マチルダの結婚

棚から現ナマ

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19. 夜会の後

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レイヤーズ辺境伯からの願いを、寛大な心で王太子リカルドが受け、王妃が広めた暗黙の了解の呪縛を解いた。
そんな話がガッツィ国の社交界に流れた。
思い思いの好きなドレスを着ることができる。夜会に居合わせた淑女たちから礼を言われ、リカルドは神妙な顔をしていたが、自分の母親の行為が、長い間周りの者達から好まれていなかったことに、やっと気が付いたのだ。
翌日の新聞に、王太子リカルドの尽力により、社交界のドレスコードは、『40年以上続く古いしきたりから解放された』と、書かれていた。
新聞を手に、ガックリと膝を付くリカルド。

「フルボッコざまぁ」
その姿を見ながら、ホホホと愛らしい笑みを見せるアリアンヌだった。

その権力を持って、王太子など、ケチョンケチョンにすることなど簡単なレイヤーズ辺境伯は、わざわざリカルドを立ててくれた。
リカルドを擁護してくれるどころか、お手柄扱いにしてくれたのは、先だって手を回してくれていたのだろう。
アリアンヌがエーリアの親友だということもあるが、長い歴史の中でレイヤーズ辺境伯家は、王家に忠誠を誓う忠臣なのだと立場を示してくれたのだ。

リカルドがこれから先、王座に就いたとしても、レイヤーズ辺境伯家を蔑ろにすることは無いだろう。まあ、どうせしたところで、何百倍にもなって返ってくるだけなのが分かり切ってはいるのだが。



夜会を終えたマチルダ達は、次の日、レイヤーズ領へと帰ることになった。
レイヤーズ夫妻から、王都で観光をしたり、パーティーに出席したりと、好きなだけ滞在してもいいと言われた。裕福なレイヤーズ伯爵家は、王都に別宅を持っているから、自由に使っていいと。
シモンは乗り気だったが、マチルダは遠慮した。
パーティーや茶会など、自国では散々、惨めな思いをしてきたから、参加したくは無かった。もしガッツィ国でも、蔑んだ視線を向けられたなら、悲しくなってしまうから。

「あの、私のためにご尽力いただきまして、ありがとうございました」
頭を下げるマチルダに、レイヤーズ夫妻もだが、シモンもキョトンとした顔をする。

「やだねぇ、嫁に頭を下げてもらうようなことなんか、何もしちゃいないよ」
「そうだぞ。嫁が気にかけるようなことは何もないぞ」
「ですが、私のために、社交界のしきたりを変えるだなんて、一歩間違えば、レイヤーズ辺境伯家が大変なことになるところでした」
マチルダは本気で思っているので、顔が青い。自分がシモンの婚約者なばかりに、二人には王族に意見するという、大きなリスクのあることをさせてしまったのだ。

「アッハッハ。嫁は気にし過ぎだよ。私が背中の開いたドレスなんか着たくなかったのさ。私は身体中傷だらけだからね」
「そうだぞ。背中の開いたドレスを着るなんて、私もいただけないと思っていたからな」
レイヤーズ夫妻は、何でもないことのようにマチルダに言ってくれる。

「なんだい。妻でもオバハンの背中は見たくないって言うのかい」
「何を言っているんだ。愛しい妻の背中を他のヤローに見せたくないのは、当たり前のことだろう」
「なっ、なっ、何をっ。恥ずかしいヤツだねっ」
自分の妻にウインクを送るレイヤーズ伯爵に、いつもは豪快なエーリアは、赤い顔をして、ソッポを向いてしまった。
男勝りのエーリアだが、恥ずかしがり屋な一面もあるのだ。
そんな所も可愛いと、レイヤーズ伯爵は、たまに惚気ているのだが。

「何を見ているんだよ。こっちを見るんじゃないよ」
「愛しい妻の可愛らしい一面を見逃す手はないだろう」
「も、もうっ。恥ずかしいヤツだねっ」
ますますエーリアは赤くなると、明後日の方向を見ている。
だが、レイヤーズ伯爵の隣の席から動こうとはしていない。先に腰に手を回したレイヤーズ伯爵へと引き寄せられても、されるがままだ。

シモンは、そんな叔父夫婦を見ながら思う。こんな仲の良い夫婦に自分もなりたいと。
レイヤーズ夫妻は政略結婚だ。それもエーリアは、元々は自分の父であるレイヤーズ伯爵家の長男ジーンの婚約者だったという。ジーンがレイチェル男爵令嬢と、学園在学中に子どもを作り、レイヤーズ家から追い出された後、次男の叔父と結婚したのだ。

シモンはレイヤーズ夫妻の元に、幼い頃から預けられている。
表向きはレイヤーズ夫妻に跡継ぎの男子が生まれなかったからという理由。双子の女の子がいるが、それ以外に子どもはいないから。
だが、レイヤーズ夫妻は現在30代前半。まだ子どもが望める。
それこそシモンが預けられたころは、20代になったばかりで、引き取る必要は無かった。
シモンは自分のことを両親がレイヤーズ夫妻に押し付けたのだと知っている。そのことをレイヤーズ夫妻が口にしたことはなかったが。

シモンは2~3ヶ月に1度実家に戻される。本当は帰りたくなどないのだが、レイヤーズ夫妻が実の親に会いたいだろうと、気を遣ってくれるのだ。
実家は王都にあり、父は王家に仕える騎士として働いている。父と母、3人の妹たちが住んでいる。

帰る度に母レイチェルからは言われている。本当ならばお前の父親が辺境伯を継ぐはずだったのだと。自分達は、追い出されたから、お前が辺境伯を継ぎ、私たちを領地に呼ぶ義務があると。
呪詛のように繰り返される言葉。

そして、続いて聞かされる、エーリアの悪口。
あんな女が辺境伯夫人など許されない。女性らしくない。可愛らしさの欠片も無い。動作が粗暴。口が悪い。
大好きな叔母をけなされ、それなのに幼い頃は言い返すことができなくて、ただ泣いていたシモンだったが、この頃は、レイチェルが悪口を言い始めると、倍にして言い返している。
シモンがマチルダを言いくるめるのは、レイチェルとの言い合いで、鍛え上げられたからなのかもしれない。

騎士として働く父は、薄給だということはない。もとは男爵令嬢、それもあまり裕福では無い家で育ったレイチェルにすれば、夫は高給取りだ。
だが、目の前にあった贅沢な生活を送れなかったことが、レイチェルの心を苛み続ける。
生まれたばかりの息子を弟夫婦に預けてしまう程に。

ジーンは、そんなレイチェルを持て余しているのか、家では口数が多くはないし、仕事を理由に、あまり家にも帰ってこないようだ。婚約者がいながら、他の女性に目移りするどころか、妊娠させてしまうような奴だから、妻以外にも女性がいて、家庭を蔑ろにしているのかもしれないとシモンは思っている。

生家に帰る度にシモンの心は荒む。この頃は母だけではなく、妹たちもシモンに贅沢をさせろと言い募ってくるようになった。母親から聞かされている言葉を、疑うことなくそのまま信じているのだろう。辺境に行けば、お姫様のような暮らしができると。

シモンは辺境の暮らしを夢の国のように語る母や妹たちに、ただ暗い瞳を向けるだけだった。
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