孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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九章 夢見の魔女リゲル

259.魔女の弟子と神将の猛威

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「で?、ラグナ お前なんでそんなに頑なに外に出たがったんだ?」

「え?」

ズュギア大森林手前の街 ガメイラデア、オライオンでは主流となる黒岩石によるレンガ作りの家屋に雪が降り注ぐ 白と黒の街並みの中、ふと メルクリウスか。前を歩くラグナに向けて問いを投げかける

「気がついていないと思ったか?、お前がメグが時界門を使う都度難しい顔をしていることに、それが原因なんだろう?今回の外出は」

その言葉ギクリと顔を歪ませる、エリスだけでなくメルクさんにも気づかれていたかとラグナは顔をひきつらせる、どうやら俺は余程顔に出ていたようだ

「え?え?、どういう事ですか?」

「そのままの意味だナリア、ラグナはメグの時界門に対して一つ、思うところがあるんだろう?」

「…え…ええ、まぁ」

向けられるナリアとメルクさんの目線に耐えられず、背を向けるようにその辺の店を見る、

確かにその通りだ、俺が今日無理を言って外出をして時間を作ってもらったのは メグの時界門に関する事だ、と言ってもメグ自身を面白く思ってないとかではないし 時界門の性能を疑ってるわけじゃない

そもそもメグは皇帝陛下のメイド長を務めるだけありその能力の高さは計り知れない、戦闘だけに留まらずありとあらゆる分野の技術を取得している、茶も入れられる 馬にも乗れる 剣も震えるし服も編める、本当になんだって出来る

その上時界門の性能の凄まじさたるや俺も驚いている、ただ場所と場所を繋ぐだけの魔術だ、だが問題はメグの背後についている物がその魔術を強力無比な万能魔術に押し上げている

帝国だ、帝国にはなんでもある なんでもあるがゆえになんでも取り出せる、この旅に必要なものだって幾らでも用意できるし 即座に用意出来る、なんせ安全な寝床だって確保出来てしまうんだ、彼女一人いるだけで行軍の快適度は跳ね上がるだろう

そこは俺もみんなと同じ認識だ…けど

「…………」

「言いたくないのか?」

「いや…言うよ、いつまでも黙っててもあれだしさ、…確かにメグの時界門は凄まじい、けど同時にメグを見ていて思ったんだ」

俺も最初はメグが居れば旅は快適な物になると判断していたが、ユピテルナに入る時 一つの疑念を持ってしまった、それは最初は余計な思考なのではと不安に思ったが やはりどう考えても無視できる内容ではなかった

だから俺はこうしてここに買い物に来てる、必要な事だから

「何を思ったのだ?」

「…メグは万能だ、万能すぎる…俺達 何もかもをメグに頼りすぎじゃないか?、凡ゆる負担をアイツに押し付けちゃいやしないか?」

旅は確かに快適になった、だが飯も旅の支度も移動の為の御者も、全てにメグが関わっている…それも変えの利かない主要な人材としてだ、何せ彼女は出来てしまう なんでも出来てしまうんだ、だから自然と誰もが彼女が動き過ぎている事に気がつけない

それ以上にタチが悪いのが、メグ自身がそれを望んでいる事だ、彼女はメイドである自分に誇りを持っている、誰かに尽くすのが当たり前であり誇らしい事だと思っている節がある、故にあらゆることに首を突っ込み なんでもしてしまう、し過ぎてしまうんだ

「この数日のメグの動きを見ていたが、どう考えてもオーバーワークだ、一人で俺達の五倍は動いていた、何かあれば時界門を使い 何かあれば率先して動き、…あれじゃそのうち無理が来る、メグだって初めての旅なんだから その負担は彼女の想像を超えているはずだ」

「た…確かに、メグさん 何をするにしても僕達より早く動いてますよね、昨日も僕が御者から戻ると お湯や温かい布を用意してくれてしましたし…、その前は食材を買いに行き料理も…」

「うーむ、確かにその通りだ…、情けない 私はなんの疑いもなく彼女の献身を受け取ってしまっていた、だが それとこの外出がどう繋がる」

「理由はもう一つあるのさ、…はっきり言おう 俺達はメグに依存し過ぎている、このまま旅の最中 もしメグが倒れて数日動けなくなったらどうなる?」

「………………」

皆黙る皆容易に想像出来るから、そうだ もしこの旅の最中 その森の中や雪原でメグが倒れたとしよう、食料から道具まで全てメグの時界門に頼りきっていた俺たちはメグのダウンと共に全てを失う、最早どうする事も出来なくなってしまう

そうなれば終わりだ、一体何人餓死する?一体何人寒さで死ぬ?、何もない状況で自然の只中に放り込まれればそこが雪原でなくても人は死ぬ

何より…

「何より、メグ自身 責任を感じるだろう、自分が生命線であるという自覚はそのまま負荷になる、身体的にも精神的にも負荷が掛かり続ければどんな超人だって倒れる、でもメグは倒れようともその消耗を隠して俺たちに尽くすだろう…、嫌な言い方をすりゃ このままじゃ真っ先に死ぬのはメグだ」

頼りすぎだ 全てにおいて、これは旅だ 俺たち六人の、だったら自分のことは自分ですべきだし 誰か一人に面倒なことや苦しいことを押し付けていいわけがない、俺達は一連托生なんだから

「まだこの国についてから二日しか経ってないのにメグが時界門を使った回数は軽く五十を超えていた、旅が本格化すれば尚のこと増えるだろう」

「数えていたのかお前!?」

「ああ、この国に来て一番最初に宿に泊まった時 アイツが時界門を通じてコーヒーを取りに行った際の魔力の揺らぎが、かなり大きくてな 気になったから数えてた」

時界門は常軌を逸した魔術だ、どんな皺寄せがあるかもわからないのにホイホイ使って大丈夫か…と、観察していたのだ そして同時にたどり着いた答え

それが、凡ゆる物品や問題解決にメグを多用すべきではないというもの…

「だから、取り敢えずこの街で旅に必要なものを諸々揃えそのあとみんなに言うつもりだった…」

「何故そんな回りくどいことを…」

「だって…、言い辛いじゃないか、一応みんな 快適に旅してたわけだし…」

「バカ言え、誰か一人に無理を押し付けていると知ってまで快適に旅したいとは思わん」

「そうですよ!、辛い事も苦しい事も共有したいです!、そりゃ頼りないかもしれませんけど 僕足手まといになりに来たんじゃありませんよ!」

…勝手であったと己の思い込みを悔い居る、そりゃあそうだな、みんなだってメグに負担をかけていいと思ってるわけがないよな、いくら旅が快適になっても それが仲間の誰かの苦しみと無理の上に成り立ってるんじゃ意味がないんだ

アイツはメイドじゃない、今は俺たちの友達なんだから

「悪かった、んじゃ とっとと買い物済ませてエリス達のところに帰るか、帰ったらメグも含めて改めて話をしよう、メグに無理させ過ぎないように みんなで仕事を分担するルーティンを決めて、自分のことは自分でられるようにな」

「はい!ラグナさん!」

そんな言葉を残してラグナはナリアを連れてまずは軽く緊急用の干し肉でも買いに行こうと街の中を散策し始める…が、しかし

「ん…」

一人 メルクリウスは振り返る、ラグナ達が先の行くのも構わず振り向いたのは 何やら妙な気配…というか、胸騒ぎのようなものを感じたからだ

「…妙だな」

ギラリと光る視線が見るのは街の通りだ、通りには家屋が乱立しておりあれら全てがこの国の人間の居住施設なのだろうが…

妙なんだ、…全ての窓にカーテンがかけられている、普通朝一番は窓を開けないか?、まぁ朝一番の陽光が嫌いでカーテンを閉じる人間も中にはいるだろうが…、グルリと首を回して見た限り全ての家のカーテンが閉じられているのは些か不自然…

いや、もしかしたらテシュタルの教えには朝一番の陽光を浴びるのは良くないとか そんな教義があるのかもしれない、この国の常識は他の国と少し違うからな

「おーい、メルクさーん」

「ああ悪い、直ぐに行く」

首を振って嫌な考えを振り捨てて メルクリウスはラグナの呼びかけに応えて再び雪を踏みしめる……




…………………………………………………………

「神の敵は…、ここか」

「なぁっ…」

突如として馬橇の仕切りを引き千切り 外からヌッと顔を突っ込む巨人を前にエリスとアマルトさん そしてメグさんの三人 通称留守番組は戦慄する

突如、本当に突如としてエリス達の平穏を仕切りの布ごと引き裂いて現れた巨人は 馬橇の入り口に体を突っ込み窮屈そうに首を動かしているのだ、馬橇に体を突っ込み 上縁に頭が当たっているというのに 彼女の体は曲がっている、つまり 普通の人間が過不足なく入れるような出入り口はこの人にとって小さすぎるということ…

ありえないデカさだ 信じられない巨躯だ、もしエリスがこの人のことを知らなければ何かの魔術を疑うくらい彼女は巨大だ

だが知っている、これは彼女の本来の大きさ、人類が到達出来る限界点すら超えていそうな巨大な肉体を持つのが彼女…

「ネレイド…イストミア」

「……ん?」

エリスの呟きに巨大な眼球がぎょろりとこちらを向く、エリスはこの巨人を知っている、一度出会っている

その時は互いに名も知らぬ相手として、睦まじく出来たと思う、…だけどきっと もう…無理だろう

それはその目の敵意が物語っている…

「貴方は…、教会に居た…、まさか貴方が…エリスか」

「ええ、…貴方はネレイドさん ですよね、あの時名乗らなくてごめんなさい…」

「そうか…、そうか なんとも酷な神託が降った物だと」

ダメだ どう考えても友好的ではない、確実にエリス達を攻撃に来ている、それを察してエリスは後ろ手でメグさんに指示を飛ばす どうにかして逃げ場を確保してくれ、今 この馬橇はネレイドさんに唯一の出入り口を塞がれている、このままじゃエリス達は袋のネズミだ

メグさんが逃げ場を確保するまでにの間、なんとか時間を稼がなくては…

「何をしに来たんですか、ネレイドさん」

「知れたこと、ユピテルナを超えたあたりで 教皇より神託が降った、この国にテシュタル様の敵となる存在が六名、紛れ込んだと…その者の名と共に我等神聖軍に貴様ら神敵の撃滅の令が降った…」

「つまり、エリス達を殺しに来たと…?、エリス達はまだ何もしてませんよ」

「関係ない、テシュタル様が殺せと言うのなら殺すだけだ…、貴方はいい人だけど 今は関係ない、だから…ここで 殺すッッ!!」

刹那、入り口を占領するネレイドの体から絶大な殺意が溢れ出て中にいるエリス達にモロに浴びせかかる、ダメだこれ 対話云々の段階を遠に超えている

エリスが何者で どう言う人間で、何をしにこの国に来て 何をしているのか、そんな物全て関係ないのだ、ただ神が殺せと仰られた ただそれだけで、ネレイドさんにはエリスを殺す理由になる

「メグさん!退路は!」

「用意出来ています!背後の扉へ!」

刹那、振り返りメグさんに声を飛ばせば既にメグさんは背後の扉に手をかけている、向こう側は帝国だ、つまり一度向こうに撤退することになる ラグナ達を置いて…、だが 仕方ない!このままじゃ嬲り殺しだ!

「わかりました!アマルトさん!」

飛び込むように背後へ駆け抜けようとした瞬間

「させない…!」

動く、当然のようにネレイドが、エリス達を逃すまいと動き出した彼女はエリス達を馬橇から引きずり出すためにその丸太のような腕を中へ突っ込む……

のではなく、その両腕を外に出して 挟み込むように馬橇をがっしりとホールドすると…

「っっぐぅぅぅううああああああああ!!!!」

ネレイドの雄叫びと共にメリメリと馬橇全体が悲鳴をあげ、それと同時にエリスの体に不思議な浮遊感が襲いかかる…、これはなんだと思う間も無く 答えは出る

エリスの目の前にクッションがコロコロとネレイドのいる出入り口目掛けて転がり始めたのだ、椅子も テーブルも 何もかもがネレイドのいる方向に引き寄せられる、当然エリスの体も 滑るように

これは…まさか!

「うっそだろ!こいつまさか馬橇を持ち上げてんのか!!??」

アマルトさんの叫びはそのまま答えとなる、世界最大の馬 ブレイクエクウスでさえ数頭がかりで引っ張るのがやっとな代物を それこそ一軒家と同じくらいの重みのそれを ネレイドは腕の二本で持ち上げているのだ

化け物だ…この人、そんな感想を抱くと共に、エリス達の体はガクンとバランスを失いネレイドに向けて転がりそうになる

「くっ!」

咄嗟に木目に指を引っ掛け抵抗する、馬橇の中があっという間に断崖絶壁になってしまった、垂直に反り立つ床の上ではアマルトさんやメグさんが壁や扉に手を引っ掛け必死に迫り来る重量に堪える、しかし

「降りてこい!降りてこい!出てこい!神敵!!!」

垂直に持ち上げた馬橇を更に上へ下へ降ってエリス達を外に叩きだそうと大暴れするのだ、だがそれでも必死に床に食らいつきへばりつく、だって見ろ!あのネレイドの鬼のような顔を!今外に叩き出されたら食い殺されそうだ!

「くっ、エリス様!なんとか扉の方へアマルト様も!」

「とは言うが!、こんなに振り回されたんじゃ…!、登るのもままならねぇよ!」

「くそ…こうなったらエリスが…」

危険だがこのまま入り口のネレイドに向けて魔術をぶっ放して撃退して…


と エリスがネレイドを睨んだ、その瞬間のことだ

「ぅぅうぅぐぅぁあぁあああ!!!」

そのネレイドの雄叫びと共に…入り口にいたはずのネレイドが消えた…、帰ったのか?…いや 違う

なんだこの腰の底が浮くような浮遊感は…、と言うかなんで

入り口の先に見えるのが…

青空なんだ?…

「エリス様!アマルト様!、外へ駆けて!」

メグさんの刹那の叫びー思考するより早く 馬橇の外へと走り出し 飛び込むようにして入り口に身を投げ出せば、全てが理解出来た…

遠い、地面が遠い…、ネレイドが持ち上げていた以上に地面が遠くに見える…、そりゃそうだ、なんせエリス達今さっきいた馬橇は クルクルと回転しながら空を舞っていたのだから

…投げ飛ばしたのだ、まるでボールのように馬橇一つを ネレイドは体一つで…

「ぐぅっ!?」

呆気を取られる暇もなくエリスは雪の上へと叩き出される、受け身もロクに取れなかったが、雪がクッションになったおかげで助かっ…

「ッ!?」

その瞬間、エリス達の背後で轟音が鳴り響き 反射的に振り向けば、くるりと向いた顔 いや頬に木片が飛び突き刺さるのだ

轟音の正体は馬橇、それが地面に叩き落とされ跡形もなく粉々に崩れてしまった…、エリス達の移動の拠点が…壊された

「嘘でしょ…」

「エリス様!余所見は!」

「ハッ!」

そうだ!まだ終わってない!、まだこの事態を作り出した怪物はエリス達を狙ってる、大慌てで視線を前へ戻す、ネレイドはどこだ!次は何をしてくる!、そう観察するように向き直れば

エリスの視界が 一瞬にして黒く染まる、まるで幕が降りたように…あ、違う これ…幕のように大きな…手だ

「ぐぶぅっ!?」

突如として飛んできた手はエリスの体全てを捉えそのまま弾くように叩き飛ばす、あれは張り手だ ただの張り手だ、ただの張り手なのにあまりに巨大であるが故に岩がぶつかったかのように衝撃が発生するのだ

ネレイドの強襲気味の張り手を喰らい、雪の上を何度も転がるようにすっ飛び 四回頭と足先が天地逆転した辺りで 体は雪の上へと落ち止まる

「ぁが…うっ!?」

一発だ、今のは一発の攻撃だ、なのに…頭がクラクラする、信じられないパワーと圧倒的に巨体から叩き出される一撃が エリスの脳を揺らし内臓を歪め 足が震え立ち上がれない

「ふん…、このまま踏み潰してやる…」

のしのしと頭の向こうから音が聞こえる、踏み潰すって?あの巨体で?それはダメだ 流石に死ぬ…けど、動けな…

「させるかよ!」

そんなエリスを守る為 アマルトさんが剣を作り出し斬りかかる…しかし

「遅い…!」

「ちょっ!?嘘ぉ!?」

機敏な動きでアマルトさんの斬撃を避けるのだ、あんなに大きな体なのにまるで宙を舞う紙のように軽やかで 掴み所がない

そんなネレイドさんの動きに翻弄され 振り下ろした剣が下の雪を切り裂く頃、既にネレイドはアマルトさんの背後に立ち その腰を掴むのだ、大きな手で アマルトさんの腰をがっしりと

「ふんっ!」

「うぉっ!?」

そのまま凄まじい勢いでアマルトさんの体を持ち上げる、両手を頭の上へとやり アマルトさんの体を引っこ抜くように上へ上げる…、ただそれだけの行動だと言うのに

「た 高けぇ…」

高い、アマルトさんが絶句する程に 高い、大地があんなに遠くに見えて顔から血の気が引いていく、ただ体を振りかぶっただけなのに アマルトさんが天を衝くような高さまで持ち上げられて…、ネレイドはそれを…

「ポセイドン…バスターッッ!!!」

振り下ろす、槌で杭を打つように 手に持ったそれを地面に叩きつけるように、己が出せる最大高度から 一直線に腕を振るい、アマルトさんを地面へと叩き込む…

謂わば叩きつけだ、相手の体を持ち上げ 地面へと叩きつけるだけの容易い攻撃、だが それはネレイドの特異な体によって肥大化する、威力もスケールも全て

「あ アマルトさん!」

雪煙が晴れたそこには、地面に上半身を埋めたままぐったりと脱力するアマルトさんの姿があった、死んでないよな…死んでないにしても あれはもう動けない

やられた、アマルトさんが…一瞬で…!

「エリス様!ネレイドはレスリングの達人です!、レスリングは多くの投げ技を持つ武術!、掴まれたらお終いです!」

そんなアマルトさんを助ける為 メグさんが咄嗟にナイフを出して投擲する、二本のナイフを射出し 一本防いでも続く二本目が相手に迫る絶技だ!それと共にエリスに向けてネレイドの技へと勧告を行う

レスリング…、相手を掴み 投げることを主体とした武術、本来は柔らかな床の上で行う競技、しかし それをこんな大地の上で行えば、それは即座に強力な殺人技にもなり得る

ましてやネレイドはこのスポーツ大国オライオンにおけるレスリングの男女双方に於けるグランドチャンピオン…稀代の達人なんだ、オマケにあの巨体 持ち上げられて投げるだけで相当な威力だ

「効かない、そんなおもちゃ」

メグさんが咄嗟に放つナイフ、それを前にネレイドが取った行動は…無だ、無視した ナイフを、当然ネレイドの体にはナイフが二本刺さるが…

小さい、なんてナイフが小さく見えるんだ…、普通の人間なら致命となるナイフも ネレイドの巨体を前にしては意味がない、突き刺さっても筋肉を断裂させるには至らず 弱々しく突き刺さり 血が滲む程度だ

大きい…とはそれだけで武器にも防具となるのだ

「あらまぁ全然効いてない…、参りましたねこれ、なら もっと大きな武器を用意して…」

「させない…!」

ナイフが効かない それを見たメグさんが動き出すと同時に、ネレイドは態勢を低く低く屈め 大地を這うような速度で疾駆するのだ、まるで雪を切り裂く大蛇のように 瞬く間にメグさんに肉薄する

「メグさん!逃げて!」

「チッ…」

飛ぶ、ネレイドは確かに速いが メグさんはもっと速い、速度勝負ならメグさんが圧勝するだろう、事実 ネレイドが詰めた距離はメグさんの一度の飛翔により一瞬にして開く

レスリングは投げ技主体、つまり 掴まなければ何にもならない、手の届かないところに行けネレイドは打つ手が…

「逃がさないと言っている…」

あった、雪を這うようにして進むネレイドが手を伸ばす ただそれだけで空へと逃げたメグさんの足を掴んだのだ、届くんだ ネレイドは 普通の人間じゃ届かないような上空でも、当然体が大きければ手も長い、それは即座にメグさんの足を捉えるように飛び …掴んだ

「あ、やば…」

その言葉を置き去りにメグさんの体が大きく振り回され ネレイドによって投げ飛ばされた、意識さえ置き去りにするような神速の投げはメグさんでさえ対応出来ず、…いやそもそも 抵抗させないように投げているんだ レスリングとはそう言うものなんだ

「メグさん!!!」

エリスの叫ぶも虚しく 投げ飛ばされたメグさんの体は遠く離れた木に激突し、それを真っ二つにし止まる、立ち上がる気配はない 気絶したか!、やばいぞ 一気に二人もやられた、いきなりの襲撃で不意を突かれたのだとしても…

強過ぎる、闘神将ネレイド…ここまで強いのか!

「くっ、…」

「後はお前だけだ、神敵エリス」

「ネレイド…!」

ヨロヨロと起き上がるエリスを前に影の巨人が立ち塞がる、立ち上る闘志と魔力の凄まじさは更に彼女の体を大きく見せる、臆しているんだ エリスが…、それだけ彼女の内に秘める物が重厚なのだ

「神が殺せと…そう言ったから殺すのですか…」

「そうだ、神託を受けることの出来る魔女リゲル様が お前達の名を指し示したと、報告があった…故に急いでお前達を追いかけた、幸い 雪に跡が残っていたからな…」

ああなるほどね、雪か…盲点だったな

しかし、魔女リゲル様が…ってことは十中八九シリウスの指示だ、なんてことはない 彼女達がテシュタルの神託だと思っているそれは 魔女シリウスの命令に他ならないのだ

「違うますよ、…それは神託じゃありません」

「…………」

「貴方達の魔女様は今…悪しき存在の命令を受けて動いているだけなんです、その神託だって…その存在が」

そこまで口にした瞬間、雪が跳ねた ネレイドの足元が雪が 振り上げられた彼女の足により跳ね飛ばされ、それはそのまま蹴りとなり エリスの胴体を蹴り上げる

「ごはぁっ!?」

「悪しき存在?我等が神を愚弄するか…、魔女リゲル様が神託と言ったら神託なのだ、彼の方に命令出来るのはテシュタル様をおいて他にいない…それを貴様、言うに事欠いて悪しき存在と…!」

大地に叩きつけられる頃 既にエリスの体の中に空気は残っていなかった、絶大な衝撃に体を蹴り上げられ 胃液とともにそれを吐き出してしまったのだ、まずい…詠唱が出来ない

「ゲホッゲホッ!」

「やはりお前達は神の敵らしい…、我らがテシュタル様を否定する全ては…我らオライオンの敵だ」

「や…やめ…」

その大きな手がエリスの首を絞め上げる、万力のような力を前にエリスの力のなんと微々たることか

圧倒的怪力 圧倒的瞬発力、鍛錬だけでは辿り着けない物を持ち合わせ 鍛錬にのみ得られる全てを持ち合わせる存在、それがこの人なのだ…

「くっ……」

だけど、ここで終わるわけにはいかないのだ…、道半ばにして 師匠に会わずして、エリスは…!

(死ねないッッ!!)

「ん?……っ!?」

刹那 炸裂する颶風はエリスとネレイドの間で爆発して、両者を弾き飛ばし距離を作り出す

雪に二つの線を残し後ずさるネレイドは不思議そうな顔を、ネレイドの手から零れ落ちるエリスの口元には笑みが…、まだやれますよ

「詠唱もなく…魔術を?、首は完全に抑えていたのに…」

「鍛えに鍛えて、己だけの技を手に入れたのは 貴方だけじゃないってことです、エリスはまだやれますよ!」

「むぅ…!仕方ない!」

すんとネレイドは大きく足を開き ドスンと地鳴りを起こすように足を置き、エリスと目線を合わせるように屈むのだ、たった一動作だけでも災害級の彼女が今 構えをとった 明確にエリスだけに向けて

「本気でやる…、後悔しないで…」

「後悔しない為に!、闘うんです!」

とは言うが?、正直旗色が悪いどころ騒ぎじゃない、エリスとしては急いでアマルトさんとメグさんを回収してラグナ達と合流したい、ここにネレイド一人で来ているとは考え辛い 来ているなら神聖軍や他の四神将も居ると考えるのが普通だ

ネレイドに加えそんな大戦力に囲まれては戦いとかそういうこと言ってる場合ではなくなる

隙を見つけて、逃げないと…

「…………」

「…………」

ジリジリと詰めるネレイド、ジリジリと遠ざかるエリス、彼女の腕の射程範囲に入ったら終わりだ、だが…

足、まるで樹木のように太く長い、これを一つ曲げてから伸ばすだけで 凄まじい跳躍力を生むだろう

腕、まるで伸びきった木の枝のように長く、常識の範疇に収まらない射程範囲を持つ、オマケに一度掴まれればアマルトさんもメグさんも抜け出せない程強く握られ早く投げられる

彼女はこのオライオンでは聖人の一人に数えられているようだが…、エリスから言わせればこの人は超人だ

「…『旋風』」

「ッ……!」

エリスの詠唱に反応し ネレイドが動く、その迫力はまるで雪を吹き飛ばす列車だ、雪の大津波を左右に弾きだしながら猛然と低い体勢のまま突っ込んでくる、このまま旋風圏跳で後ろに飛んでも恐らく間に合わない、あのメグさんで逃げ切れないならエリスでも無理だ

ならば、そう小さく身構えると

「このまま…投げ飛ばす!」

伸ばされた その長い長い 大きな大きな両腕がエリス目掛けて、あれに掴まれれば瞬く間に敗北するだろう

だが!エリスはそれを待ってたんですよ!

「『…圏跳』ッ!」

「んなっ!?」

敢えてこちらから突っ込む、射程範囲に突っ込むのはタブーである 、故に突っ込んでくることはないとネレイドは思っているだろうがな、違うんですよ!

そそもそもだ、ネレイドの射程とは『何処を中心』として広がっている?、ネレイド自身を中心としているわけじゃない、ネレイドの攻撃の射程範囲は『その両手を中心』として動いているんだ

だってそうだろう?、胴体で投げられるか?胸で投げられるか?投げられない、手で掴まないと投げられない、だから そんな風に手を前に突き出してしまえば ネレイドの攻撃の起点となる存在はネレイドから離れる 体は無防備になる

体が大きすぎるが故に 腕が長すぎる所為で生まれる弊害だ、故にエリスはその伸ばされた両手の間を潜り、腕を突き出す姿勢のまま呆気を取られるネレイドの顔面へと足を突き上げ

「ぐぅっ!?」

風を纏い 加速した蹴り上げは的確にネレイドの顎を射抜き…

刹那、打ち上げられたネレイドの目が ギロリとこちらを睨む

「ってダメだこれ、効いてないわ」

「ぅぐぁあぁっっ!!」

顎という人間の急所に一発貰ったというのにネレイドの動きは鈍ることもなく、むしろエリスを追い払おうと軸足を中心にグルリと体を回転させるのだ、ただの回転だ だが彼女が行えばそれは人工のハリケーンとなる

轟音をあげて生まれる風に思わず体を持っていかれそうになるも、即座に風を足先に集中させ 一気に距離を開ける、ダメだな エリスの近接戦程度じゃダメージなんか与えられそうにない

…古式魔術で攻撃するしかないか、…彼女は優しいけど もうウダウダ言ってられないな、今はともかく生き残ることを考えねば!

「エリスもマジで行きますからね!ネレイド!」

「神の敵は滅する、それが我が神将の定め…!」

距離を取る 大いに取る、最早ネレイドの手でさえエリスを捉えることさえできないくらいの遠方で構えを取る、投げ技が主体ということは 彼女は遠距離に対する攻撃法を持たないはずだ、何せ 彼女はこの戦いで徹頭徹尾相手に接近することに努めている

つまり、近づけさせさえしなければ良いのだ

「ちょこまかと…!」

「貴方が追いかけてくるからでしょ!、この…焔を纏い 迸れ俊雷 、我が号に応え飛来し眼前の敵を穿て赫炎 爆ぜよ灼炎、万火八雷 神炎顕現 抜山雷鳴、その威とその意が在る儘に、全てを灰燼とし 焼け付く魔の真髄を示せ 『火雷招』!!」

クルリクルリと宙を舞い、逃げ回り反転しながら放つのは火雷招、この雪しか降らぬ国に降り立ちし熱の権化はバリバリと音を上げ あたりを一瞬で光で包み、空も大地も覆う雪を融解させる

世界は瞬き一つする間に赤に染まり、気がつけばネレイドは追う側から追い立てられる側へと入れ替わる

「ッ!?これは…古式魔術…!?」

初めて見る大規模魔術を前にネレイドはたたらを踏む、これはエリスが思う話であって 妄想でしかないのだが

ネレイドはきっと未経験なのかもしれない、自分の体をもってして受け止められないかもしれない攻撃を前にするのは、今まではどんな攻撃を前にしても『最悪耐えればいい』という選択肢がどっかにあったわけだ

けど、今回は違う 今回ばかりは違う、この巨大な熱の塊を受け止めるという選択肢は絶対に取れない、となると今度は翻って邪魔になるのがその巨体、まるで的だ…当ててくださいと言わんばかりの 大きな大きな的でしかない!

「神の敵?何をバカなことを!エリスはエリスです!孤独の魔女の弟子エリスです!、神様は今お呼びじゃないんですよ!!」

そのは大地を揺らし雲を突き抜け轟音となり、真紅の閃光を伴って拡散する、エリスの放つ火雷招を前にネレイドが取ったのは防御だ、両手をクロスさせ 雷を受け止める道を選んだのだ

まぁ、ネレイドの耐久力なら耐えるだろう…だが

「くっ…」

晴れる煙、地面の雪が蒸発沸騰し、立ち上る湯気の中腕をクロスさせた姿勢でがくりと膝から崩れ落ちるネレイドは苦悶の表情を浮かべ、痺れる腕と足でなんとか立ち上がろうともがくが…

そもそも火雷招は人間に受け止めきれる威力ではない、防御されることもある 弾かれることもある、だが受け止められたことはない それが出来るのは魔女クラスだけだ

さしもの彼女も 体で受け止めては大ダメージは免れない

「…優しい貴方を傷つけるのは、少々心苦しいですが、それでもエリスは先に進まなくてはいけないんです」

「待て…神の敵…」

「待ちませんよ、エリスは敵じゃありません、神の敵でも 貴方の敵でもない、エリスはただ 師匠を取り戻したいだけなんです、この国に危害は及ぼしませんし 貴方達の信仰にも敬意を払います、だから…」

退いてくれ、今だけは道を譲ってくれ そう、ネレイドさんに告げた瞬間、目の前の彼女は意識を失うようにがくりと前のめりに倒れ……


……そして、倒れ伏したネレイドの体は 光の粒子となって消え……え?

「なっ!?」

舞い散る光の粒子が エリスの目の前で舞い踊る、先程までネレイドだったそれが 宙に舞う、…消えた ネレイドが跡形もなく…

ある、見たことある、エリスこれ!見たことある!、呼び覚まされる記憶と共に エリスの背筋がゾッと寒くなり…その冷たくなった背中から 声が聞こえる

「何処を見て、誰と話してるの…」

気がつけば エリスの周囲は夜になっていた、いや違う 背後に立つ存在によって太陽が覆われているんだ、その存在の陰に すっぽり覆われているんだ

何を勘違いしていたのか、何を思い込んでいたのか、ネレイドという人間を注意するに当たって最大の要因たる部分を見逃していた、いや 彼女の圧倒的フィジカルを前に霞んでいたが

そうだよ、ネレイドはレスリングの達人にして肉体面における超人であり、夢見の魔女リゲル様の弟子…その幻惑魔術を受け継いだ存在じゃないか!


(まさか、さっきの全部…!幻!?)

慌てて振り向けば、いる…居た ネレイドが エリスの目の前で エリスを見下ろしている、一体いつからエリスは幻覚を相手に戦っていたんだ、一体いつエリスは幻を見せられたんだ

少なくともさっき雷をぶつけたあれは 虚像だ、既にあそこにネレイドはいなかった…エリスは、まんまと騙されて

「古式魔術か…、やはりお前も魔女の弟子か…」

「くっ!」

逃げないと!、今 エリスはネレイドの腕が届く距離にいる!掴まれたら終わりだ!、そんな思考に支配されて エリスはネレイドから目を離さずに背後へとすっ飛ぶ、しかしネレイドはそんなエリスを追う素振りも見せず

ゆっくりと ゆっくりと、されど確かに…魔力を高めていく

「驚異的だが、『それ』を使えるのは…お前だけじゃ…ない」

腰を落とし 拳を構え、肺を流動させ 大きく息を吐き…続くように吸い込む、来る 古式魔術が、ネレイドがリゲル様より受け継いだ絶域の大魔術が!幻惑魔術が!

「一色を写し 十元を象り 百影を伸す 、移る代わる無限無形の理、其れ則ち」

詠唱だ、防御しないと それとも回避?でもリゲル様が幻惑魔術の使い手である以上彼女もまた幻惑魔術を使うに決まってる、だとすると物理的な破壊力はないはずだ

それともリゲル様のように痛覚に直接刺激を?、どちらにせよ 注意深く観察して回避すれば問題は……

そんなエリスの一瞬の油断を縫うように、ヌルリと嫌な予感が首元を撫でる、それは直ぐに現象となって 結果をもたらす

「『千景空掌』」

大きく開かれたネレイドの掌が光り輝き、真っ白の閃光が瞬く間にエリスを包む、避けるとか 対処とか、そんなレベルの速度じゃない、光よりも尚早い『感覚』に直撃する微睡みは即座にエリスの五感を狂わせる

「なっ…!?」

それはストレートな幻惑であった…、そもそも幻惑魔術とは偽りの景色を見せる というだけの魔術だ、それを磨き抜いた結果 視覚以外にも影響を及ぼすことはあるが、基本は視覚のみにしか影響は及ばない……

何故、視覚だと思う…?、何故 数ある感覚の中で視覚にだけ作用する魔術が生まれたか、それは単純だ、あらゆる五感の中で 最も近いからだ

視覚は 脳と最も距離が近い、直結と言っていいほどに


「あ…ああ…!?」

エリスを包む幻影、そんなエリスに幻惑は何を見せるか?何が見えるか?

海だ…青々とした海、カモメが飛ぶような綺麗な海が見え…違う、荒野だ 赤茶けてギラギラと太陽を照り返す荒野…じゃない、街だ 人が跋扈する街 ではない、草原?城塞?森?川?黄昏?深夜?谷平原山畑戦場港砂漠密林焦土桃源九天九泉八衢

全てに見える景色が全て見える、それこそ千にも及ぶ情景が目に飛び込んできて それがそのまま脳に降りかかり、エリスの…人間の小さな脳みそでは処理し切れない圧倒的情報を前に 今、エリスは エリスの脳みそは

……ショートした

「か…はぁ……」

まるで糸の切れた人形のように 鼻血を流し白目を剥いて倒れるエリスを前に、ネレイドは鼻息を一つ鳴らす

「神敵撃滅…」

現代幻惑魔術は、ただ単に幻を見せてその間に術者が逃げる為に使われる 謂わば卑怯者の魔術として知られている

ネレイドは思う、それも一つの使い方である だが、所詮 幻惑魔術の一つの使い方でしかなく、本道ではない

幻惑魔術の真髄は『人体特攻』、人間である以上避けられない錯覚をそのまま武器にするそれは、時として人の脳を焼き焦がし 感覚を切り裂く、防御も回避も不可能な…一撃必殺の剣なのだと

「この程度か、神の敵…」

ネレイドが見回す、周囲には倒れ動かなくなったエリス アマルト メグの三人の姿がある、神託では数は六人だったはずだが

「…街の方にいるのかな、残りは…」

どの道此奴らに逃げ場はない、既に街は神聖軍と他の神将に包囲されている、聖都より神託が降り 教皇より神敵撃滅の礼が降りた時点で 神聖軍は動き出した、瞬く間にこの街に奴等がいるであろうことを調べ上げ 一日で追いつき包囲を完了させたのだ

そこにこちらの消耗とか、こちらの被害とか、そんな眠たい事を考える奴はいない、神の敵がそこにいる以上 手足が捥げようとも何人死のうとも、必ずやそこに辿り着き 皆殺しにする、それが神聖軍の役目…テシュタルの厳かなる剣たる 我等の使命なのだ

「おや、救援に来たつもりでしたが…流石は我等が将軍、もう終わっていましたか」

「……トリトン」

チラリと背後を見れば、倒れ伏した魔女の弟子たちを見てフッと笑うトリトンの姿が見える、彼には街の包囲を命じたはずだが…まぁ、街の方はローデとベンテシキュメがいれば事足りるか

「他の魔女の弟子であれ敵にならぬとは流石です」

「不意を突いたから…当然」

「真っ向勝負でも貴方は負けませんよ、絶対に…」

するとトリトンは腰の剣を抜いて、目の前で倒れ伏すエリスの首に 鋒を突きつけ

「ですが、神敵の薄汚い血で我らが英雄の五体を穢す事など出来ません、断罪の汚名は我が剣が被りましょう」

後は私が全員殺しておく というのだ、トリトンは…

彼もまた殉教者、神が殺せと言うのなら 躊躇なく殺せる、そこに疑いはない、事実トリトンは容赦なくエリス目掛け剣を振り上げ

「…待った」

「なっ!?ネレイド様!?」

しかし止める、振り上げたトリトンの切っ先を摘んで 断罪を止める、当然向けられるのはトリトンの信じられないと言った疑いの眼差し、しかし ネレイドはそれさえ受け流し 小さく首を横に振る、殺すな と

「何を考えているので?、こいつらは神の敵ですよ?、許し難き悪逆の徒ですよ?、守るのですか?」

「神の敵であれ 悪逆の存在であれ、この世に許し難い存在はいない、…どんな悪にも更生の機会を どんな時でも許しの心を…と、テシュタル様も言っていた」

「それは…、そうですけど」

「この子達がテシュタルの敬虔なる信徒に改宗するなら、きっとテシュタル様もお許しくださる…」

どんな存在にも許しの機会と更生の機会を与える、如何なる悪も絶対に許さぬオライオンにおいて その教えもまた絶対だ、もしその教えがなければ この国には世界一の大監獄は存在しない、きっとあれがある場所には巨大な処刑場が代わりに存在していたはずだ

つまり、殺してはいけない、彼らはまだ 更生の機会を与えられていない、ならここで殺すのは教えに反する、例えそれが神の敵でも テシュタル様はお許しくださるはずだ、我らが崇める神ならばきっと

そうネレイドが見つめれば、トリトンもまた剣を収め…

「全く、貴方は優しすぎます」

「…えへへ」

「褒めてません!、ですがまぁ良いです どの道此奴らは彼処に送るのでしょう、ならば 私の管轄です」

「うん、お願い…この子達を縛り上げて…、残りの三人も 私で捕まえてくる」

まだ仕事は残っている、街の方にいるであろう三人もまた捕まえて、この一件を終わらせる…

邪教アストロラーベという神の敵を屠り、紛れ込んだ魔女の弟子六人も捕まえて、この国に再び一切の揺らぎのない平穏を齎し、神の恵みを再び取り戻すんだ

きっと、そうすれば…そうすればいいんだ、そうすればまた…教皇様は…リゲル様は…

お母さんは…、また 昔みたいに優しいお母さんに戻ってくれるはずだから…

ネレイドはただそれだけを妄信的に信じ、戦い続ける…

…………………………………………………………

「さて、そろそろいいか?」

「ちょっと不安ですね、…本当なら数日準備を固めたいところですけどね…」

メルクリウスは顎をさすり サトゥルナリアはやや難しい顔で考える、そんな二人の先に見えるそれは…

「あああぁ…、寒くなってきた…」

身の丈ほどの大きさのリュックサックをパンパンに膨らませ それを軽々と背負いながらガタガタ震えるラグナである…

三人はあれからズュギアの森をメグの手助けなしで越えられるよう物資を補給していたのだった

食料や道具と言ったあれやこれやを諸々買っていたら結構なサイズになり また時間もかかってしまった、寒さに弱いラグナも長時間外にいた為か青い顔をしてガタガタ震え始めてきた、まぁ言い出しっぺだから文句の一つも言わないのだが…

「ここらが潮時だろう、後は森の中でなんとかするしかあるまい…」  

「そうですか?、まぁ森には動物もいるでしょうし 最悪メグさんの負担にならない範囲で頼れば良いですからね」

結構時間かけちゃいましたから とナリアはエリスたちを待たせてしまっていることを気にしているようだったが、メルクリウスの目は そこを見ていなかった

(さっきから店主達の様子が明らかにおかしい、上っ面では普通に相手をしてくれたが…あの目は腹に何かを抱えている人間の目だった)

買い物をした時 店主がメルクリウス達の顔を見るなり やや怯えたような目を一瞬見せたのだ、こう言ってはなんだが 三人は誰かに恐れられる見た目をしているとは思えない、だとすると 残る可能性は……

もしかしたら、こちら側が思っている以上に事態の進展が早い可能性がある 森に行くなら早いうちの方がいいだろう、とメルクリウスは一息つく…

「帰るぞ、ラグナ」

「お…おー!」

「おい大丈夫か?、かなり震えているが…」

「も 問題ないって、大丈夫大丈夫」

それにさっきからラグナの震えが異常だ、寒さに弱いなんて情けないなんて言わない、アルクカースは世界でも屈指の熱帯地帯だ、そこから一気に世界屈指の寒冷地帯に飛ばされたのだ、無理はない

アルクカース人は熱に対して耐性を得る代わりに寒さに対して弱くなっている、これは八千年の長い歴史で作り出されてしまった一種の適応進化の弊害だ、アルクカース人はどうあっても寒さに弱い

(ああやって震えているだけでもエネルギーを相当使うだろう、早いうちに戻ってやらないと メグより先にラグナが倒れるかもしれないな)

震えるラグナと次の旅路を気にするサトゥルナリアを連れて歩き出すメルクリウスの三人は、雪を蹴り上げながらガメイラデアの街の大通りに出る…

かなり広い通りだと言うのに、誰もいない 誰一人としていない、そんな不気味な静寂の中…

「騒がしいな…」

ラグナがポツリと呟く、騒がしいと その目つきはあまりに険しい…

「え?、何言ってるんですか?ラグナさん…こんなに静かなのに…」

「シッ、…メルクさん」

「ああ、どうやら…始まってしまったようだ」

恐れていた事態が、始まった その言葉と共にラグナは震えを抑え メルクリウスもまた銃を作り出す、もっと早く気がつくべきだった、この街の住人が一人として外に出ていない時点で

そりゃそうだ、きっと私が向こう側なら同じことをする、被害を抑える為 住人に外出禁止令の一つくらい出す、民に歩き回られては邪魔で仕方ないからな…

「ナリア…離れるな?、一気に馬車まで走る」

「え?…え?」

ジリ とラグナが一つ雪を踏みしめた、その瞬間であった

ラグナとメルクリウスの目の前の雪が モリモリと盛り上がり 刹那のうちに山を形成したかと思った瞬間…

「逃すか!、神の敵ィッ!」

「ギャァ!雪から男の人が生えてきました!」

飛び出してきた、降り積もった雪の下に隠れていた大男が、その手には剣 その目には敵意 身に纏うそれは…

(テシュタル神聖軍!?もうここまで来ていたか!)

テシュタル神聖軍 あの凱旋の場にいた兵士が剣を片手に雪の下から奇襲をかけてきたのだ、この極寒の中 さらに雪の下に隠れていたにもかかわらずその動きは機敏であり、即座に三人に肉薄し

「邪魔すんなァッ!!」

「げふぁっ!?」

咄嗟にリュックから腕を抜いたラグナが それをハンマーのように振るい襲い来る兵士を一切の躊躇も驚愕もなく一撃で吹き飛ばし、遥か向こうの家屋へと打ち込み飛ばす

「敵襲だ!、クソ野郎どもが…もうここまで来てやがった!」

「神聖軍!?、そんな!ここは彼らの通り道じゃ…」

「単純な話だ!、追ってきたんだろ!早すぎるがな!」

ラグナの舌打ちと共に、現れる 家の軒下から 屋根の上から雪を引き裂き影を抜け出し、みるみるうちに無人だった街は剣で武装した巨漢達により埋め尽くされる…

こんなに隠れていたのか…、そりゃラグナも騒がしいと言いもするな…

「ぎゃー!?こんなに!?」
 
「やべぇな、エリス達が心配だ…、急ぐぞ!」

「急ぐとは言うが、既に包囲されているぞ…、一人一人相手をしていては我々も逃げられなくなる!」

既に包囲は完成しつつある、既に神聖軍が姿を現した以上 奴等が攻撃に転じ始めたと見るのべきだ、このまま徐々に包囲を狭めるだけで我らは逃げ場どころか抵抗する術さえ失うだろう

足を止めて相手はできないぞとラグナに向ければ…

「っ!、なら!」

先に動いたのはサトゥルナリアだ、彼は神聖軍の及ばない民家に立てかけられた大きな板を引きずりながら、それに向けて石を擦り付けていて…

「何をしているんだ…、もう敵が目の前まで来てるんだが?」

「もう少しお待ちを…、石じゃやっぱり描き辛い…」


「おうおうおうおう!、…テメェらか?、我等が神の敵は…不敬極まる極悪人どもは!」

そんな我等に向けて響く声が一つ、既に完成しつつある神聖軍の包囲を切り裂き その奥より二本の処刑剣を引きずり現れるのはスカーフェイスと葉巻の煙

「お前は……」

我等はその女の姿を見知っている、その女の肩書きも実力も名前も…全て知っている、故に警戒する、そうだ 奴はこの教国における最大の脅威、可能ならば避けて通るべき相手…

四神将が一人 罰神将のベンテシキュメ・ネメアーが葉巻を咥えてニタリと笑う

「四神将…!」

「へぇ、あたいの名前を知ってるかい?、ならあたいがどんだけ恐ろしいかも知ってるよなぁ!、テメェら神の敵をぶっ殺す事がオシゴトの邪教執行長官ベンテシキュメ様だ!」

「こいつすげぇアルクカース人っぽいな…」

アルクカース人の気性の荒さにも似た荒々しさを醸し出すベンテシキュメを前に、ラグナは静かに構えを取る、四神将がここに現れた以上 最早一刻の猶予も一抹の油断も許されない、…戦うより他ないか

「なぁおい、神の敵とかなんとか言っちゃあいるがよ、俺達まだ何にもしてねぇんだが?」

「やったやってないは関係ねぇんだよダボが、神がその存在を許さなかった それだけでテメェらは生きてちゃいけないのさ…、この国に何しに来たかはしらねぇが 神に愛されなかったその身を呪え」

こっちの都合は関係ない 神が我等の存在を許さなかった…か、彼女達が何を聞かされているかは分からないが裏で何が動いているかは理解出来た、恐らくはリゲル様とその背後のシリウスが動いたのだろう

我等の到来を察知してか予感してか、神聖軍を動かし迎撃に当たらせたのだろう…、自らが動くまでもない と言ったところか

「阿呆らしい、テメェの敵くらいテメェで決めろよ、神がどう言ったかはしらねぇが俺達ぁテメェんところの教皇とその裏にいる奴に用があんだよ、邪魔すんなら踏み潰すぞ」

「おいラグナ!煽るな!」

「あ…ごめん、いつものノリで…」

「どんな日常で生きてるんだお前は!」

「アッハッハッ!知ってるよ!テメェらがエノシガリオスを目指しているだろうこともちゃあんと教皇様から聞いて、…ん?」

ふと、目の前で大口を開けて笑うベンテシキュメに耳打ちをするように近寄ってくる気だるそうな以下にも不健康といった顔付きの女が現れ、ボソボソと小さい声で何かを伝えると…

ベンテシキュメの凶悪な顔が更に悪どく歪み

「…あんだよ」

「ふひひ、どうやらウチの御大将があんたらの仲間を捕まえたようだぜ?、メイドと癖毛の男とコートの女の三人をなぁ、残念ながらウチの御大将は無敵でな 痛い目みたくなけりゃここで降参しな」

「メイドと癖毛の男と…コート女…、だと」

浮かぶ、脳裏に浮かぶのは馬車においてきた三人、メグとアマルトとエリスだ、あの三人が奴等に捕まったというのだ

あり得ない、あり得るわけがない あの三人が捕まるわけがない、エリスの実力の高さは知っている アマルトの巧みさは知り得ている、メグの能力の高さもまた…その三人が敗北したというのか

「ハッタリはよすんだな、我等の仲間は弱くはない」

「嘘じゃねぇよ、テシュタル様の教えにもあんだろうが嘘は良くないって、邪教執行長官たるこのあたいが!そんな基本的な教えも守れねぇと思うか!」

「知るかそんな事!」

絶対嘘だ彼らが負けるわけがないとメルクウリスは吠える、しかし…そんな彼女の咆哮を止めるのは…

「やめろメルクさん、多分マジだぜ」

ラグナだ、彼は極めて冷静に されど頬に冷や汗を流しながらもあれが本当だというのだ、ラグナ お前…みんなの力を疑っているのか

「ラグナ…お前、エリス達を疑うのか」

「そうじゃない けどメルクさんだって知ってるだろ、エリスはスイッチが入るまでが極端に遅い、アイツはリベンジに強い代わりに初戦には滅法弱い…不意を突かれりゃ負けもあり得る」

たしかに とメルクリウスは内心手を打つ、確かにエリスは大事な局面では勝つが それ以外ではむしろ負け星の方が多い、スイッチが入れば無類の強さだが スイッチが入らなければ実力の半分も出せない

場面が緊迫していればいるほど強いということは反面、唐突に襲い来る同格以上の敵に非常に弱いのだ

アマルトも何だかんだ言って実戦経験は浅い、メグもここまで働き詰めで消耗が著しい…、と言うことは

「本当なのか…」

「ああマジだよ!、残念ながらアイツらはもう連行したぜ?…どこに行ったかは…、まぁ お前らも今からそこに行くんだ、着いてからのお楽しみってなぁ…」

「チッ…」

両手に剣を にじり寄るベンテシキュメを前にメルクリウスは慚愧に駆られる、油断していた

ここまでの旅路が安穏としたものであったが故に、どことなくなんとかなる そんな空気が私の中で漂っていたのは事実だ、何を甘いことを…、ここは敵地 相手は大国、この旅路が決死のものであったはずなのに

己の間抜けさを呪う、私が年長者なのだから もっとしっかりと皆を糺すべきだった、そんな私が気を抜くなんて、軍人時代は絶対にそんなことしなかったのに…、デスクワークが続いて衰えたのか 感覚が…

はっきり言って絶望的な状況、仲間は囚われ 我等もまた包囲されている、ひっくり返すには相当な手札がいる、この状況でラグナは…

「…へっ、勝ったつもりかよ」

笑う、この戦況でさえ 彼にとっては不利にさえならぬと言わんばかりに

「勝ってんだよ、もうな」

そんなラグナの笑いにベンテシキュメが無表情で返す、ここからは仕事だと 剣を構えれば、周囲の神聖軍もまた静かに構えを取る…、やるしかないか

「おう、ベンテナンチャラ」

「ベンテシキュメだアホボケが!」

「ああ、礼を言うぜ?何から何まで教えてくれてよ、それがお前らの告解ってやつか?、お陰でこっちは…俄然燃えてきたぜ?」

滲む汗で髪をかきあげるラグナは構えを解く、まるで戦う気がないとでも言わんばかりに…ん?、なんだラグナ こっちを見て目配せして、待て待てなんだ!なんの合図だそれは! 

「燃えてきた?この場を切り抜けられるやつの言うセリフだぜ?そりゃあよ!」

「切り抜けられる…、じゃねぇよ」

刹那、ラグナは私の腕を掴むと共にトンっ と軽やかに後ろに飛び…

「切り抜けてんだよ、もうな」

意趣返しに笑うラグナ、彼が私の体と共に着地したのは…

ナリアが先程用意していた 木の板の上で…

「出せ!ナリア!」

「はい!、『噴烈衝波陣』ッ!」

刹那、我等の体は急激に前方へと加速する、ナリアが描いた魔術陣が猛烈な衝撃波を噴射させ 雪の上を高速で滑りだしたのだ、まるで 急拵えの雪橇だ、その上に乗る我等も当然 凄まじい速度で雪を滑走し神聖軍の引く包囲の一角へと突っ込んでいく



「はぁっ!?なんじゃそりゃ…オイ!止めろ!」

「ハッ!神に誓って!」

しかし、猛然と加速する雪橇を前に 神聖軍は臆することなくその場で態勢を低く取り 横にいる人間と肩を組み さらに背後の人間はそれを支えるように体を預け、一瞬にしてスクラムの姿勢を取る

なんと鮮やかな動きか、そこに一切のラグも隙間もない、完璧な防御陣 差し詰めあれは筋肉の壁、あんなもの突っ込んだら こんな急拵えの橇なんか吹き飛ぶぞ!?

「邪魔を……」

しかし、それを前にラグナは雪橇の上で小さく屈み 下の雪を掬うように手を突っ込むと共に

「するんじゃあねぇよッッ!!」

かきあげた、巨大なスコップで大地を抉るかのように強引に腕力だけで雪を跳ねあげれば それは雪の津波となり、圧倒的な衝撃となって目の前のスクラムを破壊するように吹き飛ばす

「おおわっ!?、ラグナさん!無茶しないでください!、雪橇が壊れちゃいますよ!これその辺の板なんですから!」

「悪い!、けど道が開いた!、このまま俺達が停めた馬車の所に行ってくれ!」

エリス達は負けた可能性が高い、ベンテシキュメの言葉が本当ならもう連行された可能性もまた高い、それをラグナも理解している けどそれでも確認しておきたいんだ

あれがハッタリである、そんな一抹の可能性を信じたいんだ

「おお…見事な…」

「何ボサッとしてんだ!追え!、おい!あたいの板持ってこい!早くしろ!」

「そ それが、馬橇の方へ置いてきてしまい…、市街地故 使用はしないと長官が…」

「ハァ~~~?、んな事あたい…言ったな、チッ しくったか、ともかく追え!神聖疾駆隊!」

しかし ベンテシキュメ達も黙ってない、比較的身軽な格好をした神聖軍の兵士が凄まじく綺麗なフォームで腕と足を上げこちらに向かって走りだしてくるのだ

これが速いのなんの、これがスポーツ大国オライオンの兵士、全員が全員一級のスポーツマンだけで構成された軍隊、厳しい環境と教義により幼少より鍛えに鍛えあげられたそのフィジカルはアルクカースにも匹敵するだろう

「うわぁー!、き 筋肉が追いかけてきますよー!、あ あれじゃあ追いつかれて…」

「ナリア!君はこの雪橇の運転に集中しろ!、あれは私が迎撃する!」

迫る追っ手を前にナリアには運転に集中させる、ラグナに撃退させるのも手だがこいつは良くも悪くも破壊力がある、あり過ぎる、この不安定な橇の上じゃ最悪横転する可能性もある

なら、この場で唯一 遠距離に攻撃できる私に!

「顕現!」

両手に白と黒の長銃を作り出し、容赦なく連射する、死なないよう肩や足を狙って全力で走る兵士に向けて銃弾を放つも

「シッ!シッ!シッ!シッ!」

細かく息を吐く走者達は私の銃を見た瞬間その体をくねらせるように左右に体を振り蛇行するように銃弾を躱し始める、奴ら 飛び道具を走り慣れている 

いやそりゃそうだ、奴らは軍人 戦時は魔術飛び交う戦場を駆け抜けるような男達なのだ、容易くはない

「ならば…吼えた立てる大地、星よ!生まれ落ちたその形を変質させ 新たなる姿を私が与えよう!『錬成・大錬土断崖』!」

銃を地面に向け 放つは錬金術、放たれた光の玉は大地へ吸い込まれ そのまま隆起し巨大な岩の壁へと育ち上がる、雪や大気を岩へと錬金した、さしもの奴等も直ぐには追ってはこれまい

「おいメルクさん!、街中にあんなもの作って大丈夫か!?」

「直ぐに消える!、故に急げ!」

「は はい!」

ナリアが板に体を貼り付けるようにしバランスを取って無人の街を進む、我等が馬橇を停めたのは街から少し離れた地点…

故に兵士たちが岩の壁に阻まれている間に街を抜け、記憶を頼りに馬橇のあった地点に向かうが…

「ここら辺です!」

「ここら辺…か」

停止する橇から飛び降り周囲を見回すが…、何もない、馬橇があった地点には何も…、当然 エリス達もいない、やはりあれは本当だったか…

「あ!おい!ラグナ!ナリア!あれを見ろ!」

「ん?…ってありゃあ俺たちの橇じゃねぇか!」

見回せば 少し離れた地点に我等が使っていた馬橇が破壊され残骸となって転がっていた…、その周辺には戦闘の跡と思わしき痕跡も見られる、恐らくエリス達はここで何者かと戦い、そして敗れ 囚われたのだろう

「エリス…、一体誰が…」

「メルクさん…、こいつはマジでヤバいかもな」

ラグナがゴクリと息を飲むのはその馬橇の有様だ、ただ崩れているだけじゃない…逆さになって崩れているのだ、恐らくこれを破壊した人物は馬橇を投げ飛ばし あんな距離まで移動させたということ…

馬橇一つでも相当な重量、おまけに内部は拡張されておりベッドやら棚やら凄まじい量の物品が載っていた、当然エリス達も中にいただろう、それを…まるごと持ち上げ 石ころでも投げ飛ばすように、あんな遠くまで

どんな怪力だ…

「む…」

ふと、轟音がして振り向けば 私が作り出した岩の壁、兵士達を足止めする役目を担った砦がガラガラと音を立てて崩れているのが見える、時間が経てば自壊するようには作っていたが、自然崩壊を待たずして何者かによって破壊されたのだ

あれはただの岩じゃない、錬金術を使って作られた壁だ、当然硬度も鋼鉄並みの筈…それが破壊されたのだ

「多分、あそこにいるんだろうな…これをやった犯人が」

「だな…、これはあれか?四神将最強と名高い…」

「ああ、多分 闘神将ネレイド・イストミアだ」

夢見の魔女の弟子にして このオライオンにおける最強戦力、それがこの場に現れエリス達と戦い 纏めて薙ぎ倒した、と見るべきだろう

情報は聞いていた、だがはっきり言って規格外の強さだ 想像以上の恐ろしさだ、彼女もまた魔女の弟子…それも私やラグナ エリスをも上回る歴を持つ最初の魔女の弟子、ということか

「どうするラグナ、直ぐに敵がここに来るぞ」

状況は相変わらず いやもっと悪い、雪原を超えるはずの馬橇を破壊された以上我等は先にも後にも進めない、この急拵えの橇では森は勿論 来た雪原を超えることも出来ない

しかし、街は敵だらけ…、八方塞がりだぞ

「…………、奴らも馬橇を使ってここにきてるはずだ、それを奪おう、ナリア また橇を動かして街の外周を回ろう、直ぐそこに奴等の橇があるはずだ」

「わ 分かりました!、皆さん乗ってください!」

行動は速い方がいいとラグナと私はナリアの動かす橇に乗り、再び移動を開始する…しかし、しかしだ

「ラグナ、橇を奪ってどうする…」

「………………」

エリス達が囚われている、この問題は無視できない、だが助けに行くとしても…

「エリス達は助けに行かない、このまま森に向かう」

「な!?、何を言ってるんだラグナ!本気か!」

「うわわ!メルクさん落ち着いて」

不安定な橇の上、揺れる板を無視してラグナの胸ぐらを掴む、何を言ってるんだ エリスを助けないだと?、本気かお前!

「エリスを助けないだと…?、アマルトを見捨てると?メグを置いていくと!、お前はそれを本気で言ってるのか!」

「冗談でも言わない!こんなこと!」

「ならどういうつもりだ!、どうしても行かないというのなら 私一人でも行くぞ!」

「ダメだ!助けに行くな!」

「何故だ!、相応の理由を示せ!ラグナ!」

「それがエリスの頼みだからだよ!!」

「な…に?」

思わずラグナを掴む手が緩む、助けに行かないのが エリスの頼み?エリスが自分を置いていけと…そう、言ったのか?

「…昨日、夜の番をしてる時、エリスに言われたんだ」

ラグナは語る、昨日二人で話したその時のことを…、エリスはラグナの手を取り、こう言った

『 ラグナ、頼みがあります…、これから進めば 否が応でも神聖軍の追撃は免れないでしょう、追走も逃走も…どちらも決死の物となることは容易に想像出来ます、…きっとエリス達も無事ではいられないでしょう、その戦いの最中 逸れることもあるかもしれません、…ですがもし そうなったら…エリスが逸れてしまったなら、あなたは構わず他の人を率いて先にエノシガリオスに向かってください…、エリスも必ず追いつきます』

と、そう言ったのだと言う、もし 仲間が逸れる都度合流する為動き回っていてはそれだけで仲間を危機に晒す、オマケにそれだけ時間も浪費する、私達には三ヶ月というリミットがあるんだ

危機をいち早く脱するためにも、制限時間に間に合わせるためにも、逸れたなら 個々人で進むべきだ

レグルス様の解放にはエリスが必要だ、だがエリスがレグルス様を解放するには仲間の助けが必要だ、全員がその場に揃ってさえいれ道中共にいる必要はない

故に、もし エリスが逸れ 共に行動できなくなったら、ラグナは他のみんなを率いてエノシガリオスに向かう、そういう話を昨日していたのだ…当然 今日森に発つ時この話をみんなにするつもりだったが、その予定が狂ってしまった

「…本当か」

「ああ、最初は反対しようかと思った、けどエリスの言ってることは至極正しかった、仲間と逸れる度に全員が合流に動けば そこをまた敵が狙ってくる、その時は逸れるんじゃなくて 殺される可能性だってある、…何より 俺達に残された時間は有限だ、なら 危険でもそうするべきだと俺も思った」

ラグナだって受けたくなかったし、そうならないことを祈っていた、だが事実こうなってしまった、ならば もうエリスの意思を無視して助けに行くことはできない、我々は彼女の意思に従い 我々だけでエノシガリオスへ向かう必要がある

「…大丈夫なのか、それは」

思わず口に出る 大丈夫かと、それはエリス達を助けに行かなくて というのと、我々だけというのもある、両方だ、人数が減ればそれだけ旅路も危険になる…だが

「大丈夫だよ、エリスは俺達を信じた なら俺達もエリスを信じるべきだ」

「それは…その、ナリアは…それでいいか?」

思わず 助けを求めるようにナリアの方を見てしまう、するとナリアはこちらを見ることもなく ひたすら前だけを見て

「大丈夫です、エリスさんは今までどんな困難も潜り抜けてここまでたどり着いた人です、アマルトさんも優しくて賢くて 僕なんかとは比べものにならないくらい凄い人ですし、メグさんはなんでも知っていてなんでもできます…それに」

チラリと見るのはラグナの方だ、それは確かな信頼を感じさせる視線であり

「ラグナさんは決してエリスさんを見捨てる人じゃないと信じてましたから、エリスさんもきっと同じだと思います、なら エリスさんの信じるラグナさんを信じましょう」

強い子だな、そこまで言い切れるなんて…、だがナリアの言う通りだ

そうだ、あの子は我々だけでもエノシガリオスへたどり着けると信じてくれているんだ、なら…我々も彼女がエノシガリオスへ辿り着くことを信じるべき…なのはわかるが

「だがエリス達は連行されたと言っていたぞ、…向かう先は一つしかない、プルトンディース大監獄だ」

エリス達は恐らく世界最大にして最悪の監獄へ送られたんだ、つまりエリス達がエノシガリオスへ辿り着くには 大監獄を抜け出し、雪原を超えて、エノシガリオスへ向かう必要がある

「そこはまぁ大丈夫だろ、アイツ 何回牢屋に入ってると思ってんだよ」

「今までのとは訳が違うだろう、それに…神聖軍も…」

「神聖軍の追撃は俺たちが引き受けよう、エリス達が監獄を抜け出したあと 上手くエノシガリオスへ向かえるようにな」

それはつまり私達があの大軍勢を相手に逃げ回りながらエノシガリオスへ向かうってことになるが…、まぁ いいだろう、そのくらいは覚悟していたからな

「…わかった!、なら向かおう!エノシガリオスへ!、エリスが辿り着いた時 直ぐに決戦に向かえるように!我等で場を整えよう!」

「ああ!、やるぜ!こっから!」

「はい!、…あ!、見えてきました!馬橇があります!」

ナリアの叫び、前方に見えるのはテシュタルの紋章を刻みしオライオン神聖軍の馬橇、あれを奪えば移動出来るが…

「来たぞ!、奴等が神の敵!向こうから現れたのなら迎え撃つまで!」

当然、馬橇には敵もいる、というか 見れば国軍の馬橇が密集するように停められており そこは一種の敵の本陣のような様相だ、あそこに今から突っ込むのか…、馬橇を奪うだけでも至難の業だな

「よっし!、ちょっと待ってろ!」

するとラグナは滑走する雪橇の上から跳躍し、向かうは手頃な馬橇の一つだ、空中で上手く身を捻り巧みに馬橇の内部に入り込むと

「う うわぁぁあ!こっちに来た!?」

「なんという身のこなし!あそこから飛んでくるか!?」

「うるせぇぇえ!!この馬橇!寄越せやぁっ!」

大きな馬橇が右へ左へ大きく揺れる、ここからじゃ見えないが 瞼を閉じれば何が起こっているか容易に想像出来そうだ、そんな大暴れも物の数秒で終息し 馬橇の出入り口からポイポイと内部にいた人間が捨てられる、全員頭にコブを作っており 意識があるようには見えない

「おーい!、これ使おーぜー!」

お前は強盗か?それとも山賊か…、まぁ今は頼りになるからいいか

「ああ!今行く!」

頼むナリア と彼の背中に手を当てた瞬間、…感じる違和感

まるで背筋を刺すように冷たい感覚、軍人時代何度も味わったこれは…悪寒

「すまないナリア!」

「へ?、ふぇぇぇぇぇぇっっっっ!?!?」

咄嗟にナリアを抱え雪橇の勢いのままラグナへと向け投げ飛ばせば…

「おおっと!、メルクさん!」

突如として虚空より落下してきた銀閃に打ち砕かれ 破片となって舞い散る雪橇、その衝撃を受け流すように退避し雪上をゴロゴロと転がりなんとか巻き添えは阻止したが…

「チッ、もう来たか」

いきなり上空から降り注いだのは巨大な銀の十字架だ、それが深々と雪にめり込み屹立しているのだ…、あのまま私達も雪橇の上にいたら そう考えただけで恐ろしい

しかし、銀の十字架 か…こんなどデカイ銀の十字架を飛ばせる人間なんて私はこの国に一人しか思い当たる人間がおらず、そして今 会いたくない人間の一人でもある

「はぁ、お早い登場だな」

「あららぁ、貴方のお仲間はそちらではありませんよ、私が…案内して差し上げましょうか?」

ジャラリとその手に握られた鎖は、真っ直ぐに銀の十字架に続いており グルグルに巻き付けられているのが見える、どうやら 鎖を振るってあの巨大な銀十字を振るい投げたのだろう

そんなバカみたいな怪力を持ちながら その声は麗しく、聞き惚れるような声音のそれは街の方からゆっくりと現れる、桃色の髪 敬虔なシスター服…今私が見たくないものの一つ、そして一人

「四神将 ローデ・オリュンピアか…」

「ええ、そうですよ 愚かな神の敵、我が十字架は神の鉄槌…、貴方達には些か眩しく見えましたか?」

四神将だ、そのうちの一人聖歌隊の総隊長 ローデ・オリュンピアだ、一人切り抜けたと思ったらまた一人 狭い街の中に四神将が揃い踏みしているんだ、それもあり得るか…

しかし最悪だ、ラグナとナリアのいる地点と私、その間で分断されてしまった…!

「さぁ、砕けなさい…、神の許しを得たいならば!」

最早問答は無用とばかりにローデは片手で鎖を引くと それだけで銀の十字架が空を舞い 持ち主の元へと舞い戻る、鉄よりも比重が重い銀の十字架を片手で御するとは どんな怪力だ…!

なんて驚く暇もなく、ローデは鎖を掴んでグルグルと頭上で銀十字を振り回し、刹那 一直線にこちら目掛け投げ飛ばし

「くっ!」

銃を捨て 咄嗟に横っ跳びに迫る銀十字を回避すれば 高速で飛び交う銀十字がガリガリと大地を削る、目にも止まらぬ程に速くその上に重い、受け止めるのは無理そうだ

「いつまで…逃げられますかね…?」

「いつまでもさ、ここでお前達に阻止されるような、半端な道行ではないのさ!」

銀十字の攻撃は恐ろしいが、そもそも私に戦う気はない 戦う気がないのなら撤退すればいい、クルリと踵を返し 寸前で十字を避けてラグナ達のいる馬橇へ向か……

「はぁ~い、させませんよ~」

「なっっ!?」

しかし、まるでその動きを呼んだかのように私の進路上目掛け銀十字が飛んでくる、ローデ自身は動かず ただ手首をスナップさせるだけで破壊力十分の銀十字が飛ぶ それ反面手首の動きだけで私に追いつくことが出来るということで…、マズイな 逃げ切れるか…これ

「何を…やっとんじゃぁーっ!」

すると馬橇からこちら目掛け飛んできたのはラグナだ、飛び交う銀十字へと蹴りを放つように跳躍した彼の足は真っ直ぐ中空にて輝く十字架を捉え蹴り飛ばす………


その瞬間、私は見た 見えた、本当に偶然…

「─────────」

向こう側で 口をパクパクと動かすローデの姿が、あれは詠唱だと私の魔術師としての直感が伝える…、しかし 妙なのは一切聞こえない事だ

聞こえないくらい小声で言っている とかではなく、一切聞こえないのだ 詠唱は口ではっきり言わなければ発動しない、だというのにローデは無言の…いや無音の詠唱を言祝ぐと

「んなっ!?」

刹那の内に変化は起こった、十字架を蹴り据えようとしたラグナが驚愕の声を上げる

見れば銀の十字架が中空で形を崩し 半液状のスライムのようにドロリと形を変えて蹴りを放つラグナを逆に溶けた銀に飲み込まれる

「うおぉっ!?なんだこの銀!溶けたんだけど!、くっそ!これ!抜けない!」

溶けた銀が地面に落ちる、見ればラグナはその体の殆どを銀に飲まれている、しかも銀は変わらず半液状であり 抜け出そうと足掻くラグナの手足を見事にすり抜け更に飲み込もうと流動する

なんだこれは、魔術…のはずだが、詠唱が一切聞こえなかった、まさか特殊詠唱…いやそんな事考えている場合では

「────────」

更に 続くようにローデは何かを唱える、しかし それは相変わらず聞こえず、それでも現象は巻き起こる

「ん?、あ!やばい!やばい気がする!なんか銀の温度上がってきた気がする!」

徐々に赤熱を始める銀のスライムを前にラグナは反対に青くなる、というかラグナ!熱くなってきた気がするではなく 熱いんだよ!赤熱してんだから!

ええい!、お前の耐熱性を信じるぞ!ラグナ!

「打ち込むは熱光の具現、繋ぎ止め燃え盛り 形を取って爆ぜ上がれ!錬成『一打爆炎杭』!!」

息もつかせぬ早業でラグナに向けて駆け出しながら足元の雪を掴み 錬金術によって具現化した熱の杭を生み出すと共に銀のスライムに投擲によって打ち込む

鋭く飛んだ炎の杭はドプリと沈み込み 瞬く間にその姿を消し去るが、その数拍後にスライムは内側から激烈な衝撃波に襲われ 爆ぜる風船のように弾け 内側のラグナを晒す

「ラグナ!」

「え?あ…助かったぁぁ」


「おやおや、私の十字架が…何という連携、まさしくロ…ロ…ロロロロロロロロ」

「なんか狂い出したぞ!?」

「いいから逃げるぞ!十字架が再生し始めている!」

見ればローデの十字架がその不可思議な声に合わせが再び十字の形を取り始める、これではキリがない、また誰か捕まる前に早く逃げようとナリアとラグナの手を引いて慌てて馬橇に乗り込む

「悪い!待たせた!」

「もう準備出来てます!直ぐ橇馬を動かしますから」

馬橇に乗り込み 即座にブレイクエクウスの手綱を握るナリア、しかし

「皆さーん、音響吃驚玉のご用意を~」

「ハッ!、投擲ッ!!」

ローデの掛け声に合わせて足を上げ体重移動させるように綺麗なフォームでこちら目掛け何かを放ってくる神聖軍達、飛ばしてきたのは黒一色の玉だ、それがポスポスと我々 いや我々の乗る馬橇を引くブイレクエクウス達の足元に転がり

弾けた

「んなっ!?」

すわ爆弾かと案じもしたが 違う、これに破壊力はない ただ大きな音とともに弾けただけ、…そう 大きな音と共に…

「ブルヒヒィーン!!!」

「ああ!、ブレイクエクウスが…!」

足元で突如として巻き起こった激しい音に驚いたブレイクエクウスが目を血走らせ 状態を上げてパニックに陥る、なんてことはない 今のは対ブレイクエクウス用の無力化兵器なのだ、我々のように馬橇を使って逃げようとするものを捕まえるための

「ちょ!ちょっと!落ち着いて!何もない!何もしないから!」

ナリアも必死に手綱を引いて落ち着かせようとするがまるで意味をなさない、寧ろナリアの方が引っ張られて吹き飛ばされてしまいそうなくらいだ、これでは動けない 進めない

チラリと馬橇に取り付けられた窓から外の様子を伺えば、既に神聖軍は軍を整えこちらに向かって来ている、マズイ…まずいまずい!このままでは袋叩きにされる…!

「ラグナ!」

「分かってる!、ナリア!手綱貸してくれ!」

「え?何を…」

するとラグナはナリアから手綱を受け取ると力の限り引っ張り暴れるブレイクエクウスの動きを止めると共に、目を見開き 口を大きく開け その中の牙を剥き出しに…

「言うことを……!」

「ブルヒィッ!?」

その姿はまるで鬼だ、怒りのままに 力のままに手綱を握り睨みあげる御者の姿に、ブレイクエクウスの恐怖と驚愕は最骨頂に達し…

「聞きやがれッッ!!」

「ヒ…ヒヒーンッッ!!」

バシン!とラグナが馬を打つと共にあれだけ荒れ狂ったブレイクエクウスがラグナの言うことを聞いて前へ進み出すのだ、しかもその速度たるや凄まじいものであり まさに死に物狂いの速度だ

これは恐怖の真の力だろう、恐れ慄き正気を失うようなパニックを上から塗り潰す純然たる捕食者の放つ恐怖、それはブレイクエクウスの失われた正気を突き破り ただただ生存本能に従い走り出す一匹の獣に変えた

どれだけ臆病でも 身に迫る危機…命の危機を前にした時、どんな生物も命を最優先に取る動きをするものだ

「おお!、動いた動いた!、いいぞ進めー!」

「…それを無意識でやってのけたか…」

無邪気にはしゃぐラグナにやや呆れる、この男は 真性の捕食者らしい、世界最強の戦闘民族アルクカース人の頂点に立つ男…だもんな、そりゃそうか

さて、奴らは追ってくるか?、追ってくるなら迎撃は私の仕事だ

「ん…?」

ふと、遠くに過ぎ去っていく神聖軍…奴らの中の一人が 先程と同じ投球フォームを取っていることに気がつく、またあのビックリ玉でも投げるつもりか?、…というか

今 何かを握り投げる動作をしている男…、あの男 どこかで見たことが…いや、違う!あの羽飾りの眼鏡は!

「四神将トリトン…!、まずい!」

確かアイツは… そう言えば、と 全身を悪寒が支配した瞬間、奴は トリトンは手に握ったそれを投げた……

かと思えばそれは即座にこちらに追いつくのだ、あんなに離れた位置から走り出した馬橇に追いつくだけの球を投げる強肩、しかし 投げられた球は馬橇には当たらず 真横へとズレて飛んでいく

「は…外した?」

そんなつぶやきと共に見やるは外、馬橇に当たらその真横を通るように飛んだ球は 丁度馬橇の窓の位置にたどり着いた瞬間…

鋭角に、直角に 横へと曲がり 窓目掛けて突っ込んできて…

「危ない!」

「え!?うわっ!?なんですか!?」

咄嗟に隣のナリアの頭を抑えて頭を下げた瞬間 窓を突き破り馬橇の中を貫通するように球が通り過ぎていった、あれは爆弾じゃない、ただの鉄球だった…

手のひら大の鉄球を投げてここまで届かせ、ありえない軌道で馬橇にぶつけて来たんだ…、あれも魔術か?そんなことただの人間にできるのか?、分からないが…

だが、あの男 トリトンはこのスポーツ大国と言われるオライオンにおける一大スポーツ 雪中ベースボールにて 無敵のエースと呼ばれる男、投球をさせれば他の追随を許さない

奴の腕は どんな弓や砲台よりも恐ろしい立派な飛び道具であることは間違いない、にしても無茶苦茶だろ!何だあの鋭角なカーブは!

「おい!何があった!」

「トリトンだ!、奴が鉄球を投げて来た!」

「投げて来たって あんなに遠くからかよ!」

「ああ信じがたいが…ってまた来る!ラグナ!、このままじゃ馬橇が壊されるぞ!」

トリトンの投げる鉄球はどれだけ離れていても的確に馬橇の壁を穿つ、鋭角に まるで見えない壁に当たって跳ね返ったかのような軌道で曲がり左右の壁を打ち抜く鉄球、耳を澄ませば聞こえるのは…鉄球が空気を擦る甲高い音

イマイチ信じられないが この抉るような軌道を再現しているのは魔力でも魔術でもなく、単純な腕力と技術から来る『回転』のみだという事実、ローデといいトリトンといい 四神将は常識外れの超人ばかりか!

「チッ!速すぎて迎撃できん!」

銃を構えて迫る鉄球を撃ち落そうと何度も引き金を引くも、鉄球に当たった銃弾が逆に弾かれるのだ、速度と回転が余りにも速すぎるが故に 高々鉛玉程度では止めようがない…ということか!

…と、私が戦慄したのも束の間 一転、訪れるのは静寂…

「…っ!、鉄球が止んだ…?」

ガラガラと穴だらけになった馬橇の中で体を起こす、もしや奴の射程距離の外に出たか?いやそんな感じはしなかったが…、ならなんで投げるのをやめたんだ…?

唐突に湧いてくる違和感、そう言えばトリトンの情報を聞いた時 気になる部分があったんだ、もしかしたら…トリトンは…

「メルクさん!!ラグナさん!!」

刹那、ナリアが後ろを見ながら叫び声をあげる、それは悲鳴といってもいいほどに悲痛な声で…

「今度はなんだ!何が飛んできた!鉄球だろうが十字架だろうがなんだって弾き返してやるよ!」

ラグナが怒り 私も黙して、背後へと目を向ける、今度は何が飛んできたのだと…、そして 確かに飛んでくるそれを見て、顔を歪める

「人です!、それもさっきの…ベンテシキュメです!」

凄まじい勢いで雪を掻き分け飛んでくるのは スカーフェイスのシスター 罰神将ベンテシキュメだ、それが猛然と進む馬橇を遥かに上回る速度でこちらに向かってくるのだ

走っているわけじゃない、奴の足は動いていない、代わりに激しく動くのは

「ヒャハーーー!!逃すかよ!ダボ共がぁっ!」

腕だ、両手に持った処刑剣を地面に突き刺し漕ぐように動かして加速しているのだ、その足に取り付けられた細長い板は大海を行く船の如く 雪を掻き分けベンテシキュメをこちらに運んでいる

あれが…スキー、という奴なのか?初めて見るからよく分からんが、些か早すぎないか?

「あれがスキーか?ナリア」

「い いやいや異常ですよあれ!、普通スキーって斜面でやるものですよ!?、なのにこんな平地であんな加速するなんて!、腕力だけであんなに早く動けるわけ…」

動けるだろうよ、四神将の一人なら、ローデとトリトンの異常性を見た後なら強く言える、ローでもトリトンもベンテシキュメも 四神将とはモンスターアスリート集団なのだ

「お 追いつかれる!、ラグナ!加速を!」

「もう無理だ、これ以上馬が加速できねぇ、迎え撃つしかない 森がもう目の前だってのに…!」

馬よりも速く加速するベンテシキュメを前にラグナは手綱を手放しクルリと反転しベンテシキュメを睨む、それに呼応しベンテシキュメも板の取り付けられた足を大きく曲げて跳躍、まるで虚空を滑走するように飛ぶと共に その両手の処刑剣をクロスさせるように高く掲げ …

「汝 神の名の下に罰を与えん!、神を否定せし者へ降る天罰 聖典に記されし神罰の名は!」

振るった その双剣を鋏のように交差させ馬橇に向けて斬撃を放ち……

「『炎獄斬頭の刑』ッッ!!!」

二本の剣から放たれる紅の斬光は、左右から迫り 反応さえ許されぬ速度で罰を与える、まさしく神の鉄槌の如き絶対性を以ってして…

「な……!?」

刹那絶句する、剣が馬橇振るわれ瞬間、唐突に 世界が開けたからだ…

「う 馬橇が…一撃で」

ナリアの言葉と共に、我々の遙か後方で雪柱があがる、…飛んで行ったんだ 馬橇の屋根が、我々の乗っている馬橇の屋根が いや上半分がベンテシキュメの一撃により真っ二つに切断されくるりと宙を舞ったんだ

小屋にも等しい馬橇が剣二本で紙のように裁断され 我等の体は外界に剥き出しとなった事で漸く理解する

なんという斬撃だ、何という膂力だ…!

「っ!?メルクさん!ナリア!馬橇捨てるぞ!」

「え?、うわっ!切り口が発火した!?」

「ヒャーハハハハハ!!燃えて死ね!それが神より与えられし天罰である!」

見ればベンテシキュメによって斬られた馬橇の切断面が突如として炎を噴き出させ燃え始めたのだ、切り口がいきなり発火するという理解不能な現象も 今は気にする暇はない

最早この馬橇は我等の棺桶にしかならない、そう判断すると共に私とラグナはナリアを抱えて未だに素早く雪の上を滑走する馬橇の上から飛び降り ゴロゴロと雪の上を転がる

「くぅっ!、…なんと激しい追撃だ…」

「ああ、馬橇が…」

雪の上を転がり 雪まみれになった体でナリアが見る先には暴走した馬橇が燃え朽ちていく様だ、繋がれたブレイクエクウスも拘束具が燃え落ちたせいで何処かへと走り去ってしまう、あの馬橇には旅のために買い集めた物資も入っていたのに…、我等は逃げる為の足も旅の為の手立ても失ってしまった…

「チッ、…また取りに行くか 馬橇」

「行かせるわけねぇだろうがダボ共!、あの馬橇一台幾らすると思ってんだよ!ボケ!」

雪の上で倒れる我等を睨みつけるように雪を掻いて現れるベンテシキュメ…、やはり 追ってくるよな、そりゃあ…

「どうする、ラグナ…」

「問題ない、森は目の前だ もうこのまま森に突っ込んで身を隠すしかない」

正直危険だ、着の身着のまま世界有数の雪森に突っ込むなんて、自殺行為に等しい…でも

「アッハッハ!断罪だ断罪だ!邪教異教に神の鉄槌を!、神敵に天罰を!」

このままベンテシキュメを相手にしていてはどの道すぐに神聖軍に追いつかれる、そうなっては元も子もない、この場から離脱するなら 相手をしている暇は無いな

「神敵神敵うるせぇな、神に言っとけ テメェの敵ならテメェで倒せってな」

「どこまでも不敬な奴だなお前…」

「まぁな、悪いが俺たちはお前の相手してられないんだ、負け惜しみくらい言わせろよ」

「はぁ?、逃げられると思ってのか?、あたい達に」

「……達?」

疑問に眉を潜めた瞬間の事だ、まさしくその瞬間 我等の背後で地鳴りが響く、大地が震え 太陽が隠れて、突如として私達全員が 背後に屹立した巨木のような何かの影に飲まれたのだ

…ああ、なんとなく予想ができるぞ、予想出来るが 首が勝手に動いて 後ろを見てしまう、確認するように…

「ああクソ、マジかよ…」

「……お前達が、神敵か」

そこに居たのは そこに立っていたのは、見たことも無い ありえないくらい巨大な女だった、我等をすっかり追い越すような背丈で 我々の旋毛を目で収められるようなくらい高い位置にある頭を下に曲げて 見下ろす巨神

その顔 その姿には覚えがある、この国で最も邂逅したくない四神将の中でも更に際立って出会いたくない 四神将筆頭…闘神将

「ネレイド…か?お前」

オライオン最強の異名を持つ女 ネレイド・イストミアが私達の退路を塞ぐように 天から降ってきたんだ、どういう事かはわからないが本当に天から降ってきたんだ…、ああ 前門の罰神将 後門の闘神将、状況が最悪な事この上ないな

「そうだ、…お前達 エリスの仲間だな…」

「ああそうだよ、テメェだな エリスの事傷つけたのは」

「おいラグナ、どうする…」

「どうするもこうするも道がないんだ、こうなったら…切り開くしかねぇだろ、自分の手で!」

だよな、もう戦いは避けられまい…、相手の強力さなど嫌という程分かっている、今からやるこれが無茶であることは分かっている、それでもやるしかないんだよ こう言うことがあることくらい

覚悟の上で来ているんだからな

「やる気か…、愚かな…」

「アッハッハ!、ウチの御大将は無敵なんだぜ!?無敵の御大将と無敵のあたいを前にして!、逃げも隠れも ましてや勝つことも出来ると思うんじゃねぇよ!」

「うるせぇな、敵じゃねぇかは やってみてから考えろよ、ダボ共…ってな」

ラグナが拳を構え 私も銃を構え、ナリアもまた ペンを取り出し覚悟を決める…、道は我等で切り開く、必ずエノシガリオスに辿り着くエリス達と共に戦う為に、こんなところで負けられないんだ

「行くぞ、みんな」

「はい!」

「覚悟は決まっている…!」


「ベンちゃん…行こっか」

「ああ御大将!、あたいに任せなァッって言うのとベンちゃんはやめてくんねー!?」



迸る闘志 ぶつかり合う眼光、隆起する魔力と…、その日最も巨大な雪柱があがり、轟音と共に 魔女の弟子と四神将の雪中の決闘が幕を開けた……


……………………………………………………

「あ、ネレイド様とベンテシキュメが戻ってきましたよ~」

特大の雪柱が上がり 戦闘が開始されてより十数分後、街の郊外に布陣した神聖軍は 雪を踏み締めて戻ってくるネレイドとベンテシキュメの姿を見て沸き立つ、あの神敵を追いかけた二人が戻ってきた と言うことは勝利したと言うことなのだろうと

しかし

「おや?、例の神敵達は?」

「ん、ごめんねトリトン…、逃げられちゃった あの人達凄いね」

「ちっくしょう!アイツら!逃げの一手を打つばかりだから弱いもんだと思ったら…、クソ強えじゃねぇか」

「へぇ~二人を相手に逃げるなんてすっごくロ…ロロ、ロロロロロロロロ」

ごめん と頭をかいて申し訳なさそうにするネレイドと悔しそうに雪を蹴り上げるベンテシキュメの姿を前に またローデの発作が始まった…まぁいい、しかしこの二人の力を持ってしても取り逃がしたと言うのか?

やはり神の敵の相手は一筋縄ではいかないか と全員が身を引き締める

「では、これからどうしますか?」

「ん、…そうだね」

「全員で追いかけようぜ!山狩りだ!」

「落ち着いてベンちゃん…、でもそうだね…」

トリトンの言葉にネレイドはとろーんとした口調でボケーっと考える、図体のデカい彼女が行う仕草はどれもトロ臭く見方によれば木偶の坊にも見えるだろう

しかし、神聖軍の誰もが知っている 四神将の誰もが信頼している、ネレイドという将軍の能力を

そしてその信頼に応えるようにネレイドはキッと視線を鋭くし

「…じゃあトリトンは捕まえた神敵を監獄に移送して、ベンテシキュメとローデは部隊を率いて逃げた神敵を追いかけて」

「ハッ!、では ネレイド様は?」

「私は…、一旦残りの軍を率いてエノシガリオスに戻りお母…教皇に事の顛末を報告する、そこで聖都に残ってる軍も動かせるか聞いてみるよ」

トリトンはエリス達をプルトンディースに移送、ベンテシキュメとローデはラグナ達の追撃、そしてネレイドは教皇たる夢見の魔女様に報告に行くと言うのだ

それは他のみんなに後のことは任せてもいい という一種の信頼から来る判断だろう、ならば全力で答えなければ 神の名の元に

「かしこまりました、しかし…後残ってる部隊というと…」

「強えのはカルステンのジジイくらいしかいねぇだろ、あの偏屈ジジイが動くか?」

「大丈夫、カルステンおじさんは動いてくれるよ…だって」

そう言いながらネレイドは歩み出す、シスター服を翻し…

「だって、あの人はカルステンおじさんだから、動いてくれる」

「いやそれは知ってますが」

「急に他の誰かにはならねぇよな」

「はぁ…、ともあれ我々は我々で仕事をしましょう、…邪教アストロラーベとの一戦が終わってこれだ、…一刻も早く自国に平穏を齎そう」

皆はネレイドに追従し動き始める

全ては神の為 神を信じる母…いや 夢見の魔女 リゲル様のために
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