氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第二十二章 森のほとり

8 短い祈り

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8 短い祈り


 二階に駆け上がるだけで息が切れた。ザクロさんの身体は本当大変。ずいぶんリアルに変身させられたものだ。

 誰の仕業か知らないけれど、記憶だけじゃなくて体力も僕のままにしておいて欲しかった。

 ぜいぜいしながらホクトくんの部屋の扉の前に立った。三回ノックしたけど、返事はない。

「ホクトくん、開けるよ」

 ホクトくんの部屋は、カーテンが締め切られていて薄暗い。けど、ほんのりと暖かかった。マフとメアリが暖炉の火は絶やしていないらしい。

「ホクトくん、大丈夫?」

 僕はおそるおそるベッドに近付く。天蓋の中に、横たわるホクトくんの姿が透けて見える。僕はそっとベールを持ち上げて、ホクトくんの寝顔を眺めた。

 ホクトくんは仰向けになったまま胸の上で手を組んでいて、まるで棺の中の死者のように見えた。上下する胸と微かな寝息で、命は無事と知れたけど。

「ホクトくん、起きて?」

 僕はザクロさんのあったかい手で、ホクトくんの手をぎゅっと握った。

 ホクトくんの反応はない。僕はホクトくんの顔を覗き込みながら、ベッドの端に腰掛けた。

 とたんにぎしーっとベッドが軋んで、ホクトくんがちょっと斜めになってこちらに転がってきそうになった。

「うわっ、ごめん!」

 僕は慌ててベッドから離れた。ホクトくんの右腕がぱたん、と寝台の上に伸びた。

 横でこんなにバタバタしてるのに、ホクトくんは目覚める気配もない。

 こんなに正体もなく眠り続けているなんて、やっぱりおかしい。僕はホクトくんの顔をまじまじと観察する。

 改めて見ると、ホクトくんはかなりイケメンだ。キリッと太い眉毛はジュンにどことなく似ていた。

 そういえば興奮した時のジュンは、お芝居がかった大袈裟な身振り手振りをしたものだけど、そんなところもホクトくんに似ていたっけ。それで何となく僕は、初めて会った時からジュンを信用したんだ。

 眠る姿はどんな人をもあどけなく見せる。僕はそっとホクトくんの額にかかる前髪をかきあげた。

「ケイト……」

 つぶやいてから、はっとする。改めて見ると、ホクトくんは、どことなくケイトにも似ていた。だからケイトと出会った時、初めて会った気がしなかったのかな。

「あっ! いかんいかん!」

 僕は自分の、というか、ザクロさんの頬をぴしゃぴしゃと叩いた。

「ケイトのことは置いといて!」

 僕は改めてホクトくんの様子を観察する。顔の血色は良くて、やつれた様子もない。ただ、気になる点が一つだけあった。

「これはなんだろう」

 ホクトくんの腕の内側には、ナイフで切ったような傷があった。

 この傷を見た瞬間、何故だろう、ふいに僕の鳩尾のあたりがきりりと痛んだ。

「もしかしてこれ、月下の契り……」

 ジュンが言っていた、騎士同士の交わす友情の誓い。腕に傷をつけて、互いの血をくちびるで吸うんだ。

 僕はケイトの腕を思い出しながら、そっとその傷をなぞった。

 指輪なんて大層なものは断って、ケイトには僕の身体に、傷の一つでも付けて貰えばよかった……。そうしたら、うっかり者の僕でも無くしたりしないからさ。

 僕は物思いに耽りながら自分の腕を見た。そして、ぎょっとする。そうだ、今僕はザクロさん!

 そして、目の前にいるのはホクトくん! 意識不明の重体! 

 甘美な妄想に耽っている場合では絶対になかった。僕は隙あらば領主様のことを思い出してる。

 ホクトくんの寝顔が、なぜかケイトの寝顔に重なってしまったんだ。

 僕は頭を振って、もう一度傷を調べる。

「ああ、でもこれ、ただの瀉血の跡かな」

 よく見れば、昨日ついたばかりの傷の他にも、うっすらと幾つかの跡が残っている。月下の契りをそう何回も繰り返すはずはなかったし、これは単なる治療の跡だろう。

 確か領主様も、瀉血を嫌がって医師は呼ぶなと執事に頼んでいたな。

 執事さんと子供みたいな言いあいをしてたケイトを思い出して、僕はちょっと笑った。

「……いや、またケイトのこと考えてる! だめだめ! それどころじゃないんだ」

 僕はホクトくんの腕をそっと戻し、胸の上で手を組んでやる。

 ものを考えようにも、部屋がなにせ暗かった。

 僕はつかつかと窓辺に寄って、カーテンの紐を引いた。天井まである大きな窓から、明るい日差しが一気に差し込んだ。

 眩しくて、僕なら寝てられないんじゃないかな。でも、ベッドの彼が起き上がる気配はない。

 健康優良児だったホクトくんが、意識不明で眠り続けるなんて、やっぱりなにかおかしい。

 何か変わったところはないか、部屋を見回す。

 相変わらずの雑然とした部屋。散らかってるわけじゃない。ただ、独特の雰囲気なんだ。ホクトくんの異国趣味と物々しい狩りの道具が、昔ながらの家具と混ざり合ってる。

 もう一つ、部屋の隅の出窓を開け放つ。四日前の夜、僕が飛び降りた窓だ。ずいぶん高い。あんな事がよく出来たものだ。

 僕は桟から身を乗り出して、髪をかきあげ、朝の空気を吸い込んだ。

 春とはいえ、とこ冬の森のほとりはまだ一面の雪景色。冷たい雪と樹々の香りが部屋の澱んだ空気を洗い出す。白と群青の光の乱反射の向こうで、鳥が鳴き交わしている。

 僕はこの景色が好き。

 どんなに辛い朝でも、この新鮮な香りをかいで、空を眺めれば、元気が湧いてきた。

「ホクトくん、ほら、朝だよ」

 僕はベッドの天蓋を手繰って、四隅の柱に留めながら声をかける。風が吹いて、布は帆のようにはためいた。

 それでも、ホクトくんは目を開けない。

「一体どうしちゃったの?」

 僕がどんなに逃げても、避けても、笑顔で追いかけてきてくれたホクトくん。

「僕ね、大好きな人ができたよ……その人の笑い方、ちょっと君に似てるんだ。そう、それに、喋り方が君にそっくりな友達も出来たんだよ」

 枕元にひざまずいて、耳元に語りかける。

「目を開けて。お話ししようよ……」

 もう僕はザクロさんの言いなりじゃない。君を避けたりしないから。

 どんなに語りかけても、光と風を送っても、ホクトくんの瞼はぴくりとも動かない。

 僕は手を組んで、神様にお祈りを捧げた。

「神様、ザクロさんとホクトくんをお守りください」

 ザクロさんは行方不明。ホクトくんは意識不明。一体何がどうなっているんだ。

 ザクロさんは、イチマルキウと自分にはなんの関わりもなかったと言ってた。

 僕を売るつもりはなかったと。

 それは……優しい嘘に違いない。

 信じたふりをしたけど、本当のことじゃないのは分かってた。

 それでもいいんだ。

 もう一度、僕と向き合って欲しかったから。僕は信じたふりをした……信じてみたかったんだ。

 父さんの思い出を奪い、僕を娼館に売ったんだもの。彼女は、罪を犯してる。罰がくだらないのはおかしい。僕と父さんは、彼女の欲望の被害者だ。

 憎むべきなのは分かってる。

 でも、ザクロさんを目の前にすると、それがなぜか出来なかった。

 決して、優しさからとか、広い心による許しとか、そんなんじゃない。

 何で、僕はザクロさんを憎めないのか。

 僕はそれを、頭のどこかでずっと考え続けてる。

 とにかく、帰ってきてほしい。ザクロさんにも、ホクトくんにも。会って、話をして……それで何がどうなるのかは、僕にも分からなかったけど。

 僕にできることは、失くしたものを想い続けること。そして、この気持ちが何なのか、考え続けることだけ。

「神様、どうか、僕達をお導きください」

ーー長々と祈る必要はないさ。神様は全部ご存知だ。

 不意に、頭の中で、父さんの声が蘇った。

 病気の母さんの枕元を離れない僕に、父さんはそんなふうに言ったことがあった。

 自分だって、真夜中に長い事苦しそうに祈ってるのを僕は知ってたけど、僕は父さんの言葉に従った。

 父さんと一緒に「主の祈り」を唱えると、歌いながら、手を繋いで、下に降りていった。

 何気ない思い出が、不意にパッと蘇る。

「……天にまします我らの父よ」

 それは、世の子供達が最初に習う、短い最低限のお祈り。

 ご飯が食べられることへの感謝。罪の告白と赦し。あとは全てが、神様の御心の通りになりますようにという祈り。

「われらに罪を犯すものを我らが赦す如く、我らの罪をも許したまえ」

 短い祈りに、全てが込められていた。僕は顔をあげた。

「また……来るからね」

 僕はホクトくんの額にキスした。そっと、触れるだけのキスなのに、ベッドは壊れるんじゃないかってくらい、盛大に軋んだ。

「うわっ、ちょ、よっこいしょ」

 立ちあがろうとするんだけど、膝がなかなか真っ直ぐにならない。

 ザクロさんの身体は本当に大変。かなり丁寧に扱わないとダメみたいだ。

 足の感覚が無くなっていた。僕は驚きながらベッドの柱に手をついた。

「もうちょっと運動しなきゃダメだよ、ザクロさん……」

 二、三歩歩いたところで足の痺れが中途半端に解けて、ビリビリ痛んだ。

「うひゃあ……」

 思わずよろけた僕を、何かがふわりと支えてくれた。

「大丈夫、母さん」

 僕はびくっと震えた。ケイトそっくりな声が、耳元でしたから。

 力強い腕が、僕の大きな体を空中で受け止め、支えていた。

 ケイト……?

 振り返るとそこには、ケイトの鳶色の瞳……ではなく、目を覚ましたホクトくんの、黒く輝く瞳があった。












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