孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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五章 魔女亡き国マレウス

95.孤独の魔女と夜半を超えぬ仇桜

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「おお、見えてきたでござるよ エリス殿 レグルス殿」

「あれが、中央都市 サイディリアル…」

揺れる馬車の中 立ち上がり目の前に迫る街並みに興奮の声を上げるヤゴロウさんとエリス…

中央都市サイディリアルを目指す旅路、それは恙無く行われた 

道中魔獣に襲われることもあったものの、途中で拾ったこの男の人…ヤゴロウさんのおかげでエリス達は特に消耗もなく進むことが出来たのだ

ヤゴロウさん…外文明より一ヶ月前この大陸にやってきた いや漂着してきた異邦人、着物と呼ばれる変わった衣に身を包み、刀と呼ばれる片刃の剣を手繰る剣士

師匠曰く 既に第二段階の領域に至っており、魔術の心得がないにも関わらず 無意識に魔力を操り、第二段階へ自然と移行した絶対強者であるらしい

魔術も魔獣も無い世界 、いまいちどんな世界か想像できないが ヤゴロウさんはそこから来ているにも関わらず魔力覚醒の段階に至った、とんでもない人物だ …奇妙な偶然とはいえ、彼と一時的に旅を共に出来たことは貴重な経験だ

「しかし、街に着いたらお別れでござるか」

「お前手持ちの金はあるのか?」

「金子ならあるでござるが、この国では使えぬと見える故…うむ!、無一文でござる!」

「今までどうやって生きてきたんだ」

「この一ヶ月間 人里には立ち寄らず、妖…いや 魔獣でござったか?、あれを斬って食ってたでござる、いやぁ 不味かった」

一ヶ月も魔獣がうようよ居るところでサバイバルか、デタラメな人だな…

「働き口が決まるまでは面倒を見てやる、お前の存在はエリスの修行にもいい影響を与えるからな」

「それは幸いでござる、さしもの拙者も いつまでも猿同然の生活をしていては死んでしまう故、というか事実死にかけていたでござるからなぁ」

「エリス、お前もそれでいいな」

「はい、ここまできたら 最後までヤゴロウさんを見届けたいので」

ヤゴロウさんとまだ居られるというならありがたい、この人はエリスにとってもとても良いお手本だ

エリスが今取り掛かっている第二段階の修行、魔響櫃の開封…エリスはこれに苦戦している、とっかかりさえ掴めない程に…

そんな中現れたヤゴロウさんは一目でエリスに足りない部分…即ち心の未熟さを説いた、それが正解であるという確証はないが 恐らくこの箱を開けるのに必要なのは心だ、それを説いたヤゴロウさんを観察すれば エリスもその第二段階への道が開けるんじゃないか

そう思いながらこの道中ずっとヤゴロウさんを観察していたんだ、共に居られる時間が増えるということは お手本にできる時間も増えるということ、それはエリスにとって凄くありがたい

まぁそれ以上に、ヤゴロウさんがいると賑やかで良い というのもあるんですけど

「では もう少しの間だけよろしくたのむでござる 、エリス殿 レグルス殿」

「ああ、頼まれた」

「よろしくです!」

なんてやり取りの末 少しの間エリス達の旅にヤゴロウさんが加わることとなった、とはいえ あの街で別れることに変わりはないだろうが

あの街…サイディリアルに行けばこの人も冒険者になるなり用心棒になるなりして生きていくことはできる、あの腕前があるんだ 大体のことは跳ね飛ばして生きて行けるはずだ、変わった人だけれど

「しかし大きな街でござるなぁ、拙者の故郷にはあのような大きな都などなかったてござるよ」

「ヤゴロウさんと故郷ってどんなとこなんですか?」

「む?、拙者の国でござるか?、いいところでござるよ」

そういう事を聞いてるわけじゃないんだが…

「ヤゴロウの国の名は…私が行った時と変わっていなければ 『トツカ』という国だ、こことは違う文化が展開された島国で ここから遥か東に存在している」

「おや、レグルス殿は知っているだけでなく直に行ったことがいるのでござったな、我が国トツカは良いところでござろう」

「あそこの食文化は独特過ぎて舌に合わん、どう言う神経してたら魚を生で食おうと思うのだ」

「えぇっ!?お魚 焼かずに食べるんですか!?、不衛生ですよ!」

「おや、この国に刺身はないでござるか…残念でござるな、白米もなさそうでござるし 寿司もないでござるか、そう思うと些か故郷が恋しくなるでござるなぃ」

いや いやいや、お魚は焼かないと…それとも向こうの国には火がないのかな、師匠は外の文明はあまり発達していないと語ってたし、あんまり食文化は良くなさそうだ…だって魚を生だよ、釣った側からお腹に食らいついて食べるのかな…うう、気持ち悪い

でもこの人の着ている着物、これは凄い綺麗だ 少なくともこの魔女大陸に存在する着衣より、より綿密に編まれている…一概に外の文明が劣っている ということはなさそうだ

「エリス殿も 食わず嫌いせず一度魚を生で食ってみると良いでござる」

「い…いいです、エリス お腹壊したくないので」

「私も遠慮する、生食は嫌いだ」

「連れないでござるなぁ…」

口を尖らせるヤゴロウさんを見て、ふと思う…そんな異文化なところから来たにしてはこの人 偉くこの魔女文明の言葉が堪能だな…、確かこの国に来る前にこの国の言葉を勉強したんだったか

「あのヤゴロウさん?、ヤゴロウさんはどうやってこの国の言葉を知ったんですか?」

「ん?、いやいや 我が国にも普通にこの国の言葉は存在してるでござるよ?、一応少ないながらも貿易もしてるでござる、商人とかそういう人間に聞けば この国の言葉は普通に学べるでござる」

へぇ、そうなのか…まぁ そういうものなのか?、エリスはこの文明の言葉以外知らないからなんとも言えないが

「あの、試しにその故郷の言葉って喋ってもらえません?」

「いいでござるよ、例えば■■■■■■」

「お…おお」

すっげ、なんて言ってるか全然分からん…なんて言ってるか分からない言葉なんて初めて聞いたから、逆にワクワクする…凄いなぁ、異文化の言葉って この訳のわからない言葉の羅列にも言葉としての意味があると思うと面白い

勉強して喋ろうという気にはならないが

「む、エリス 私も喋れるぞ…■■■■■■」

「おお、レグルス殿も■■■■■■■」

「■■■■■■」

「■■■■■■■■■■」

「二人ともエリスのわかる言葉で喋ってください!」

エリスの理解できない言葉で会話する二人に向けて吠える、なんか 疎外感が凄い…めちゃや寂しい、確かに真新しい言語を聞くのは楽しいがそれで会話されると流石に寂しい

頬を膨らませてむくれていると慌てて師匠が慰め ヤゴロウさんが『善哉善哉』と笑っている、何が良いねん

そうこうしている間にサイディリアルの影が近く、それと共に近づく…巨大な影、天の蓋それが着々と……


…………………………………………

非魔女国家マレウス 中央都市 サイディリアル、少なくともこの国が生まれるよりも前からこの街は存在し、その歴史は千年を遡るという

マレウスが方々の非魔女国家の文化を取り込み力を増していくと共にこの街もまた形を変えていったと言われ、今では千年の歴史を持ちながら新たな文化を飲み込む異形の街と化している

街の家屋を飾るように色吹く花々、あっちの家は煉瓦のお家 あちらは綺麗な山吹色の屋根、ズラーっと見た感じ 家の建築様式が全部違う、中から出てくる人の洋服も全部違う、いや歩いている人間も皆 人種が一定じゃない、この街一つで幾つの文化が入り乱れてるんだろう

人間が平等に生きる 分け隔てなく生きる、人という種 人間社会という形式から見るならば、一種の理想とも取れる街 それがサイディリアルだ

アジメクにもアルクカースにもデルセクトにもない、なんだか気楽そうな空気が漂っているようにも感じられて、魔女の庇護がここの人達には本当に必要ないんだ…魔女を否定されてるみたいで 些か腹ただしい

「いい街だな、この絶妙な騒がしさが良い」

「落ち着きのない街でござるな、この大陸の街は全部こんな感じでござるか?」

「いや、この街が特異なだけだ」

師匠とヤゴロウさんは特に気にすることもなく談笑しながら街を歩いている、師匠は気にならないのかな、それともエリスが気にしすぎなのかな…


「…?、どうした?エリス」

「いえ、なんでもありません」

「もしかして師匠と拙者が仲良く話しているから 嫉妬しているでござるか?」

「そんなわけありません!、まったくもう」

「嫉妬してるでござるな、これは」

嫉妬なんかしてないやい、でもデルセクトで離れた分を取り戻すようにここ最近師匠と二人きりだったから、こう…さっきの件も相まって少し寂しいだけだ、断じてヤゴロウさんの存在を疎んでいるわけではない

「まったくエリス…ほらこっちへおいで」

「あぅ、師匠 恥ずかしいです」

すると師匠がエリスの肩を抱き寄せ頭を撫でる、は 恥ずかしいですよ師匠、いやではないですけれど、今はこう 人目もありますし…ほら!周りの人たちがなんかほっこりした顔でこっち見てますよ師匠!

あう、ほっぺ熱い…

「仲がいいでござるな、師弟というより親子のようでござるよ」

「まぁ似たようなもんだ、それより腹減らないか?せっかく街に着いたんだ 何か飯を食っていこう」

「あう、ご飯ですか? いいですね!エリスお腹ぺこぺこです!」

「拙者もお腹ぺこぺこでござる!」

「分かった分かった、おい そこのお前」

エリス達を手で宥めると、師匠は近くを行く人に声をかける

「え?、私?」

するとその声に引き止められて 近くを歩いていた桃色の髪の女性が足を止める、コートの下にタイツみたいな際どい服を着て目の下にハートの刺青をした…、お世辞にも真面目そうな姿ではない人が立ち止まる

不思議な格好だが、周りの人間が色々な格好をしていることもあり不思議と違和感がない

「いや、旅でここに立ち寄ったばかりなのだが ここらでオススメの飯屋の場所でも教えてもらえないだろうか」

「え?飯屋?、それならそこの道まっすぐ言ったところに結構大きめの料亭があるからそこ寄れば?、看板とか見なくても あからさまにいい匂いさせてっからすぐ分かると思うわ」

「おお、そえか すまなかったな、足を止めてすまなかった」

「ああいや……」

桃色の髪の女性と師匠は軽いやり取りの後 、師匠は教えられた道の方を行き 軽く手を挙げ礼を言う、まぁ始めてきた街だし 闇雲に歩くより住人に店の場所を聞いた方がいいか、そう納得し 師匠の後に続くエリス

「…………」

ん?、なんだ?道を教えてくれた女の人がエリスを…いや 教えられた道を行く師匠の背中をじっと見ている、何か用があるのかな…

「…ふぅ…」

と思ったら今度はその女の人をヤゴロウさんも見つめている、なんだみんなして黙って…と言うかヤゴロウさん、そんな女の人をじっと見ちゃいけませんよ

「ヤゴロウさん、行きますよ」

「ん?ああ、分かったでござる…、ところでエリス殿 お一つ聞きたいことがあるでござるが」

「え?、なんですか?」

「この国では 街中で人を斬ったら罪に問われるでござるか?」

な!?何言ってるんだこの人は!、んなもん罪も罪!死刑だよ!、この人の来た島国では別に斬っても構わないことになってるのか?、だとしたらこの人街に入れない方がいいんじゃ…

「当たり前でしょう、絶対やらないでくださいよ」

「あははは、そりゃそうでござるよね、そこは拙者の国と一緒でござる」

じゃあなんで聞いた…、物騒な人だな… 、変なことしないようにエリスが見張ってないと…

そう思いながらもエリスと師匠 そして何やら物騒に笑うヤゴロウさんの三人は女の人に教えてもらった道を歩く

こうやって街中を歩いて分かった事だが、…妙に人通りが多い みんな外に出て騒がしく出歩いているように見える、これがこの国の普通なのかどうなのか分からないが、エリスはこの手の騒がしさに覚えがある

アジメクの廻癒祭、アルクカースの継承戦…所謂国を挙げての大イベントの前のような、そんなソワソワした雰囲気をこの街から感じる、もしかしたら 近々大きなイベントがあるのかも知れないな

「ん、いい匂いがしてきたでござるよ」

「本当だ、あそこの店からだな…さっきの女性の言った通りだな」

すると、エリスの鼻を擽る良い匂いが周囲に漂い始める、これは火を使う香ばしい匂いだ…そう お肉を焼く時に出る良い匂い、嗅いでいると口の中に涎が溜まるタイプのだ

師匠の手にしがみつきながら周囲に目を走らせると …あそこだ、白い煙を漂わせる料亭、女性の言った通りそこそこ大きなお店が目に入る 、看板には『獅子王亭』の文字が刻まれている…多分あそこだ、いやあそこでなくてもいい エリスはあそこで食べたい

「師匠、美味しそうな匂いです…」

「そうだな、あそこで飯にしようか」

「いやぁ、ご相伴に預かるとは、これまた恩が出来てしまったでござるなあ」

いやいやぁと申し訳なさそうにするヤゴロウさんを連れ、エリス達は獅子王亭へと足を踏み入れる、スイングドアをバンと叩けば中には落ち着いたログハウス的内装が広がり、其処彼処に置かれた丸テーブルを客達が囲んでいる

テーブルの上に目を向ける、彼らが食べているのはジュウジュウと音を立てる鉄板と 湯気を燻らせる分厚い肉、どうやらこの店はステーキを主に出している店らしい、まだ明るいうちからステーキか…

いや、お腹が空いている今なら行けるかな、と言うかもう口はお肉の口だ、お肉以外食べる気にはなれない

「おや、お客様ですね こちらのテーブルへおかけください」

「ああすまんな、他の客が食っているようなステーキを三つ頼むよ」

「はい、お任せくださいぃ」

気の弱そうな店員がエリス達をテーブルに案内して 注文を取る、なんか…あんまり見ないタイプの形式だな、これもマレウスの取り込んだ異文化の一つなのだろうか、エリス達は案内されたテーブルに大人しく座り 注文したものが来るのを待つ

「おやや、この国はあのように肉を分厚く切って焼いて食うのでござるな」

「ヤゴロウさんのところでは違うのですか?」

「拙者の国では 沸騰させた湯に薄く切った肉を潜らせ、白くなったところで引き上げ 味のついた汁をつけて食べるのでござる、拙者の国はみんなお肉大好きでござるよ 」

「へぇ、それも美味しそうですね、てっきりお肉も生で食べるのかと思ってましたよ」

お湯に潜らせて 手元で味付けしてか、この辺じゃ聞かない食べ方だ、それは少し美味しそうだな、時間があったらヤゴロウさんに詳しく聞いて エリスも試してみよう

と言うかヤゴロウさん、その手はなんだ?…エリスに説明する時 おそらく食べる時の再現であろうジェスチャーをしているが、なんか見た事ない持ち方をしている 、もしかして食器とかも向こうじゃ違うのか

「馬の肉とかは刺身にして食うでござるな、美味いでござるよ」

やっぱり生で食べるんですね、…その生で食べると言うのもいまいち分からないな、そんなに美味しいのか?そう言えばどこかでは凍らせた魚を焼かずに食べると言う調理法も聞いたことはあるが…

「生の肉はオススメせん、腹を下す…あれは地獄だぞ」

その話を聞いて師匠は青い顔をしている、この反応も反応で過剰な反応な気がするが…、師匠も昔生食で痛い目を見たのだろうか、魔女が?お腹壊すのかな?…スピカ様あたりはお腹弱そうだけど

「お待たせしましたぁ、当店自慢のステーキでございますぅう」

すると気の弱そうな店員がカートを引いて現れる、温められた鉄板の上で音を立てる厚い肉、この肉の匂いを嗅いでいるとアルクカースを思い出す、あそこはとにかく肉!肉!肉ッ!って国だったし、流石にこのステーキにはニンニクは使われてないみたいだけれどね

「では、頂こうか」

「はい、師匠」

「この食器はいかにして使うのやら…うむむ?、こうでござるか?」

目の前に並べられたステーキを前にナイフとフォークを持ち舌舐めずり、鼻腔擽る肉の香色は 胃袋を刺激して食欲を沸かせる、湧いてくる涎をゴクリと呑んでいざ肉食へ

サクリとナイフを通して感じる感触、柔らかい こんなに分厚いのにまるでバターのようにナイフが通る、こうも分厚く中まで火が通ってるならもう少し硬いものと思っていたからこそ、この柔らかさには若干面を食らう

とりあえずエリスの口にあった一口サイズに肉を切り分けいざ実食、あんぐりと口を開けパクリと一口で肉を放り込む

店の前からお預けを食らっていた口は 待望の肉を前に歓喜の涎を溢れさせる、舌に乗せただけでぶわり味と匂いが広がる

鼻に抜けるのはブドウの匂い…赤ワインだ、肉を焼く時 きっと一緒に振りかけたのだろう、良い肉と良い酒を使った良い料理、ただ肉を焼いただけの無骨な料理ながらどこか典雅な風味を感じさせるのはシェフの腕が良いからか

香ばしい、それを感じながら歯で肉をすり潰せば、…衝撃 柔らかい

いや 柔らかいのは分かっていた、ナイフを通したとき分かっていた、だが食べてみてより一層その柔らかさを実感する、なんて柔らかいんだ 噛んだだけで解けるように肉が砕けていく

美味い料理の条件は味と匂い そして食感だ、これはそのどれも満たしていると言っていい、肉はほろほろと溶けるようになくなりながら溜め込んだ肉汁を溢れさせる、あっさりとしつつガツンと来る後味を残しながらエリスの喉奥へと消えていく…、凄い アルクカースのお肉とは違う…見た目からは想像もできないくらい美しくそして考えられた料理

あまりの美味しさに慌てて次のお肉を切り分けようとしたところで気がつく

「あ!これ!」

見えたのは肉の断面、赤い!中頃が赤いんだ!生焼け…いや違う!ワザと中まで火を通してないんだ!、熱を通すだけで焼かず 中が生だからこんなに柔らかいんだ、そう言うことか!

いや、ヤゴロウさんの語った生食をエリスは忌避していたが、もしかしたら存外悪いものじゃないんじゃ、そう感じさせるほどにこの料理は衝撃的だ

何せ、今まで食べた料理にはこんなものなかった、全部が全部 しっかり火が通っていたから…

「あむ…美味しい…」

「んん、美味でござるなぁ、異文化の料理 いや存外悪くない、故郷に持って帰りたいくらいでござるよ」

異邦人のヤゴロウさんにも好評なようだ、実際美味しいもんね、うん 柔らかく 決して柔すぎず、芯がありつつ その芯もちゃんと嚙み切れる、良い…とてもよい料理に出会えた、今度真似しよう

「美味しいですね、師匠…」

「………………」

「師匠?」

ふと、師匠の方を見ると なんだか師匠がおかしな顔をしている、青い顔をしてプルプル震えて 切った肉の断面を見ている、一口食べたようだ全然食が進んでいない、どうしたんだろう 気持ち悪いのかな

「おや?、どうされたレグルス殿、箸が進んでないように見えるでござるが」

「こ…こ…ここ…これ、これ生焼けじゃないかッ!!!まだ肉が赤いじゃないか!!」

ガタッと立ち上がり 肉を指差す、な 何言ってるだ師匠、これはそう言う料理で…というか

「落ち着いてください師匠、これはワザと赤身を逃してある料理なんです」

「いやしかし赤身だぞ!、赤いんだぞ!…肉が!、ウッ…すまん…」

いきり立ったかと思えば今度はふらふらと口元を押さえて膝をつく、どうしたんだ急に様子がおかしくなった、師匠がそんなこと気にする人だとは思えないが…一体どうして

「大丈夫ですか?師匠、どうされたんですか…?」

「す…すまないエリス、急に騒いで…実は …ウプッ…すまない!、ちょっと席を外す!」

ガタガタと音を立てて慌てて立ったかと思えば師匠は大急ぎで外に走っていってしまう、なんだ?どうしたんだろう、なんか食い逃げみたいに見られてる…だ 大丈夫ですよ?すぐ戻ってきますよ?エリス達ちゃんとお金持ってますよ?

「レグルス殿は賑やかに料理を食べられる方なのでござるな」

「いえ、いつもはもっと静かに食べられるのですが」

「なるほど、ならこの肉がお口に合わなかったのでござるな、人は誰しも好き嫌いがあるもの、これは仕方ないことでござる」

好き嫌いなのかな、でも師匠はアルクカースでも普通にお肉食べてたし、いや こういう赤身の残ったお肉は初めてだな…というか、魔女大国のどこにも こういう赤味を残すような料理は無かった

全部が全部、しっかりと火を通したものばかりだった…だから今までああいうところを見なかったのかな

「まぁ、直ぐに戻ってくるでござろう、我々は大人しくこれを食べて待つでござる」

「そうですね、…大丈夫でしょうか、師匠」

肉は食べる、とはいえ師匠が心配な気持ちは変わらない…大丈夫かな、そう思いながらチラチラと入口の方へ目をやっていると、ふと 特徴的な髪が目に入る

美しく 光を跳ね返す艶やかな灰色の髪、それをしゃなりしゃなりと揺らしながら歩く紫色の目の女性…あれは

「おや?、エリスちゃんじゃないですか」

「ウルキさん!?」

ウルキさんだ、ソレイユ村で出会った考古学者の親切なお姉さん

そのウルキさんが向こうもエリスに気がついたのか 目を丸くして驚きながらもこちらに近づいてくる、ウルキさんもこの店でご飯を食べていたのか、というか 彼女もここに来てたんだ、凄い偶然だ

「ウルキさんもサイディリアルに来てたんですね」

「あはは、ほら言ったでしょ?王都で授業があるって、だからここに来てたんですけど まさかこんなところで再会するなんて、凄い偶然ですね」

そういえばそんなこと言ってたな、すっかり忘れて…忘れてた?なんか今の今までエリス、ウルキさんのことを忘れていたのような気がしてたけど…いや気のせいだろう、エリスに限って忘れるなんてありえない、思い出すのに時間がかかっただけだ

「エリスちゃんもここで食事を?それとも王都で何か仕事でも?」

「いえ、ただ観光に立ち寄っただけですよ」

「そうですか、ああ そういえばもうすぐ魔蝕祭ですもんね、それを見に立ち寄ったわけですか」

「魔蝕祭?」

聞いたことない祭りだ、もうすぐそんな祭があるのか、初耳だ…いや そういえばこの街が妙にソワソワしていたのはその祭が近いからか

「おや?その様子では魔蝕祭を知らない様子ですね、知らないで立ち寄ったならそれこそとんでもなく凄い偶然ですよ」

「なんなんですか?その魔蝕祭って」

「魔蝕祭というのはこのマレウスでだけ行われるお祭りです、その開催間隔はなんと12年に一度、凄く凄く珍しいお祭りだから 世界各国からお祭りを見学するために 色んな人が集まるのですよ」

「ひゃ~、12年に一度?エリスが今12歳だから…前回の魔蝕祭の時に生まれたわけですね」

エリスが生まれて ここまで大きくなるまでの間に一度二度しか開かれないお祭りか、凄いお祭りだな…なんでそんなに間隔が長いんだ、というか なんで12年なんてびみょーな間隔なんだ、せめて10年に一度とかならキリもいいのに

「魔蝕祭は三日後に行われますからね、その日はきっと晴れるから観れると思いますよ?」

「見れる?何かいいものが見れるんですか?」

「この世界で…最大の魔術がです、きっととても綺麗だと思いますよ」

綺麗?世界最大の魔術?、なんのことだろう でも見てみたいな…世界最大の魔術、でも 魔女もいないこの国でそんなものが見れるのかな、なんて考えているとウルキさんの視線がエリスから移り…

「ところでそちらの方は?」

「え?、ああ ヤゴロウさんですか」

「…………」

ウルキさんが目を向けるのはヤゴロウさんだ、そりゃ珍しいか 彼は異邦人、その格好一つとっても特異な人だし、ってヤゴロウさん またウルキさんのことジッと見つめている、この人女の人が好きなのかな

「彼はヤゴロウさんです、外の文明から来た人で行き倒れていたところをエリス達が拾ったんですよ」

「外文明から!、そりゃ珍しいですね…ところで私はなぜ睨まれているので?」

「…………」

「ちょっと!ヤゴロウさん!、この人はエリスの恩人ですよ!、斬ろうなんて考えてませんよね」

ヤゴロウさんを止めるように叫ぶ、ふと見てみればこの人刀に手を当ててるじゃないか、ほんと怖い人だな…!

「おお、エリス殿の恩人でござったか、それなら拙者の恩人も同然でござるな、失礼した」

「いえいえ、いいんですよ 私もよく怪しいと言われますからね」

「でしょうな、怪しいでござる」

「ははは、これは手厳しい…そんな目で見ないでください、怖くて泣いちゃいそうですよ」

「ヤゴロウさん!」

「…相分かった、エリス殿がいうならもう警戒しないでござるよ」

そういうとヤゴロウさんは目を瞑り刀から手を外す、この人ひょっとしてすごく危ない人なんじゃ…

「怖い番犬を飼ってますねエリスちゃん、それじゃ お邪魔虫は退散するでござる~、ほんじゃま~」

「あ、ウルキさん!…またいつかー!」

立ち去るウルキさんに手を振り別れを告げる、あの人のおかげでエリスは立ち直れたんだ その恩は忘れてはいけない、事実あの人と付き合いは少ないが エリスはあの人のことが好きだ、変な雰囲気だが不思議と惹かれるというか 悪感情が浮かんで……あれ…

「…っ…」

「エリス殿!」

あれ?、エリス何してるんだ…なんで天井見てんだ…

いや違う、ヤゴロウさんに支えられてるんだ…バランスでも崩して倒れたか?、ダメだ 頭がボーッとして まるで宙に浮いたみたいに体から力が抜ける、確か前 ウルキさんと別れた時も似たようなことがあったな

だけど今回の方が酷い…

「大丈夫でござるか?エリス殿」

「だ 大丈夫です、大丈夫ですよ…ちょっとバランスを崩しただけですから、すみません ありがとうございます」

倒れそうになったエリスの体を支えてくれたヤゴロウさんにお礼を言いながら立ち上がる、まだ足元がフワフワするが 大丈夫、立てる…けれどなんだろうこれ、エリス何かの病気なのかな…

ーーーーーー…………ん?、え?なんて?


「え?…あの、ヤゴロウさん 何か言いましたか?」

「む?、特に何も言ってないでござるが」

そうか、何か声をかけられた気がしたんだが…気のせいか


「あのウルキという女に何かされたのではないでござるか?」

「それはないと思います…、あの ヤゴロウさん…このことは師匠に内緒にしてもらえますか?」

「…しかし」

「お願いします…」

師匠に心配をかけたくない、まだ病気とか異変と決まったわけではないし、こうやってふらつく以外に苦しいとか痛いとか そんなことはないんだ、ただ疲れが溜まってるとかそんなものだろう、大丈夫…直ぐに治る 治る筈だから

「…分かったでござる、ただし 楽観は良くないでござるよ、エリス殿は今 際にいるでござる」

「際?」

「我が国では、ある一定の段階に至った強者が行き着く場所でござる、今まで地繋がりに続いていた道が プツリと途切れる段階でござる、そこまで来るといくら修行しても前へは進めぬ」

師匠の言う第二段階の壁のことだ、この大陸では段階の限界を壁と表現するが 向こうでは崖と表現するようだ、だが意味は同じだ 超えられなければ進めない

「きちんとその断崖を飛び越え 向こう側へたどり着けたなら、また道を進むことができるでござるが、もし 足を踏み外しその崖の下に落ちたなら…」

「落ちたなら?」

「…修羅道へ堕ちるでござる」

「シュラドー?」

「ともかく、良いことはないでござる、いつも以上に体には気をつけられよ、特に心には」

そういうとヤゴロウさんはエリスを手放しくれぐれも気をつけられよと真摯な瞳で注意を施す、…イマイチ掴めない人だ、危ない人かと思えば優しかったり、もしかしたらウルキさんを警戒したのも純粋にエリスを守ろうとしてくれていただけなのかも…だとしたら悪いことを言った…謝らないと

「ん?、どうした?二人とも」

「あ、師匠!大丈夫ですか?」

すると、師匠がちょうど帰ってくる ウルキさんと入れ違えになったのか…、戻ってきた師匠の顔色はすっかり良くなっている、ように見えて服は冷や汗でべったりだ、そんなに苦手だったのか

「いや、すまないな…赤身の肉はどうにも苦手でな、口に含んだだけで気持ち悪くて気持ち悪くて…胃の中のものを全て吐き出してしまったよ」

苦手すぎるだろうそれは、嫌いとかそういう段階を超えている、完全に体が受け付けていないじゃないか

「そんなに苦手だったんですね」

「……、昔な…私の師匠が生食が好きだったんだが、その際 あの人が振る舞ったほぼ表面だけしか焼いていないような生肉を食わされたことがあったんだが あの人食物に頓着がないから肉が腐っていることに気がつかなかったんだ、それで私達八人が全員食中毒で倒れるということがあってな…」

師匠の師匠、つまり原初の魔女シリウスだ その人が生食が好きだったのか、いやいしかし表面だけしか焼いてないのは良くない 、このステーキはそれでも中まで火を通しているが ほぼ生のまま肉を食えば人は大概腹を壊す

ましてやまだ魔女として強くなる前の師匠達にとってそれは地獄の苦しみであっただろう

「それ以来私達八人は全員 赤身の肉が苦手になってな、…今回もその時の思い出が蘇って 気持ち悪くなってしまったんだ」

「そんなことが…」

「幸い皆無事で済んだが…解せないのは同じ腐った生肉を食った師匠は平気な顔してたのが解せない、あの人の胃袋は鉄か何かで出来ているのか?」

いや八千年級のトラウマってどれだけだ、だが同時に合点が行く 魔女大国の食文化は魔女中心の食文化だ、魔女全員が生食文化に苦手意識を持っていれば必然的に魔女大国ではこんな赤味を残すような料理は出ないだろう、だから魔女大国にはこういう生食文化が無く 魔女の庇護がないこの国にはあったんだ

そういうことだったのか


「急に取り乱してすまなかった…」

「いえいいんです、でもこのお肉どうしましょうか」

「魔術で火を通して食べるよ、…はぁ いやこの国にいる間は食べる前に自分でしっかり火を通してからの方が良さそうだな」

お肉と言わず生の物全部ダメなのか、そりゃ生食文化が旺盛なヤゴロウさんの国の食文化は合わないだろうな…

「ところで、何かあったのか? 二人とも話し込んでいる様子だったが」

「…………」

師匠が目を丸くしながら問う、遠目からでもエリスとヤゴロウさんの会話を見ていたのかもしれない、…ヤゴロウさんもエリスに任せると言わんばかりにこちらをじっと見つめている

…ああそうだ、態々言うほどのことでもない それにもし酷いようなら、その時はその時でまた相談するよ、だからそんな目をしないで ヤゴロウさん

「なんでもありません」

「はぁ…」

「?…、分かった なんでもないんだな、なら皆席につけ とっとと飯を終わりにしよう」

残念そうにため息をつくヤゴロウさん、師匠も一瞬訝しげに顔を歪めるが なんでもないと言われそのまま話を切り上げる、騙しているつもりはない 事実なんでもないから、何かあれば相談する それで良いのだ

エリス達は再び席に着き 同じように肉を突く、でもおかしいな さっきほど美味しくない 味があまりしない、肉が冷めたからかな

……………………………………

「とりあえず今日は遅いからな、ここで宿を取る それでいいな?エリス ヤゴロウ」

獅子王亭での食事を終え 外に出ると空はもう赤らんでいた、もうこんな時間かと慌てて暗くなる前に師匠が宿を見つけて 今日はそこに一泊することとなった

無一文のヤゴロウさんは外で寝てね?なんて言えるわけもない、幸い金は潤沢にある、一部屋多く取ることなど造作もないので、今日はエリスと師匠で一部屋 ヤゴロウさんで一部屋取り宿泊することとする

ヤゴロウさんの食い扶持が見つかるまで面倒を見る と言いつつも、今日はそんな活動一切できなかったからな、ヤゴロウさんも明日からこの国の騎士団や金持ちの用心棒が出来ないか当たってみると言っていた、働き口の面倒まで見るつもりはないし彼自身そこまでお世話になるつもりもないと言っていた

「これが宿でござるか、しっかりとした屋根の下で寝るのは初めてでござるな」

「お前ほんとどんな暮らしをしていたんだ」

「一ヶ月サバイバル生活、凄いですね」

なははと愉快に笑うヤゴロウさんを連れ宿の部屋へ向かう、宿の質は中の上くらいだ、まだ部屋を見たわけじゃないが分かる、廊下が綺麗だ 埃がない、こう言う細かいところを見れば部屋の質くらい簡単に分かる

「それで、風呂はあるでござるか?」

「は?風呂?」

ふとヤゴロウさんが首をかしげる、と同時にエリス達も首をかしげる、フロ?なんのことだろう

「おや、この国にはないでござるか?こう…お湯を張った浴槽に浸かってビバノンノンと」

お湯を張ってそれに浸かるのか?、熱くないかそれ…なんか煮込まれているみたいだ

「ああ、浴場の事か この大陸ではあまり主流ではないな、一応この国にもあるらしいが…カストリア大陸よりも もう一つの大陸の方が大衆浴場は主流だな」

あるんだ、この大陸ではなくもう一つのポルデューク大陸にはあるらしい、確かポルデューク大陸はカストリア大陸よりも比較的に寒冷で 中には年中氷が張った地区もあるくらい寒いと聞くし、体を温めるためにそう言うのが発達しているのかな

「ないでござるか、いや仕方なし 向こうでもなかなか入れるものではないでござるから、別に良いでござるが」

「なら我慢しろ、最初のうちはお前の故郷とのギャップに戸惑うだろうが、この大陸も大陸で良いものだ」

「それは分かるでござるよ、我が故郷よりもこの大陸は進んでいるでござるからな、居心地も良いでござる」

そりゃよかった、でも異文化の話を聞くのは楽しいな エリスもいつかそちらの方に行って旅をしてみたいが、どうやって行くか 泳いで渡るなんて無理だし…まぁいいか、頭の片隅に置いておくだけ置いておこう

「それじゃ、我々は寝る お前もゆっくり休め、分からないことがあれば我々が教えるから安心しろ」

「何から何まですまないでござるなぁ、では拙者も休ませてもらうでござる」

「おやすみなさい、ヤゴロウさん」

軽く手を挙げニカッと笑うヤゴロウさんに挨拶しつつ一旦彼と別れる、自らの部屋へ消えたヤゴロウさん同様、エリス達も部屋に入り 湿らせた布で体を拭き合い寝仕度を整えベッドに入る

フカフカのベッドだ…、やはりベッドで寝ると 疲れが取れるな…師匠と同じベッドで二人で一つの寝床に入り、二人とも1日の疲れから 瞬く間に瞼を閉じ…眠りにつくこととなる


………………………………………………



夜は更け、月が高く上がる丑三つ時、流れる重たい風雲に月光が見え隠れし サイディリアルの街は時折深い闇に包まれては 月光に照らされるのを繰り返す

そんな激しい夜に、明滅する夜の中 歩く影がある

「……………まさか、こんな偶然があろうとはね」

桃色の髪を揺らし、音もなく歩く影は 雲の影に 闇に紛れるように進み、レグルス達の宿泊する宿の前で足を止める

「ここか、街で声をかけられた時は驚いたけど…こんな偶然、活かさないわけないよね」

クククと女は笑う、ターゲットは昼間偶然見かけた旅人の女、いや 孤独の魔女レグルス、我々が最も忌み嫌う最大の敵…そうマレウス・マレフィカルムの悲願 魔女殺しを今から為すのだ

彼女の名はギーメル、大いなるアルカナ 女教皇のギーメル、預かるNo.は『2』、預かるNo.が大きければ大きいほどアルカナにおいて No.2の実力は下から数えた方が早いくらいの物ではあるが、それでも 幹部の一角、その辺の雑魚とは比べものにならぬ、少なくとも魔術師のベートよりは強いつもりだ

「…甘いわね、ここが敵の掌とも知らずに呑気に寝ちゃって」

宿の脇の路地裏に入り込みギーメルは笑う、奴らがここにいると言うことはベートはしくじったと言うことだろう、まぁベートなら当然か 奴は弱いくせに馬鹿正直に正面から挑もうとする

私は違う、我々の目的は魔女に勝つことではない、殺せば良いのだ…

「…『フレイムスネーク』」

ギーメルの手をぬるりと蛇型の炎が這う、これで宿を燃やす そうすればまぁ魔女は難しくともその弟子くらいなら殺せるはずだ、こうやって奴らを着々と消耗させる、そうすればいずれ奴の首元に我らがナイフは届くはずだ

「じゃあね、魔女サマ そのお弟子さん、迂闊な己を恨みなさい」

そう、ギーメルがつ呟き その手の炎を宿に焚べようとしたところ… 一層強く吹いた風が雲を動かし、厚い雲に月が隠れ、街が闇に包まれる…

そんな闇の中、一つ…声が耳をつく

「明日ありと…、思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは…」

その声は果たして現世のものか、或いは地の獄より響く亡者の怨嗟か、とても生者のそれとは思えぬほどに冷徹で冷酷で、聞いているだけで背筋が凍りつきそうだ

「こんな夜更けに赤猫が這うとは、存外にこの大陸も 平和なものでは無いでござるな」

「ッ…何者!」

闇の中から声が響く、カラコロと下駄が地面を鳴らし 闇夜を歩く、ギーメルとて馬鹿では無い ここに来るまで誰もいないことは確認済み、ましてやこんな近くに近づかれるまで気がつかないような失態はしないはず

「何者と問われれば答えざるを得んでござるな、拙者 剣に生き剣に死ぬ …剣以外とんと使えぬ風来の与太郎、名をヤゴロウと申す者にて候」

「ヤゴロウ…?変わった名前ね」

雲が過ぎ去り 月に照らされ 路地裏に差し込む光がそいつを照らす、見慣れぬ着物 見慣れぬ履物見慣れぬ風体の男が、ふらりと現れる

こうして目にしても信じられない、今 目の前にいると言うのに、まるで幻覚のように実体が掴めない、そこにいないかのように気配がない 

「月の無い夜ばかりでは無いでござるよ?…拙者のような…辻斬りが出るのは」

「はぁ?ツジギリ?…なんのことかしら」

「さて、どう言う意味でござろうかな…」

腰にぶら下げた、それにヤゴロウの手が伸びる…と同時にギーメルの炎蛇が向き替える、宿の前にこの男を焼き殺す

フレイムスネーク…威力は皆無だが、蛇の如く相手に絡みつき焼き殺すその殺傷能力は、炎系魔術の中でも随一、炎蛇に絡まれた時点で 火はどうやっても消えぬ…見たところこの男は魔術師では無い、切り掛かってこようとその前に炎で丸焼きにすることが出来る

「…最後に忠告するわよ、振り返って何も見なかったことにするなら、見逃してあげるわ」

「優しいでござるな、拙者の国じゃ考えられないでござるよ…今から殺す相手に忠告するのも、今から殺す相手に背を向けるのも…」

「チッ…」

忠告はしたからな 腹の底でため息をつきながらギーメルは、一瞬脱力し……

「なら…」

ピクリと指が動く、魔力を動かし蛇に命じる 目の前の男を焼き殺せと、…炎蛇は忠実に舌をチロリと覗かせると同時に

「死になさい!」

一閃、赤く煌めく矢の如く飛び出した炎蛇がヤゴロウに飛んでいく、未だヤゴロウは腰の剣を抜かず…とった!先手!、焼き殺した!

そう、ギーメルは炎の蛇がヤゴロウに巻きつく幻視を見たところで、現実に引き戻される

暗闇を照らしていた炎の蛇が、刹那 息を吹きかけられた蝋燭の火の如く、フッと掻き消える

「明剣…」

「え…」

何が起こった、一瞬だった 私のフレイムスネークが消されて、…消えて…

なんで…なんでこんなに視線が高いところにあるんだ?、私は…飛んでいるのか?

いや違う、だってそこに私の体があるもん、あれ?でもよく見るとあの体 首から上が

「『刃引断頭』…」

地面に何か落ちる、響く水音 むせ返る血臭 、舞う血風 吹く夜風 、柄に置いた手を退かし、鍔が鳴る

「遅いでござるよ、夜道で鬼で会うたなら…声を上げ逃げる方が良いでござるよ」

頭を無くし倒れるギーメルを前に冷たく囁く、もはや聞こえてはいまい、地に落ちた頭に声が届いているか 怪しいところである

ギーメルが死んだのを確認すれば、ヤゴロウ離れた手つきでその亡骸を始末していく、地を洗い なるべく足がつかぬように死体を巧妙に捨て 彼女のいた痕跡を消す

細かく切り刻んで 川に捨てる、あとは魚がなんとかするだろう、今更この体に血の匂いを残すヘマも 足がつくようなヘマもしない

「よよいの宵々…っと」

慣れている 人を殺すことがでは無い、人一人消すことが あまりに慣れきっている

それも当然、こんなこと 我が国ではごまんとしてきた

夜道のヤゴロウ 神割のヤゴロウ 斬鬼のヤゴロウ…祖国では多くの異名を持ったが、一番通りが良かったのは

一刀鏖災のヤゴロウ、刀一本で鏖殺…災い振りまくその姿から付けられた恐名、東の国 トツカにおける最強にして最悪の辻斬り

時に賊を斬り伏せる 時に武士を斬り伏せる、町娘も商人も農民も貴族も鬼も仏も平等に斬る 神でさえ割る 最低の人斬り…それがヤゴロウという男である

この大陸に渡ったのも 修行という意味合いもあるが、一番はもはや祖国では身動きが取れなかったからというのもある、人あるところに我が殺人剣もある 別に剣を振るうなら祖国である必要はなしと、打ち首にされる前に海に出たのでござる

とはいえ、受けた恩を蔑ろにする外道でもない、拙者を助けてくれた少女 エリス殿が街中で無辜の人間を斬るなというならば斬るまい、まぁその敵はその対象に入らないが

彼女たちを傷つけるなら、このヤゴロウ 喜んで血潮に濡れよう…血に濡れた麻袋を持ち上げ、鼻唄混じりで夜闇へ消える

「今宵は 月が綺麗でござるな」

見上げる月は いつも、ヤゴロウの悪事を見つめていた
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