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 だが直後「違うでしょう!」と、追うように着地した軍人がそう言った。

「殿下っ、そもそも絶・対・に・遅刻しないよう何度もおっしゃったでしょうっ」
「あははは、悪い。この国の空は気持ちがいいね。戦争の気配がない」
「あたりまえですっ。というか、なんのための転移魔法なんですか、なぜ我々護衛部隊兼部下を撒こうとする……!? 私以外全員はぐれましたよ!?」

 その騒がしい二人組の、珍しい登場は会場の者達の目を引いた。

「一人で気楽に行きたいと王にも言った。お前達は先に帰りなさい」
「ですが」
「女性と会うのにも、監視をつけるつもりかな?」

 彼が「ん?」とにこやかな顔で、エステルの方を指差す。

 一瞬ツッコミの勢いで忘れてしまっていたのが、男が「うぐっ」と呻いた。周りの視線を見ると、溜息をこらえるような顔で、数秒黙る。

「……分かりました。先に国へと戻り王に帰還の報告をしてまいります」
「よろしく」

 彼は、来た時と同じようにバルコニーへと出ていった。

(逡巡していたのがよく分かるわ……)

 普段から困らされていたりするのかしら、近くでやりとりを目撃することになってしまったエステルは、思う。

「さて。初めまして、麗しい姫」

 残ったその男が、美しい顔をこちらへと向けた。

「私はヴィング王国の第三王子、アルツィオ・バラン・ヴィングと申します。ゼノア魔法騎士部隊もみています」

 彼の白い手袋がされた長い指が、左胸へとあてられる。

 とても軍人には見えない、優雅で美しい男だった。

 この国にはない灰色の髪は、月のような印象にも感じる明るい色合いでじっと見つめてしまう。

 と、エステルは王族を前に座っている自分を思い出す。

「あっ、私は――」
「いいえ、そのままで」

 アルツィオの手が視界のすぐそこに入り、どきっとする。

「ふふ、そう警戒しないでください。ただの顔合わせですよ。気軽に、ね?」
「は、はい……」
「私の方が隣にお邪魔してもよいでしょうか?」
「もちろんです」

 彼が「それでは」と言って、エステルの隣の席へと腰かけた。

 少し距離を開けた向こうから、貴族達が好奇心を抑えられないように見てきた。

「私はベルンディ公爵の娘、エステル・ベルンディと申します」
「はい、お名前は先に存じ上げておりました。ミルクティーの珍しい髪色をした、とても美しい女性であるからすぐに分かる、と」

 なんと、口がお上手なことか。

(姿絵を一緒にお送りしたのだと思う)

 エステルは、にこにこしているが隙の見えない美しい彼を、じっと見上げていた。

「それでいてベルンディ公爵家の娘といえば、王太子の婚約者をこの年齢まで立派に努められていると聞いていました。いつ結婚してもおかしくないと近隣国も把握していたのですが、どういうことなのかと、私の父上も大変興味を引かれておいででした」
「それは……魔力を失ったからですわ」
「それだけ?」

 アルツィオは、にわかには信じがたいといった様子をした。

 でも、それは演技だとエステルは感じた。

 来る前に、ある程度の情報は集めるものだ。ただの会話の材料として彼は話しているのだろう。

『――君より可愛げがある』

 先日、最後に見たアンドレアの言葉が蘇り、ずきりと胸が重くなった。

 見目麗しい男性を前に、そう冷静に分析するなんて可愛くないことだろう。

 エステルは未来の妃としてそういうふうに教育されてきた。

 小さく息を吐くと、座っていても目線の高さがだいぶ違うアルツィオが、膝に腕を乗せて隣から覗き込んできた。

「私が、お気に召しませんか?」

 素直に頬を染められたら、どんなによかったか。

「いえ、とても素敵だと思いますわ」
「もし婚姻が成立することになったら軍人の妻になってしまいますが、それでも構いませんか?」

 率直な審査のような質問に、なんだかおかしくなった。

 アンドレアが寡黙な人だったから、こんな男性は初めてだったせい、かもしれない。

「ふふ、ええ。王の妃だろうと軍人の妻だろうと、とうに覚悟はできていますわ」

 アルツィオが、ふっと優しく目を細めた。

「ようやく笑ってくださいましたね」
「え?」
「年下をいじめている気分になってしまいまして。いえ、立場上、軍人として歩いていると女性にも子供にも恐れられますが、こういう綺麗な恰好でいる時くらいは、安心していただけたらと」

 格好つけはあまりしない人のようだ。

 調子よく自身を示した彼に、エステはまた少し身体の緊張もとけていった。

「それに、素晴らしいことです。私は逃げ回っていました」
「……もしかしてそれは、ご結婚から?」
「そうです。もともとじっとしているようなタイプではなかったのですが、あの頃は、騎士として現場で走り回っている方が好きでして」

 あの頃、というと今は違うのだろうか。

 そんなことをエステルが思った時、彼がこちらを向いて笑顔で遮ってきた。

「あなたは聡明ですね。それでいて、敏い」
「はい……?」

 彼はにこにこと笑っているだけで、何も答えてくれない。

(もしかして質問されたくないことだった……?)

 人が多いところでは、するような話ではなかったのかもしれない。

 ひとまず『何も聞きません』と伝えるように口を閉じる。

 すると彼が、急にエステルの胸の前に落ちていた髪をすくい上げた。

「あっ……」
「失礼、淑女の髪に許可もなく触れるなど。とて美しい色の髪だと思いまして」

 分かっているのに、どうしてこのタイミングでしたのだろうか。

 すると彼が小さく言う。

「しっ――どうか、しばらくそのままで」

 また、不思議なことを言う人だ。

 異性に髪を触れられているなんて、とてもではないが慣れない状況だ。
 髪は、肌と同じ。できれば逃げ出してしまいたい。

(婚姻候補の、何かの審査だったりする、のかしら?)

 エステルには彼の基準は分からない。

「誤解です。違います」
「えっ?」

 何も口にしていないのに、彼が心でも読んでみたいに言ってきた。

 驚いて目を合わせたエステルに、アルツィオが髪を手にのせたまま、にこっと笑いかけてくる。

 それは、まるで女性でもくどくみたいな甘い笑みだった。

「あの……先程から、時々印象がお代わりなられているような」
「向こうから、そう見えないのならOKです」
「は」
「ところで婚約が危ぶまれている件ですが、王太子と不仲であることがもっともな原因だというのは、事実でしょうか?」
「それは……事実です」

 国王からの手紙では、魔力を失ってしまったので婚姻資格がなくなった、とは書いていなかった。

 あとは、すべてアンドレアに委ねる、と。

 両陛下もまた、息子の考えが分からなすぎて放り投げたようにも感じる。

 恐らくは大事になってしまった『婚約者を差し置いて、その頃ユーニとデート』の件で、とうとう重い腰を上げざるを得なくなった、という印象をエステルは抱いた。

 アンドレアの、婚約者としてはそっけなさすぎる態度を王妃は心配していた。

「けれど、その事実をはぶいたとしても、魔力量がなければ結婚の資格はないも同然でしょう」
「それで国外での婚姻をお望みで?」

 アルツィオが目を覗き込みながら、今度はエステルの手を優しく包み込んできた。

 それは嫌悪感を覚える触り方ではなかった。
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