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前向きに突っ走るぐらいがちょうどいい 3

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 結局の所、おなかいっぱいになった綾人がいつのまにか寝ていた所でお開きとなった。
 宮下と圭斗の二人掛かりで運ばれても目を覚まさなかった様子によほど疲れているのだろうと、少しだけ反省をする飯田にオリオールは背中を向けて笑っていた事を誰も知らない。
 オリオールにとって飯田とは未知の生き物に近い生き物だった。

 古い、今では手紙だけの友人からある日一通の手紙が届いた。
 古い友人は一月ほどオリオールが小さい頃から遊び場にしていた祖父が建てたレストランに通い詰めた若い男だった。
 この頃のオリオールは野菜の皮むきばかりで辟易としていたが、ジャガイモ一つとっても自分の皮むきがへたくそなのを認めなくててはいけない未熟な若者だった。
 当時、店を取り仕切る祖父は孫の俺にも一切の甘えは見せず、この店で働きだしても三年、皮むきしかさせてもらえなかった。そして運悪く、祖父は新しい料理人を雇う事をしなかったので、野菜の皮むきはずっとオリオールの仕事だった。
 ディナーの予約はなかなか取れない物のランチやお客様の少ない時間に飛び込んでくるようにやって来る男は店の誰でも知る様になり、祖父も父も少しばかりの好奇心からお客様が居ない時など厨房を見せたりテーブルに着いて話し相手になったりするのだった。
 そしてある日、この男を祖父や父が特別扱いする理由を知る。

『この店は清潔が行き届いて気持ちが良い』

 美味しい料理、美しい料理、まるで芸術だ!
 そんな賛辞は山ほど受けてきたがこのような誉められ方は初めて聞いて、店の清潔よりもっと料理を誉めろと当時のオリオールは自分より若いガキに憤慨するのだが

『当然だ。
 料理だけが美しくても意味がない。美しい料理を食べるにふさわしい美しい場所であってこそ美味しいと思える。
 料理をよそう器一つ、そしてシミのないテーブルクロス、生き生きとしたテーブルの花、光り輝くカトラリー!それを生かす為には店内の清掃は勿論、我々の鏡となるこの厨房も美しくなければならない。
 そう言った精神を鍛えてこそ、最高と称される店に相応しくなる』

 祖父の持論だった。
 この時代にも数少ない頑固オヤジな祖父だったが、その精神は見事父親に引き継がれ、やがて知らず知らず自分も受け継いでいた。
 若い男の賛辞に祖父は機嫌をよくして、ある日たまには賄を一緒に食べようと誘うのだった。
 こんな事は初めてで一緒に働く従業員達と驚きを隠せないまま賄を食べる事になった。
 若い男は賄の料理に使われた野菜が故郷では手に入らない事や、見知らぬ家庭的な料理を珍しそうに舌包みを打ち、祖父や父に簡単な作り方を教えてもらっ立物を喜んでメモをするのだった。
 俺達から言えばそんな手抜きな内容に喜ぶなんてと思うが、ふと思い出せば男はどんな対応をしても一度も俺達に嫌な顔を見せず、予約が取れなかった日だけ悲しそうな顔を見せるだけでほぼ笑顔でいた事に気が付いた。

『あんた、いつも笑ってるな』
 
 それが俺と若い男、カエデ・イイダとの決して安くないこの店の常連になって三週間目でのプライベートな会話の始まりだった。
 とは言え、ぶしつけな声のかけ方だと思ったが、やはりカエデはニコニコとして
『笑顔は最強の武器になるんだ。その証拠にこうやって賄いに誘ってもらえた。
 これ以上の喜びはない!』
 他のどんな上客さえ食べた事ないんだぜとレストランの裏メニュー最高じゃないか!と言って笑いながら
『一食のお礼に野菜の皮むきを手伝おう』
 言いながらこれから山ほど向かないといけないジャガイモを手に取るカエデに祖父も父も断るのもなんだからと形を残さない料理に使えばいいと言って許可をするのだった。
 この店の野菜の皮むきをするのにも他の店に何年も修行してからと言うのにそれを破るのかと俺を含めて誰もが密かに怒りを抱えた物の、だけどそれはすぐに一蹴した。
 男の手はよどみなくジャガイモのを剥いて行き、それは俺より早くジャガイモの皮を剥いていた。
 それは祖父ほどではない物の父と同レベルのスピードと、俺が常日頃注意受けているあの歪なジャガイモを一つ一つ同じ形に整えて剥き上げるのだった。
 しかも手元を誉める祖父に男は嬉しそうに話しをしながら、でもスピードは一切緩めずに次々に剥いて行き、俺の割り当てが半分を終わる頃にはすでにカエデは向き終わって次に人参のグラッセ用の皮むきを任されていた。

『カエデは人が悪い。どこかの料理人なのだろう』
 
 父は笑いながらカエデの素性を初めて訪ねれば
『家は百年以上続く老舗の料理屋なんです。
 まぁ、俺は末っ子なので家を継ぐ事はないけど手伝いはガキの頃からさせられてたから上達はしましたね』
 はははと笑うカエデに祖父は唸り
『ここで働いてみないか?』
  まさかの初めて聞くスカウトの言葉にカエデは首を横に振り
『俺は自分の店を持つ為に勉強をしている途中です。なので、ここで落ち着くわけにはいきません』
 背筋をぴんと伸ばして真っ直ぐ見つめて言い直すカエデになんて失礼なと思うも
『だとしたら家の店はどうするんだ?』
 これだけの腕があるのに継がないと言うのかと言う驚きを隠せない祖父に
『店は一番上の兄が継ぐ予定です。
 今は宮内庁に修行に出ているので店にはいませんが、俺ではそこまでの実力はないのでそれなら自分で自分の納得する料理人を雇って店を経営したいと思ってます』
 よくわからない言葉が出たがこれだけのナイフ技術を持っていても店を継げないってどんな所だと思うも
『なるほど。修行に出る兄と新たに店を立ち上げようとする弟か。
 この差は大きいな』
『自分の器はわかっていますので。あの家で育てばそこそこ繁盛させる自信はあるけど、そこまでだから。それなら鍛え上げた舌を使って、埋もれて日の目を見ない料理人を発掘して俺の満足いく料理を作らせる方が楽しいと思いませんか?』
 欲はないのかと思うも、テーブルの下に隠された手の拳が悔しそうにふるえているのを見て、祖父と警戒に会話をする笑みの下に隠された物を俺はやっと見た気がした。
 より、俺は祖父にその事を言わずにはいられなくてキッチンの清掃の途中にそんな事があったと伝えれば
『判りきった事を言うな。
 宮内庁で料理をすると言う事は彼の国の王族に料理を用意する事を意味するのだろう。俺でも手が届かない高みに居る兄に劣等感を抱くのは当然だ。
 だがな、カエデの凄い所はそこで腐らずに料理に携わる事だ。何かがあってその腕を認められない料理なんて星の数ほどいる。
 自分の悔しい思いを別の人に託して最大のバックアップをする、早々できる事じゃない』
 寂しそうに語る祖父は俺の肩を抱き寄せて
『もしこの店が重荷になるのなら継がなくても良い。カエデは継ぐ事が無くてもあれだけの葛藤を抱いている。お前も悩んで迷っているかもしれない。
 だがどんな選択をしてもいつか終わりが来る日はある。お前が好きにしていい事を忘れないでくれ』

 そんな話を思い出しながら手紙を読めば

『甥っ子を預かって欲しい。とりあえず気が住むまで預かってくれ』

 そんな手紙が届いた数日後、カエデを思い出すような少年とも言っていい子供がやってきて、あの時の薫と同じように

『キッチン、清潔、最高!』
 
 片言の単語を繋げた言葉だったが確かに血は繋がっているなと感心し、そしてあの時のカエデよりももっと幼いと言うのに当時の父と同じくらいの実力を既に持つカオルに舌を巻くも

『家を繋がなくていいのかい?古くから続く店だろう?』
『弟がいるし、弟もやる気だから俺は叔父さんを真似てフランス料理を知りたいんだ!』

 あっさりと家の重圧を捨てきって単身乗り込んできた十八歳を羨ましいと思いつつ、長い歴史をあっさりと捨てたカオルを少し不思議な生き物だと思うオリオールだった。
 


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