孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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九章 夢見の魔女リゲル

260.魔女の弟子と神敵事変

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「はぁ、なんというか…恐ろしい世界だな」

踏み締める大地は白く 柔らかく、キラキラとした粒子を散らしながら足を包み冷気を伝える、ここは一面の銀世界… 冷気が霜着く銀世界だ

「ですね…なんだかとても心細いです」

そんな中を歩くのは三人の男女…、ラグナ・アルクカースとメルクリウス・ヒュドラルギュルム サトゥルナリア・ルシエンテスの三名…魔女の弟子の一行だ

彼らは今 教国随一の大森林 ズュギアの森の中を徒歩で歩いている…、はっきり言って自殺行為に等しい行いだ、それでも彼らは向かわなくてはならない 聖都エノシガリオスを目指して

しかし、その道中四神将率いる神聖軍の襲撃を受け、馬橇を失い 荷物を失い そしてエリス達三人とも逸れてしまった、今 ラグナ達はたった三人で 何も持たず世界有数の危険地帯を歩いていることになるんだ

辛くもネレイド達の追撃は退けたが こっちもズタボロ、なんとか森の中を歩いている状態だ…、ラグナは一人 自傷気味に笑う

「ほんとに、参ったな…」

ゆっくりと歩きながら前を見る…、鋭く尖るような針葉樹が乱立し 陽光を遮り所々に差し込む光だけが俺たちの光源だ、しかも参ったことに目印になるものが何もない、今俺たちはどの方角に向かって歩いているのかさえ分からない始末…これじゃあエノシガリオスに着く以前永遠にここを彷徨い続けることになるだろう

人間ってのは 自分が思ってるよりも真っ直ぐ歩けないもんだ、このまま直線に進んでいるつもりでも 実はちょっぴり横にずれていっているんだ、けれどそれは人間の構造上仕方ないもの、だから目印を決めて歩くのだが…その目印もない

「うう…食料も持ってませんし、防寒具も心許ない…これじゃあ夜の冷気に耐えきれない、寝るにしても凍えて死んでしまいます…それに、死ななくても 寝ている間に追ってくる神聖軍に追いつかれたら…」

先程からナリアが弱音ばかり吐いている、まぁ無理もない 彼はこの中で最も雪国の恐ろしさを知っている、無謀にも雪国の冷気に挑み死んだ奴の話を誰よりも聞いているからこ怯えるのだ

「ラグナさん…僕達、エノシガリオスに辿り着けるんでしょうか」

「…………」

大丈夫だ!俺を信じてついてこい!なんて、不確かな事を言ってもナリアは余計不安になるだけだろう、かと言って何か策があるかといえば 何もないのが現状、今俺達は当てもなくトボトボ歩いているだけなんだ

これじゃあナリアの体以前に心が持たない、夜が来てより一層寒くなったら ナリアは壊れてしまうかもしれない、出来れば 夜が来る前に何か進展が欲しいが…

「痛っ…」

「っ!ラグナさん!大丈夫ですか!」

刹那走る痛みに顔を歪め 足を止めればナリアはそんな不安を吹き飛ばして俺に近寄り心配してくれる、優しい子だなこの子は…

「だ 大丈夫だよ、さっきの戦いの傷がまだ尾を引いているだけだ、そのうち治る」 

「そんな、でもラグナさん…今すごくボロボロですよ…」

その通り 自分でも鏡を見るのが怖いくらいボロボロだ、二人に道を作るために少し頑張りすぎたのと…

想像以上にネレイドとベンテシキュメが強かった…、ベンテシキュメの不思議な…まるで同一の人間を二人相手しているかのような剣術に ネレイドの卓越した武術、どちらも達人の域にある攻撃だった、おまけにあれ まだまだ底を隠していた…本気を出せば多分 あんなもんじゃねぇ

そんな強者たる二人の猛攻撃を、全部無視して受け止め続けたから、やや体にガタが来ているんだ…

「はぁ、こんな時にデティがいてくれたなら…な」

「ああ…、そうだなぁ」

デティか、結局一緒に来ることは叶わなかったが、アイツがいたら こんな傷あっという間に治してくれるはずだ、俺達はみんな治癒魔術は使えないしなぁ…

まぁ、デティがいたら エリスを置いて進んでいる今の現状を許さないだろうな、彼女はエリスの事を本当に大切にしてるから…

「デティさんってアジメクの友愛の魔女スピカ様の弟子の…、魔術導皇のデティフローア・クリサンセマム様…ですよね」

「ああそうだ、流石に知ってるか ナリア」

「そりゃあ僕も一応魔術を使う身ですし、魔術の勉強をしてたら名前を聞きますから」

そう言ってサトゥルナリアは語る デティフローアという魔術師の偉大さを、曰く新たな魔術理論を数百と世に出し、魔術の常識を変える『修練の要らない魔術』の開発に着手し 既にある程度の成果を得ている史上唯一の人物

何より、アジメクの黄金期を作り出した人物でもあると

「史上最高の大魔術師、魔術史で最も偉大な人物、そんな人がいたら確かに頼りになりますね!」

「あー、なぁ…メルクさん」

「ああ、多分だが…」

ナリアはきっと本物のデティを見たら面を喰らうだろうな、アイツは威厳がないからな、代わりに愛嬌はあるが…、でも 偉大なことに変わりはない

今のアジメクは凄まじい、エリスにはイマイチ伝わってないっぽいが…

今現在アジメクが見せている大激進、それは『エラトス戦役での苦戦』そして『大貴族オルクス・タスク・クスピディータの大反乱』による混乱がある意味呼び水となったのだ

そりゃあそうさ、アジメクだって魔女大国だぜ?それが隣国の非魔女国家と戦争やって予想以上に苦戦しました とか一貴族の反乱で魔女が駆り出されるまでに軍が翻弄されましたとかさ

こんなこと言っちゃあなんだがあり得ないぜ?

他の大国で同じ事が起こっても なんの問題にもならないだろう、エラトス程度が攻めてきても 戦争にならないくらい圧倒出来る、国で一番の貴族程度が反乱した程度じゃ揺るがない、それが普通の 他の魔女大国だ…だが、アジメクは苦戦し揺らいだ

それは何故か?まぁ簡単に言えばアジメクが弱いからだ、かつて歴代最強の男と言われたヴェルト・エンキアンサスで漸く他の魔女大国の最高戦力になんとか並べるくらいなんだから…

それもこれもアジメクの友愛の気質と、友愛の魔女スピカ様のあまりに慈悲深過ぎる性質が災いして 戦いに対してあまりに消極的な国になっていたんだ、まぁそれはそれでいいんだろうけどさ その友愛の姿勢じゃあどうにもならない事件が二つも重なってしまった以上 アジメクも黙ってられない

そんな事件が発端になり、稀代の名君デティフローアはその号令の下 アジメクの国力増強に大いに努めた、それこそアジメク八千年の歴史でも類を見ないくらいの大号令だ、そのおかげもあって今 アジメクは黄金期を迎えつつあると言える

国力的な意味でも 戦力的な意味でもだ、特に軍なんかは結構なもんだとこの俺が太鼓判を押せるくらいには頑強だ…

際立って耳に入るのはアジメク導国軍の一大主戦力 『護国六花』、あれは本当にあの友愛の国アジメクの戦士かと疑いたくなるくらい強えぇ

護国に燃える巨漢、あの英雄バルトフリートの再来と呼ばれる『花々騎士ジェイコブ・カランコエ』

アジメクの最終兵器、神算鬼謀にして謀略に限り無く 知略に果て無き軍師『暗黒策士デズモンド・ヘリオトロープ』

黄金世代の筆頭、士官と共に瞬く間に幹部にのし上がった『流麗なる猛火 ルーカス・アキレギア』

常に騎士団長を隣で支える双剣の達人、友愛騎士団副団長『二龍撃剣 メロウリース・ナーシセス』

オルクス反乱と共に頭角を現した歴代最強の友愛騎士団の団長『黒金の絶望 クレア・ウィスクム』

そして、そんなクレアと双璧を成すアジメク最強の天才魔術師、次期魔術王の呼び声高き魔術界の若きホープ 、歴代最年少の宮廷魔術師団長『白金の希望……』

こいつらが揃っている今が間違いなくアジメクの黄金期、デティフローアの号令により 友愛騎士団の敷居を下げ 軍内部に大改革をもたらした事により アジメクの伝統と格式が消え去った代わりに国内から凄まじい数の大戦力が加入したのだ

特にクレアを筆頭とするここ十年で軍に志願した奴等の強さは今までのアジメクとは一線を画す程だ、若き導皇デティフローアを旗本に黄金期を形成する若手騎士達 まさしく若芽の如き躍進を見せる国 それが今のアジメクだ…


「しかし…」

一人静かに目を閉じる、思うのはデティがこの場に来ていないという事実…

夢見の魔女リゲル様がああもシリウスの操り人形にされているのは最早同化の必要性がなくなった為 なりふり構わず洗脳を強め手駒にしたから…とカノープス様や師範は語っていた

つまり、リゲル様の洗脳自体は師範達と同じく五十年前からされていたんだ…、けど 師範達は操られていない、この両者の違いは…

(レグルス様が旅の最中に師範達の洗脳を解いていたから…)

アルクカースやデルセクト コルスコルピにレグルス様は立ち寄り そこの魔女達と戦い、洗脳を解いていった、お陰でこの局面において師範達はシリウスの敵として自我を確立出来ている

対するリゲル様のいるオライオンにレグルス様は立ち寄っていないから、当然その洗脳も手付かず……

ここで問題になるのが、『レグルス様はアジメクにおいてスピカ様と戦っていない』という事、魔女の暴走を見たのも師範が初めて臭かった…、ってことはスピカ様の洗脳は手付かずじゃないか?

…そうなるとアジメクと連絡が取れない理由にもデティが来ない理由も説明がつく、…今頃スピカ様は、それと同じくデティも…

「…………」

いやいや待て待て、そう決めつけるのは早い、否定できる要因はいくつもある

暴走した魔女を見たのは師範が初めてってことはスピカ様はアジメクで正気を保ってたってことだ、レグルス様だって様子がおかしければ気がつくはずだ、それにこの場にスピカ様が現れていないということは スピカ様はシリウス側ではないということにならないか?

…うーんでも、スピカ様だけ洗脳されていなくて シリウスがスピカ様に手を出していない理由がない…

うーーーん

「どうした?ラグナ、随分考え込んでいるな」

「あ…メルクさん、いや…別に」

思わずメルクさんの目から視線を逸らす、別に 今口に出していうべきことじゃないし、何より俺たちは今それを気にしている余裕はないわけで…

「はぁ、…デティフローア様には会いたいけれど 僕達今生きて帰れるかも分からないんですよね」

とほほ とナリアが寂しげに涙を零す、その様を見てメルクさんが再びこちらを見る、その目は何か名案はないか?と聞く目だ

名案なんかない、ただあの場をなんとかするには森に逃げるしかなかったから逃げただけ、先のことなんか考えてない…、けど 考えてません は通じない、今からでも考えるべきだ やるべきことを

「……そうだなぁ」

チラリと後ろを見れば 俺たちが通ってきた足跡が消えていることに気がつく、どうやら風が雪を舞い上げ俺たちの足跡を隠してしまったらしい、お陰で追跡されることはないが 俺たちはもう来た道も戻れないということ

軽く遭難だな、こりゃ…

「…あ、そうだ」

「何か思いついたか?ラグナ」

「いや、確か森の中には小さな村がいくつかあったよな」

ズュギアの森の比較的外側には、森の中であるにもかかわらず村がある、街というにはあまりに小さい あるかないか分からないくらいの小さな山村だ、そこじゃあ物資補給も出来ないから本来ならば無視するつもりだったが…

「一度村を目指して歩いてみないか?、それで 村の人達に次の村の方向を聞く、そのとき少しだけ食料を分けてもらい次の村へ、そして次の村でも同じことをする、そうしていけば…」

「なるほど、村を線でつなぐように歩いていけば 森の向こう側にも辿り着ける、という寸法か」

そうだ、物資補給は出来なくとも 一応店はあるだろうし、旅人だと言って軒下でも貸してもらえれば寒さは凌げる…だが

「だがそれは、我々の正体が知られていなければ…の話だろう?」

その通り、俺達が神の敵と知られれば 村は俺たちを受け入れず追い出すだろう、そうなれば次の村の位置を聞くことも出来ないし なんなら物資も手に入れられず、俺達は森の中を再び彷徨うことになる

だから

「だから、今まで以上に正体を隠しながら行くことになるだろうな、まぁ…もう国全体に俺たちの指名手配書でも配られてたら終わりだが…、昨日の今日でまだ そこまで知れ渡ってはいないはずだ、特に外界と遮断されたこの森の中ならな」

「正体を隠して…ですか、村の人達を騙すようで なんだか後ろめたいですけど、それしか無さそうですね」

「ああ、全部終わったら また改めて礼をしに行くとしよう」

「そうだな、その時は 旅人ではなく大王と同盟首長とエトワールの役者としてな」

「僕だけ格落ち感すごい!」

ともあれ 目的は決まった、当てもなく歩くより目的地があったほうが気分的にも楽だろうし、何よりなんともならない状況に少し光明が差したお陰でナリアの顔色も少し良くなる、よしよし 取り敢えず励ますことは出来たようだ

「なら!そうと決まれば!」

そう ナリアが一歩踏み出し…そして静止し こちらを振り向くと

「それで…村って、どっちにあるんですか?」

「そうだった、…我々は自分の位置さえ分からない状態にあるんじゃないか、こんな状態でどうやって村を探し出すんだ、こんな暗い森の中で…」

「ああ、それはな…、待ってろ?」

顎に指当てつつ、目に魔力を込めて…

「多分村はあっちだな」

「分かるのか!?」

「まぁな、ほら もしこんなクソ寒い森の中で生きていくならさ 大量に薪木が必要だろ?、だからきっと多くの木を伐採している筈なんだ、だから村の近くは木が疎らな筈なんだ、ならそこら辺はここよりは明るいだろ?」

「なるほど、木か…」

ここが暗いのは木があるせい、なら木が無ければ明るいはず、というわけで暗視の魔眼で闇を見て 光のある方向を探したんだ、まぁ間違ってる可能性もあるけど…

この木の上に登って村を探すよりはいい、何せ木の上に登れば 神聖軍に姿を見られる可能性もあるから、出来ればやりたくないし

「では向こうを目指して歩きましょう!」

「そうだな、…夜が来る前に 村にたどり着ければいいが…」

「それだけが不安だな、うう…寒々」

夜になったら 死ぬしなぁ、取り敢えず急ぎましょうかねぇ

…エリスは無事かな…、いや 無事だろう、アイツは伊達にここまでやってきてない、アマルトもメグもついてる、大丈夫だ

……………………………………………………

「……あ!見て!」

「おお、はやーい」

オライオンの中心に存在する聖都エノシガリオス、超巨大な神殿であるテシュタル神聖堂が街の半分の領地を覆っている そんな異質な街の郊外にて 数人の小さな影達が街の外を見て大きく手をあげ…

「おかえりお待ちしておりました、ネレイド様~」

「私たちの英雄様~」

視線の先を目を細めて見れば 小さく見えるのは雪煙と氷の破片、それは疾駆し 真っ直ぐとこちらに向かって突っ込んでくるではないか

あれは馬橇だ、それもネレイド様専用の馬橇、引っ張るのはブレイクエクウス種の中でも更に強力と言われる神馬、快適性は求められず ただただ迅速に移動することだけを突きつけたその馬橇が真っ直ぐと聖都に向かい…

そして

「……みんな、ただいま」

エノシガリオスに瞬く間にたどり着いたネレイドは 馬橇の扉を開けて、軽くみんなに挨拶しながら馬橇を降りて…

「あた…」

コツン と扉の上縁に頭をぶつけ やや恥ずかしそうにしながら降りてくる

「ネレイド様!冒険お疲れ様です!」

「今回はどんな敵をやっつけたんですか!、聞かせてください!」

そんなネレイドの情けない姿は目に入らぬとばかりに出迎える小さな影たちは…、いや、子供達は降りてくるネレイドの脚にすがりつく、また冒険や戦いの話を聞くために ネレイドの帰りをずっと待っていたんだろう

「いいよ…だけど先に、教皇様にご挨拶してきてもいい?」

子供に足を掴まれれば 決して身動きを取らないネレイドは知っている、自分が下手に体を動かせば それだけで怪我につながることを、それで迷惑するのはお母さんだから ネレイドは決して傷つけないように微笑んで子供達の頭を撫でる

「えぇー!、その前に一個だけでもレスリングの技教えてくれよー!」

「私達!ネレイド様みたいに強くなりたいんです!」

「あのあの!、ネレイド様の必殺技を今日こそ伝授してください!、あのデウス・スープレックスを!」

「それは危ないけど…、でも」

一つくらいなら とネレイドが教えを授けようとした瞬間 目の前の子供達の手を後ろから掴み 引き剥がす腕が現れ

「やめなさい!あんた達!」

「お お母ちゃん…」

どうやら子供達の母親がここでネレイドの出迎えをしていることを察知したのか、街の方から駆けてきて子供達の腕を引いてネレイドから遠ざけていく

「な 何するんだよお母ちゃん!、これからネレイド様にレスリングを…」

「何言ってるの!、ネレイド様は特別なお方なの、このお方が持つ武術は神の武術 使う魔術は教皇様の魔術、おいそれと教えることなんか出来るわけないでしょう?」

「それに、ネレイド様は聖人様の生まれ変わり、我々が崇めるべき特別な存在、気安く話しかけちゃいけないの」

子供達の母親達は口々にネレイドを讃える、『特別なお方』『我々の信仰の対象』『崇めるべき存在』と、その言葉に子供達もネレイドの特別性を理解したのか

「ご…ごめんなさい…ネレイド様…」

「私達からもこの子達にキツく言って二度とこんなことさせないようにしますので、どうか…どうかお慈悲を」

「いや…私は…」

「では失礼します、聖務の邪魔をして申し訳ありません」

「…あ……」

頭を下げながらすごすごと去っていく子供と親達、それを前にネレイドは意味もなく手を出して何かを言おうとするも、最早それは遅く 瞬く間にみんなネレイドから遠ざかっていく

「別に…邪魔じゃ……」

その言葉は 誰の耳にも届かず雪を舞い上げる風の中に消える、邪魔なわけがない ネレイドは…私は、この聖都の子供達を守る為に戦っているんだから…

でもそんなもの、庇護される側には関係ないんだ、守られる側には守る側の心境はどうでもいいのだ、…いや 或いは

「……結局、変わらなかったなぁ…」

無表情で困ったように頬をかくネレイドはただ、悲しげに目を伏せる

何も変わらなかった、強くなって 立派になって、みんなから尊敬されるような神将になれば…何かが変わると思っていた、何物事が良い方向へ転ぶと勘違いしていた

だけど……、思い浮かべるのは過去の情景

あれはまだ ネレイドが十歳も行かないような子供の頃の話だった


───────────────────

ネレイドは、当時から抜きん出た身長と抜群の身体能力を持っており、背丈は大人に迫り 力は大人以上だった、既に実戦で戦ったこともあるし勝ちも収めた事もある、けど…心は子供のままだったあの頃だ

「あ…あの…」

聖都の城下町、その広場でおずおずと手を開いたり閉じたり結んだりを繰り返しながら ドシドシと歩む幼き頃のネレイド、体躯は大人だが顔と声が子供というアンバランスな彼女が声を上げながら進む前には

「あ…来た」

街の子供達がいた、城下町の広場に集まり 雪の中フットボールで遊ぶ十数人の子供達を前に、ネレイドは立ち向かうように されど縋るように軽く手を貸し開けてフリフリと振ると

「わ…私も、…混ぜて…」

一緒に遊びたい その気持ちをなるべく前面に押し出す為に、彼女は慣れない笑顔をぎこちなく浮かべて 子供達に述べる、しかし

「やだ」

帰ってきたのはあまりに淡白で冷たい拒絶の言葉、声をあげたのは一人 しかしそれはその場にいる全員の総意であるかのように伝播し 全員がネレイドを受け入れない断固とした空気感を醸し出す

向けられた拒絶という名の壁 或いは不可視の刃は幼いネレイドを釘付けに串刺す

「な なんで…」

「だってお前ズルじゃん」

「ず…ズル?、反則?…しないよ…そんなの」

神に誓って不正などするはずも無い、スポーツとは神聖な物 テシュタルへ捧げる遊興、そこで不義不正を行うなど ネレイドには考えもつかない、だがそれでも子供達は口をへの字に曲げて

「お前力も強いし足も長い、そんなのズルじゃん、お前と一緒にやってもつまんねーもん、だから入れてやんねー」

そんな…、と口を開けることさえできずネレイドは口を震わせる、体が大きいから一緒に遊べない 力が強いから一緒に遊びたくない、そんな事を言われてもネレイドにはどうしようもない事だ

何かをして大きくなったわけじゃない、望んで力が強くなったわけじゃない、誰かを傷つけるつもりも陥れるつもりもない、なのにただそこでそうして在るだけで ネレイドは爪弾きにされる理由が生まれてしまう

子供達の言い分も分からないでもないだろう、ネレイドの力は大人以上、それもスポーツで鍛えたオライオン人の大人以上と言えば凄まじい怪力だ

それと共に遊んでも勝ち目があるわけがない 勝ち目がなければやる意味がない、ならそれはズルだ ズルイからやらない、遊ばない そんな言い分だ

分からないでもないが、まだ子供のネレイドには受け入れられない、体が大きくても力が強くても、心は未だに小さな幼児なのだから

「そ…んなこと…言わないで、私を…仲間外れに しないで…よう」

掠れる声 熱くなる目頭をそのままに、ネレイドが手を前に一歩踏み出すと

「うわぁー!、巨人が攻めてきたぞー」

「あんな手で殴られたら死んじゃうよ!」

「え…」

からかうように 子供達はネレイド前から散っていく、殴られたら死ぬ 蹴られたなら地獄へ行く、そんな事を言いながら逃げるのだ

するわけがない、悪人でもない人を殴るわけがない、なのにネレイドの体の大きさだけを見て ただ恐れるのだ、ネレイドが何をするか 何をしたいかなどに目も向けず

「わ 私そんな事…」

「おいお前ら!何やってんだ!」 

すると、そんな騒ぎを聞きつけて 近くにいた大人達が血相を変えて寄ってくるのだ、青い顔をした大人達は瞬く間にネレイドをからかう子供達を押さえつけるように地面に押し倒すと

「この方は教皇リゲル様のお弟子様!娘も同然の方だぞ!、そんな方相手に何を言ってるんだお前は!」

「そうよ!、神の祝福を受けた特別なお方にそんな不敬を…!、嗚呼ネレイド様!申し訳ありません!」

「い いや…私は別に…」

「ほら!お前らも頭を下げろ!」

大人達はきっと ここの子供達の親か何かなのだろう、彼らは子供達の頭を掴んで地面につけて跪くように許しを懇願する

ネレイドが特別な子だから、他の子とは違うから、だから 謝れと

「くっ…うぅ」

そんなこと言われて 子供達だって納得するわけがない、子供達はやや涙目になりながら目を上げてネレイドを睨みつける、その視線は融和でないことは容易に想像がつく

そうだ、ネレイドは特別なんだ、特別とは違うということ、周りとは違うという事、周りと違うから浮かび上がる 浮かび上がるから恐れられるし畏れられる

「……あ…う」

頭を下げる大人達、首を垂れながらも睨みつける子供達、どちらも同じだ 嫌っていようがいまいがネレイドにとっては同じだ、ネレイドは特別 私はこの子達とは違う

なんで、…なんで私は 特別に生まれてしまったのだろうか、なんで みんなと同じに生まれてしまったのだろうか……


………………気がつけばネレイドは街から逃げるように走り去り、神聖堂の奥地へと戻っていた

私は一人だと思い知らされた、この街で一人なのではない、この世で一人なのだ

神に愛された肉体と神から与えられた力を持つ 唯一無二の特別な人間、それはネレイドをおいて他にいない、故に一人だ 誰とも分かり合うことはできず誰に迎合されることもない、どうやっても解消されることのない孤独感に ネレイドは打ちのめされて…

「おや、どうしました ネレイド」

「……あ…」

そんな中、ネレイドは無意識にそこに足を運んでいた

神聖堂の奥地、祈りの間

ステンドグラスから差し込む彩光に照らされる部屋の最奥に ポツリと立って祈りを捧げるシスターが、…否 テシュタル教の頂点にして指導者たる教皇が やおらに振り向き微笑みを浮かべる

そんな彼女に向けて、ネレイドは涙を浮かべ

「お母さん…」

ポツリと口開く、母と…

この方は…教皇リゲル様はネレイドの母である とネレイドは胸を張って言える、血は繋がっていない、繋がっているわけがない この方は魔女だ、魔女は不老の代償として子を成す力を失っている

故に夢見の魔女リゲルがネレイドを産んだわけではない、ただ 拾われたのだ、吹雪の中捨てられていた赤子を拾い、優しく毛布で包んで名前を与えてくれたのがリゲル様なのだ

だからネレイドはリゲル様を母と呼ぶ、リゲル様もネレイドを我が娘と呼び育ててくれる、母として師として リゲル様はネレイドを愛してくれる

「おやおや、ネレイド…涙を流してどうしました?」

「う…うぅ、お母さん…お母さん」

ポロポロと情けなく涙を流して縋り付くネレイドを受け止め 抱き締めるリゲル様は、訳も聞かずにただただ優しくその悲しさを包み込んでくれる

「うぅ…」

「何か、悲しい事があったのですね?、よければ母に何かを聞かせてもらえますか?」

よしよし と頭から感じる母の手の温もりがネレイドの孤独を癒してくれる、自分が本当に一人ぼっちじゃない事を教えてくれる、そんな温もりを心で感じ ネレイドは嗚咽交じりに母に言う

今日も街に友達を作りに行った事を、けれどやっぱり失敗してしまった事を、私が大きいから 私の力が強いから、私がみんなと違うから みんなは私と友達になってくれないと

私は永遠に一人ぼっちなんだと…

「あらまぁ、そうでしたか…」

「うぅ、お母さん…私…特別なの?」

ネレイドにとって『特別』とは呪いの言葉だ、ただ特別であるが故に孤独になり 誰からも理解されない、特別でなければ…それを何度も思考した

故に母に聞く、私は特別なのかと…、出来るなら 愛する母には否定してほしいと何処かで思いながら

しかし

「ええ、貴方は特別な子ですよネレイド」

母は言う 私は特別だと、その呪いを母は肯定する、母は凄い人だ なんでも知っててなんでも出来る、だからきっと 母がそう言うのなら私はどうあがいてもこの呪いから抜け出せない…

「でも、貴方だけが特別な訳じゃありません」

「…え?……」

「この世に特別でない人間はいません、誰もが誰かの特別なのです、貴方はただ 他の人よりもそう思われる事が多いだけ、貴方だけが…なんてことはないんですよ」

「みんな…特別?」

私だけが特別なのではなく、みんながみんな 本当は特別…、私だけじゃない その言葉はネレイドの孤独に光明を差し…

「ええ、きっと みんなも分かってくれますよ、貴方が特別に優しい事も、直ぐにね」

ネレイドの頭を抱きしめ全身で愛を表現してくれる母は私を信じてくれている、私の優しさがいつか他の人にも伝わる事を、私が優しい事をみんなに知らしめれば きっとみんなも貴方を受け入れてくれると

…なら、なろう 誰よりも優しく、誰をも守れるくらい 優しい人に、特別に優しい人に

「だから大丈夫ですよ、泣かないで?、私は貴方を 愛し続けますからね?、ネレイド」

母のように、優しい人に…誰よりも優しい 母のように…………

「ネレイド…ネレイド」

そんな優しい声にウトウトと目を閉じて…


──────────────────────


「ネレイド」

響く、祈りの間に 心の一切籠らない鉄のような声音が、その冷徹な声に従い 闘神将ネレイドは、ゆっくりと顔を上げる

「つまり、この国に忍び込んだ魔女の弟子を三人…、取り逃がしたと言う事ですか?」

顔を上げた先に立つは ステンドグラスの光を一身に浴びる教皇、あの日と変わらない母の姿、されど その目に光は無く、あの日感じた温もりも一切感じない…

いつからだろうかとネレイドは考える、いつ頃からか 母は変わってしまった

神を妄信するようになり、ネレイドを抱きしめる事もなくなり、ましてやその口で愛を囁くこともなくなった、ネレイドを 闘神将として扱い 駒の一つでも動かすかのように淡白に命令するだけになったのは …いつ頃からだったか

変わってしまったのだろうか、それとも 何も変わってないのか、ネレイドには分からない、母のこの明確な変化を誰かに伝えても 誰も理解してくれない

『魔女様は特別な方、我等にその思考を察することなど出来ますまい』と…

みんながそう言っても やはりネレイドは今の母の在り方に違和感を感じてならない、だが…

「はい、申し訳ありません」

「何という不手際を、貴方に魔術を教えたのは 神の敵を取り逃がすためではありませんよ」

何と言われようとも、何を感じようとも ネレイドは母を信じる、母に付き従い やれというのならやる、戦えというのなら戦う、それが母の愛に応える方法であると信じ それが母に愛を伝える唯一の方法であると信じて

「…今は大切な時期、決して邪魔を許すわけにはいかないのです、貴方がしくじれば神の降臨はならないのですよ、今一度 神将としての義務とその名の重みを理解しなさい、ネレイド」

「はい…」

母は立腹だ、私の報告を聞いて ギロリと光ない目でこちらを睨み明らかに怒っている、昔はこんな目で私を見ることは疎か こんな恐ろしい顔をすることもなかったのに

それもこれも、私がダメな所為だろうか、私が母の期待に応えられ無いから…

「それで、首尾は」

「はい、逃げた三人に関してはズュギアの森にローデとベンテシキュメを向かわせています、邪教執行官達も動員するつもりです…、私も 直ぐに引き返し追撃に加わります」

「ええ、早くしなさい 我等が神の敵を一刻も撃滅する為、早く戦いに…」



「おーおー、待たんかい待たんかいリゲルぅ、動かせる人員を纏めて全部動かすのは悪手じゃぞう」

「っ…」

ふと、声が響き 背後に目を向ける、この祈りの間に無断で入ることが出来る人間はこの神聖堂に二人しかいない、そしてその二人は今この場にいる つまり

「誰だ…」

聞いたことのない声がゆっくりと開く扉の向こうから響き、ネレイドはギロリと鋭い視線を向ける、カツカツと反響する足音は真っ直ぐとこちらに向かっていることを悟り 尚目を鋭くし、その闇の中から現れるそれを見て ネレイドは目を見開き…

「いや本当に誰…、知らない人…、道に迷ったの?」

「迷ってここに入り込むかい!、ワシはちゃんとここの関係者じゃい!」

そう語る黒髪の女はギャーギャー喚き立てるが、どう見ても知らない人だ、この神聖堂の人間じゃない それに…、そもそもテシュタル教徒でもなさそうだ、一体誰だ…

「ネレイド、その方はテシュタル様ですよ」

「え…!?」

「そうじゃあ?、ワシがテシュタル様じゃ?ほれ跪かんかいボケェ、頭が高いんじゃ いやマジで、高えぇ…すげぇ…高えぇ…」

私の目の前にて私を見上げる黒髪の女はその真っ赤な瞳でヘラヘラと軽薄な態度をとっている

とてもじゃないが信じられない、これが この人が私たちの神?、一体どう言うことなんだと母に…リゲル様に助けを求めるように視線を向けると

「その方はテシュタルにして我らが祖であるシリウス様です、長い時を経て地上に再誕したのです」

「本当にテシュタル様なの…?」

「お?なんじゃ木偶の坊、疑っとるんか?」

「もっと大きな人かと思ってたから…」

「お前がデカすぎるんじゃい!、まぁいい…」

フンッと一つ鼻息を荒く吹き鳴らしながら私の脇を抜け 更にリゲル様の隣をすり抜け、向かうのはこの祈りの間の最奥…、そこにあるのは神座…

星神王テシュタル様しか座ることが許されていない…つまり、事実上この世に座る事が許された人間はいないはずのその神座にどかりと腰を下ろすのだ

止めようかと思ったけど、それを見ているリゲル様が何も言わない…教皇たるリゲル様が何も言わないってことは、つまり…本物?

「で?、信じたか?木偶の坊」

「……うん」

「ならええわ、許してやろう」

足を組み 頬杖を突くその姿はあまりに様になっている、これが神というならばある意味納得の威厳だ…

なんでいきなり地上に顕現したのか、なんで今になって現れたのか、諸々の事情は不明だが リゲル様がテシュタル様だと言うなら そのように扱おう

「しかし、師よ ネレイドを動かさないというのは…」

「そのまんまと意味じゃ、こいつは我が方の最も強い駒…クイーン何じゃろう?、ならおいそれと動かすわけにはいくまいよ、敵の半分を捕らえ 半分に逃げられた?、つまり敵が二分されたということではないか…、もう少し 状況が進展するのを待て、待つのもまた戦略よ」

ぬははと快活に笑うテシュタル様を見て…、一つ 思い出したことがある…

『貴方達の魔女様は今…悪しき存在の命令を受けて動いているだけなんです、その神託だって…その存在が』と

もしかして…あれは……

「おい、ネレイド」

「ん…」

まるで私の命令を見透かしたかのようにテシュタル様は鋭い視線で私を射抜き、口を紡ぐ…まるで 『神を疑うなかれ』そう言いたげだ

そうか、それもそうだ 神を疑うなんて言語道断、神を疑い神の敵たる存在の言う事を信じるなんてありえない、私は闘神将ネレイド 神を守護せし聖人なのだから

「お前は余計な事をするな、ワシから命令が行くまでこの城で待機せよ」

「はい…」

「分かったならとっとと失せよ、お前の姿は見ているだけで窮屈になる」

「………………」

「……はい」

チラリと 再びリゲル様の姿を見るけれど、リゲル様は私に一瞥もくれず ただただテシュタル様を拝んでいる、あれだけ私の味方をしてくれた母が まるで私のことなんか忘れてしまったかのように…

…もっと頑張らないといけないのかな、そう心に改めて誓い 頭を下げて祈りの間を後にする、行けと言われれば行く 待てと言われれば待つ、我ら神将 遍くは神の下僕なのだから…

「…………」

私は今 神将としての役目を全うしているのに、なんで こんなに足が重いんだろうか

私の大きな足が ずしずしと引き摺られる、こんなにも足取りが重いのは 初めてだ…

私は今 どうするべきなのか、なんて考えるまでもない 私は今待機を命じられている、いや違う そう言うことではなく…ああ、うう…

「モヤモヤする…」

こう 胸の中にベタベタする泥が詰まったみたいに気持ち悪い、こう言う時は体を動かすに限る、取り敢えず運動すれば嫌な考えも消えるテシュタル様も教えてくれているしね

「よーし…今日は、マラソンする…ぞー」

そうと決まればと神聖堂の廊下を走らないまでもなるべく大股で歩く、私が大股で歩けば並の人間の走行よりは速いしね 急げ急げ

取り敢えず落ち着くまで走ろう、街を一周して 平穏無事に過ごす民の姿を確認して…それで

「あ……」

色々と考えを巡らせて いざ正面門の扉を開ければ そこに広がっていたのは

「吹雪…」

凄まじい高音をあげながら視界全域を塗りつぶす純白の幕のような風、吹雪だ… 

さっきまで晴れてたのに突然猛然とした吹雪が吹き荒ぶ、オライオンでは良くあることだ、ただまぁ吹雪に巻かれればみんな死んでしまうので この時ばかりは神聖堂を囲む聖歌隊のみんなも屋内へ引っ込むのだ、当然街にも人はいない 外に出れば死んでしまうから…

「……まぁいいか、走ろ」

まぁ言ってしまえば吹雪が吹いてるだけだ、普通の人間じゃ死んじゃうような吹雪も私ならへっちゃらだしね、寧ろ頭を冷やすには丁度いいし取り敢えず軽く走ろう と躊躇なく吹雪の中へ突っ込みランニングを始める

「取り敢えず街を一周…」

「待ちなされ、神将よ」

「……あ、え?」

ふと 呼び止められる、幻聴でなければ確かに呼び止められた、誰だろう そう振り向けば私がさっきまで居た正面玄関の奥に 誰かがいて…あ

「カルステンおじさん」

「ほほほ、今日も健やかですな、ネレイド殿」

漆黒の神父服 胸元に輝く黄金の十字架のペンダント、シワの刻まれた顔は朗らかに丸みを帯びており もっさりと整えられた顎髭を撫でながら笑う老神父の顔を見れば ただそれだけで心が安堵するのを感じる、その顔の懐かしさにだ

この人はカルステンさん、聖都エノシガリオスから少し離れた所にあるイデュイア村の教会で神父さんをされている老神父さん、そして

「ほほほ、私の言いつけ通り しっかり体を鍛えているようで、何より何より」

「はい…、カルステンおじさんの言う通り メニューは毎日」

「ほうほう、それは良き哉…キャンディをあげましょう」

「やったー…」

キャンディを一つ受け取りながらコロコロこの口の中で転がす、美味しい…カルステンおじさんはいつも優しいなぁ

そう この人は私にレスリングの道を示してくれた 武道の師匠でもある方…先代神将のカルステン・インティライミその人なのだ

この人には私も大恩がある故 こうして会えただけでもとても嬉しい、私達に神将の地位を譲ってからは 隠居して遠くの村へ行ってしまったから最近じゃなかなか会えないのに、まさかここで会えるなんて…嬉しい

「おじさんは どうして聖都に?…」

「いえまぁ、何やら良くない騒ぎを感じましてなぁ、いやはや 聞いてみれば神の敵が国に忍び込んだとか…一大事ですなぁ、ほほほ」

相変わらずカルステンおじさんは朗らかに肩を揺らして笑う、神の敵が現れたことがそんなに面白いのだろうか…私には分からない、神の敵が出たならば 我等信徒は怒りを露わにし猛然と戦いに挑むべきなのに……

「なんで、笑うの?神の敵が出たのに」

「いえいえ、ただ 唯一絶対なる神と呼ばれたテシュタル様にも敵がいたのですなぁと思っていただけでございます、神と呼ばれる存在にも 人間同様敵がいるとは、親近感を覚えますなぁ、ほほほ」

「……神に、敵はいないと?」

「さぁ、それは神のみぞ知ることでしょう」

何が言いたいか分からない、神に敵がいないなら アストロラーベも敵ではないと言うことになる、だが奴等は我が国の民を脅かす存在だった…いや?、それでは神の敵ではなく…我らの敵になるのでは?

だとしたら…うん?うん?、分からない…私は頭が良くないから

「まぁ それは良いでしょう、ともあれ私は国内に動乱あればと思い顔を出しただけです、しかし 既に神将が動いているなら私のような老兵に仕事はございませんかな」

「ううん、半分は捕まえたけど もう半分には逃げられちゃった…、だからその件で カルステンおじさんの助けを借りようかと思って」

「私の?…ほほほ、いやはや」

助けてくれ と懇願してもカルステンおじさんは首を縦に振らない、ただ否定も肯定もせず髭を撫でるばかり、この人はいつもそうだ 絶対に私達に手を貸そうとしない…、けど


「見て おじさん」

「ふむ?」

故に 私は服を捲り上げ自らの脇腹を外に晒し指でさす、そこには赤髪の男の一撃を貰いついた傷が存在している、それを カルステンおじさんに見せると…

「ほう、これは拳の跡か…」

ギラリと目が鋭さを帯びる、そうだ 私の脇腹に刻まれた拳の跡 もう治りかけだけれど赤髪の男に打ち込まれた一撃で私の体に跡が残ったんだ

こんなの、初めてだ

「ううむ、魔術を受けても傷一つつかぬ神体にただの拳で痣を作るとは…、ワシでさえ出来なかった事を…面白い事をする男もいたものよ」

「うん…あれ?、男って…いったっけ」

「拳の形を見れば分かる、若く それでいて信念の溢れる一撃、ここまで真っ直ぐ打つのに一体どれほどの鍛錬が必要か…、良い敵に出会いましたな ネレイド様よ」

「……神敵だから、良い敵では…ない」

「そうですか…それで、ネレイド様はこれを見せて 何をしたいと?」

「カルステンおじさん、戦ってみたくない?…これを打ち込んだ赤髪の男と」

「ふむ…」

カルステンおじさんは優しい人だ、優しくて立派で尊敬出来る人だが 同時に何よりも好戦的な男、ただ頼み込むだけでは決して答えてはくれないが…そこに『強敵』という実利が伴えば

「ほほほ、こんな老いぼれを焚きつけて何をしたいやら…、私はもう神聖軍の人間ではなく 単なる寂れた教会の老神父でしか無いのですよ、この国を守るのは当代の神将の役目…私の出る幕はありませんよ」

ホッホッホッと誤魔化すように笑い カルステンおじさんは私の手をトントンと勇気付けるように、それでいて 『気合いを入れろ、今はお前が神将だ』と発破をかけるように叩き逆に吹雪の中へと消えていく

「…応じてくれなかった…」

ショックだ、昔ならこうすればなんのかんの言って助けてくれたのに 今回ばかりはそれが上手くいかなかった…、いや なんだか昔のような情熱も感じないし

「やっぱり 効いてるのかな…、ライバルの引退が」

一週間ほど前に 帝国の老将マグダレーナが引退した、魔女排斥組織との戦いの最中重傷を負って そのまま引退したらしい、私はよく知らないがマグダレーナさんとカルステンおじさんは同年代の戦士として互いに互いを意識 一時はライバルとまで呼ばれた仲だった

でも、マグダレーナは引退した カルステンおじさんのライバルにして一度として越えることが出来なかった生涯無二のライバルが老いに負けて引退した、それがきっと カルステンおじさんの中で僅かに燻っていた闘争本能という篝火を 吹き消してしまったんだろう

もうあの人は闘うことはないか…、それはショックだが 仕方ない、カルステンおじさんの言う通り私達が神将なんだから 私達がなんとかしないと

「…うん、頑張ろう カルステンおじさんち報いいるために、お母さんの為に…」

そうだ 頑張るしかないんだ!もっともっともっと頑張らないと 

そうすれば、お母さんもまた褒めてくれる筈だから

………………………………………………………………

「マズイな…」

ズュギアの森を歩き始めてより半日、ラグナが木の隙間から見上げる空は徐々に暗くかなりつつある、このままでは夜になる と言うのにラグナ達は未だこの森にあると思われる村に辿り着く事も出来ず木々の世界に閉じ込められたままなのだ

「このままじゃ夜になっちゃいますね」

「ああ、気温も下がってきたし ここもすぐに真っ暗になる、それに夜になれば森の獣も動き始めるだろう、どうする?ラグナ」

ナリアが寂しそうに呟き メルクさんが指針を問う、今ここでこうしているのは俺の提案故だ ならこの先の選択も俺が責任を取るべきなのだろうが…

野宿の準備をするなら今のうちからだろう、だがここで野宿をするとして 俺たちはどうすればいい?、洞窟もなければ寒さを凌げる場所もない、暗闇の中徘徊する獣を警戒するため夜番を立てるにしてもこうも暗くちゃ警戒のしようもない

やはり村を見つけるしかないが、このまま進み続けて見つけられなければ真っ暗な中三人とも路頭に迷う、それだけは避けたい

(俺が責任を持ったんだ、俺がなんとかしないと…)

顎に手を当て数秒考え込むと…、ぐぅー と気の抜ける音がする

「あ…あはは、ご ごめんなさい」

カァッ と顔を赤くしお腹を抑えるナリアは慌ててペコペコと謝る、どうやら腹が減ったようだ、まぁそうだな 朝から何にも食べてない

といってもここじゃあ飯の用意も出来ないし、はぁ 彼処で馬橇と荷物を失ったのはデカかったな…

「……なぁ メルクさん…」

「ん?どうした?」

「……いや、なんでもない それよりも」

とにかく今は前へ進もう、方角はあってるはずなんだ このまま進み続ければ必ず村へ着くはずなんだ、村に着けば少なくとも安全地帯…と思いたい

もし、村に俺達のことが伝わっていて 村人が総出で俺たちの事を追い出そうとしたら、最悪…

(最悪、俺がこの手で村を制圧してでも 物資と安全な旅路を用意しないと)

そんなことすればどうなるかは分かってる、けど 仲間の命には変えられない、俺が背負ったものならば 俺が責任を持って生かさなければ

例え国王として咎められる賊同然の行為を行おうとも 俺は…そう 足を前へ進めた瞬間

「キャーーーーッッ!!」

「…ッ!悲鳴!?」

俺たちの物じゃない 別の人間の悲鳴が暗闇の中木霊する、 悲鳴だ 人間の悲鳴 つまり近くに人がいる?人がいるってことは村があるってことで……

「あっちです!」

「あ おい!ナリア!」

すると形振り構わずナリアが悲鳴がした方向へと走っていく、そこに何のためらいもない

俺が打算の思考をする間に、メルクさんが助けるか否かの判断をしている間に、ナリアは一切の思考を挟まずノータイムで助けに向かったのだ

「マズイぞラグナ!、ナリアが!」

「ああ!追うぞ!」

ナリアだって魔女の弟子だ、だが まだ未熟な彼では対応出来ない事態もあるだろう、なんたって悲鳴が上がったんだ、人間そう簡単に悲鳴なんかあげない 『何かあった』から悲鳴をあげるんだ、そしてその何かとは往々にして命の危険が伴うもの

ナリアが危ない そう悟り俺達はナリアを助ける為暗闇を切り裂き 足跡を追うと

「グゴォィァアアア!!」

「来るなー!向こうへ行け!来るなら…容赦しないぞ!」

「ひぃぃ…」

眼に映るのは木ほど巨大な大熊と それを前に果敢にペンを構えるナリア、そしてその背後には小さな子供がいる 多分あの子供が悲鳴の出元だろう

「なっ!?なんて巨大な熊だ…!」

「え?あれくらい普通じゃ…」

「アルクカース基準で語るな!助けるぞ!」

多分あの熊は魔獣だ、それも恐らくCランク 人里に出ていい類の存在じゃない、それを前に立ち塞がるナリアを助ける為 メルクさんは錬金術で銃を生み出し

「その子に手を出すな!」

二丁の銃を規則正しく連射し 大熊目掛け弾丸を放つ、あれだけ巨大な熊では小さな鉛玉など鉢の一刺しにも劣るだろう、…それがただの弾丸ならな

「グゴガァッッッ!?」

雪を切り裂き飛んだ弾丸は熊に命中するなり爆裂黒煙を上げて大熊の体を横へよろめかせる、メルクさんの銃弾も銃そのものも錬金術の賜物、放つ弾丸の材質だって思うがままなのだ、故に その弾丸はそのサイズで大砲の威力さえ凌駕する程のものを発揮する しかし

「グゴォォオ!!」

「むっ!、まだ立つか!」

魔獣はその程度じゃ怯まない、火傷を作りながらもこちらに目を向けて猛然と突っ込んでくる大熊は牙を剥き出しにし 大地を震わせながらこちらに突っ込んでくる、あれは大砲だろうがなんだろうが止められる勢いじゃない

だが、近づいてきてくれるんなら それに越したことはねぇな!

「来いや熊公ッッ!!俺に勝てると思ってんならなッッ!!」

向かってくる熊の突進を前に更に前進し射線上に躍り出るなり 両手を広げ、その破城槌の如き突撃をその身で受け止めてみせる

「グゴォッッ!?」

「その程度か?、その程度で俺に挑むなんざ…」

持ち上げる、受け止めた熊の頭を腕でロックし そのまま熊の体を引っ張り上げるように…頭の上で垂直になるように持ち上げれば、熊も漸く喧嘩を売る相手を間違えたと両手足をジタバタと振るうも、もう遅い!

「百万年!早えんだよ!」

「ブモォァッ!?!?」

投げ飛ばす、持ち上げた巨体をぐるりと振り回し 近くに乱立する木々へ向けて投げ飛ばせば大熊型の魔獣は木に押し潰され動かなくなる…

「へっ、口程にもなさすぎてびっくりだぜ」

「お前本当に凄まじい怪力だな…」


「メルクさん!ラグナさん!ありがとうございます!」

「おう!、無事か?ナリア!」

「はい!僕は!、…それより 君は大丈夫?怪我は?」

「あ……え?」

ナリアは自分のすぐ後ろで尻餅をついている小さな女の子へ駆け寄り怪我がないかを確認する、多分だが怪我はあるまい 人の血の匂いはしないしな、けど そうは言っても心的な傷は分からない

心は血を流さないが、肉の傷よりもタチが悪い、あんなどでかい熊に襲われたんだ そのショックは凄まじく、女の子は放心したように口をパクパクと開閉し…

「あ……あ、せ せ…」

「せ?、背中?背中が痛むの?大丈夫?、僕にできる事はあるかな?なんでもするよ」

だから落ち着いて?ね? と少女を落ち着かせるように手を取るナリアの姿は、なんというかあれだな 天使みたいだ、自分も命の危機にあったにも関わらず背にした相手の心配をするなんて 中々出来ることじゃない

事実、ナリアは俺たちの中で一番早く助けに向かった、自分が力があるから助けるんじゃない 助けを求められたから助けるんだ、立派だと思うぜ 俺はさ

「背中背中…あれ?、背中に傷ないよ?」

「あわわ…あ 貴方は…」

「へ?」

すると 助けた少女の目がみるみるうちに輝きを増していき…、何やら 様子がおかしいぞ…?、まさか 俺たちの事を知ってる?にしては目が異様に……

なんて、俺達が一瞬身構えると 正直は満面の笑みでこういうのだ…



「貴方!聖女様ですか!?」

「へ?、聖女…?」

そう 言うんだ、聖女だってさ
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