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六章 悪魔降臨(2)
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太陽を囲むような淡い光の線が、ゆらりと揺れて赤く染まる。世界の温度が急速に下がっていくような、漂う空気の質そのものが変異する違和感を肌にも覚えた。
サードが静かに身構えるそばで、ロイ達が日食を睨みつけたまま慎重に武器を構えた。
空気を叩くような、複数の獣の足音のようなものが聞こえ始めた。日食が完了した太陽から、黒い蠢きが噴き出すかのようにして飛び出すと、次第にこちらへと降りるように地上へと近付いてくる。
それは、馬ほどにデカい五匹の巨大な『死食い犬』だった。それを足場にするようら従え、一つの人外生命体がすぐそこの頭上まで降りてきた。
本物の悪魔。
その作り物みたいな顔には、宝石みたいな『赤』の双眼があった。
こちらを真っすぐ見下ろしたその悪魔を見て、サードは知らず唾を呑みこんだ。魔力というものを感じた経験はなかったものの、人の形に近い姿をした悪魔(それ)からは、得体の知れない巨大な力の渦のような威圧感を覚えた。
馬よりも大きな五頭の『死食い犬』を連れた悪魔は、首から下が黒光りする毛に覆われていた。黒い身体は、人間の男性体に近いが、引き締まった肉体の下半身には性別を示すようなものは見られない。
首の途中から上は、日差しを知らないような白い肌をしていた。背骨のラインから続く尻あたりから、細く硬そうな黒い尻尾が生えていて、生きていることを示すかのようにして動いている。
目と同じく真っ赤な髪は、後ろへと撫でつけられて尖った耳と肩辺りで外側に跳ねている。大きく弧を描く唇は、紅を塗ったかのように艶やかに赤く、見開かれた赤い目は狂気と殺気に染まって飢えた肉食獣のようにだった。
「久しぶりだねぇ、我が餌共」
薄く開いた悪魔の口から、耳にするりと入り込む美しい男の声がした。そう言うなり、宙で立ち止まった『死食い犬』の上で、人形のようにコテリと首を傾げる。
「憎らしい再会は二十三回を超えるけれど、相変わらず餌の違いを見分けるのは難しいなぁ。どれが『皇帝』なんだろうか」
悪魔には表情筋というものがないのか、そう口にしている間も仮面のような不気味な笑顔は崩れなかった。動いているのは唇だけで、どの男が『皇帝』だったかを捜すように、鈍い光を灯す赤い目がサード達を順繰り見やっていく。
人間の顔の区別が付かないというのは、本当であるらしい。
そう察しながらも、サードは生まれて初めて感じる強い畏怖と同時に、ようやく全力で潰しあえる『最高の獲物』を前にしたような高揚感を覚えた。随分昔に失った激しい空腹感に似た乾きに、知らず唾を飲み込む。
先程倒したものとは比べ物にならないほど巨大な『死食い犬』が、獰猛な歯を剥き出しに低い呻り声を上げた。身体は見事な艶を持った黒く柔らかな体毛に覆われ、口から覗く歯茎もまるで死体とは思えないほど瑞々しい色をしていた。空中をがりがりと掻く大きな爪は、鋭利な鎌を思わせる。
もしかしたらスミラギの仮説の通り、悪魔は、元を辿れば本当に魔物やら魔獣やらと同じ種であったのかもしれない。
半分悪魔細胞を持つ身として、サードは自分の中の本能(あくま)的な感覚器官が、この魔獣の身体がこちらと同じように治癒再生能力を持ち、強靭な身体能力を持って生きているのだと伝えてくるのを感じた。
この『死食い犬』は、先程までの腐敗していた『脆い魔獣』とは質が違う。全員が同じように推測する中、ロイが悪魔を睨み据えたまま、普段は見せないような緊張感を滲ませた強気な笑みを口許に浮かべて、ユーリスに囁いた。
「あれは、相当やばそうだな」
「魔術師として述べると、悪魔だけじゃなくて、あの魔獣もかなりの魔力を持っているよ。どういう風に働く能力なのか、気になるところだね」
ユーリスが悪魔の動向を慎重に窺ったまま、囁くようにそう返した。それを聞いたサードは、押し殺した低い声で口を挟んだ。
「あの『死食い犬』は、たぶん俺と同じ、肉体活性化と超治癒再生の能力を持っているんだと思う」
ロイがちらりと見やって、訝しむように目を細めた。
「何故、そうだと分かる?」
「半悪魔体としての本能的な直感、みたいなもんかな」
サードは、向こうの魔獣を目に留めたまま囁き返した。悪魔と巨大な『死食い犬』を慎重に観察していたエミルとソーマが、そこでようやくユーリスやレオンのように横目でサードを見やる。
「魔力が肉体を活性化し続けて、常に生きた細胞が作られているから身体が腐っていない、と考えれば辻褄も合うだろ? その場合は俺と同じで、戦闘モードに入れば腕力とスピードも数十倍は軽くはね上がると思う。治癒再生のスピードによっては、確実に狙わないと殺せない可能性もある」
もし本当にそうであれば、先程の身体が脆いという欠点を持った『死食い犬』とは、全く別種と言ってもいいのかもしれない。
ユーリス達だけで相手にするとなると、無事に済むとも言い切れないだろう。肉体が人体の限界を超えている今のサードであれば、あの五匹の『死食い犬』に戦闘技術では負けない。
とすれば、あの四人が死なないようサポートしながら、出来るだけ早く悪魔と戦えるよう『死食い犬』を確実に仕留めていく方が最善か。
どうせ一番手を譲ろうとしないだろうし、まずは悪魔の相手をロイに任せるしかない。多分、ロイであれば、しばらくは悪魔と一対一でもどうにかもってくれ――と考えていたところで、レオンに脇腹を小突かれた。
サードは「なんだよ?」と顰め面を向けた。
「相手の『死食い犬』の再生能力――つまり損傷個所の回復が早過ぎる場合は、どうすればいいのですか?」
「一瞬で首を刎ねるか、心臓もしくは頭を潰せば大丈夫だ。超治癒再生のエネルギーを魔力で補っているのなら、魔力が枯渇してくれるまで切り刻むってのもありだとは思う――つまりは、肉体の再生が追いつかないスピードで壊し続ける。けどまぁ、確実に急所を狙う方が早いだろうな」
「全く、面倒な相手になる予感しかしませんね。…………事が終わったら『死食い犬』にも進化があることを、図鑑にも正確に書き足して頂けるよう、この機会に分析してやるとしましょう」
後半、独り言のように忌々しげに言ったレオンの横顔を見て、サードは「なんか八当たりっぽいな」と思ったまま呟いた。
その時、悪魔が面白そうに首を右へ、左へと傾けた。
「どれが『彼』だったかなぁ」
そう歌うように口にすると、魔獣の一頭が短く吠えた。まるで悪魔は言葉でも分かるかのように「うんうん、訊いた方が早いね」と相槌を打つと、ロックオンするようにサード達を見据えた。
「さて。どの餌が『皇帝』だい?」
悪魔が嗤い、真紅の目を細めた。
ロイが目配せし、小さな声で「獣の方は頼んだぞ」と囁いた。ユーリス、エミル、ソーマ、レオンが無言で頷き返すそばで、サードは念を押すように「雑魚の方を片付けたら、俺も参戦するからな」と釘を刺した。
すうっと息を吸い込んだロイが、背筋を伸ばして尊大な態度で悪魔を見上げた。
「俺が『皇帝』だ。この首飾りまで忘れた訳じゃないだろう?」
不敵な笑みを浮かべてそう言いながら、ポケットにしまっていた『皇帝の首飾り』を持ち上げて見せる。
すると、悪魔の赤い瞳が鈍い光りを帯びた。目を見開くと、執着心を覗かせるようにぐぅっとロイだけを真っ直ぐ見下ろす。
「そう、そうだった。偉そうな喋り方――うん、お前が『皇帝』で間違いない」
悪魔の声を聞いて、ロイが小さく鼻で笑った。この儀式のような『確認作業』が実にくだらん、と言わんばかりに荒々しく首飾りをポケットに押し込んだ。
「念のために確認しておくが、『宣誓契約』のルールは忘れていないな?」
「忘れるわけがないよ、『悪魔は約束を違えない』からね。――さて、ゲームの再開のルールにのっとって『宣誓契約』の内容を確認しよう」
悪魔が、やっぱり作り物の仮面みたいな笑顔で言葉を続けた。
「使用する武器は互いに一つ、私(あくま)は魔法の使用は無し。お前を殺せたら私の勝ちで、私を殺せたらお前の勝ち。私が時間内にお前を殺せなかった場合も、私の負けだ」
そう言って手を振った時、悪魔の手には黒い剣が握られていた。それは柄も刃も墨で塗り潰したように黒く、そのまま写し取ったかのようにロイの剣と全く同じ形をしていた。
「さ。はじめましょ」
歌うような口振りで言い、悪魔が首を傾げた。
その言葉を合図に、巨大な『死食い犬』たちが一気に踏み込んで、こちらに向かって弾丸の如く飛び出してきた。
サードが静かに身構えるそばで、ロイ達が日食を睨みつけたまま慎重に武器を構えた。
空気を叩くような、複数の獣の足音のようなものが聞こえ始めた。日食が完了した太陽から、黒い蠢きが噴き出すかのようにして飛び出すと、次第にこちらへと降りるように地上へと近付いてくる。
それは、馬ほどにデカい五匹の巨大な『死食い犬』だった。それを足場にするようら従え、一つの人外生命体がすぐそこの頭上まで降りてきた。
本物の悪魔。
その作り物みたいな顔には、宝石みたいな『赤』の双眼があった。
こちらを真っすぐ見下ろしたその悪魔を見て、サードは知らず唾を呑みこんだ。魔力というものを感じた経験はなかったものの、人の形に近い姿をした悪魔(それ)からは、得体の知れない巨大な力の渦のような威圧感を覚えた。
馬よりも大きな五頭の『死食い犬』を連れた悪魔は、首から下が黒光りする毛に覆われていた。黒い身体は、人間の男性体に近いが、引き締まった肉体の下半身には性別を示すようなものは見られない。
首の途中から上は、日差しを知らないような白い肌をしていた。背骨のラインから続く尻あたりから、細く硬そうな黒い尻尾が生えていて、生きていることを示すかのようにして動いている。
目と同じく真っ赤な髪は、後ろへと撫でつけられて尖った耳と肩辺りで外側に跳ねている。大きく弧を描く唇は、紅を塗ったかのように艶やかに赤く、見開かれた赤い目は狂気と殺気に染まって飢えた肉食獣のようにだった。
「久しぶりだねぇ、我が餌共」
薄く開いた悪魔の口から、耳にするりと入り込む美しい男の声がした。そう言うなり、宙で立ち止まった『死食い犬』の上で、人形のようにコテリと首を傾げる。
「憎らしい再会は二十三回を超えるけれど、相変わらず餌の違いを見分けるのは難しいなぁ。どれが『皇帝』なんだろうか」
悪魔には表情筋というものがないのか、そう口にしている間も仮面のような不気味な笑顔は崩れなかった。動いているのは唇だけで、どの男が『皇帝』だったかを捜すように、鈍い光を灯す赤い目がサード達を順繰り見やっていく。
人間の顔の区別が付かないというのは、本当であるらしい。
そう察しながらも、サードは生まれて初めて感じる強い畏怖と同時に、ようやく全力で潰しあえる『最高の獲物』を前にしたような高揚感を覚えた。随分昔に失った激しい空腹感に似た乾きに、知らず唾を飲み込む。
先程倒したものとは比べ物にならないほど巨大な『死食い犬』が、獰猛な歯を剥き出しに低い呻り声を上げた。身体は見事な艶を持った黒く柔らかな体毛に覆われ、口から覗く歯茎もまるで死体とは思えないほど瑞々しい色をしていた。空中をがりがりと掻く大きな爪は、鋭利な鎌を思わせる。
もしかしたらスミラギの仮説の通り、悪魔は、元を辿れば本当に魔物やら魔獣やらと同じ種であったのかもしれない。
半分悪魔細胞を持つ身として、サードは自分の中の本能(あくま)的な感覚器官が、この魔獣の身体がこちらと同じように治癒再生能力を持ち、強靭な身体能力を持って生きているのだと伝えてくるのを感じた。
この『死食い犬』は、先程までの腐敗していた『脆い魔獣』とは質が違う。全員が同じように推測する中、ロイが悪魔を睨み据えたまま、普段は見せないような緊張感を滲ませた強気な笑みを口許に浮かべて、ユーリスに囁いた。
「あれは、相当やばそうだな」
「魔術師として述べると、悪魔だけじゃなくて、あの魔獣もかなりの魔力を持っているよ。どういう風に働く能力なのか、気になるところだね」
ユーリスが悪魔の動向を慎重に窺ったまま、囁くようにそう返した。それを聞いたサードは、押し殺した低い声で口を挟んだ。
「あの『死食い犬』は、たぶん俺と同じ、肉体活性化と超治癒再生の能力を持っているんだと思う」
ロイがちらりと見やって、訝しむように目を細めた。
「何故、そうだと分かる?」
「半悪魔体としての本能的な直感、みたいなもんかな」
サードは、向こうの魔獣を目に留めたまま囁き返した。悪魔と巨大な『死食い犬』を慎重に観察していたエミルとソーマが、そこでようやくユーリスやレオンのように横目でサードを見やる。
「魔力が肉体を活性化し続けて、常に生きた細胞が作られているから身体が腐っていない、と考えれば辻褄も合うだろ? その場合は俺と同じで、戦闘モードに入れば腕力とスピードも数十倍は軽くはね上がると思う。治癒再生のスピードによっては、確実に狙わないと殺せない可能性もある」
もし本当にそうであれば、先程の身体が脆いという欠点を持った『死食い犬』とは、全く別種と言ってもいいのかもしれない。
ユーリス達だけで相手にするとなると、無事に済むとも言い切れないだろう。肉体が人体の限界を超えている今のサードであれば、あの五匹の『死食い犬』に戦闘技術では負けない。
とすれば、あの四人が死なないようサポートしながら、出来るだけ早く悪魔と戦えるよう『死食い犬』を確実に仕留めていく方が最善か。
どうせ一番手を譲ろうとしないだろうし、まずは悪魔の相手をロイに任せるしかない。多分、ロイであれば、しばらくは悪魔と一対一でもどうにかもってくれ――と考えていたところで、レオンに脇腹を小突かれた。
サードは「なんだよ?」と顰め面を向けた。
「相手の『死食い犬』の再生能力――つまり損傷個所の回復が早過ぎる場合は、どうすればいいのですか?」
「一瞬で首を刎ねるか、心臓もしくは頭を潰せば大丈夫だ。超治癒再生のエネルギーを魔力で補っているのなら、魔力が枯渇してくれるまで切り刻むってのもありだとは思う――つまりは、肉体の再生が追いつかないスピードで壊し続ける。けどまぁ、確実に急所を狙う方が早いだろうな」
「全く、面倒な相手になる予感しかしませんね。…………事が終わったら『死食い犬』にも進化があることを、図鑑にも正確に書き足して頂けるよう、この機会に分析してやるとしましょう」
後半、独り言のように忌々しげに言ったレオンの横顔を見て、サードは「なんか八当たりっぽいな」と思ったまま呟いた。
その時、悪魔が面白そうに首を右へ、左へと傾けた。
「どれが『彼』だったかなぁ」
そう歌うように口にすると、魔獣の一頭が短く吠えた。まるで悪魔は言葉でも分かるかのように「うんうん、訊いた方が早いね」と相槌を打つと、ロックオンするようにサード達を見据えた。
「さて。どの餌が『皇帝』だい?」
悪魔が嗤い、真紅の目を細めた。
ロイが目配せし、小さな声で「獣の方は頼んだぞ」と囁いた。ユーリス、エミル、ソーマ、レオンが無言で頷き返すそばで、サードは念を押すように「雑魚の方を片付けたら、俺も参戦するからな」と釘を刺した。
すうっと息を吸い込んだロイが、背筋を伸ばして尊大な態度で悪魔を見上げた。
「俺が『皇帝』だ。この首飾りまで忘れた訳じゃないだろう?」
不敵な笑みを浮かべてそう言いながら、ポケットにしまっていた『皇帝の首飾り』を持ち上げて見せる。
すると、悪魔の赤い瞳が鈍い光りを帯びた。目を見開くと、執着心を覗かせるようにぐぅっとロイだけを真っ直ぐ見下ろす。
「そう、そうだった。偉そうな喋り方――うん、お前が『皇帝』で間違いない」
悪魔の声を聞いて、ロイが小さく鼻で笑った。この儀式のような『確認作業』が実にくだらん、と言わんばかりに荒々しく首飾りをポケットに押し込んだ。
「念のために確認しておくが、『宣誓契約』のルールは忘れていないな?」
「忘れるわけがないよ、『悪魔は約束を違えない』からね。――さて、ゲームの再開のルールにのっとって『宣誓契約』の内容を確認しよう」
悪魔が、やっぱり作り物の仮面みたいな笑顔で言葉を続けた。
「使用する武器は互いに一つ、私(あくま)は魔法の使用は無し。お前を殺せたら私の勝ちで、私を殺せたらお前の勝ち。私が時間内にお前を殺せなかった場合も、私の負けだ」
そう言って手を振った時、悪魔の手には黒い剣が握られていた。それは柄も刃も墨で塗り潰したように黒く、そのまま写し取ったかのようにロイの剣と全く同じ形をしていた。
「さ。はじめましょ」
歌うような口振りで言い、悪魔が首を傾げた。
その言葉を合図に、巨大な『死食い犬』たちが一気に踏み込んで、こちらに向かって弾丸の如く飛び出してきた。
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