孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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八章 無双の魔女カノープス・後編

245.魔女の弟子と史上最強の力

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帝国アガスティヤX地区 それは、魔女時代始まって以来の激戦の舞台となり、青々と広がっていた芝生は消え去り、辺り一面に痛々しい岩肌のみが広がる惨憺たる光景のみが広がっていた

その戦場のど真ん中で相対するのは有史以来最強のマッチカード

世界最強の魔女 カノープス

史上最強の魔女 シリウスの両名がぶつかり合っていたのだ

その戦いの最中、漸く 八千年間つけられなかった決意 『愛するレグルスを殺す』という決意を固めたカノープスは宣言する

己の臨界魔力覚醒の発動とこの時のために作り上げた 全てを終わらせる対厄災決着機構 『ヘレネ・クリュタイムネストラ』の起動を

それを前に、シリウスは

「漸くやる気になったかいのう、まぁ なんでもええが」

パキポキと首の関節を鳴らす、漸くカノープスが本気になった事で切り札らしい切り札を使うようだ

シリウスはかつてカノープスに魔術を教え育てた身にして、その後敵対し鎬を削った仲だ、カノープスと言う人間のスタイルを知り得ていると言っていい

カノープスは確かに八人の中で最強と言っていい、だがその戦闘スタイルはレグルスやアルクトゥルスのような猛攻怒涛の出たとこ勝負タイプではない、事前に準備をし 周到に用意を固め、万全と盤石 そして必勝が揃った時にしかマトモに戦わん女じゃ

故に最強なのじゃがな、まぁそれは良い 問題はカノープスがワシを殺すために何を用意しておるかワシが知り得ていない所にある

奴のことじゃ、ワシを …レグルスを殺せるだけの物を用意していて然るべきと考えるべきじゃろう、物も用意出来てないのに殺せる気になって葛藤する程せっかちでもないしのう

故に、こうして今ここにワシは立っておるわけじゃが…、はっきり言って凄まじいリスクと言ってもいい、じゃが それだけのリスクを負ってでもカノープスと帝国の限界を調べる必要があるのじゃ

カノープスがいくら甘ったれでも、ワシが完全復活した後に纏めて盤面をひっくり返すだけの力を持っておることに変わりはないのだから

(逃げる算段と用意は既に済ませてあるしのう…、『アレ』が間に合うかは微妙なとこじゃが、そこはまぁ 愛と勇気と持ち前のしぶとさでなんとかするかのう)

向こうが時間をしかけてくれるなら好都合、今後の戦況を見極める為にも最たる敵対者の手札は一枚でも見ておきたいとシリウスは割り切り、拳を鳴らす、さぁて ここから本番じゃな

「『ヘレネ・クリュタイムネストラ』…か」

魔装とやらが何かは聞き及んでおる、魔力の動きを道具に記憶させ 使用すれば本人の魔力極々小規模に抑え魔術と同等の効果が得られると言うもの、ディオスクロア王国の遺産が まさか帝国という国で進化しているとはな

しかし、レグルスの脳に刻まれた記憶を元にワシが考えるに、さしたる脅威には思えぬな、事実レグルス自身 『玩具と変わらない』と評価を下しておる、レグルスにとって玩具ならワシなら塵芥も同然

それを切り札に持ってくるか、くく 面白い…やはり一目見る判断は正しかったか

「では…、我が舞台を作る、三将軍 準備は良いな」

「あ、ワシはええよ~」

「貴様には聞いとらん!、ルードヴィヒ!」

「はい、準備ならば遠に…、軍服に身を包んだ時より 出来ております」

「よし…ならば」

カノープスが目の前に手を突き出せば、大地が震え 空間が歪む、光は捻じ切れ闇が蔓延り紫電として可視化された魔力が地面を這い 暗雲立ち込める天に轟き、世界がドンドンと間延びしていく

やるか、臨界魔力覚醒… 己の世界を表出化させ現行世界を押し飛ばし周囲の人間ごと自らが支配する魔力事象世界に引きずり込む奥義、カノープスもいよいよ本気か

「永劫なりし問い、汝 魔道の極致を何と見るや」

カノープスが口遊む、詠唱ではなく されど詠唱にも似た問い、それは魔を修め 魔道を征く者達にとって究極の問いかけであり、目指すべく答え

誰もが疑問に思い 誰もが答えを出せぬまま死んでいく、そんな中鍛錬の果て ほんの一握りの 最強と呼ばれる者達が持つ答え、それを持つ者達にのみ許される至高の領域を完成させる為 カノープスは世界に対して返答を行う

「永劫の問いかけに、我が生涯、無限の探求と絶塵の求道を以ってして 今答えよう」

魔女は…第四段階に至った者は誰もが答えを持つ、答えを持たなければ第四段階とは言わない

答えは、皆それぞれ違う、答えは人間の数だけ存在する 故に皆返答の仕方は違う、ある者は『無窮の鍛錬』こそが極致であると答え、ある者は『無限なる慈愛』と答える

レグルスは確か『渺茫たる深淵』という答えを出したのだったか?、皆それぞれの生き方が出たよい答えだ、まぁ ワシの持つ答えとは違うがな

…で?、カノープスはなんと答えたのだったか?、ええと…ああそうだ、確か

「魔道の極致とは即ち『世界への勝利』であるッッ!!」

そうだ、彼奴は極致を『世界への勝利』と答えたのだったな

極致とは即ちこの世界への勝利である、勝利の前には無数の艱難が存在する、世界が与える試練がある

それを全て乗り越え 辿り着いた者こそが得られる勝利、極致とは 世界に勝利した者に与えられる名なのだ、と…その答えを世界へと叫び届けると同時に、世界もまた応え道を開ける

極致へと至りし 究極を修めし存在を認め、ぽっかりと虚空に穴が開くと同時に、その全てが中へと収められていく

「久しいのう、この感覚も…」

世界が 景色が変容する、ここから先は先程までいた空間とは全く違う世界であると肌で感じるこの感覚、新たな世界を作り出し その中にて敵を討つ…、八千年前にはよく味わった物よ

ここに来るのもまた久しいわ

「っ…ここが、陛下の魂の中に存在する 内なる異世界」

槍を携えた女将軍 アーデルトラウトが驚いたように口を開き、周囲を見回す ありゃちと若いのう、経験が圧倒的に成功体験側に偏っておる 性分も短気と見た、もう少し挫折を味わえば強くなるじゃろう、ちょうどええな 今日がその時じゃ

「なんじゃ若いの、ここに来るのは初めかえ?、居心地は良くないが まぁ、暴れるにゃうってつけじゃろうて」

この空間を敢えて言語するならば 『星海の宮殿』

無限に広がる宮殿の広間に果てはなく壁は見えない 天井もない、代わりに無限に続く星々が高速で空を駆け抜け、太陽と月が入れ替わり立ち代りに現れ続ける、空間と時間の狂った空間、これこそがカノープスの 現最強の魔女の臨界魔力覚醒…その名も

「『毘盧舎那/塵点劫界』」

何処からともなくカノープスの声が響く…ん?、おや? 見ればワシの目の前にゃ例の三将軍しかおらん、この世界の創造者たるカノープスの姿が見えん、何処へ行った?

臨界魔力覚醒は発動者が必ず内部に居なくては成り立たん、この空間の何処かにいるとは思うが…、ふむ まぁ そういうこともあるか、臨界魔力覚醒を行なった者は神と同等の権能を得る 姿を晦ますなど訳もなく出来る

問題は理由の方じゃが、まぁこちらも大方予想はつく

「なにやらカノープスの姿が見えんようじゃが?」

「なんだ、陛下と戦いたいのか? なら…我々を倒してから、だな」

眼帯の男 ルードヴィヒが肩を竦めて冗談めいたことを言う、正直に話さんと言うことは奴に一計有りといったところか、まぁ良い 策があるくらい予想しておったし

「ほうかいほうかい、なにを考えておるかは知らんが、お前ら全員血祭りにあげりゃあ カノープスも血相変えて出てくることじゃろうて」

「さぁて、それはどうかな…行くぞ、アーデルトラウト、ゴッドローブ」

「了解」

「ああ」

立ち並ぶ帝国の三将軍、見せてもらおうかのう カノープスが育て このワシとの戦闘にも引っ張り出してくるほどの戦力とやらを、こいつらは ともすればワシの脅威になりかねんし、あわよくば一人二人 削っておくのも良いかもな

そう思えば一つ 拳に力がこもり両手を広げる、差すれば将軍達もまた槍を 巨剣を構え…

「参る!」

先陣を切ったのは黒銀の槍を構えし女将軍 アーデルトラウト、右足の踏み込み、見えるぞ 刺突か!

「『タイムストッパー』」

「む…!?」  

………………─────────


─────────…………………身を捩り 回避する

「危ないのう!」

目を見開く、直感で身を捩れば ワシの頬を黒銀の槍が掠める、あれほど遠くにおった筈のアーデルトラウトが 今はどう言うわけか目の前におる、超高速の移動?阿呆か、んな訳ないわ、こいつ今時を止めよったぞ!

「避けるか…!」

「驚いたわ!、まさかカノープスの時間停止か?、それを扱う人間が現代におるとはな!」

慌てて足を後ろに伸ばせば目の先を穂先が薙ぐ、 縦に横に袈裟に振り下ろし切り上げ、巧みに持ち手を入れ替え槍を手繰り怒涛の攻めを実現させるアーデルトラウトの槍から逃げるように身を躱す

今こやつが使ったのは間違いなく時間停止じゃ、時空魔術でも奥義に部類される『停刻』 その現代魔術、それをカノープスが他の人間に託し 剰え使って見せるとは、やるのう

「一目で看破するとは、やはり…貴様 シリウスか」

「じゃからそう言っとるじゃろうがッッ!!」

右足を軸にクルリと周り 遠心と勢いを乗せた蹴りを一撃放てば、アーデルトラウトの槍撃が合わせるように飛び 衝突…

ただ足と槍がぶつかっただけとは思えぬ衝撃が大気を揺らしビリビリと魔力がぶつかり合う、ほう 魔女の脚力で蹴ったと言うのに受け止めて見せるか

「面白い 面白いぞ!、よもや現代にこれほどの使い手がおろうとはな!人類は劣化したばかりと思うておったわ!」

「うるさい…、『刻槍のグングニル』よ 私に力を!」

「ぬぅ!?」

刹那、アーデルトラウトの魔力が 炸裂するが如く増幅し……

アーデルトラウトの威圧が シリウスの顔色を変えさせる

世界を守る三将軍と 世界を滅ぼす原初の魔女の、いいや? 八千年もの年月の間 長い長い時をかけて世界を守る為に戦い続けた帝国というこの世の守り手と、八千年もの年月の間、長い長い時をかけてただ一つの目的を掴む為に暗躍を続けた 真理の探究者の決戦が始まる

これは、人類の 魔女世界の全てをかけた、帝国にとっての最後の戦いだ

……………………………………………………

飛び交う空裂音、鳴り響く打撃音 金属音…、星海の世界に轟く唯一の音源達は、激しく激しくぶつかり合う

「はぁぁぁぁああああああ!」

「チッ」

常人では最早目で追うことすら出来ない両者の戦いは熾烈苛烈を極め、瞬きの間に無数の攻撃と防御が応酬する

「ふんっ!!」

攻め立てるのはアーデルトラウトだ、帝国五大魔装のうちが一つ 魔装『刻槍のグングニル』の当代における使い手は黒銀の槍を振るい、シリウスを前に シリウスを相手に前へ前へ攻める

対するシリウスはやや やり辛そうだ、それもそうだ 彼女のメインウェポンである魔術が今アーデルトラウトによって封じられているのだから

(此奴の槍、的確にワシの詠唱の隙を潰してきおる)

アーデルトラウトの攻撃が余りに速いのだ、とは言え速度の絶対値で言えばシリウス 及びレグルスの肉体の方が遥かに速い、勝負にならぬ程シリウスとアーデルトラウトには差がある筈、なのにシリウスはアーデルトラウトの仕掛ける近接戦に乗らざるを得ない

何故か、理由は三つ

まずアーデルトラウトの槍は最速を行く 最短を通り 最適を成す、シリウスが詠唱の素振りを見せれば即座に潰しにかかる、レグルスの持つ高速詠唱を以ってしてもアーデルトラウトの攻めを貫いて魔術を発動させることが出来ない

そして二つ、これはやはり というか変わらぬ話ではあるが、シリウスがレグルスの肉体を完全に掌握し切れていない点に尽きる、そもそもシリウスは近接戦があんまり好きじゃない

いや、そこらの奴らと殴り合えば 負けることはない、事実レグルス相手にも負けることなく殴り合いを制することが出来るだろう、だが アルクトゥルスには敵わないのだ

それはアルクが合理に基づいて攻めるから、故に合理を持たないシリウスは 魔力なしの殴り合いではアルクトゥルスに一手劣る、それと同じことだ

アーデルトラウトはカノープスより対シリウス用の合理戦術を学んでいる、故にこの場 この時が初邂逅であるにも関わらず、アーデルトラウトは既にシリウスの動きを見切り始めていた

そして三つ目は、シリウスもやや半信半疑ではあるが…なんか、妙に速い気がするのだ アーデルトラウトの動きがシリウスの想定よりも、少しだけ
それも妙な速さだ、アーデルトラウトの体の動きからは再現できようもない筈の速度で動く、恐らくは加速魔術のようなものを使っているのだろうが…と、シリウスはやや怪訝そうに眉を顰める

以上の三点が絡み合いアーデルトラウトは格上を相手に互角の戦いを繰り広げて見せる

(魔女シリウス…恐ろしい女…、魔女様の肉体を乗っ取り 慣れない体でこのパフォーマンス、弱体化の可能性は聞いていたけど 本物は一体どれだけの力を…)

ただ、逆に言えばそこまでやって 漸く互角なのだ、圧倒的にアーデルトラウトが有利な状況下で シリウスは一撃も貰うことなく全てを回避している、この均衡がいつまで続くか そんなアーデルトラウトの不安を感じ取ったかのようにシリウスは動く

「型にハマり過ぎじゃよ、基本を大切にするのはええが 人はそれを単調と呼ぶのじゃ!」

「っ!」

反転、右足を軸にして回転し 刺突を避けたシリウスが放つのは斧の一振りの如き回し蹴り、それがアーデルトラウトの顎先目掛けて放たれる

これは道理の話ではあるが、槍とは 一度突き出せば その後手元に戻すという行程を踏まなければ次の行動には移れない、それは如何なる達人も同じ 槍とはそういう武器なのだ、至極当たり前な話 誰もが誰にも教わることなく知っている道理の話

故にシリウスは刺突を狙って避けた、直感と経験だけで アーデルトラウトの刺突を避けたのだ

アーデルトラウトの槍は今虚空をついている、今から戻しては防御は間に合わない、何せもうシリウスの足はアーデルトラウトの鼻先三寸に迫っているのだか……

「『タイムストッパー』っ!」


刹那、防御不可と思われた一撃がアーデルトラウトの一撃により防がれた、使用したのだ 彼女が授かった特記魔術…タイムストッパーを

通称時間停止魔術と呼ばれる時空魔術の最奥を現代魔術に廉価させたものこそが彼女の扱うタイムストッパー、使えば世界の時針は一時的に停止し 全てが止まった世界の中で彼女は行動することができる 単純ながら強力極まりない魔術である

カノープスの扱う時間停止魔術『停刻』に比べれば…

『時間停止中は相手に物理的干渉は行えない』

『時間を停止させていられるのは、術者の心臓が10回鼓動するまでの間』

等いくつかの制限はありはするものの それでも破格である事に変わりはない、何せ あのシリウスでさえ時間が止まれば動けない、どんな攻撃だって一言で防ぐことができてしまうのだから

「はは!、そら!攻守交代じゃぞ!」

しかし、受け止められることも込み合いで蹴りを放ったシリウスは驚きの色を見せず続けざまに足を振り抜く、何度も何度も 回転する車輪のように速度を上げて怒涛の蹴りを放ち続ける

「…………!」

されど相手は将軍の一人アーデルトラウト、この世界で上から数えた方が早い最強の人間の一人、シリウスの怒涛の蹴りもまた最速最短最適の動きで防ぐ、防ぎ続ける

引かない、一歩も引かない 両者共に、高速 綿密 神速 精密 この一瞬に近い間に込められた技量の数々を語り尽くすには余りに速すぎる連撃連打の雨と雨は空気を揺らして大地を崩す

「はっはー!やるではないかー!」

「うるさい、これで…終わらせる!」

「ぬぉ?」

刹那、シリウスの視界が反転する、取られたのだ 足を、槍の穂先で蹴りを防ぎながら槍の柄頭で軸足を弾きシリウスを空中で一回転させる

足場が無くなりフワリと浮かび上がるシリウスに対して、アーデルトラウトは次なる行動に…、キメの一撃への準備を行う

「『グングニル・ゼクンデンツァイガー』!」

魔装 グングニルが黄金の輝きを放ち、その力を顕現させる

帝国五大魔装のうちの一つ、刻槍のグングニル…、別名『使い手を選ぶ槍』と言われるこの槍は 文字通り選ばれた人間にしか使えない特殊な槍であることは有名だが…、その詳細を知る帝国兵は少ない

故に、勘違いされていることが一つある、『使い手を選ぶ槍』『選ばれた人間にしか使えない槍』その言葉から 帝国兵や帝国国民はこう勘違いしている

『槍が、使い手を選ぶ』『槍に選ばれた人間にしか使えない』と…、はっきり言おう その認識は誤りであると

なら、何に選ばれた者が扱えるのか…それは


『神』である


「ぐっ!?な なるほど!」

その瞬間行われた刺突を両手で取り、受け止めたシリウスは悟る この槍の 魔装の力を

槍の力を解放したアーデルトラウトの動きが加速した、やはり加速魔術のような力を秘めていたかとギラリと笑う

そうだ その通りだ、刻槍のグングニル 正式名称『大型秒針魔装グングニル・ゼクンデンツァイガー』の効果はいたって単純、己の肉体の経過時間の支配である

例えば 己の経過時間を加速させれば肉体はその分速くなるのは自明の理、その気になれば一秒で一年分の行動を済ませる事も出来る、どんな加速魔術よりも果てがない究極の加速法こそ この槍の真髄である

されど、それを御するのは簡単なことではない 加速するのは肉体だけ、意識は元の速度のままなのだ、故に使用者は加速する世界に追いつくだけの思考回路と即断即決を要求される、それこそ 天賦の才能とも言えるほどの…

故に 選ばれた者だけが操れるのだ、加速した世界についていける才能を神によって与えられた者だけが この槍の担い手足れるのだ

「外付けの道具で加速しておったか!案外ちゃちじゃのう!」

空中で槍を受け止めたシリウスは反撃とばかりに体を捻り 一撃、アーデルトラウトの頬に蹴りを入れる…、しかし

「…………」

「お?」

効いて居ない、やや蹴りに煽られ仰け反った物の まるで痛みを感じないかのようにアーデルトラウトは続けざまに槍を振るいシリウスを投げ飛ばす

(効いとらんかっ!?、いや そうでは無いな…)

痛くないわけではない、これもまたグングニル力の一つ 、己の肉体の経過時間を操れるのがグングニルの力であり 加速するのが力ではない、当然 加速も出来れば減速も出来る、故に痛みが脳に伝わる速度を極限まで鈍化させ 痛みの発生を遅らせているのだ

(すげぇ覚悟じゃのう、痛みの先送りなど  最悪術を解除した瞬間ショック死もあり得るというのに、そうまでしてワシとやりたいか、愛い奴じゃ)

痛みというのはセンサーだ、放置してはならぬ状態に陥ったと肉体の報せ、それを全部後に回せば 肉体の限界を超えてダメージを蓄積してしまい可能性もある、もし術を解除した時肉体の許容値を超えるだけの痛みを抱えて居たら その瞬間アーデルトラウトの脳回路は焼き切れ心臓は止まるじゃろう、すんごい覚悟じゃとシリウスは猫のように体を一回転させ着地する

これで、アーデルトラウトの手の内は分かった、奴は『停止』『加速』『遅延』の三つを操る時の申し子と言ったところか、まるで劣化版カノープスじゃのう、やりようはあるが?

「遅い…!」  

「ハハッ、そうかいのう…ーーーっっっ『雷王火箭滅脚』!」

時を止め 時を加速させ一瞬にしてシリウスの目の前に現れたアーデルトラウトはそのまま魔力を解放したグングニルを振るう

シリウスをまた それを待ち構えるように炎雷を纏った蹴りを放つ、相手が時を止め 時を速め一瞬で攻撃態勢を取れるというのなら、それを見越して動くまでなのだ

「ッッ!!!!」 

ぶつかり合う アーデルトラウトの槍とシリウスの魔脚、両者の一撃が衝突した衝撃で地面は砕け 大気が爆裂する
 その瞬間顔を歪ませたのはアーデルトラウトだ、如何に速度でシリウスについて行っても 力という一面では確実に劣る、事実シリウスの一撃を受け止めた槍から伝わる振動で 腕がイカれそうになる

(魔術を用いた蹴り…、今までの牽制の攻撃とはまるで違う、重い…なんて重たい一撃なんだ…!)

苦痛に顔を歪ませるアーデルトラウト、反面 笑うシリウス、悪手を打ったと悟る将軍を尻目魔女は更に足に流れる魔力を強め 雷撃の全解放を以ってして引導を渡す

(まずは一人、猪武者が 先走り過ぎたな…っと!) 

アーデルトラウトを吹き飛ばそうとした次の瞬間、シリウスは何かに気がつき 咄嗟に蹴りをやめそのまま勢いを利用し背後へと飛び上がる

…刹那、切り裂かれる シリウスが先程まで立って居た地点が、空を飛ぶ斬撃の衝撃波によって

「っ…ゴッドローブ!?」

「先走り過ぎだ、アーデルトラウト お前一人で倒せる相手ではないのは分かって居ただろう」

もう一人の将軍 巨漢ゴッドローブが助太刀の一斬を放ったのだ、それが空を割いて大地を裂いて シリウスごと真っ二つにしようとしたのだ

まさに万断の一振り、如何なる剣をも超える一撃に さしものシリウスも冷や汗が吹き出る

(今の一撃、貰っておったらワシでも死んでおったな…、なるほど アーデルトラウトが時空魔術の『時』担当なら あの大男は『空』担当 と言ったところかのう)

「アーデルトラウト、連携を取るのが久しぶり過ぎて やり方を忘れたか?」

「バカにするなゴッドローブ、ただ…私の手で終わらせられたならばと欲をかいただけ…、すまなかった ここからは合わせる」

「そうしろ、近接戦は…私の担当だろう、援護しろ アーデルトラウト」

「了解」

すると今度はゴッドローブをメインに攻めるようで、巨漢が握る大巨剣の切っ先がこちらに向けられる

(見るからにパワータイプ…と見せかけた技巧派、アルクトゥルスと似たタイプか、厄介じゃのう ああいうタイプは気が抜けんから嫌いじゃ)

「さぁ 行くぞ、原初の魔女…その驕り高ぶり!私が断とう!!」

咄嗟にシリウスは視線を下に向ける、ゴッドローブの踏み込みを見る、踏み込みの巧みさを見ればその人間のおおよその実力は分かる、事実 ゴッドローブの踏み込みはアーデルトラウトよりも深く 速く…そして

「『ディメンション・ゴッドセキュア』ッ!」

剣を振るう 巨大な剣を、まるでそれは空間を進む櫂のように虚空を波打たせ、作り出す…時空を超える穴を、そう まさしくあれは…!

「はぁぁあああ!!!」

突如開いた時空の穴、ゴッドローブの剣の一撃により空間に切り開かれた穴より飛び出してくるゴッドローブは 刹那のうちに剣を振りかぶり、シリウスの脳天を薪木のように叩き割ろうと振り下ろす

「むぅっ!?」

避ける、全力で後方へと飛び なんとかその射程外へ逃げるようにすっ飛ぶシリウスの鼻先を掠める切っ先は 、レグルスの肉体が纏う魔力防御を紙のように切り裂き僅かに鮮血が舞う

あの剣はただの剣だ、鉄の剣だ、ただの鉄の剣に魔女の肉体が傷つけられるなどあり得ない、あり得るとしたら ゴッドローブが使う魔術の仕業以外ありえない

そう 有り得ない出来事が引き起こされた以上、それしか考えようが無い ゴッドローブが使っているのもまた 時空魔術の奥義の一つ

「空間裁断魔術か…」

ゴッドローブの剣が纏うのはまさしく空間裁断魔術…、カノープスが扱う魔術の中で いやともすれば全ての魔術の中で トップクラスの攻撃性能を持つ魔術の一つ

何、簡単な事だ 今奴の剣は空間を切り裂く刃と化しているだけ、例えるならば…

そう、例えるなら この世界を一枚の紙に書かれた絵画だとしよう、我々は絵の中で戦っているんだ、アーデルトラウトやシリウスが絵の中で戦い 絵の中で攻防を繰り広げる中で、ゴッドローブが取り出したあの魔術は 『ディメンションゴッドセキュア』は…鋏なのだ

絵の書かれた紙をジョキジョキ裁断する鋏、例え紙に書かれた絵がどれだけ強力でも それがどれだけ必死に防御をしても、鋏は紙ごと絵を真っ二つにする 防ぎようが無いんだ、あの魔術は

埒外の剣、理論の外の剣、防げば問答無用で真っ二つ、オマケに空間を切り去って縮め肉薄する事も容易にできるときたもんだから反則だよなぁ とシリウスは苦笑いをする

「ふんっ!はぁっ!」

オマケにゴッドローブの剣は的確だ、基本通りに振るい 忠実な軌道で振るわれる剣は着実にシリウスを追い立てる、シリウスと言えど防御すれば 受ければ確実に死ぬ剣、魔女をも殺す剣を授けられるゴッドローブが如何に皇帝から信頼されているかが見て取れるほどに この男の剣は実直だ

「チッ、厄介じゃのう 退くか…」

ゴッドローブが振るう剣に苛立ちを覚えたシリウスは、一旦距離を取る選択をする、何をどう言ってもゴッドローブの武器は剣 逃げ回れば当たらない

しかし

「ゴッドローブ!」

「んなっ!?」

先程まで誰もいなかったシリウスの背後に現れるのはアーデルトラウトだ、時を止めて背後へと回ってきた彼女がシリウスの背面を槍で打つ

「ぐっ!痛いじゃろ!二人がかりは卑怯じゃ無いかのう!」

「知るか!」

前面にて振るわれる絶対断空の剣、背後にて奮われる神速光芒の穂先、両者ともに凄まじい練度である事は シリウスの頬に流れる汗が物語る

(ふぅむ、思ったよりもやるのう、両方とも第三段階の高位まで至っておる、マジでこいつらが揃えばレグルスを殺せるだけの戦力となっておる、カノープスの奴め…その気になりゃいつだってレグルスを殺せたのう、これは)

冷静に鑑みるシリウスはアーデルトラウトとゴッドローブの技量の高さに戦慄する、将軍達の実力は凄まじい物だ、レグルスの頭の中にある『帝国師団長達』…それとはまるでレベルが違う

人間ではなく 魔女を撃破する事に特化した存在、それを三人も育てておきながらレグルスにはノータッチとは、もし奴が何処かで決心していたら 案外レグルスは殺されていたやもしれんと

「はぁっ!」

「おっと」

アーデルトラウトの槍がシリウスに向け真っ直ぐ突かれる、身を捩り回避はしたものの 空を切った槍がズドンと音を立て空気の壁をぶち破る

「ぬぅんっ!!」

「はわわ!」

その隙にゴッドローブがシリウスの首目掛け一閃を繰り出す、受け止められない 防げない、故にシリウスは地面を転がるように斬撃から逃げる、しかしそれを許さないのが背面のアーデルトラウトだ

逃げれば神速のアーデルトラウトが阻害し、足を止めれば豪腕のゴッドローブが首を狙う、至極単純じゃが いい連携だ

(しかし、こうもやられっぱなしじゃあ面目が保てんのう、いっちょ博打に出るか)

刹那 シリウスの目が輝く、確かに二人の連携は凄まじい、並大抵の存在ならこの二人に挟み撃ちにされた時点で絶命は免れない、戦況を覆すなんて以ての外だ

されど、それを可能にするのがシリウスだ、この世で最も神に近いと呼ばれる彼女の戦闘センスは 将軍達を前にしてなお煌めき冴え渡る

「逃すか!」

咄嗟に逃げるシリウスを追うように、アーデルトラウトは必殺の刺突を繰り出す、時間加速によりただでさえ速いアーデルトラウトの次は最早人間の眼では捕らえられる領域には無い

しかし


「誰が逃げると言ったよ」

「なっ!?」

掴んだ、シリウスはその手でアーデルトラウトの槍 その穂先の刃を握りしめ受け止めたのだ、ヌルリとシリウスの首がアーデルトラウトの方を向く、チロリと悪魔が舌を出し 女将軍を捉える 爪突き立てる

槍を掴まれた槍使いなどマトも同然、刺し貫かれても文句は言えない

「チッ…!」

アーデルトラウトの判断は一秒にも満たない極僅かな時間で行われた、槍から手を離し 距離を取る、このままではシリウスになすすべなく惨殺されると判断したからだ

ともすれば最悪の結果を生むかもしれないその判断を即座に行える即断力があるからこそ グングニルを扱える彼女は躊躇せずグングニルから手を離す

そして、当然の如く 最悪の結果を生んだ

「ほほう!、やはりこの槍 使い方さえ把握しておれば誰でも使えるな?」

シリウスの手に握られた槍が今度はシリウスの魔力を受けて発動する、魔装は使うだけなら誰でも使える、ただしその使用難易度は高く 誰もが運用できるわけではない…、しかし それは常人の話

人外地味た戦闘センスを持つシリウスにしてみれば、ただ手で握っただけでその使い方を把握するなど容易い

故に、槍が グングニルが 時間支配能力が今、シリウスの手に渡ってしまった

「っっ!」

次に動いたのはゴッドローブだ、シリウスの手に魔装が渡った、その事実は恐るべきものであると判断したが故に 躊躇なくグングニルの破壊に移り、その槍目掛け剣を振るう…しかし

「ナメるなよ、この時間加速法も時空魔術も、元はと言えばワシが作り上げたものじゃぞ…?」

槍の持ち手を掴んだ瞬間、シリウスの動きが加速する…、素の身体能力でアーデルトラウトの加速についていったシリウスの レグルスの速度が今、加速したのだ

その速度は…光を超えていた

「ぐっっ!?」

「があっっ!?」

シリウスが槍を振り終えた瞬間には、アーデルトラウトもゴッドローブも地に伏し血を吹いていた、次いで虚空に無数の光芒が煌めき 轟音を立てて槍が何度も振るわれたことを証明する

シリウスは魔術師だ、槍を使った事はない

シリウスは古代の人間だ、現代の魔装を使った事はない

されど、この一瞬で使い方をマスターしたシリウスが 今度はアーデルトラウト以上の精度でグングニルを操り武器として使用したのだ、血の滲むような訓練の末 今の槍術を手に入れたアーデルトラウトを ものの数秒で上回ってみせた

これがシリウス、これが原初の魔女、これが 史上最強と謳われた存在の理不尽さである

「ぬははははははは!!、槍もええもんじゃのう!、魔力機構の武器なんぞ軟弱モンが使う物とばかり思っておったが、…ええのう ワシも作ってみるか、最強の魔装を」

クルクルと手元で槍を回すシリウスの足元に転がる二人の将軍は血溜まりに沈み、激痛に顔を歪める

「バカな、グングニルの加速を一瞬で使いこなすなんて…」

「バカはお主じゃわい、何?加速? 阿呆らしい、この程度の速度…ワシぁ生きとった頃は普段から出しておったわ」

今はただ 借り物の体で力が制限されているだけ、本来の力なら 三将軍どころか魔女達でさえ遠く及ばないほどの力を持つシリウスにとっては 時間の加速だろうがなんだろうが、取るに足らぬ児戯なのだ

「さぁて、お前らは後々邪魔になるので殺すつもりじゃが…、そこの眼帯男、お前は手出しせんのかい?」

将軍二名 撃破完了、このままいけばトドメをさすけど お前は動かなくていいのかい?とシリウスが睨む先にいるのは 未だ変わらず腕を組み続けている眼帯の男、三将軍筆頭にして 帝国の 世界の頂点たるルードヴィヒである

「本当はもう少し、見ておきたかったが…、ゴッドローブ アーデルトラウト、偵察ご苦労だった 二人とも回復に努めろ」

偵察…今のが偵察 とシリウスは眉を八の字に傾ける、気に食わないのだ この原初の魔女シリウス様の力を伺い暴きたてようとするその性根が、自分は将軍や皇帝の力の偵察はするが それと同じことをされたらキレる、これがシリウスだ

「なんじゃお前、偵察が終わった後は お前一人でやるつもりなのかのう?」

「そのつもりだ、見た所 どうにもならない程じゃあ、なさそうなんでね」

するとルードヴィヒは軽く微笑み、魔力機構の埋め込まれた皮のグローブを着け直し、シリウスの前へと歩み寄る

言ってくれるではないか と手元の槍を見せびらかすシリウスはルードヴィヒという男の力を見定める、仰々しい口を利くだけの力はあるようだが、悪いが今のワシはお前らの槍のおかげで速度だけなら全盛期に近い、八人の魔女達でさえ翻弄し置き去りにした 大いなる厄災時のワシの速度だ

それに此奴がついて来れるとは思えん、だが その速度を見ても尚大口を叩く此奴が…、無策ともまた思えん

まぁいい、そっちの手札が分からぬなら 勝負をしてみて覗き見るまで、とシリウスは槍を深く構え…

「はっ、ええじゃろう ならやってみるかえ?、帝国最強 ここで討ち取りゃ後々楽じゃしのう!」

魔力を解放する、手に持つ魔力機構に餌をくれてやれば シリウスの時針は加速していく、その瞬間 シリウスの速度は借り物の器に収まらず、かつての神速を蘇らせ

「ブッッッ殺してやるからあの世で言い訳考えとけやッッッ!!!」

跳躍する、何もかもを置き去りにする刺突による突進、万物を貫通し万象を串刺しにするシリウスの突きは空間を超越しルードヴィヒの喉元に迫る…

そして、それと共にルードヴィヒもまた答えるように口を開き

「『テンプス・フギット』」

その魔術の名を呼ぶ、人類最強とも言われる男の特記魔術を解放して 今、シリウスとルードヴィヒの戦いが始まった

……………………………………………………

「ぜぇ…ぜぇ…はぁ…はぁ」

息を吐く、目まぐるしく回る目で周りを確認し 何が起こったかを理解する、全身に走る痛みと疲労感に苛まれ、そして口を開く

「いや…いやいやいや、おかしいじゃろ それは…」

シリウスは倒れ伏しながら未だ無傷で立ち続けるルードヴィヒを見上げ、文句を垂れる

今しがた始まったルードヴィヒとシリウスの戦いが 終わった、ルードヴィヒの勝利という形で、それを理解してシリウスは混乱するのだ

「なんじゃその魔術は、ワシは…そんな魔術知らんぞ…!?」

シリウスは目を回して起き上がろうと手をつく、握られていた槍は取り上げられ 再びアーデルトラウトの手に渡っている

敗北したのだ、ルードヴィヒの扱う魔術 『テンプス・フギット』の前に

「どういう種じゃ、どういう魔術じゃ、腹ただしい…ワシの知らぬ魔術を使うなど、口惜しい」

何が起きたか分からなかった、ただ漠然シリウスは負けていた、テンプス・フギットがもたらした事象をシリウスは理解できなかったのだ、魔術を目にして 理解不能と思うのは生まれて初めてのことである

…時を止められたか?、違う 時を止めたならそれはそれで理解出来る、空間を操ったか?それも違う

シリウスがルードヴィヒに飛びかかり、ルードヴィヒが魔術を発動させ、次の瞬間にはシリウスは負けていた

あるべき行動の始点と終点が存在していない、過程を何もかも無視して ただ敗北の二文字だけを押し付けられた

「これは、陛下とヴォルフガング殿の尽力により生まれた新たな魔術だ、お前が生んだそれとは全く違う魔術…故に、お前が知らぬのも無理はない」

「はは…ぬはははは、面白いのう やはりこの世は面白い、分からぬことがあるから面白い、解き明かす快感がたまらない…、もっと見せよルードヴィヒ 次こそ理解して見せようぞ」

立ち上がるシリウスは狂気に満ちた笑みで両手を広げる、次こそ受け止め 次こそ理解する、だからもう一発撃って見せよと、そんなシリウスの言葉を受けるルードヴィヒは…

「その必要があるならな」

「何…?もう勝ったつもりかぁ?、ええのう…その勝気 気に入ったぞ」

「つもりも何も、事実勝ったからな」

そう言いながらルードヴィヒが指差すのは上方、その指につられシリウスもまた上へ上へ視線を移していく、すると…

「むぅ?、なんじゃあ?あれは」

何かが浮かんでいた、それが何かは分からないが いつの間にやらシリウスとルードヴィヒ達の頭上に謎の存在が浮遊していたのだ

巨大だ それは、シリウスが知る中であれだけ巨大な物体を見たことがない、シリウスでさえ魔術を届かせるのに難儀する程の上空に存在しながら その全体像が窺い知れない程に巨大なそれを 思いつく限りの言葉で例えると

『歯車仕掛けの神』、とでも言おうか…無数の歯車が折り重なりゴリゴリ音を立てながら駆動し円形を保ち、その中央に存在する一際大きな歯車に取り付けられた一つ目のような部位がギョロリとこちらを見ている

「あれもワシは知らんぞ、カノープスの臨界魔力覚醒には あんなもの存在していなかったはず…、とすると…」

「ああ、あれこそが 帝国八千年の歴史を以ってして作り上げられた究極の魔装、対天狼決着兵器 『ヘレネ・クリュタイムネストラ』だ」

ヘレネ・クリュタイムネストラ…、帝国最大級の魔装にして史上最強の魔装と呼ばれ、その巨躯は数十万m2とも噂され 普段はカノープスの手によって打ち上げられ宇宙空間を漂い待機状態にあるそれが今 この空間に呼び寄せられたのだ

全てはシリウスを、天狼を殺すためだけに作り出された絶対魔装にして帝国最終兵器が起動し シリウスに狙いを定めて駆動している、それを見たシリウスは 怪訝そうに顎を撫でる

(あの歯車の中からカノープスの魔力を感じるのう、なるほど あれを呼びつけ 起動させる為に姿を眩ませておったか)

詰まる所アレがカノープス 及びこの魔女世界の切り札、シリウスが復活した時に備えて建造された極大魔装ということだ、その全体像はシリウスにさえ掴めないが 逆に言えばアレさえ壊して仕舞えばシリウスは大手を振って復活できるということ

ピンチではあるが 逆に言い換えればチャンスでもある

「ぬはは、あれをぶっ壊せば ワシの天下じゃな」

「無理だ、アレが起動した以上 お前に打てる手はない」

「さぁて、どうかな…閃光を纏い 天を征け流星火、我が手の先へと煌めき進み 眼前の敵を射貫け電雷 届け猛炎、万里一閃 煌輝燦然 刀光剣影、その威とその意ぎ在る儘に、全てを貫き 我が声を地平の先まで届かせろ!『伏雷招』!!」

シリウスは天に拳を突き上げ、遥か彼方に存在するヘレネ・クリュタイムネストラ目掛け万里を駆ける雷を放つ、例え天の星にだって届き得るシリウスの雷は真っ直ぐに天の機構に向けて飛んで行く

飛んで…飛んで、その雷が命中するか と思われる程に接近した瞬間

それは起こった

「む…」

シリウスが目を見開く、消えた…天に放った筈の雷がノイズを走らせたかと思った瞬間、跡形もなく

防がれた?弾かれた?…いいや違う これは

「どういうことじゃこれは、魔力が戻っておる」

先程魔術を発動させ消費した分の魔力がまた手元に戻っている、まるで 『魔術の成立』という結果そのものが無かったことになってしまったような、まさか時が巻き戻った?いや無理だ 時間遡行はワシでさえ解が出せぬ無明の領域…

それに時間が巻き戻ったならワシ自身が魔術を放ったという記憶を失っている筈だ

ならなんだ、何が…ん?、魔力が戻った?

「…は…はははは、そうかそうか そういう事か何がヘレネ・クリュタイムネストラじゃ 仰々しい見た目をしておるからビビってしまったわ!、よもやまさか ワシを倒すためだけに作ったというのか? 世界で いや恐らく宇宙で最も巨大な計算機器を!」

詰まる所、クリュタイムネストラ自体は特別な力を持たないただの計算機なのだ、算盤を超絶仰々しくしたのが帝国最強の魔装『ヘレネ・クリュタイムネストラ』の正体、カノープスの臨界魔力覚醒を補佐する役目を持った機器なのじゃろう

その瞬間 存在する因果と事象、現在を起点とした過去、そして過去から予測される未来、全ての要因を数式に変換し、膨大な量の情報を数字に表し 答えを出す…

そうすれば後は 臨界魔力覚醒でこの世界の空間と時を操る権利を手に入れたカノープスが、弾き出された答えを都合のいいように改変し、この空間の事象と時間的因果を編纂する事が出来る

故に、ワシが放った魔術が 結果的にワシの中に戻ってくる なんて意味のわからん事象が引き起こされたのじゃ

「あらゆる時とあらゆる空を操り、どんな事象さえ後出しで変更出来る力か、良い物を手に入れたのうカノープス」

「全てはお前を倒すためだよシリウス、この世から 完全に貴様を消し去るためにな…!」

天より飛来するカノープスの声は、まるで晩鐘のように響き渡り シリウス一人に向けてキュラキュラと歯車が回り始める

「無駄な努力じゃと思うが」

「これを受けてから、もう一度言ってみろ!!」

ガチリとハマった歯車達はその動きを止め 中央に存在する大機構眼が見開かれる、既に『解』は出たと、その巨大なシステムを全て使い 答えが導き出された瞬間

「ッッッ……!!」

シリウスの肉体に凄まじい重圧がのしかかる、恐らくカノープスお得意の魔力圧じゃろう

全く動けない、指一本動かせない、まるで空間そのものに縫いとめられたようにシリウスの体はその場で固定される…最早、一瞬の抵抗も許さないとばかりに着々と進む行程はシリウスに告げる

既に『詰み』であると

「事象算式 存在実証 因果論認識、時空解明 真理証明 全工程完全終了」

「ぬぐぅ…!」

刹那、シリウスの肉体に走る不協和音、頭上の眼光にされさているだけで存在そのものがあやふやになるようだ

(こりゃ…思ったよりもまずいのう)

手の先から粒子になり解けるように消えていく、消滅していく、あの瞳から放たれる光がシリウスの肉体ごと シリウスを消し去ろうとしているのだ

あの計算機が今計算しているのは いや、計算し終えたのは『レグルスという人間の存在証明』だ、解き明かされた存在証明を カノープスがその権能を用いて編纂し抹消する事で、その存在を不立証に変更する事が出来る

つまり、消滅するのだ レグルスはこの世から痕跡も残さず、そうなればシリウスもまたレグルスの肉体と共に消えることになる、今度こそ 八千年間生き長らえ続けた大いなる厄災は消える事となる

八千年かけてようやく掴んだ復活のチャンスを逆手に取られ、今 シリウスは真なる消滅の危機に瀕していた

(……レグルスとカノープスの魔力差からこの拘束を解くには些か時間がかかる、例の計算機をぶっ壊すのにはさらに時間がかかる、この拘束を解いたとしても 例の三将軍が睨みを利かせている以上巻き返しはほぼ不可、頼みの綱も未だ手元に無し…マズったか)

脳みそはフル回転させ打開策を練るが出る答えは『八方塞がり』の一言のみ、そうか 発動させた時点で詰みであったか、欲をかいて相手の奥の手を覗き見するつもりが手を絡め取られた気分だ

(このままではワシごと消される!、こうなったらレグルスの肉体を捨てるか?…だが、…しかし ここまで来て)

吹き出る冷や汗、走る悪寒、かつて死んだその時以来の嫌な感覚にシリウスは顔を歪める、カノープスの奥の手がここまでのものとは 抜かったか?、いや まだ何か手があるはずだ

諦めるな、ワシは真理に達するその日まで決して諦めるわけには行かぬのだ 決して…決して!

「終わりだ、シリウス…そして レグルスよ」

「ま 待て!カノープス!待たぬか!」

「待たん」

命乞いは最早利かない、解ける体と消えていく存在を前にシリウスは恐怖し、カノープスは涙する、この手友を殺す…その事実に胸を痛めるが、それでももう迷わない、絶対に

今後、この世を永遠に生きることになろうとも、その後の時間全てを 友への贖いに尽くすと誓いながら、カノープスはヘレネ・クリュタイムネストラを通じて 世界に審判を下す 

「…災禍に終焉を 我等が務めに終止符を!『クォド・エラド・デモンストランダム』!!」

「ぐっ…ぅぐぉぉおおおおおおお!!!」

輝く星光はより一層世界を強く白に染め、今 シリウスと言う名の災禍をこの世から完全に消し去っていく、レグルスの肉体 その命諸共………………




「待ったぁぁぁああああああ!!!!」

「なっ!?」

突如、白に染まる世界を切り裂き 一陣の風が消えていくレグルスの肉体めがけ飛来する、その瞬間

『不確定要素乱入、演算結果不照合、未確定因子混在、証明結果変化、現在施工中の作業中断、再演算の必要性を提示』

「チッ、ルードヴィヒッ!!どうなっているッッ!!」

ヘレネ・クリュタイムネストラの立証から不立証へ、有在から不在への編纂が中断される、放たれた光が薄まり消え去るのだ、既に完成していた数式に また新たに別の因子が追加されたことにより 演算により導き出された答えと式に齟齬が生まれた結果 時空編纂が不発に終わる

それは、シリウスという存在の延命を意味しており

「何事だ…」

ルードヴィヒは瞳を走らせる、視線をシリウスに移す いやそもそもシリウスから目を離していたわけではない、奴が何をしても対応出来るように常に視界に収めていた なのに何故失敗したのか…

単純にして当然、ルードヴィヒはシリウスを見ていたから…シリウスしか見ていなかったからだ

ヘレネ・クリュタイムネストラがその巨大な目を閉じ、眩い光を失わせると共にその姿が露わになる…、そこには 消滅しかけた肉体が戻り混乱しているシリウスと

「あれは…エリスか?」

レグルスの肉体にしがみつく エリスの姿があった、…未だ マルミドワズに居るはずの彼女が この空間にて、レグルスの元まで飛んできていたのだ

…………………………………………………………

ヴォルフガングさんの言葉通り、エリスがパンの流通ラインに飛び込むと 呆気ないくらい簡単にマルミドワズの外へ出る事が出来た

パンと共に吐き出された先はアガスティヤ帝国X地区、その小さな村の一角だった

パンに塗れて現れるエリスに目を丸くする村人達を放ってエリスは慌てて村の外へと駆け出す、師匠がいた方向 そこは既に記憶にある、早くそこに向かわねばと慌てた瞬間

跳ねた、体が …いいや、大地が大きく揺れて 体が弾かれたんだ、何事かと見てみれば 師匠達が居る方向から凄まじい衝撃が伝わってくる、まだ戦闘は終わってない 何が出来るか分からないけれど 行かなくては

このままでは師匠が殺される、そんな漠然とした予感に突き動かされ エリスは風を纏い全速力で師匠達の元へ向かう


草原を超え 森を超え、山を一つ超えた頃 世界は変容する、魔女と魔女のぶつかり合いにより豊かであった草原はあるところを境に削られており 痛々しい岩肌から広がっている

そんな荒涼とした大地のど真ん中に 見えるのはいくつかの人影

腕を組むカノープス様、それに付き従う三将軍、そして…レグルス師匠の後ろ姿を見たエリスは、一も二もなく飛び込んだ

師匠だ 師匠だ!ようやく会えたと師匠の背中に手を伸ばした瞬間のことだった、世界が 景色が暗黒に包まれエリスの体が吸い込まれたのは…


直前に、カノープス様が何かを口にしていたことから 恐らくは時空魔術の何かにエリスも巻き込まれたのだろう、エリスが次に気がついた時 エリスは全く見知らぬ別空間に立っていた

カノープス様の姿も 三将軍の姿も、掴みかけた師匠の背中も無い、見えるのは未知の材質で形作られた宮殿と 天井を突き抜け広がる星空、この世とは思えない幻想的な景色の中 一人立つエリスは再び動き出し 師匠達を探す

…そして、もう一度 その姿を見つけた時 師匠はカノープス様の魔術と思われる謎の光によって消滅する寸前であった、死ぬ 師匠が死ぬ 殺される

思考が真っ白になり、闇雲に師匠に飛びつき……、そして 今に至る

「収まった…?」

師匠の背中にしがみつきながら周りを見る、空から降り注いでいた光は消え 消えかかっていた師匠の体も元に戻っている、エリスの周りにはキョトンとした顔でこちらを見る三将軍と…

「ん?」

同じくキョトンとした顔でこちらを見る師匠の顔が見える、なんとか…なったのか?

なんてエリスが目をパチクリ見開いていると、空を覆う巨大な歯車の塊から 何かがこちらに向けて飛来してくる、いや この威圧と絶大な魔力は目にせずともわかる

魔女世界における唯一にして最強の皇帝、無双の魔女カノープス様だ

「やってくれたな…エリスッッ!!!」

大地を砕き着地するなり、カノープス様はエリスに向けて鋭い眼光を向ける、その目に宿るのは明確な怒りだ 見られているだけで体が爆ぜそうなくらいの威圧に思わず竦む

この人本気だ、本気で師匠を殺そうとしている…

すると

「ああ、我が弟子エリスよ 助けに来てくれたのか?、愛い奴だな お前は」

そう 師匠が顔を綻ばせて微笑むのだ、よく助けに来てくれたと エリスの頭を撫でる、あれだけ求めた師匠の手 もう一度見たかった師匠の顔が、エリスの眼前に迫る…

これは……

「良く助けてくれた、私も手を焼いていたん共に戦ってくれるか?エリス」

そう言いながら、エリスの手を取る師匠…いや、いや違う これは

「貴方…、本当にシリウスなんですね」

「……何を言う、見ての通りレグルスで…」

「師匠はこの場にエリスが来てお礼なんか言いません!」

やはり これはレグルス師匠では無い、認めたく無いが 師匠の中にいるのは本当に原初の魔女シリウスなのか、みんな言っていたが …こうして目で見てしまった以上 もう否定は出来ない、本当に師匠はシリウスによって体を乗っ取られてしまったんだ…、なんて なんてことだ…

「…ほほう、流石に騙せんか」

「当たり前ですよ!、そんな安い演技に騙される人間なんか 一人もいません!!」

チラリと師匠が…いいや、師匠の体を奪ったシリウスが視線を逸らし カノープス様を見る、何故かカノープス様は目を逸らしているが 今はそんなことどうでもいい

助けないと、やることは変わらない 師匠を助けるんだ!、帝国の手から シリウスの手から!師匠を!!

そう決意し、エリスは師匠から後ずさるように離れ…

「シリウス…師匠の体を返してもらいます、師匠はエリスが守ります!」

「無駄だ、レグルスの体を元に戻す方法はこの世には無い 、故に殺さねばならない…殺さねばならなかったのに、貴様は…」

ギロリとカノープス様がエリスに眼光を寄せる、殺さなければならない 殺さなければならなかった なのに、その必殺の一手をどうやらエリスは潰してしまったようだ、どうやってかはエリス自身分からないが…、潰すつもりでやったんだ 当然だろう

「師匠は殺させません…」

「ほほう、ならエリスはワシの味方か?」

「違います!、師匠を利用しようとする奴も 殺そうとする奴も!全員まとめて漏れなくエリスの敵だって言ってんですよ!」

帝国は師匠を殺そうとする だから止める、されどシリウスの味方をするわけでは無い、こいつにもこの世から去ってもらう、エリスは師匠をまた元の状態に戻せればそれでいい、殺害も利用も絶対にさせない

しかし、そんな言葉を聞いたシリウスは 師匠の顔で似合わない笑みを浮かべると

「ならなんじゃあお前、この場にいる全員を敵に回すつもりか?、それで何が出来る お前程度に」

「うっ…」

と 言われ、思わず後ずさる…そうだ、この場にいる人間全員 エリスよりも遥かに格上、師匠の体を使う魔女シリウスは 力を制限されても尚強力無比、カノープス様に至っては八人の魔女最強と言われ、そして 師団長達を束ねる人類最強の三人の将軍

この戦場は歴史上でも類い稀な超高レベルな戦場、エリスが今まで経験してきた戦いの場とは比較にならない…、でも

「勿論です!エリスは師匠を助けるのを諦めるつもりはありません!!!」

取る 構えを、何をどうすりゃいいかまるで思いつかないが…、それでも今このままシリウスと帝国を戦わせれば、帝国はさっきのように師匠の体ごとシリウスを滅しようとするだろう

それはさせない、だからまずはこの戦場を掻き乱そう!

「…ふんっ、くだらん 、それっぽっちの魔力で何が出来る…、アーデルトラウト ゴッドローブ」

するとカノープス様は呆れて物も言えないと言った様子で二人の名を呼ぶ、帝国三将軍 その両翼とも呼ぶべき二人の将軍の名、そこに命ずるは皇帝の玉音…

エリスを見下ろしながら、カノープス様は告げる

「我とルードヴィヒでシリウスの相手をする、ヘレネ・クリュタイムネストラは其奴のせいで数式を狂わされ再演算が完了するまで使い物にならん、それまで 其奴を近づけるな…摘み出してやれ、この世から」

「御意」

シリウスと向き直るカノープス様、そんな二人から隔離するようにエリスの前に立ち塞がるアーデルトラウトさんとゴッドローブさんは 両者共に見たこともないくらい魔力を纏った槍と剣を手に ズイと屹立する

「くっ…」

「悪く思うなよ、エリス殿 貴殿は踏み入ってはならぬ領域に踏み入ったのだ、その代償が高くついただけのこと…、大人しく 覚悟を決めてくれ」

ゴッドローブさんはやや申し訳なさそうに剣を地面に突き刺し、軽く魔力を解放する…たったそれだけで、エリスが五人くらい集まっても到底出せないような莫大な量の魔力が突風となって襲い来る

「お前が望んだ結末だろう、お前が選び お前が行動し お前がこの結末へと自らの足で進んだ、こうなってさぞ満足だろう…、あと少しだったのに…人類の敵め 早々に叩きのめしてやる」

槍を片手で回し、獣のように腰を落とすアーデルトラウトさんの体から溢れる魔力は、エリスでは魔女のそれと区別がつかないほどに強大だ、エリスが今まで戦った存在達が可愛く見える…

二人とも手負いだ、シリウスとの交戦で得た負傷はそのまま、傷だらけと言ってもいい、なのに…なのにこれだ、まるで行き止まりのような絶望的戦力差…、だけど

だけど

「お願いです、師匠を殺さないでください、師匠を殺すと言うのなら エリス…、あなた達と戦わなくてはいけません」

戦いは避けられないんだ、建前を述べながらもエリスは既に この二人を相手に戦う算段を立てている、負けられない…先ずは帝国が師匠を殺すのをやめさせないと

シリウスと対峙するカノープス様とルードヴィヒさん、そしてそれを阻むアーデルトラウトさんとゴッドローブさんにより 再びエリスと師匠は引き離される…、絶対に…絶対に師匠を助けてみせる!

「なら諦めろ、お前の師匠は今日!ここで!死ぬのだ!」

刹那、アーデルトラウトさんが踏み込む、その手に握られた刻槍のグングニルと言う名の魔装を構えての刺突、ただの刺突だ だと言うのに、まるで光の矢の如く鋭く只管に速く、アーデルトラウトさんは空を切り裂き エリスに迫る

(なんて速さ!、これが手負いの人間がする跳躍ですか!)

咄嗟だ、咄嗟に籠手を嵌めた手をクロスさせ後ろに飛びながら槍の刺突を受け止める、如何なる攻撃さえも弾く いや弾いてきた宝天輪ディスコルディア…、それは世界最強の槍使いの一撃さえ受け止めてみせる

だがしかし、受け止めただけだ 防ぎ切れない、槍の先から放たれる衝撃は、刃を食い込ませずとも肉体を貫くことができる

「ぐぁっ!?」

防いだと言うのにエリスの腕から血が吹き出る、あまりの激痛と衝撃にあえなくエリスの体は空を舞い地面を転がる、これが将軍の…世界最強の大国に於ける最高戦力の持つ力か!

「ではこちらも始めようか!シリウス!」

「ワシ的にはもう逃げてもええんじゃがなぁ!!」

吹き飛ぶ体 かかる重圧、槍を防いだと言うのに衝撃を防ぎ切れず地面を転がる最中見るのは アーデルトラウトさんの背中の向こうで、戦闘を開始するカノープス様とシリウスの二人の姿

空間を纏い 凄まじい勢いで拳を放つカノープス様に対し、シリウスもまた魔術を幾重にも乗せた一拳にて迎え撃つ、両者の一撃は ただ激突するだけで天災級の魔力爆発を生み 宮殿の地面を エリスたちの立つ大地を砕き隆起させる

向こうは向こうでデタラメだ、というか…

「師匠の体で無理をしないでください!」

砕け隆起し荒れる大地の上で受け身を取り、二人の将軍を超えてシリウスの元へ向かおうと旋風圏跳にて 飛ぶ、シリウスを守りたいわけじゃない だがシリウスは師匠の肉体へのダメージを一切理解せずに戦っている、最悪傷が残ってもいいと手荒い扱いをする様を エリスは見逃すことが出来ない

「行かせるかッ!『タイムストッパー』!」

「なっ!?」

神速のつもりだった、瞬速のつもりだったし 事実そうであった、風を纏ったエリスは瞬く間に二人の将軍の間を抜けてシリウスに迫った筈だった、しかし 短い詠唱と共に瞬きの間にエリスの目の前に転移してきたアーデルトラウトさんの槍の一振りにより エリスの体が弾かれる

「ぐっ、いつの間に…!」

「いつも間も私には必要ない、そして お前はあの場には行かせない…どうせ行っても何も出来ずに死ぬだけだ、ならここで死ぬのも同じだろう」

槍を斬られた己の胸を触る、コートがあったから真っ二つにされずに済んだが…今の一撃で確実に骨がいくつか逝った上に内臓があちこち歪んだ…、たったの一撃でこれか

くそ!

「退いてください!、アーデルトラウトさん!」

「断る、退けてみろ」

なら退けてやる!と疾風韋駄天の型にて 猛然とアーデルトラウトさんへと攻めかかる、最速の蹴りと最速の拳で 一瞬でもいいから隙を……

「げぶふぅっ!?」

しかし、殴りかかったエリスの拳は届くところか放たれる前に打ち砕かれる、後手に回った筈のアーデルトラウトさんの槍が先手を取ってエリスの脇腹や顎を砕くように打撃を加える

み 見えない…、まるで…!

「そこっ!」

「ぐぅっ!?」

そして反撃に竦むエリスの足を槍で一つ払い地面へと押し倒すアーデルトラウトさんの流れるような動きに、エリスはまるで対応出来ない

勝つ勝たないの話じゃない、戦いにすらならない…、こんなの どうすれば…

「終わりだ、諦める気になったか?」

「まだです…!、『若雷招』!!」

それでも諦める気にはなれない、極限集中にて詠唱を省略し 流れるような動きで地面に手を当て言い放つのは若雷招、それは瞬く間にこの空間を…二人の戦場に覆い被さる

「詠唱を飛ばした…!?」

エリスの跳躍詠唱を見るのは初めてか、地面を隠す電撃電流のカーペットを前にアーデルトラウトさんの反応が一瞬遅れて後手に回る、既に古式魔術は完成してしまった 故にこの後アーデルトラウトさんに取れるのは回避のみ

事実アーデルトラウトさんはエリスの雷を回避する為、槍を地面に突くと同時にその勢いを使って高く飛び上がり空へと逃げる…、道が出来た 師匠への!

「師匠!」

この隙を逃してたまるかとエリスは地面を何度も蹴って師匠の元へと向かう、しかし…次の瞬間のことだ

エリスの視界が捻じ曲がり、グニャリと歪んで 狂ったのは

「え……、あ」

横っ腹に一撃を貰い 空間ごと弾き飛ばされるようにエリスの体は直線に飛ぶ 飛ばされる、まるで全身を砕かれるかのような衝撃に悲鳴すら出ず、師匠と引き離される

「げはぁっ!?」

すぐさま立ち上がろうと力を入れるが、立てない… さっきの衝撃が全身に響いている、なんだ…何が

「やめておけ、今更行っても 死ぬだけだ」

「…ゴッドローブさん」

エリスが立っていた場所で 大剣を横に倒しながらこちらを見据える巨漢 ゴッドローブさんの姿を見て、察する…さっきの衝撃は彼が放ったものだと、デタラメな威力な上に 今まで食らったどのダメージにも部類出来ない未知の攻撃だったぞ、今の…

「くっ…ぅ、例え 死ぬとしても…、大人しくなんか 出来ないですよ…、エリスは 師匠に…死んで欲しくないんですから!」

砕ける体を奮い立たせ、せめて少しでも師匠に近づこうと駆け出すエリスの進路上に、空間を切り裂き現れるゴッドローブさん、 の姿がある、なるほど 今の一撃は空間魔術の一種か…!

「死んで欲しくない、ただそう喚きたてるだけでは子供のわがままと変わらないぞ」

「我儘の何が悪いんですか!、師匠を 親の代わりとなってくれた人を助けようとすることの何が悪いんですか!」

「助ける相手が、悪すぎる」

「師匠は師匠です!それ以外の誰もでもない!、そこを退いてください!エリスが師匠を助けるんです!、すぅー!」

我儘なのはわかってる、論理的でないことは理解している、それでも それでもと言うしかないんだ、師匠が死んでしまう その結果をみすみす見逃す弟子がこの世のどこにいるというのだ!

大剣を構えるゴッドローブさん目掛け大きく息を吸い、発動させるのは…

「『火雷招』ッッ!!」

放つのは炎の雷、ゴッドローブさんを吹き飛ばし 少しでも師匠に近づくために、師匠を助けるために ゴッドローブさんにさえ魔術を向ける、しかし

「勇ましいな、だが…『ディメンション・ゴッドセキュア』」

再び空間を引き裂き始めるゴッドローブの大剣は ゆっくりと眼前の空間を切り裂き…穴を作り出す、時界門に酷似したその穴はエリスの炎雷を受け止め 吸い込み…

「『流穴の型』」

「な…!」

時空の穴へと吸い込まれ無力化されるエリス雷は、ゴッドローブさんの作り出した時空の穴と共に消え…、今度は同じ穴がエリスの目の前に開き

刹那、煌めく…

「ぐぅぅぅっっ!?!?」

穴の奥から 飛んできたのだ、エリスが先程放った火雷招が、跳ね返される形で飛んできた火雷招はゴッドローブさんではなくエリスの体を焼き焦がし 爆発と共に弾き返す

「ぐっ…うう」

「無駄だ、お前では 私達の相手は早すぎる」

「これも運命だと諦めろ」

自らの魔術に体を焼かれ、倒れ伏すエリスの目の前に立つ二人の将軍、まるで歯が立たない、勝ち目がまるで見えてこない…

ここまで来たのに…、エリスの力が足りないから…修行が足りないから、エリスは 師匠を助けることもできずにここで力尽きるのか…

「ではな、孤独の魔女の弟子 …、貴様は罪深い存在だ 決して許される事はない」

アーデルトラウトさんの槍がエリスの首に突きつけられても、動くことが出来ない 抵抗することが出来ない、もう魔力が底をつきそうだ…傷を治した体も あっという間にズタボロにされた、もう…何をやってもダメなのか

「死ね…」

突きつけられた刃が エリスの首を断とうと力を纏う、…ダメだ ダメだ、せめて せめて師匠だけでも助けなければならないのに

こんな…こんな、こんな所で 諦めて…たまるかぁっ!!!






「殺すなッッ!!」

「ッ!?」

刹那、声が轟く… エリスの首を断とうとした槍も、その声に反応して動きを止める、何者かが殺され行くエリスを庇い 止めたのだ

誰が止めた?、なんて考えるまでもない その声は、間違いなく 師匠の声だ

「何…?」

「殺すなと言っている!、絶対に殺すなよ!」

いや、シリウスだ シリウスがカノープス様とルードヴィヒさんの二人を相手にしながらも、こちらに目を向けて牙を剥きながら吠えるのだ 絶対に殺すなと

「其奴はワシの計画に必要な存在じゃ!、もし殺してみろ!この世界を滅ぼすぞ!」

「ッ…、そうだった エリスの命はこの世界の……」

動揺したアーデルトラウトさんの槍から力が抜ける、何が何だか分からないが 今なら…!

「アーデルトラウト!気を抜くな!」

「ハッ…!しまった!?」

「ぅぅううううううおおおおおおお!!!!」

その瞬間を見逃さず 雄叫びをあげて身体中の魔力を解き放ち 内へと全てしまい込み、発動させる、エリスの切り札を 全て!

魔力覚醒 『ゼナ・デュナミス』と『超極限集中状態』の二つを同時に、一日一度きりのエリスの切り札を切る

「くっ!、魔力覚醒か!…だが それでもまだ私には及ばない!」

槍を振りほどかれながらも直ぐに構えを取るアーデルトラウトさん、魔力覚醒をしたというのに 素の状態のアーデルトラウトさんに及んでいないのは事実だ、だが…この状態なら!

「はぁっっ!!」

高速で振るわれるアーデルトラウトさんの槍、通常時なら反応さえ出来ない猛攻、しかし 超極限集中を発動させ、全てを識った今ならば

見えずとも、分かる

「な…、避けられ…」

当たらない エリスにはアーデルトラウトさんの槍は当たらない、どこにどのように攻撃が来るか事前に分かる上、どうすれば避けられるのさえエリスは識っている、故にその場に立ったまま 体を少し揺らして全ての槍を回避する

分かる、全てが分かる、なるほど アーデルトラウトさんのこのスピードの正体は時間加速か、それ以外にもダメージ遅延や傷口の高速治癒なんてのもあるのか、体に負荷しかかけないだろうに…ん?、奥の手もあるのか

極・魔力覚醒と刻槍グングニルの最大解放か、…これは使わせないほうがよさそうだな

「はっ!」

「なっ!?」

エリスの首元に迫る槍を手で押しのけるように軌道を変え アーデルトラウトさんの姿勢を崩す、確かに力量ではエリスが遥かに劣ります、ですが 超極限集中はそんな力量さえも埋めて余る程のアドバンテージを得ることができるのですよ

「それが審判のシンを倒したお前の真の実力か!」

次いで切りかかってくるのはゴッドローブさんだ、バランスを崩したアーデルトラウトさんに代わるようにエリスの前に躍り出た彼は大きく剣を振りかぶ横薙ぎに剣を振るう

速いには速いが大振りの剣だ、超極限集中を使わずとも軌道が予測できる…だが

「追憶『旋風連跳』」!!」

足から風を噴出させ大袈裟に回避する、確かにあれは見てくれは大振りの横薙ぎ、しかし その実態は空間魔術との合わせ技…、つまり 剣の周囲の空間を斬撃に連動させているため 剣を避けても流れる虚空の激流に飲まれ さっきのエリスのように押し潰されてしまう と言う寸法、故に あれは大袈裟に回避する必要がある…

「逃すか!『タイムストッパー』!」

「む…」

後方へ飛ぶエリスに向けて叫ぶ声を聞き、眉を顰める 

タイムストッパー…、限定的時間停止魔術 止まった時の中で行動して、相手の隙を突き 確実に攻撃をぶつけることが出来る破格の魔術、これを発動と共に回避するのは至難の技

しかし、今のエリスなら 彼女が時を止めた末に何をするかも、把握出来る

(右斜め後ろに移動し、そこから槍の刺突で仕留めるつもりか…、ならば!)

その瞬間、アーデルトラウトさんの姿が目の前から消える、恐らく時間を止めて移動したんだ…、移動先は既に把握している

「いい加減大人しくしろ!」

右斜め後ろからアーデルトラウトさんの声が聞こえる、それと共に体を回転させ 刺突を回避すると共に、決める ここで!

「なっ!?これも避けられるのか…!?」

魔力をかき集め 記憶を引き出し、作り出すのは追憶の雷…それを右足にめいいっぱい溜めて、放つ一撃は必殺の一矢!

「旋風…」

「ッッ!?しまっ…」

エリスの動きを見て 慌てて引こうとするアーデルトラウト、しかし もう遅い!

「『雷響一脚』ッッ!!」

刹那の事であった、確実に背後を取ったと アーデルトラウトが槍を踏み抜こうとした瞬間、エリスの右足が輝き体ごと突っ込んできたのは

凄まじい速度だ、一瞬で最高速に至り その速度で相手を貫く飛び蹴りは雷を纏い的確に相手の芯を撃ち抜いてくる、これが恐らくエリスの必殺の一撃であろうことは アーデルトラウトにも容易に想像出来た

エリスとて、バカではない 彼女もまた歴戦の戦士、強力な技だからこそ闇雲に打つ事はしない。確実に当てられる そんな状況でなければ使わない

そして、彼女はそこを理解して放った…つまり、この蹴りは必中である

「ぐぅぅぅぅうううう!!!!!」

「ぁぁあああああああああ!!!」

しかし、防いだ アーデルトラウトは不可避と思われたその蹴りを槍で防ぐ、しかし その勢いまでは殺せない、槍で受け止めながらも体は後ろへ後ろへと押されていく、エリスの推進力を抑えきれない

「くっ…タイムストッパーは使えんか…!」

今 アーデルトラウトがタイムストッパーを発動させこの攻撃から逃げようとすれば、生まれてしまう 魔術発動と言う名の一瞬の隙を、そうなれば時を止める前にアーデルトラウトの体はこの猛き雷に撃ち抜かれる事だろう

ならグングニルはどうだ、時を加速させるか?あるいは減速させるか?、無意味だ そんなことしてもエリスは進み続ける、グングニルは攻撃には使えるが 防御そのものには無力だ

つまり今彼女が手にする手札では エリスの最大奥義を受け止め切ることが不可能なのだ、数多のジャイアントキリングを成してきたエリスの切り札は、いや世界最強の喉元まで届く

「まだまだぁぁあああああ!!」

トドメとばかりに追い打ちをかけるため 追憶魔術にて過去の魔力を一時的に引き出し何度も体内で爆発させ推進力を得る荒技を行う、審判のシンの戦いの中で編み出し 事実上の決定打となった技だ

エリスの背中から蒼炎の如き魔力が一気に吹き出し アーデルトラウトを突き抜けようと、形振り構わず加速し加速して加速する

これがエリスに出せる最高速度の最高威力、これ以上はない 過去から魔力も魔術も全部持ってきてつぎ込んでいるんだ、まさしく最高の魔術 これを使ってアーデルトラウトを突破して師匠の元へと向かう その一心でエリスは更に体に負荷をかける

「ぐぅぅうぅぅううううう!!!!!!!」

圧倒的重圧と濃密な魔力流の中、槍一本に全体重を乗せてエリスの蹴りを 必殺の一撃を受け止めるアーデルトラウトは打つ手も無く、ただただ静かに  静かに…

静かに、笑った

「その程度か、魔女の弟子…笑わせる」

一つ アーデルトラウトに打つ手がないという結論を出したのはエリスの勝手な思い込みであったと言うのを伝え忘れていた

エリスは途中から識から与えられる知識を無視していたとも、何故か?それは識がエリスにとって不都合な情報しか与えないからだ

『やめろ、手を出すな、逃げろ、後方へ飛んで彼方まで逃げろ』

そんな言葉しか与えない識をエリスは切り捨て 己の判断でアーデルトラウトへ突貫を仕掛けたのだ、故に見逃していた アーデルトラウトという人間の真の武器を…

確かに、魔術も魔装も アーデルトラウトから奪った形になる、今の彼女はその双方を使えない…しかし、エリスは理解していなかった

世界最強の国における最高戦力とは、ただ 使う魔術の優劣と手に持つ武器の強力さで決まるものではないと

「はぁぁぁあああああああ!!!!」

「な…な、嘘でしょ…」

踏み込んできた、アーデルトラウトが一歩一歩 エリスの雷響一脚を受け止めながら押し返すように、この一撃には魔力覚醒したシンさえ手も足も出ず吹き飛ばすことが出来たというのに

(魔術も 魔装も 魔力覚醒も、何も使わぬ膂力だけで 押し返されている!!』


…誤算、そんな言葉が浮かぶ

そうだ、『タイムストッパー』も『刻槍グングニル』もどちらも強力だが 直接的な攻撃力に通じる物は一つもない、時を止めても 時を早めても 攻撃力が無ければ意味がないのだ

故に、アーデルトラウトはそこを理解していたから鍛え抜いた、己の肉体を、時を止められずとも 支配出来ずとも、アーデルトラウトはその肉体一つで戦い抜けるだけの力がある

彼女の真の武器は鍛え上げ理れた肉体、それ一つで 将軍の座に上り詰めた若き超人なのだ

「落ちろ!魔女の弟子!!」

「ぐっっ!?」

刹那、アーデルトラウトが槍から手を離し 掴みかかる、手で覆うようにエリスの顔をがっしりと捉えた瞬間…

エリスの体は 勢いを失い 急速に、落下する

「がはぁっ!?」

叩きつけられた、地面に

ねじ伏せられた、腕力に

アーデルトラウトの腕一本にエリスの推進力は纏めて薙ぎ払われ力を失い、地面を隆起させ体が減り込む…、敗れた エリスの切り札が、相手のなんでもない手札によって打ち破られたのだ

「ぐっ…ぁが!」

「この程度で落とされる人間が、この世界の守り手足り得ると思うか?、貴様も 守りたいなどと叫ぶなら、このくらいは強くなるのだな」

槍の柄頭を押し付けられる押さえ込まれ制圧される、既に雷響一脚は砕かれ壊されてしまった…エリスの切り札が通用しない、その事実に魔術だけで無く心さえも打ち砕かれそうになる

ダメだ、勝てない…抜けない、師匠のところへ行けない…


「ぬははははははは!!!ほらほらどうしたカノープス!」

「チッ、さっきよりも動きが鋭くなっている…、復活は順調なようだな!」

視界の端に見えるのは至近距離で魔術のぶつけ合いをしているシリウスとカノープス様が見える、拳に纏わせた無数の魔術と魔術が激突するその戦場は 可視化される魔力が渦巻く滅界と化しており とてもじゃないが近づける気配はない

だが

「ははっ!む?、おっと…」

シリウスのめちゃくちゃな魔術行使によって師匠の肉体が悲鳴を上げている、形振り構わない出力に 魔女の肉体が瓦解し始めているのだ、なのに シリウスはそれさえも意に介さず戦闘を続ける

…師匠が、傷ついている…、みんなみんな 師匠を傷つける!

「この…ぉぉおおお!!!」

「まだ動くか!」

槍を掴み 押し払い高速から抜け出そうともがくエリスにアーデルトラウトさんは一瞬 驚くも、直ぐに 冷徹に瞳が染まる

「いい加減大人しくしろ!!」

「ぐっ!!」

容赦なく踏みつける エリスの頭を、踏みつけ大地にエリスを縫い付けるとともにアーデルトラウトさんは大きく槍を持ち上げ振り被り、頭上にて大回転を繰り広げる

見える、ここからでも見える、アーデルトラウトさんが振り回す槍の先に魔力が集中していくのを、あれは師匠達魔女様がよくやる魔力操作技術の応用

魔力を層のように張り巡らせ防御に転用する魔力壁 それが槍の先端に集うて巨大化していき…

「奥義…」

其れは魔術に非ず、魔力を魔力のまま扱い 対象を破壊する『魔力闘法』 、略して呼ぶならば魔法と呼ばれる古の技術

今現在は使用法さえ伝来していない筈の魔法を 無限の練磨と鍛錬、そして圧倒的才気と才能にて習得し 必殺の奥義と相成ったその槍の名は

「『ラグナロク・スコルハティ』!!」

振り下ろされる断罪の絶槍は 紅の煌めきを放ちながらエリスに向けて振り下ろされる

されど、刃はエリスに突き刺さることはない、その寸前で穂先が光を放ち 大規模な魔力爆発を引き起こしたからだ

…アーデルトラウト自ら作り出し編み出した魔力闘法、グングニルの魔力機構に自らの魔力を過剰に送り込み オーバーヒートを引き起こすことにより発生する魔力障害を奥義として派生させた其れは ただの一撃で城壁さえ真っ二つにする威力を持つにも関わらず、槍としての特性を失わず ただ一人だけを破壊する まさしく必殺の一突きとなるのだ

「が…はぁ…」

もうもうと立ち込める黒煙の中 大の字で倒れるエリスは最早動く気配もない、ようやく力尽きたかとアーデルトラウトは槍をその場で高速回転させ オーバーヒートしたグングニルを冷却しながら黒煙を打ち払う

「終わりか…、執念一つでここまできた胆力は認めるが、実力が伴わないなら其れは無謀でしかない」

フンッ と鼻で笑い 再び槍を手にシリウスに視線を向ける、向こうは向こうで続いているようだ

魔女シリウスの動きは更に機敏さを増している、カノープス様とルードヴィヒの二人を相手にしても尚 巧みに立ち回っている様を見ると、先程ヘレネ・クリュタイムネストラで仕留めきれなかったのを悔やむばかりだ、邪魔者さえ入らなければ 遠に終わっていたものを…

まぁいい、その邪魔者も始末し終わった、後は我々もあそこに加勢すれば……

「アーデルトラウト!余所見をするな!」

刹那、ゴッドローブが叫ぶ 余所見をするなと、その言葉を一瞬理解できなかったアーデルトラウトは、眉を顰め 首を傾げる

余所見を?なんのこと……

「まだ終わっていない!」

「何ッ!?」

振り向く、その言葉に反応し弾かれるように背後へと目を向ければ

「エリスは…エリスはぁ…!」

「こいつ、まだ動くのか…!?」

全身から黒煙を放ち、白目を剥きながらも立ち上がり こちらに向かって、いや シリウスに向かって一歩一歩歩み続けるエリスが立っている

アーデルトラウトの必殺の一撃を受けながらも 立ち上がるのだ、最早執念という言葉でさえ片付けられない程の信念、こいつは…

「くっ…」

槍を構えるも、アーデルトラウトは攻めることができなかった

どうすればこいつを止められるか分からないからだ、槍で心臓を一突きにすればこいつは死ぬだろう

だが、シリウスが復活し その打倒の見通しが立たない今、迂闊にエリスを殺すわけにはいかない、こいつは世界を割る鍵…最悪の事態に至った時の保険だ、殺すわけにはいかない

だが、殺さずにこいつを止める方法が思いつかない、どれだけ打ちのめしても向かって来る、どうする…どうすれば

「師匠…師匠!、エリスは…エリスは絶対に…」

「ゴッドローブ、どうすれば…」

「……いや、いい」

すると今度はゴッドローブが剣を下ろす、もういい?どういうことだ 分からない、私にもわかるように説明してくれと言う間も無くエリスは更に歩みを進めて来る

「助けますから…絶対に」

「くっ、仕方ない…」

殺そう、こいつは何がどうなってもシリウスを助けようとする、ならもう殺すしかない

エリスを殺し 鍵が失われたことにより生まれる損失は、この身 この命を持ってして償い 責任を取ろう、そう決意を決めたアーデルトラウトは槍を大きく振りかぶり エリスに向けて…

「エリスは…エリスは」

「死ね…亡者!」

槍を振り下ろす、その瞬間…エリスが

「ぅ…あ」

倒れた、気絶した…いや、気絶 させられていた、誰によってか…

「っ…メグ!」

「お待たせ致しました、将軍の皆々様」

カテーシーにてゆったりと頭を下げる帝国従者長メグ・ジャバウォックが 立っていたのだ、倒れ伏すエリスの背後に…

メグの背後には時界門、それを通じて外から無理やりこの臨界に入り込んできたのだろう

「殺したのか!?」

思わず聞いてしまう、自分だって殺す覚悟を決めていたが 事実死なせてしまったとあればアーデルトラウトとて動揺する

何せ、エリスという人間を殺すリスクはあまりに大きい、そもそもエリスはカストリアの王達と懇意だ、殺せば戦争になりかねない、その上エリスは鍵…、殺せば穏便に開く方法を失ってしまう

其れを承知の上でアーデルトラウトは槍を握ったが…、これで本当に死んだなら…

「ご安心を、麻酔を用いました これは死んでませんよ、彼女には利用価値がある…だから、私に彼女の籠絡と勧誘を言い渡したのでしょう」

見ればエリスの背には小型のナイフが突き刺さっている、恐らくあれは帝国謹製の麻酔毒が塗られているのだろう…、あれを受ければどんな人間も丸一日は目覚めないだろう

「其れは…そうだが」

「それとも私が元殺し屋だから、いざとなったら殺すとお思いで?」

「…お前がフィリップ師団長を使ってエリスを狙撃しようとしていたと聞いているが?」

「はて、なんのことやら」

なんて惚けるメグはどこからともなく魔封じの縄を取り出し、それでエリスの腕を拘束していく、…呆気を取られるアーデルトラウトは口を開き

「メグ」

「なんでございましょうか」

「お前今まで何をしていた、お前ならいつだってエリスの元に現れ 今のように毒で昏倒させることが出来ただろう、何故 今まで放っておいた」

メグがもっとしっかり仕事をしていれば エリスはここにたどり着くことはなかっただろう、だが結果としてエリスはここに現れた、エリスを陛下から任されたメグの怠慢故の結果と言えるこの事態に、アーデルトラウトは些かの怒りを込めて叱責を与える

だが、将軍の怒気の混じった言葉もメグは飄々と流し

「こちらにも色々あるのでございます、しかし 私の不始末が招いたこの事態の責任は…必ず取るつもりでございます」

「当たり前だ、エリスが目覚めても動けないよう厳重に収監しておけ、二度とこの場に近づけないように 今度こそお前が責任を持て」

「元よりそのつもりです」

「……なんだその口の聞き方は」 

元はと言えばお前が失敗したからこうなっているんだろうが、メグがしっかり己の役目を果たしていれば シリウスは遠にこの世界から消え失せていた、それをわかっていながらその態度は、とメグの憮然とした態度に食ってかかろうとするアーデルトラウト しかし

「いい、やめろアーデルトラウト」

止めるのだ ゴッドローブが…、何故止める!と睨むもゴッドローブは小さく首を横に振る、意図は分からないが…確かに今はこんなことをしている場合ではなかったな

「おほん、まぁいい メグ、任せたぞ」

「かしこまりました、では…私はこれで」

気絶し痙攣するエリスを背負い込み、再び時界門を潜って何方かへと消えていくメグの背中を見守る二つの視線、アーデルトラウトとゴッドローブは互いに険しい顔で押し黙る

(メグ…やはり信用出来ない、何を考えているか私でさえ読み切れない部分が多すぎる、何故ルードヴィヒはあれを無条件に信じているんだ)

アーデルトラウトは目線険しくメグに不信を抱く、そもそも 彼女がいつも通りの仕事をしていたら エリスを籠絡するなど簡単なことだったろうに…と

(ルードヴィヒ、これでいいのだな…)

対するゴッドローブはメグではなく ルードヴィヒに想いを馳せる、ルードヴィヒとは長い付き合いだ 私的な関係を述べるなら友と言ってもいい、だからこそ奴が口に出さない事情もなんとなく察することが出来る

ルードヴィヒはメグを……、ならば こうしてやる方が良いだろう

全く、恐ろしい男だよ ルードヴィヒ…お前は


そうして、エリスを連れたメグがその時界門と共に消え、エリスによる執念と信念の進撃は幕を閉じる、愛すべき師匠の体を救うことも出来ずに 帝国の手によって、闇の奥深くへと消えることとなる

だが、それでもまだ 終わりはしない、シリウスの復活も 世界の危機も、帝国の戦いも

混沌の戦いは続いていく、その末に訪れるのは世界の勝利か 或いは死か、どちらに転ぶかまるで見通せないこの戦いは

シリウスも、カノープスも、帝国も、誰も 予想だにせぬ方向へと転がっていくのであった
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