孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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七章 閃光の魔女プロキオン

178.孤独の魔女と白雪の旅路

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エリス達がマルフレッドさんのイオフィエル大劇団 劇場を訪れた次の日、クリストキント旅劇団達は街の郊外に集まり旅仕度をしている、このフェロニエールの街での仕事は終わったから、次の街で仕事を探すらしい

まぁ、方々駆けずり回って酒場での公演一つしか取れない街にしがみつくより別の街に行って新たなに仕事を探す方が効率が良いしな、という説明を昨日受けたので 旅劇団の一員となったエリスもまた 街の郊外で旅の支度をしているのだ

「よっと…」

芝居で使った小道具を収めた箱を持ち上げ、やや雪の残る大地を踏みしめ街の郊外を歩くエリス、クリストキント旅劇団もまた馬橇での移動をしているらしく 外に待機させている馬橇に荷物を積み込むのだが…

「これは凄いですね…」

ポツリ と街の郊外に広がる景色を見て独り言をつぶやく、いやだって街の郊外にずらりと8台くらいの馬橇が並んでいるんだ、それも結構大型の奴…古びてはいるがきちんと整備されており多少の酷使にも耐えられるほど頑丈そうだ

「これがクリストキント旅劇団の馬橇だよ、クンラート団長贔屓の馬橇屋さんがあってね?そこで格安で分けてもらってるんだぁ」

「なるほど」

と説明してくれるのはナリアさんだ、付いてきてたのか…というか昨日からやたら関わってくる、というのもナリアさん エリスと歳が近いこともありエリスの教育係に任命されたようなのだ

「それにしてもエリスさん、旅の支度早いし的確だね、旅で分からないことがあったらどんどん聞いてもらおうとしたんだけど…必要ないかな」

真面目なナリアさんは逐一エリスにわからないことはないかと聞いてくれる、けど 劇とか芝居のことならまだしも、エリスだって旅人の身 旅の身支度くらいは分かりますからね

「一応エリスも旅人ですからね、このくらいは慣れてます」

「へぇ、どこからどこを目指して旅をしてるの?」

「アジメクから出発して カストリア大陸を横断し そのままポルデュークも横断する、所謂ディオスクロア文明圏一周の旅です」

「あ アジメクって!?、一番遠い国だよね確か!、そ そんなところから旅を?、え?エリスさん僕の一つ上だよね?、何歳から旅を…」

「6歳からなので、もう十年以上ですね」

「うひゃあ…、普通に生きてる時間よりも旅をしてる時間の方が長いんだ…」

そうですねぇ、ここまで旅を続けていると もうアジメクが故郷って感じがあんまりしないんですよね、エリスにとってはもうアジメクは帰るべき場所ではなく この旅のゴールでしかない

「そう言うナリアさんはいつから旅劇団に?」

荷物を馬車に積み込みながらナリアさんに声をかける、単純作業ゆえ 無駄話をしていないと逆に集中力が途切れてしまいそうだ、ただの荷物運びに極限集中を使うのもあれだし

「僕?…あはは、実は僕も 5歳くらいからこの旅劇団に所属してるらしいんだ」

「エリスと大体同じくらいじゃないですか、…でも…その、ナリアさんのご両親は?」

こう言うこと聞いていいのかはわからないが、ナリアさんの両親もこの旅劇団に所属しているようには見えないんだ、つまりナリアさんは一人でこの旅劇団に所属してることになる 5歳からずっと…

「分からない、物心ついた時はもうこの劇団にいたし、小さい頃のことなんて覚えてないしね」

まぁ、そりゃそうか…幼い頃のことを克明に覚えているエリスの方がおかしいんだ、普通はそう 普通は小さい頃のことなんて覚えていない

「実は僕の両親も劇団を率いる役者だったらしいんだよね…ルシエンテス夫妻って言う結構有名な役者夫婦でさ、クンラートさんも元々は両親の率いる劇団の役者さんだったらしいんだ」

「そうだったんですね…」

「それで、クンラート団長が独り立ちした時 両親から僕を預かったらしいんだけど、それ以降のことは誰も知らないんだ、急に…消えるように 僕の両親はいなくなってしまった」

両親がいなくなった、と言っても この世界で親を失くす事はさしたるほど珍しいことでもない、人というのは余りにあっけなく死ぬ、だから 人は全力で生きるし 誰かを全力で守るんだ

ナリアさんの両親が死んだとは限らない、けれど 十年も音沙汰がないことの意味を、きっと誰よりも理解しているのは 他でもないナリアさん自身だ

「ナリアさん…」

「って言ってもさ!、僕にとってはもうこの劇団が家族みたいなもので 育ててくれたクンラートさんが僕のお父さんみたいなもんだから、寂しくはないよ?」

なんて、あっけらかんと 明るく笑う彼の気持ちは分からないでもない、多分 本当に寂しさは感じていないんだ、エリスにとっての師匠は ナリアさんにとってのこの劇団なんだ

「この劇団のみんなが大好きなんですね」

「うん、大好き だから僕が夢を叶えるなら、この劇団がいいかな…」

夢か…、確か 嘆き姫に登場するエリス姫…王室にしか公演することを許されないという特別な劇でエリス姫の役を演じたいんだったか、何故エリス姫なのか 何故そうも求めるのか、気になるところではあるが そんなあれもこれも根掘り葉掘り聞きまくるのはよろしくないので これはまた機会を伺うとしよう

「よいしょっと…、ふう 粗方終わりましたね」

「そうだね、荷物も運び終わったし…そろそろ出発だと思うけれど」

荷物を載せて 馬に器具をつけて、もう出発できる準備が粗方終わる、いつもなら師匠と役割分担してやることを 今は五十人規模でやってるから馬車が多くとも準備にかかる時間はそんなに多くない

とくれば、あとはこの一団のリーダーたるクンラートさんが号令をかけるだけだ…が

「そう言えばエリスちゃん、さっき団長が呼んでたよ?、荷造りが終わったら来て欲しいって」

「クンラートさんが?、…何の用でしょうか…」

「多分、行き先についてだと思うよ?、エリスちゃん達のルナアール探しに 劇団のみんなは全面協力してくれるみたいだし」

本当、クンラートさんには頭が上がらないな、ついこの間出会ったばかりのエリス達が困っているからという理由だけでここまで全力で支援してくれるなんて、お人好し なんて言ってはいけないな

けど、ちょっと優しすぎて不安になりますよ

「じゃあ師匠も連れて行きたいんですが、…師匠どこにいるんでしょうか」

ふと、気になってレグルス師匠を探す、いつもなら師匠も荷物運びを手伝ってくれるが、今の師匠は小さな子供だ、実際のところ身体能力面はあまり落ちてはいないようだが、あの体で無理に手伝わせるわけにはいかない、という事で荷物運びは手伝わせていなかったんだが…

近くに見当たらないな、まさか迷子?いやいや 流石に師匠に限ってそれはないだろう、本物の子供じゃないんだから

「レグルスちゃんならあそこにいるよ、ほら」
 
と言ってナリアさんが指差す先には5~6人の小さな子供の一団が見える、全員が5歳6歳くらいの小さな子供…その中心にいるのは間違いなく師匠だ、何やってるんだろう

「あの子供達は?」

「あれもうちの劇団の一員だよ?」

「あんな小さな子供まで!?」

「はい、団員の子供や事情で親を亡くした孤児、そういうのをまとめて面倒見てるんだ クンラート団長は」

どこまで面倒見いいんだあの人、もう一つの劇団の域を超えてるな…、なんて思いながらも師匠を迎えに子供の一団に歩み寄る…

「おいお前!、お前この間入った新入りだろ!、僕の方が先輩だからな!、ケーゴ使えよ!」

と、何やらやんちゃそうな子供の声が聞こえてくるではないか、差し詰めクリストキント子供組とでも言おう面面が小さくなった師匠を同年代と見て仲間に引き入れに来たんだろう

言い方はあれだが、あれもあの子達なりの歩み寄り方なんだろうな

「分かったら返事はハイだぞ!」

「断る」

しかし師匠、大人げないですよ…

「おま…、お前!何歳だよ!僕6歳だぞ!」

「ほう、旅に出た頃のエリスと同じ歳か?、お前くらいの歳の頃のエリスはもう少し利発だったぞ?」

「エリスって…お前のねーちゃん?、リハツってなんだ?強いのか?」

「姉ではないが、まぁそうだな そう見るといい、エリスは五歳で盗賊と戦い 六歳で元宮廷魔術師に勝ち、7歳でアルクカース継承戦に身を投じた、控えめに言ってもあの年代では最強格だろうな」

そんなぁ 師匠ったらもうぉ、べた褒めじゃないですかぁ、師匠はあんまり弟子自慢をする方じゃないから こうして師匠の評価を聞くのはまあまあ珍しい気がする

でも最強格かは怪しい、同じ年代にはデティやアマルトさん ラグナやバシレウスがいる、強豪ひしめく凄まじい世代だ、そんな中でエリスがいつまでついていけるか ちょっと不安なところはある

「よく分かんないや、お前は強いの?」

「今は力を封じられてはいるが…、まぁお前らよりは」

ちょっと師匠…、もしかして大人の余裕も封じられてますか…

「な なんだとう!、喧嘩するか!僕強いんだぞ?」

「ハッ、やめておけ 泣き目を見るぞ、それに今の私はエリスに迷惑をかけるわけにはいかん、子供を泣かせたとあればエリスに失望されて…っと」

何を考えたか 或いは考えていないか、師匠の挑発的な口ぶりが頭に来たのか子供達のリーダー格的なやんちゃ坊主があろうことか 師匠に手を出したのだ、恐らく 乱暴で通っている子なのだろう

こういう新入りにはまず拳で分からせなければならないと幼きながらに理解しているんだ、がしかし相手が悪い ああなっても師匠は魔女 子供の一撃をもらうわけもなくスルリとそのテレフォンパンチを避けると

って!何師匠も拳作ってるんですか!

「はい!、そこまで!」

と 子供達に向けてパンっと手を打ち 騒動を諌めるナリアさん、その音に驚いて子供達も動きを止める…

「な ナリアにーちゃん」

「もう、ニック?先輩なら威張るんじゃなくて 優しくしないと」

「ご ごめんなさい」

「師匠?、師匠も落ち着いて…」

「すまん、つい癖で反撃の姿勢を取ってしまった、反省する」

ナリアさんは子供達を諌め、エリスもまた師匠の手を取り その動きを止めさせる、ここで師匠が殴ってたら 弱体化しているとはいえ怪我をさせていただろう

何せ、師匠の体には染み付いているんだ、どうやって殴れば人が悶絶するか その知識が、それは弱体化し 力が失われても消えることはない歴戦の証、それを子供相手に振るうのは良くない

「みんなに優しく みんなと仲良く、それがクリストキントの唯一の掟でしょ?、ニックも先輩なら レグルスちゃんにそれを教えるくらいじゃないと、ニックはみんなのリーダーでしょ?」

「う…うん」

「師匠…少し大人げなかったです」

「分かっている、これは体のせいにするつもりはない、後で謝罪しておく…しかし」

子供達にお説教をするナリアさんを尻目に チラリと師匠がこちらを、エリスの顔を見る…

「こうしていると昔を思い出すな」

「昔?」

「似たようなことが昔あったろう、お前が村の子供と喧嘩して それを私が止めた」

「ああ、クライヴですね…」

そう言えばそうだ、ムルク村にいる頃 まだ師匠の下で修行を始めて間もない頃だ、村の子供 クライヴ達が駆けっこで遊んでるところに割り込んでエリスは圧勝した

だけならまだいいものの、当時のエリスは負けを認めないクライヴに対して、そりゃあもう失礼なことを言ったんだ、そして 最悪殴り合いの喧嘩に発展しそうなところを師匠が止めてくれた

丁度今のような構図だ、懐かしいな

「当時は私が止め 今はお前が止めた、弟子の成長を感じるよ」

「いえそんな…」

なんだかんだ言っても師匠は大人だ、今は子供だけど 本当は大人だ、いつもの状態であんな口を聞かれても いつもなら聞き流していただろう、今だから エリスは師匠を止められただけだ

「フッ、…せっかく弟子が成長したんだ、わたしも情けないところは見せられないな、もうあの様な行動は控えよう」

「お願いします、でももし手を出されたら言ってください、エリスが代わりにやるので」

「その方がまずいだろう」

でもエリスだって師匠に手を出されて黙ってられるほど、まだ大人じゃないんだ、流石に子供相手に本気でぶちかましたりするわけじゃないが……

灸は据えるつもりだ…

「ねぇえ?、いーい?」

「ん?」

「おや?」

ふと、エリスに…いや 師匠に声がかかる、子供達の一団で一際小さな女の子、齢は5歳と見た

ボロボロのニワトリのぬいぐるみの首をホールドするが如く強く抱きしめる三つ編みの女の子が何やらおずおずそわそわと師匠を見つめながら話しかけてくる、…今の光景を見て声をかけてくるとは この子大物か?

「なんだ」

「あなた、レグルスちゃんっていうの?」

「そうだが…なんだ」

「レグちゃんって呼んでもいい?」

「ダメだ」

「えへへ、レグちゃん あたしリリア!、これでおともだちね!」

「何故そうなる…っておい!、抱きつくな!わたしの話を聞け!!」

何やらリリアと名乗る少女がいきなり師匠の友を僭称し剰え師匠の胸元に抱きつくのだ、そこはエリスの場所なのに…、い いやここで引き剥がすのは大人げない 大人げない、落ち着けエリス

「その子はリリア、クリストキント子供組この紅一点でみんなの妹なんだ、多分 自分以外に同年代の女の子が来てくれて嬉しいんだと思うな」

「なるほど、師匠…」

「分かってる、…無碍にはせん」

「ねぇねぇ!遊ぼう?レグちゃん!」

「レグちゃんはやめてくれ…」

本当は同年代では無いが、それでも師匠も暫くはこの姿でこのクリストキント旅劇団に属することになるんだ、子供の姿でいる以上 子供には絡まれると思うから 上手く対応して欲しい…

まぁ、師匠なら大丈夫だろう、何せ師匠はこの世で一番優しいから

「おーい!!、エリスちゃーん!ちょっといいかー?」

すると、遠方からエリスを呼ぶ声がする、この雄々しい声は…クンラートさんだ、って やべ…師匠を連れて行くつもりだったが思いの外時間を食ってしまった

しかも師匠は今子供に絡まれている、ここで師匠を引き剥がすのはそれはそれでまた一悶着ありそうだな…

「エリス、構わん わたしは子守をしながら子供達を馬車に誘導しておく、お前はクンラートに話をしに行きなさい、どうせ今後の予定とかだろう」

「でも…いいんですか?師匠抜きで決めてしまって」

「構わんと言っている、わたしがこんな姿になってしまったのは想定外だが、ある意味丁度いいとも言える、このエトワールの旅は君が主導権を取るんだ」

つまり、動けない師匠に代わり エトワールを旅しろというのだ、クリストキントと共に動くならそれで良し 別れる決断をしたならそれで良しと、師匠は旅の選択全てをエリスに委ねると言ってくれる…

緊張するが、出来なくはない エリスだって単独で動いたことがないわけじゃない、任せてくれるというのなら 上手くやろう

「分かりました、お任せください 師匠」

「ん…」

リリアちゃんに抱きつかれる師匠に頭を下げて踵を返す、向かう先はクンラートさんの待つ馬車の付近、やや早足で歩きつつ頭の中では今後の予定の優先順位を考える、エリスはつい先日 優先順位を間違えたばかりにヘレナさんとの連携を失ってしまった

正直痛手だ、だからこそ 今度は優先順位を間違えないようにしないと…、なんて考える間も無く エリスの足はクンラートの待つ馬車と馬車の間に作られた空間にたどり着く

遠目では分からなかったが、数名の人間がクンラートさんと共に地図を開いてあれこれ話し合っている

「すみません、遅れました」

「いやいいさ、ただ エリスちゃんを主体として動きを決めていきたいからね、悪いが急いで呼ばせてもらったよ」

うう、これは遠回しにクンラートさんに怒られているのだろうか、お前のためにやってるんだからお前もしゃんとしろと…、斜に構えすぎか?いや お世話になる身なのだから多少深刻に捉える方がいいか

「はい、ありがとうございます」

「よし、早速エリスちゃんも来たことだから 早速次の移動先を決めていきたいが、まず最初に言っておく 、みんな知ってると思うが我らクリストキント旅劇団はエリスちゃん達の為に怪盗ルナアールを追うこととなった」

地図を見て話し合う団員達に向けて発表するように宣言するクンラートさん、団員達もそれは周知の上と軽く頷きながらエリスの方を見てくれる

「ありがとうございます、エリスと師匠の為に…」

「いやいや、ただ 此方にも得がある話だったのは覚えているね?」

「はい、ルナアールが見つかるまで エリスはこの劇団の一員として働くのですよね」

一応今回のこれは契約という形になる、クンラートさんはルナアール追跡を手伝い エリスはクリストキント旅劇団の活動を手伝う、何方も同時にこなせるが故に成立するトントンの関係、それがエリスとクリストキントの関係だ

「正直エリスちゃんに入ってもらって安心なところはある、ジョセフが抜けた穴を埋められる即戦力なんてのは中々いないからね、そりゃうちの団員に任せられればそれが一番なんだろうが…うーん」

「何か…あるんですか?」

「いや、あんまりこういう事言いたくはないが うちの劇団のヒロインはナリアで固定なんだ、けど なまじナリアの容姿と演技力が凄まじすぎるのもあって 主演に下手なのを置くと返って悪目立ちするんだよな」

なるほど、この劇団はどうやらナリアさん一強と言ってもいいほど 彼のレベルが高いらしい、まぁあれ程までに命をかけて舞台に打ち込む彼のことだ、その実力も推して知るべしだろう

だからこそ、釣り合いが取れないと…って

「エリスでは釣り合いが取れてるんですか?」

「悪くはない、だがまだナリアに引っ張られてるところがある、精進してくれ」

ああ、やっぱりか、いやまぁこの間演劇の世界に入ったエリスがナリアさんレベルの演技がいきなり出来るようになるとは思えない、ここはクンラートさんの言葉を真摯に受け止めよう

「まぁそれはそれとして、俺たちはこれから街に移動する度 ルナアールの情報を手分けして探してみることにする、うちには噂好きな団員も何人かいるからな」

「ありがとうございます、エリス達だけでは情報収集にも限界があるので」

「ああ、そして 差し当たっての移動先だが…エリスちゃんの意見をまず聞きたい、エリスちゃんはどこに行きたい」

といきなり地図を渡される、どこにっていきなり言われてもな、エリスはまだこの国に来て三日四日しか経ってないわけだし…、いや、ここで何もないと言えばクンラートさん達が勝手に決めてくれるんだろうな

飽くまで優先発言権をエリスが持つだけで、決定権はエリスにはないわけだし、なら 言いたいことだけ言っておこう

「そうですね、差し当たって何処へと言うのは今はありませんが、エリスとしては一度この中央都市に向かっておきたいです」

と言いながら指差すは地図の中心、この国の中央都市 『王都アルシャラ』だ

「ほう、理由を聞いてもいいか?」

「はい、実はエリス 皆さんと出会う前に姫騎士ヘレナ様と行動を共にしていたのですが、情報共有が上手く出来なくて…、出来れば彼女と再会して状況を共有し 協力を取り付けたいんです」

あと、エリスの銀飾りを守れなかったことへの謝罪かな?、ともあれ このまま顔を出さないとエリス達はルナアールと共に消えた怪しい人物ということになってしまう、下手な誤解をされるよりも前に ヘレナさんの前に顔を出しておく方がいいだろう

「ヘレナ姫と…そりゃ、また大層な知り合いがいたものだな」

「あはは…、偶然でしたが知り合えたので、それに彼女もルナアールを追ってるみたいでしたから、連携出来れば心強いかと」

「そうだね、ならそうしたいが…ううむ、難しいな」

と言いながらクンラートさんは王都アルシャラへと目を向ける…いや、目を向けているのはアルシャラと此のフェロニエールの街の間に跨る巨大な平原の方か

「難しいですか?、この平原を抜けるの…」

「難しいね、…エトワールでの移動の基本というのはね、街と街を結ぶラインとも言える道を通って移動するのが基本なんだ」

「なんでですか?」

「平原はブリザードが吹く可能性があるからだ、もし平原のど真ん中でブリザードに襲われたら終わりだ、だから最悪ブリザードが吹いてもすぐに街に逃げ込める街道を進む必要がある」

なるほど、いわゆる吹雪だ…圧倒的冷気が雪と突風を伴い襲い来る自然現象、もし なんの遮蔽物のない平原でブリザードに襲われれば 即ち死、だからエトワール人は網目状に張り巡らされた街道を使って旅をする

しかし、参ったことにこの街から王都に繋がる街道はないようだ、まぁフェロニエールの街自体エトワールの端にある街だから仕方ないが

…地図を見たところ結構な街を経由しなければ辿りつけないな、距離以上に長い旅になる

「そうですか…では、どのルートから王都に向かうのがいいでしょうか」

「なら…」

というと一人の団員が前へ歩み出る、まん丸の体と蓄えたお髭、温厚そうな丸眼鏡が特徴的ななんとも柔和な人物だ、それがエリスの手に持つ地図に指を這わせ

「なるべく人口の多い街を経由して移動しませんか?、人が多ければルナアールの情報も集まりますし、我等の仕事も見つかりやすいでしょう…この場合次の目的地はルクレティアの街がよろしいかと」

凄いなこの人、街の名前を見ただけで人口の多い少ないが分かるのか、多分この場に呼ばれたのもその豊富な地理知識からか、…いや もしかしたらこういう有識者を集めていつも劇団の行き先を決めているのかもしれない

「そうだな…、エリスちゃんはそれでいいかな?」

「はい、異論はありません」

「ではそのように移動しよう、よっし!全員持ち場につけ!いつも通りの手順で行動!、夜になる前に移動を始めるぞ!、次の目的地はルクレティア!フェロニエールより演劇好きの多い街だ!腕が鳴るな!」

パンパン!クンラートさんが手を叩けばそれが合図と言わんばかりにクリストキント旅劇団全員が動き始め それぞれが持ち場につき始める、エリスも旅には慣れているが、彼らはそれ以上のベテランなのだろう

師匠が頼れなくなって少し不安だったが、これなら あんまり気負う必要はなさそうだな、なんて思いながら エリスはクンラートさんから指示された持ち場に移動する

さ!、エトワールの旅の始まりだ!


……………………………………………………………………

エトワール…というより、雪がよく降るポルデューク大陸にてよく使われる乗り物 馬橇、馬車のような籠の下にソリをつけた物を馬に引かせるまさに車を橇にそのまま置き換えたかのような乗り物だ

大きな変更点があるとすれば、車体そのものよりもそれを引く馬か?、凄い違う 何が違うって同じ馬なのにソリを引く馬だけ別の生き物みたいにムッキムキなのだ

カストリア大陸にいる馬車馬はスラリとした速度の出るフォルムだったのに対し、この国の橇を引く輓馬はもう見るからにパワータイプ、アルクトゥルス様を馬にしたみたいなフォルムをしており、これがまぁ凄いことにスイスイ橇を引いていくんだ

そんなどデカイ馬が三、四匹で力を合わせて一つの橇を引く そんな橇が合計八つ、クリストキント旅劇団の大行進だ

総勢五十名にもなる大所帯をハ等分しそれぞれの馬橇に乗り込み移動するのだ、五十名もいるならもっと馬橇を用意すればいいのにと思うが、どうやら八という数字は魔女になぞられ縁起がいいとされているらしい

なので、縁起がいいと演技がいいをかけて二重に縁起がいいよねって事で、このエトワールではそういう願掛けが流行ってるらしい

まぁ カストリアに比べて自然環境が厳しいこの国では 願掛け一つ、あるのとないのとじゃ大違いなんだろう


「………………」

そんな馬橇の旅の中エリスは静かに手元の資料に目を落とす、今エリスはクリストキント旅劇団の馬橇にて次の街ルクレティアを目指し移動中だ、と言っても移動中エリスがすべき事はない、馬橇を動かすのは慣れた人が居るからその人に任せて エリスはその間お昼寝

というわけにもいかない、エリスはこれからクリストキントの皆さんの為に役者の一人としてやっていく必要があるんだ、だからまずすべき事がある 芝居の練習?小道具の把握?どれも大切だがそれ以前の問題だ

エリスが一番最初にすべきは

「…これで、全てですね」

手元にまとめられた資料、クリストキント旅劇団のメンバー達の名前と役柄 得意な事が纏められた名簿に目を通し記憶していたのだ

「凄いね、本当に一目見ただけ 一言言っただけで覚えちゃうんだ」

ほぇーとエリスの隣 同じように馬橇の中で腰を下ろすのはナリアさんだ、エリスにこの劇団に居る人達の名前と顔を教えてもらっていたんだ、何をするよりもまず一緒に行動する人間が誰なのか そこを理解しない限りエリスとクリストキントほ連携は上手くいかないだろうからね

因みにさっき地図を指差しルート選択してくれた丸眼鏡のオジさんはマリオさんという方らしく劇団の古参メンバーにして地理担当らしい

うん、これでメンバーの名前と顔は覚えた、しかしこうして劇団員を把握すると分かる事なのだが…

元冒険者 孤児 落ちぶれた元スター 偏屈な画家 歌えなくなった歌手…と、いろんな人達がこの劇団にはいる、この厳しい国で 一人では生きていけない国で 居場所を提供するようにクリストキントは存在するのだ

「…クンラートさんって優しいんですね」

「うん、関係ない人達はクンラート団長の事を甘いとか優しすぎるとかいうけどさ、僕はあの人より強い人を知らないよ、誰かに優しくするっていうのはとても難しい事で 誰かに優しくし続けるのはもっと難しい、それをずっと続けている団長は凄いんだ」

分かるな…身に染みるような話だ、いくら優しくしよう 優しくなろうと心掛けても優しい人間であり続けるのはとてもとても難しい、そういう意味では当たり前のように人に優しくするクンラートさんは凄い人だと分かる

そしてきっと、ナリアさんの優しさもクンラートさんから来た物なんだろうな

「この団のみんなはクンラートさんに助けられた人ばかりなんだ、…だからみんなクンラートさんの為に頑張ってるんだ、せめて助けられた分だけでもってね」

「なるほど…、ならエリスも頑張らないといけませんね」

そうだ、少なくとも命を助けられた恩の分は クンラートさんに返したいな…、なんて名簿を置いて馬橇の外に目を向ける、外は見たこともないくらい純粋な銀世界

この雪景色が ポルデューク大陸では常識として広がっているらしい、魔女様の気候支配や天候操作さえ貫通する自然の猛威、この大陸の旅はカストリア以上に大変そうだな

「ねぇねぇ、レグちゃん おままごとしよ?」

「何?ままごとか?」

ふと、背後から声が聞こえて振り向けばリリアちゃんの師匠が何やら話してるのが見える、八つの馬橇にそれぞれ八等分して50人の団員が乗っていると言いましたね?、実はその八等分にもそれぞれ区分わけがありまして

エリス達の乗ってるこの馬車は比較的若い 子供達だけの馬橇らしいんですよ、なぜ子供だけにしているか その理由は二つ、子供だけなら沢山乗れるからと大人と一緒だと怖がる子もいるからだ

そして、そういう子達の子守をずっとしてきたのは他でもないナリアさんらしいのだ

「わたしはままごとなどした事がない」

「おままごとした事ないの?じゃあおしえてあげる!」

クリストキント旅劇団にいる小さな子供で女の子なのはリリアちゃんだけ…、リリアちゃんは両親を事故で失った孤児…甘えられる相手のいない孤児なのだ

ナリアさんも女性的とはいえ女ではない、いくら子供だけとはいえ女の子はリリアちゃんだけ 、そんな中ようやく現れた同年代と思わしきレグルスちゃんの登場によりリリアちゃんは大喜びの様子

さっきから師匠にべったりだ……けど

「まぁ、付き合うだけなら付き合ってやる」

いいなぁー!師匠とおままごといいなー!、エリス師匠とそんな風に遊んだことなんて一度もなかったのになぁー!、羨ましい羨ましい…リリアちゃんのいる場所はエリスが居た場所なのに

エリスは大人げなくもリリアちゃんに嫉妬している、ああ 嫉妬しているとも…くぅ 師匠取られたぁ、いやだぁ 師匠ぅ…

「ん?どうした?エリス」

「いえ…」

なんて師匠にも言えず、エリスは物欲しげな目で師匠を見つめるしかない、あんな小さな子から折角の理解者を取り上げるなんて真似出来ない、けど…師匠のことを理解できてるのはエリスだけだと思ってたから、なんかこう お腹の上の方がモゾモゾする

「…お前もままごとするか?エリス」

「えぇ!!おねえちゃんも一緒におままごとしてくれるの!」

「えぇ~?いいんですかぁ~?師匠~ リリアちゃ~ん」

師匠からのお誘いに思わずデレデレしながらそちらに這っていく、えへへ 師匠とおままごとなんて嬉しいなぁ…

けど、師匠じゃないがエリスもおままごとなんてしたことないな、…こうして5歳くらいのリリアちゃんを見てると 昔を思い出す、…エリスがこのくらいの頃 こんなに愛嬌あったかな

「エリスさんがおままごとするなら、僕も一緒にやろうかな」

「ナリアおにーちゃんも!やったー!、じゃあエリスおねーちゃんはおかーさん ナリアおにーちゃんはおとーさん!」

「わたしはなんだ?」

「レグちゃんはわたしのおともだち!」

「わたしだけ家族じゃないのか…」

しかし、リリアちゃん…リリアちゃんは分かってないみたいですが、レグルス師匠の友達と言うことはあれだぞ?、この世界を統べる七人の魔女…スピカ様やアルクトゥルス様と肩を並べると言うことになるんだぞ?

…こんな小さな子が知らずのうちに七人の絶対者と同格になってしまった

まぁいい、それよりおままごとだ、大丈夫 流石におままごとのルールは理解しています、任じられた役割の通りに振る舞えば良いのですよね?、この場合エリスは母親役 リリアちゃんのお母さんでナリアさんの奥様だ

つまり 母親として振る舞えばいい

「えへへ、エリスおかーさん!」

「あ……」

お母さんと微笑みながら甘えるリリアちゃんに抱きつかれ、思わず固まり 動けなくなる、ルールは理解している おままごとなんだから、エリスは今リリアちゃんの母親なんだ

だから母親として、リリアちゃんの愛に応えなければならない…けど

(どうすればいいんだ…)

分からなくなる、母親ってどうすればいいんだ…この場合どうすればいいんだ、エリスはいつもこうやって師匠に甘える時 師匠はエリスの頭を撫でて応えてくれる、なら…頭を撫でるべきか…

「…エリス…おかあさん?」

「ッ……!」

リリアちゃんの…娘の頭を撫でようと手を伸ばした瞬間、痺れるように手が動かなくなる

フラッシュバックする、リリアを撫でようとする手が 師匠ではなく、別の人間の手が重なるんだ

『ごめんなさい…ごめんなさい、私を許して…このような世界に産み落としてしまった私を…ごめんなさい』

「あ…ああ…」

ハーメアの言葉が手が 蘇り己の手と重なる、あの暗き地獄で いつも謝りながら、産んでしまった事を謝罪しながら懺悔するハーメアの顔が蘇り 己と重なる

ダメだ、こんな手で娘は撫でられない、こんな手で撫でたら…

「うっ…」

「エリスさん!」

思わず目眩がしてふらついたところでナリアさんに支えられる、ダメだ 母親を意識し母親になろうとするとどうしてもハーメアが、あの地獄の日々が蘇ってしまう、何をどう言ったってエリスはハーメアの娘なんだ、最近ますますハーメアに似てきたこの顔が…より一層、ああ ダメだ 混乱する

「すみません、リリアちゃん…やっぱりエリス別の役でもいいですか?」

「え?…じゃあお父さん役は…」

「父親役…」

エリスにとっての父親は…あれだ、事あるごとにエリスに怒りをぶつけ殴りつけ憂さ晴らしに冷や水をぶちまけゴミを食べさせてくるあいつだ、ダメだなこりゃ いい父親役を演じられる自信がない

じゃあ妹役と言うと今度はステュクスの顔弟の顔が浮かぶ、…はぁ~ エリスはままごとの一つもこなせないのか、と言うかエリス 家族に対して悪感情を持ちすぎだろう

「………………」

「エリスおねえちゃん?」

「すまんな、エリスは少し 複雑な家庭環境に居た事もあって、その件が脳裏を過るのだろう」

「すみません…」

「いいんだよエリスさん、でも…記憶力がいいって言うのも いいことばかりでなくないんだね」

大丈夫?と言いながらナリアさんはエリスの肩を リリアちゃんはエリスの膝を撫でてくれる、情けない あまりに情けない、ままごとを邪魔した上に慰められるとは 死んでしまいたいくらい情けない……

この記憶力の恩恵は大きいが、その分損も多い…こういう時 嫌な記憶が溢れて動けなくなったり、昔のことを水に流せなかったり …本当に嫌になる

はぁー、ごめんなさいこんな面倒な女みたいな本当にごもんなさいあああ


「気楽なもんだな、女子供は…」

「ん?」

ふと、エリスが心の中でメソメソ泣いていると、馬橇の壁際から 何やら声がする、誰が気楽なもんか、エリスは辛いんです!って宣言して回るわけじゃないが 、エリスの一件を差し引いたって誰一人として気楽に生きてる人間なんかこの場にゃいやしない

ややムッとしながらも声のする方を見れば

「女子供が集まるとこれだから嫌だぜ」

と、…周りの子供達よりは些か年上で ナリアさんより年下のなんとも面倒そうな年頃の男の子が片膝立てながらやれやれと首を振っている

「ヴェンデル?そんな言い方ないんじゃないのかな」

「ふんっ、男女は黙ってろよ」

ナリアさんに対して生意気な口を聞くのはヴェンデル…、ヴェンデル・ブレイク 年齢は14、所謂家出少年で立派な役者になると宣言して家を出たにも関わらず路頭に迷っているところをクンラートさんに拾われた 子供組でナリアさんに次ぐ年長さんだ

と、頭の中で先ほど暗記したプロフィールを再生するが、なんとも…実物を見ると面倒そうなのが伝わってくる、彼の人格がではない、この年頃の男の子はみんな面倒そうなんだ 思春期とでも言おうか 反抗期とでも言おうか

まぁ、彼がエリス達 いやエリスに対して嫌味な口を聞くのは性格の問題ではなく、ちゃんとした理由があるわけだが

「おいお前、エリスとかいう奴」

「はい、なんですか?」

「オレはお前を認めてないからな、いくら団長がこの劇団に迎えるって言っても 急に現れて我が物顔で居座るなよ」

彼は役者だ、こんな年齢だが一応役者として舞台に立っている、ナリアさん曰く少し堅いところはあるが立派に一人の演者を務めているそうだ、そして…彼はジョセフの次に主演に近い位置にいたと言ってもいい男

つまり ジョセフがいなくなれば繰り上がり的に彼が主演の位置に収まってもおかしくなかったし、彼自身主演の座を狙っていた、のに そこでいきなり現れたエリスが主演を掠め取ったのだ、そりゃ気に入らないよな

「ねぇヴェンデル…、もしかしてこの間の公演の事 怒ってるの?」

「…当たり前だろ!、なんでオレじゃなくて こんな何処の馬の骨とも知らない奴がオレの代わりに主演やったんだよ!」

「そうは言っても、ヴェンデルは別の役が決まってたし…、それに公演まで一時間もなかった、あれから直ぐにヴェンデルに声をかけても台本なんか覚えてる時間は…」

「オレだって主役のセリフくらい覚えてた!!」

…あの時は、良かれと思って主演の代役を申し出たが、確かに無理に主演と言わず別の穴を埋める形でもよかったかもしれないな、…そういう部分を慮れなかったのは事実だ

「すみません、ヴェンデルさん」
 
「ふんっ!、知るか!」

そういうなり彼は腕を組んでそっぽを向いてしまう、謝られて納得できることではないか、参ったな…でも『エリスはやはり邪魔みたいなので劇団を去りますね』とも言えない身の上だ

悪いとは思いつつも、彼にとっては邪魔であろうとも、エリスは劇団を去らないし 不甲斐ないながらも役者としてやって行くつもりだ

「……ふんっ、次の公演は絶対オレが主役になってやる」

ムスッとあからさまに不機嫌な態度を醸し出すヴェンデルさんに場の空気は冷気以上に凍りつき、もう無駄話とか遊びとかそんな空気ではなくなってしまう

…かと言って今更声をかけて謝ったり宥めたりしても逆効果だろうし、今はそっとしておくとしよう、何か 上手い解決策を思いつければそれでいいんだが……

なんて、冷え冷えとした空気の中 馬橇は進み…、次の街へと進んでいく……

「……ふむ、ヴェンデルか」

そんな中、ポツリと 横目でヴェンデルさんを見つめる師匠の目線に、エリスはこの時 気がつくことが出来なかった

…………………………………………………………

フェロニエールの隣町 ルクレティアの街にクリストキント旅劇団が到着するなり、クンラートさんは劇団員を集めて こう発表した

「次の公演はまだ未定だが、今後はエリスちゃんにジョセフの代わりとして主演をやってもらうことにする」

そう発表するのだ、周囲の劇団員は特に何も言うことはない 主演だろうが助演だろうがモブだろうが、与えられた役があるならそれを全うするだけだと言わんばかりに軽く頷く…

それはエリスも同じだ、不肖ながらも任せて頂けるなら 全力で取り組もうと、思っただろう…少し前までなら

じゃあ今はなんと思うか?…それは

(タイミング最悪…)

最悪のタイミングだ、さっきの移動中あった出来事を考えるなら 最悪のタイミングでの最悪の発表、そしてエリスの想像通り 異議を申したる声が響く

「なんでだよ!団長!」

ヴェンデルだ、もうそりゃあ怒り心頭と言わんばかりの顔で怒鳴り声を上げてクンラートさんに食ってかかる、さっ次の公演の主役はオレだと宣言した後でのこれだ、そりゃあ文句も言いたくなるか

「ヴェンデル…、お前が主役をやりたがるのは分かるが、いつも言っているがお前はまだ若くて…」

「こいつとだってさして変わんないだろ!、背丈だってあんまり変わらない!、なのになんで素人のこいつが選ばれてオレが選ばれないんだよ!」

グッ!グッ!とさっきからすごい剣幕でエリスの方を指差してくる、まぁ それはそうだよな、エリスは別に主役以外やりませんと公言してるわけじゃない、なんなら譲って エリスは別の役でもいいくらいだ

けど、それでもクンラートさんはエリスを指名するのだ、何故か…

「別に年齢や背丈の大きさだけの問題じゃない、それにヴェンデル お前には別の役がある」

「嫌だ!オレは主役以外やらない!、折角ジョセフがいなくなって主役の座が空いたかと思ったら…こんな、いきなり入ってきた邪魔者なんか贔屓して」

「別に贔屓するつもりはない、そりゃ当然 俺の見立てが間違ってると感じたらエリスちゃんだって主役から降ろすつもりだ、だけど彼女には先日の公演をやり通した実績がある」

「チャンスをもらえなきゃ実績も何も無いだろ!」

「だから その機会はちゃんと与える、だが今じゃ無いだけで…、そんな焦って主役を目指す必要はないんだ」

「もう…もういい!!」

ヴェンデルは怒号一つ響かせると共に走って馬車の中に駆け込んで行ってしまう、…ううん やっぱり邪魔者なのかな エリス…

「はぁ…上手く伝えられないな、まぁいい ヴェンデルとはまた折を見て俺が話をする、みんなは街へ散って 仕事を探してきてくれ」

クンラートさんが取り敢えずの方針をいくつか発表し、劇団は行動を開始する、何はともあれ仕事を取ってこない限り劇も何もない、劇団員達は馬車から荷物を持ち出しゾロゾロとルクレティアの街へと移動していく…

エリスも行くべきか?と みんなについていこうとすると

「あ、エリスさんはいいですよ?仕事探しに行かなくても」

「え?いいんですか?」

つまりエリスは仕事もしなくていいと?、それは流石に特別扱いがすぎないか?なんて感情が顔から滲み出たのか 、エリスの顔を見たナリアさんがはたと口を開き

「別にエリスさんを特別扱いしてるんじゃないよ?、ただ仕事を取ってくるのは慣れてるみんなの方が上手くいくし、何よりエリスさんはまず仕事よりも劇の練習をしたほうがいいかなって」

なるほど、そう言うことか、エリスはどこまで言っても劇団初心者だ、街へ行き営業すると言うのにも慣れていない、もしそこで失礼なことをして不評を買えば この街での仕事もままならない

故に、慣れてないことをさせるより まずそもそも劇そのものに慣れてもらわないと ってことだ

「なるほど、分かりました…でも」

でも、うん でもだ、さっきの一連のやりとり ヴェンデルさんとクンラートさんのやりとりを見せられて、さぁ主役頑張るぞとはなれない

「…あの、なんだったらエリス 主役じゃなくてもいいです、主役はヴェンデルさんに譲って エリスは…」

エリスが主役をやることでヴェンデルさんが怒り、劇団に亀裂が入るくらいなら、エリスは主役じゃなくてもいいんだ、その旨をナリアさんに伝えようと ポツリと呟いたら…

「エリスさん…!」

ビクッと肩を揺らしてしまう、ナリアさんのエリスを呼ぶ声があまりに恐ろしかったから、そう 怒りのこもった諌めるような声 そして視線がエリスを貫く

「な ナリアさん?」

「エリスさん、それは言っちゃいけないよ 絶対、もらった役を他人に譲るなんて絶対言っちゃダメ、不測の事態で役が転がり込むことはあっても お情けとか申し訳なさから他人に役を譲るなんて 役者が一番やっちゃいけないことなんだ」

「そう…なんですか?、でも ヴェンデルさんはあんなに主役をやりたがっていますし」

「そりゃみんなやりたい役をくらいあるさ、でも 宣言したからって誰かがくれるものでもない、やりたい役があるなら実力と実績で勝ち取るのがこの世界の掟なんだよ?、ヴェンデルは選ばれなかった エリスさんは選ばれた、その意味を 二人ともきちんと理解するべきなんだ」

そう言われて、何か ナリアさんの言葉が胸に突き刺さるような感覚を覚える、勝ち取るのが舞台という世界の掟か

…言われてみればその通りなのかもしれない、もし そんなお情けで役をヴェンデルさんに譲って、果たして彼はそれで納得するか?、彼だって役者の端くれだ ワガママで譲ってもらった役を純粋な気持ちで演じることなんて出来ないだろうし、恥を感じなければ役者ではない

選ばれなかった人間のすべきことは次選ばれるように努力すること、選ばれた人間のすることは選ばれなかった人間に勝る存在であると言うことを 舞台で観客に知らしめること、どちらも 鍛錬は欠かさない…

「クンラートさんは何も考えずに役を割り振る人じゃない、エリスさんに感じるものがあったから選んだの、だから そこは分かってあげて」

ナリアさんやクンラートさんがいくら優しくても、それを仕事である演劇にまでは持ち込まない、寧ろ 劇に関しては無常とも言える程に厳しいのだ…、何故なら彼らは 演劇でお金を貰う 、所謂 演劇のプロなのだから

「すみません、エリスがバカでした」

「いやそこまで言わなくても、分かってくれたならそれでいいよ」

演劇の世界か、劇とは美であり 美の鑑賞とはどこまで言っても娯楽の域を出ない、ただそれは見る側の話であり、作る側 つまり役者達の世界とは、エリス達が想像しているよりもうんと厳しいものなのかもしれないな…

「よし、分かってくれたなら お稽古だ!、言っておくけど僕は稽古に関しては手を抜かないよ、甘えも 妥協も無し、やるからには完全完璧 それがプロの仕事だ」

「はい、お願いします」

「ではまず台本から」

そう言っていくつかの台本を取り出しエリスに渡してくるナリアさん、これは…多分この劇団オリジナルの演目だろうか、この間やったシャンバルとフェリスもある、…オリジナルってことは劇団の誰かが書いてるんだろうけど 誰が書いてるんだろう

「まずこれ全部!暗記して!」

「あ、はい分かりました」

多分、普通ならこれ全部ですか!?と反応すべきなんだろうけど、別にエリスにかかればこのくらいならすぐに終わる、パラパラ台本を捲るだけで丸暗記は可能だ

「…あの、ナリアさん?」

「何?エリスさん」

「台本覚えながらなので、少しお話いいですか?」

「あんまり良くはないけど、いいよ」

「この台本を書いてる人って、誰なんですか?」

用意された台本を見ながら思う、これ 全部どこかで見たことのあるような内容ばかりだ、シェンバルとフェリスは悲恋の嘆き姫エリスのまんまだし、他のもエリスでも知ってるような有名どころと構成が似ている

はっきり言おう、パクってない?

「あー、一応 うちの劇団お抱えの劇作家が書いてるんだけど、何か気になるところでもあるのかな」

「はい、なんか どっかで見たことあるような話ばかりだなと」

「正直に言うね…、でも実際そうだよ、その台本を書いたのはうちの劇団員 リーシャさん、劇団唯一の作家だよ」

リーシャ、ええと そんな名前名簿にあったな、確か元小説家 現劇作家の女性だったはずだ、他の人達のように拾われ ってわけじゃなく、クンラートさんにその腕を見込まれてのスカウト と言う形での加入だったはずだ

つまり、元々小説家としてそこそこ大成していた人物、それがこんな…名作の焼き直しみたいな作品を書いているのか、なんて言うのは 口が悪いかな

「元はね、あの人もオリジナルの台本をよく書く人だったんだけど、…ちょっと色々あってね、今はこう言う 外れのない台本をよく書くようになったんだ、まぁ それが悪いこととは言わないけれどね」

まぁ確かに、劇団唯一の作家ならその責任は重い、なんせ どれだけ役者が頑張っても台本が大外れじゃ意味がない、当たりは無くとも外れなければそれでいいか、安易な事を言ってしまった

「ん……」

ふと、視線を感じる こちらを凝視するような そんな粘つく視線だ、何処のどいつだと視線を左右背後に走らせるが見当たらない、隠れているのか?…だとしても無駄だ 魔視眼を使えば

「エリスさん、余裕だからって流石に余所見は…」

「あ、すみません…でも、誰かに見られていたようで…」

「誰かに?、ってエリスさん視線が感覚で分かるんですか?」

「逆に聞きますけど分からないんですか?」

「…分かんない…」

分かんないのか、それだと不便ですよ 視線が読めれば急な不意打ちに対応出来るし、何より高速戦闘では相手の手を見てから行動していては間に合わないから 相手の視線を感じて動かないとあっという間に死んでしまう

だからこそ、分かる 先程の視線は隙を伺うよなものではなく、観察するような視線だ…誰だ?、劇団の誰かか? 周りを見ても馬車の群れがあるばかりで人影は見えない

「まぁ、敵ではないので大丈夫だと思います」

「し 視線だけで敵かどうか分かるんだ…、エリスさんもしかして 強い?、この間レグルスちゃんが5歳で盗賊倒したとか言ってたし…」

「そんなに強くないですよ、五歳の時倒したって言っても5、6人ですし、それより台本読み終わりました、お稽古お願いします」

「5、6人…う うん、分かった!容赦しないよ!」

「望むところです!!」

グッ!と両拳を握りしめ気合の構えを取るとビクッとナリアさんにビビられる、そんな怖がらないでくださいよ、エリスはいきなり激情して襲いかかったり………したことあるけど

それでもナリアさんにそんなことはしませんよ、と言うかもうそんなことしません、ピエールさんの一件で思い知りましたからね

なんてことを思いながらエリスはナリアさんと共に、寒空の下の無人の劇場で二人 芝居の稽古へと乗り出す、少しでも…ほんの少しでも 役者として彼らの役に立てるようにと

「……ん?」

そんなエリスとナリアさんを差し置いて、一人静かに観覧する師匠がふと、目を後ろに向ける、いくらこの体が弱くなろうとも 研ぎ澄まされた感覚は誤魔化されない…

レグルスが目を向けると同時に、馬車の影からこちらを伺う人影が慌てて隠れるのが見える

「ふぅ、やれやれ…、思ったよりもこの劇団は 曲者が多いようだな」

悪人ヅラのお人好し団長 、男でありながら姫を目指す若役者 、自尊心ばかり肥大化した小僧、そして 挨拶の一つすらせずこちらを覗き見る不審者…か、お次は何が飛び出してくるやら

と肩を竦め 再び弟子の芝居の稽古に目を向ける、何はともあれ エリスが直面する問題は 殊の外 、多そうだ

………………………………………………………………

「はぁ…はぁ…はぁ」

エリス達の稽古する雪原の少し離れた地点、クリストキント旅劇団の馬橇の駐屯地、その橇の影に隠れるように 白い息を興奮したように何度も吐き出す影がある

「マジ、あれマジ?マジだとしたらマジじゃんマジヤバじゃん」

影は興奮したように丸い眼鏡をクイと掛け直し口に咥えたタバコが灰を落とす、あの金髪の少女…確か聞いた話じゃ先日劇団に入ったエリスとか言う少女だったか

エリス…確かそんな名前の旅人がいるなんて噂話をどっかで聞いたことあるがそんなことはどうだっていい

問題はあの子がウチの劇団に入ったと言うことだ、ああ なんてことだ、なんてなんてことだ

これはまずい とてもまずい、あんなのが入ったならそんな…こんな…嗚呼

終わりだ、なにもかも終わりだ…全て、全て全て 終わりなんだ

エリスを見つめる黒い影は白い息を吐きながらワナワナと震える、迫る死神の鎌に怯えながら
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