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「おじさんっ、ノボルおじさんどこ!」

 家に駆け込んだ陸は、ノボルを探した。

 家は静まり返り人の気配はなかった。道場に飛び込むと、道着に着替えて準備していた一人の大学生が、驚いたように陸を振り返った。

「ど、どうしたんだい?」
「ノボルおじさん、どこか知らないっ?」
「えぇと、僕らの試験練習で道場を貸してくれることになって、他のメンバーが到着は六時を過ぎるって聞いて、それじゃあ町内会に参加してくるからって……」
「もう、こんな時に!」

 思わず道場の柱を強く掴んでしまい、それが破壊音を上げて砕けた。パラパラと床に残骸か落ちていく。

「……あの、すみません。ちゃんと掃除します」
「え、そっち?」

 大学生の彼は「うーん」と言って、頬をかく。

「気にしなくていいよ。怪我はない?」
「はい、ないです、僕、丈夫なんで……すみません……」
「いいんだよ、まだ掃除もしていないから僕が片づけておくよ」
「いえっ、そんなわけにはっ――」
「それならこうしよう。飲料水とタオルを用意してもらってもいいかな? 勝手に出してやっとけって先生に言われてたけど、なんだか勝手に家に上がるのも気まずくてさ」

 本当かな、と思うくらい大学生は落ち着いていた。苦笑の柔らかさからすると嘘とも思いがたい。

(僕が来る前は、よくあった感じもしたんだけどな)

 ノボルは防犯意識が低い。玄関だって、日中は出入りが多いからといつも開きっぱなしだった。

 その本人がいないのだから、仕方がない。

 町内会の場所なんて分からない陸は、ひとまず大学生の提案を受け入れ、家のほうへと足を進めた。

 驚かれるよりいい。自宅に上がってそう思った時、リクは「ん?」と気付く。

「……おじさん、僕の力のこと話してないよね?」

 普段からノボルとの師範代クラスの手合わせや技を見せられているから『そういうこともできるのかも』と思われる可能性については、頭に浮かばなかった。

 どきどきしながら、普段ノボルが準備するものを道場に運び込んだ。

 木片は綺麗になくなっていて、大学生は柱に紙を張りつけて『触るな、危険』と丁寧に書いてくれていた。

「ありがとうございます」
「電話したら直す方法を考えるって。何か急ぎだったみたいだけど、番号わからないならこっちから電話する?」

 陸はそういえばと思い出し、それから「いえ、大丈夫です」と言って道場を出た。できれば会って話したい。

 何かやっていると少しは気が紛れる。そのまま台所で夕飯の仕込みを始めた。静まり返った後ろの廊下の奥から、道場で基礎練習に励む一人分の音だけが聞こえてきていた。


 その数時間後、試験のための稽古で三人の青年たちが道場に集まった六時過ぎ、陸は風呂に入って、居間の襖を開け庭を眺めていた。

 湯上りの身体に、陽が落ち始めた風が心地よい。

 ノボルは、まだ帰っていなかった。

 少し前に電話が鳴り「話しが長引いていて少し遅れる」とノボルから連絡があった。気になる意見が上がって、最後は一通り見回りをして帰って来るのだとか。

「もう……話したい時にいないんだから」

 陸は一人愚痴り、立てた膝に頬を乗せる。

 あれから箱について色々と考えた。やっぱり、ダンの知らないところで不思議な箱が自分勝手に動いているのだろう。

 外で必要な情報をかき集め、それを持ち帰っている。

 ダンが知らないところでも〝学習〟しているから、成長も早い。

 豪邸の前で聞こえた声は、本物のダンにそっくりだった。性格もどこか彼の探究心や考えを深めていく部分を吸収したような印象も受けた。成長、というより、試行錯誤で自分なりにどんどん進化しているのだろうか――。

(進化って、まるで本当に生き物みたい)

 自分で思って、ちょっと笑ってしまった。

(ダンおじさんは自分の思考とか好みとかの情報を与えたと言っていたし。そうすると、ダンおじさんの形をしていたのも有りな気がする……それでいて、どんどん増殖してる?)

 考え、ぶるっと身震いした。

 この町を一人歩き回り、時間を惜しむように見ていっている目的が分からない。嫌な予感はするものの、正体は不明だ。陸は一人で考えるのも限界だと感じて、思考を停止しその場で横になった。

 視界に、天井と外の薄暗くなりだした空が入った。

 いつの間にか夕日はほとんど沈んでしまったようだ。そよ風が、庭の草や葉を揺らして心地よい音を立てている。

 その時、最近耳に馴染んできたノボル家の固定電話の呼び出し音が聞こえてきた。

 陸は飛び起き、駆けだした。三回目のコール音で受話器から取り、ノボルかと思いながら耳に当てる。

「はいもしもし、寅々炉ですが」
【あら、もしかして陸君かしら?】

 違った、ノボルではなかった。聞こえてきたのは知らない女性の声だ。

 陸は「はぁ」と息交じりに答えた。

【昨日から学校に通っているのでしょう? 寅々炉さんから聞いていたの。美少年がきたって、ママさんの間でも話題になっているんだから』

 美少年、と陸は首を捻る。ママ会の社交辞令かなんかだろうか。

「はぁ、あの、ノボルおじさんはまだ帰ってないんですが……」
【あ、今日はあなたに聞きたいことがあって電話したの。ちょうどよかったわ】
「僕?」
【息子の海斗がまだ帰ってこなくて、一軒ずつ電話しているの。あなた、知らない?】

(海斗のお母さんか!)

 陸は驚きながらも、そういえば午後も彼は学校に来なかったなと思い出し、冷静に答える。

「えっと、外でサボっていたのを見つかったと聞きましたけど、僕のほうは今日見ていません」
【そうなの……私も先生に連絡をもらって、そのあと反省文を書きに学校に向かったことは分かっているのだけれど。あの子、遅くなる時はきちんと連絡をくれるの。夜に家を出る時もみんなで夕飯を食べてから行くのに、まだ鞄さえ置き来ていなくて。ずっと連絡がないなんてはじめてだわ】
「はぁ……」

 やはり、海斗は不良とは呼びがたい存在に感じた。

 夜に家を出るのを許す親というのも不思議だが、マメに両親に連絡を入れて、安心させて遊びに行くところに陸は好感を覚えた。

【何か分かったら連絡もらってもいいかしら?】

 陸はもちろんですと答え、電話機の横に置いてあったペンを取り、メモ帳に『海斗宅』と走り書いて電話番号も記した。

 それではと電話を切った時、ノボルの声が外から聞こえてきた。

「おかえりなさい、おじさん」
「おう、ただいま陸」

 ちょうどいいタイミングだと思って玄関へ顔を出すと、ノボルは笑顔で答えて、それから「やれやれ」と少し疲れたように靴を脱いだ。

「まったく、ネズミと犬騒動で時間を取られるとは思わなかった」
「何それ?」
「見回りの途中で、ネズミが確かにいたとあるご婦人が騒いでいてな。確認しに行ったら何もいなくて、その次は、野犬騒動だ! まったく、たかがネズミだぞ? このへんにはわんさかいるだろうに、これだから都会から来た連中は!」

 僕もそうなんだけど、という言葉を陸は飲み込んだ。町内会に参加している人であるし、ひとまず海斗のことで母のほうから連絡があったことを伝えないと。

(もしかしたら、おじさんどこかに連絡を取って共有するかもしれないし)

 そう陸が思って、家に上がったノボルに口を開こうとした時だった。

 慌ただしい足音がどんどん近付いていた。なんだろうと二人揃って目を向けると同時に、ノボルが閉めたばかりの引き戸が勢いよく開けられた。

「大変だ! 助けてくれ、ノボル!」

 そこから髪を振り乱したダンが飛び込んできた。

 ノボルは束の間あんぐりと口を開け、それから次第にとてつもなく嫌がる顔になる。

「断――」
「あれはとんでもない代物だった!」

 ノボルの言葉を遮るようにしてダンが叫んだ。
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