのに任せておきな!」

「む、若き王子の判断ならば従オウ」

すると筋骨隆々の若き戦士達はその持ち前の若さと力で巨大な木材を持ち上げたり 槌で打ちつけたりテキパキと手際よく拠点を作っていく、どうやらエリスのいない10ヶ月の間にある程度の予行練習は済ませていたようだ

「ふっははは、我輩の軍略が火を噴く時が来たようですな」

「うむ、老人の知恵袋でよければいくらでも貸そうぞ」

経験ある智慧者達はラグナの元に集い全体的な流れの確認と現地に着いた所感を述べ合う、

「おー!、任せてくださいラグナー!」

そんな中エリスは一人で手を挙げ ペンを片手に地図を描いていく、側から見ればみんなが働いてる中お絵描きしてる小さな子供みたいで恥ずかしいが、重要な仕事だ

地図を描きながら 改めて整理する、ホーフェン地方の地理を

ホーフェンというこの地は大まかに三つのエリアに分けられる、一つはエリス達のいる山岳地帯…ホーフェンの七割を占める山々は大小構わずそこかしこに並んでおり、エリス達はそのど真ん中 特に起伏が激しい場所にいる、山岳には森が生い茂っており 視認性は悪い、魔獣はいないわけじゃないがそこまで強いのはいないみたいだ

そして二つ目は『ホーフェンの裂傷』と呼ばれる谷だ、高低差は低く 落ちても足の骨を折るくらいの傷で済むくらいの高さ、だが特筆すべきはその長さと大きさ…この谷はホーフェンを中心に四方八方に繋がっており ここを通れば基本的にホーフェン内ならどこへでも行けるとされる
この不規則な形の理由は谷と名前が付いているだけでここは、はるか昔アルクトゥルス様が暴れた余波として地面が割れた後なのだとか…相変わらずデタラメだ

そして最後がホーフェン平原、少し小高い丘くらいしかない平原地帯でここにはかつて使われていたホーフェン砦という人工の建物が存在する、もしここを手に入れることができたなら、継承戦は一気に楽になるだろう…

まぁエリス達がここを確保しようと思うと山を越え谷を越えと大移動しなければならないのでもう確保は半ば諦めている

ホーフェンという地はこの地域だけで山 谷 平原 砦と様々な環境が一同に会する地域である、ちなみにこのホーフェンを一度出てしまうと敵前逃亡と見なされ失格となる、故意でも事故でも外に出たら失格だ、気をつけねば

「出来ました…」

記憶を頼りに地図を書き上げる、エリスの画力的に子供の落書き感が否めないが、うん 精度は中々の物の筈だ、いくつか文字を入れて細くとか書いた方がいいかな

「出来たか?エリス?」

そう言ってエリスの書いていた紙を覗き込むのはレグルス師匠、手には建材が軽々と担がれており、拠点設営を手伝っているようだ…戦闘に参加しないだけでこういう事には手を貸してくれるらしい

師匠にかかれば拠点建設など訳もない、大男が数人で抱えるような丸太も二、三個まとめて軽々運べるし、みんなが木の槌で地面に建材を打ち込む所を師匠は拳の一撃で打ち込んでいる…凄まじい勢いだ

「はい、記憶頼りですが 多分誤りは無いと思います」

「うむご苦労、拠点の方も夜には出来るしラグナの言う通り足元は今日中に固まるだろう、だが油断するなよ…大人数同士の大規模な戦闘は個々での戦いとはわけが違う、気をつけなさい」

「師匠…」

師匠は戦争に参加したことがあるような口振りを取ることが多い、その戦争がどういうものだったかはわからないが 、かなり大規模かつ長期間に及ぶものだったことが推察出来る…その経験からか、エリスに多くの戦争の心得というものを教えてくれた

…師匠本人は戦争の心得なんぞは教えたくないが とは言っていたが

「ともあれ、地図が出来たならラグナやサイラスに届けてきなさい、明瞭な地図…なんて戦争においては武器以上に重宝されるからな」

「はい師匠!」

「ああ…あと、これを持っていけ 例のブツだ」

「例の?…ああ あれですね」

そう言いながら師匠は片手で麻袋をエリスに投げ渡す、結構な大きさでエリスが両手で抱えるほどの大きさだ、これは師匠が用意してくれた秘密兵器だ…

師匠から預かった麻袋と地図を持ってラグナのところへ向かえば、サイラスやハロルドさん達と意見をやり取りしているところだった、…うう 真面目な話をしている 割り込み辛い

「やはりここは守りを固めた方がいいでしょうな、折角天然の要塞とも言える山岳を味方につけたのですから ここはそれを活かしましょうぞ」

「いやいや、ここは打って出るべきじゃ、数と兵の質で負けておる以上 勢いと士気の維持が先決じゃ、先手を打たれ囲まれでもしたら勝ち目がないからのう」

「ですが必勝策も無しに攻めに転じるのは些か不安が残りますなぁ…若はどう思いますか?」

「…そうだな、…ん?エリス 出来たか?」

「はい、地図の方完成しましたよ」

話し合いの中割って入る勇気がなく立ち往生しているとラグナの方から気がついてくれてこちらに招いてくれる

「ありがとう、確認させてもらうよ…ほうこれは」

一も二もなく地図を渡せばラグナもサイラスさんもハロルドさんも食い入るように見入る、ジッと…エリスの書いた地図を見て顎に手を当て考え始める

「…エリス君?この地図の精度は高いものと見ていいのですかな?」

「はいサイラスさん、沢山の地図と本を読んで頭の中で擦り合わせた情報です、多少の誤差はあるかもしれませんが、大凡合ってると思います」

「ふむ…いやだとするとこれは有用ですな、若?これは我輩が預かっても良いですかな?」

「ああ、軍師である君が持っていてくれ、…ところでエリス?そっちの麻袋は?」

エリスの渡した地図はそのまま流れるにサイラスさんの手に渡される、みんなはエリスみたいに一度見ただけでは覚えられない、故に一枚しかない地図は一番地形を把握すべき人間に渡される

そしてまぁそれは良いとして、ラグナはエリスの握る謎の袋に興味があるようだ、というか気になって当たり前か

「はい、…ラグナ?エリスとラグナが戦力集めに奔走している間、師匠がいつも外出していたのを覚えてますか?」

「え?…んー そう言えばいつも居なかったな、確か レグルス様はレグルス様でやることがあるとかなんとか…だったかな?、それでその話とその袋 何か関係があるのか?」

その通り あるに決まってる、エリスとラグナがあちこちを奔走している間いつも師匠は何処かへ出かけていた。その時何も師匠は遊んでいたわけではない エリス達のことを思って、 行動してくれていたのだ

「実は、その時師匠は国中を駆け回ってアルクカースの土地に生えている少ない薬草を集めて回って治癒のポーションを作っていたみたいなんですよ、ほら!」

そう言って袋の口を開ければ中には数十本程の瓶が詰まっており、瓶の中には緑色の液体がなみなみと注がれている

治癒のポーション、かけるだけで傷を治す戦いの必需品、作り手の腕前と素材の質でその効果が変わるという代物である、これを作った師匠の腕は友愛の魔女スピカ様に次ぐほどの腕前…つまりこの世で二番目に効果が高いポーションなのだ

とはいえ、アジメクで作っていた時よりもポーションの色が薄いのは、多分アジメクとアルクカースで薬草の品質に差があるからだろう

だが…その質が高いことに変わりはない

「おおお!、すごい量のポーションじゃないか…それに見たことない色合いをしてるし、いや助かったよ、あれから俺たちもポーション確保に奔走してたんだが…粗悪な物が数本しか手に入らなくてな、いやこれは有難いぞ…!」

そうだろう、これだけあれば戦闘中負傷してもすぐに戦線復帰できる、普段市場に流れている品とは比べ物にならない効果を持つものなんだ、これによって得られるアドバンテージは計り知れない

「むふふ、師匠はすごいので」

「ああ!すごいよ!、あの地図といいポーションといい やはり君達を仲間にして本当に良かった!」

「あわわ、ラグナ 抱きつかないでください!ポーション落としちゃいます!」

感極まってエリスに抱きついてくるラグナ、いや嬉しいのはわかるがいきなり抱きつかれるとびっくりする…、なんというか やっぱりデティに抱きつかれるのとは感覚が違うなぁ

ともあれ、現地に到着し戦争の準備は整った 地図とポーションが手に入り 、その日の晩には急拵えながらも立派な拠点が完成した、ここを中心に攻めるかあるいは守るか…選択をしながら戦っていくことになる

とはいえ、ここに来て未だにエリスは戦争をしているという感覚を得られずにいた……


…………………………………………

ホーホーと フクロウの鳴き声が聞こえる、奥の方でキラキラと輝く光は狼か…或いは魔獣か、山と山の間 周囲を森で囲まれたこの地には 月の明かりは届かないため、そりゃあもう夜になると暗い…

幸い夜になる前に拠点が完成したこともあり、エリス達は彼ら森の獣と添い寝をせずに済むこととなった

まぁ拠点とは言っても砦と呼べるような立派なものではなく辛うじて木製の分厚い壁が乱立するくらいの簡易的なもの、屋根だって上に金属の板を乗っけてるだけで風とか吹いたら吹き飛んじゃいそうだ…

だがこれがあるのとないのとではまるで違う、敵の飛び道具を防ぐだけでなく人間壁と天井が周囲にあるというだけで落ち着けるものだ


今 総勢五百人余りのラグナ軍は拠点で軍議と言う名の夕食を終え、英気を養うためにその大部分が仮眠を取っている、いくら戦争の最中とはいえ 人間食べなければ戦えないし寝なければ動けない、休める時には全力で休むべきだ

「………………」

そんな中、エリスは一人外出て ボケッと夜景を見ている…まぁ夜景なんて言ったがそんな風情あるものではなく、何も見えない暗闇なのだが

何をしているか?…何をしてるんだろうね、分からない

ただ戦いの最中であると言う微妙な緊張感と本当に戦争は始まったのか?という不思議な脱力感で、少々複雑な心持ちなのだ…妙に緊張するが変に緊張しきれないというか、気持ち悪い感覚だ

…エリス達が負ければ、それはそのままデルセクトとアルクカースの戦争勃発を意味する、そうなれば今の世界の秩序は崩れ 大勢死ぬことになる…それはエリスとて看過できない、だから負けるわけにはいかない…、負けられない 絶対この戦いは…

「んぉ?、どうしたんだいエリスちゃん」

「ほぇ?」

ふと、背後から声をかけられる 聞きなれたような聞きなれないような低く野太い声…

「バードランドさん?」

「なんだエリスちゃんも緊張して眠れねぇのか」

というと大柄な体をエリスの隣に落ち着けるバードランドさん、この人もどうやら緊張して眠れないようだ

…思えばエリスはあんまりこの人と関わったことがなかったな、こうやって親しげに隣に座られても果たして何を話してよいやら

「バードランドさんも緊張してるんですか?」

「ああ、目の前に敵が迫ってるかもしれねぇのに、眠れって言われても眠れねぇよ」

確かに、さぁ!両軍出揃った!見合って見合って!と…いう具合に分かりやすく始まるならまだしも、いつ会敵するか分からない状況からスタートって言われてもいまいち意識を持っていけない、まぁ本当の戦争ってのはこういうものなのかもしれないけれどさ

「他の候補者はどこにいるんでしょうね」

「さぁな、近くかもしれねぇし遠くかもしれねぇし、もう別のところで戦ってるかもしれねぇしもう俺たちをもう見つけていて隙を伺ってるかもしれねぇ」

「なるほど、…バードランドさんは戦争の経験があるんですか?」

「一応な、そん時はまるで役に立たなかったけどな…」

そっか、この人は戦士隊の中でも落ちこぼれに類する人だ…エリス達と出会い、その過程で修練を積み 一流の装備を手に入れたかもしれないが、それでも強くなった実感など無いのだ

「エリスちゃんは強いんだったよな確か、聞いた話じゃあのテオドーラさんに勝ったとか」

「勝ってないですよ、一回ダウン取っただけです」

「それでもすげぇよ、俺ぁ逆立ちしたってテオドーラさんにゃ敵わねぇからな、それもその歳でだろ?…やっぱ才能があるってのは凄いよな」

なんだその捻くれた言い方、少しムッとしてしまう…別にエリスは才能でテオドーラさんをはっ倒したわけじゃない、師匠と何年にも及ぶ修行の成果で渡り合えたんだ、…いやまぁ師に恵まれたという点だとエリスはただ運が良かっただけなのかもしれないけれどさ

「バードランドさんはテオドーラさんと何回戦ったんですか?」

「いや、戦ったことねぇけどさ…でも戦う前から分かるじゃねぇか、あの人はあのドレッドノートさんの孫で、アルクカース百年に一人の天才なんて呼ばれてんだぜ、生まれも才能も違うのさ」

この人図体の割にみみっちいことばっか言うな…よし、なら

「…そうですか、なら 今からエリスと戦います?」

「は…は!?なんでだよ」

「いえ、バードランドさんは実力云々以前に自分の実力への自信が欠けているように思えます、戦いの自信とは戦いの中でしか生まれません、だから 今からエリスとやりあいましょう」

成功体験とは実体験を以ってしか得られない、戦いだけではない勉強の成功体験は勉強で結果を出さなければ得られないし 魔術の成功体験は魔術でしか得られない、何をするにしてもやらなければ成功しないし自信も得られない、ならやろう戦おうと体を起こすと

「ちょい!」

「あたっ…」

起き上がった瞬間エリスの脳天を何者かが背後から手刀で軽く小突く、…痛い…

「エリスちゃぁん、今は別に自由時間じゃないんだけど?今は休む時間 若も言ってたでしょ?」

「て テオドーラさん…」

「緊張感を持つのはいいけど、それに駆られて体を動かしたら元も子もないよ?」

エリスを小突いたのは鬼のような笑顔でこちらを見ているテオドーラさんだった、…いやテオドーラさんだけじゃない!テオドーラさんの後ろにいるのは…

「エリス?、テオドーラの言う通りだ…落ち着けないなら落ち着けないなりの休み方はある、嫌がる人間を相手に無理矢理模擬戦をしようとするなど言語道断だ」

「し…ししょうぅ」

腕を組みエリスを見下ろしているレグルス師匠の姿が…あわ…あわわ、先ほどのやりとり聞かれていたのか、いや確かにさっきのは過ぎた発言だった気がする…何より休息の時間に体を動かそうなど、状況をしっかり理解していない証拠だ…反省しなくては

「もう他の者も寝ている、騒ぐのはそこら辺にしておけよエリス…夜の番は私がやる、お前もバードランドも明日に備えてすぐに寝ろ、明日から本格的な戦闘になるんだからな」

「は はい師匠、すみませんバードランドさん…過ぎたことを言って、エリス達も直ぐに休みましょう」

「………………」

「バードランドさん?」

ふと、バードランドさんに声をかけても反応がないことに気がつく、なんだ?エリスが声をかけても小突いてもずっと正面を見たまま動かない、なんだろう 目を開けたまま寝ちゃったか?…いや、違うな この顔は

「な…なぁ、エリスちゃん テオドーラさん…魔女様、あれ見てくれ…あそこ」

「あそこ?…あそこって森ですか?」

そう言ってバードランドさんは暗い森の方を指差す、…見てくれと言ってもこう暗くては何がなんだか、…いや見える 見えるぞ何かある

森の奥 生い茂る木々の隙間に何かが揺らめいている、何か?光だ…あれは動物の目じゃない、自然のものでもない…あれは

「松明の光?…、森の中に誰かいる?いや誰かって言うか」

「敵だな、恐らくは斥候か…動きからしてまだこちらは気づいてないと見える」

敵だ、継承戦が行われるこの場は封鎖されている、つまりこのホーフェンで動く影は全て敵のものとなる、つまりこの近くにどこかの陣営の部隊が近づいていることになる

「て…敵ぃ!?まだ1日目だぞ もしかして直ぐそこに敵の陣営がいるんじゃ、ま マズイって直ぐにみんなを起こして退避しないと」

「バードランド!デカイ図体して慌てない!、レグルス様の話聞いてた?まだアイツらウチらに気づいてないんよ!」

慌てるバードランドさんを一喝するのはテオドーラさん、しかしバードランドの狼狽は分かる、1日目にしていきなりの接敵だ おそらく直ぐ近くに敵の本隊がいる可能性が高い…数でも質でも勝る相手に夜襲をかけられればエリス達はひとたまりも無い

…ここに来てようやく、エリスは戦っているのだと言う本格的な緊張が走る

「まだ見つかってない?な なら息を潜めて隠れて…」

「いえ、バードランドさん ここはエリス達で迎え撃ちましょう」

「な 何言ってんだよエリスちゃん!」

「何もなにも今ここで迎撃しなければエリス達は負けるんですよ、あの斥候がもしエリス達の拠点を見つければ直ぐに本隊に連絡が行くでしょう、つまり他の候補者陣営にエリス達の居場所がバレてしまうんです、そうなれば敵の本隊は直ぐにでもエリス達の拠点を取り囲み襲い来る…そちらの方が状況的には最悪でしょう?」

ここで引く と言う選択は取れない…隠れて縮こまっても状況は悪化する、あそこにいる斥候にエリス達の居場所が発見されればもうそれだけで敗北が決定してしまう、格上相手に先手を取られるとはそう言う事なのだ

先手を取られないようにするにはエリス達が先手を取るしかない

「エリス達って…ウチとエリスちゃんとバードランドの三人でって事?」

「はい、今から他のみんなを起こして戦闘準備を整えていては遅いです、それに奇襲なら少人数の方がいいでしょうし」

「……………」

正直不安は残る、出来ればカロケリ族のうちの誰かを連れて行きたいが、彼らは主力として明日の戦闘に備え全員仮眠中だ、こんな事なら数人起こしておいた方が良かったか、失敗したな

「なら私が他の者を起こして後々援軍に向かせる、その間にお前達三人で奴らを襲って上手くやれ、分かったな」

そう師匠が提案してくれる、確かに師匠は戦闘は参加できない…ならそれが一番か、幸いエリスもテオドーラさんもバードランドさんも武装済み、今直ぐ迎撃に迎える…奴らがエリス達に気付く前に近づき叩く、それしかない

「分かりました、それで行きましょう いいですね?テオドーラさんバードランドさん、三人であの斥候部隊を倒します」

「まぁそれが一番かな、…よっしゃ 行くかい!気合い入れてよ?バードランド!」

「お 俺も行くのかよ!?く…くそう、しょうがねぇ 行くしかねぇか」

唐突に訪れた戦闘にテオドーラさんは気合を入れ バードランドさんはしのごの言いつつ手元の武器を握り直し、立ち上がり 三人揃って闇に紛れて森へ進む

継承戦の初戦闘、この戦いを以ってして、開戦の狼煙があがる
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