孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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七章 閃光の魔女プロキオン

177.孤独の魔女とスーパースター

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クリストキント旅劇団、エトワール中を旅する所謂ところの旅劇団であり 悪人顔で有名のクンラートが団長を務める劇団である

旅劇団、と言えば格好はつくが 言ってしまえばどこの街にも居場所を作れなかった弱小劇団だ、どこのコネも無いし 知名度もない、だからあちこち巡って その場その場で仕事を探す、小さいものから大きいものまで、時に団員が内職をしてなんとかみんなで食いつないでいる というものだ

クリストキント旅劇団はそんな旅劇団の中でも結構古くからあり、劇団好きの中にはその名を知る者もいる程だ…物好き劇団として

というのも団長クンラートは顔に似合わずかなりのお人好しとして知られており、外れ者や困っている人間がいると直ぐに劇団内に引き入れてしまうのだ、それ故問題を抱えることもあれば劇団が纏まらないことも多々ある

実力を問わず入れるから 役者のレベルも疎ら、なのに人数ばかり多く その総勢は五十六名、弱小旅劇団の中ではかなりの多さだが、烏合の衆とも称されてしまうこともままある…

そんなこんなでクリストキント旅劇団はもう十年以上も前からずっと旅劇団を続けているのだ

…そんなクリストキント旅劇団に最近、目玉となるスターの卵が生まれた

それが サトゥルナリア・ルシエンテス 通称ナリアと呼ばれる男の子だ、15歳にして既に一端の役者として劇団で主演を張る秀才として知る人ぞ知る存在として知られる

その愛くるしい見た目は乙女よりも乙女であり、仕草は淑女より嫋やか、彼の性別を知らず求婚する男が出るほどの絶世の美貌を持つ程だ、それにルシエンテスの姓…

まぁ色々あり サトゥルナリアの名だけは知っているという人間も多い、が所詮弱小劇団の中だけの話 このエトワールには演技だけで人を引きずり込むスターもいるし、美貌だけで言えばヘレナ姫公認の『エイト・ソーサラーズ』の方が上だ

それが、クリストキント旅劇団の現状だ…、エリスの所属する 劇団の現状だ

「せっせっ!せっせっ!」

モップを水に濡らしよく絞った上で床を磨き上げていく、古い木目がモップが通った道筋通りに清潔な輝きを放つ、ううん やはり掃除はいいな、ヴィスペルティリオの屋敷を出てからこういう掃除をしていなかったから 久々に掃除が出来てなんかスッキリ出来たぞ

「こちらは終わりましたよ、ナリアさん」

「あ、僕も終わりましたよ!うん!」

粗方床を拭き終え モップ片手にナリアさんに声をかければ、どうやら向こうもテーブルの拭き掃除が終わったようで 雑巾片手ににこやかに微笑んでいる…


エリスは今、昨日 演劇をやらせてもらった例の酒場のお掃除に朝早くから来ています、というのも昨日 店が閉まった後店主のご厚意で夜遅くまで打ち上げ会をさせていただいたのです

ただ、当然宴をすれば店が汚れる、その後片付けと掃除を兼ねて エリスとナリアさんの二人で朝からこうしてお掃除しているのだ、一応昨日 エリスはルナアールを追いかけるという目的の為クリストキント旅劇団の一員にさせてもらった

一応でもなんでもクリストキント旅劇団の一員にさせてもらった以上エリスはもうお客様では無い、旅劇団の新入りだ、一番の後輩として 先輩方の手は煩わせてはいけないので 後片付けを申し出たのだ

そんなエリスに付き合ってくれているのが、ナリアさんだ

「ありがとうございますナリアさん、朝早くから掃除に付き合っていただいて」

「えぇー!いいですよそんなもう!、後輩だからって後片付け全部やらせるなんて、出来ませんよ 、団長も心配してましたしね!」

クンラートさんか、あの人がエリスを引き入れると言ってくれたおかげで馬車と言う足を持たないエリスと師匠はこのエトワール国内を行き来する手段を手に入れることができた

なんて、顔は怖くとも優しいあの人を手段呼ばわりするのは良く無いな

「師匠、終わりましたよ」

「ん、すまないな 手伝えなくて」

モップと雑巾を片付けながらエリスは酒場のカウンターに座る少女に声をかける、小さく幼い稚児 この子こそエリスの師匠、八人の魔女が一人 孤独の魔女レグルスなのだ

まぁ今は怪盗によって力を奪われている状態にあるのだが…

「でも不思議だね、どう見ても歳下なのに エリスさんが師匠って呼ぶなんて」

「だから言っているだろう!、わたしはちゃんと師匠なんだ!」

「そうは見えないなぁ…」

まぁ確かに今は見えないかもしれないが、本来の姿を取り戻せばちゃんと威厳があるんですよ?、今はないですけど

…一応、クリストキント旅劇団の皆さんには事情を説明してある、師匠は本物の魔女レグルスで 今は力を失っている状態にあると…

口では分かったと言ってくれているが、イマイチ信用してもらえていない、というのこの国はもう数十年も前から魔女プロキオン様が姿を消していることもあり、魔女がどういう物か理解しきれていないのかもしれない

師匠には屈辱の日々を過ごしてもらうことになる…、出来れば直ぐに元に戻してあげたいな

「全く、こんな姿でなければ…」

「まぁまぁ、師匠 エリスはちゃんと師匠の事を尊敬してますよ」

「ん、…お前に失望されてなければそれでいいか」

「ふふふ、なんかエリスさんとレグルスちゃんって姉妹みたいだね、レグルスちゃんが妹でエリスさんがおねえ…」

「やめろ、わたしに姉はいない…」

「あ あれ?」

ナリアさんの言葉にムッとしながらピョンとカウンターから飛び降り外へとやや不機嫌そうに歩いて行ってしまう師匠…、姉…か

師匠にとっての姉と言えば 思い浮かぶのはあの狂人 大いなる厄災にして原初の魔女シリウス、そんな存在とエリスを重ねるのが嫌なのかもしれないな

「あの、もしかして…僕凄く失礼な事言ってしまいましたね…」

「ええと、そうですね…師匠に姉妹 それか姉は禁句ですね」

「それは…そうだったんだ、知らなかったこととはいえ嫌な事を言ってしまったなんて、うん!謝ろう!今!」

「大丈夫ですよ、師匠はそんな狭量な方じゃありませんから」

でも…、姉はいない か…、師匠にとってシリウスってどんな人だったのかな、少なくとも 師匠はシリウスと姉妹として生きた期間があった

いや、師匠は暴走でシリウスがおかしくなったと言っていたし、もしかしたら 姉妹として生きている頃は、仲睦まじい関係だったのかもしれないな

なんて、エリスが想いを馳せても意味がないんですけどね

「さて、お掃除も終わりましたし 撤収しましょうか、師匠も行ってしましたし」

「うん、…うん!そうですね!」

さて、取り敢えず 劇団に所属しての初仕事は終わった、けど 劇団に所属するなんて初めての経験だし、これから何をしたものか…やっぱり芝居の練習とかしたほうがいいのかな

なんて首を傾げながら店の外で待つ師匠の元へ ナリアさんと共に向かう、…やっぱり待っててくれたんですね、師匠

「では、行きましょうか 師匠」

「ん…」

そうぶっきらぼうに返事をしながら師匠と手を繋ぐ、師匠はエリスが小さい頃 よくこうやって手を繋いで守りながら街を歩いてくれた、エリスが大きくなってからはそういう機会は減ったけど…

懐かしいな、師匠の手は相変わらず温かい

「ふふふ、それでも仲がいいね 二人とも」

「当たり前だ、わたしとエリスは師弟だ…なぁ?エリス」

「はい、そうですよ 師匠」

キュッと強く手を握る、以前とは体格の差は逆だけれど、関係はやっぱり変わらない 

「さて、これからどうしたらいいですか?ナリアさん」

「うーん、そうだなぁ 団長曰く明日朝早くに街を発つみたいだから…、その準備かな」

「では買い出しですか?」

「ううん、買い出しは別の人が言ってくれているから大丈夫だよ」

「では資金集め?」

「それも別の人がやってくれてる」

おおう、物の見事にすることがないな…、そう言えばあの旅劇団 結構な数の団員がいたな、確か人数的には五十人強、こんな大人数で旅をした経験はなかったが、やはり役割分担をしていると楽だな…

「準備っていうのは、次の街でやる公演の準備だよ?、手伝ってもらえるかな」

「はい、お供させていただきます 先輩」

「せ 先輩とかやめてよう、照れるなぁもう」

たはー!と言いながら彼はやや頬を赤くしながら頬をカリカリと人差し指でかく、先輩であることに変わりはないだろうに…

そういえば、聞いたところによるとナリアさんはエリスより一つ下の15歳だという、エリスが言えたことじゃないが まだ若い、だというのに彼は劇団での旅にかなり慣れているようだった…

一体いつから クリストキント旅劇団に所属しているんだろう、両親は何処にいるんだろう、心配してないのかな

「……おや?」

ふと、ナリアさんと師匠の三人で並んで歩いていると、街の大通りの真ん中に人混みが出来ているのが見える、なんだろう 何かあったのかな

「なんでしょうか、また道端で誰かがアートを披露してるんですかね」

「んー?、うん!あれは行列だね…」

「行列?」

「うん、多分  イオフィエル大劇団の劇場がある場所だし、もうすぐ公演があるんじゃないかな」

じゃああれ 劇を見るため出来た人混みだと?、凄まじい人気ぶりだな…エリス達クリストキント旅劇団とはえらい違いだ、しかも自前の劇場を持ってるなんて、きっと儲かってるんだろうな…

「人気なんですか?そのイオフィエル大劇団って」

「今一番勢いのある劇団だよ?、お金も持ってて 有名な人たちとの繋がりもある…、ああほら マルフレッドさんが座長を務める劇団だよ」

「マルフレッドって…確か、クリストキント旅劇団の主演のジョセフさんを引き抜いたっていう、あの?」

マルフレッド、その名にあまりいい思い出はない…、というのも クリストキント旅劇団が公演を控えるその瞬間を狙うかのように主演であるジョセフを引き抜き あわや公演が出来なくなる 、そんな寸前まで追い込んだ人間だからだ

クンラートさん曰く マルフレッドはクリストキント旅劇団を潰そうとしているらしい、だから…まぁ言い方は悪いかもしれないが 敵…ってことになるのかな

「む?、マルフレッドとは もしかしてマルフレッド・コルトーナの事か?」

と、ふと声を上げるのは師匠だ、え?師匠マルフレッドって知ってるんですか?、というかその話しした時 その場にいたじゃないですか…、いや あの時はそれどころじゃなかったか

「ええそうです、あのマルフレッド・コルトーナです」

「師匠知ってるんですか?」

「ああ、マルフレッド・コルトーナといえばエトワールでも随一の酒造業を営む大商会、コルトーナ商会の会長だろう?、何故そいつが劇団なんか率いてるんだ」

なんだ、お酒関係の人なのか、師匠でも知ってるくらい酒造業界では有名な人なのか、師匠がお酒恋しさに調べたから知ってるのかは知らないが、商会の商人だったのか、確かに 商会で儲けてるのに なんで劇団なんか?

「最近は演劇業界にも手を伸ばしてるんですよ マルフレッドさんは、お金はたくさんありますからね、資金力でガンガンいろんな劇団やいろんなところから役者を集めて、今じゃエトワール中に劇場を持つ文字通りの大劇団ですよ」

金にモノを言わせて か、あんまりいい言葉じゃないが それはメルクさんにも刺さってしまうのであまり言えない、エリスもその恩恵受けたからね

でも、多分 その資金で役者を引き抜きってやつに ジョセフも引っかかったのだろうな、つまりクリストキント旅劇団みたいに泣きを見た劇団がエトワールにはたくさんあるという事だ

「酒造で大成した男と聞くが、何故演劇にまで手を…」

「マルフレッドさんもエトワール人ですし、演劇に興味があるんじゃないんですかね?僕は知りませんけど」

「ふーん、そうか だがまぁお前達クリストキントも厄介な男に目をつけられたな」

「あ…ははは、目をつけられたのは クリストキント旅劇団じゃないんですけどね…、それより 興味があるなら見ていきますか?」

「え?、いいんですか?」

「というより僕が単純に見たいです、演劇をやるのも見るのも大好きなので!、イオフィエル大劇団の劇はとっっても面白いんですよ!オススメです!」

と言いながら人混みの中へとズイズイ押し入っていくナリアさん、…明日の出発の準備とやらはいいのかな、いやいいのか 何もてんてこ舞いになる程仕事が込み入ってるわけじゃないし、まだ日も高い

それに勉強の意味合いでも見ておいたほうがいいだろう、というのもエリス…実は演劇をやったことはあるが見たことはないんだ、ナリアさん達の路上劇も別に腰を据えてみたわけじゃありませんしね

だがこれからはエリスは役者としてクリストキント旅劇団に同行させてもらうんだ、なら 演技の勉強も兼ねて今話題の劇団の劇を目にするのは良いものだと思う

「じゃあ師匠、エリス達もいきましょうか」

「ん、分かった」

逸れないように師匠の手を引いてエリス達もナリアさんに続き、人混みを潜り抜け 劇場の入り口に着くなり入場券を買う

「すみません、僕達にもチケット3枚くださいな」

「はい、チケット3枚ね…あ!」

「え?、ああ!?」

と 入り口の男性に声をかけチケットを買おうとしたナリアさんが声を上げて驚くのだ、それはまた入り口でチケットを売っている男も同じく、まるで顔見知りみたいな反応だが…

「お前、な 何しに来たんだよ、ナリア!」

「ジョセフさんこそ、役者として引き抜かれたのに こんなところでなんでチケットなんか売ってるんですか」

ジョセフ、この人がクリストキント旅劇団からマルフレッドに引き抜かれたっていう、元主演…、確かにそういう目で見ると 美形に見えるな…、金髪に黄緑の瞳 うん美形だ、けどニコラスさんとかその辺の傾国の美男子に並ぶほどかというと全然だが…

でも、百人に一人くらいの美男子ではある、…ただ そんな人がなんで、役者として引き抜かれたんじゃないのか?、もうすぐ劇なのに こんなところにいていいのか?、それともここは役者がサービスとしてチケットを売る…

って感じじゃなさそうだ、少なくともジョセフの顔を見るに、今の自分の有様を見られたくないって感じだ

「お 俺は、新入りだから…こういうことやらされてるだけだ」

本音が出たな、…『やらされている』か、屈辱に震えながら手に持ったチケットをくしゃくしゃにするジョセフを見ていると、何やら事の背景が見えてくる

「でも…、いきなり居なくなって 心配してる人もいましたよ?、なんでうちの劇団をやめて…」

「俺は!、クリストキントみたいな万年三流劇団なんかに収まる器 人間じゃないんだ!、大体なんだよ 金がないから路上で劇?金がないからみんなで内職?役者のする事じゃないだろう!」

「だから…マルフレッドさんのところに?」

「ああそうだよ、クリストキントみたいな傷の舐め合いみたいな劇団ごっこには飽き飽きしてたんだ、そこにマルフレッドさんから声がかかった、…俺はこの劇団でビッグになる その為にその誘いを受けたんだ、役者に専念する為にね」

「その結果が劇場にも入れられず 外でチケット売りか?、惨めだな」

「なっ!このガキ!何を!」

「ちょっ!師匠!」

いきなりド失礼な事を言う師匠の口を押さえる、やめましょう師匠そう言うこというの、そりゃ今までの姿ならそう言うこと言っても一睨みで黙らせることができたでしょうけど、今はただの子供なんですから…

「こんな仕事すぐ卒業して大成するんだ!、俺が有名になれなかったのはクリストキントの所為なんだから、ここでなら直ぐに…すぐに…」

まぁそりゃエリスだって面白くないですよ、有名になれないのが 成功しないのはクリストキントの所為で自分には非がないと叫ぶ彼の姿を見てれば、入りたてのエリスだってちょっとムッとする

なら、エリスよりも前からクリストキントに属するナリアさんの怒りは筆舌に尽くしがたいだろう…、そう エリスもムッとしながらもナリアさんにチラリと目を向ければ

「…そうですか、分かりました ではこれからはライバルですね、所属は変わってしまいましたが同じ役者として頑張りましょうね!ジョセフさん」

「え?…あ…うん」

笑顔でジョセフに対して握手を求め 手を組み交わす、ナリアさんは何もジョセフの良心の呵責を刺激したくてやってるんじゃない

本気で、お互い頑張ろうと言っているんだ、半ば裏切りに等しい 今まで世話になった劇団を一方的に捨て自分が出るべき公演さえすっぽかして逃げたこの男に対して 笑顔で…

「ささっ!、エリスさん レグルスちゃん、早く行かないと劇が始まってしまいますよ」

「は…はい」

「じゃあジョセフさん、また貴方の演技が見れる日を楽しみにしてるので、頑張ってください!、絶対に見にいくので!」

「……ああ」

エリスと師匠を連れて劇場へと入っていくナリアさんは 振り返らない、けれど エリスは歩きながらも振り返ってしまった、徐々に遠ざかり 人混みの奥へ消えていくジョセフの背中

…ナリアさんの言葉と笑顔を受けてか…、 片手にチケットの束を握るその背中は、どこか悲しげに肩をしているようにも見えた

「いいんですか?ナリアさん」

「うん、それが彼の選んだ役者道だと言うのなら、僕に出来るのは鼓舞だけだから」

彼は優しい、あまりにも優しい…優し過ぎる程に優しい、その輝きは 後ろめたいものには 鋭利な刃物と変わらないんだ、心を切り裂く 見えざる刃物と…

明るくもやや悲しげなナリアさんの横顔を見ながらエリスは師匠の手を引いて人でいっぱいの劇場の中を歩き、…舞台のある広大な空間へと出る、観客席だ

「おお、中は意外としっかりしてますね」

「伊達に儲けてはいないな、マネーパワーの凄まじさを感じる」

「イオフィエル大劇団の劇場は何処も豪勢らしいですよ?、羨ましいですよね、煌びやかな舞台で僕も~なんて、ちょっと夢見ちゃいます」

劇場の中は広く、外で混雑していた人間 全員納められる程のスペースがある、ちなみにこの座席にもそれぞれ料金があり 最前列は最も高く 後ろに行けば行くほど安くなる…というものだ

そしてエリス達が買った座席は…いや そもそも座席はない、エリス達は最も安い入り口の壁際、通称『立ち見』と呼ばれる場所で観覧することとなる

これじゃ劇場を観覧するというより見学だ、まぁエリスは演技を見て学ぶつもりで来てるわけだが…、ここを取ったのは安かったのともう一つ

席がもう余ってなかったから…というのもあるのだ、これだけ大きなスペースに用意された座席全てが埋まってるんだ

「しかし、…なんでしょうか今日はいつも以上に繁盛してる気がします」

と ふと、エリスの隣に立つナリアさんが不思議そうに首を傾げる、ああ いつもこんなに繁盛してるわけじゃないのか

「いつもは違うんですか?」

「うん、いつも人気ですけど 今日はそれに輪を掛けてというか…、もしかして 今日の公演に来てるのかな、あの人が…」

「あの人…?」

「おい、無駄話はもうやめろ…、劇が始まるぞ」

ちょいちょいとエリスの裾を引っ張りながら師匠がムッとする、ああ確かに あれだけザワザワと騒めいていた観客席が徐々に静かになり、…閉じられた舞台上の幕を割って 内側から誰かが出てくる

『紳士淑女 お坊っちゃんにお嬢さん、今日この日にこの場に来てくださった皆皆様、この度は我が劇に御足労頂けたこと、このマルフレッド・コルトーナ 光栄の極みとして受け取らせていただきます』

幕の内側から出てきたのは小綺麗なスーツをパツパツに着込んだ脂ぎった小柄な中年男性だった、いや 横幅に比べて縦幅が短いからそう見えるだけか?、スキンヘッドにゲジゲジの太眉 そして毎度儲けさせて頂きいい暮らしさせてもらってますと言わんばかりの恰幅をしたその男は マルフレッドと名乗るのだ

マルフレッド・コルトーナ…、酒造で一財産築き上げ その金で演劇の業界に進出した大商人にしてクリストキント旅劇団から主演のジョセフを取り上げ危うく公演が不成立になるところにまで追い込んだ張本人がニタニタ笑いながら両手を広げている

『どうでしょうか 私の打ち立てたこの劇場は、この劇場そのものが一つの芸術品のように美しいでしょう、しかしこれは特別なことではありません、私が持つイオフィエル大劇団が所有する劇場はエトワール中何処にでもあります、エトワールの何処にいても この美しい劇場を目にすることができます、どこでも変わらぬ品質の作劇を見ることができるのです!』

何やら力説を始めたぞ、拳を握ってまさしく宣言のようだ、毎回こんなふうに気合入れて劇の前に叫んでるのかな

『私は常々 昨今の世界の芸術品の扱いについて考えております、…エトワールの芸術品はまさしく至宝です!、だと言うのに他国の富豪達はその価値も理解せずただ漠然と屯集している、彼らにとって!エトワールの芸術品とは己の経済力を示すステータスでしかない!私はこれが我慢出来ないのです!』

両手を広げ 汗をかきながら叫ぶ彼の話術は、どこか観客席の…いや エトワール人達の共感を集めているようにも見える、事実 芸術品なんてのは金持ちにとってはただのステータスだ

こんな素晴らしい作品を家に飾ることができる俺は凄いんだろよ?ってな感じの自慢の品でしかないだろう、それが 芸術家気質のエトワール人には許せないのかもしれない

『ですがそれは奴らが美術の真髄を知らぬからこそなのです、美術の放つ熱量を知らない 可哀想な人間だからなのです、本物の美を知れば…エトワールの美術品を蔑ろに扱うなんて、とてもとても出来ることではないでしょう』

作ってる人間の顔を知らないから その労力を知らないから蔑ろに出来る、それはまあ確かにそうだ

皿の上に乗せられたパンを食べるだけの人間が 、麦を育て収穫する人間とそれを運ぶ人間 そして加工した人間の苦労を全て知っているかと言えば 是とは言えまい

『故に、私は今エトワール中にあるイオフィエル大劇団の劇場を世界へ進出させ 全ての魔女大国の全ての街に一つの劇場を作る事を約束しましょう、奴らの目の前で エトワール人の真髄を見せてやるのです、そうすれば奴らはきっと エトワール人の素晴らしさをよくよく理解するでしょう、そして 挙ってエトワールの美術品を買い集めることになるでしょう、尊敬の念を込めて!』

それは…いやどえかな、そんな上手くいくかな…それはちょっと飛躍しすぎでは?と思っているのはどうやらエリス達だけのようだ

観客席の中には芸術家も多いのだろう 彼等はマルフレッドの言葉に拳を握りしめて、おお 声を上げている

『いずれ、世界中の人間がエトワールの芸術を理解する日が来る、エトワール国内で燻っているまだ見ぬ天才達にも 活躍の場が与えられる!、私の夢はそれです!芸術の世界的な需要爆発的拡大!、それがエトワール人でありながら芸術の才を持たない私が出来る唯一の芸術への寄与なのです!』

立派な願いだと思う、とても立派だと思う、マルフレッドの活動が身を結めばこの寒い雪国の路上をアトリエにする者も居なくなるだろう

うん、いいと思う

「師匠はどう思います?」

「どうとも?」

思ってないと、師匠も芸術を理解しないタイプではないが、飽くまで理解しているのは芸術だけで それを作ってる芸術家の事情など知らんと言いたいのだろうか

やや、冷たい意見な気もするが 悪いがそれが大多数の本音だ、絵を見ている時時 絵を書いている人間の顔を思い浮かべる人間がいるか?、あんまりいないと思う

じゃあ、現役の芸術家…演者たるナリアさんはどうだろう

「ナリアさんはどう思います?」

「うん!とてもいいと思いますよ、活躍の場が広がればそれだけ多くの作品を生み出せますから、僕達のように金銭面の理由から好きに活動できない劇団も多いですから、マルフレッドさんの活動が上手くいけばいいな とは思います」

いつものようにニコッと愛らしく笑う彼は優しい意見を述べる、まぁ 創造の通りの答えだな

と、エリスがやや拍子抜けした瞬間…

「ただ…」

と言うのだ、険しい顔で ただ と…、優しい彼がこんな顔をするの 初めて見た…、やはりマルフレッドには何か思うところが?

「ただ?」

「…、いえこれは僕個人の価値観ではあるものの マルフレッドさんの言った言葉の一箇所を訂正してもらいたいんです」

「訂正と言うと…どこでしょうか」

「『どこでも変わらぬ品質の作劇を』…と、品質 と言うのは頂けません、演者も劇も 品ではありませんから」

え?そこ?いやそこか、ううん 芸術家ではないエリスには理解できない範疇の何かが ナリアさんを引っ掛けたのだろう、品質という言葉 その違和感に

「まぁ、僕個人のワガママなんですけどね?たはは」

「そうですか?、エリスには分かるとも分からないとも言えません、聞いておいてすみません」

「あはは…、あ 始まるみたいですよ」


『では!これよりご覧入れましょう 私の夢の足掛かりとなる自慢の劇団と作劇を!、長々とした口上もおしまいです!、ではどうぞご観覧あれ!我が劇団 そしてこの国のニューヒロインの活躍を!』

我らイオフィエル大劇団の大活劇をどうか堪能あれ! そのマンフレッドの言葉と共に幕が勢いよく開かれ…そして、圧倒される

「なんですか、これ…」

思わず 口を開いてしまう、あんぐりと

幕の奥に隠されていた舞台 そこに広がる景色を見て、口同様目もかっ開く…、凄い その言葉しか出てこない、だって そこには


幕の向こうには世界が広がていた…、いや この言い方は的確ではないな、そう まるで世界に溶け込むが如き精密さを持つ絵画を背景に 一切芝居の匂いのしない俳優達が躍動していたから

エリスは、ここに来て理解した、エリスは昨日の舞台をそこそこにやれたと 成功だったと安堵していたが、あれは安堵ではない 傲慢だったと言わざるを得ない

成功?何を愚かな事を、そこそこやれた?馬鹿な 何も出来ていない、芝居とは 本物の芝居とは……

「これが…演劇」

今 目の前で繰り広げられる物語こそが演劇なのだ、まだ始まって間もないのに エリスはもうイオフィエル大劇団の作り出す劇作に打ちのめされていた、醸し出す雰囲気からして違う

この感覚、前にも味わったがある…そうだ、アビゲイルさんやタリアテッレさんのような一流の料理人の作る料理を食べた時と同じ感覚…、模倣ではどうやっても追いつけない 至高の域、イオフィエル大劇団の作劇は そこに至っているんだ

「ほあぁ、相変わらず凄く派手な劇だなぁ」

なんてナリアさんはキラキラ呑気に目を輝かせている…

…イオフィエル大劇団の此度の演目の名は『千倒魔拳のコンスタンツェ』…

両親を失い路頭に迷っていた少女コンスタンツェがとある武術道場に拾われ立派な武闘家に育つものの、ある日 師範殺害の冤罪を着せられ地下牢に投獄されてしまう、親代わりだった師範を殺した真犯人を探し出し 己の冤罪の証明と復讐をする為に コンスタンツェが孤独な戦いに身を投じる…

そんな内容の活劇、内容よりもド派手な演出とバリバリのアクションで魅せるタイプの演劇だ

無数の男達が舞台上にドタドタと現れる、その目の先にいるのは一人の女性 夜空のような黒い髪 星空のように明るい瞳、この舞台の主役 コンスタンツェだ

コンスタンツェは持ち前の武術で男達を大立ち回りで薙ぎ倒していく、…彼女が拳を振るえば男達が吹き飛び 足を振るえばまた吹き飛ぶ、凄まじい強さだ

勿論、そういう演技なのはよく分かる、コンスタンツェの動きは戦闘向きではなく魅せるアクションだし、実際攻撃を当ててるわけでもない、やられ役が上手くやられて自分で吹き飛んでるんだ

ラグナがああいう大立ち回りを実際にやるから分かるが、人間が実際にああいう風に吹き飛ぶ時はもっとエゲツない音がする

しかし…

「あのコンスタンツェ役の…主演の女優さん、凄く動きが綺麗ですね」

思わずそう呟いてしまう、強いのではない 綺麗なんだ一挙手一投足が、一歩前へ歩く その動作の指先まで綺麗だ、周りの演技力もすごいが はっきり言ってコンスタンツェ役の人だけ頭一つ飛び抜けている

「無駄が多いが魅せる動きとしては満点だな」

あの師匠でさえ満点と称するだけの演技をしている、いやそれもそうか 何せこのどでかい劇で主演に選ばれてるんだ、役者として格が違うんだ

「そりゃそうですよ、あの人 この劇どころかイオフィエル大劇団で一番の役者さんですからね、ほら さっきマルフレッドさんが言ってましたよね、我が劇団が誇るニューヒロインって」

「え?、それってあの人の…って、エトワール中に劇場を持つ大劇団で一番って…」

それって、控えめに言ってもスーパースターじゃないか、ああなるほど さっきナリアさんの言ってた『あの人が来てるのかも…』というのはこの人の事、つまり今日この劇場の大盛況は 彼女が…今 エトワールで一番勢いのあるスーパースターを一目見る為に集まった人たちによって生み出されたもの

彼女 たった一人によって、何百人という人間が一斉に集まった事により生まれた混雑なのだ

「彼女の名はコルネリア・フェルメール…、類稀なる役者としてのセンスと演技力を持ち合わせたまさしく千年に一人の天才であり、エトワール芸術史は全て彼女を生み出すための前フリとまで言わしめるイオフィエル大劇団の一等星です」

「国を代表するレベルって事ですか…」

「うん、はっきり言って 今のイオフィエル大劇団の勢いの八割は彼女が生み出していると言っても過言じゃないんですよ、あまりの人気ぶりに引っ張りだこで 常にマルフレッドさんと共にエトワール中を飛び回ってるんです、今日こうして目にすることが出来たのは 半ば奇跡に近いです」

「へぇ、いいもの見れましたね」

エトワール中に劇団ぶち建てる程の人気と聞けば まぁそれもあり得ると思えるほどコルネリアが生み出す全ては人を引き込む

激しいアクションの中でも 彼女は一切の隙を見せない、足のつま先からつむじまで 意識的に動かし瞬間瞬間で切り取っても絵になる程美しく、またその演技もまた表現的だ…、あれこそが演技 、彼女から見ればエリスのなんかごっこ遊びだろう

イオフィエル大劇団を支える巨大な一本柱か…、あれが この国の…

「凄い人を抱えてるんですね、イオフィエル大劇団は」

「うんうん!、彼女も元々小さな旅劇団に所属していたんですが、マルフレッドさんに引き抜かれ こうして大きな舞台に立つようになってから一気に才能が開花して今に至るんです、彼女のような例があるから みんなこぞってマルフレッドさんの引き抜きを受けるんですよ」

なるほど、我こそが第二のコルネリアに!って感じで夢見てマルフレッドさんの元へ行くわけか、どんなに弱小劇団に属していても マルフレッドさんの手にかかればスーパースターになれると思って…

まぁ、多分だが コルネリアがスターになったのはマルフレッドの引き抜きのお陰ではなく、彼女が場所を選ばず真摯に努力を続けたからだろうが…

「コルネリアさんが凄いのは分かりました……け けど」

ああ、コルネリアは凄い 凄いとも、正直演技力に関してはエリスが今まで目にしてきたどの人間よりも凄い、けど…だ

「あの、あれどうにかなりません?」

「あ…はは、なりませんね」

そう エリスが辟易した視線を向けナリアさんが苦笑いで首を振る、その舞台の上にはコルネリアさんとは別の人間が舞台上に立って 一人で大々的に演技をしているわけだ

綺麗に整えられた髪と優雅な口髭を携えた身なりのいい男性…、コルネリア…いや 劇中のコンスタンツェに助言を授ける賢者という重要な役割の彼が口を開く都度 一気に冷める

何故か?、それは

『あー コルネリアよー、我がー助言を聞き入れー…』

物凄い棒読みなんだ、涙が出てくるほど棒読み 悲しいくらい演技力が無い、何がどうなったんだ?そう言う演出なの?と疑ってしまうほどだが…どうやら違う

『千倒魔拳のコンスタンツェ』という作品に登場する役者さんはどれもレベルが高い、流石あちこちで主戦力級の役者を引き抜いているだけあり 所謂モブの一人に至るまで凄まじい演技力なのだが

今出てきたあの賢者、あれだけ格段に演技力のレベルが落ちるのだ、とても役者とは思えない、言っちゃ悪いがエリスあれよりは上等な芝居が出来る自信がある

「なんですか?あの人、役者?だとしてもなんであんな重要な役割にあんな人が…」

「あの人は役者じゃありません、この街の画材業を取り仕切る商会の会長 ダーフィットさんです、この街を統べる貴族 レンブラント伯爵の古くからの知り合いと言われるお偉い人です」

「役者じゃない?、いやまぁある意味納得ですけど…なんでそんな人が舞台に」

あのダーフィットと言われる役者は、悪いが舞台にあげていいレベルじゃない、ましてやこの至高の芸術とも言える『千倒魔拳のコンスタンツェ』という作品に突如として現れた汚点と言ってもいい

例えるなら繊細な味のオードブルを食べていたらいきなりめちゃくちゃな味のガーリックソースを問答無用で引っ掛けられたような、そんなガッカリ感とでも言おうか これが無ければ完璧なのに…と思わず眉間に指を当ててしまう程だ

「実は、ダーフィットさんはマルフレッドさんとも懇意の中で、その関係で あの役に捻じ込まれたようです」

「ちょっ、それって…商業的な関係を劇に持ち込んだってことですか!?」

「マルフレッドさんの劇にはよくある…というより、実はマルフレッドさん 劇中の役をお金で売ってるんですよ、貴族や商人の方々に」

なんじゃそりゃ!?、そんな…そんな事 許されるのか!?許されていいわけがないだろそれは!

だってこんな素晴らしい劇だよ!?、登壇している役者さんたちみんな全力で取り組んでるのに、それを 台無しにするような事をマルフレッドさんは平気でやってるのか?、いやいや さっきの熱の入ったスピーチはなんだったんだ

「それだけじゃありません、マルフレッドさんは話題作りの為に 今その時話題になっている人を劇に登場させたりするんですよ、その人に役者の経験があるとか そういうのも関係なしに」

「それって、いきなり出来のいい舞台に素人が登場するようなもんですよね…」

「はい、…マルフレッドさんとしては話題になればそれでいいらしくて、最近じゃ カストリア大陸の魔女大国の盟主たちにもオファーを行ったらしいですよ?、まぁ 学園在学中だったので有耶無耶になりましたが」

つまりラグナ達にもオファーしてたのか、ラグナ達も器用とはいえいきなりあんな舞台に立たされても恥をかくだけだ…、そりゃ話題にはなるだろうけどさ

いや、そもそもラグナ達は引き受けないだろうな、デティはあれで恥ずかしがり屋だしラグナも劇には出たくないだろうし…メルクさんだってそんなことしてるほど暇じゃない

案外アマルトさんあたりならホイホイ出そうだな…、いや彼も暇じゃないか、出たら出たで真面目だからきっちりやるだろうが

しかしいいのか、そんなので…、劇を大切にするなら 芸術を重んじるなら、マルフレッドのさん個人の商業は関わらせるべきじゃないんじゃないのか?

「僕は、別にいいんですよ 、確かに演劇業界は今やや落ち目です、劇とは見られなければ意味がない そういう意味で話題作りをするならむしろありがたいことだとも思います、…けど けど!」

ワナワナと拳と口を震わせる彼の顔に怒りはない、あるのは困惑 そして嘆きだ

「でも、その結果劇を見にきたお客様が 『なんだ、演劇も所詮金なんだな』って失望して帰られるのが、僕は悲しいんです…申し訳ないんです、素人を舞台にあげるなとは言いません けど…せめてもう少し、劇を大切にしてほしい…」

役者としての嘆きか 或いはナリアさん個人の話かは分からないが、少なくとも彼は本気で今目の前で行われていることに心を傷つけている、観客席にいる全ての人間に申し訳なさを抱いているのだ

「ふむ、確かに 良い流れではないな」

ふと、師匠が口を開く…その顔つきは幼いながらに、やはり険しい

「師匠?」

「ああ、…今はマルフレッドの私腹が肥やされそれでいいだろうが、もし 客が演劇に偉い人間の都合と事情を垣間見て 失望し、それが不評となれば …その心象を覆すのには時間がかかるだろう、マルフレッド個人の思惑で 演劇業界そのものの土壌が腐る可能性さえある」

客は皆演劇を見に来ている、それに出資している人間の事情なんか見に来ていない、けど 演劇がそういうものだと客が思い込んで仕舞えば マルフレッドさんの劇だけでなくエトワール…いや世界にあるすべての劇が同一視され嫌われてしまう

そうなればナリアさん達役者は終わりだ、演劇を続けるどころの話ではなくなってしまう、酒造がメインのマルフレッドさんは別にいいかもしれないが…役者達はそうもいかない、星の数ほどの役者達が露頭に迷う事になるんだ

「一流の商売人として そんな事分からないはずがないだろうに、何か狙いがあるのか?…」

「まぁ、なんて偉そうな苦言呈したって意味なんかないんですけれどね、飽くまで僕の感想ってだけだし…」

なんて幕を閉じるような物言いと共に目の前の演劇の方もクライマックスに入り、滝のような勢いで物語は終わりへ向かっていく

途中で登場したダーフィット以外はやはり高水準でまとまっており、イオフィエル大劇団の実力の高さというものを見せつけ、この劇は終わりを迎える



物語はコンスタンツェが師範を殺し道場を乗っ取った兄弟弟子倒し…それでも師の仇を殺す事なく、師より授かった武とその心だけを示し、荒野の向こうに去っていったところで終わる事となる

悲しくも何処誇らしげなコンスタンツェの背が 荒野の奥へ消えたあたりで幕が閉じられ、そしてその瞬間 観客席に座る全員が立ち上がり、万来の喝采を送る 、それはコンスタンツェの戦い対しても 素晴らしい劇を見せてくれたイオフィエル大劇団に対してもだ

エリスだって拍手を送った、ナリアさんも手を叩いていた、いや途中はどうなる事かと思っていたけれど、終わってみれば傑作だった

勉強にもなった、エリスも『取り敢えず片手間に役者をやる』ではなく 役を任せてもらえる光栄さと使命感を抱くべきなのだと言う事実を知らしめられた、うん 来てよかった



そして、幕が閉じて役者達からお礼の挨拶が終わった辺りで、劇場から続々と観客達が立ち去っていく、そんな中エリス達は

「いいものを見ました」

「だね、とても勉強になったよね」

「最近の劇とは派手なのだな」

三人で感想を言い合いながら劇場に残っていた、というより余韻に浸っていた、混雑に巻き込まれたくないのもあるが、今は少しでもこの劇場に留まって あの傑作の残した残り香に身を委ねていたいと感じていたから 留まっているんだ

そう思わせるだけの物を あの『千倒魔拳のコンスタンツェ』は漂わせていた

「千倒魔拳のコンスタンツェ…見ただけで強くなれた気がしちゃいますね」

「あー、分かる分かる アクション物見た後ってなんか強くなった気がするよね、僕も思わず肩で風切って歩いちゃうもん」

「エリスもう一回見たいです…」

「いやぁ、どうだろう あれだけ出来が良かったのはコルネリアさんが主演をやってたからってのもあるしなぁ」

「じゃあエリス コルネリアさんのファンになっちゃったかもしれません」

「あはは、じゃあじゃあオススメの劇もあってね?同じアクションで『万雷一掌のレオウルフ』と『剛腕無敵のデボラ』もオススメで…」

「おいお前達、そろそろ人も出払ったし、劇場から出ないか?」

ふと、劇について話していると 師匠がちょいちょい裾を引いてもう周りに人がいないことを知らせてくれる、ああ…あんまり劇場に残ってても迷惑か、名残惜しいが またいつかコルネリアさんの劇が観れることを願って ここは退散するとしよう

「そうですね師匠、じゃあナリアさん そろそろ」

「うん、あんまり空けるとクンラートさんも心配するもんね」

そろそろ帰ろう そう相談して決め、エリス達は三人揃って  無人になった劇場を抜けようと出入り口へ歩みを進めた瞬間

いきなり、目の前が暗くなる

「ん?…」

灯りでも消されたかと思ったが、どうやら違うようだ、いや見てみれば分かる事なんだが、ただ立ち塞がっていただけだ、軽装備で武装した男達が三人ほど

「あの、邪魔なんですけど」

「邪魔しているんだ」

なんて言ってくるのは三人の男の中で中央に立つ男、浅黒い肌にドレッドヘアー、割れた顎を突き出しなんとも威圧的だ、なんか あからさまに物騒なのがいるな、このエトワールにもこう言うのって居るんだ

…しかし、立ち姿に隙がない ただのチンピラじゃない、それに装備や身なりから見て何処かの所属の正規兵じゃない、となると

「この人達マルフレッドさんの私兵です…」

「マルフレッドの…?」

ふん と目の前の三人は腕を組みながらやや自慢げに笑う、この人達 マンフレッドさんの私兵なのか、それがなんでこんなところで観客に突っかかってんのか、色々問い詰めたいところだが…

なんて思っているとリーダー格と思わしき中央のドレッドヘアーがクイッと顎を上げ

「ああ、マルフレッド商会のアルザス三兄弟…といえば、誰か伝わるだろ?」

「いえ?」

……伝わるだろうって、ごめん 有名な人なのかな

「フッ、じゃあ冒険者協会屈指の実力派であり 三ツ字冒険者から私兵に転向した謎多き三兄弟と言えば…?」

「さぁ?」

と言えばと言われましても、エリスは別にそんなに冒険者協会の内情に明るくないし

「なら、アルクカース出身の三兄弟で抜群のコンビネーションを武器に戦う…」

「もうやめようよ兄貴!こいつ俺たち事知らないよ!」

「そう言うのって相手が自然と察するからかっこいいんだって!、誘導してたらダサいって!」

何やらまだ続けようとしたところで隣に控える…恐らく弟と思わしき人間に止められる、片やすきっ歯のハゲマッチョ 片や麗髪の美少年と、本当に兄弟か疑わしいくらい似てない、怖くて家庭事情とかおいそれ聞けないタイプの兄弟だ…

「チッ、仕方ない 名乗ってやる」

「え、名乗ってくれるんですか?」

「俺の名はラック・アルザス、こっちのチャーミングなスキンヘッドはリック・アルザス、この可愛いおチビちゃんはロック・アルザス、三人揃ってアルザス三兄弟…マンフレッドさんの護衛の私兵だ、元 三ツ字のな」

聞いてもないのに名乗ってきた、いや名乗ってくれるのはありがたいんだが…、しかし 元三ツ字…それも全員がか、アルクカースの継承戦に現れた精鋭冒険者 三羽烏烏でさえ二ツ字二人三ツ字一人の構成だったことを考えると…

兄弟揃って三ツ字というのは相当異例である事はわかる…が、それがマルフレッドの私兵か

「そうですか、それで そのアルザス三兄弟さんが揃って何をされてるんですか?、マルフレッドのさんの私兵と言うのなら そのお客の道を阻む理由はないはずですが」

「そう言うわけにはいかない、サトゥルナリア・ルシエンテス…マルフレッドさんがお呼びだ、一緒に来てもらう」

「ナリアさん?」

「っ…」

ラックは言うのだ、ナリアさんに用があると

ああ ナリアさんに用があったんですね、どうぞどうぞ…って渡せる空気だと思うか、用があるなら自分で来いよ、こんな屈強な私兵寄越して来てくださいなんて頼む奴においそれと渡せるか

無言でナリアさんの前に立ち、ラックを睨みつける

「なんだ、その目は 俺達が誰か…聞いていなかったのか?、小芝居屋風情があんまり生意気な真似してると行くことになるぞ?、病院に」

どけ と言いながらナリアさんに伸ばされる手を躊躇なく掴み止める、…病院送りにすると?上等だ、そんな強引なことを言う奴 する奴に容赦する理由はない

「貴方こそ、あんまり強引な態度はやめてください、さもなきゃ行くことになりますよ、あの世に」

「何をぉ…」

ラックの眼光が光り その標的がエリスに定められる、ナリアさんに乱暴するならエリスが許さん

「…大丈夫です、エリスさん マルフレッドさんが呼んでるなら、会いに行きましょう」

「ナリアさん?、大丈夫何ですか?こんな暴漢送っての誘いになんか乗って…」

「大丈夫…かは分かりませんが、何とかします、一応覚悟の上で劇場に入ってるので」

覚悟?…つまりナリアさんはこんな風にマルフレッドから声をかけられることを予期していた?、…マルフレッド程の大劇団の持ち主が態々クリストキントを潰そうとしていたり ナリアさんを呼び立てたり

何か、ただならぬ因縁があると見るべきか

「…分かりました、ただ エリスと師匠も同行します、いいですよね 三兄弟」

「エリス…金髪の女…いやまさかな、いいだろう、こちらに来い」

アルザス三兄弟はエリスの手を離し、手を払うようにしながら裏方への道を進んでいく、一応従順についていくフリをしながらルートを確認する

最悪、ナリアさんとレグルス師匠を抱えて飛んで逃げられるように、…ただ この国でも確たる地位を持つマルフレッド相手に、緊急離脱しなくてはならないような展開だけには なりたくないな

けど、手を出して来たら 流石に黙ってる気は無いが

そう、静かに籠手を嵌めながら、エリス達もまた裏方へと移動する…マルフレッドが待つであろう場所へと

……………………………………………………

舞台裏 と言うのは表舞台に比べてやや質素なものである事は言うまでも無い、態々人に見せない部分にまで気を使う必要はないからだ

それはこのイオフィエル大劇団の劇場も変わらない、エリス達は今 アルザス三兄弟長兄ラックの案内によりマルフレッドの元へと通されることとなった

ラック曰く今マルフレッドは舞台裏で役者に指導をしているとのことだ、あの人芸術の才能がないって自分で言っていたのに 指導とかするんだ

「あ、見てくださいナリアさん、あの人さっきの舞台で師範役やってた人では?、ああ あっちはコンスタンツェの宿敵ゲンブ…、おお あれは」

「エリスさん…すっかりイオフィエル大劇団のファンだね…」

だって仕方ないじゃないか、マルフレッドが舞台裏にいる以上 エリス達もまた舞台裏を通らねばならない、ということはさっきまで舞台にいた凄腕の役者さん達が間近で見れてしまうのだ

さっきまで遠い世界の人間だと思っていた人達がすぐそばに居る、その事実にちょっと興奮してしまう…、これ もしかしてコンスタンツェ役のコルネリアさんにも会えたりして…

「存外ミーハーなんだな、エリス」

「う…、こう言うのって良くないですかね、師匠」

「別に、ミーハーが悪とは言わん、だがこう言う場でソワソワするのはみっともないからやめなさい」

怒られてしまった、まぁ実際 キョロキョロソワソワするエリスを見て周りの役者さんが『なんで部外者が舞台裏に…』と奇異の視線を向けてくる、うう ここで興奮するのはみっともない上行儀が悪かったか

おほん、改めよう…


「それで、マルフレッドは何処にいるんですか?」

「慌てるな、ほら そこに居る」

ほれと顎をクッと向ける先は舞台裏の中央とも言える場所、そこには見覚えのある横に大きな背中と とても見覚えのある美女が美しい髪を揺らしながら冷えた水を飲んでいるのが見える

あれは…あれって…

「いやぁコルネリア、よくやってくれた お前のおかげで今日の舞台も大成功だ、だがこの程度の成功に喜んでくれるな?、このまま活躍を続け新たなエイト・ソーサラーズに加入するまでは舞台で活躍して活躍して 、活躍し続けるんだ」

「……、ええ 任せてちょうだい」

恰幅の良いゲジ眉の大男 マルフレッドと、その話を涼しげに聞き流す この舞台 この劇場 この劇団のスーパースター…コルネリア・フェルメールがいる

コルネリアさんだ!、コンスタンツェだ!本物だ!、黒い髪!麗美な顔立ち!舞台で見たままだ!、特徴的な黄金のブレスレットを嵌めた手で軽く髪をかきあげる様はなんとも様になっていて見とれてしまう、いいなぁ…あのブレスレット売店に売ってるかな…欲しいなぁ

思わずおおと口を丸く開けて喜んでしまう自分がいることに気がつく、いや舞台の上でもかっこよかったが こうして見るとまた違ったかっこよさがある

「本当に分かっているのか全く、いいか お前がしくじったら……」

「失礼?マルフレッドの親分、サトゥルナリアを連れて来たが?」

「なんだ今大事な話を…サトゥルナリアを?」

ふと、背後からラックに声をかけられやや不機嫌そうに振り向くマルフレッドは、エリスの隣に立つサトゥルナリア…ナリアさんの姿を見てパッと顔が明るくなり

「おお、おーおー サトゥルナリア!ようやく私の劇団に入る気になってくれたか」

そう言いながらナリアさんに近寄その手を取りながらありがとうありがとうと振り回すのだ、い…いやいや なんだその話

ナリアさんは別にイオフィエル大劇団に加入しに来たわけじゃない、というか この男 ジョセフだけじゃなくナリアさんにまで手を出しているのか

「あ…はは、マルフレッドさん お久しぶりです」

「挨拶なんていい、それで?どうだ 観念して私の劇団に入る気になったか?ん?」

「い…いえ、そう言うつもりはないんですけど…」

ナリアさんが苦笑いでやんわり断る、その言葉を受ければ先程まで上機嫌に曲がっていたマルフレッドさんの眉が見る見るうちに顰められ、その額に青筋とも取れるシワが刻まれて

「なんだと、まだあんな貧乏劇団に拘るのか、あんな貧乏劇団じゃロクな劇も収益も見込めないだろう」

「僕はお金が稼ぎたいから役者をやってんじゃありません、クリストキント旅劇団で役者をやりたいから 役者をやってるんです」

「何をバカな、先日の酒場での公演も主演不在で失敗に終わっただろう?、クリストキントにもう未来はない、いずれ潰れるぞ?」

「それは…」

こいつ、やはり 意図的だったのか、ジョセフを引き抜けばクリストキント旅劇団がままならなくなる事を理解して、いや、剰えそれを目的として 引き抜いたのか

恐らく、こいつの目的はジョセフじゃないんだ、こいつの本当の目的は…

「悪く思うなよ、私はただお前にこの劇団に入って欲しいだけなのだ、お前という役者が私は欲しい!、私が欲するものを貧乏劇団が所有しているのが許せんのだ」

ナリアをさんを手に入れる為、手段を選ばず ジョセフを引き抜き、せっかく手に入れた公演を潰すことでクリストキントの信頼を失墜させ、ナリアさんを…いやクリストキント五十人の役者達を路頭に迷わせることも厭わずに

めちゃくちゃな奴だ…

「さて、仕事の信頼も失いガタガタになったクリストキントでいつまで役者をやる、いいから私のところに来なさい サトゥルナリア」

「お言葉ですが、昨日の公演は成功に終わりました、ここにいるエリスさんのおかげで」

「何?エリス?、…誰だお前は」

ナリアさんがエリスをさせばマルフレッドの目がこちらに向けられる、言葉通りだ 誰だお前はと訝しげにジロジロ ジロジロと舐め回すように

「あ、こんにちわ エリスはエリスです、クリストキント旅劇団に昨日入った新入りです、よろしくお願いします」

「はぁ?、そんな名前の役者聞いたことがないぞ、まさか素人か?」

「ええまぁ…ど素人です」

「ぷっ…ふはははははは、こんな素人に主演をやらせているのか?クリストキントは、低レベルだな!、まぁこんなのに任せているようでは どの道先は長くあるまい」

まぁ確かにこんなのではありますが、クリストキント旅劇団には恩がありますから、絶対に潰させたりなんかしませんよ、けど この場じゃ強く出れないのも事実なので、甘んじてその言葉を受けますが

「それよりもサトゥルナリア、あんな貧乏劇団で女優の真似事なんかするよりも、我が劇団に来ればちゃんと男優として扱い 主演も任せよう、悪くないだろう?」

「いやです、僕は望んで女優をやっているんです、僕の性別が男でも…舞台なら女性の役を演じたっていいはずです!」

ナリアさんは確かに可愛らしい見た目だが、その気になれば男だって演じられる、というか ナリアさんはかなり無理して女性の役を演じていると言っていい

昨日のお姫様役も、声を作り 姿勢を作り きついコルセットで無理矢理女性らしい体型を作り巧みに男性臭さを消して役に望んでいるんだ、はっきり言って毎回毎回そんな苦行みたいな真似をしながら演じるのは辛いだろう、なんて感想さえ湧いてくるほど彼は女性役に命をかけている

…ただ 命を賭けているからこそ、エリスはナリアさんの役者としてのあり方決して否定できない

「まさか、まだエリス姫の役をやりたいなんて言ってるじゃないだろうな」

「その通りです、僕の夢はエリス姫を演じることですから」

「馬鹿馬鹿しい!、男がエリス姫を演じるだと?エトワールでも随一の大作劇のヒロインを男が演じるだと?、ありえない!そんなこと今の今まで一度だって無かった!、男はスバルを演じ 女はエリス姫を演じる、そういうものだ」

マルフレッドは笑う、男が姫を演じるなんて話聞いたことがないと、そんなことあり得るわけが無いと ナリアさんの夢を鼻で笑う

だがエリスは知っている、ナリアさんが本気であることを、エリス姫を演じたいという彼の熱意が正真正銘のものであることを

だからナリアさんも動じない、本気で夢見ているから 本気で目指しているから、目の前のマルフレッドに罵られるように夢を否定されても、ただ静かに…

「なんと言われても、僕はやります 絶対エリス姫になってみせます」

宣言する、それが己の生きる意味 ナリアという役者の歩む役者道の終点はそこ以外ありえないと…、強く 強く ひたすら強い目で、真っ直ぐと宣言する

「ふんっ、エリス姫を演じるのはうちのコルネリアだ、男のお前では競争相手にもなりはせん、精々叶わない夢を見て そして折れるがいい、もう少し現実を知ったら またここに来い、その時は一端の男優として扱ってやる…かもな」

「僕を女優として使ってくれないあなたの所に行くことは決してありません、そして エリス姫には僕がなります」

「聞き分けのない、…ふんっ!もういい!、来い!アルザス」

「了解」

「全く、散々な日だ、ヘレナ姫に劇を見せられる絶好の機会だと思って態々コルネリアを連れて王都からすっ飛んできたと言うのに、もう帰ってるし おまけにこれだ、気分が悪い、コルネリア!移動の準備を整えておけよ!」

ナリアさんの頑なな態度に呆れて勧誘を諦めアルザス三兄弟を連れ去っていくマルフレッド、自分で呼び出しておいて自分から帰るのか、まぁ横暴だこと

……ん?と言うか待て?ヘレナ姫に見せるつもりで王都から態々コルネリアを連れてきたけど、もう帰ってる?…もう帰ってる!?ヘレナさん王都に帰っちゃったの!?

いや、ヘレナさん側からすればエリス達はルナアールを追って丸一日行方不明になってしまっているのだ、そのままルナアール捜索を続けていると思われてるならまだいい、ルナアールのあの剣技を見て怖気付いたとかエリス達がルナアールに殺されたとか

最悪、エリスと師匠がルナアールと共に消えた事から共犯者と勘違いされてもおかしくないんだ

やらかしたな、順序を間違えた、先にヘレナさんに接触しておくべきだった、…いや 忘れていたわけじゃない、ただ まんまと逃げられ師匠の力さえ奪われたこの現状をヘレナさんに伝えるのが嫌と言う小さな理由から後回しにしてしまった…

バカだった、…ヘレナさんへの説明はやはり必要か というかあの人に協力してもらえるのが一番だったな

「………………」

「ナリアさん…」

それにしてもナリアさんの決意は頑なだ、頑固と言ってもいいくらい 固執としててもいいくらい、男でありながら女優と姫を演じてようとしている…、ただ なんとなくではこうは出来ない

彼にも何か、胸に秘めたるものがあるのかもしれないな…

「……帰っちゃいましたね、マルフレッド」

「そうだね、ここに呼び出したのも昨日の公演が失敗したと踏んでのものだったんだろうね」

確かに言われてみればタイミング的には完璧だ、マルフレッドがクリストキント旅劇団が失敗したと勘違いしてもおかしくないくらいには、でも残念 公演は成功したしここに立ち寄ったのは本当に偶然なんだ

「ねぇあなた」

「え?」

すると、立ち去ったマルフレッドに代わり 声をかけてくるのはコンスタンツェ…じゃなくてコルネリアさんだ、イオフィエル大劇団の大スターである彼女がチラリと流し目でナリアさんの顔を見ている

「貴方がサトゥルナリア?」

「え…ええ、そうですけど」

「本当に女の子みたいな顔してるのね、マルフレッドが男の癖に女の格好をするのが好きな変態だなんて罵ってたから どんなのが出るかと思ったら、ぱっと見じゃ分からないくらいね」

「別に僕女の子の格好をするのが好きなわけじゃありません、ただエリス姫を演じたいだけです、だから普段から肌や髪のお手入れには気を使ってるんです」

え?そうなの?、エリス全然気を使ってません…そういえばメルクさんは化粧をしていたな…、エリスもそろそろ考えるべき歳なのだろうか、でも旅をしてると化粧とかしてる暇ないしな…

「ああそう、まぁ別に 観客は劇を見に来てる、あなたの性別なんか気にする人はいないから 好きにすればいいんじゃない?」

「そのつもりです、舞台に上がる時 僕はサトゥルナリアではなく別の人間として上がっています、僕自身の性別なんか 関係ないんです」

あれ?思いの外コルネリアさんは話がわかるタイプか?、いや 分かるというか…ナリアさんもコルネリアさんも同じ役者だから、どこ通じる価値観あるのだろう

その点で言えば、マンフレッドはそれを持ち合わせていないのだろう…

「でもね、サトゥルナリア…」

「ナリアでいいですよ」

「そう、じゃあナリア?貴方エリス姫を目指してるんだって?」

「はい、その為に役者をやってます」

「それは結構、でも 役者なら知ってるでしょう?、エリス姫を演じる絶対条件…選考条件を」

「………………」

え?エリス姫を演じるには何か条件がいるのか?、というか さっきからみんなの話を聞くに…、『悲恋の嘆き姫エリス』という劇は普通の劇とは違うような印象を受ける

まるで、何かの条件を満たし 誰かに選ばれでもしないと演じることさえ許されない特別な劇、もしかしたらエウプロシュネの黄金冠のように その国にとって特別な劇なのかもしれない

「悲恋の嘆き姫エリスを公演することが許されているのはエトワール王室だけ、そしてエトワール王室によって選ばれた役者だけが 王室より役を賜ることが出来る、中でも主演のスバルとエリス姫はなお特別…ですよね」

「そうよ、エリス姫の役者は慣例としてエイト・ソーサラーズの中から選ばれる、そして エイト・ソーサラーズは女性だけしかなれない…、そもそも 男の貴方じゃ選考対象にさえ入れないのよ」

「わかって…ます」

ねぇ、エリスのわからない言葉で話すのやめて?エリスを挟んでエリスのわからない話するのやめて?、せめて説明して?教えて?、何?エリス姫ってこの国ではどういう物なの?エイト・ソーサラーズって何?

なんて聞くわけにもいかず、エリスは彫刻のように動かずただただ聞き流す、一応話の内容は記憶するが

「どうしても悲恋の嘆き姫に出たければスバル・サクラの方にしなさい、それならまだ可能性があるから」

「いやです、僕はエリス姫になりたいんです!なるんです!」

「頑なね、でもごめんなさい どんな奇跡が起こっても次の公演でエリス姫を演じるのはこの私、コルネリア・フェルメールなの…だから、諦めて?」

じゃあね とそれだけ言い残しコルネリアさんも立ち去ろうと踵を返し背を見せ…た瞬間、ふと 歩き出した足を止めてこちらをちらりと見る、今度はナリアさんの方ではなくエリスの…

え?エリス?

「…貴方は…エリスと言ったわね」

「は はい、エリスはエリスです」

「そう…貴方……、いえ なんでもないわ、うん なんでもない、部外者はとっとと舞台裏から出て行ってね?、ここは ファンの来る場所じゃないわ」

そう言いながら黄金のブレスレットを嵌めた手で軽く空を撫で踵を返す

なんだったの?ただ怒られるだけ怒られてそれで終わり?出来ればサイン欲しかったんですけど…、いや、やめよう 帰れと言われたん早く帰ろう、またマンフレッドにあって面倒なことになっては敵わない

「あの、ナリアさん」

「うん、わかってる… 帰ろうか?」

「うむ、もう留まる理由もないしな」

呼び出した張本人が帰ってしまった以上 エリス達がここに留まる理由は無くなった、これ以上ウダウダ言って留まっても得られるのは奇異の視線だけ、最悪警備員に追い出されるまである

なら、とっとと退散するに限る、エリスは師匠と共にナリアさんを連れてそそくさと逃げるようにその場を後にする

しかし、なんでマルフレッドはナリアさんを欲しがってるんだろう…、いや 実力ある役者が欲しいと言うなら理由は分かる、だったらナリアさんが十全に力を発揮できる女役をやらせるのが的確な筈だ

しかし、マルフレッドはそれを無視している、…役者として欲しいのか、或いはもっと別の理由で欲しいのか、やや判然としない部分はあるが はてさて、クリストキント旅劇団が厄介なのに目をつけられている事に変わりはない

マルフレッド コルネリア、そして男のエリス姫… 、エリスが想像しているよりもずっと クリストキント そしてナリアさんの抱える問題は根深そうだ

そして、エリス自身が抱える問題もまた…、取り敢えず変な誤解をされないよう、クンラートさん達に王都に寄れないか話をしてみよう
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